第二十一夜:ようこそ古花堂へ(1)
『ようこそ古花堂へ』
「そういえばさあ、出雲」
「なんだい紗久羅」
「……お前これさ……どこから調達しているわけ?」
十一月十五日、土曜日。さくらが千勢大社に行っている時の話。
紗久羅は手のひらに乗せているものを指差しながら、出雲に問う。時々疑問には思っていたのだが、実際口に出して彼に聞くのは初めてだ。
手のひらを占めるもの。それは銀色と赤銅色の円状のもの……すなわち、硬貨、お金である。
「弥助は分かるんだよ。あいつはこっちで働いているから、当然こちらの世界のお金だって手に入れられる。でもお前はこちらで仕事なんてしていないだろう? なのにどうやって。まさかこれ全部偽物ですってことはないよな?」
「安心おし。それは本物のお金だ。誰かから盗んだものでもない」
出雲はそう言って笑ってみせる。しかし彼の笑みというのは兎に角妖しく、怪しく、胡散臭い。1+1は2である、という不変の真実さえこの笑みと共に喋られると途端に嘘っぽく聞こえてしまうのだ。だから、紗久羅には彼の言うことが本当であるかどうか分からなかった。
その気持ちは見事に顔に出て。出雲は彼女の気持ちを汲み取り、今度はふふふと声をあげて笑う。
「本当だよ。……口で言っても信じてはくれないようだね。やっぱりその体に教え込んであげなくちゃね?」
囁くように言い、ショーケースの向こう側に立っている紗久羅にぐいっと顔を近づけ。間近で見るその瞳、赤い唇、すうっと通った鼻は魅惑的で、媚薬的。
そのまま見つめ続けられたら、心も脳みそも食われるような気がして、紗久羅はきええ、と奇声を発する。
彼女はその顔を遠ざけようと思わず身を乗り出し、右手を振り上げたが、まだ硬貨をその手に握りしめていることをすんでのところで思い出し、引っ込める。硬貨を投げるわけにはいかない。今投げるとすれば、それは塩だ。悪霊退散、化け物退散。
「ばあちゃん、塩、塩を持ってきてくれ!」
「何を訳の分からないことを言っているんだい、この馬鹿孫!」
一蹴。当然の結果である。
出雲は紗久羅の相変わらずなリアクションに満足したのか、珍しく大きく口を開け、彼にしては大きな声で笑った。
「そんな慌てなくてもいいのに。やっぱり面白いなあ、紗久羅は。サクだとこうはいかないからね。あの子はちょっとというかかなり変だから。体に教え込んであげようかとか何とか言ったら、是非お願いします! とか言いそうだよね」
紗久羅は肩を怒らせ、ふーふーと威嚇している。それを見て出雲がまた笑った。
「体に教え込むって別に性的な意味で言ったわけではないよ? ちょっと期待した? いやらしいねえ……ああ、でもそんなおかしいことでもないか。お年頃だもんね、紗久羅は」
「ばあちゃん、塩!」
「分かった、分かったから少し落ち着きなさい。塩ごときでやられる私では無いけれど、投げられないにこしたことは無い。塩辛い思いはしたくないからね。どうせ今日も暇だろう? おいでよ、私がどうやってこのお金を調達しているか教えてあげるから」
どうせ、の部分を強調する辺りがとてもいやらしい。しかし真実ではある。
紗久羅は常々思っている。この店、よく潰れないな……と。まあ潰れていないのだからどうにかこうにかやっていけているのだろうが。
とりあえず許可を得る為、背後にある調理室で働いている菊野と紅葉の方を見る。二人共、追い払うかのごとく手を振り。……それだけ。一人でも充分、お前なんぞどこにでも行ってしまえということか。紗久羅ははあ、とため息。
