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桜町幻想奇譚  作者: 里芽
鬼灯夜行
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鬼灯夜行(4)

 家のチャイムが鳴ったのは、あたしが自分の部屋からでて、乱暴にドアを閉めたときだった。外についているチャイムは壊れかけていて、情けないひょろっとした音をだす。


「はい? 誰ですか」

 あたしがドア越しにそう聞くと、聞きなれた声が返ってきた。


「さくらです。……そこにいるのは紗久羅ちゃんかしら?」

 のんびりとした女の声。あたしは、ドアを開けた。ぎぎっという嫌な音と共に開いたドアの向こうには、予想通りの人物が立っていた。


 臼井さくら。あたしより一つ年上、兄貴と同学年のその人は、あたしと兄貴にとっては幼馴染にあたる人物だ。

 あたしとは別の意味で、女の子らしくない人だ。あたしみたいに、男勝りで乱暴で、短気という性格だからというわけではない。むしろ彼女はのんびりしていて、お人よしで、争いごとを好まない性格の人間だ。彼女の場合は、性格が男の子っぽいというわけではなく、外見が女の子っぽくないのだ。


 肩にかかるかかからないかというくらいの髪の毛はぼさぼさで、好き勝手な方向にはねている。真っ直ぐに伸びているところを探すほうが困難だ。元々癖っ毛であるのに加えて、ブラシで髪をとかすこともほとんどないらしいから、そうなってしまうのも当然だ。

 メガネは今時おっさんでもかけないような、やたら大きなレンズの丸メガネだ。フレームが太くないだけまだましかもしれない。


 服装といえば、よれよれくたくたの緑のトレーナーに、だぶだぶのベージュ色のズボンに、汚れが落ちなくなってしまった青い運動靴。大体彼女は、こういったよれよれだぶだぶの、しゃれっ気のない服をきている。

 服がだぶだぶしていて胸とかがあまり目立たないせいか、今でもよく男の子だと間違われている。

 しかし、彼女は周りからどれだけ外見について指摘されても気にしない。気にしないから、直そうともしない。


「さくらねえか、どうしたんだ、こんな時間に?」

 あたしはいつも彼女のことをさくら姉と呼んでいる。よくみると、さくら姉は手にタッパーをもっていた。彼女はあたしにそのタッパーを差し出した。


「あのね、私の母さんがこの前菊野おばあ様から、美味しいだし巻き卵の作り方を教えてもらったの。それで、早速菊野おばあ様にいわれたとおりに作ってみたから、菊野おばあさまに食べてもらいたいのですってそれで感想をもらえたらなあって」


「ああ、そういうことか。それじゃ、もらっておくよ。婆ちゃんには挨拶した?」


「いいえ、おばあ様もおば様も忙しそうだったから。悪いけれど紗久羅ちゃんからおばあ様に伝えていただけるかしら?」

 さくら姉は申し訳なさそうにそういって、あたしにタッパーを手渡した。

 別に断る理由はない。あたしは一回頷いた。


「別に、それくらいかまわないよ。これ、あたしも食べていいの?」


「もちろんよ。皆で食べて。ふふ、それじゃあ私は帰るわね。今、読みかけの本があってね。続きが気になって仕方ないの。とっても素敵な話よ、受験勉強に嫌気がさした女の子が逃げるように、外を飛び出すの。真っ暗な道をずっと走り続けているうちに、その女の子は異世界へ行ってしまうの。女の子は受験勉強から逃れる事ができて喜ぶけれど、自分の世界で逃げ続けていた女の子は、その世界でも色々なものから逃げ続ける羽目になるのよ。とっても面白い本なのよ、それで……」


「ああ、もういいよ、さくら姉! 続きは今度ゆっくり聞くからさ!」

 さくら姉が一回この『本について語りたいモード』になると、なかなかとまらなくなってしまう。あたしは、そうなる前に、話を続けようとしたさくら姉を、無理やり外へ押しだした。生憎、あたしは本について何時間も辛抱強く聞いていられるほど、読書は好きじゃない。

