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桜町幻想奇譚  作者: 里芽
七つの我が子をお迎えに
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第二十夜:七つの我が子をお迎えに(1)

 今度こそは手離すまい。

 腕を、胸を、頬を伝う温もりを今度こそ守りきってみせる。


 強く、強く、抱いた。愛しい我が子、この子以上の宝などありはしない。

 もうすぐ『あの方』が私の前に現われるだろう。そして、大きな手を伸ばし、この子を私から奪おうとするだろう。


 嫌だ、嫌だ、嫌だ。

 今度こそ、守ってみせる。私の愛しい子を。


 例え奪われても。私は必ず見つけ出そう。そして取り返すのだ。

 何度でも、何度でも。


『七つの我が子をお迎えに』


 お化粧をした顔、赤い着物姿の女の子、袴姿の男の子、絵本に出てくるお姫様のような格好をした女の子。普段はあまり見かけない格好をした小さなお姫様と王子様達の姿が、何となく舞花市を散策していたさくらの目に幾度と無く映った。

 それを見るまでさくらは、今日が七五三であることをすっかり忘れていた。

 自分とはすっかり無縁になってしまったその行事のことは、いつもニュースを見たり、こうしてめかしこんだ子供達の姿を見かけたりしてようやく思い出す。私もとても可愛らしい赤い着物を着て、頭に花の飾りをつけ、口紅やらなにやらつけ、草履を履いたっけと十年前の自分の姿を記憶の箪笥から引っ張りだして、くすりと笑う。


(そういえば、あの時は一夜……井上家と一緒に写真館へ行ったり、この街にある千勢(ちせ)大社へお参りに行ったりしたっけ。私がいつもと全然違う姿をしていたものだから、一夜ったら『お前が可愛いわけない、お前は偽物だ!』とか嫌味なことを言って。その後おばあ様にはたかれたのよね。照れているからって何てこというんだこの馬鹿孫はって)

 道中見かけた子供達も、恐らく千勢大社へ行くのだろう。この辺りでは七五三イコール千勢大社なのだ。


(千勢大社に奉られているのは、子供をあらゆる災厄から守ってくれるという、子供の味方……な神様なのよね。毎年、子供が主役の行事を色々やっていて……七五三の時は沢山の人が訪れる。遠方から遥々やって来る人もいるみたいだし)

 小さい頃は知らなかったが、どうも千勢大社というのは結構有名な場所であったらしい。全国区のニュース番組で、ここで催された行事の話題が出てきたり、旅番組で出てきたり、とTVでその名前と姿を見かけることもしばしば。


(……桜山神社は……七五三の時も、静かよね。あそこへお参りに行く人ってあまりいないみたいなのよね。確か桜村奇譚集に、七五三の時桜山神社へお参りにいくものではない、とかいう教訓めいた話が載っていたっけ。お参りしてみろ、あそこに奉られている巫女様のように美しくなる代わりに、とてつもなく短気で乱暴な子供になってしまうぞ、とか……。後、一緒に奉っている化け狐――出雲さんは子供が特に嫌いだったから、訪れた子供を祝い、守るどころか呪い、傷つけるに違いないって)

 それゆえ、昔から七五三の時は桜山神社へは行かず、巫女・桜の血族である巫女や術師のいる社で、子供の成長を感謝し、これからも健やかに成長して欲しいとお願いするのだという。今その社は無い。なので、桜町の人の殆どは七五三の時、この街にある千勢大社を訪れるのだ。


「そうだ。久しぶりに千勢大社へ行ってみましょう」

 名案だという風に、目を輝かせ、手をぽんと叩く。その意見に反対するものは誰もいない。一人なのだから、当然である。

 大社までは結構な距離がある。歩きだと少し大変だからと大通りまで出たところでバスに乗った。乗客の中にも、着飾った子供達とその親の姿が認められた。

 はしゃいでいる子、眠そうな子、着付けとお化粧で相当参っているのかぐったりしている子。色々な子がいた。


(一夜はこんなもの脱ぐ、何か気持ち悪いとか何とかいって……うんざりした様子だったわよね。私はお化粧した顔がなんだかむずむずして、おまけに化粧品の匂いに参って……ちょっとだけ機嫌が悪かったのよね)


