表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
桜町幻想奇譚  作者: 里芽
紅葉狩っても狩られるな
89/360

第二十二夜:紅葉狩っても狩られるな

 桜町には「紅葉狩っても狩られるな」という言葉がある。

 その言葉は、毎年十一月十七日にこの町で必ず起こるある恐ろしい出来事が元で生まれたものなのだ。


『紅葉狩っても狩られるな』


 紙の匂い、差し込む陽光、近くにいる生徒達の話し声、元気の良い足音。

 壁もドアも無い、開放的な空間となっている三つ葉高校図書室。わざわざ指を折らずとも、簡単に数えられる位の利用者と、指を幾ら折っても足りない位多い本をその(かいな)に抱き、粛々と佇んでいる。

 今学校は、昼休み。校舎はすうすうと寝息をたて、束の間の休息を楽しんでいた。生徒達は逆にうるさく、勝手気ままにはしゃいでいた。そんな時の、話。


「十一月十七日だ」


「十一月十七日ですねえ」

 今日の日付を、ため息混じりに随分暗いトーンで呟く奈都貴と、ここに所蔵されているものではない、えらく古そうな書物を熱心に読みふけっている英彦。


「今年もこの日が来てしまった。憂鬱だ、ああ嫌だ嫌だ」

 憂鬱、恐怖、悲哀。そんな感情を孕んだ顔の暗さは、異常である。


「何かあるんですか、十一月十七日に」

 聞いてはいるが、あまり興味は無いらしい。その声は小さく、気持ちらしいものもこもっていない。そもそも目を奈都貴に向けてなどおらず、手に持っている本を読むことに集中していた。元気の無い生徒のことより、紙に書かれた文字を読むことの方が彼にとってはずっと大事なことなのだった。

 そんなことは奈都貴も分かっていたが、一応問われたので、答える。


「今日は『紅葉狩り』の日なんです」


 沈黙。ぺらっと英彦がページをめくる音。生徒の呼び出しをする校内放送、あははそれまじやばくない、という女生徒の声。


「……紅葉狩り?」

 自分で尋ねておきながら、相手の答えに耳をろくに傾けていなかった英彦だったが。のろのろと亀より遅いスピードで耳から脳へ辿り着いた言葉が、ようやく彼の意識を奈都貴へ向けることとなった。

 

「そうです。紅葉狩りです」

 ため息混じりの言葉を吐く彼の表情は、浮かない。


 紅葉狩り。秋の山野を紅葉鑑賞の為に訪ねること。紅葉を見て楽しむこと。

 秋の風物詩、美しき日本の文化。


 その言葉は間違っても人を憂鬱な気分にさせたり、恐怖のどん底に突き落としたりするものでは無い。

 断じて、無い。

また、紅葉狩りというのは特定の日に行うものでも無い。その日は十七日でも、十八日でも、もっと前でも後でも良い。山野が赤や黄に染められていれば。


「……紅葉狩っても狩られるな」


「……は? 紅葉? 狩られる?」

 

「紅葉狩っても狩られるな。桜村奇譚集にも載っている言葉だそうですよ」

 言われ、英彦は何度か目を通したその書物に関しての記憶を頭の引き出しから取り出そうとする。

 その作業は随分早く終り、引き出された文章が彼の頭にぽんと現れ。それと、奈都貴の言っていた『紅葉狩り』がしっかり結びつき。ああ、合点がいったとばかりにぽんと手を叩いた。


「そういえばありましたね。毎年同じ日に桜町で起こるという『紅葉狩り』の話。紅葉狩っても狩られるなという言葉も一緒に載っていましたね。……あまり詳しいことは書いてありませんでしたが。ああ、あれ、今日でしたか。そうでしたか」


「あの本に書かれているもの全てが実話ってわけではないそうですが。実話を元にしたフィクションとか、事実がかなり捻じ曲げられて書かれたものとかもあるとかって話ですが。弥助や出雲からそんな話を聞いたことがあります。……でも、紅葉狩りに関しては、本当です。実際に毎年起きているんです、あの町で」

