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桜町幻想奇譚  作者: 里芽
紅葉狩っても狩られるな
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紅葉狩り(4)

 向こうの世界から戻ってきた人形が持っている刀身の色は赤一色に変わっていた。屏風には女の姿は映っていない。用済みの人間に興味は無かったから、映す場所をさっさと変えてしまったのだ。

 楓様はその刀を人形から奪い去ると、それを地面めがけて何回も振り下ろした。刀が地面に当たる度、しゃん、しゃんという鈴の音が聞こえ。同時に刀から何かが飛び出してきた。


 宙を舞い、ころころ地面の上を転がるもの。……深海や夜の空を思わせる深い青。光を浴び、きらきら輝き。それは青玉――サファイアであった。

 やがて刀の色は元に戻っていき、そして玉も吐き出さなくなり。


「ふむ。……まあまあ、といったところか? しかしこれでは足りぬ。もっと狩らねば」

 あちこちに散らばった青玉は近くにいた従者が拾い集め、それを入れる用の箱にしまってくれた。


 楓様はそれから何度も、何人もの人間を襲った。箱を満たす青玉、紅玉、銀……。しかし狩りの全てが成功した訳では無い。折角見つけた人間を縛ろうとしたのに人形が思い通りに動いてくれず、結局逃げられてしまったり、縛ったのはいいが人形の歩みがあまりに鈍すぎたせいで活動限界時間を超えてしまいなくなく戻す羽目になったり、撫子に話しかけられたせいで人形の操作を中断する羽目になったり(撫子は葛に叩かれ、引っ張られていった)……。

 失敗も遊びの内。そう思う一方、このままでは負けてしまうというあせりもあり。いろははいつもより調子が良いらしく、点差はどんどん広がるばかり。

 青玉を沢山狩りました、先程狩った男の悲鳴は傑作でした姉様にも聞かせたかった位、人間って柔いですわよね本当斬り甲斐がある……いろはは声を弾ませながら、色々報告してくれた。


「今度こそ、今度こそ成功させる。黄金さえ、黄金さえ見つかれば……まだ勝てる見込みはある」

 またしても狩りに失敗した楓様はそう心に誓うのだった。


「楓姉様。楓姉様……今お話、大丈夫ですか?」


「おお、いろはか。今は良いぞ。……どうかしたかえ?」


「人形を見ると、昔のことを思い出しますわね。二人して手を繋いで、里中を駆け回りましたわよね、私達」


「そうじゃな。晴れの日も、風の日も、雪の日も……毎日、毎日。飽きもせずに」


「……辛い思い出だけじゃありませんでしたね……。毎日がとても楽しかった……姉様がいて、母様がいて、父様がいて、友人がいて」

 懐かしむような声。その声は何故だか楓様を酷く不安な気持ちにさせた。

 彼女のそんな気持ちに気づいているのか、いないのか。いろはは話を続ける。


「桜の木を見る度私は、いつかあの花みたいに綺麗な人になりたいと言いましたわね。夏になれば川で遊んで、全身ずぶ濡れになって……風邪をひいてしまったこともありました。秋は楓の木を眺めましたね、姉様、毎年……毎年。二人しか知らない場所にある、秘密の木を……そしてその木の近くで追いかけっこをしましたわね。その時よく私は転びました。……楓の葉の様な色をした血をよく流して、大声で泣いて……姉様に大丈夫、大丈夫と頭を撫でられて。そうされると不思議と痛みがやんで、楽になりました。冬……雪。初めて触れた時、あまりの冷たさに驚いたことを今でも覚えています。とても冷たくて、これに触れたら魂を全て奪われてしまうのではないかと、本気で思っていた時がありましたわ」


「いろは?」


「紅葉狩りの時、私は多くの人間の姿を見ます。……彼等を縛り、斬り……悲鳴を聞く度、思い出します。自分がかつて人間だった時のことを」


「どうしたのじゃ、いきなり、そんなことを」


「姉様。どうして私は楓の木に生まれ変わりたいなどと言ったのでしょう。……姉様、私、今度生まれ変わるなら」


「いろは、何を言っているのじゃ」


「……いやですわ、私ったら。さっき、折角の黄金を些細な失敗で逃してしまったせいかしら……酷く落ち込んでいて、訳の分からないことを。ごめんなさい、今の話は忘れてくださいね」


