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桜町幻想奇譚  作者: 里芽
鬼灯夜行
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鬼灯夜行(3)

 これが、あたしとあいつの「出会い」だ。

 出会いがそんなだったからなのか、あたしはすっかりあいつのことが苦手になってしまった。

 あいつは、毎日のように弁当屋にやってくる。こんなに毎日来ているのに、何で今まで一度も顔を合わせたことがなかったのか不思議だった。しかし、不思議に思う気持ちよりもあいつに対する恐怖心の方が格段に強かったので、あまり深くそれを考えることは無かった。


 あたしはあいつが来るたびに、二階にある自宅に逃げ込んで、押入れに隠れたり、毛布にくるまったりして、あいつが帰るのをひたすら待っていた。今思えば恥ずかしい、あんな奴にびくびくしていたなんて。


 あいつは、あたしがクソガキだった頃の行動の数々を話題にあげて、あたしをからかう。あたしは、後先を考えずに情けない行動にでていた幼い時のあたしを、心底うらめしいと思った。


 あたしの、あいつを苦手に思う感情はやがて「嫌い」という感情になり、そしてそれからほどなくして「大嫌い」となり、最終的には「この世で一番嫌い」という感情に進化していった。多分あいつのことを好きになることは、一生ないとおもう。

 あたしは、とにかくあの化け狐が大ッ嫌いだ。


 婆ちゃんや母さんは「化け狐だなんて、あまり失礼なことをいうな」とあたしに言うが、あたしはそれをやめるつもりはない。


 あたしは、あいつを人間だとは思っていない。あいつは妖怪だ、化け狐が人間に化けているのだ、そう思っている。

 この世に妖怪とか、幽霊とかが存在するなんてことは絶対にないと思っている。そう思っているはずなのに、あたしはどうしてもあいつが人間だということが信じられない。妖怪の存在を信じていないのに、あいつのことを人ではないと思っている。矛盾した考えだ。


 だって、考えてもみろよ。この世に生きている人間の中で、五十年たっても老いずに若いときの姿をそっくりそのまま保っている奴がいるか?七十歳なのに、外見は二十歳の時と全く同じなんて奴がいるか?答えは、ノーだ。


 あの化け狐、出雲と婆ちゃんが出会ったのは、あたしが生まれるずっとずっと前……まだかろうじてお姉さんと呼ばれていた婆ちゃんが弁当屋を開いてから約一ヵ月後のことだったらしい。もう、五十年も前の話だ。

 店を訪ねてきた出雲は、店に売っていたいなり寿司を買って食べた。出雲は、婆ちゃんのつくったいなり寿司がえらく気に入ったらしく、それからというもの毎日のように店を訪れて、いなり寿司を買うようになったらしい。


 婆ちゃんと初めてであった時の出雲の姿は、今と全く変わらない姿だったという。艶のある黒く長い髪、肌が白いことで有名な白雪姫もハンカチを噛んで負けたー! くやしー! と叫んでしまいそうなくらい、生気を感じさせないほど白く綺麗な肌。切れ長の瞳、血をたくさん含んだ艶やかな唇。仄かに花の匂いのする着物。

 婆ちゃんは、弁当屋を開いてからちょうど一年を迎えた日に、常連客と一緒に記念写真を撮った。

 その写真の中には、あの馬鹿狐も映っていた。まあ、この写真が撮られた時にはすでにあいつは常連客になっていたのだから、当然といえば当然だが。


 写真に写るあいつの姿は、今のあいつと全く同じだった。今より若いわけでもなく、老いているわけでもなく。白い肌、黒い髪、切れ長の瞳、赤い唇。この写真を撮った頃からもう約五十年近くたっているのに、あいつの姿は少しも変わっていない。静かに微笑むあいつの顔は、あたしがほぼ毎日嫌々見ているあいつの顔と全く同じだった。