 実際に起きていなければ、紅葉狩りという言葉に嫌なものを感じることも、紅葉狩っても~という桜村奇譚集に書かれている言葉を知ることも無かっただろう。基本的に奈都貴も、紗久羅同様桜村奇譚集には興味が無い。強いて読むことも無かっただろうし、そこに載っている話について調べることも無い。出雲や弥助と出会った後もそうであったのだ。だから、きっと。

 

「今までだって起きていたんだから、きっと今年だって起きます。……桜町の誰かが……『楓様』に襲われる。被害者が一人だった年は、無い。多分数人、下手すると十数人が被害にあう」

 

「桜町の人達がいう『紅葉狩り』っていうのは実際、どんなものなんですか。あの本には詳しいことが書かれていなかったので、具体的なことがよく分からないんですけれど」

 本にしおりと挟み、閉じている。奈都貴の話を聞く気満々であるようだ。

 そこまでされれば話すより他無い。いや、そういう態度を彼がとっていなくても、恐らく奈都貴は話しただろう。話せば少しは気が紛れるはずだから。


 奈都貴は英彦に、紅葉狩りについて話してやるのだった。


 キーンコーンカーンコーン……学校の終わりを告げるチャイムがむなしく、寂しく響いた。


(やっぱり帰らないと駄目だよなあ)

 正直、今は桜町に近寄りたくなかった。しかし帰らないわけにはいかないだろう。

 ポケットに手を入れる。その中には英彦がくれた守りの札がある。どれ位効くか分かりませんが、と言いながらくれたのだ。

 恐らく、それなりの効果を発揮するだろう。九月に転校してきた少女、及川柚季を鏡女から解放することが出来たのは、彼の助けがあったからだ。


「帰るしかないよな。ま、大丈夫だろう……お札もあるし」

 一人決心し、頷き、教室を出る。


 廊下を歩いている途中、自分より一足先に教室を出ていた紗久羅と鉢合わせした。彼女の隣には柚季がいる。紗久羅以外の友人も結構出来たようだが、大抵彼女はいつも紗久羅と一緒にいた。


「お、なっちゃんじゃん。これから帰るの」


「なっちゃん言うな。……井上もこれから帰るのか」


「柚季とこっちでちょっと遊んでから、帰る」

 最後の「帰る」という部分だけ妙に声が小さく、表情も微妙に沈んでいる。

 この日を憂鬱に感じているのは自分と同じく桜町に住んでいる彼女も一緒に違いなかった。柚季も紗久羅から『紅葉狩り』について聞かされているらしく、彼女の表情の変化を敏感に感じ取り、二人に対して哀れむような、心配するような目を向けた。しかし彼女は二人程沈んだ気持ちにはなっていないだろう。

 柚季は三つ葉市の人間。自分には関係の無いことなのだ。内心その点にほっとしているのかもしれない。


「……まあ、気をつけろよ」

 気をつけたからって回避できるものではないことは分かっていながらも、相手の無事を祈り、そう呟く。

 おお、気をつけるぜと言ってから紗久羅はにかっと笑い、敬礼。


「なっちゃん隊員のご無事を、心より祈っているであります!」


「……こちらも祈っているであります」

 苦笑しつつ、こちらも敬礼。そんなふざけたやり取りは、奈都貴を少しだけ元気つけた。負の感情は魔を呼び寄せるという。明るい気持ちでいれば案外『楓様』に襲われることは無いかもしれない、とそんなことを思い。


 きっと大丈夫だ。


 理由の無い根拠を胸に、奈都貴は学校を後にした。

 目指すは桜町行きのバス停だ。


 コンクリートで出来た灰色で無地の反物めがけてひらひら舞い降りる、赤や黄の葉。美しい模様を得たそれを無情に踏みつけていくのは黒いタイヤ、小さなバス。

 今バスは三つ葉市を抜け、桜町に入っている。流れる風景をぼうっと見つめながら奈都貴は掃除の時間にあった一コマを思い返す。


――ねえねえ、深沢君。桜町って毎年この日になると妙なことが起こるんですってね――

 掃除を終え、教室に戻ろうと歩いていた奈都貴を引き止めたのは、クラスメイトの吉田霧江であった。情報通である彼女は紅葉狩りの情報もばっちり仕入れていたらしい。奈都貴を見るその瞳は好奇に満ち溢れている。

