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桜町幻想奇譚  作者: 里芽
紅葉狩っても狩られるな
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第二十二・五夜:紅葉狩り(1)

『紅葉狩り』


 春は桃色の羽衣身にまとい、秋は(ぎょく)で飾ったお姿を、お見せになるのは小さなお姫様。そんな言葉の残る桜山。紅玉、黄玉、翡翠でその身を飾った山は、桜町の風景によく馴染んでいる。

 しかし赤に、黄に染まっている木は何も桜山だけに存在しているわけでは無い。学校や家の庭、道中に佇む木の多くもまた、美しく色づいていた。


 町の外れ――舞花市に近い方――にある一本の楓の木もまた例外では無かった。紅、黄金、橙、ほんのり見える緑。見る者の目を奪う、彩錦。

 絢爛豪華な着物に身をまとったその楓の木は、人々から『楓様』と呼ばれている。しかしその呼び名に込められているのは畏敬の念ではなく、畏怖の念であった。ゆえにここに近づく者も、この辺りに何か建てる人間もいなかった。

 ただ訪れるのは鳥や猫、虫ばかり。


 楓の木は、楓様に認められた者だけが出入りすることが出来る、特別な空間をその身に孕んでいる。その空間こそ、彼女の世界、彼女の国であった。

 果ての見えぬその空間は、天と地に分かれている。空の頂は黄緑色、そこから地平線へ近づくにつれ、桃色、橙色に。地面は茶の部分もあれば緑の部分もある。また、様々な色の花が咲き乱れている所もあり。その場所はまるで宝石箱をひっくり返したかの様で。


「素敵な飾り、綺麗な玉がついている。柊を磨いて作った玉だ! とっても綺麗!」


撫子(なでしこ)ったら! それは楓様の物よ! 箱から盗ったのね……返しなさいったら!」

 赤く丸い玉のついた髪飾りを天に掲げた、おかっぱ頭の少女が踊るように走っている。それを追いかけているのは長い髪を束ねた中学生位の娘。自らが撫子と呼んだ少女を捕まえようと手を伸ばすが、届きやしない。前かがみになって走る姿が滑稽に見えたのか、撫子はきゃははと無邪気な声をあげて笑うのだった。


「撫子、(くず)! 何をしておるのだ! 客人の来訪を間近にして、今はとても忙しいのだぞ。ふざけている暇があったら、少しは手伝ったらどうだ!」

 可憐な二人の少女からやや離れた位置にいる男が、大声で怒鳴る。角ばった顔についている瞳は丸く、ぎょろっとしている。その恐ろしい瞳に睨まれて怯んだのは葛と呼ばれた少女だけで、撫子の方はといえば、けろりとしていた。


(ふじ)(ばかま)が怒った、怒った、紅葉より真っ赤、柊より真っ赤、鬼みたい!」


「撫子! あまりふざけていると、その体、握りつぶしてくれようぞ!」

 そんな脅しも少女には通用しない。彼女は怒る彼の姿を見て、楽しんでいるようだ。葛はこのままではいけないと必死になって撫子を捕まえようとするが、上手くいかない。撫子の足は速く、まだその体は軽い。葛は体こそ重くなかったが、動きがやや鈍い。

 着物や飾り、化粧品、漆塗りの箱等などが散乱している辺りに、わざと撫子は突っ込んでいく。そしてそれらを踏まない様に、また、そこに座っている者達にぶつからないようにしながら、一気に駆け抜けていくのだった。

 一方の葛といえば、うっかりそれを踏んづけてしまったり、バランスを崩して宝石や首飾り等が入った箱の上に尻餅をついてしまったり、今日楓様につけてやる髪飾りは何にしようかと話していた女にぶつかったりしてしまい。


「何やっているんだい、あんたは!」


「ごめんなさい、ごめんなさい! もう、撫子、貴方のせいで怒られちゃったじゃないの!」

 頬を膨らませ、目に涙浮かべる葛。彼女の大分先を行っていた撫子は振り返り、その顔を見て笑った。少しも悪いと思っている様子は無く。


「変な顔、葛ったら、変な顔!」

 指をさして、大きな口を開けて笑い声をあげる撫子は、自分の前方に立ちふさがっている者の存在に気がついていなかった。柔らかい肉の塊に頭をぶつけた彼女は、きょとんとしながら前を見る。

