お祭り騒ぎ、馬鹿騒ぎ(4)
*
何事も起こっていませんようにと無駄だと分かっていながら祈りつつ、戸を開ける。祈りは当然の如く受け入れられず。
壁や天井が茜色に染まっている。夕焼け空を切り取り、そのまま貼りつけた様な美しく、雄大な色だった。その空を泳いでいるのは、紫色の雲。
あるはずのデスク、連絡事項の書かれたホワイトボード、コピー機等の姿は無い。果てしない空の下にあるのは黒っぽい色をした土と、その上に刺さってる無数の風車のみ。黒く光る棒につけられた真っ赤な風車は、風も無いのにかたかた、からからと回っている。
「先生達はどこへ行ったんだ? 別の場所にでも飛ばされたのか……?」
「先生達も気になるけれど、鍵も気になる。……鍵らしいものはどこにも無い、よな」
「それじゃあ私達、図書準備室に行けないってこと!?」
頭を抱え、嘆く柚季。
「それは無いよ、安心して、お姉ちゃん」
誰もいなかったはずのその部屋に、一人の少女が佇んでいた。おかっぱ頭の、お人形さんの様に愛らしいその娘は手にドッジボール位の大きさはあろうかという青いビー玉に似たものを抱えている。少女は三人を見て無邪気に笑った。
「鍵はあるよ。ここにある風車のどれかの根っこに、くっつけたの。引っこ抜いてみれば、分かるよ」
少女が、近くにある風車を指差す。本来の職員室より確実に、そして格段に広くなっている空間でくるくる回り続けるそれの数はかなり多い。
「楽しい楽しい、お宝探しの時間だよ。思う存分楽しんで。普段出来ない遊びが出来る、やっぱりお祭りって最高!」
「ふざけんな! こんなくだらないこと、さっさと終わらせろ!」
「それじゃあね、お姉ちゃん、お兄ちゃん。沢山騒いで、動き回って、今日という日を楽しんでね! 私もめいっぱい楽しむよ! 久しぶりに手に入れたものを使って、思う存分、楽しむんだ! ああ、本当久しぶりだわ!」
紗久羅の訴えを無視し、少女は太陽の光に似た笑みを浮かべると、手に持っていたビー玉を地面に叩きつける。それは心に突き刺さるような音を立て、割れ。砕けた破片は天へと昇っていく。それが、破片の向こう側にいる少女の姿をかき消していった。
「何だよあのクソガキ! 今度会ったらただじゃおかねえぞ!」
「それより紗久羅、早く鍵を探しましょう。さっさと探して、さっさと出ましょうよ。ああ、このかたかたっていう風車の音……ものすごく気味が悪い……聞いていると体が芯から冷えていく感じがする」
ぞっとする位静かな空間中を飛び回るその音は、聞くだけで胸を騒がせる。
その音をまともに聞き続けていたら、正気を失ってしまいそうだったから、紗久羅達は風車を引っこ抜く作業に集中することでその音から注意を逸らすことに決めた。いざ始めん、宝探し。
紗久羅は左、柚季は右、奈都貴は真ん中から順に風車を引っこ抜く。
「鍵! あ、違うこれは理科準備室の鍵だ」
紗久羅は肩を落とし、その鍵を風車ごと乱暴に放り投げた。
鍵にはタグがついており、そのタグに部屋の名前が書いてあるから一目見てどこのものなのか分かるようになっている。鍵が棒の先端――植物でいう根にあたる部分についていた時は心躍り、やったか、と思う。しかしそれらは全て、別の部屋の鍵だった。
「あの世への鍵、どうぞご自由にお使い下さい……誰が使うものですか!」
どうやら、この学校及びこの世界には存在しない場所へ至る為の鍵も混じっているようだ。
何もついていないものも、ある。それを見ると心が沈む。
逆に、鍵以外のものがついている場合。
「何だこれ、やたら重い……うわ! 芋! 大量の芋がくっついていた!」
勢いよく引っ張った結果、バランスを崩してしりもちをついた紗久羅の手には、美味しそうなサツマイモがたんまりついた風車が握られていた。匂いを嗅いでみると、蜜の甘い香りが鼻の中で軽やかに踊りだす。
本当、変なものも沢山ついているのね嫌になっちゃう……と紗久羅の叫び声を遠く離れた場所から聞いていた柚季は余所見をしながら目の前にある風車を引っこ抜いた。