 さくら姉は、乱暴に追い出されたにもかかわらず、怒る様子もなく、にこにこしている。


「ん、それもそうね、早く読まなくちゃね。それじゃあ紗久羅ちゃん、またね」


「ああ、またな」

 さくら姉は軽く手をふると、のんびりと階段を下りていった。あたしは、それを見送るとドアをしめ、タッパーを台所にある冷蔵庫の中にしまった。

 あたしは、ため息を一回ついた。


 さくら姉は無類の読書好きで、いつも本ばかり読んでいる。恋愛ものとか、ノンフィクションものとかよりは、ファンタジーものの方を好んで読んでいるとか。

 さっき、あたしは桜町に伝わる言い伝えを百個以上知っている変わり者といえば、町の外れにある喫茶店をやっている爺ちゃんと、その孫ぐらいだといった。……さくら姉こそが、その「喫茶店をやっている爺ちゃんの孫」である。

 自分の爺ちゃんから、何回も言い伝えを聞かされているうちに覚えていったらしい。読書が好きになったのも、町一番の読書好き、商店街にある小さな書店よりも、多くの本を所持しているといわれている爺ちゃんの家に、頻繁に遊びに行っていたからに違いなかった。


 読書好きであることはいっこうに構わないのだが、さくら姉は、どうも現実の世界と物語の世界を混同しちゃっているような印象がある。

 自分の身近にいる人間や、自分や周辺で起きた出来事を、自分が読んだ本に登場する人物や、場面に例えてしまったり、言い伝えの中にしか存在しないはずの妖怪や精霊が本当にいるものだと信じて疑わなかったり。

 あまりに物語の世界に浸りすぎるものだから、自然と浮いた存在になってしまい、結果的に友達もほとんどできず、学校の奴らからは変わり者のレッテルを貼られ、バカにされ続けているという。

 まあ、本人はあまり気にしていない……というか、気づいていないようだし、学校生活をそれなりに楽しんでいるというから別にいいんだけど。どういうわけか、うちの馬鹿兄貴とは仲がよく、積極的に話しかけたり、一緒に家まで帰ったりしている。まあ、幼馴染だからというのもあるんだろうけど。

 あたしは、別にさくら姉のことは嫌いではない……けど、どうにも苦手である。


 やがて、親父が、それに続いて婆ちゃんと母さんが仕事を終えて帰ってきた。馬鹿兄貴も部屋からひょっこり現れた。

 夕飯には早速おばさんが作っただし巻き卵を食べた。それはあたしからしてみれば十分おいしいものだったけれど、辛口の婆ちゃんは「まだまだだね」と一言言った。



 次の日。またいつものように学校から帰ってきた後、軽く宿題をすませ、暇な店番を始めていた。

 相変わらず外は暑く、数十分いるだけで干物になりそうな勢いだった。

 そして、空が真っ赤に燃えて、暑さでばてているあたしに止めを刺す炎の輝きを見せ始めた頃、また「あいつ」がやってきた。


 あいつは、気がつくと目の前にいた。そう、いつものように。

 燃える炎を背にして現れたやつの姿は、恐ろしく涼しげで冷ややかだった。水で濡らしたような光沢のある髪、氷のように透き通った肌、氷の刃のような瞳。今日の着物は菫色だった。


「やあ、こんばんは」


「さようなら」


「いや、さようならじゃなくってさ。いつものように、いなり寿司をおくれよ」


「賞味期限が過ぎたやつでよければ、いくらでもやるよ」

 ショーケースに肘をつき、頬杖をしながらそう言い放つと、やつは困ったような表情を浮かべた。もっとも、それは形だけのものだけど。


「相変わらず意地の悪いことばかりいうんだね、紗久羅は。それでいて、私のことを君は性悪狐扱いする」


「うるさい、お前が性悪なのは事実だろ、ついでに化け狐っていうのもな!」


「どうせ、たいした根拠はないくせに」

 開いた扇子を口元にやって、出雲はほほ、と笑った。あたしは、あと少しでいなり寿司の入ったパックを奴の顔に投げつけるところだった。婆ちゃんが背後から無言の圧力をかけていなければ、今頃あいつの顔に大好きないなり寿司入りのパックが直撃していたことだろう。


「うるさい! お前みたいなのが人間のわけないだろうが」


「私があまりに美しいからって、変なことを言わないでおくれよ」


「よく自分で美しいとかなんとかいえるな!」

 たしかに、あたしの目から見てもあいつは綺麗だけれど、それはあくまで表面上のものであって、内面は光をも飲み込むブラックホールもびっくりするくらい黒くて醜いに違いなかった。