「そ、そうか……」

 いろははそれきり何も言わぬ。楓様は仕方なく狩りを再開することにした。

 だがいろはのことが気になり、なかなか集中出来ない。胸騒ぎは止むどころかますます酷くなるばかり。


 生まれ変わるなら、楓の木になりたい。そう願い、果てた自分といろは。

 前の人生を飾った一番哀しく、美しい思い出。それを否定するようなことを言ったいろは。今までそんなことは無かったのに。


「いろは、そなたは一体どうしてしまったのじゃ……」


 そう呟きながら、ふと屏風に目をやる。すると。


「あれは……!」

 屏風に映る、一人の少年の姿。前世の楓様が亡くなった時の歳位の少年は、急いでいるのかせっせと両足を動かし走っていた。

 その少年が身にまとっている光の色は。


「おお、黄金じゃ! 毎年各々の陣地に一人しか割り当てられることの無い黄金が……何という僥倖! これはまたとない好機。あれを狩れば勝利も目ではない。おおい、いろは、黄金じゃ、わらわは黄金を見つけたぞ!」

 興奮のあまり、先程までのやり取りを忘れ、運命の出会いを果たした乙女の如きはしゃぎ方をする。

 だが、返事は聞こえず。


「……いろは、いろは? ……狩りに戻ってしまったのか。仕方あるまい。ふふ、あれを狩ったら……いろはに自慢してやろう。きっと驚くぞ。それでは、早速」

 ふう、と息を屏風に吹きかける。その風は屏風の向こう側に届き、少年の動きを止める。


「笑え」

 人形の口が笑い声を漏らす。少年の体がそれを聞いて一気に固くなる。これは愉快だと楓様は笑った。

 

 うふふふ、ふふ、ふふふふ。


 少年を包囲する笑い声。彼は青ざめながら前を、後ろを、右を、左を、上を、下を、見る。


「無駄じゃ。……くくっ。情けない顔をしている。素晴らしい顔じゃ」

 空を染めると、少年の顔はますます苦しげなものに変わっていった。

 放った人形の着地は今回も随分乱暴なもので。がしゃりという音を聞き、しかめ面をする楓様。


 振り返り、人形の姿を見た少年は「にん、ぎょう」と震えた声で一言。

 その声があまりにおかしかったから人形を笑わせてやった。


 左手の人差し指を唇に軽く当てながら、口を開く。


「お前は、黄金だ。何としてでもとらねばならぬ」

 その声は見えない糸で繋がっている人形に伝わり。そして彼女の口から全く同じ言葉が発せられた。

 何を言っているんだ、と少年は全く意味が分かっていない風だ。分かるわけがない。それ位のことは楓様だって理解している。分かっていながら、あえて言わせたのだ。訳の分からないことを聞かせることで少年をより怖がらせようとしたのだ。


 それから慎重に人形を操って、少年の動きを縛る。全身系を指先に集中させた甲斐あり、成功。

 人形の手中に刀を出現させ、それから彼女を前進させていった。


「黄金じゃ、黄金じゃ。必ずとってみせようぞ。うふふ、あはは」

 意気込みを、黄金を見つけた喜びを言葉にして、人形に言わせてやる。

 金色に光る少年の体を早く斬りつけてやりたい。自然と荒くなる息遣い。

 少年は魔を退ける何かを持っているようだったが、楓様の脅威にはなりえなかった。結局彼女の強大な力に耐え切れず、さっさと消滅してしまったようだ。


 人形は鈍い足取りで、前に進んでいく。もっと早く動かせないものかと常々思うのだが、何百回やってもこれがなかなか上手くいかない。

 

「いっぱい、いっぱい、斬る。黄金を沢山斬れば、うふふ」

 人形に対する不満をとりあえず忘れようと、楓様は笑った。


「黄金、黄金、わらわを勝利へと近づける、黄金……後少し、後少しじゃ」

 少年を守るものは、何も無い。人形も言うことを聞いている。失敗する要素はどこにも無いのだ。遊びとはいえ、勝負は勝負。可愛い妹相手でも、負けるのは悔しい。

 絶対に勝つ、勝ってみせるという思いが人形の足取りを早くした。


 振り上げられた刀。


「行け、そのまま斬ってしまえ!」

 思わず身を乗り出した楓様。


 しかし。


「楓様!」

 背後にあるあの容器から、男の怒鳴り声が聞こえた。その声が楓様の人形を操る手を止めさせる。

 折角良い所だったのに。邪魔をするのは誰だと容器を満たす水を睨みつければ、そこには真っ青な顔をした薄がいた。彼がそのような顔をするのは珍しい。


「何じゃ、何事じゃ」

 何か良くないことが起きたらしい。胸を焼く怒りを抑えつけながら、静かな声で問う。

 薄は俯き、目を瞑り、震え、少ししてから再び顔を上げ、真っ直ぐ楓様の顔を見る。。話す決意を固めた様子だった。しかしそれでもまだ体の震えは収まっておらず、また、顔色も悪い。