 ありえない、こんなの、ありえない。人間も、他の動物も、植物も、生きているものは須らく年老いていく。張りのあった肌は、カサカサの紙やすりのような肌になり、動きは鈍くなり、耳は若い時にはしっかりと聞こえていた音をとらえなくなっていく。どれだけ頑張っても、生き物は少しずつ老いて死んでいく運命から逃れることはできない。


 それじゃあ、あいつはなんなんだ。五十年たっても老いることなく、若い身体のままで居続けている、あいつは、人間なのか? この世の生物なのか? 答えはノーだと思う。あいつは人間じゃない、この世のものじゃない。あいつが人間だというのなら、宇宙人だって人間になっちまう。

 大体、あいつのあの姿はなんだよ。綺麗すぎるだろう、あいつ。眉も目も、鼻も口もどれもこれも、あまりにもきちっと整っているものだから、逆に気味が悪い。やっぱり、何事もほどほどが一番いいんだなってことがよくわかる。整いすぎている顔というものは、それはそれは恐ろしいものだ。機械みたい、人工的、生気がない……この世の生物ではない。そんなこと口に出したら、婆ちゃんに殴られるだろうな。殴られるだけですめばいいけど、婆ちゃん怒ると怖いからなあ。このあたしが怖いっていうんだから、間違いない……ってそんなことは関係ないか。


 あいつの姿はとにかく目立つ。この世界に住んでいるどんな人間、動物とも違う雰囲気をもつあいつの姿は、ひと目見たら一生頭から離れないはずだ。地味なものは記憶からあっという間に消え、強烈なものはずっと記憶に残る。どんなに記憶力の悪い奴だって、一度見たらあいつの姿を忘れることはないだろう。あたしは十六歳になった今でも、六歳の時に見た、薄桃色の桜の花びらでその身を飾るあいつの美しく妖艶な姿を忘れることは出来ない。

 ところが、だ。あいつは目立つから、一回見たら皆忘れることはできないだろう、という予想は大きく外れていたことを、あたしは少しずつ思い知らされることになる。


 あたしは、十歳の時まで出雲と初めて会ったのは、六歳の花見の時だと思っていた。あの花見以前にあいつと会った記憶は全くといっていいほどなかったからだ。でも、実際はそうではなかったらしい。あたしは、あいつとはもうずっと前に会っているらしいのだ。しかも一度や二度ではない。赤ん坊の頃から、ほぼ毎日のようにあいつと顔を合わせていたというのだ。顔を合わせただけではない。あいつと会話をしたことも、数え切れないほどあるという。

 だけど、あたしはあいつと話したことを覚えていなかった。あの花見よりも前にあいつと会った記憶などこれっぽっちもなかった。

「あたしは、あいつと会った覚えなんてないよ」と婆ちゃんに言ったら、婆ちゃんはけらけらと笑って言った。


「一部の人間以外はそうさね。出雲と会って、出雲と話をした奴は、あいつの姿が自分の視界から消えた瞬間、あいつのことを忘れちまうのさ。皆、誰かと話したことはなんとなく覚えているようだが、あいつの顔や声や話した内容なんかは全部忘れちまうようだ」

 婆ちゃんは、そのあと「あたしは、そうならなかったけどね」と付け加えた。


「あんたもそうだったよ、紗久羅。あんたは、はいはいを始める前から、出雲と会っていたんだよ。あの花見の前までに一体何百回あいつと会っていたことか。何回も会って、何回も会話をしたよ。全くおかしかったよ。あいつと会うたび、あんたは『お兄ちゃん誰?』って聞くんだよ。そのたびにあいつは『私の名前は出雲だよ、よろしくね』って優しく言ってね」

 ……覚えていない。あいつとあの花見以前に弁当屋で会ったことなんて、ちっとも覚えていない。あたしのお世辞にもあまり大きくはない脳みそに、そんな記憶はインプットされていない。ああ、そういえばあいつとあの花見の日に会ったとき、お兄ちゃん誰と聞いたら、また忘れたのかとかなんとか言っていたっけ。今になってようやくその言葉の意味がわかった。