「それじゃあ教えてもらおうか。この金の出所はどこなのか」
*
「で?」
「で? ってなんだい」
出雲に言われるがまま紗久羅はついてきたのだが。
その行き先はなんと、向こう側の世界にある京、翡翠京であった。
通しの鬼灯を持って来いと言われた時からおかしいとは思っていた。しかしまさか本当にこちらの世界に行くとは思っていなかったのだ。
江戸を舞台にした時代劇に出てきそうな光景が目の前に広がっている。道中を歩いたり、走ったりしている者が異形の姿をしていなかったなら、ここに来た人間はきっと「江戸時代にタイムスリップしてしまった」と口を揃えて言っただろう。
「何であたしは今、ここにいるんだ」
「いるんだから、いるんだろう?」
「訳の分からないこと言いやがって! あっちの世界の金を調達するのに、何だってこっちの世界に来なくちゃならないんだ! 適当なことやってはぐらかす気か!」
きっと眉を吊り上げ、出雲に食ってかかる。出雲は耳を塞ぎ、全く元気がいいね君はと呆れ気味に言うのだった。
それでもなお噛みつく紗久羅の視界を遮ったのは、出雲がいつも持ち歩いている扇。目に飛び込んできた乱れ咲く薄紅色の花が紗久羅の心を幾分落ち着ける。
「はぐらかす気なんてさらさら無いよ。まあ黙ってついておいでよ。悪いようにはしないからさ……いてて、何で叩くんだい、元気なのは大変良いことだけれど、もう少しおしとやかに生きた方が……ちょっと叩く力、さっきより強くなってる……」
出雲は紗久羅の猛攻(?)から逃げるように先へ進む。紗久羅はやっと叩くのをやめ、とりあえず彼の後についていく。ここで彼とはぐれるわけにはいかない。下手すれば妖達に食われてしまうから。
「しかしこっちの世界は随分賑やかだな……桜町とは大違いだ」
今二人が歩いているのは様々な店が立ち並んでいる通り。以前金魚捕りというものをした時通った通りとはまた違うところである。建物の高さは低めのものが多い。客と、店を営んでいる妖の話し声、売り物らしい食べ物を焼いている音、甘い匂いや香ばしい匂い、言葉では言い表せないような珍妙な匂い、行きかう人々の足音、彼らが身につけている赤や青、黄色の、格子模様や縞模様、市松模様の着物。十人十色な顔、髪、容姿をした人々。全てが混ざり合い、奏でるのは賑やかで明るい、聞いていて飽きない音楽。
紗久羅の横を通り過ぎたのは、人型カメレオンのような妖。びろんと伸ばした長く太い舌にのせているのは重箱。そこから香るのは甘い匂い。背に挿したのぼりには大きな文字で『菓子』と書かれている。その下にやや小さな文字で『飴、あんころ餅、はったいこ、麩菓子売っています』とあった。
カメレオンは人間である紗久羅の匂いを敏感に感じ取ったのか、丸くぎょろりとした目で彼女を見ながら、去っていく。
その可愛らしいとはいえない顔にぎょっとする一方、感心した。
「器用な奴。相当な高さだけれど、あれ、落としたりしないのか」
「時々落としているらしいよ」
「やっぱり。……ていうかあれ、商品売る時どうしているんだ?」
「追いかけて、飴一つ下さいって言ってみればいいじゃないか。そうすれば目で確認することが出来る」
「いや、遠慮しておくよ。……うげ、何だよあの珍味屋って奴……グロテスクな光景が広がって、うええ。漫画とかで出てくる魔女が薬の材料とかに使っていそうなものとかがいっぱいだ。あっちは薬屋か……お前等妖怪って薬とか使うんだ。しかしすごい匂いだな、漢方薬みたいな……絶対苦いだろうな。それでもってあっちは下駄占い屋? 何だよそれ。え、店の中で下駄を投げて距離とかどういう状態で着地したかによって明日の運勢を占う店? 変な店だなあ。茶を売っている所もあるんだ。あ、良い匂い。玄米茶かな……あたし、あれ結構好きなんだよな」
