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桜町幻想奇譚  作者: 里芽
祭りの始まり
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祭りの始まり(7)

「ははは、面白い人達だ。けれど逃がしはしないよ」

 柚季を先頭にして、わーとかうおーとかそんな叫び声をあげながら兎に角三人は前進する。

 その三人を迎え撃つ、黒いつる。


「邪魔、気持ち悪い、私に近づかないで!」

 異質なものを拒絶する言葉を大声で吐きながら、柚季は右へ左へ、素早く手を動かし、迫り来るつるを切っていく。

 柚季がしとめ損ねたものを紗久羅が帽子を使って払った。帽子に宿っている出雲の力は衰えることを知らないようだ。だが。紗久羅の気力、体力は確実にそがれている。それは柚季にも言えることであったが。


 つるの数は非常に多い。それはどう考えても二人だけの力では防ぎきれない程の数であった。しかし三人は捕まらなかった。もしかしたら誰かが私達のことを助けてくれているのだろうか、陰ながら、とさくらは思った。そうでなければ、おかしかった。


「舞台はすぐそこなのに、なかなか近づけない!」


「ったく、あの馬鹿狐、肝心な時に消えやがって! 何が頑張れだよ、何が! あたし達の力でどうにか出来るもんじゃねえぞ、これ!」

 どこかへ行ってしまった出雲を責めるその声に、ハリは殆ど無かった。


「あはは、これは愉快愉快!」


「全然愉快じゃないわよ、この化け物!」

 奮闘する三人(というか二人)の姿を見て大爆笑している妖を、柚季は睨みつけ、腕を振る。先程まで笑っていた妖の悲鳴があがる。どうやら彼めがけて妖を祓う霊的な力を放ったようだ。ちょっかい出すからそういうことになるのだと、隣にいた別の妖が言うのをさくらは聞いた。


 柚季は完全につるから目を離していた。紗久羅がそれに気がつき、叫ぶ。

 だがもう遅かった。つるはもう眼前までせまっており、紗久羅が前に出て帽子を振り回す暇も、柚季が力を込めた腕を振り上げる暇も無かった。

 万事休す、と三人は目を瞑り、体を小さくする。直、おぞましいものに捕らえられ、席まで戻ることになるだろう。


 しかし、いつになってもつるは来なかった。一体何が起きたのか、と三人はおそるおそる目を開ける。

 さくらの目に映ったのは紗久羅、柚季、そして、着物姿の女、赤。

 真っ赤な赤い円――恐らく開かれた和傘――がつるを弾いたのだろう。


 その和傘を使ってさくら達を助けたらしい女が振り返る。見知らぬ女だった。

 

「全く。傍観していようかと思っていたけれど、つい助けてしまったじゃないか」

 和傘を舞台に向けたまま、女が口を開く。瞳は蛇のそれに近く、手首から先には緑色の鱗がついている。声は、見た目からは想像も出来ない位高く、子供のようであった。


「あんたがあたし達を助けてくれたのか?」


「どこからどう見ても、あんた達を助けたのはあたしだろうに。分かりきったことを聞くんじゃないよ。……勘違いするなよ。あたしは別にあんた達の味方って訳じゃないからね。まあ、敵でも無いけれどさ」


「妖のくせに人間の味方をするの? 変わった妖だね」

 仮面北条が少し驚いた風に言った。女は傘ごしに彼を睨みつける。


「味方じゃないとついさっき言ったはずだけれど? あたしはね、人間がどうなろうと知ったことじゃないんだ」

 言いながら、じりじりと女は前進し、舞台へ向かっていく。三人もその後に続いた。仮面北条はつるを出すのをやめたらしい。先程まで浮かんでいた黒い球体が消えている。


「それじゃあ何故助けたの?」

 問いを受け、傘を一旦下ろした女は仮面北条から視線を逸らし、はあ、とため息をつく。


「姫様に怒られるからさ。あの方は人間が好きでね。あたし達は何度も言っているんだ、あたし達一派には人間の味方にならず、敵にならず、人間を見守らず、襲わず……そういう風に生きる、という決まりがあるじゃないか、と。それなのにうちの姫様ときたら」

 余程不満が溜まっているらしい。だがその『姫様』を決して嫌っている、憎んでいる、という風では決してないことは、今しがた女と邂逅したばかりのさくらにも良く分かった。言葉から、彼女に対する愛情が滲み出ていたからだ。

 

