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桜町幻想奇譚  作者: 里芽
ようこそ古花堂へ
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ようこそ古花堂へ(2)

 古花堂(こかどう)。恐らく何かの店だろう。小さな木の門と竹林に挟まれ、ひっそりとある。随分古いのか、木は黒ずんでいるが決して不快な色ではなくむしろ建物の静謐(せいひつ)さや美しさ、魅力を引き立てているように思える。門は切った竹を利用しているらしい。背後にあるそれとは全然違う色で、やや緑かかった黄。屋根の色は、黒。木の黒っぽい茶、屋根の黒、竹の濃い緑、門の黄、障子の白、硝子の透き通った色。それぞれ自分を主張しすぎず、調和し合い、静かで心落ち着く空間を作り上げている。


 出雲は呑み車の乱暴な着地により若干乱れた髪を丁寧に整え直しつつ、門をくぐった。心地良い木と竹の香りが紗久羅の鼻をくすぐる。

 

「邪魔するよ」

 言いながら、出雲が入り口の戸に手をかける。それはがらがらという昔を感じさせる音を立てて開き、二人を出迎えた。

 店の中に入れば、そこがどんな店なのか見当がつくかもしれないと紗久羅は考えたが、それは叶わなかった。


 店の中に、売り物らしい売り物が何も無かったからだ。そこにあったのは長方形のテーブルと椅子、後は天井と壁に風車の形をした照明位。風車の色は赤や青様々だが、灯りの色はどれもごく一般的なもの。

 殺風景にも程がある店内に、紗久羅は口をぱくぱくさせるより他無かった。


「ここ……店だよな」


「店だよ。ちょっと待っていて。店の人を呼ぶから」

 店にはまだ奥があるらしい。右奥にそこへ続くと思われる通路があったが、上部は紺色の暖簾で隠れていており、また、灯りらしい灯りも無いのか、真っ暗だった。傍らにベルが下げられており、出雲は無言でそれを二回程鳴らす。

 無駄に広い空間に、透き通ったベルの音が申し訳無さそうに響いた。


「はいはい」


「今参りますわ!」

 暗闇の向こう側から微かに聞こえた声。それは若い女の声で、聞いた限り返事をしたのは二人らしい。

 ぱたぱたぱたという音が徐々に近づいていき。ぱさっというのれんを手で押し上げる音でフィニッシュ。そこから勢いよく飛び出してきたのは女の子二人組だった。二人共全力疾走でここまで来たらしく、やや息を切らしている。


 二人共、紗久羅より幾分年上に見える。人間でいうなら(どうせこの二人も人間ではないだろう)十八、九と言ったところか。

 

「まあまあ、出雲様。いらっしゃいませ!」

 光に透かすとやや黄金色っぽい色が見える、肩まで伸ばした髪が元気良く揺れる。ゆるゆるふわふわなウェーブのかかった、マシュマロを何となく思わせる髪。

 

千代(ちよ)(ぎく)ったら先に挨拶して、ずるい。抜け駆けは許さないわ。何だっていつも一緒にしようって決めていたでしょう」

 頬を膨らませ、いじけたフリをしているもう一人の少女。正面から見て右側にお団子を作り、残りの髪は下に垂らしている。こちらの髪は気持ち赤みがかっている。団子の付け根辺りについている椿を模した髪飾りは上品さと可憐さを兼ね備えていた。


「まあまあ、ごめんなさい。そんなにいじけないで、(べに)椿(つばき)

 髪型だけでなく、喋り方もふわふわしている。対して、紅椿と呼ばれた少女の方は、千代菊という少女に比べると落ち着きのある声。千代菊という子がマシュマロなら、紅椿という子はしっとりしたチョコレートブラウニーといったところだろうか、などと紗久羅は二人を見ながら甘いお菓子のことを考えていた。

 二人は御揃いの市松模様の着物を着ている。だが全て同じというわけではない。色違いで、千代菊は黄と白、紅椿は赤と白。帯は両方黒で、帯紐の色は千代菊が黄、紅椿が赤。


(随分仲が良さそうだな。双子……では無さそうだな)

 二人の顔はあまり似ていない。奈都貴と、彼と双子である陽菜は全体的にはあまり似ていないが、目元だけはそっくり。それに対し、目の前にいる二人には共通点らしき所がなかった。恐らく姉妹でも無いだろう。


「あら?」

 二人のことをじっと観察していた紗久羅の存在に、紅椿がようやく気づいたらしい。妖がこちらの世界で人間の姿を見た時に見せる、特有の表情が彼女の顔にもばっちり貼りついている。千代菊も紅椿の視線を追ったことで、ようやっと紗久羅の姿を認識したようだ。


「まあまあ、人間のお嬢さんではありませんか! 驚きましたわ、こちらの世界で生身の人間さんにお会いする日が来るなんて」


「亡くなった人なら見たことがあるけれど。どう見ても生きている……わよね」


(ち、珍獣を見るかのような目で……そんなにこっちに来る人間が珍しいのかよ!)