 あいつは、霞のような存在さね、と婆ちゃんは笑いながらそういった。

 まだ十歳だったあたしは、霞のようといわれてもイマイチぴんとこなかったけれど、なんだかもやもやした、はっきりしない存在だといいたいのかなとは思った。


 気づいたら目の前にいて、いつの間にか姿を消してしまう。それと同時に記憶からも消えてしまう。目の前にいても、気づかないことも多いという。毎日のように商店街へ来ているのに、商店街を毎日のように利用している人間のほとんどが、あいつの姿をみたことがないというのだ。見たのを忘れたのか、そもそも見えてないのか、そこらへんはちょっとわからないけれど。


 まるで、幽霊のようなやつだ。あたしは、人ごみの中に誰にも気づかれずにぼうっと立っている出雲の姿を想像した。誰にも気づかれずにいる出雲は、あたしの脳内でにやりと笑っていた。あたしは、そんなあいつの姿を想像した途端、寒気がして、ぶるっと震えた。


 あたしがあいつのことを化け物……化け狐だと思っている理由は他にもある。稲荷寿司ときつねうどんが好きだっていうのもまあ、理由のひとつなんだけど、これはどうでもいい。


 あたしの住んでいる町、桜町には妖怪とかお化けといった類の奴らがたくさんいたという。そういった奴らがでてくる話が、この町にはわんさかあるらしい。まあ、妖怪とかがでてくる昔話とか、言い伝えとかは全国どの町にも一個や二個、多いところならもっとあるとは思うんだけどさ。この町には、そういった類の言い伝えが千個ほどもあるらしい。千個って、桁数間違えてんじゃねえのって感じだよな。まあ、もっと多い言い伝えがあるところももしかしたらあるのかもしれないけれど、あたしは残念ながらそういうことには詳しくないから、なんともいえない。でも、決して少ない量ではないと思う。


 その言い伝えの内容は、全国どこにでもあるような、ありきたりなものから、あまりこの町以外では聞かないような話も多くあるらしい。

 まあ、量は多いけれどその話全部を知っている奴はそうはいない。大体あたしたちの祖母ちゃん爺ちゃん世代だと、多くて数十個。親世代だと十個前後。あたしら世代にいたっては五個知っていればわあすごいね沢山知っているねと言われるだろう。あたしたちよりも年下のがき共は桜山神社に関する言い伝えを知っていればいいほうだった。


 桜町、またはお隣の三つ葉市に伝わっている約千個の言い伝えを、百個以上知っている変わった奴といえば、町のはずれにある喫茶店をやっている爺ちゃんと、その爺ちゃんの孫ぐらいのものだと思う。

 一応、数十年前にとあるおっさんが(名前は忘れたけど)、文献を集めたり、爺さん婆さんから話を聞いたりして、その千個もの言い伝えを一冊の本にまとめたものがあるのだけれど、難しくて読む気にもならない。


 そんな、一部の物好き以外は読まないような言い伝え集に、たびたび登場する妖怪が一匹いるらしい。 その妖怪は化け狐で、そいつの名前は桜町に住んでいる多くの人が知っているものだった。


 桜町では有名なその化け狐の名前は、出雲という。


 そう、あたしが嫌うあいつと同じ名前なのだ。

 化け狐、出雲についての話は婆ちゃんからよく聞いていた。婆ちゃん曰く、その出雲という化け狐は、桜町(昔は桜村)の北西にある桜山に住んでいたという。出雲は、山や村に現れては、作物を奪ったり、畑を荒らしたり、人を殺してその肝を食ったり、娘の結婚を破談させたり、子供を落とし穴に落として怪我をさせたりと、悪戯程度のことから悪戯ではすまされないレベルのおっかないことまで、まあ実に様々な悪事を働いていたらしい。たまに良いことをすることもあったらしいけれど、そんなことをするのは稀であったとか。

 