 自分にとっては他人事であるから、そんな目が出来るんだ。内心むっとしながらとりあえず「そうだ」と答えておいた。嘘を言っても無駄だと思ったからだ。


――やっぱりそうなんだ。大変ね。酷い目にあっちゃうんでしょう。可哀想に。あの町っておかしなことが沢山起こるのよね――

 大変ね、可哀想に。そんなことを言っている口が笑っていることに本人は果たして気がついているだろうか。

 短く刈り込んだ髪に明るい光をもつ瞳。見た目は男の子っぽく爽やかだが、性格は少しもさっぱりしていない。人が一番知られたくない情報もつかみ、ずかずかと人のプライバシーに踏み込んでくる彼女は異性にも同性にもそこまで好かれてはいないそうだ。


――ねえ、知っていた、深沢君。……桜町で起きるようなことがね、ここから随分遠く離れたある街でも、起きているらしいよ――

 ぴくりと動いてしまった耳。その反応に満足したらしい霧江がものすごく嫌な笑みを浮かべる。それは出雲が得意とする目であった。


――桜町と同じ日……つまり、十一月十七日に。全く、同じことが、ね。不思議よね? 桜町とは全然関係の無い場所なのに――

 霧江の情報は正しいことが多いそうだ。ならばその情報も矢張り正しいのだろう。

 一体どこからそんなものを手に入れているのか皆目見当がつかないが。


――不思議なことって起きるものなのね。それじゃ、頑張ってね――

 自分の知っている情報を聞かせて満足したらしい。きっと彼女は桜町に住む他の生徒にもこの話をするのだろうと奈都貴は思った。


(悪意は無いんだろう。……善意も無い。情報を手に入れ、それを誰かに喋ることが好きなだけ。ただそれだけなんだよなあ)

 それが何だか、腹立たしい。


 回想はそこで終了。再び視界に映りこむ車窓の外にある風景。


(別の場所でも同じ日に同じようなことが起きている、か。何か関係があるのか?)

 恐らく全く無いということは無いだろう。しかしどう関係しているのかまでは分からない。


(出雲や弥助は紅葉狩りについて、何か知っているのか? 弥助は知らなさそうだな……出雲は微妙だけれど。知っていても話してくれそうにないし)


 やや離れた場所にある桜山。深い緑に赤、黄、橙が入り混じり、普段と違う様相を見せている。

 

「春は桃色の羽衣身にまとい、秋は(ぎょく)で飾ったお姿を、お見せになるのは小さなお姫様」

 ぼつりと出た言葉。それは町に古くから伝わる、桜山に対する賛辞の言葉なのだという。町の外れにある喫茶店のマスターが教えてくれたのだ。

 紅玉、黄玉、翡翠でその身を飾ったお姫様の様な姿だとその言葉は言っているのだ。身を飾る玉は風吹く度にざわざわという音を鳴らし、時にぽろりと外れ、下界に、裾野にぽうん、ぽうんと落ちていく。短期間だけ見られるその姿を、この町に住んでいる人は楽しむのだ。


(桜町に住んでいる人だって、紅葉狩りは好きだ。……勿論、本来の意味の方のだけだけれど。小学校の時、桜山に遠足へ行ったな。紅葉見て、弁当食べて。風景画描いたり、葉を持ち帰って、何かの授業でしおりを作ったり。どんぐりを大量に持って帰って親に捨てて来いって怒られたのもいたっけ)

 紅葉は、綺麗だ。老若男女など関係ない。多くの人が鮮やかに色づいた葉を美しいと思い、赤や黄に染まった山野を見て感嘆し。

 