「全く、いつまでこんなことやっていなくちゃいけないのよ……気分は最悪。ってきゃあ!」
柚季が抜いたものには、真っ赤なものがべったりついた包丁が、紐で結ばれていた。若干ぼうっとしていた彼女の心が抉られ。ぶん投げたそれはくるくる回って見事に着地、地面にぐさり。
「三人で手分けして抜いているのに……全然進まない! 本当に宝物――鍵はこの中にあるの……」
抜いた先についている、黒くもさもさしたもの。人の髪の毛。だがそれより下が、無い。かつらが、だらりと垂れたかつらが、棒に。
目を見張り、凝視し、それから視線をゆっくり下に持っていく。
くらむ目、眩しい光、両脇及び後頭部にほんの少しだけある髪。
土に半分程顔を埋めている、中年の男が死んだような目で大切なかつらを奪った奈都貴のことを睨んでいた。口が未だ地中にある為、無言である。その陰鬱な顔に、奈都貴は見覚えがあった。
(この人、確か数学の先生……!)
「深沢君、どうしたの?」
「いや、何でもない! 何でも!」
見てはいけないものを見てしまった。柚季に声をかけられる直前、彼の頭にかつらをばっとかぶせ、中途半端に抜けた彼を急いで埋め直した。なんとなくそうしなければいけないような気がしたのだ。
今度は柚季の悲鳴が部屋中に響き渡る。風車にくくりつけられていた招き猫が、彼女の顔をぺろんと舐めたからだ。それに続くようにしてあがった紗久羅の叫び声。猫耳をつけた教師(男、中年、担当科目は体育。眉とひげの濃い強烈な顔の持ち主)がウインクをしながら、語尾に「にゃ」をつけ、暑苦しい言葉を彼女に送る。紗久羅は気持ち悪いと彼を拒絶し、その口へと手元にあった風車を突っ込んだ。
「いや、何これ!? 何か棒から緑色のどろどろした液体がこぼれ落ちてきた! しかも臭い!」
「これどこの鍵だよ……なになに『これは放送室の鍵ですか?』……知るか! ていうか何で疑問系なんだよ!」
「ぎゃあ! あたしの生首がついていた! この野郎、笑うな気持ち悪い!」
「これもしかして、爆弾か!? うわ、げほ、げほ、げほ……ぼふっ……口から初めて煙吐いた……」
「たくあんが丸々一本ついてる! おまけに張り紙まで……どこから切ってもたくあんになります? そんなの当たり前じゃない!」
「折鶴だ……って何するんだよ、痛い、痛い、痛い! うわ、小さな鶴が生まれて、痛い、痛い、痛い! こら、どこつついている、あたしの胸は餌でも何でもないって!」
「この扇子、いやらしい絵が描かれてる! 深沢君、見て、見て……って私なんてものを見せて……こんな扇子、捨ててやるわ! あ、ごめん、何でもないの! 私の頭がちょっとおかしくなっていただけ!」
「もぐらが棒にしがみついている……ちょっと可愛い……。もぐらよ、俺の代わりに地中に埋まっている図書準備室の鍵を……あ、こら、逃げるな!」
何もついていなければがっかりするが、何かがついていたらいたで、精神的ダメージを受ける。図書準備室の鍵がついたそれを見つけるまで、彼等の苦労は絶えない。
出てきたものに驚いたり、悲鳴をあげたり、呆れたり、ツッコミを入れたり、もう大騒ぎ。
段々、風車の音に恐怖を感じなくなってくる。逆に腹立たしく思えてきた。
かたかた、からからという音が大騒ぎしている自分達を嘲笑う声に聞こえてきて、紗久羅は歯軋り。からから、かたかた、ぎりぎり。
その音に混じっているのは、本物の笑い声。それはべろんべろんに酔っ払った者があげるものと似ていて。下品で、うるさくて、腹が立つ笑い方。突如流れた校内放送で聞いたそれと、全く同じ。
どうやら、どこかで生徒会役員達が三人の様子を見ているようだ。感に触るその声が余計はらわたを煮えくり返らせる。そして同時に感じるあせり。
(本当、こんな笑い声を聞きながら延々とこんなことやり続けていたら……頭がどうにかなっちまう。それにしても、一体鍵はどこに埋まっているんだ? もう大分引っこ抜いたはずなのに、全然見つからないじゃないか)