 珍しいのだろう。そもそも普通の人間はこちらの世界に来る手段をもっていないのだから。


「おいおい、困るよ出雲、人間は」

 その声は紅椿のものでも、千代菊のものでもなかった。

 暗い店の奥からにゅっと現れた人影。この店にはまだ人がいたらしい。


「前やった金がもう尽きたのかい。……だからといって生き物は困るよ、生き物は。流石に生き物は受け付けていないよ、基本的にはね」

 暖簾を上げつつ、こちらにやってきたのは一人の男。見た目は三十代。

 髪の色は出雲に似ているが、彼よりやや濃い目。長く伸びた髪を下から30センチ位のところで緩く縛っている。着物の色は青紫。


「お前、あたしのこと売ろうとしていたのか、何て奴だ!」

 本気でそう思ってはいない。ただ心の隅で、出雲ならやりかねないかもと思っている自分もいた。きっと隣にいる彼を睨みつけるが、その視線を出雲はのらりくらりとかわす。


「まさか。紗久羅を売りはしないよ。大事な玩具は最後まで大事にとっておかなくちゃ」


「てめえのおもちゃにされる位なら、売られた方がなんぼかましだ!」

 ましではない。ただ勢いでそう言っただけである。

 二人のやり取りを見てくすりと笑った男は、紗久羅の顔をじいっと見つめる。

 その目はやたら大きい。青い色のついた木の葉型の硝子玉をそのまま埋め込んだようなもので、目という名の装飾品のようであった。


「成程ねえ。君も可哀想だね、こんな男に目をつけられて。……さて。私はここ古花堂の店主、竜胆(りんどう)という。こちらにいるのは紅椿と千代菊。この店の看板娘だ」

 その言葉を合図に二人が竜胆に飛びつく。この二人、相当彼のことが好きなようだ。


「まあ、基本的に暇だけれどね、この店」


「それを言っちゃ駄目ですわ、竜胆様!」


「そうですよ、そういうのは口にせず、心の中にとどめておくものです!」


「はいはい、分かった分かった」

 元気のいい娘に口々に言われ、苦笑。この店の主は竜胆であるそうだが、見た感じ、実際の主導権を握っているのは二人の娘なのではないだろうかと紗久羅は思う。


「とりあえずお座りよ、千代菊、お茶とお菓子を持ってきておくれ」


「まあ、竜胆様酷い! 私だってお茶汲みたいです、お菓子持っていきたいです!」


「そうです、あんまりですわ竜胆様、(わたくし)と紅椿を引き離すなんて! 私達二人一緒じゃないと死んでしまいますわ!」


「分かった、分かった。二人で行っておいで」


「はあい」

 その返事に満足したらしい。二人は満面の笑みを浮かべ、軽やかなステップを踏みながら奥へと消えていく。

 それを見送った出雲と紗久羅、そして竜胆は店の中央にあるテーブルについた。

 出雲と竜胆は楽しそうに話し始める。出雲はこの店の常連客らしく、かなりこの店に溶けこんでいる。浮いているのは紗久羅だけ。

 改めて紗久羅は店内をぐるっと見回してみる。しかし矢張り目新しいものは何も無い。目に飛び込んでくるのは、驚くほどさっぱりした風景のみ。


(本当、何も無い。……何か売り買いしている店みたいだけれど、商品らしきものは何も……)