 バスは家近くには止まらない。家周辺の道路はバスが悠々と走れる程広くは無いからだ。だから一番近い所から降りても十五分位は歩く必要がある。

 別に大した距離ではない。何の苦にもならない距離だ。だが、今日は、今日だけは、違う。きっと家までの距離がえらく長く感じられるだろう。

 こりゃもう走るしかないかな、とストレッチ。走ればより早く家に着く。


(走るっていっても大した距離じゃないしな。……小五の時もやもやお化けに追い掛け回された時は相当長い時間走ったけれど。今回はそんなあちこち走り回ることは無いんだし。あの時は怖かったな。今思い出してもぞっとする)

 出雲と出会っていなければ、間違いなく自分は力尽き、お化けに食われていた。ぶるっと一回、身を震わせる。


(今年もきっと大丈夫だ。紅葉狩りになんかあってたまるかってんだ)

 奈都貴の脳裏に浮かぶ、一人の少年の姿。それは紅葉狩りの被害にあった友達の姿だった。奈都貴は今でも、クラスメイト数名と彼のお見舞いに行った時のことを覚えている。

 辛そうな顔、真っ赤な瞳。不気味だろう、と言いながら見せてくれた、真っ赤な、真っ赤な……。


 その光景を振り払うように、頭をぶんぶん振り、うおおおという叫び声をあげながら、奈都貴は走り出した。

 桜町は普段以上に静かだった。皆家の中にこもっているのだ。外に出れば、紅葉狩りの被害にあう可能性が高くなる。逆に、出なければ被害にあうことは無い。


 地面に落ちている、宝石の様な葉達。踏みつける度、がさ、がさという不吉な音をたて、奈都貴の不安をかきたてていく。

 空はまだ、明るい。小さい頃、双子の片割れである陽菜が「これが私達の誕生石なんだよ。お空の色みたいだよね」と言って、本に載っていたアクアマリンの写真を見せてくれたことがあった。彼女はそれからも、何度か同じことを言って、同じ写真を見せたのだ。それこそしつこい位。そのせいか、奈都貴の中で空の色といえば、アクアマリンになっている。


(空の明るさは関係ない。……紅葉狩りは昼にだって起きている)

 人ならざる者がことを起こすのは、何も夜に限ったことではないのだ。

 

(楓様っていうのは、実際にいるんだろうな。昔は『楓様が人間を襲う』って口に出しつつ、心の中ではそんなものの存在を信じてはいなかった。他の人達は今だってそうなはずだ。口で言っていることと、実際に思っていることが矛盾している。……でも俺は知ってしまったからなあ。妖とか幽霊とか、そういうものが実在しているってことを)

 

 近くを通った家から、お外で遊びたいと子供が叫ぶ声が聞こえる。それを全力でとめる母親の声がそれに続いた。駄目、今日は駄目! とそれはそれは必死な口調。それを聞き、奈都貴は頷く。


(悪いことは言わない。やめておけ、子供よ。……そういえばあいつも、絶対襲われることはないから大丈夫だって言って公園で遊んでいて、それで襲われたんだよな『楓様』に)

 それから彼は、決して十一月十七日に外で遊ぶことはなくなった。遊ぶことが兎に角大好きなお馬鹿さんだったが、学習能力が全く無いわけではなかったのだ。


 背を風が撫ぜる度、心臓がびくりと跳ねた。襲われるかもしれない。襲われないかもしれない。どうなるのかはっきり分からない。分からない、曖昧、予測不能。それらは人を恐怖させる。

 大した距離など走っていないのに、胸がやたら痛む。握りしめた手のひらが湿っている。


 しかしそんな緊張や恐怖、不安とも後少しでお別れだ。家は間近に迫っている。


「よし、一気に駆け」

 抜けるぞ、という続きは、途切れた。何の前触れもなく、周囲の空気が猛烈に冷たくなったのだ。必死に走っていた奈都貴が思わず足を動かすことをやめてしまう位の冷たさだった。

