祭りの始まり(2)
*
焼きそば達を胃の中に収めた後、自分達クラスの教室を目指す。真っ直ぐは向かわず、他クラスの店の様子を眺めながらのんびり行った。どこもそれなりに盛況で、お客さんが全くいない店は無かった。
さくらのクラスも例外では無く。受付の前にはお客さんらしき人が数人おり、教室内に設置されたテーブルでお喋りをしながらケーキを頬張っている人の姿が見えた。
受付係をやっていた女子二人が、さくらとほのりに仕事を引き継ぐ。どうやら受付方法等に細かい変更点があったらしく、そのことを簡単に説明してくれた。どうも前もって決めていたやり方は少し効率が悪かったようだ。
「売り上げは割と順調。時間が経つ内、福ちゃん特製の服装に抵抗持つ子もいなくなってきたみたいだよ。お祭特有の空気にすっかり呑まれちゃったみたいでさ」
受付係の一人が愉快そうに笑う。普段なら絶対に無理なことでも、こういう時は案外ノリノリで出来てしまうものよね、とほのりもその現状に納得した。
(私もそうなっていたのかしら。あの服を着ても恥ずかしがらず、平気な顔をして接客をしたのかしら。お祭の効果で……)
さくらは自分が福井特製の衣装に身を包み、いらっしゃいませと明るい声で言っている場面を想像しようとした。けれどこのような場にいても、そんな自分の姿を想像することは出来なかった。それでいい、と思う。もしはっきりと思い描いてしまったらうんと恥ずかしくなって。その思いを隠す為馬鹿みたいに笑っただろう。
「何か今年、去年より賑やかな気がする。来場している人の数、去年より多いんじゃない?」
「言えてる。何か多い気がするよね」
受付二人はそんなことを話してから、さくら達と交代する。去年がどうだったか、どの位の人が来ていたか、さくらははっきりと覚えていない。
(けれど、確かに言われてみれば……去年より多いような)
何となくそんな気がした。見た目以上に人が密集しているような、そんな感じがする。
人が沢山来るのは良いことだ。だがさくらはそれを素直に喜べなかった。
頭がびりびりする。目蓋が重い。気持ちが悪い。体内を虫が這っているような気がした。
(私、さっき、とても恐ろしい思いをしたような気が……)
「こら、サク。ぼうっとしない。お客さん来ているよ」
「え、あ、ああ……ごめんなさい」
さくらははっとし、お客さんからお金を貰い、ケースに入れる。今は受付の仕事に集中していなければいけないのだ。ほのりが食券を渡し、さくらがお金を受け取ったりお釣りを渡したりする。
食券を貰ったお客さん達は傍らにある扉から教室へと入っていく。テイクアウト希望の場合も教室に入る必要がある。入ってすぐの所にテイクアウト専用コーナーがあるのだ。
そこそこ人は来るが、忙しくて頭が混乱する程多くは無い。だから落ち着いてやれば、ミスなどしない。ほのりとさくらは慎重に、正確に、てきぱきと受付業務を続けた。
普段も校内は賑やかだが、今はその比では無い。そして色彩も実に鮮やかになっているのだった。学校を小さな子供や先生以外の大人、そして他校の生徒らしき人達が私服姿で歩いている光景。何だか不思議な光景だな、とさくらは思う。学校以外であれば何らおかしくないものなのだが。
その場所にとって『普通』では無いものは、何でも異質なものとして目に映るのだろう。東雲高校という場所に染みついている『日常』に無いものは、何だって『非日常』になるのだ。
(更に一段階上の『非日常』を生み出すのが、ポスター、看板、文化祭用の衣装、模擬店……。ここには今、沢山の『非日常』があふれている。この場所に異界の……妖達が紛れていても、きっと誰も気がつかない。出雲さんだって……いつもより幾分人間に近く見えたし。妖達がこのお祭を楽しんでいるというのなら良い。むしろ大歓迎だわ。けれど、そうで無い人が、混ざって、いたら)
またそうやって自分の世界に入り込んでいたものだから、ほのりの愛と怒りの肘鉄を食らった。さくらは呻いた。かなり手加減してくれたようだが、それでも痛かったのだ。
「サクをこちらの世界に連れ戻すには、痛覚に訴えてやるのが一番ね。あんたは人の声を聞こうとしないから」
ほのりはかなり呆れているようだった。
だがその声も痛みと考え事にかき消され、さくらの脳まで届かない。
「何事も起こらなければいいけれど……でも今のここでは何が起きても、おかしくは無い……」
「ちょっと、サク、サク? 全く……こりゃもう一度やるしかないわね」
次の瞬間、さくらは再びほのりの肘鉄を食らうことになったのだった。
「こういう時位お花畑から抜け出してよね、全く。ほら、お客さんよお客さん。いらっしゃいませ」
「あ、いらっしゃいませ……」
ほのりの半分もいかない小さな声で挨拶する。元々あまり大きくない声は、周りの声に溶けて消えた。
見上げると、そこには一人の男が立っていた。男はにこにこ笑いながら二人を見ている。男の姿はさくらの目にしっかり映っている。だがその姿が頭の中に入らない。これといった特徴が無いから脳裏にその姿を焼きつけることが出来ないのだろうとさくらは思った。