「もしかして、その姫様っていうやつがこの学校に術をかけたのか?」


「ああ、そうだよ。正確にいうとかけたのは姫様じゃなくて、姫様に命じられた奴だ」


「その術が解けてしまったんですか?」

 今度は柚季が女に尋ねる。女は困ったような表情を浮かべながら、天井を見上げる。


「完全に解けた……という感じじゃないが、まあ、もう使い物にならないだろうね。余程のことが無い限り、術は解けないはずだったんだがねえ……ここを覆っているあの黒い塊の力があまりに強力で、歪すぎて……あたし等妖にとってはとても魅力的なんだけれど、人間には毒だね。あれが現れたことで、術は破れ、人と妖の間に無理矢理作った壁が消えちまった」

 出雲から術云々の話を聞いていないさくらには、三人の会話の内容があまり理解出来なかった。ただ、先程まで妖の姿が人間達には見えなかったことや、さくらの意識が幾度と無く遠のいた原因がどうやら女のいう『術』にあったことは何となく分かった。

 さくらは天井を見上げる。視界にそれが入った瞬間、気持ちが悪くなった。

 相変わらず黒い雪は降り続けており、館内にいる人間から容赦なく体温を奪っていく。


(気のせいかしら。さっき見た時より、闇が深くなっている気がする。禍々しい感じも酷くなっているような)

 不安でいっぱいな心が、そう見せているのか、それとも気のせいなどではないのか。


「一体あれは何なんだ、あれとあそこにいる仮面野郎の間にはどんな関係があるんだ」


「何なんだろうねえ、あれは。あたしにもよく分からないんだ。ただあそこにいる仮面男が、あそこで尻餅ついている子の思いとあれの力によって生まれたってことは確かだと思う」

 すでに舞台下まで辿り着いた四人は一斉に北条を見る。彼はその視線を一身に受け、困惑している。


「僕の思い? これは僕だって言うのか」

 その声は随分震えていた。当然だろう。誰だって、このような事態に直面したらそうなる。

 仮面北条の口からため息がもれた。


「だから僕は初めに言ったじゃないか。僕は君だと」


「そんな。僕はこんなこと」


「望んでいないって? はは、冗談言うなよ。君は確かに願ったじゃないか。ずっとここで劇をやっていたい、と」

 北条には心当たりがあったらしい。恐怖に震える瞳が大きく見開かれ、ああ、と小さく弱弱しい声のような、息のようなものを吐いた。

 仮面北条が再び両手を広げ、くるりと一回転する。無駄の一切無い滑らかで、かろやかな動きに思わずさくらは見惚れ。


「ここでずっと劇をやっていたいんだろう? 僕がその願い、叶えてやるよ」


「僕は……」


「何故躊躇う? 観客は沢山いる。君は思う存分ここで劇が出来る。誰にも邪魔はさせない。誓うよ。あそこにいる子達もすぐ席に戻してあげる」

 黒く染まった手を、仮面北条は自分を生み出した少年に差し伸べる。軽やかで、ゆっくりと開く花弁のようにしなやかで柔らかな動き。

 北条は座ったままの姿勢でじりじり退く。彼から逃れるように。


(彼がつけている仮面には、北条先輩の思いが染みついている。その染みついた思いと、天井を漂っているあの恐ろしいものの力が合わさり、もう一人の北条先輩を生み出した)

 それを思った時、さくらの脳裏に一つの物語が浮かんだ。


「桜村奇譚集……」


「え? 桜村奇譚集がどうかしたのか、さくら姉」

 後ろにいたさくらの声を聞いた紗久羅と柚季が一斉に振り返る。


「桜村奇譚集に、似たような話があったの。昔、小さな村がこの辺りにあった。そこに一組の夫婦が住んでいた。奥さんは、彼女に惚れない男などいないと言われる位美人さんだったの。二人は仲良く暮らしていたわ。ところが、奥さんの噂を聞いた、あるお城のお殿様の命令で……彼女はそのお殿様の所まで連れて行かれてしまった。そして、結局奥さんはそのままお殿様のお嫁さんになってしまったの。奥さんは嫌がったのだけれど……偉い人には逆らえず……」

 それを聞く三人の表情は微妙なものだ。話の流れをぶち切られた仮面北条は少し不満そうだったが、口を挟むことはしなかった。


「旦那さんはそれはそれは悲しんだわ。けれど奥さんはもう帰ってこない。二度と手の届かない所へ行ってしまった」


「ええと、それで?」

 紗久羅が一応続きを促す。


「旦那さんは祭りなどで使う面を作る人で……彼は、奥さんの顔を模した面を作ったの。そしてそれを奥さんだと思って、それはそれは大切にしたそうよ。何年もの時をその面と過ごし、彼女に対する想いを注ぎ込み続けた。面は旦那さんの、奥さんに対する想いを吸い続け……。ある日、仮面から顔、髪、胴、手足が生えたの。旦那さんは大層驚いたそうよ。奥さんの顔を模した面をつけたその姿は、彼の思い出の中にいる彼女のそれと全く同じだった。声も、癖も、喋り方も、奥さんと一緒。旦那さんの想いを面が具現化させたの。……旦那さんは大層喜び、その人と暮らすようになったそうよ」