タコ、本、ごはんの盛られた茶碗、銀河ステーション入り口の鍵、障子、マリモ色の鞠、隕石、歌う簪……全く予想出来ないようなもの達を見る度、心が折れそうになる。
泣き声に近い絶叫をあげながら引き抜く作業を続ける柚季、うんざりしたような顔で時々悪態をつきながら割合淡々と抜く奈都貴、ああもうと叫び、頭を掻き毟りながらかなり乱暴に抜きまくる紗久羅。
そしてとうとう、残る風車は一本にまでなった。その前に正座し、ごくりと喉を鳴らす奈都貴と、それをじっと見つめる女子二人。
「普通に考えれば、鍵はこの風車についている……普通に考えれば」
「普通に考えればな。でも今この場に普通って言葉は存在していないし、どうなるか分からないな」
「普通って言葉の意味を忘れてしまいそう……」
意を決し、奈都貴は風車に手を伸ばし、ゆっくり引き抜いた。高鳴る胸、かたからかた、あはは、笑い声、緊張の一瞬。
抜かれた風車の下には、鍵がついていた。やったか、と三人は一瞬安堵。
その鍵についたタグに書かれている文字を奈都貴が確認する。しかし、そんな彼が歓喜の声をあげることは無く。みるみる内に真っ白になった顔に、二人は不吉なものを見た。
「なっちゃん、まさか」
「違う……これは、図書準備室の鍵じゃない。放送室の鍵だ」
「嘘でしょう!? 抜いていない風車はもう無いのに!」
柚季が乱暴に奈都貴から鍵を奪い、それについていたタグを確認する。
その体は一瞬で固まり、鍵は桜の花びらのようにひらひら、ぱさりと地面の上に落ち。
(どういうことだ、あのガキが嘘を吐いていたってことか? いや、待てよ……放送室の、鍵?)
放送室、という言葉が紗久羅の頭からある記憶を呼び起こす。それはこの地獄のような宝探しの最中に起きたこと。
彼女が抜いたある一つの風車についていた鍵。それには。
「もしかしたら!」
紗久羅は二人に詳しいことを説明しないまま、自分が担当したエリアへ勢いよく駆け出した。二人は何事かと思いながら慌てて彼女を追いかける。
乱暴に投げ捨てられた、風車の屍達。土の上に倒れた後も、彼等は三人を嘲笑うかのように回り続けていた。しかしそんなことは今、どうでも良いことであった。
「あった、これだ、これ!」
紗久羅の手に握られた風車。そこにある、一つの鍵。
「その鍵がどうかしたのか?」
「これ。タグに『これは放送室の鍵ですか?』って書いてあったんだ。何で疑問系なんだとツッコミを入れてさっさと投げ捨てたんだけれど……もし、なっちゃんが最後に抜いた風車についていた鍵が、本物の放送室の鍵だったとすれば、こっちは」
奈都貴と柚季にタグを見せる。そして。
「お前は放送室の鍵じゃない! 図書準備室の鍵だ!」
何となくそうしなければいけない気がして、紗久羅はそのタグに向かってそう叫んだ。
すると、タグの文字が消え新たに『当たり!』という文字が浮かびあがった。
その文字は少しして消え、そして今度は『図書準備室』という文字がゆっくりと、現れ。
途端風車がぽん、という音を一斉にたて、弾けた。弾けたそれはガラスで出来た蝶、秋の野山を思わせる色をした小鳥、和紙に墨を使って描いたものがそのまま実体化した様な兎や亀等の小動物、紙風船諸々に姿を変え、舞い、踊り、飛び、跳ね始める。
「当たり!」
風車についていた物が声を揃え、三人を褒め称えた。本来喋れないはずのものからも声が出ている。
空間中を笑い声と、拍手、賛辞の声が駆け回り、酷く騒々しい。
「当たり!」
「素晴らしい!」
「よく見つけた!」
「お祝いじゃ、お祝いじゃ!」
騒いでいるだけなら、まだ良かった。だがそれだけでは終わらない。
全員が、一斉に紗久羅達めがけて突撃してきたのだ。彼等はどうやら三人を取り囲み、お祝い(という名の馬鹿騒ぎ)を始めようとしているようだった。
囲まれたら、終わり!