 ごくりと喉を鳴らし、ようやく、口を開いた。


「いろは様が……いろは様が……お亡くなりになりました……!」


 彼は震えながら、そう言った。確かに、そう言った。

 楓様の体を、稲妻が貫き、青天の霹靂、襲う痛み、真っ白になる頭。

 思わず両手で口を覆い、青ざめ。


「何、それは本当かえ? そんな、まさか。そんな、いや、じゃが……」


「……残念ながら……真のことに、ござい、ます」


「おお、おお、こんなことをしている場合ではない。……ああ、何たること……そんな、ああ……」

 紅葉狩り等している場合ではない。突然の訃報に混乱しながらも、どうにか少年を解放し、人形を回収する。回収した人形の顔が、何故か泣いている様に見えた。いや、実際泣いていた。瞳から頬へ、顎へ流れる雫。いや、それも違う。その涙は人形が流したものではなく。


「いろはが、そんな、そんなはず……いろは……いろは」

 涙に濡れる声、瞳、頬、着物。


 事情が飲み込めていない従者達は、一体どうしたのかと困惑しながら、人形を抱えて泣く楓様を見た。


 数時間後。さっきまで騒々しかった空間は、今、水を打ったように静まり返っている。喋る者など一人もいない。ぐちゃぐちゃになっていた席は元通りになり、ご馳走や酒は消え。

 あちこちから、すすり泣く声がした。いろは方の者達は皆、泣いている。彼等は主の最期を看取ることが出来なかったのだ。おまけに彼女が倒れたまさにその時、自分達は酒を飲み、ご馳走に舌鼓をうちながらわいわい騒いでいたのだ。悔しい、恥ずかしい、悲しい、苦しい――ありとあらゆる思いが彼等の胸を駆け巡り、そしてその思いは涙となり、体外へと出て行く。次から次へと。


 一度泣き止んだ楓様は、ただ、呆けている。未だにいろはの死を信じることが出来なかった。

 薄の話によると、いろはは楓様との会話を終えた直後に倒れたのだという。

 彼等はすぐさま楓様にいろはが倒れたことを知らせようとした……が、紅葉狩りに夢中になっていた彼女の耳に、彼等の声は届かず。


 それからすぐ、眠るように彼女は息を引き取ったそうだ。

 薄に続いて話を始めたのは(つわ)(ぶき)という名のいろはの従者だった。

 その爺曰く、いろはの体は相当弱っていたそうだ。いろはは「近頃は少し良くなった」と言っていたが、あれも、嘘だったらしい。彼女の体調は悪くなる一方で、最近ますます酷くなったのだという。


――ここの所、寝たっきりで……そのことを知っていたのはほんの一握りの者……そちらに行った者共は知りません――最近は少し喋っただけで意識を失うこともあり……私は、今年の宴は中止に療養に専念するべきだと申し上げたのですが、いろは様は……――

 聞き入れてくれなかったらしい。残り少ない命より、彼女にとってはかつての姉であった楓様と会うことの方がずっと大切だったのだ。


――私はもう長くありません。恐らく今度の宴が……最後となるでしょう。そう、いろは様はおっしゃいました。私もそうだと思いました。……思いたくはありませんでしたが……。いろは様は私に命じました。楓様に、貴方に……自分の命が長くないこと、座って話をすることすらもうままならぬことなどを決して話してはいけない、と。私は話したかった……しかし、他ならぬいろは様のご命令、逆らうわけにはいかず――

 

「わらわは、とんでもない、馬鹿じゃ……」

 薄と石蕗の話を思い出した彼女の口から出たのは、自分を責め、卑下する言葉。


「あの子が命を燃やしながら笑い、喋っていたことに気づかず……暢気に喋り、笑い、酒を飲み……挙句遊びに夢中になって……あの子の、いろはの、命の炎が燃え尽きるその瞬間を見てやることも出来ず……」

 