 そこに立っていたのは、先程二人のことを注意していた藤袴であった。毛むくじゃらの腕が撫子の頭めがけて伸びていく。


「捕まえたぞ、この悪餓鬼が!」

 頭をつかまれ、宙に浮いた小さな体。いやだいやだ離して、離してと足をばたばた振るが、逃げられず。間もなく葛が追いつき、暴れる撫子の額をぺしんと叩いた。


「楓様にたっぷりとお仕置きしてもらいなさい」

 そう言う彼女の表情はどこか嬉しそうで。余程腹が立っていたのだろう。

 撫子はごめんなさいと、泣き声をあげるが、目から涙は少しも出ていない。


「楓様の前に、このわしが目一杯痛めつけてやるわい」

 不気味で恐ろしい顔をぐいと撫子に近づけ、あいている方の手を振り上げた。


「その必要は無い」

 だが、藤袴の手が勢いよく振り下ろされることはなかった。静かで落ち着いていて、どこか冷めた女の声が彼の動きを止めたのだった。

 藤袴が振り向いた先に立っている一人の女。声の主。


 長く伸びる黒髪。日を受ければ翡翠、黄金、青玉。烏の濡れ羽色。

 まだ着替えがすんでいないのか、その髪を飾るものは何も無い。それでも充分美しかったが、飾ればその輝きはより一層増すだろうと思われる。

 着ているものもまだ、地味である。


「藤袴、撫子を離しておやり」


「ですが、楓様」


「わらわが離せと言うておるのじゃ。……それで良い。おお、おお、痛かっただろうね、怖かったろうね。よしよし、可愛い子じゃ。……その着物は少し、寂しいの。もっと綺麗なものに着替えておいで。乱れた髪も直してもらいなさい。今日は一年に一度の大切な日。めいっぱい、おめかししておくれ。その髪飾りはそなたにやろう。ほれ、いっておいで」

 楓様に頭を撫でられ、上機嫌のまま撫子はかけていった。途中立ち止まり、振り返り、藤袴向けて舌を出す。藤袴は撫子を射殺すかのような目で見たが、それだけだった。


「本当、あの娘は元気が良いね。元気の良い子は好きじゃ。可愛らしいものも、好きじゃ」

 言いながら、悔しそうな表情を浮かべた顔を伏せている葛の頬を、その両手で包み込む。壊れ物を持つかの様に、優しく。


「わらわは葛も好きじゃ。……勿論、本当だとも。嘘を吐いてどうする? さあ、お前も行っておいで。綺麗な着物に着替えて、髪を整えて、化粧をして。きっとみちがえるように美しくなるだろう。とても美しい顔をしているもの」

 磨いた石の様な瞳に見つめられ、葛は少し頬を赤くした。同性から見ても、彼女の瞳、白い肌、赤い唇は魅力的で、魅惑的であったのだ。しばしその顔に見惚れてから、撫子同様、着替えをしに行く。

 小さいものと、可愛いものには優しいのだから、と呆れた風に藤袴がついたため息は、果たしてすぐ傍にいる楓様に届いたかどうか。


「さて。わらわも用意をせねば。このままではいけないな。客人に対して、失礼じゃ。……藤袴、宴の準備は順調かえ?」

 撫子、葛に向けた笑顔はそこになく。二人に言葉を与えた時は綿飴の様な声だったというのに、今はただ辛いだけの薄荷飴の様である。

 優しくされたいとは思わないが、なんだか釈然としない。藤袴は内心そう思ったが、それを口や態度に出すほど彼は子供ではなかった。顔色一つ変えず、楓様に向けて礼をする。


「勿論でございます。毎年のことですからな。皆、慣れたものです」


女郎花(おみなえし)(すすき)はもうあちらについたかね」


「どうでしょう。しかしきっともう少しで着くでしょう」


「そうじゃな。それでは引き続き、準備の方を頼んだぞ」


「かしこまりました」

 藤袴と長い間会話する気は毛頭無いらしい。頭を下げた彼を置いて、楓様は着物や装飾品をそこら中に広げている女達の下まで行く。そこで着替え、飾り、化粧を施してもらうのだ。