「商品は全部、店の裏にある建物に保管してあるのさ。後で見てみるかい」


「うわ、心の中を読まれた!?」


「読む必要なんて無いよ。顔に全部出ているもの。君、単純な性格って良く言われないかい?」

 先刻出雲に言われた。但し間接的に。そのことを思い出し、少しむっとする。

 初対面の人にまで言われているよ、あはは、と笑う出雲。その声が紗久羅の神経を逆撫でする。ばっと思わず立ち上がり、振り上げる、拳。

 このまま出雲の頭に一直線……と思いきや。


「お茶とお菓子、お持ちしましたわ!」


「早っ!」

 どでん! タイミング良く、しかも予想以上に早く来たものだからどきりとし、思わず体の向き及び拳の軌道を変えてしまった。拳が辿り着いた先はテーブル。

 声にならない痛み。ことの経緯を知らない千代菊と紅椿は目をぱちくり。


「あらあらまあまあ、大丈夫ですの?」


「だ、大丈夫、大丈夫……はは、ははは……」


「すぐ手を出そうとするからそうなるんだよ。お転婆紗久羅姫」

 これほど人の神経を逆撫でする笑顔も珍しいだろう。紗久羅の頭は沸騰状態だ。

 そんな彼女の前に、緑茶の入った湯のみが置かれる。


「まあまあ、何があったのかは存じませんが、お茶でも飲んで心を落ち着かせてくださいな」


「あ、ありがとう……ええと紅椿さん」


「呼び捨てでいいわよ。貴方の名前は紗久羅さんとおっしゃるの?」


「うん。こっちも呼び捨てでいいよ」


「呼び捨てなんて、そんな。紗久羅ちゃんとお呼びすることにするわ」

 と笑顔。さんからちゃん……微妙に変化した呼び方。そんな紅椿に千代菊が後ろから抱きつく。そして彼女の背後からひょっこり顔を出し。その笑顔は紅椿より明るく、眩しい。


「私も呼び捨てで構いませんわ。宜しくお願いしますわ、紗久羅ちゃん」

 こちらも呼び捨てにするつもりは毛頭ないらしい。千代菊はそれから机の真ん中に木で出来た深皿を置く。それには饅頭や大福、最中、くるみゆべし等が山ほど積まれていた。五人で食べてもなお余りそうな量である。

 茶とお菓子を置き終えた二人は、竜胆の隣に仲良く座った。


「それで……この店って何の店なの? こいつは何であたし達世界の金を持っているわけ?」

 早速皿に盛られた豆大福に手を出し、一口。それをもぐもぐ食べながら左手で出雲を指差す。紗久羅はそれを知る為にここへ来たのだ。ついさっきまですっかりそのことを忘れていたが。

 出雲は自分達がここへ来た経緯を若干面倒臭そうに話す。それを聞き終え、納得したらしい竜胆はこくこく頷き、まあ疑問に思うよねと笑った。


「ま、贋金でも盗んだ金でも無いから安心してよ。私は別に本物そっくりのものを作っても問題ないのだけれど。それは流石に駄目だとこの二人がうるさいから」


「当然ですわ。そればかりは許しません」


「竜胆様がそんなことをするようになったら、私達、もうここには来ませんから」


「はいはい、分かっているよ。お前達が嫌がることを、私がするはずないじゃないか」


「竜胆様!」

 綺麗に揃った声。きっとこういうやり取りを日常的にやっているのだろうなと紗久羅は何となく思った。


「さて。この店がどういう所かっていう説明をしなくちゃね。ここはね、交換屋というんだ」


「交換屋?」


「そう。お客さんが持っている物と、こちらにある商品を交換する店。基本的に交換するのはお金ではなく、物で無いといけない。私達がお客さんに渡すものはその限りでは無いが。……こちらの世界じゃ、物々交換はまあ珍しくは無いけれど……。でも物々交換専門かつ交換したものを商品にする店っていうのはこの交換屋位だね。店の裏にある保管庫、もし宜しければ案内するよ」

 竜胆がそう言って立ち上がる。一体どういう物があるのか。興味をもった紗久羅はその提案に賛同した。

 食べかけの大福を口に入れ終えると、一度店を出る。先頭を行くのは竜胆、その次に出雲。紗久羅は千代菊、紅椿に挟まれながらの移動だ。


「紗久羅ちゃん、お住まいはどちらですの?」


「あ、えと、桜町って所」


「まあ、桜町でしたの……」

 二人は桜町のことをどうやら知っているらしい。しかしその名を聞いた二人の表情はどこか寂しげだった。同時に何か懐かしんでいるような……少し遠い目。


「あの……」


「あ、ごめんなさい。少しぼうっとしていましたわ」

 桜町のことを知っているのか、という問いを遮るかのように千代菊が笑った。

 明らかに無理して笑っている。紅椿もまた、同じだった。


 竹の生えていない、程よく整備された道を進む。空の殆どを覆っている緑。

 揺れる葉。その音が泣き声のように聞こえて、少し寂しくなる。二人と桜町、一体どんな関わりがあるのか。少し気になったが、やめておいた。

 五分も経たぬ内に、保管庫に辿り着いた。心なしかこちらの方が店より立派な造りをしているように見える。大きさは明らかに店よりもある。屋根を飾っているのはリボンでも宝石でもなく、竹の葉であった。