「私がもっと声をあげて、呼んでいれば……私が」


「薄、良い。……そなたは何も悪く無い。悪いのはわらわ、わらわなのじゃ……」

 本当に、そう思っていた。薄や石蕗を責める気は無かった。

 何気なく動かした目が、ある場所を捉える。そこには、客人達に持たせる予定だったお土産の入った箱が積み上げられていた。楓様はふらふら立ち上がり、それがある所まで歩いた。

 そして、無造作に積み上げられた箱の一つを引き抜く。がらがら崩れ落ちる箱。楓様の体にも幾つか降りかかってきたが、彼女はそれを避けもせず。

 崩落が一段落したところで、楓様は目についた箱を開ける。何個も、何個も。


「これでもない、これでも無い……ここか……あれか……違う、違う」


 何度もその作業を繰り返し、そして、ようやく目当ての物が入った箱の蓋を、開けた。

 その大きな箱に入っていたのは、着物だった。常人なら触れること、いや、直視することすらためらってしまう位白い着物。その着物には銀の刺繍が施されている。月光で染め上げた銀色の糸を使ったその刺繍の美麗さは筆舌しがたい。


――……来年また会う時は必ずその着物を着ておくれ。白は無垢なそなたによく似合う――


――まあ、素敵! ええ、ええ……絶対に着ますわ。そして私は鳥に、白い鳥になりましょう。青い空を飛ぶ、鳥に――

 宴の最中に交わした言葉が頭の中をよぎる。


「その日が来ることは無い……それが分かっていながら、そなたは、言ったのか……? 必ず着ると、鳥になると。笑いながら、言ったのか」

 着物が濡れ、汚れることも構わず、楓様はそれを抱きしめ泣いた。


「そなたは今度生まれ変わる時は、鳥になりたいと望んだのだろうか……いや、違う。そなたは、きっと。……じゃが、わらわはそれを望めない。どうしても、望めないのじゃ。これから先も、きっと……それを望むことはないじゃろう。ああ、いろは」

 脳裏に浮かぶ、彼女の笑顔。


「そなたは本当に、遠い所に行ってしまったなあ……」


 一言、呟き、それからまた、声をあげて泣くのだった。


 やがて、いろは方の従者は帰っていった。彼等は葬儀を行い、そして、旅立つだろう。いろはが死ねば、彼女が宿っていた楓の木も死に、そしてその木が抱いていた空間は消えてしまう。生き続ける為には、長年居続けたその空間から去らねばならないのだ。

 

「藤袴、頼みがある」

 

「は」

 しんと静まり返った世界に、楓様の声はよく響いた。


「……この人形を、焼いて欲しい」

 呟くように言ったその言葉を聞いた藤袴は目を見開く。


「ですが」


「良い。……もうこれを使うことも無いだろうから。だが目の前で焼かれる様を見るのはあまりに辛い。だから、わらわの目の届かぬ場所で」

 藤袴は人形を見、それから楓様を見た。どうするべきかしばらく考えあぐねていたようだったが、やがて意思を固めたらしく、平伏し。


「かしこまりました」

 がら、がしゃんという音。藤袴が人形を抱いた音だった。

 彼は人形と共にその場を後にする。


 周りには誰もいなくなった。その時、楓様は外界から妙な気配を感じ取った。

 それは自分と同じ、人ならざる者の気配。


 自分の体周辺の様子なら、屏風を使わずとも見る事が出来る。

 見れば、楓様の体――楓の木――を正面から見据えている男一人と、女数人の姿があった。男の方は人間のようだったが、女の方は人ならざる者であるようだ。


 紅葉狩りを止めようとやってきた人間に違いない――楓様は瞬時に判断する。

 そういうことが幾度もあったからだ。しかしその人間全て、追い返し、ついでに災いを与えてやった。

 よりにもよってこんな時に。……人の気も知らないで。


 普段の楓様だったら、即、手を出していた。しかし今はそうする気にはどうしてもなれなかった。

 代わりに楓様は、口を開いた。


「もうわらわはそなた達人間を襲ったりはせん。安心しろ。分かったらさっさと()ね。災いを貰いたくなければな」


 ただ、それだけ、言ってやった。それ以上話す気力は沸いてこなかった。

 男は呆気にとられた様子で、しばらくその場に突っ立っていたが、そうしていたところで何がどうなるわけでもないことを悟ったらしく、大人しく去っていった。


 それから程なくして人形は焼かれ、また、いろはと会う為に使っていたあの容器も壊された。

 

 これが紅葉狩りの真実。そして、紅葉狩り終焉の、真実。

 だが、そのことを知る人間は誰一人、いなかった。

 


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