「それで? めでたし、めでたしってわけかい?」

 仮面北条がやる気無さそうにぺちんぺちんと拍手する音が、体育館に情けなく響き渡る。

 さくらはその問いに対して、首を横に振った。


「いいえ。それからしばらくして、村を訪れた修験者に『その女は禍つ者だ』と言われて……結局その人に退治されてしまったらしいの。旦那さんは幸せだったのに。一度失ったものを再び手にすることが出来て、とても、喜んでいたのに。話はそこでお終い。旦那さんがその後どうしたかは分からない」


「人の思いが実体化したっていう点は確かに似ているな」


「あそこにいる少年の思いが、あれと反応して、歪んだ形で具現化しちまったんだね、きっと。ところで小娘。今この状況でその話をする必要はあったのかい?」


「いえ、ただ似ているなと思って話しただけです」

 他意は無い。記憶のタンスから取り出した物語は、自然と口まで下っていき、そしてそこから飛び出す。状況が切迫していようがいまいがおかまいなし。聞き手の事情も一切関係ない。

 紗久羅達のついたため息は憂鬱なメロディーとなり、それはへなへなと床へ落ちていく。


 話を聞き終えた仮面北条は肩をすくめた。だが一転、急に笑い出し、ぽんと手を叩き。


「そうだ、君がしてくれた話を元に劇をやってみよう! 女の役者もいるし、女の面だってあったし。全てアドリブで……ああ、きっと楽しいだろうなあ! ねえ、僕。勿論やるよね? 主役は君がやるといい。僕はお殿様か、最後に出てくる修験者でいいや。ね、ね、やるよね? 望んでおいて、やっぱりやりませんなんて言わないよね?」

 再び仮面北条は、北条に詰め寄っていく。北条は震え、もごもごと口の中で何か言っていたが、決意をかためたのかきっと仮面北条を睨み、立ち上がった。


「断る!」

 言って、自ら彼の方へ近づいていく。


「僕は確かに思った。ずっとここで劇をやっていたいと、充実した時間を終わらせたくないと。……先へ進みたくない、ここにずっといたいと。そう思った」


「ここに僕がいる。それが何よりの証だ。願いも思いも無ければ、僕は生まれなかった。僕はここにいる。けれど君は僕を、自分の思いを否定する。どうしてだい」

 歌うように、問うように。

 

「強く思い、願わずにはいられない位僕は演劇が好きだ。東雲高校演劇部が好きだ、この学校が好きだ、全部全部好きだ。楽しいことだけじゃない、辛いことや苦しいことだって沢山起きるけれど、それも全てひっくるめて、好きだ。だから、寂しくなった、泣きたくなった。もうこの学校で、皆と劇をやることは無い、二度と無いんだと思ったら……。この楽しい時間たちを置いて、前に進むなんて出来ない、そんなの嫌だって思った」

 仮面北条の話し方は演技くさく、用意された脚本通りの台詞を吐いているだけの印象が強い。一方の北条は自分の中から沸きあがってくる思いをそのまま言葉にしているようだ。時々詰まりながら、彼は話し続ける。


 身動きのとれない人達も、彼等をおもちゃにして楽しんでいた妖達も、さくら達も、皆舞台にいる二人をじっと見ていた。目を離したり、口を開いたりすることなど誰にも出来なかった。


「でも、それじゃ駄目なんだって……思った。前に進まないで、大切な時間の上で足踏みし続けるなんて」


「大切な時間をそうして踏み続けることは、それらを自分の足跡で汚す行為だ……そう言いたいの?」


「そうだ。汚す位だったら、前に進み続けてやる。たまに立ち止まって後ろを見ることはあるかもしれない。でも、進む。それに劇っていうのは嫌がる人に無理矢理見せるものじゃない。こんな汚くて、卑怯なことをして、皆を怖がらせて……そうしてまで見せるものなんて、僕は好きになれない。だからお願いだ、こんなことはやめてくれ! 君が僕だというのなら、僕の気持ち、分かるだろう!?」

 願うように、祈るように、彼は声を張り上げ目の前にいるもう一人の自分に訴えかけた。

 だが仮面北条の反応は芳しく(かんばしく)ない。怒っているとか、理解が出来ないとか、そういう風ではない。彼はとても困っているようだった。頭をかいた手を、あごにやり、考え込む。