ぴょんぴょん跳ねる鍵をジャンプして避け、飛びついてきたタコをしゃがんで回避し(勢いよく飛んでいたたこは、紗久羅達の背後にいた教師の一人の顔面にくっついた)、アタックしてきた芋を蹴り飛ばし、完全に正気を失っている教師達の間をすり抜け、もぐらの掘った穴に躓きかけながらもどうにか体勢を立て直し、たくあんを殴り飛ばし、ぼろぼろになりながらようやく職員室を脱出。急いで戸を閉める。
そして三人並んで、走って図書準備室へ行き、奈都貴が急いで鍵を開け、ようやくその小さな部屋の中に飛び込んでいった。
*
奈都貴がドアを閉め、内側の鍵をかける。それを確認した途端紗久羅の体から力が抜け、彼女はその場にへなへなと座り込んだ。柚季に至っては中に入った瞬間、カーペットの敷かれている床に倒れこみ、死んだように動かなくなっている。奈都貴は自分で閉めた戸に背中を預け、はあとため息をついた。
図書準備室は、三人が入っただけですでにいっぱい。後はパソコンの置かれたデスクと、資料や本でいっぱいになった棚が三つ程。それだけしかない、狭苦しく、ものすごく地味な部屋。
しかし不思議とその部屋にいると、心が安らいだ。
「結界が張られているからだろうな、きっと。体に染みついた異様な何かが消えていくのを何となく感じるよ」
奈都貴はドアの前から動こうとしない。力の入っていない手と足が、彼の疲労度を如実に表している。完全復活までにはもう少し時間がかかりそうだ。
それは紗久羅や柚季も同じ。特に柚季は一番酷い。とても清潔、とは言い難いカーペットにその愛らしい顔を埋めたまま、ぴくりとも動かなかった。
「しかしこれからどうすれば良いんだ? なっちゃん、九段坂のおっさんに事情を話して、アドバイスを貰うことって出来るかな」
「出来ないと思う。……校内放送が終わった直後、生徒全員パニック状態になっただろう? その時何人かの生徒が助けを求めようと携帯を開いていたけれど……。確かに入れていたはずの電源が切れていて、何をしても動かなかったようだ。電源は入らず、メールを送ることも、電話をすることも出来ない状態になっていたみたいだ」
「そうか。……それにしても一体何でこんなことに。犯人の可能性が一番高いのは生徒会長、だよな」
「ああ。日向先輩が乱心して、多分生徒会室内で暴れて、非現実的で非常識的な何かを見せまくって……生徒会役員達は、他の生徒達と同様目の前で起きた出来事に対処出来なくなって……おかしくなってしまった、というところだろうな。多分もう、殆どの人が正気を失っていると思う。……非常識な出来事の数々から身と心を守る為に、全てを受け入れ、壊れることを選んだんだろう。それ以外方法は無いもんな……及川みたいな力を持っていない限りは」
「こういう滅茶苦茶な出来事にある程度耐性があるあたし達でさえ、このザマだもんな。確かに、この事態を受け入れて、おかしくなっちゃう方が楽ではあると思う。実際あたしだって何度もいっそ諦めて全部受け入れてしまおうと思ったし」
今だってそう思っている。まだ癒えきっていない体や心が、その考えを捨てさせてくれないのだ。
壊される前に、壊れてしまえ。
甘い誘惑。それを振り払うように紗久羅は首を振り、頬をぺちんと叩いた。
「いかんいかん、変なことを考えないようにしないと。……ああ、しかしそれにしても、一体何がどうなっているんだ?」
二人は今までに起きたことを整理してみる。
まず、八時頃校内放送が始まった。生徒役員二人が「梓が乱心した、手がつけられない」と述べ、笑い出す。他の役員も「乱心だ」とか何とか言い。