 あたしは思わず大声を張り上げて、ショウケースを叩きつける。そして、いつものように婆ちゃんの怒声が店の奥にある調理室から聞こえたけれど、それは無視しておく。


「まったく、本当にそんなことばかりやっていると、嫁の貰い手がいなくなってしまうよ」


「結婚するつもりはないから、別にいいよ」


「おやおや。まあ、結婚がすべてというわけではないけれど。ふふ、まあどうしてもというのなら、私がもらってあげるよ」

 あたしは、あまりにたちの悪い冗談を聞いて、怒りを爆発させた。あたしが怒れば怒るほどあいつが面白がることは分かっているけれど、それでもあいつに食って掛からないと気がすまない。


「この馬鹿狐! 今日こそ、その化けの皮を剥いでやる!」

 剥ぐ方法なんて微塵も知らないけれど、まあ世の中にははったりという言葉がありまして。あたしは、くすくす笑う奴をびしっと人差し指で指した。


「やれるものなら、やってごらんよ。どうせ剥がれるものなんて何もないんだから。頑張るだけ無駄だよ」


「無駄かどうかは、やってみないとわからないだろう!」


「はいはい。まあ、どうぞご勝手に。……しかし、私が仮に本当に化け狐だとしたら、君はどうするんだい?」

 出雲は触れたら凍ってしまいそうなくらい冷たい笑みを浮かべて、じっとあたしを見つめた。ショーケースの上に右ひじを乗せ、掌でほっそりとした顔を支えている。顔に髪がかかり、その切れ長の瞳を隠している。しかし、絹糸のように細い髪の毛の間から、ギラギラ輝いた黒目がちらっと見える。その奥には気のせいか、青い炎がゆらゆらと揺れていた。それは今にも飛び出してきて、あたしの体を焼きそうだった。あたしは、ぞっとして視線をそらした。


「別に。ただ正々堂々と、お前のことを化け狐って呼ぶことができるようになるってだけの話だ」


「今だって正々堂々といっているくせに。……しかし、もし私が桜町に伝わっている言い伝えにでてきている『出雲』だとしたらさ、相当怖くないかい? だって、彼は多くの人間やら動物やらを喰らったというじゃないか。おまけに悪戯ばかりするし。正体がばれた途端に、君のことを食べてしまうかもしれないよ」

 そういうあいつの顔はやけに静かで、冷たい。急に、こいつは唇に血でも塗りたくっているんじゃないかと思うようになった。そう思って見てみると、妙に目立つ唇の色が血のそれに見えてきて、背筋が凍った。

 あたしは、恥ずかしながら全力で逃げ出したくなった。微かに浮かべる笑みが逆に恐ろしかった。その言葉は全く冗談には聞こえなかった。

 体が、油を失ったブリキのおもちゃのようになって上手く動かない。いつも、あいつにじっと見つめられるとそうなる。でも、今回はいつも以上に酷かった。これが、奴の本気なのかもしれなかった。


「そんなに、大事なのかい。私が妖怪なのか、人間なのかってことは」

 そうつぶやくあいつの顔は気のせいだろうか、酷く疲れているように見えた。あたしは、なんとなく気まずくなってしまった。

 大事か大事でないか、と聞かれても……正直、答えに困る。あたしは、一度あいつの顔を見、そしてまた視線をそらした。それでも、あいつはあたしをじっと見つめ続けていた。何も言わず、ただ、静かに。

 あいつは、しばらくは黙っていたけど、やがて大きなため息をついた。その瞬間、奴が放つ冷たく恐ろしいオーラのようなものがすっと消えた。


「まあ、いいか」

 何がいいのかよくわからなかったけど、あいつはたしかにそういった。あいつから色々なオーラが消えていったのを認めると、あたしは視線を戻し、あいつをぎろっと睨んだ。

 あいつは、ただにこりと微笑んでいた。いつものように、美しく、冷たく、気味の悪い笑みを浮かべていた。


「紗久羅は、今度あるお祭には行くのかい」


「は?」

 あたしは、いきなり話題が変わってしまったから、少々拍子抜けしてしまった。何でいきなりそんなことを言い出すのかと思った。


 出雲がいう「祭」というのは、恐らく明後日にある、年に一度この時期に、桜山にある桜山神社周辺で行われる夏祭りのことだろう。

 それは、昔命を懸けて化け狐を倒したという巫女・桜をまつるためのお祭だ。……ついでに、そのとき倒された哀れで間抜けな化け狐の魂を鎮めるのだ。

 まあ、そうはいうけれど中身は一般的な夏祭りとほとんど変わらない。山の麓にはたくさんの屋台が並び、町中の人間が屋台をまわる。一応、巫女と化け狐のために、社の中で何人かの巫女が舞を舞うけれど、爺さん婆さんやその巫女さんの家族以外の人間はほとんどそれを見に行くことはない。町の人にとって大切なのは、巫女と化け狐の魂を鎮めることではなく、友人や恋人と一緒に屋台めぐりを楽しむことなんだから。