「参ったな。君の思いは理解できるのだけれど。いや、本当参った。僕は君の『ここでずっと劇をやっていたい、この時間を終わらせたくない』という思いから生まれた。その思いこそが僕の全てで、それ以外のものは何ももっていない。僕はもう僕で、完全に独立した存在になっている。今更君が前言撤回したところで、僕の思いも存在意義も変わりはしないんだ」

 その言葉が、ここにいる全ての人間の心を打ちのめす。

 皆北条の説得により、仮面北条がこの悪夢を終わらせてくれると思っていたからだ。だがそう簡単にはいかないようだ。


「うん、やっぱり無理。皆を解放して、この時間に終止符を打つことなんて僕には出来ない。劇をやろう。永遠に。……君はやりたくないんだよね? いいよ、やらなくて。他の子達もね。君達にもお客さんになってもらおう。でも僕一人だけでやるっていうのも味気ないなあ。あ、そうだ。一緒にやってくれる人がいないなら、作っちゃえばいいんだ」

 先程までとはうってかわって、随分淡々とした喋り方。それが人々の恐怖心を否応無くあおり。

 仮面北条が指揮でもするかのように両手を動かす。すると、床から黒い粒子が集まって出来たような、埴輪に似た化け物が十体近く現れ、うう、とかああ、という不気味な声をあげた。


「なかなか上手く出来た。これで役者はそろった。ああ、君達はさっさと舞台から降りて。もう、いらないから」

 恐怖のあまり逃げるに逃げられなかった一部の部員と、北条に詰め寄っていく埴輪お化け。彼等を舞台から引きずりおろそうというのだろう。ただ引きずりおろすだけならよいが、恐らくそれだけでは無いだろう。他の人達同様、自由を奪われ、身動きが取れなくなってしまうに違いなかった。


「好き勝手なことして。気に食わないね!」

 女が手に持っていた傘を放り投げ、舞台へ駆け出した。


 二、三歩程前へ進んだところで、女の姿が、消えた。

 その代わりに現れたのは、日の光を浴びた竹の様な色をした鱗をもつ、大きな蛇。あれが彼女本来の姿なのだろう。


 蛇は尾の力を使い、飛び上がったかと思うと、両脇に設置されている階段を使わずに舞台の上へとあがった。そしてそのままの勢いで器用に体を動かしながら、毒々しい色をした牙を埴輪お化け共に向け、噛みつく。激しく、早く、まるで雷のような動きだ。埴輪お化けは悲鳴のようなものをあげて消えていく。


「早く、舞台から降りな! おいそこの小娘、誰でもいいからあたしの傘を拾っておくれ。それさえもっていれば多少の攻撃からは身を守ってくれるはずだ」

 その声は低く、太く。人間の姿の時とは全く違う、男のような声であった。

 部員達は、自分達を助けてくれた蛇の姿を見て恐怖し、棒立ちになる。もう一度、蛇が早くしろと叫ぶ。その声に尻を叩かれ、皆ふらふらよろよろとしながらもどうにか舞台から逃げるのだった。


 それを確認した蛇は、仮面北条の体に巻きついていく。あっという間に彼の姿は見えなくなった。

 いいぞ、やれ、やれ、という妖達の声がとてもうるさい。人間にとっての悪夢は、彼等にとって最高の娯楽、エンターテイメント。暢気なものだと紗久羅は呆れ、さくらは苦笑いし。柚季は……。


「全員祓ってやりたい……!」


「柚季、落ち着け。今はあいつらよりあの仮面北条ってやつのことを考えないと。あの蛇が今あの仮面野郎に攻撃しているけれど、あれだけで倒れるとは到底思えない。一番有効なのはやっぱり柚季の力だと思う。……後、この帽子かな」


「桜村奇譚集に載っていた話によれば、修験者は面に向かって魔を祓う力を放ったらしいわ。そして面は壊れ、同時に女の姿は消えた……って。多分あの人の弱点も仮面だと思う」