 そんなあいつに関する言い伝えの中で、1番有名なのは、まあ桜町にいる人間なら名前だけは聞いたことがあるはずのもので、その名を「桜山伝説」という。


 昔、この町……昔は桜村だったが――に、桜という名前の巫女がいたらしい。その巫女は、そりゃあもう強い力をもっていたらしい。今でいう霊能力者というべきだろうか。未来に起こることを予知したり、雨を降らせたり、村を襲う恐ろしい化け物を弓矢で退治したりしていたらしい。

 おまけに、綺麗な黒髪に白い肌の、そりゃあもう綺麗な巫女さんだったとか。

 だけど、性格はその外見とは大違いで、随分と男勝りで強気なものだったらしい。どんな女よりも女らしい外見と、どんな男よりも男らしい心を持った巫女、それが桜だった。漢字は違うけれど、名前は一緒だ。生憎、あたしは美人じゃないけれど、性格に関してはその巫女さんとそっくりのようだ。


 そんな彼女を、出雲は狙っていたらしい。出雲は、山に入る人や野生の動物などを殺して、そいつらの肝を喰うことで力を蓄えていた。外見は綺麗だったらしいけど、性格は凶悪、残虐、ついでに気まぐれ。 外見と中身のギャップの大きさは、桜に勝るとも劣らないだろう。


 出雲は、桜の肝を喰うことで彼女の強大な力を得ようとしていたらしい。人の内臓を食っただけで強くなるものなのかよくわからなかった。うえ、狐が人の腹をむしゃむしゃ食っている場面を想像したら気持ち悪くなってきた。


 まあ、それはいいとして。


 出雲は、ある日桜村を襲いにやってきて、なんの罪もない村人たちを傷つけたり、殺したりし始めた。 村人達も矢を放ったり、石をなげつけたりして抵抗はしたらしいけれど、相手は化け狐。結局傷一つつけることはできなかったという。

 そんな時に現れたのが、桜だった。桜は出雲に一人立ち向かった。


 出雲と桜は、三日三晩戦い続けた。桜は、出雲を追い詰めたが、どんなに強い力を持っていても、所詮は人間の娘。三日三晩休まず戦い続けて無事なはずもなく、結局最後には力尽きて死んでしまったようだ、可哀想に。


 出雲は倒れた桜の肝を喰らうと、山へと駆けていった。体の中から湧き上がってくる力に興奮しながら。

 ところが、しばらくして出雲は、体中が燃えるように熱くなるのを感じ、苦しみだした。どうやら、出雲に食われた巫女の魂が、出雲の体を焼き始めたらしい。死んでなお、彼女は出雲を倒そうとしたようだ。

 出雲はその場でもがき、苦しんだが、結局巫女の魂に心の臓を焼かれて死んでしまった。

 村人は桜山の中で死んでいる出雲を見つけた。


 そして、命を引き換えにして出雲を倒した巫女を奉り、ついでに巫女を喰らった出雲も奉ることにした。殺されたことを逆恨みして、村を祟りかねないと思ったからだ。

 その出雲が倒れていた場所に、小さな神社を建てた。その神社は、桜山神社と呼ばれていて、今も桜山にある。


 まあ、そういう伝説だ。

 物語の上では、出雲という化け狐は死んだことになっている。

 でも、もしその化け狐が実在していて、それでもってそいつが実は死んでいなくて、今も生きているとしたら……。

 きっと、あの馬鹿出雲のようなやつだと思う。


 馬鹿馬鹿しい、そんなことであいつを化け狐と決めつけるなんて。でも、容姿が何十年経っても変わらない、強烈な容姿なのにすぐ存在を忘れ去られる、そもそもその姿を認識されないようなやつが、人間だとは思わない。

 この世にお化けとか妖怪がいるなんて、信じたくはないけれど、あの馬鹿出雲のように、常識では考えられないような存在がいることも確かだ。


 あたしは、ため息をつくと、カバンを乱暴に閉めた。


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