 隣の街で行われる夏祭りに比べるとずっとこじんまりとしているし、花火も打ち上げられないけれど、そこそこ楽しいものだ。

 あたしは、友人と一緒に行くつもりだった。だから、一回首を縦にふった。


「いくよ。ダチと一緒にな。屋台で色々買って食うつもりだ。ついでに、あんたの魂を鎮めるために、神社にお参りにいってやるよ」

 そう意地悪く言ってやると、あいつは少しすねたような表情を浮かべた。


「だから、私はあの化け狐とは無関係だってば。大体、あっちの『出雲』は巫女に殺されたんだろう? もうこの世にはいないのだろう?」


「言い伝えなんて、どこまでが本当か分からないだろう。本当は化け狐は生きていたってことだってありえるからな」

 いや、まあ化け狐が本当にいるなんて信じていないんだけど。いや、でも出雲のことは化け狐だと思っているし、ううん。難しい。

 あいつは、その答えを聞いて少しだけ笑うと、そりゃあもうとてつもなく深いため息をついた。そして、すっかり真っ赤に染まった空をみやり、何故か今にも泣きそうな表情を浮かべる。そしてまたその表情が笑顔にかわる。それでもって、腹が立つほど深いため息をついた。まあ、本当にコロコロと表情を変えるやつだ。悲しんだか楽しいんだか呆れているんだか、はっきりさせてくれと思う。


「いやだね、本当に君という人は。まあいいや。とにかく、いなり寿司をおくれよ。それさえもらえれば、私はすぐに帰るから」


「しょうがねえな。売らなきゃ婆ちゃんに殺されるし。ほらよ」

 あたしは、パックに入ったいなり寿司をビニール袋の中に乱暴にいれると、あいつに差し出した。出雲は、それを受け取るとお金を渡した。

 こいつが訳のわからないことをするのはいつものことだ、いちいち気にしてはいられなかった。急に冷たくなったり、表情をころころ変えたりしたのは何故だろうなんて、そんなこと、考えるのも馬鹿馬鹿しい。

 大好きないなり寿司をもらうと、あいつは飴をもらったガキのように機嫌がよくなった。これ以上の幸せはない、とでもいっているかのような笑みを浮かべている。


「ふふ、ありがとう。それじゃあ、私はそろそろ行くよ」


「ああ、さっさと消えな、化け狐」

 あたしがぶっきらぼうに言うと、またあいつは笑った。


「それじゃあ、またね。もしかしたら、明後日のお祭りでも会えるかもしれないねぇ」

 そして、そのとき。出雲は少し間を置いてそう続けた。


「そのとき、私は君を……」


「なんだよ」

 急に無表情になった出雲の言葉に眉をひそめて、あたしはそう返す。

 しかし、出雲からその言葉の続きが語られることはなかった。


 気付けば、あいつはあたしの前から姿を消していた。


 いつもことだ。なにも気にすることじゃない。……だけど、あいつの最後の言葉の続きは、気になった。

 笑顔でも、冷たい表情でも、怒っている様子でもない、何にもない空っぽの表情を見せたのは初めてだった。

 あたしは、しばらくその場で案山子のように突っ立って、いつも通りの人の流れをぼうっと見つめ続けた。

 あいつと明後日の祭であった場合、どうなるというのだろう。あいつは、何をする気なのだろう。

 まさか、食うわけじゃないよな。


 そんなことあるもんか、何を考えているんだ馬鹿馬鹿しい。

 あたしはそう自分に言い聞かせたけど、もやもやした心が晴れる様子はなかった。


 次の日、出雲は『やました』には来なかった。今までも時々そういうことがあった。なんでも、時々店に行くのが面倒くさいと思う日があるのだという。「私は元々面倒くさがりやな性格なんだよ」と以前あたしに話したことがあった。だから、別におかしいことじゃないんだけど、昨日のことがあるから、少し気になった。