しばしの沈黙の後、梓が「存分に楽しんでください、今日はお祭り騒ぎです」という謎の宣言をした。その直後、妙なことが次々と起こりだし、意味不明な出来事の数々を前にして生徒達の心は崩壊。皆しておかしくなってしまった。
生徒会役員が今どこにいるのか、まだ分からない。
「やっぱり、生徒会長が犯人なのか?」
その問いかけに奈都貴は難しい顔をする。彼は紗久羅と同じだけの情報しか与えられていない。その情報だけでは何ともいえないのだろう。
「少なくとも、最初におかしくなってしまったのは会長なんじゃないかな。生徒会役員が真っ先にしたお知らせの内容が『梓様がご乱心なさいました、手がつけられません』ってものだったし。日向先輩がおかしくなった、手がつけられない、もうどうしようもない、ゆえに自分達も壊れちゃいました……って感じだ。多分彼等も、他の生徒達と同じだったんじゃないかな。何らかのことが原因で暴走を始めた日向先輩が、生徒会室内で妙なことを起こした。他の役員達は非常識にも程がある出来事の数々に耐え切れなくなり、結局おかしくなってしまったんじゃないかな」
自分達のもつ常識を以って対応し続ければし続ける程、心に疲労がたまっていく。通用しない常識、次から次へと入ってくる自分の常識では処理出来ない情報の数々、まともであろうとする心が、心を壊していく。
終いに、壊される前に自ら壊れることを望むようになる。常識を振りかざすことを諦め、非常識な事象を受け入れ。そうして自分を守ろうとするのだ。
「……そういえばさ、なっちゃん。さっき職員室でおかっぱ頭のガキと会ったよな? そいつが姿を消す直前、手に入れたものを使って楽しむとかなんとか言っていた。何かその言葉を聞く限り、犯人はあのガキって可能性もあるんじゃないかなと思うんだけれど」
「こういう考え方もある。あの子が言っていた手に入れたものっていうのは日向先輩の体だった……先輩の体を乗っ取ったことで彼女は自分の力を発揮できるようになり、この騒動を引き起こした」
「柚季と同じように?」
ああ、と奈都貴が返す。
「とりあえず今回の騒動の黒幕をあの子と仮定して。彼女は確か『久しぶり』に手に入れたものを使って楽しむと言っていた。ということは以前にも似たようなことをやったことがあるってことだよな」
その以前っていうのがどれ程前のことかは分からない、と最後に付け加える。
あの少女は十中八九人間では無いだろう。となれば相当長生きしている可能性がある。前回同じようなことをしたのは数百年も前のこと、ということも充分ありえるからだ。
ただ座っているのも退屈になってきた紗久羅は何となく立ち上がり、デスクの方を見た。デスクの右奥には小さな棚があり、そこには本がびっしり詰まっていた。タイトルを見る限り相当お堅い本ばかりで、読書とは無縁な上に勉強とか難しいこととか、そういったものが大嫌いな紗久羅にはとても読めそうに無い。
しかし一冊だけ、馴染み深いタイトルの本があった。
桜村奇譚集。桜町(旧桜村)や三つ葉市、舞花市等で起きたとされている不思議な出来事、この辺りにある風習等をまとめたもの。
それを見た瞬間、紗久羅はあることを思いついた。
「なっちゃん。あのガキが昔もこの辺りの土地で同じ様なことをやっていたとしたら――それに関する記述が、桜村奇譚集にあるんじゃないか?」
確かに有り得る話だな、と奈都貴が頷いたので紗久羅は棚から桜村奇譚集を取り出す。
それから、今回と似たようなことがこの辺りで起きたかどうか調べようと本を開く。しかし一分も経たぬ内にギブアップ。文章自体は全く難しくないのだが、一文字一文字が異様に小さかった為、読む気力を失ってしまったのだ。