 頑丈そうな造りの戸には錠がかけてある。竜胆がそれに鍵をさし、回す。

 ぎりぎりぎり、という音と共に開けられた戸。そこから中にあった空気が漏れ出した。古さを感じる匂いだが、不快な匂いでは無い。

 竜胆は手に持っていたしゃれたランタンに向かって息を吹きかける。どういう仕組みなのか、息を吹きかけられたランタンに灯りがともる。あまり強い光ではなかったが、保管庫の中を照らすには充分な灯りであった。


 保管庫には沢山の棚が入り口と垂直に置かれており、そこに商品らしき物がずらりと並んでいる。その量は数えきれない位の物で、予想以上の数に紗久羅は一瞬眩暈を覚え。


「本当、色々な物が並んでいるんだな。よく分からないものもある……用途がまるで推測出来ん……皿とかコップとか結構多いな……あれ、人生ゲームなんかがある……あれはテレビ? 随分昔の奴っぽいけれど……ゲーム機もある、これは救急箱……ぬいぐるみ……天秤に本、懐中時計、トランプ……。これ、コンビニで弁当買うとついてくる割り箸じゃん! こっちの世界のものらしき物も沢山あるけれど、あたし達の住んでいる世界の物も大量に……」

 明らかに高価そうな物から、フリーマーケットでも売れなさそうな物、売り物にすらならないような物まで。その種類は多様。


「私は出雲から、色々な物――こちらの世界にあるもの、あちらの世界にある物問わず――を貰い、代わりにあちらの世界で使える金を渡しているんだ」


「え、ああ、そうなんだ……」

 納得。……しかけた。しそうになって、ある事実に気がついて、眉をひそめ。


「ちょっと待って。出雲があちらの世界で使える金をどうやって手に入れたかは分かった。でも、あんたはどうやってその金を手に入れたんだ?」


「だから、物々交換で」


「物々交換って誰とだよ? 人間とか?」

 だが千代菊と紅椿は、この店にやって来た生きている人間である紗久羅を物珍しそうな目で見ていた。人間が日常的にこの店を訪れているのなら、あんな顔はしなかっただろう。


「人間とじゃないよ。……人間と取引したことは殆ど無いね。昔は別として」


「あちらの世界に住んでいるのは人間や他の動物だけじゃございませんわ」


「妖だって、住んでいるのよ」


「例えば」


「私達のように」

 狭い通路を仲良く歩いていた二人は手を合わせ、くすくすと笑いながら紗久羅を見る。竜胆の持つランタンに照らされた少女達の姿は今、とても妖しく映っている。出雲が持つそれと、よく似ていた。がらっと変わった雰囲気に紗久羅の胸がどき、という音を鳴らす。

 しかし二人の表情はすぐ、無邪気で可愛らしいものに変わった。


「実は私達、普段は舞花市にあるお店で働いていますのよ」


「こちらへはお店が休みの時などに来るんです」


「私達にはご主人様が二人、いますのよ」


「あら、二人じゃないわ。……三人よ」

 再び浮かべた寂しそうな笑み。


「そう、そうでした。あの方のことを忘れてしまうなんて。とうとうぼけてしまったのかしら」


「三人目のご主人様って?」

 紗久羅が尋ねると二人は困ったように顔を見合わせた。


「三人目というか、一人目といいますか……」


「遥か昔、私達に人の姿を与えてくださった方ですの。……あ、そうそう、お金のことでしたわよね。私達は向こうの世界で働き、給料を貰います」


「その給料を竜胆さんにあげているってことか?」

 こくりと頷く。どうやらそういうことらしい。紅椿曰く、そうやって竜胆に人の世のお金を渡す妖は他にもいるそうだ。竜胆はその見返りに何かを渡す。

 渡すものは相手によって変わる。千代菊達は特に貰っていないらしい。

 そうして竜胆はお金を得、それを出雲の様なあちらの世界で買い物をする人達に商品として売るそうだ。


「……それって問題ないのか?」

 お金に関する決まりは複雑である。それが果たして良いことなのか。


「さあ? 知らないよ、人間の世界の決まりなんて。私達には関係の無いことだからね」

 あっさりさっぱり、ばっさり。


「君達の世界って無駄に複雑な仕組みを作っているよね。決まりも馬鹿みたいに多いし。そんなぎちぎちに縛られても平気で暮らしている。君達人間って皆、被虐趣味でも持っているのかい?」