 

 うふふふ、ふふ、ふふふふ。


 次いで聞こえたのは少女の笑い声。その声はとても無邪気なものだったが、決して奈都貴の緊張を緩めはしなかった。むしろそれは彼の恐怖心を煽り、思考を止めさせた。

 聞いた者の命を削り取るような声は大きくなったり、小さくなったりを繰り返す。頭上から、背後から、前方から、下から、ありとあらゆる方向から聞こえるその声。

 声の主はどこにいる。首と目を上下左右に動かすも、周りには誰の姿も見当たらない。

 

 奇妙な出来事はそれだけでは無かった。先程まで青かった空が、真っ赤に燃えていたのだ。紅葉のじゅうたんを敷き詰めたような、鮮やかな、空。アクアマリンの色をした空はもう無かった。


(そんな馬鹿な! まだ夕焼け空になるような時間じゃ。くそ、家は目の前なのに……)

 奈都貴は己の運の無さを呪った。この状況はどう考えても普通ではない。

 どう考えてもこれは。


 がしゃり。


 何か硬いものが崩れ落ちるような音。それが背後から聞こえた。あまり振り返りたくは無かったが。ゆっくりと振り返る。

 

 あはは、あはははは。うふふふ。その声の主がとうとう奈都貴の前に姿を現した。その姿を見て、奈都貴は体を震わせ。

 そこにいたのは一人の少女だった。黒いおかっぱ髪、細い目、真っ赤な唇。

 紅葉舞う赤い着物が包んでいるのは、目を見張るほど白い肌。


 やや青味を帯びたその肌は陶器の様で。いや、様で、では無い。どう見ても陶器そのものだった。命の通わぬ肌、むき出しの関節。


「にん、ぎょう……」

 震える唇からようやくその言葉を紡いだ奈都貴に、少女人形は笑い声で返す。

 だがその唇はぴくりとも動いていない。目も、見る限り瞬き一つしていないのだ。

 生気を感じないそれは、見えない糸に操られ、動いているらしい。

 その動きに滑らかさは全くなく、ぎこちないにも程があるというものだった。


 ぎりり、ぎり。心臓に爪を立てる様な、嫌な音。その音と共に人形は首を右に、左に傾ける。その首に支えられている顔が小刻みに震えた。今にも音を立てて落ちてしまいそうであった。いっそ生きている者だったら良かったのに、よりにもよってフランス人形と並ぶ恐ろしさをもつ日本人形みたいなものなんて、と奈都貴は『楓様』の正体を呪った。一応生き物である出雲が可愛く見える位恐ろしい姿が、目の前にある。


「お前は、黄金だ。何としてでもとらねばならぬ」

 声自体は大変可愛らしい。しかしその姿と、心の一切こもっていない喋り方が全てを台無しにしているのだ。

 黄金とは何だ、とるって何をだ、いやいやそんなことを考えている場合じゃない、ここから逃げなければ! そう、今やらなければいけないのは『逃げる』ということ。だが、お約束展開……体が言うことを聞かない。


 だらんと力なく下げられていた右手が、ぎりぎり、がり、という音と共に少しずつ上がっていく。いつの間にかその手には刀が握られていた。

 その刃の色は普通ではない。先端は赤く、そこからつばに近づくにつれ、橙、そして黄と色が変わっていっている。見事なグラデーション。その刀を持っている手が白いから、余計その色が際立って見えた。


「黄金じゃ、黄金じゃ。必ずとってみせようぞ。うふふ、あはは」


「冗談じゃ……」

 しかし足が動かない。見ればいつの間にやら、奈都貴の足を無数の楓の葉が捉えていた。葉は熱を帯びている。その熱さに奈都貴は顔をしかめる。

 更に、空からはらはらと紅葉の雨が降ってきて。それがまた、熱い。


――桜町の間で言われている『紅葉狩り』っていうのは、紅葉が人間を狩るという意味をもっているんです。鑑賞するという意味の狩りじゃあありません。襲う、という意味の……狩りです。毎年十一月十一日になると、必ず桜町で何者かに襲われ、妙な怪我をする人が現われるんです。怪我をする人数はまちまちで、三人位の時もあれば、十数人に及ぶこともあります。性別や年齢、襲われる時間帯等もばらばらです――