「仮面を集中して攻撃した方がいいってことか。……よし、こうなったら。柚季」


「どうしたの、紗久羅」

 問う柚季の耳元に紗久羅が口を近づけ、何か囁いている。それが終ると、今度はさくらの耳に声を吹き込んでいった。

 内容は、仮面北条に攻撃を仕掛ける手段について。あまり確実性は無かったが、出来なくもないかな、という風なものであった。


「……やってみようと思うんだ……さくら姉……って……」


「確かあそこともう一つ……あそこにもドアがあって、そこからも行けたはず。……行くなら、今の内だけれど。大丈夫なの?」

 さくらは心配だった。代われるものなら、代わってやりたいとも思った。だがドジでとろまな自分がやるより、紗久羅がやる方がずっといいとも思う。


「大丈夫だって。それじゃ、あたしは行くね」

 紗久羅は笑顔でそう言い、そこから離れる。蛇の体で視界を遮られている仮面北条は恐らく彼女が消えたことに気がついていないだろう。


(いっそこのまま蛇さんが彼を倒してくれればよいのだけれど)

 だが、それは叶わなかった。


 天井を覆いつくす黒い炎のような、もやのようなものから、黒い玉のような、矢のようなものが次々と出て来て、それがとんでも無い速さで舞台の上を襲ったのだ。それは蛇の体を容赦なく突き刺した。

 実体のあるものでは無いのか、蛇から血は出なかった。だがそのダメージは大きいらしい。蛇は呻き、そして叫ぶ。仮面北条を締めつける力が明らかに弱まっている。


「苦しいのは嫌いだ」

 仮面北条のくぐもった声と共に、蛇は弾き飛ばされ、舞台から落ち、床にべたんと叩きつけられた。近くの席に座っていた観客が悲鳴をあげる。

 再び自由を得た仮面北条は肩をぐりぐり回し、足を伸ばす。


「いやあ、窮屈だった。何も本気で締めつけることは無いじゃないか。ああ、また役者を作らないと」


「そうはさせないわよ、この化け物! こ、今度は私が相手になってやるんだから!」

 舞台下にいた柚季の宣戦布告。腰に手をあて、きっと彼を睨みながら、指をさし。


「君が? 僕女の子を傷つけるのは趣味じゃないんだけれど」


「あたしも女だったんだけれどね、一応……」

 すでに人の姿に戻っていた女が、恨めしそうに呻いた。


「私、本気だから。こんな化け物屋敷、もう一秒だっていたくない。貴方を倒せばここから出られるのでしょう?」


「さあ? それはどうかな。……気分次第じゃないの」


「気分も何も、貴方が倒れればそれで終わりでしょう! 貴方が閉じ込めたのだから!」


「勝手に決めつけるのって、良くないと思うよ」

 再び仮面北条の周りに黒い球体が生まれ、そこから柚季めがけて黒い矢が、放たれた。

 さくらは彼女を庇うように前へ出、拾った傘を広げる。


(すごい衝撃! 腕がしびれる……!)

 攻撃をまともに浴びている傘から伝わる衝撃に、さくらは呻いた。

 

「いつまでもつかな」

 余裕ぶる、仮面北条。彼は油断していた。……自分の背後に人が立っていることに全く気がついていない位。

 

「この体育館を包んでいる禍つものは、今僕の味方でいるらしい。あれが消えない限り、僕は攻撃を続けることが出来る。あれはきっと簡単には消えない。どう抗ったって、君達には勝ち目が無いと思う……ん?」

 北条の攻撃が、止まった。そして彼は突然後ろを振り返る。


 彼は肩を叩かれたのだ。人間(正確にいうと彼は人間では無いが)肩を叩かれると、反射的に叩いた人がいる方を見てしまう。

 彼以外は気がついていた、舞台後方にある深紅の幕から紗久羅が出てきたこと。そして彼女がそうっと歩き、彼の肩を叩いたことに。


 仮面北条の仮面と、紗久羅の笑顔がごっつんこ。

 そして。


「これでも食らえ!」

 紗久羅はその手に持つ帽子を、彼の仮面に思いっきり押しつけた。


 この攻撃は、蛇の巻きつき攻撃より遥かに効果があるようだった。彼は人間には決して出せないような、恐ろしい悲鳴をあげ、もがく。

 紗久羅の手を掴み、帽子を仮面から引き剥がそうと躍起になる。しかし紗久羅も負けてはいない。高一女子と、高三男子がまともに戦えば、普通は高三男子が勝つ。だが彼は本体である仮面を攻撃されているせいか、殆ど力を出せていないようだった。


 仮面に、ひびが入る。


「ええと、臼井先輩、その傘借ります!」

 もう仮面北条は柚季の方など見ていない。その間に彼女はさくらから傘を借り、階段を勢いよく駆け上がり、舞台へ行く。


(柚季ちゃんが囮になって、仮面さんの意識を正面に集中させる。紗久羅ちゃんは……体育館脇にある体育館倉庫へ行く。そこには舞台裏へ行けるドアがある。……そして紗久羅ちゃんは幕の後ろで息をひそめ、タイミングを見計らって、彼の肩を叩く。反射的に振り返った彼に仮面をあてて。……そして。今度は紗久羅ちゃんが囮になる。仮面さんは、もう、柚季ちゃんの動向なんて気にしなくなっている。気にする余裕も、無くなっている)