 これは出雲の言葉だ。


「別にそんな趣味はねえよ。……んで、お前はここに色々な物を持ち込んで、その代わりにこの店からお金を貰っていると」


「そういうこと。こちらの世界で手に入れた珍しい物を交換に出すこともあるけれど、大抵はあちらの世界の物かな」


「どうやって手に入れているんだよ」


「菊野からいらなくなった物を譲り受けたり、ゴミ捨て場から拝借したり……」


「ゴミ捨て場から!? おい、ああいう所に捨てられている物を勝手に持ち出したら」

 その続きを言うことは出来なかった。


(いや、言っても意味無いか。こいつにとって、あちらの世界の決まりはどうでもいいものなんだから。言うだけ馬鹿馬鹿しい)

 ちなみにゴミ捨て場からゴミを拝借し、満月館まで持ってくるのは主にやた吉、やた郎の仕事らしい。色々な術を駆使し、上手いことくすねるそうだ。

 他にも向こうの世界に住んでいる妖達がせっせと現地で様々な物を調達し、竜胆に渡すそうだ。こちらの世界の物より、あちらの世界の物の方がより竜胆に喜ばれるらしい。

 

「はあ。どうせ使い魔にするなら、あいつらより千代菊や紅椿みたいな可愛い子の方が良かったよ」

 散々こき使っておいて、この言い草。決して報われることの無い二羽の烏に心底同情した。


「てめえよりあいつらの方が万倍可愛いわ」

 しかし千代菊と紅椿が可愛いという点は同意したいと思う紗久羅だった。


「紗久羅ちゃんも何か売りたいものがあれば、是非ここの店に来て頂戴な」


「持ってきてくださった物に見合った物を差し上げますわ。勿論お金をご所望でしたら、そちらでも可、ですわ」


「交換すると良い。竜胆の価値観と、君達人間の価値観は大分違うから。飴玉の包装紙一枚でも結構なお金を貰えるよ。高価な品も貰えるし」

 出雲がそっと耳打ちしてくる。その言葉にちょっとときめき、今度持ってこようかな、などと思ってしまった。

 

 紗久羅はそれから、竜胆からカンテラを借りて保管庫内をぐるりと見て周った。本当に無い物は無いんじゃないかと思える位豊富な品揃えであった。

 宝石、漫画本、桶、明らかに壊れている掃除機、朱塗りの盆、何かの干物(ミイラ?)、反物、糸ようじ、コンセント、木彫りの仏様、目玉のついた箱、謎の物体等等。


「あれ、何だこれ。紙の束?」

 気になって開けた箱には広告等が大量に入っている。所どころには何かで縛った跡。紙紐か何かでまとめてあったものをばらしたらしい。

 日付は数年前。こんな物まで……と半ば呆れながら何となく見てみる。

 そして、固まった。


 色々なものに挟まっていた、一枚のテスト。それは算数のテストで。

 クラスと名前を記入する欄にあったのは『四年二組 井上紗久羅』の文字。……しかも点数は、微妙。


「ぎゃああ!?」

 思わず悲鳴をあげる。恐らく古紙回収、もしくは資源ごみを出す日用に紙紐で縛っていたものを出雲に譲り渡したのだろう。その中には紗久羅が捨てたテストの解答用紙も混じっていて。

 

「な、何でこんな……ああ! あそこにあるのは、あたしがもういらないって言って捨てたぬいぐるみのぷーちゃん……あ! あれは兄貴がうっかり割った茶碗……婆ちゃん、あんなものまであいつに」

 平気でそんな物を出雲に渡す菊野もすごいが、それを商品として保管している竜胆もある意味凄い。


(妖怪の価値観ってよく分からない……)


「しかしよくもまあこれだけの数を集めたもんだ……」


「ちなみに二階、三階にも色々保管してあるよ。個人的に集めた物も混ざっているけれど」


「そんなに!? うひゃあ、すごいな……」

 全部見ていくかいと竜胆に聞かれたが断った。一階をぐるっと回っただけでお腹いっぱいになったからだ。

 それからもうしばらく商品を見てまわり、用途等が一切推測できない物の解説を時々千代菊と紅椿に頼み。残念だったのは、二人がどれだけ優しく、分かりやすく説明してくれてもさっぱり意味が分からなかったことだった。兎に角意味の無い物、常識ではおよそ考えられないようなもののオンパレードだった。


(妖怪達って本当、訳の分からないものばっかり作るよな。あたしにはおよそ理解できん……)