 人形は、じりじりとにじり寄ってきている。いっそさっさと来てしまえと思ってしまう位鈍い足取りが、余計奈都貴の恐怖をかきたてる。


――大抵傷だらけになって倒れている人を他の人が見つけ、病院に運ぶっていうパターンらしいですね。皆襲われた時のことは殆ど覚えていないそうです。ただ皆、口を揃えてこう言うそうです――


 赤や黄に染まった楓の葉に襲われた、と。ゆえにこの日の出来事は『紅葉狩り』と呼ばれるのだ。


(楓の葉のことは覚えているくせに、誰も人形のことは覚えていなかったのか)

 よりにもよって一番強烈なものを。


(強烈だからこそ、忘れたのだろうか。……自分の築き上げてきた世界を守る為に)

 光を受け、ぎらりと輝く刀。その輝きに胸を刺され、奈都貴は呻いた。


――傷だらけ……それはどんな傷なんですか――


――鋭い刃で切りつけられたような傷だそうです。傷の深さや数は矢張りまちまちだそうですが……一応、ここ数十年の間、紅葉狩りにあったことで亡くなった人はいません。昔はその限りではなかったそうですが――

 医療技術の発展ゆえか、それとも相手が手加減してくれるようになったのか。

 恐らく、前者だろう。どう見ても目の前にいる人形は手加減という言葉を知らなさそうだ。


「いっぱい、いっぱい、斬る。黄金を沢山斬れば、うふふ」

 黄金を斬ればどうなるというのだ。何故肝心な所で言葉を切るのか。恐怖に混じる、苛立ち。


――斬られた傷と、その周囲は腫れます。その腫れの形というのが――

 紅葉狩りの被害にあった友人が、苦痛に顔を歪めながら傷口を見せてくれたことを思い出す。

 傷自体は殆ど塞がっていた。だが、腫れはまだひいておらず。


 友人の腕。傷……そして……楓の形をした、腫れ。それはまるで秋の楓。

 真っ赤な、真っ赤な……。


――その腫れは、尋常じゃない熱と痛みを伴うそうで。大人でも涙を流し、悶える位のものだそうです。実際友人も辛そうでした。斬られた直後はもっと酷かったと。そう語った彼の目は、真っ赤になっていました――

 かつて友人を襲った脅威。それが今、自分の身に迫ってきている。


「あはは、うふふ」

 前へ進む度不自然な方向にぼき、ごき、と傾く頭。ありえない曲がり方をする足。

 徐々にその距離を縮める人形。どうにかしなければ、狩られてしまう。


(そうだ、九段坂さんから貰った札……!)

 目の前にいる人形の様にぎこちない動きで手をポケットにやった。それがきっと自分を守ってくれるはずだと思った。しかし、その夢想は一瞬の内に砕かれることとなる。

 手が、何かに触れた。お札だ。ポケットからそれを取り出す。


「な、何だよこれ!」

 手がつかんでいたもの。それはお札……の成れの果て。燃えてしまったらしいそれはすっかり黒くなっていた。


(札が、耐え切れなかった……? 英彦さんの力ではどうにもならない相手だというのか!?)