 そういうふうに、あいつがこの店に来ない時は、代わりにあいつと一緒に暮らしているらしい小娘が稲荷寿司を買ってくる。


 年齢は10歳くらいで、小柄だ。髪は上のほうで一つにまとめてお団子にし、赤いリボンのついた髪留めでとめている。髪留めには鈴がついているのか、こいつがあるくたびにちりんちりんと鈴の音が聞こえる。前髪が随分伸びている上にいつもうつむきがちだから、目はすっかり隠れている。たまに顔を上げると、髪の隙間から大きくてくりっとした瞳が見える。着ているのはいつも赤い着物で、紅葉とか桜の花びらとか、手毬とかが描かれている。こいつが、赤以外の着物を着たところは見たことがなかった。そして、赤い鼻緒のついた黒塗りの草履を履いている。


 名を、鈴と言う。出雲と同じく、今時なかなか見かけないような古風なガキだ。

 見た目は(前髪さえきちんと切れば)可愛いが、中身はくそ生意気で可愛げのない奴だった。無口で、普段はあまり口を開かない。けど、ひとたびその口を開くと、そこから飛び出してくるのは人をむかむかさせるような言葉ばかりだった。

 鈴は、いつもよりも数倍は機嫌が悪そうで、すっかり髪の毛に隠れている二つの目で、あたしをぎろっと睨みつけていた。店の前にやってきて、五分くらいもの間、何もいわずにそうしていた。まるで人形のようだった(可愛らしい人形、というよりは自分を捨てた人間を恨む呪いの人形だった)


「なんだよ。いなり寿司買うんだろう? いつまでもそこで睨んでいるなよな」

 いい加減腹が立ったあたしは、頬杖をつきながら、見下すように鈴を睨む。だが、この小娘はあたしに睨まれたくらいで簡単に態度を変えるような奴ではなかった。黙ってあたしを睨み続けている。


「何にもいらないなら、さっさと失せな。あたしだって暇じゃないんだ」

 これは嘘だった。……本当はあくびを1分間に10回以上するくらい暇だった。

 それでも奴はまだ少しの間黙っていたけれど、ようやく観念したのか睨むのをやめて、すっかりうつむいてしまった。


「……嫌い」


「は?」

 

「私、紗久羅のこと、嫌い。出雲のこと……いじめるから」

 おいおいおい、ちょっと待て。いじめられている(というか弄られている)のは、あいつじゃなくてむしろあたしの方だろう。あいつ、このガキにあることないこと(主にないこと)ばかり吹き込んでいるんじゃないだろうな。

 あたしは、ふざけるなと反論しようとした。しかし、鈴があたしの反撃を阻止するかのように言葉を続けた。


「紗久羅は、知らないんだ。知らないくせに、何にも、知らないくせに」


「だから、何が言いたいんだよ。まったく、冗談じゃない。いじめられているのは、あたしのほうだ」

 身を乗り出して、背の低い鈴と視線をあわせる。鈴も、負けじと顔をあげて、あたしをぎろっと睨んだ。その目は、尻尾の逆立った猫に似ていた。


「……紗久羅には、一生分からない。きっと、一生出雲のこと、いじめ続けるんだ」

 鈴にしては大きな声でそう一言いうと、それっきり黙ってしまった。こっちがチビガキ、とかなんとかいっても何も言わなかった。

 あたしは、そりゃもう大きなため息をつくと稲荷寿司の入ったパックを乱暴に袋に入れ、鈴に差し出した。すると、あいつはのそのそと巾着袋からお金を取り出して、あたしに静かに渡した。あたしがお釣りを乱暴につきだすと、それを素早く奪い取って、そのまま何も言わずに走っていった。

 あたしは、二日連続で訳のわからない目にあって、どっと疲れてしまった。


 なんなんだよ、あたしが出雲をいじめてるって。


 今度あいつにあったら、そこらへんのことを問い詰めてやる。あたしはそう心に誓った。

 明日は、お祭りがある。もしかしたら、あいつに明日会うかもしれない。


 ――そのとき、私は君を……――


 その言葉を思い出した途端、心が鉛を詰め込んだように重苦しくなった。あいつの言葉に振り回されるのは嫌で嫌で仕方ない。仕方ないけれど、どうしてもその言葉があたしの頭から離れてくれなかった。

 結局、あたしはその日の夜、まともに寝ることができなかった。


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