 こちらの世界に興味心身なさくらでさえ、きっと一連の説明を聞いたら困惑し「へ、へえ、そうなの……」としか言えないだろうと紗久羅は思う。


 保管庫から出ると、眩い光と、目に優しい緑、そして爽やかな空気がお出迎え。あまりに心地良かったものだから、思わず伸びをする。


「いやあ、すっきりするなあ。しかし随分立派な竹林だな。こういう所ってあまり無いから、新鮮に映る」


「もし何なら、空から竹林を眺めてみるかい?」

 竜胆が、果てない空を指差す。空を飛ぶ車でも手配してくれるのだろうか。


「そうだなあ。折角だし、お願いしようかなあ。どうせ暇だし。あ、でも呑み車は無しの方向で!」

 四人が、紗久羅を見て目をぱちくり。それから一斉に声をあげて笑う。


「ああ、紗久羅は知らないものね。しかし……余程嫌だったんだねえ、呑み車」

 紗久羅を彼の車に乗せた張本人が一番おかしそうに笑っている。


「大丈夫ですわ、紗久羅ちゃん。空飛ぶ車は必要ありませんことよ」


「竜胆様一人いれば、充分。ねえ、竜胆様?」


「ああ、そうさ。あ、皆ちょっと私から離れていてね」

 紗久羅や出雲は言われた通り、竜胆から距離を置く。


 目を瞑る竜胆。ざわ、ざわ、風に揺れざわめく竹の葉。空気がより清いものへと変わっていく。この世にこれ程清いものがあるのか。激しくなる鼓動。

 竹林を駆け巡っていた風が集まり、竜胆の体に纏わりつき……最後、ばさっという大きな音と共にそれが放射状に放たれた。紗久羅は思わず体を庇う。

 ほんの数秒の間、世界には音しか無く。他には何も無かった。


 再び目を開ける。そこには竜胆の姿は無く。代わりに、一匹の竜が姿を現しるではないか。それは、蛇の様な体をくねらせながら、保管庫の真上に浮いていた。


 その竜、造形こそ中国神話や日本神話に出てくる空想生物と同じであったが、鱗の色はよく見る緑色では無く、淡い紫色であった。確か竜胆はこんな感じの色だったなと頭の隅でそんなことを思った。


(ああ、あの竜胆って人の正体は竜だったのか)

 竜だから竜胆と名乗るようになったのか、鱗の色が竜胆の花のそれに似ているから名乗るようになったのか、あるいは両方の理由なのか、その辺りは紗久羅には分からない。しかし分からなくてもいいと思った。

 鱗一枚一枚が太陽の光を受けて輝いている。宝石の様にぎらぎらしている……わけでは無い。そんな派手な輝きではないのだ。しかし、綺麗だった。でしゃばることなく、静かに咲き、それでいて人の目を奪う……地に咲く花の様な、可憐さと美しさを持っている。きっとこういうのは、人の胸を焦がし、狂わせ、惑わす力こそあまり無いものの、飽きられることなく、長い間それなりに愛されるのだろうと思った。たてがみの色は青味の強い紫色。色の濃さは鱗とそんなに変らない。


「お乗りよ、お嬢さん。この辺りを軽く見てまわろう。なかなか良い風景が広がっているよ」

 人の姿の時と全く変わらぬ声で彼は囁き、静かに舞い降りる。そうっと触れてみた体は少し冷たかったが、人を震わせ痺れさせるような冷たさでは無かった。これと同じ冷たさの水の中を泳いだらさぞかし気持ち良かろうと思う……そんな冷たさ。

 紗久羅は遠慮せずひょいっと竜胆の背に乗った。出雲達は下で待っているとのことだ。


 竜胆は紗久羅が自分の体にしっかりつかまったことを確認すると、ゆったりとした速さで天へと上っていった。

 冷たいとも暖かいとも言えぬ風が紗久羅の体を撫で、竹林の囁く声は徐々に遠のいていく。紗久羅は自分自身が竜になったような気持ちになっていく。風を、青い空を身にまといつつ、上へ、上へ。


「うわあ……すげえ」

 竹林は、紗久羅が予想していたよりずっと大きなものだったらしい。目を奪う緑が空の下に広がっている。空の海と、竹の海。微かに聞こえる葉の揺れるざあ、さわさわという音は寄せては返す波の音に似ているかもしれなかった。

 青い水と翡翠色の水が混ざり、溶け合い、一つになっている。

 雄大で、静かで、鮮やかで、穢れ一つ無い……誰にも侵すことが出来ないだろう、絶対的強さ、圧倒的存在感をもつ、恐ろしくも美しい場所。


「この竹林は翡翠の海と呼ばれている。……良いだろう」

 