いつの間にか並んでいる店に夢中になっている紗久羅だった。賑やかな空気が、妖達の不気味さやおどろおどろしさを緩和させている為か、怖さや気味悪さをあまり感じなかった。
隣に出雲がいることも忘れ、ここが異界であることも忘れ、はしゃぐ紗久羅。
そんな彼女を出雲は俯き、体を震わせ、声を押し殺し、死にそうになる位笑いながら見ている。彼が人間であったら、今頃死んでいたかもしれない。腹はよじれるどころか、ねじきれていた。
「綺麗な歌声を聞きながら、布団に入って眠る店……囲碁や将棋などの遊びを皆でやれる集会所……へえ、小物屋もあるんだ。結構良い感じのものが沢山並んでいるなあ、あ、あれは何だ、どういう店なんだ、これといった説明が書いていないけれど」
はしゃいでいる紗久羅は隣にいる出雲の袖を思わずぎゅっと握りしめ、ぱっとそちらの方を向いた。
そこには喋ることすら出来なくなった出雲がいて。ようやく紗久羅は我に返り。
「ぎゃあ、しまった! うっかり夢中になってしまっていて、うわあ!」
出雲の前で、初めて大型遊園地を訪れた子供の様に振舞ってしまったことを恥ずかしく思い、顔を赤くさせる。それこそ熱で顔が焼けてしまうくらい。
人形より人形っぽい男は今、笑いすぎて咳き込んでいる。その姿はいつもよりずっと生き物らしかった。
「と、兎に角だな! さ、さっさと行くぞ、あたしだって暇じゃないんだからな」
「あ、ああ死ぬかと思った。それにしても面白……可愛かったなあ。いいよねえ、女の子の純粋無垢な笑顔。滅茶苦茶にしがいがあるというか」
「死ね変態狐!」
「憎まれっ子世にはばかる。君が私を蔑み、憎み、嫌う程私の寿命は延びていくんだよ、うん。というわけで、どんどん私に暴言を吐き続け給え」
「訳分からんわ!」
先程までの微笑ましい光景はどこへやら。ここからはひたすら口と口の合戦。
分は完全に出雲にあり、紗久羅は出雲の言葉にどんどん押されていくことになるのだが。
*
店の並ぶ通りを過ぎ、柳の木に囲まれた堀にかかる橋を渡っていく。堀に面している場所には店が並んでいるが、先程訪れた場所に比べると幾分大人しく静かである。そのまま堀に沿って歩く。
堀の中には人の顔をした鯉や、体中に目がついている魚、青い男の首などがおり、気ままに泳いでいた。時々青い首が奇声をあげ、その度紗久羅はびくっと体を震わせ、出雲を笑わせるのだった。
「ところであたし達今どこに向かっているんだ?」
「どこって、君が求める答えのある場所へさ。……そこは翡翠京から少しは慣れているから、乗り物を使わなければいけない。……うん、まあ火車でも行けるけれど。今回はまた別のものに乗せてあげる」
そう言った出雲は笑みを浮かべる。その笑みから邪悪なものを感じ取り、紗久羅は不安になった。
(こいつ絶対ろくでもないことを考えている……)
紗久羅の気持ちを知ってか知らずか。平然と少し前を歩いていた出雲の足が突然止まる。彼が足を止めたのは一本の柳の木の前。その木の隣には細長い一本の足がついた、木箱がある。出雲は木箱についている扉を開けると、何かを取り出した。
「これで乗り物を呼ぶんだよ」
出雲が手にしているのは金色の鈴。神楽舞をする時巫女が持つような、複数個の鈴がついたツリーに似た形をしたものである。
(こんなもので? 近くにいなければ鳴らしても聞こえないんじゃないか?)