 輪の中心で女達の意見をまとめているのは、十八、九程に見える娘で、蔓で作った冠の様なものを頭に被っている。桜の花の様な色をした、触れればその滑らかさに思わず恍惚の表情を浮かべてしまうような肌に、それを支える幹、枝の様な色の若く可憐な娘にはあまり似つかわしくない色をした着物姿。


「桔梗。わらわの衣装は決まったかえ?」


「まだ決まりませんわ。楓様は何を着ても似合いますから……逆に決められませんの。候補が多すぎて」


「おやおや。まあ、いつものことじゃな。仕方無い今年もわらわが決めるとしよう。皆があげたものを教えておくれ。その中から選ぶから」

 楓様がそう言うと、周りにいた女達が素早い動きで彼女の前に着物等を並べる。それぞれ全く趣向の違う組み合わせで、甲乙つけがたく。


 決めると言ったはいいが、はてどれにしようと並べられたものの前で楓様は考え込む。着る服に悩むのは、人間だけではないらしい。

 ああだこうだ言いながら楓様に合いそうな組み合わせを考え続けていた女達は、自分のものが選ばれますようにと祈る。選ばれたからといって何か褒美を貰えるわけでは無い。それでも選ばれたいのだ。選ばれた組み合わせを考えた女はこれから一年の間、そのことを誇りに思い、何かとそのことを話題に上げ、自慢する。いつも、そうなのだ。


「よし、これに決めた。……彼岸花水と銀蝶の鱗粉で染めた布に、秋の山野の風景を吸わせた打掛だね。数十年前、あの子から貰ったものだ。あの子の住む場所近くには紅葉谷という所があるのだよね。一度足を運んでみたいものだが。うむ、この髪飾りとの相性も良いだろうな。早速着替えるとしよう」

 それを聞いて顔を輝かせたのは、あの桜花の肌をもつ娘――桔梗。後の女達は明らかに落胆した様子で、嘆息。


「今年も桔梗のが選ばれた。何年連続だい」

 木の皮の様な肌を持つ女は、隣にいる種の目を持つ女を見る。

 女はううんと唸ってから答えをあげる。


「どうだったかねえ。五年位かな。……わしのはここ数十年、選ばれていないなあ、ああ、悔しい」


「おや、今年も桔梗が選んだものだったのかえ。……しかし他の者達も肩を落とすでないぞ。どれも甲乙つけがたいものじゃった。わらわの為に一生懸命になってくれたこと、感謝するぞ」

 そう言われると、それ以上何も言うことは出来ない。女達は照れ、舞いあがり、笑った。それから周りの片づけを始めるのだった。


「さて。桔梗、着つけを頼んだぞ。髪もとかしておくれ、化粧もしておくれ。全てそなたに任せる」


「かしこまりました」

 手馴れた手つきで桔梗は楓様を着替えさせ、天上を覆う雲の如くつかみどころの無く、また神々しい髪を優しく丁寧に梳かす。元々美しく輝いていた髪は更にその輝きを増し。

 元々赤い唇を塗る口紅。それは彼岸花と、人の世には存在しないものを混ぜて作られたもの。絵が描かれた貝殻の内側に塗られている。


「こうしてじっとしていると、緊張する。ああ、楽しみじゃ。皆と酒を酌み交わし、話をし……そしてあの子と水鏡を使って会う。この日の為にわらわは生きているようなものじゃ。ああ、じっとしていられない、そわそわする。胸がどくどくいっておる。恋する乙女もこの様になるのかの」