「うん、すごく良い」

 紗久羅は竜と共に、その海の中を泳ぐ。その他に泳いでいるのは白い雲と、鳥のみ。竜胆の体から手を離さないように気をつけつつ、目を瞑り、風を、実体無き水を体中に浴びる。それがたまらなく心地良かった。

 その心地良さを楽しんでいる紗久羅に、竜胆が話しかけてきた。


「……千代菊と紅椿は人間では無い。それは、分かるよね」

 自分の世界に入り込みかけていた紗久羅の目が開く。勿論、分かっていると彼女は頷く。


「あの子達は元々、(ばん)()の園という、こちらの世界にある花園に咲いていた、花だったんだ」

 万花の園という場所には、あちらとこちら……世界に存在している全ての花が咲いていること、そこに咲いている花には不思議な力が備わっていることなどを竜胆はぽつぽつと話すのだった。


「名前の通り、千代菊は菊の花、紅椿は椿の花だった」

 昔は人の姿などしていなかったそうだ。園から出ることなく、ただ他の花々と自分の時間を過ごしていたのだと言う。


「その万花の園を、ある日一人の人間が訪れた。彼は優れた術師であったらしい。今ほど二つの世界がはっきりと分かれていなかった時代のことだ。優れた力を持っている者なら割と簡単に行き来が出来たんだ、こちらとあちらをね。これといった力を持っていなかった人だって、行こうと思えば行けた。特別なことをしなくてもね。……さて。その術師は菊と椿に人間の肉体を与えた。それが千代菊と紅椿。その術師が二人の最初のご主人様だった」

 とは言っても、共に過ごしたのはわずか数日のことだったらしいがね、と話を続けた。


「彼は二人を連れて万花の園から出、人間の世界に戻り、そしてある村を訪れた」


「それが、桜村?」


「そう。彼は村を訪れ、驚愕したという。千代菊達に、こんな恐ろしく歪んだ気の満ちている土地で暮らしている人間がいるなんて信じられないと言ったとか」


「あたし、そんな酷い場所に住んでいるのか……」


「昔は今以上にすごかったようだしね。双方の世界の関係も今より深かったし。……それで、術師はこの村をありとあらゆる災厄から守る為、二人を村に置いていくことにした。自分は旅を続ける身、一つの土地に留まるわけにはいかない。ならばせめて、二人の娘を……と思ったそうだ。彼女達は只の花ではない。万花の園に咲いていた花。おまけに術師の力も貰ったから……相当な力を持っている。二人は術師の命を受け、村に残った。彼女達は人間が好きだったから、喜んで命令を受けたそうだよ」

 二人は人間に害を成そうとする妖達と日々戦い続けたそうだ。全ての災厄を払うことは出来なかったが、それでも被害を最小限に抑えることは出来たらしい。


「村人達は、可愛らしく、また強い力を持った二人に絶対的な信頼を置き、大切にしてくれたそうだ。二人もまた人間を心の底から愛し、そして大切にした。村長(むらおさ)は他の村人以上に二人を可愛がったそうだ。とても優しい人だったと聞いている」

 だが、と急に暗く、低くなる声色。そこに含まれているのは哀れみと悲しみ。


「村長の一人息子だけは違った。彼は人ならざる者であり、かつ、強い力を持っていた二人のことを畏れ、また、忌み嫌ったそうだ。きっと心の弱い人間だったのだろう。自分より強い力を持つ者は何だって敵だったんだろうさ。いや、それはあくまで私の推測だがね。……まあ、人ならざる者を畏れる気持ち、分からないでもないが」

 悲劇が起きたのは数年後のことだそうだ。


「二人のことを可愛がっていた村長が、病に倒れ、亡くなったそうだ。村長は息子に、彼女達のことを嫌ってやるな、大切に扱ってやれと言い遺したらしい。だが彼の後を継ぎ、村長となった息子は……父の遺言を無視し、そして」