 バスに乗って五分位が経った。とあるバス停で止まり、新たな客がステップを踏んで上ってくる。服装から察するに、皆行き先は千勢大社であるようだった。

 さくらは真横にある通路を通っていく今日の主役達。皆とても輝いていた。

 それを見ると何だかこちらまで幸せな気持ちになり、自然と笑みがこぼれる。

 しかし……。

 最後に乗った(恐らく)親子三人組だけは様子が違った。


 三人共、非常にぐったりしていて、まるで死人のようだったのだ。小さなお姫様(恐らく七歳)の表情は暗く、目はどんより曇っている。化粧でも隠せない位悪い顔色。何かを我慢しているかのように噛み締めている口紅をつけた唇。俯いているせいか、その色は酸素に触れた血のように見えた。着ている鮮やかな赤い着物がとても不吉なものに見える位、女の子の様子はおかしくて。


 そんな彼女の前を進んでいる父親らしき人、後ろで彼女の体を支えている母親らしき人の表情も、暗い。娘同様俯きがちになっている顔の色はどちらも青白い。明らかに力の入っていない体はどこか宙を浮いているようで。魂、こちらにあらずといった風だ。

 通路を挟んだ向い側に座っている乗客も、彼らの姿を見てぎょっとしていた。

 さくらも自分の顔の筋肉がぴきっと凍りつき、硬くなったのを感じた。


(まるで亡霊……)

 見知らぬ人に対して、そんな思いを抱くなんて失礼だとは思う。しかしそう思わずにはいられない。それ位のものだったのだ、彼らの様子は。

 

(着付けとお化粧が嫌で機嫌を損ねた……という感じではないわね。最近何か辛い出来事でもあったのか……けれど、あの様子は相当なもの。長い間、何かに苦しめ続けられている感じだわ。体も心もぼろぼろ……そんな気がする)

 車内にあった暖かい空気、眩い光が消えていく。代わりに現れたのは胸を押し潰す冷たく重々しい空気と、鈍色の光。

 

 さくらは何だか気になってしまい、最後尾にある席に座った三人の様子を時々そうっと見てみた。

 母親がびくりと肩を震わせ、右、左に首を振り辺りを見回す。それからはあ、と深いため息をつき。それを幾度となく繰り返した。その度子供は母の方を向き、彼女の腕にしがみつくのだった。何か話しかけているようだったが、小さな声だった為何を言っているのかは分からない。


 三人共、何かに怯えているようだった。さくら達他の乗客が感じない何かを、彼らは感じ取っている……そんな気がした。

 三人の不安定な精神は、周りの子供達にも伝染していったようで、先程まで笑い声をあげていた子がぐずり始め、母親に色々話しかけていた子供はすっかり黙ってしまい。バスの窓を開ける音があちこちから聞こえた。きっとこの歪で澱んだ空気を出そうと思ったのだろう。そんなことが出来るはずは無いのは皆重々承知だっただろうが。


 写真館が間近にあるバス停で、その三人と一部の乗客が降りていった。これから写真を撮るのだろう。彼らが姿を消し、ほっと息をついた人が何人もいた。


 澱んでいた空気も、心の平静を取り戻した子供達の笑い声や話し声に包まれ消えていき。車内はあっという間に元通り。先程まであったことなどすっかり忘れてしまったようだ。あの異様な空気のこと、親子のことを心に残し続けている者はさくらだけ。彼女だけが先程のことをまだ気にしていた。


 一体あれは何だったんだろう、ちょっと心配だなと彼女がそんなことを考えている内に、バスは目的地である千勢大社を間近に見るバス停へ辿り着いた。

 ぞろぞろと降りていく乗客。とりあえず皆が降りるのを待とうと、立ち上がった状態でしばらく待つ。列が途切れたところで、最後尾へ。


(さて。大社についたらどうしようかしら。池にいる鯉や鴨でも見ていようかしら。お守りなんかを見るのもいいわね)

 そんなことを考えていたさくらの背を、突如恐ろしく冷たい何かが襲った。

 次いで、先程の歪で歪んだ空気を凝縮したようなものが胸を貫く。はっとして、後ろを振り返る。何かあるとすれば、それはあの親子のいた、一番の後ろの。


 ビンゴだった。女の子の座っていた真ん中の席の前に、何かが、立っていた。

 それは親指のような形の、さくらと殆ど変わらない背丈の、黒く、質量が殆ど無さそうな生き物であった。足は無かったが、細い腕と大きな手はある。その体を縁取っているのは青白い光。