「さあ。私は恋をしたことがありませんもの」


「そのような嘘を。薄に言いつけるぞ、そなたの恋人はそなたに恋しておらぬそうじゃぞ、とな」

 意地悪く楓様が笑う。それを聞いた桔梗は頬を染め、それから頬をふくらませ。


「まあ、意地の悪いことを」


「冗談じゃ。……あ、痛い。これこれ、そんな乱暴にするでない。分かった、分かったから。本当そなたは薄が関わると人が変わってしまう」


「私こそ、申し訳ござません。冗談を先に言ったのは私ですのに」


「寂しいのかえ? 今回は離れ離れだから」


「ええ、寂しいですわ」


「あちらで他の女と恋に落ちてしまうかもしれないと不安に思っているかえ?」


「それはありません。あの方は私一筋ですもの」

 ご馳走様、と楓様は笑う。


 程なくして、楓様の着替えや化粧が終わる。

 赤や橙の玉がついた金の髪飾り、何日も磨いたドングリの飾り、砕いた楓の葉つきの飾り。耳にはぴかぴかの金属板で出来た紅葉を象った耳飾り。

 しゃらん、しゃらんと楓様が揺れる度響く音。それは紅葉流れる川のせせらぎの様な。

 派手な飾りを(主に頭に)沢山つけているが、それらに顔が負けていない。

 あくまで飾りは本人の魅力を引き立たせるものなのだ。しかし普通の者が同じ物を同じだけつければきっと顔や体はそれらにかき消されてしまうだろう。


「ありがとう、桔梗。わらわはそろそろ席についているとしようかな。いや、まだ良いか。じっとしていたら緊張と興奮のあまりおかしくなってしまうだろうから。動いていれば、それらのことも忘れられるじゃろう」


 楓様は一人、準備の様子を見てまわる。

 楽や舞の準備をしている所。様々な楽器が並び、それぞれ担当するものの調子を調べているようだ。舞を見せる女達も最終確認に余念が無い。ここをまとめているのは顔はなすびの様に長細いのに、体はカブの様にぷっくりしている翁だ。楓様はその姿を見るとどうしても笑ってしまう。もう百年の付き合いになるのに、未だ慣れないのだ。


 次に、宴に出す料理の準備をしている所へ足を運んだ。

 数百本にも及ぶ巨大な蔦が絡み合って出来たドームの中には木を組み合わせて作られた調理台があり、その上に様々な食材や器具がある。主な食材は木の実や花、種等の様だが他にも獣の肉らしきものや魚らしきものもある。

 腕に自信のある男女が、わあわあ言いながら調理をしている。楓様はじっくりその様子を見ていたいと思ったのだが、残念ながら調理班をまとめる豊満な体格の女性、(はぎ)に追い出されてしまった。


「こんな所に来たら、折角のお召し物に匂いがついてしまいますよ」


「どうせ宴が始まれば、否応無くつく」


「ここの匂いは、宴の時に漂うものとはわけが違うんです。生臭い匂いもありますしね。それに、ここは危ないですよ。あっちこっちをものすごい勢いで行き来している奴等とぶつかってしまいます、きっと。下手したら料理をその着物にぶちまけられちまうかもしれません。というわけで、ここには入らないで下さいな」


「仕方ないのう……」

 呟き、良い匂い漂う場所から渋々離れていった。


 他にも、客人にもたせるお土産の準備をしている者、宴の会場を作っている者等がおり、縦横無尽に動き回っていた。


 全ての準備が終ったのは、それから大分経った後。

 真っ赤な敷物の上に先程までそれぞれの作業にあたっていた者達が立て一列に並んで座っている。彼等の真向かいにはまだ誰も座っていない。これからそこに座る者達がやってくるのだ。

 一番前には紅葉の描かれた金色の屏風があり、それを背にして楓様が座っている。彼女の前には大きく丸い漆塗りの容器があった。


「そろそろですかな」


「今年もこの日がやってきた」


 楓様の胸は色々なものでいっぱいになっていた。少し衝撃が加われば、外に吐き出してしまうだろうという位に。

 

 ぴりい、りい、いいん、いん。

 彼方から甲高い鈴の様な、鐘を鳴らしたような、甲高いが妙に腹に響く不思議な音が。


 それこそ、楓様達が待っていた客人がやってきたことを示すものであった。


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