 傘に自分の力を集中させた柚季が、紗久羅の隣まで来る。紗久羅は帽子ごと仮面北条から離れた。

 彼は紗久羅と、紗久羅の持つ帽子から解放された。しかし今更解放されたところでもうどうにもならない。


「消えろ、化け物!」

 振り下ろされた傘。鮮やかな赤い線を描き、仮面へと、突き刺さる。


 眩い光が、さくらの目に映った。

 仮面北条を包む黒い炎がその勢いを増し、黒い柱となり、天井まで伸びていく。しかしその勢いは少しずつ弱くなっていく。同時に彼の姿も消えていった。

 黒い柱を光が白く染め上げていき、そして、その光と共に柱も、仮面北条も、完全に消滅したのだった。


 彼が消えたことを確認した柚季はその場にへたりと座り込む。緊張の糸がぷつりと切れたのだろう。紗久羅も同じように座り込んだ。

 観客達を縛っていた黒いつるは消え、妖達は「ああ面白かった」とか「もう終わりか、つまらん」などと勝手なことを言った。皆興が冷めたのか大人しくなる。


 人々は自由を取り戻した。だが誰も立ち上がり、出口へと向かおうとしない。

 向かう気力が残っていないのだろう。


「終わった。……これで出られる」


「柚季、ご苦労様。いや、本当上手くいって良かった」

 

 体育館は、しいんと静まり返っている。


(これで終わったのよね。……でも)

 さくらは天井を見上げる。そこにはあの黒く禍々しいものがまだ残っている。

 仮面北条が消えても、その量や禍々しさの具合に変化は無い。


(あれも、境界を飛び越えてあちらの世界から来たものなのかしら……)


(残念ながら。出してあげるわけにはいかないんだよね)

 柚季を始めとした人間達の期待をばっさり切るようなことを考えているのは、一人の男。彼は手を組み、悩んでいる。悩んでいるような素振りを見せている。


(あれをまともに浴びた人間がここから出ちゃったら……他のものも駄目になっちゃう。まだ皆この土地に馴染んでいないからなあ。かといってずっとここに閉じ込め続けるわけにもいかない。ていうか無理。あれは……これにも入りきらないだろうな。第一、全部吸い込んだからといって、状況が良い方向に向かうわけでもないし)

 男は腰につけている小さな壷を、撫でる。


(誰かものすごい浄化の力を持っているの、いないかなあ。あの女の子じゃ、到底無理そうだし。少なくとも、今は。いるわけないよねえ、そんな都合の良い……)

 その時、男の思考を止める音が、聞こえた。それは体育館にある扉の一つが開けられた音であった。

 その音を聞き、男はぎょっとする。


「嘘……そんなの、あり?」

 人々を外へ出さないようにする為、出入り口の戸を閉め、強力な錠をかけ、閉じ込めた張本人はただただ呆然とするのだった。


 体育館後方の戸が開く音。それはしんと静まりかえっていた館内によく響いた。全員の視線がそちらへ向けられる。

 そこにいたのは。天井から降る黒い雪よりもっと冷たい瞳をもつ、美しい男。

 

「あ、あの馬鹿狐!」

 紗久羅が叫ぶ。彼女がいる舞台から、男――出雲が立っている場所までは随分な距離があったが、それでも彼女にはすぐ分かった。彼女に限らず、さくらや柚季にも。

 出雲は手に持っている何かを構え。


(あれは……弓?)

 どうやら、さくらの考えは当たっていたようだ。


 天井めがけ、放たれたのは光の矢。どんな光より清浄で、眩しくて、美しい、、光。

 次々と放たれた矢は天井に到達すると、あの禍々しいものを光で包んだ。

 あまりに眩しいものだから、そこにいた誰もが目を瞑った。そうしていても、その光は目蓋を突き刺し、目を焼くのだった。


 さくらは、自分の体を冒していた禍々しく、冷たく、痛い黒い雪が消えてなくなるのを感じる。出雲の力によって浄化されたのだろう。


(本当、不思議。あの出雲さんが放ったものとはとても思えない位、暖かくて綺麗な光……)