「この鈴は特殊でね。その乗り物にだけ聞こえる音を出すんだ。そしてその音は広範囲に届く。まず気づかれないってことはないさ」
「心を読むな!」
「読んでないよ。……読まなくても分かるよ、紗久羅の考えていることなんて」
「あたしが単純な性格だって言いたいのか!」
「複雑な性格だと思っているのかい?」
そう言われると、返事に困る。言い返せず紗久羅はぐぬぬと歯軋りしつつ、黙りこくる。
それを見て出雲はくすりと笑うと、手に持っている鈴を鳴らした。多分、鳴らした。彼の言う通り、その音は紗久羅の耳に届かなかったからだ。あちらの世界でいう犬笛のようなものかと紗久羅は一人納得し。
一度、二度、三度。出雲はそれを振った。太陽をくくりつけたようなそれはきっとさぞかし美しい音色を奏でていることだろう。その音を聞くことが出来る者が羨ましい。
(あれ。でも音を聞くことが出来るってことは……その乗り物って)
途端。頭上が俄かに暗くなった。え、と反射的にあがる頭。
何かとてつもなく大きなものが、落ちてきた。それは紗久羅と出雲の前に、べちゃりという音を立てて着地した。生理的に受け付けない音に怖気たったのは紗久羅。出雲はけろりとしている。
地上にはらりと落ち、人々に踏まれ、すっかり変色してしまった桜の花びらの様な色をした体は、兎に角大きい。紗久羅と出雲が歩いていた道の三分の二を占める位の大きさだ。形状は、横から見た感じ、そら豆である。
「おい、これ、何だ」
「乗り物」
「いや、これ、だって、生き物……」
ぷっくり膨らんでいる部分についている巨大な目は、可愛いとは言いがたい代物で、ヘドロのような色をしている。
「君達人間も、馬とかを乗り物に使っていたんだろう? 何にもおかしいことは無いじゃないか」
「確かにそうだけれど、でもこれ乗り物って感じじゃ……大体これ、どうやって乗るんだ?」
彼の上に乗るには、どう考えても梯子か何かが必要である。しかしそれらしきものはどこにも無い。
(まさかこいつの舌に巻かれて、ひょいっと乗せられるのか? いや、それは嫌だ。しかもこいつ、上には何にもついていないし……滅茶苦茶乗りにくそうだし……絶対乗っている途中で振り落とされる)
そんなことを考えている彼女のことなどお構い無しに出雲は話を進めていく。
「呑み車。『古花堂』までお願いするよ。速度は普通でいいや」
ぐにゅおう、という鳴き声のようなものを呑み車があげる。その声がまた気持ち悪い。
「の、呑み……まさか」
青ざめる紗久羅に顔を向け、出雲がそれは良い笑顔を浮かべた。邪悪という言葉も「何と邪悪な!」と声をあげて逃げ出しそうな、笑み。
出雲の冷たい手が紗久羅の手をとらえる。痺れ、痛む手。逃げることは出来なかった。ただ彼に導かれるまま歩くしかない。
二人は呑み車と正面から対峙する。
「ぐぬああ」
開く、口、それはそれは大きな口。口内は夜空に似た色をしていて。
「で、ですよね……」
ぱくり。その口に二人は捕らえられ。ごくりと飲み込む音と共に二人は体の奥へと放り出されるのだった。
呑み車の体内には何も無い。また、ぬめり気も一切無いから、その肉に触れても体は濡れず、汚れず。不幸中の幸い。匂いも一切無し。これで体中べたべたになってしまっていたら、問答無用で出雲を殴り飛ばしていただろうと紗久羅は思う。
(よく考えてみればこいつが、体中べたべたになるようなのに乗るわけないか。幾らあたしの反応を見て面白がる為とはいっても)
しかし肉のほんのりとした温もりは感じる。その何ともいえない温もりが、気持ち悪い。
(空気も悪くないな……全然息苦しくないし。でもやっぱり嫌だ。こんなのに乗って喜ぶ人間なんて、さくら姉位しかいないだろうな。柚季が乗ったら……心臓止まるだろうなあ)
それから程なくして感じた浮遊感。エレベーターが指定された階に止まる寸前に感じるあれのようなものだ。どうやら今この呑み車は宙に浮いているらしい。
「何なんだよこの車! ものすごく気持ち悪いんだけれど!」
「私もあまり好きじゃないなあ」
「じゃあ何でこんなのに!」
「そんなの決まっているじゃないか」
そう、決まっている。紗久羅の慌てふためくさまを見る為だ。答えを知っていながら思わず聞いてしまった自分の愚かさをただ恥じる紗久羅だった。
呑み車は殆ど揺れなかったから、酔うことは無かった。その安定感は出雲が何度か乗せてくれた空飛ぶ牛車(但し牛はいない)や、火車と呼ばれるものより優れているように思えた。また、落ちる心配も無い。