 その生き物――というより化け物――は、女の子の座っていた席をその手で撫でているようだった。


「ドコ……ドコ……ドコ」

 低く、くぐもった声。その声がさくらを得体の知れぬ恐怖の沼へと叩き落す。

 生き物……であるようだったが、声からも体からも生命というものがまるで感じられない。しかしロボットを始めとした無機物にも思えない。

 無害な存在には到底思えなかった。どう見ても人に災いや混沌を運ぶ類のものであった。


 おぞましい、化け物。しかし彼(?)の姿が見えているのはさくらだけらしい。他の乗客の様子を見れば分かる。

 化け物が、振り向く。赤黒い目、あるいはただの空洞……が二つ。それが、こちらを、見ていた。しかしだからといって何かするわけでもなく。何事もなかったかのように辺りをきょろきょろ見回す。自分の存在に気づいている人間がいる――その事実は彼にとってはどうでも良いことのようだ。


 それから少しして、化け物は、あああ、おおうと嘆くような唸るような声をあげたかと思うと、跡形もなく消えてしまった。一瞬で、塵一つ残さず。


「あれは……」


「お客さん? 降りないんですか?」


「え? あ、ああ……」

 バスの運転手が、いつになっても降りる様子が無い彼女を怪訝な表情で見つめている。慌ててさくらは駆け、よろめきながらバスを降り。

 ごめんなさい、と頭を下げて謝罪する彼女に会釈してから運転手はバスを発車させた。


(一体、あれは何だったのかしら。さっきの親子と関係があるのかしら)

 気になりつつ、さくらは目的地――千勢大社を目指すのだった。

 胸に消えない不安と恐怖を抱えて。


 千勢大社は大通りに面している。バス停の近くにある横断歩道を渡れば、十五段程の石段と、石で作られた灰色の巨大鳥居がお出迎え。そこから伸びる道を真っ直ぐ進めば、本殿等がある場所へと行ける。

 大社をぐるりと囲む立派な木々が、風に揺られ、しゃらしゃら、さわさわ、歌い、笑い。彼らもきっと、めでたい日を迎えた子供達を祝福しているのだろう。


 一度切れる道。代わりにあるのは緩やかな曲線を描く幅の広い橋。下にあるのは池で、鯉や鴨が気持ち良さそうに泳いでいる。

 橋を渡り終え、再び現われる道。真っ直ぐ行けば本殿などがあるが、さくらはすぐにはそちらに行かず、左に曲がって、傍にあるロープと杭で出来たバリケードの向こう側にある池を眺める。


「鴨可愛い……鯉可愛い……」

 円らで、ちょっととぼけた感じの目をもつ鴨。目も可愛いが、くちばしの丸っこい感じもまた、可愛い。仕草も可愛い。兎に角もう、可愛い。人の目など気にすることなく、のんびり勝手気ままに泳ぎ、時に毛づくろいし。うとうとしているのか、置物の様に動かないものもいる。

 鯉はその色がとても、良い。赤、黒、白、銀。鮮やかで優雅。それでいてど派手でぎんぎらしているという風でもなく。どこか落ち着いていて。周りの景色に彩りを与えるが、激しい主張はしないから、よく馴染んでいる。

 近くにあるえさ売り場で鯉などにやるえさを買い、池に放る。ぱくぱくと愛らしい口を開け、えさをもぐもぐする鯉。可愛い。


「ああ、癒されるわ……ここは天国? きっと天国に違いないわ」

 激しい動き、変化を好む人にとっては何にも楽しくないものである。しかしさくらのように、ゆっくりとした動き、ほんの些細な変化を好ましいと思う人間にとっては、とても良い景色であった。後、小動物大好きな人とか。


「ここにアヒルも来れば、最強だわ。癒しの池だわ」

 癒しを強く求めるほどストレスを抱え込んでいるさくらではなかったが、それでも、癒されるものは大好きだった。癒しを拒絶する者などそうはいないだろう。


「そういえばここ、野良猫ちゃんや鳩もいるのよね。猫可愛いわよね、猫」

 誰かに話しかけているような口調だが、周りに話し相手はいない。つまり、独り言。


 しばしの間池を眺めてから、他の所も周ろうと思い立ち、鴨と鯉に手を振ってその場を離れた。

 本殿へと続く道を歩いている、鯉の衣にも負けぬ衣装を身につけている子供達がさくらの横を通り過ぎていく。そこそこ有名な七五三スポットな上に、今日は丁度土曜日。それゆえそれなりの人がここを訪れているようだった。