 数百年前、出雲に喰われた巫女の魂。それが時を超え、伝説や言い伝えを介してでしか彼女に触れることが出来なかったさくらの体に今こうして実際に、触れている。

 そのことをたまらなく彼女は嬉しく思うのだった。


 さくらの肩を誰かが叩く。開いた目に飛び込む、出雲の冷たい笑み。


「さあ、とりあえずここを出よう。それから、術をかけなおす」


「術って」


「誰かさんがここにかけたものだ。殆ど使い物にならない状態だったけれど、なに、私の力をもってすればあっという間に元通りさ」

 さくら、そして今にも出雲に食ってかかっていきそうな紗久羅、柚季は一度体育館から出る。三人を助けてくれた女はここに残るそうだ。


 三人は体育館を出た後、人気の無い体育館裏へ向かった。


「おい、馬鹿狐!」

 出雲がある地点で立ち止まるやいなや、紗久羅が怒鳴る。彼女の隣にいる柚季は声こそ出していないが、表情には彼を恨む気持ちがはっきりと出ていた。


「てめえ、体育館でああいうことが起きるのが分かっていながら、外へ出やがったな!」


「そうだよ。それが、何か?」


「何か? じゃねえ! お陰でこっちは大変だったんだぞ!」


「帽子を残したじゃない。それに最終的にはどうにかなったんだろう? 何の問題もないじゃないか」


「そういう問題じゃねえ! てめえが最初からあそこにいれば、あんな騒ぎにはならなかったはずだ」

 もっともな意見だ。だが出雲に常識など通用しない。


「だってそれじゃあつまらないじゃないか。いや楽しかったよ。君達が慌てふためき、わあわあやりつつ、奮闘するさまを想像するのは」

 余程楽しかったのだろう。その時のことを思い返したのか、微かに頬が赤くなり、快楽に溺れているかのような表情を浮かべる。それは誰が見てもいやらしく、また異様にいらっとするものであった。


「他の誰がどうなろうと、関係ない。私が、この私だけが楽しめればそれでいいのさ。いやだなあ、紗久羅。乱暴な真似はよしなさい。ほら、そんな胸倉掴んじゃって、女の子なんだからもっとおしとやかに……」

 出雲の口の動きが止まる。紗久羅に腹を思いっきり殴られたからだ。


「駄目よ、紗久羅ちゃん。暴力はよく無いわ」


「じゃあ言葉攻めでもしろってか!」


「駄目よ、というか無理よ。紗久羅ちゃんが出雲さんを言葉攻めなんて。攻めるつもりが逆に攻められちゃう!」


「さくら姉……」

 紗久羅は泣きそうである。


「とりあえず離しておくれよ。私といちゃつきたい気持ちはよく分かるけれど。術をかけなおさないと」


「誰もお前みたいな馬鹿狐といちゃつきたいなんて思わないよ!」


「そんな、照れちゃって。……後で沢山可愛がってあげるから。一度、離しておくれ。私は君達の為に術をかけなおすのだから」


「あたし達の為?」

 しぶしぶ手を離した紗久羅が訝しげに出雲を見る。


「今は皆放心状態だけれど、正気に戻ったら大騒ぎだ。術が効果を失っている以上、妖達の姿も見えたままだろうし。そうなれば折角の祭りは滅茶苦茶になってしまう。……それに、さっき起きたことを術の干渉によって無かったことにしないと……君達が大変じゃない? 皆の前で戦ったんだろう? このままじゃ、皆の注目の的になって、えらいことになるんじゃないかなあ」

 その言葉に、柚季が青ざめる。彼女は大勢の前で魔を祓う力を見せてしまった。帽子を手に共に戦った紗久羅は固まり。

 一番大変なのは、この学校の生徒であるさくらかもしれない。当然あの場に居合わせた生徒達に根掘り葉掘り聞かれるだろう。


 まあ、その一番面倒な目に合いそうな彼女が一番暢気であったが。彼女は出雲の言葉を聞いてもただ「あら」と一言言うだけにとどまった。


「私としては別にどちらでも良いのだけれど。仕方が無いから術をかけなおしてあげる。そうすればまあ、大丈夫だろうさ」

 青ざめる柚季と固まる紗久羅を見てにやにやした後、出雲は体育館の壁の下を掘り始める。少し掘ったところで何かを見つけたらしい。彼はそれをそうっと手にとり、さくらに見せる。

 それは手のひらにすっぽり収まる位の大きさの石であった。その石には札が。


「あれ、これ……」

 見覚えのある札。土でところどころ汚れているが、それは。


(文芸部の店を出した部屋と、深沢さんのクラスの教室にあったものと同じだわ。それじゃああれも、術をかける為に使った……)