 追い出したのだそうだ。村の為に奮闘し続けた彼女達のことを。村の長が出て行けと言った以上、それ以上居座るわけにはいかない。二人は大人しく村を出たのだという。


「後に彼女達は、自分達が村を出た数日後、男が妖に襲われ死んだことを知ったそうだ。哀れな男。二人を村に残していれば……もう少し長く生きられたかもしれないのに」

 その声は少しだけ、冷たい。しかし出雲のようにただ冷たいだけではない。

 男に対する哀れみの感情も確かに混ざっていたのだった。

 村を出、あてもなく彷徨っていた二人はやがて竜胆と出会い、そして彼と共に生きることになったそうだ。


「そっか……だから二人共、桜町のことを聞いて寂しそうな顔をしたんだな。追い出された時のこと、思い出したんだろうな……」


「あの子達は、自分達には主人が三人いたと言っていたが……村長と息子を入れれば、五人だな」


「二人共、舞花市で働いているって聞いたけれど」


「ああ。小物等を売っている店らしいね。そこの主人も、良い人だと聞く。直接会ったことはないが……まあ、良い人なのだろう。彼女達がその主人――中年の男らしいが――のことを話す時は、いつも笑顔だからね。私とその人、どちらが優しい? と聞くと、あの二人はいつも困ったような表情を浮かべるんだ。その顔がとても可愛いから、私は時々わざとそういう質問をしてやるんだ」

 ははは、と笑う声が青い海に溶けていく。


「あの二人は、人間のことを……今でも」


「好きだよ」

 即答だった。そしてその声には迷いも何も無かった。


「彼女達は、恨んでいない。自分達のことを追い出した男のこともね。……信じてもらえなかったこと、分かり合えないまま別れてしまったことを残念には思っているそうだけれど。彼女達は今でも人間のことが好きだし、人間のことを守ってやりたいと思っている。本当は二人共、舞花市ではなく、桜町で働きたいと思っていたんだ。けれど昔放たれた『出て行け、二度とこの村に来るな』という言葉が心の傷になり、呪縛となり……今でもあの村――今は町か――に足を踏み入れることが出来ないそうだ。二人は少しでも桜町の近くにいたかった。だから人間として暮らす場所に、お隣さんである舞花市を選んだそうだよ」

 竜胆が視線を下に向ける。紗久羅もそれにならった。その先には、米粒程の大きさになった千代菊と紅椿の姿(ついでに、出雲)がある。


「私は彼女達程人間のことを好きではない。実は私もかつてはあちらの世界にあった小さな湖の主だったんだ。……残念ながら、その湖は人間によって埋められてしまったがね。人間達はかつて私のことを神と呼び、崇め、奉っていた。何かと私に頼り、私の加護が無ければ生きていけないとまで言った。……そう言ったくせに。そう言って散々頼ってきたくせに。最後はあっさりと捨てた。私の存在も、否定した。……私は住処を追い出された。でも不思議だね、それでも私は君達人間のことを嫌いになれないのだ」


 しばらく続く、沈黙。


「はは、すまないね、こんな話をして。ただ、何となく話してみたくなったんだ。お嬢さん、もしよければ千代菊、紅椿の友達になってやって欲しい。そして、桜町のこと、そこで起きたことなどを沢山話してやって欲しい。彼女達もそれを望んでいるだろう」


「けれど、話したら……辛いこと、思い出しちゃうんじゃないか」


「それでも、望むよ。きっとあの二人は」

 私だって、かつて自分がいた場所がどうなっているのか知りたいもの……そう最後に付け加えた。


 それからしばらくして、二人は三人の待つ地上へと戻った。

 竜胆の背から下りた紗久羅の目と、出雲と談笑していた二人の少女の目が合う。

 空で聞いた竜胆の言葉が頭の中を巡る。ごくり。唾をのみ。


「あのさ、二人共……桜町のこと、色々、話してもいいかな。面白い話が沢山あるんだ」

 二人は唐突な申し出に驚いたのか、目をぱちくりさせた。それから俯きがちになり、瞳を寂しさで濡らす。ああ、駄目だったかな……不安になったが紗久羅だったが。

 再びあげられた顔には、女の紗久羅が見てもどきりとするような、眩しい笑みがあった。二人は心の底から、喜んでいるようなのだった。


「ええ、ええ……是非、是非聞かせて下さいませ!」


「聞かせて。沢山聞きたいの。沢山、沢山!」

 紗久羅の手を二人して掴み、笑い声をあげながら、店へと駆けていく。その声は少し泣いているようにも聞こえたが、きっとそこに含まれているのは悲しみではないだろう。


 三人、お菓子を馬鹿みたいに食べながら喋った。二人は本当に楽しそうに紗久羅の話を聞いてくれた。

 紗久羅と出雲が店を出、満月館に戻った頃にはもうすっかり辺りは暗くなっていた。


 ちなみに、帰りの車も……呑み車だった。しかも満月館までそれに乗っていたので。


「酔いはしなかったけれど、別の意味で気持ち悪い……」


 すっきり、爽やかな気持ちのまま家に帰ることが出来なかった紗久羅であった。

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