 巨大な門をくぐり抜けた先には社務所や客殿、手水舎(ちょうずや)などがある。


「ええと、手を水で洗って……」

 正しい作法で手を洗い、先程よりも大きな門をくぐろうと方向転換。


 途端。


「……あ!」

 門へ至る道の真ん中に、先程バスの中で見かけた化け物が立っていたのだ。

 猫背気味の化け物はきょろきょろと辺りを見回している。その脇を通る人達。

 彼の姿は矢張りさくらにしか見えていないようだ。


「ドコ……チガウ……アレ……アノコジャナイ」

 化け物の視線は、周りにいる子供達に向けられている。親や、さくらには目もくれていない。

 それからのたのたふらふらと前へ数歩。一体何を探しているのだろう。飲み込んだ唾の生暖かさが今はとても気持ち悪い。水で清めた手が汗ばむ。


 化け物は門近くまで行ったところで、消えた。何の前触れも無く。体に込めていた力がふっと抜け、さくらはほっと息をつく。

 立派な造りの門を潜り抜け、本殿を目指す。


 門を潜った先にあるのは舞殿。華やかな衣装に身を包んだ舞姫四人が神に舞を捧げるという神事を、一度見たことがあった。現を忘れてしまう位、清浄で、厳かで。誰にも穢し、侵すことの出来ない空間を作り上げたその舞のことは、今でもよく覚えている。

 本殿近くには巨大な神木。真下まで行くと思わず顔をあげ、首をあげて見てしまう。首が痛くなるほどあげても、その全貌をうかがうことは出来ない。


 その木に負けず劣らず立派で大きな本殿。その姿に抱くのは畏敬の念。この社の前ではどんな人間も赤子同然になる。人間だけではない、全ての生き物は等しくちっぽけな存在になるのだ。それ位のものがある。

 あちらこちらで記念撮影をしている親子連れを見かける。じっとするのが苦手らしい子供を必死に抑え、大人しくして頂戴と懇願するように、怒鳴るように叫ぶ親、写真を撮ろうとしたら急に機嫌が悪くなって泣き出す子、撮影が終った後自分が着物を着ていることも忘れて思いっきり駆け、ずっこける子……。

 今日、本殿では午前一回、午後一回の計二回ちょっとした儀式が執り行われる。午前の部は終了し、午後の部が約一時間後に行われるようだ。


 賽銭を投げ、神様にご挨拶。それからずらりと並んでいるお守り等を眺めたり、おみくじを引いたり。

 これからどうしようか、境内にあるお土産屋や記念館でも見て回ろうか。

 門をくぐり、本殿を後にした。

 

 沢山の鳩がぽっぽっぽと鳴きながら、歩いている。その鳩に囲まれて号泣している女の子がいた。折角おめかししたのに、台無しである。

 鳩集団を眺めるように建てられているのは記念館。何の記念に建てたものなのか、さくらは知らない。この大社を訪れたことは幾度かあるが、そこに足を踏み入れたことは無かったのだ。貴重なお宝が展示されていて、この街や大社の歴史を知ることが出来る所らしいのだが。一度位見てみようかと思う。

 

 記念館に足を踏み入れかけたさくらの目に、一際目立つ人だかりが飛び込む。

 それは出入り口へと至る門の間近に出来ている。人々に隠れるようにしてあるのはテントだ。どうやら何か売っているらしい。


(何を……ああ、そうか)

 合点がいき、ぽんと手を叩く。近寄って、テントの傍らにある看板を確認してみれば、自分が想像した通りの文字がそこに書かれているのだった。

 

「やっぱり……『つきもち』を売っているのね。この辺りじゃ、七五三といえばつきもちですものね。すごい人気だわ」

 自分も久しぶりに食べてみようかな、ついでに千歳飴でも買おうかしらとバッグの中をまさぐる。


「つきもちって何なの? 聞いたことがないんだけれど」

 この辺りの人で無いのか、もしくは最近この辺りに引っ越してきたのか。隣にいる知り合いらしき人に若い女性が問いかける。彼女の右手をぎゅうっと握りしめているのはスーツ姿の男の子。

 

「ああ、つきもちっていうのはこの辺り、ごく限られた地域――舞花市とか桜町、三つ葉市――で七五三の時に食べるものでね。木の実入りのあんこを包んだ一口サイズの餅なの。あんこを魂、もちを肉体に見立ててね、それを食べることで魂を体から逃がさないように定着させる……とか」