紗久羅は家でそこそこ読書をしているらしい奈都貴に何も言わずそれを放り投げた。突然のことに奈都貴は慌てつつ、どうにかそれを無事にキャッチ。
「お前投げるなら前もって言えよ! 自分の本だっていうならまだしも、人様の本を」
ぶつぶつ文句を言いつつ素直にページを開き、それらしい記述を探し始める。
「仮にあったとしても、見つけるまでには相当時間が……あ!」
適当に開いたページの文字を目と指でなぞっていた奈都貴の大声が、柚季の体をびくりと震わす。紗久羅もまた、デスク前の椅子に座ろうとしたまさにその時叫ばれたものだから大層驚き、危うく着席に失敗するところであった。
「なっちゃん、大声をあげるなら前もって言ってくれよな! ああ、びっくりした」
「今から驚いて大声をあげますので気をつけます、なんて言う奴見たこと無いぞ。今はそんなこと、どうでもいい。……あったよ。丁度開いたページに載っていた」
「まさか、本当に、あったのか?」
正直そこまで期待していなかった紗久羅の驚きようといったら。
奈都貴はゆっくりと自分が見つけたそれを読み始める。
話の内容は、こうだ。
昔桜村に一人の旅商人がやってきた。その旅商人がもってきたものはどれも一風変わった物ばかりだった。珍しい物が好きな村人の一人が、その人から一つの面を買う。その面はお祭り等の賑やかなことが大好きな神木を使って作られたもので、それを祭りの日につけるととても面白いことが起きるらしい、ということだった。
「またお面!? 勘弁してよ……」
お面、という言葉が出てきた途端今まで会話に参加していなかった柚季が起き上がり、うんざりしたような顔で奈都貴の顔を見る。東雲高校文化祭でのことを思い出したからだろう。紗久羅も内心、彼女と同じようなことを思っていた。
詳しいことを知らない奈都貴は、曖昧に頷きながら読むのを続ける。
ある日桜村とその周辺にある集落合同の祭りが行われることになった。
その祭りは桜山と始めとした、自分達に恵みを与えてくれている自然に感謝をするという、二年に一度あるもの。その年は桜村で執り行われることになっていた。
最初は厳粛な空気の中で神聖な儀式があり、その後は飲み、食い、踊り、騒ぐ。皆にとってはこの時間が一番楽しみであった。
例のお面を買った男は、宴の最中それを試しにつけてみた。最初の内は、何事も起きず、やっぱりただのお面だったかと内心がっかりしたそうだ。
しかししばらくしてから、男の耳に妙な声が聞こえてくる。それはお面の声であった。お面は彼に、少しの間だけ体を貸して欲しいとお願いする。自分は祭りが――皆でわいわい言いながら楽しむこと、お祭り騒ぎが大好きなのだが、手も足も無い面であるゆえ、皆と一緒に騒ぐことが出来ない。また自分をつけている者としか話すことも出来ないと訴える。
体を貸してもらえれば、踊ったり、歌ったり、飲んだり食ったり、皆と騒ぐことが出来るようになる、私のそんなささやかな夢をどうか叶えて欲しい、そう言ったそうだ。
男はお面の心からの願いを聞いてやることにし、少しだけ体を貸してやると言った。お面は男の体を借りて祭りを楽しんだ。
しかしその後、村で恐ろしいことが起こった。
男の体を手に入れたお面が自分の持つ力を使い、お祭りを滅茶苦茶にしてしまったのだ。
その内容というのが、今学校で起きているようなこととぴったり一致していた。常識外れの出来事が連続し、村人達はおかしくなっていき……。
「お面は幻術や妖術を駆使し、とんでもない騒ぎを引き起こした。……とてつもない力を持ったお面相手に巫女は相当苦労したようだが、それでもどうにかお面を男から引き剥がし、眠らせ、封印することに成功した」
「そのお面はそれからどうなったんだ?」