 ほのりが剥がして破ってしまったもの。あれは破ってはいけないものだったのだ。

 そのことを出雲に話すと、ああやっぱり色々な所に貼ってあったんだと素っ気ない返事を返してきた。


「一枚、二枚位なら平気だろうさ。これを貼った者が相当の馬鹿で無い限り、守る対象である人間が札を剥がしてしまった時のことだって考えているはずだ。恐らくその札は学校中、いたる所に貼ってあるのだろう。少し位無くなっても、近くにある札がその分を補ってくれる。具体的にどういう仕組みで、どういう術なのか、はっきりとしたことまでは分からないけれどね」


「私達を助けてくれた女の人は、人と妖との間に無理矢理壁を作ったとおっしゃっていました」

 さくらは、彼女のこと、そして彼女が話した『姫様』のことについて出雲に話す。


「ふうん。祭りの時に生じる性質を強めることで、結果的に双方の間に壁を、明確な境界を作り上げたってことか。その姫様というのは……まあこの学校の関係者だろうね。無関係の学校にこんなことをするとは思えないし。君が祭りの準備をしていた時に感じた妙な気配を、その姫様とやらも何となく感じた。それで用心の為、文化祭当日、術を家臣にかけさせ人間を守った……といったところか。あれだけの術だ、術者の負担も、術の影響下にいる人間達にかかる負担も相当なもののはず。長期間やるには向いていないものだっただろうから、まあ今日限定でかけたのだろうね」


「あの時入り込んだもの。それが、体育館を覆ったあれだったのでしょうか」

 しかしだとしたら、何故あの時まで誰もその存在に気がつかなかったのだろう。術がかけられた文化祭当日は別として。入り込んで直気配を隠していたのか、それともあれはあの日入り込んできたものではなく、当日体育館に迷い込んできたものだったのか。


「さあ、そこまでは分からないよ。私は全知全能の神様じゃないからね」


「傍若無人な俺様ではあるけれどな」

 紗久羅が口を挟む。何か言ったかい、と出雲が彼女の頬を笑いながらつねる。

 それから暫く彼女と遊んでから、札に力を込めるのだった。ほぼ紙切れになってしまったらしい札だったが、出雲の力によって蘇ったようだ。


「これ一つに力を込めておけば充分だろう。後はその術者さんとやらがどうにかしてくれるだろうさ」

 とりあえず、一件落着だ。

 さくらは体育館に置いてきてしまったほのりの元へ戻ることにした。その際さくらは出雲に何故か頭を思いっきりはたかれるのだった。


 ぽかんとする彼女に、出雲が笑いかける。


「また入れば、君は再び術の干渉を受けるだろう。まあとりあえず、先程起きたことを忘れないようにはしてやった」


「あ、ありがとうございます」

 

「……準備の時に入り込んだ者は、あれでは無いかもしれない。そうだったとしても、今のところそいつは術を破る程度のことを起こしてはいないようだし……案外小物だったのかもしれないね」


 そうであって欲しい。

 さくらは再び体育館へと入っていく。またぼうっとする頭。うじゃうじゃいた妖の姿も、見えない。

 術は正常に作用しているようだった。ほのりも、他の人達も、皆あの悪夢の事は覚えていないようだ。


 文化祭はそれから程なくして終わり、体育館で閉会式を行った。その後は後夜祭。グラウンドで大騒ぎするのだ。皆一日中動き回っていたのにも関わらず、まだ騒ぐ元気が残っている。

 天高く上っていく赤い火と、飛び散る火の粉は闇に映え、幻想の花を咲かせ。


 さくらは背後にある校舎を振り返る。

 暗い闇に溶けている学校。校舎内には点々と灯りはついているが、それでも矢張り、暗い。今あそこには誰もいない。皆外に出ている(後夜祭に参加せず、さっさと帰っていった人も多いが)。

 あれ程色鮮やかに飾られ、人が集まり、とても賑やかだった校舎が今はしんと静まりかえっている。


(あそこでお祭りをやっていたなんて、信じられないわね)

 

「何校舎の方なんて見ているのよ。そんな珍しいものじゃないでしょ、あんなもの」


「何だか不思議だなと思って」


「不思議なのはあんたの頭の中よ」

 ほのりは呆れたようにため息をつきながら、さくらの顔を無理矢理グラウンド側に戻す。そして火を眺めながら今日の感想を言い合うのだった。


 だから二人は気がつかなかった。

 自分達が知っている人物が、人目を忍ぶように校舎を目指して歩いていることに。


 あちらも、こちらも、日常も、非日常も、夢も、現も、何もかも入り混じり、境目が消え、異常も異常として目に映らなかったこのお祭りも、これで、お終い。


 お祭りは、お終い。

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