 最早、奈都貴を守るものは何もない。彼には柚季の様な、魔を祓う力も無い。

 

 がた、ぎしぎし、がらら、ぐぎ。心臓を裂き、握りしめ、命を搾り取る音。

 その音が耳に届く度、額から冷や汗が流れる。


 襲われたらどうしよう、そんなことを思い、憂鬱になっていた今日。

 だが、心の底では「自分は絶対に大丈夫」などと思っていた。自分が襲われるかもしれないと思う一方で、自分は絶対襲われないという妙な自信を彼はもっていた。

 それはきっと、他の人達も同じなのだ。自分が当事者になるとは思っていない。表面的には思っている。あくまで、表面的には。


 その妙な自信が崩れ去った時、人は脆く弱い部分を露呈させる。思考することをやめ、ただ絶望が迫りくるのを待つだけとなるのだ。


 人形の動きが急に早くなる。見た目は美しい刀を振り上げ、そしてそれを下ろそうとした。


――不気味だろう。……それにものすごく痛くて、熱いんだ――

 真っ赤な、真っ赤な、楓の葉そっくりの形をした腫れ。その腫れの中心にある、傷。ただそれだけが彼の頭を巡った。


(もう、駄目だ!)

 目を瞑る。


 しかし、いつになっても来るべきものは来なかった。一体何が起きたのかと目を開けてみれば、人形は刀を振り上げたまま、動かなくなっていた。

 

「何、それは本当かえ? そんな、まさか。そんな、いや、じゃが……」

 人形の口調は相変わらず淡々としている。だがその声からは先程までは一切無かった感情が――焦り、戸惑いの感情が微かに滲んでいた。

 奈都貴の足を縛めていたものが消え、人形は静かに後ずさる。


「おお、おお、こんなことをしている場合ではない。……ああ、何たること……そんな、ああ……」

 人形の目はもう、奈都貴を見ていない。彼のことなどすっかり忘れている風だった。空の色が青くなっていく。消えていく紅葉の飴。世界が元に戻ってきているのだ。


 がちゃり。嫌な音をたてて崩れ落ちた人形は、泣いている様に見えた。

 それからしばらくして、その人形は煙の様に消えたのだった。それと共に、世界もすっかり元通りとなった。


「な、何だったんだ……」


 助かった。それは良い。だが、状況が一切飲み込めない。奈都貴はその場にへたりと座り込み、しばらくそのままでいた。

 しばらくしてようやく立ち上がった彼は、自由を奪われていた足を見てみた。

 そこには真っ赤な――楓の葉の形をしたあざがあったが、痛みや熱は無い。


 一体何がどうなったのか。何故『楓様』は襲うのをやめたのか。それを知ることは永遠に、叶わなかった。


「一体、何だったんでしょうね」

 油ののったサーモンの刺身を口に入れながら呟いたのは奈都貴ではなく、英彦であった。彼は今、自宅で夕飯を食べている。

 そんな彼は数時間前桜町を訪れていた。


 奈都貴曰く紅葉狩りというのは『楓様』という、桜町にある一本の楓の木に宿っている精霊がやっていることなのだそうだ。昔名のある術師が占いで犯人をつきとめたらしい。

 しかし楓様が何故毎年この日になると桜町の人間を襲っているのかは分からないそうだ。理由は分からないが、人に害を成す者であることに変わりは無い。

 人々は楓様を――というより、楓様の宿る楓の木を燃やしたり、切り倒したりしようとしたそうだ。しかし毎回それは失敗し、その度それをやろうとした者には災いが降りかかったらしい。


 犯人が分かっていながら、その凶行をとめることは出来ず。結局今に至るのだという。


 興味を持った英彦は、少し調べてみようと使()()の内数名を連れて、その楓の木のある所までやってきたのだ。倒すことは出来ないにせよ、理由位は聞けるかもしれないと思って。

 実際、楓様とコンタクトをとることは出来た。だが、理由などは一切語ってくれなかった。


 というか、楓様は開口一番


「もうわらわはそなた達人間を襲ったりはせん。安心しろ。分かったらさっさと()ね。災いを貰いたくなければな」

 とだけ言って、それ以後何も言わなくなってしまったのだ。

 そのままにらめっこを続けていても無意味だと思った英彦は、訳が分からぬまま帰ってきた……というわけだ。


 結局理由は分からず。楓様がどんな人なのかもよく分からず。


 しかしこれ以後、この町で『紅葉狩り』が行われることは二度と無かった。

 だがその理由を知る者は、誰もいないのだった……。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