「壊しはせず、封印を施したまま保管することにしたらしいな。被りさえしなければ無害だし、霊験あらたかな神木から作られたことはほぼ間違いないから無闇に壊すのも……という理由で」
物語はそれで終わり。
「それじゃあ何だ? 長い年月を経て封印が解けてしまったお面を生徒会長が被って、それでもってお面が彼女の体を乗っ取って、自分の力を使って、この騒ぎを起こしているってことか?」
「……可能性としては高いな。ここに書いてある、お面が引き起こした出来事と、今この学校で起きている出来事の系統が殆ど一致しているし。……となると、職員室で見た女の子は――日向先輩その人だったってことかな。お面の幻術で、ああいう姿に見えただけで。……今までの出来事も殆ど幻覚だったってことか」
「幻術以外にも妖術を使っていたとか何とか書いてあるってことは、全部が全部幻じゃなかったのかもしれないけれど。それにしても日向先輩はどういう流れでお面をつけたんだ?」
それが分からない。三人して腕を組み、考える。
(文化祭準備にてんてこ舞いで心身共に疲れて、テンションが若干おかしくなって……ノリでつけてみた? だとしても……何でそんなお面が、手元にあったんだ?)
考えても全く分からない。
しかしそれから幾らかの時間が過ぎた時のことだ。柚季が何か思いついたらしく、小さな声をあげた。二人の視線が一斉に柚季へと注がれる。
「お化け屋敷。お化け屋敷よ! 紗久羅、深沢君。コンビニで生徒会役員の二人が話していたこと、思い出して!」
「お化け屋敷……あ、ああ!」
パンコーナーでパンを物色していた生徒会役員二人の会話が、紗久羅と奈都貴の脳内で再生されていった。
――俺のクラスお化け屋敷やるんだけれど……それに使う良い感じのアイテムが家にあったから、持ってきたんだけれど。クラスの人にそれ渡すの忘れていた。明日でもいいけれど、さっさと渡した方がいいよな――
――ああ……前言っていたやつか。後で渡しに行けばいいじゃん。夕飯食べた後でさ――
――そうだな。……クラスの人に渡す前に、日向辺りにでもつけてもらおうかな。くく、想像しただけで笑える――
やってみよう、悪戯を思いついた子供のように笑いながら言ってレジまで行った男子二人の姿が最後に頭の中に現れ、そして消えていく。
「あの時言っていた良い感じのアイテムっていうのが、そのお面のことだったのか。木を彫って作られたお面……確かにお化け屋敷みたいなおどろおどろしいものにはぴったりかもな」
「お面は壊されることなく残されたって書いてあったもんな。……巡り巡ってあの先輩の家の手に渡ったとしてもおかしくはないな。そのお面の存在を知っていた先輩はお化け屋敷の小道具に丁度良いと思って、学校に持ってきた」
「けれどそれをクラスの人に渡すことを忘れていた。後で渡しに行かなければ、でもその前に日向先輩につけてもらおう……そんなことを思いつき、実際にあの人はそれを実行した。疲れのせいか何なのか理由は分からないけれど――結局その提案を受け入れ、お面をつけてしまった」
奈都貴、紗久羅、最後に柚季。それらしい答えに辿り着いた三人ははあ、とため息をつく。
「そんな馬鹿馬鹿しい流れがこんなとんでもない事態を引き起こしたの……?」
「……大体のことは分かったような気がする。けれど、まだ、この事態を収束させる方法が全然思い浮かばない」
「あたしもだよ……」
「言っておくけれど私、何かを封印する方法とか全然知らないからね。後あのお面とまともに戦える自信も一切ないし、やりたくないし」
一体どうすれば良いのだろうか?
三人はそれからもうしばらくの間、図書準備室にこもり、唸りながら色々考えるのだった。