「子供の成長を祈って食べるってこと?」


「そういうこと。ここらじゃ千歳飴に負けず劣らず有名な七五三アイテムよ。この日、つきもちを作って食べる家もあるんですって」


「ふうん。色々あるのね。……折角だから買っていこうかな」


「買いなさい。私も買うわ。この大社で毎年売っているつきもちは、この街にある和菓子屋が作っているものなんだけれど、もうこれがべらぼうに美味いのよ。子供にあげるのを勿体無く感じるくらい」


「子供に食べさせる為のものでしょうが」

 女が苦笑する。あはは、と相手は笑い声をあげ。それから二人仲良く列の最後尾に並んだ。

 さくらも同じように並ぶ。ここのつきもちは美味しい、という意見に心の中で同意しつつ。


(『月下堂』お手製のつきもちですもの。美味しくないわけが無いわ)

 その店で売っている和菓子はどれも好きだった。優しく、美味しく。中には不思議な力を持っているとされている商品もある。さくらは以前この店で販売されている月まんじゅうというものを食べたお陰で、命拾いしたことがあった。

 列はみるみる内に消化されていき、割とすぐさくらが買う番となった。

 巫女さんがせっせとつきもちを売っている。いつ見ても巫女衣装って素敵だわ、とうっとり。が、一番端にいる人――さくらの目の前にいる女性だけは私服姿であった。


「冬美さん!」


「あら、さくらちゃん。こんにちは」

 彼女は大学卒業後、月下堂に就職した女性である。ちょっとたれた目が印象的。


「こんにちは。月下堂の方も販売のお手伝いをされているんですね」


「ええ。もうてんてこ舞い。月子さんもいらっしゃいますよ。今は休憩中ですから、どこか近くにいるんじゃないかしら……と噂をすれば影」

 冬美がさくらの真横を指差す。見ればいつの間にやら、そこには月子が立っていた。


「こんにちは、さくらちゃん。つきもち、買いに来てくれたの?」

 さくらは頷き、ここに来るまでの経緯を簡単に説明する。


「そうだったの。お買い上げ、ありがとうございます」

 茶目っ気たっぷりに言ってみせる彼女の姿は、とても三十過ぎには見えない。

 しかし若い娘には無い落ち着きもある。


「帰ったら早速お茶をお供に食べるつもりです」

 冬美からおつりを受け取ったさくらは彼女にありがとうございますと礼を言うと、売り場から離れる。それに月子もついていった。

 月子さんはすれ違う子供や親全員に笑みを向け、会釈する。子供達は照れくさそうに、或いはとても嬉しそうに挨拶を返す。中には恥ずかしがって親の陰に隠れてしまう子もいた。


「つきもちを食べて、皆にはすくすくと元気に育って欲しいわ」

 さくらもそうですね、と笑みを浮かべる。


「つきもちって、昔はあんこではなくて軽く味付けした菜っ葉を包んでいたんですよね」


「らしいわね。それを包んでいたのもおもちではなかったらしいわ。どうやら元はおやきのようなものだったみたい。それはそれで美味しそうよね」


「ええ。私野沢菜が入ったおやき、好きです。けれどあんこが入ったお団子も大好きです」


「私も大好きよ。……あまり好きだからつい沢山食べちゃって……このままじゃおでぶさんになってしまうわ」

 と言って、お腹のお肉をつまむ素振りを見せる。しかしつまむような肉はついていないようだった。うらやましい、と思いながら自分の腹をつまむ。多くは無いが、ちょこっとだけ余分についているお肉がむにっといった。ため息。

 

「ドコ、ドコ……チカク、イル?」


(またあの声!)

 だぶだぶした服の下にあるだろう肉のことを思い、少しだけ感傷的になっていたさくらの耳に届く、あの声。また誰かを探している様子だ。不快な声。それと同時に何かぼそぼそと呟く女の声が聞こえた気がした。それは近くから聞こえたが、誰が発したものかは分からなかった。化け物の声の方に神経を集中させていたからだ。

 辺りを見回すが、その姿はどこにも無い。どうやら現れて、すぐ消えていったようだ。ほっと息をつく。だがその安堵はとある声でかき消されることとなる。


「お母さん、またあの声が聞こえた! どこ、どこって!」

 はっと声のした方を見る。それはつきもちの販売所前に並んでいる列から聞こえた。

 元気そうな子供達に混じっている、化粧でもごまかせない位悪い顔色の女の子。今にも泣きそうな顔をして、母親らしき人の腕を掴んでいる。その人もまた、青い顔をしている。


 あのバスに乗っていた、親子であった。


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