何故か車内から外の景色を見ることが出来た。一方で出雲曰くこちらの様子は外から見えないようになっているらしい。マジックミラーのようなものだろうか。
この世界にあるものに理屈や原理などは存在しない。見えるから見える、見えないから見えない。
空から見る景色は圧巻であった。人の世の様にごちゃごちゃしたものは無い。
自然も豊富で。建物の茶や黒と水の青、木の緑の調和が美しい。心がすっきり洗われる爽快にして美麗、単純にして至高の風景。
(でも……時々聞こえるぐちゃぐちゃっていう謎の音が全部台無しにしやがる。後、真下の景色まで見えるのは……落ちないと分かっていても、ちょっと、怖い)
それは出雲も同じのようで、彼は決して視線を下に向けなかった。また(恐らく)少しでも体を車内と接触させないようにする為、座りはせず、中央近くに立ったまま動かない。
「お前……今、幾らあたしをびびらせる為とはいえこの車に乗ってしまったことを後悔しているんじゃ?」
「していないよ」
「いいや、しているね」
「君に悟られる位単純な構造にはなっていないよ、私の心は。君とは違うんだよ、私は」
人をこんな気持ち悪い車に乗せておいて、偉そうな口を叩きおって。紗久羅の腹の中がぐつぐつ音を立てて、煮える。
「まあ、楽しみたまえ。貴重な経験は人間を大きくするよ」
「偉そうな口を!」
紗久羅は出雲に突進し彼の体を呑み車の肉に接触させてやろうとする。しかしこういう時に限って抜群の安定感を誇っていた車が揺れ。体勢を崩した紗久羅はそのまま出雲の胸に飛び込んだ。
悲しくなる位冷たい体。生を抱いていることに疑問を覚える体温。
「おやおや、君から甘えてくるなんて珍しいねえ。私はとても嬉しいよ」
紗久羅の暖かな体を抱きとめた出雲は、また笑う。その笑みにも矢張り温もりは無かった。だが彼は彼女の体を離さない。頭を、彼の手が、撫でる。その行為に優しさは込められていない。しかし冷たくも無い。
何の気持ちも込められていないその手を気味悪く思った。同時に紗久羅の胸は酷く高鳴り、熱を帯び。その熱は体中を駆け巡った。
「は、離せこのエロ狐!」
手をばねにして、出雲の体を突き放す。突き飛ばされることとなった出雲だったが、怒っている様子は無い。ただ、冷たい笑みを浮かべている。
「ああ、残念。もう少し抱きしめていたかったのになあ」
「冗談は休み休みいえ!」
「少し休んだら言ってもいいのかな」
「何でそうなるんだ! 全く。お前に触れられた部分が冷たくなっちまった。ああ、寒い寒い」
「それなら寝転がればいい。呑み車の温もりがきっと君を暖めてくれるだろう」
「嫌だ!」
と言いつつ、紗久羅は車内に寄りかかり、三角座り。確かに暖かくはなった。
しかしその肉の生暖かさは矢張り気持ちの悪いものであった。
「……もうすぐ古花堂につくよ」
「え」
言われ、出雲が呑み車にそんな名前を告げていたことを思い出す。
「うんぬばあ」
再びあがる、奇声。それと共に、呑み車は急降下を始めた。
「うわあ、ちょっと、急降下にも程が……」
「本当、この車乱暴なんだよねえ……」
乱暴にも程がある、と紗久羅は心の中で悪態をつく。絶叫マシンも真っ青な勢いである。それでも体はそこまで動かないから、不思議であった。
沢山こいだブランコから飛び降りた時のような衝撃が、かかる。同時にさす光。呑み車がその口を開けたのだ。
「こ、この車……需要、あるの……?」
「慣れればそんなに気にならないらしいよ……だから何だかんだいってそれなりに利用している者もいるようだ……」
「慣れれば、ね……」
恐らく二度と乗ることも無いだろうと紗久羅は思った。まず出雲が乗ろうと言い出さないだろうから。
紗久羅と出雲が出たのを確認すると、呑み車は声をあげ、宙に浮き、そのまま飛んであっという間に見えなくなった。代金を支払わなくていいのかと聞くと、出雲はあれはタダなんだという答えが返っていく。何でも彼は何かを体内に入れて飛ぶのが大好きらしい。
「それさえ出来れば満足らしくてね。趣味でやっているんだよ、これを」
「奇特な奴……」
姿形もそれなりだが、中身もそれなりにあれらしい。
二人が降り立った先。そこは翡翠京と比べると、随分殺風景であった。
ざわ、ささ、ざざ、さわ……。心地良い音色が紗久羅の耳を包み込む。
見れば目の前には竹林が広がっており、二人を歓迎していた。
その竹林を背にして建っている建物が、一軒。
「あれが、古花堂さ」