「美味しそうな匂いがしますね」
さくらは最初、教室から甘くて良い匂いがするという意味で言っているのだと思った。だが男の視線は教室には向けられていない。彼は床をじっと見つめているのだ。その顔に貼りついている笑みはとても不気味であった。さくらは背筋が凍るのを感じる。
「あの、ご注文は何に?」
ほのりも彼のことを気味悪く思っているようだが、その思いに蓋をし、引きつった笑みを浮かべて問う。男は右手で何かしているようだった。だが何をしているのかがよく分からない。というか容姿同様、彼の動作があまり頭に入ってこないのだ。
それから少ししてから、男はようやく注文をする。ほのりはそれを受け、さくらは彼にお釣りを渡した。正確に言うと渡した「はず」だ。
(頭がぼうっとする。今自分が手をちゃんと動かしているのか、喋っているのか、分からない。櫛田さんが何をしているのか、あの人がちゃんと教室に入ったのか、何を注文したのか……いえ、そもそも本当に注文をしていた? もうそこからはっきりしない)
他人がやっていることはおろか、自分が今何をし、どんな言葉を口にしているのか、それさえ分からなかった。或いは今自分の手は一切動いておらず、喋ってもいないかもしれなかった。そもそも男はここに来ていたのか。そんな男はいたのか。
頭が熱くなり、ぼやけ、何もかも消えてしまう寸前。さくらの頭の上に何かが置かれた。それは手のようであったが、随分と冷たかった。だがその冷たさがさくらの頭から余分な熱を奪い、結果的に頭の中をすっきりさせたのだった。
見上げればそこには出雲が立っており、さくらをその手よりなお冷たい瞳で見つめていた。帽子のつばで出来た影が彼の冷たさと恐ろしさをよりいっそう際立てている。
「随分ごちゃごちゃしているなあ、この辺りは。やあ、さっきぶりだね」
彼の後ろには機嫌があまりよろしくなさそうな紗久羅と柚季がいた。どうやら出雲と行動を共にしているようだ。だが二人の表情を見れば、彼女達がそのことを良しと思っていないことは一目瞭然。恐らく出雲が強引についてきているのだろうとさくらは思い、心の中で二人に同情する。
「何、サクの知り合い?」
「ええ。あちらにいるのが紗久羅ちゃん。一夜の妹さん。その隣にいるのが柚季ちゃん。紗久羅ちゃんのお友達なんですって。私も今日会ったばかりなのだけれど。それと、出雲さん。ええと……」
そこまで言って、言葉に詰まった。出雲をどう説明したら良いのか分からなくなったのだ。
出雲はくすりと笑うと、紗久羅の腕をぐいっと掴む。あまりに唐突だったので紗久羅は驚き、目を丸くした。
「私は出雲。紗久羅の恋人、だよ」
「へえ、やるじゃん井上妹。そんなイケメンつかまえて」
本気で信じているのか、信じていないがからかっているだけなのか。ほのりの表情はこんにゃくのようにぐにゃぐにゃうねうね。にやけている。
当然紗久羅は怒る。つかまれた腕を強引に振り払い、彼と距離を置いた。
「違う! 誰がこんな凶悪陰険糞狐なんか恋人にするか!」
狐? と出雲の正体など知るはずも無いほのりは若干不思議そうな顔をしたが、まあいいかと軽く流し。
「何だい、違うのかい。面白くないなあ。……ああ、そんなことより。注文するなら早く注文して頂戴な。いつ次のお客さんが来るか分からないし」
ほのりに注文を促され、紗久羅と柚季はホットケーキにのせるトッピングを決める。出雲はズボンのポケットに手をつっこみながら何故か床を見つめていた。その光景には見覚えがあった。
(あれ、出雲さんが見ている辺り……)
出雲が頭に手を置いてくれたお陰で吹き飛ばなくてすんだ記憶が蘇った。
姿も、所作も殆ど記憶に残らなかった、得体の知れない男。彼も出雲同様、床をじっと見つめていたのだった。しかも丁度出雲が見ている辺りを。
「ふん。……もう只のカスか」
ぼそっと呟くと右足を前後に振る。まるで何かを蹴飛ばしているかのようだった。訝しげにその様子を見ているさくらに気がついた出雲は歪んだ笑みを彼女に返す。そして何事も無かったかのようにほのりの前まで行き、注文をするのだった。
床を見る。そこには何も無い。少なくともさくらにはそう見えたし、恐らく紗久羅やほのりの目にもそう映っただろう。
そんなさくらをよそに三人は教室の中へ入っていく。それを入れ違いに、誰かが反対側の扉から出て行った。もしかしたら先程の男だったのかもしれない。
「もう少しで当番も終わり。終わったら、模擬店めぐりを再開しましょう。まだ行っていない所が沢山あるしさ。環のクラスと、ひいちゃんのクラスにも顔を出したいわね」
「ええ。文芸部の当番はもう少し後だしね。終わったら体育館に行きましょう。演劇部がたしか劇をやるわよね。それを見たいの」
「そういえば去年も見たっけ。結構面白かったわよね」
時間はあっという間に過ぎ、次の当番である女子が来た。ほのりが引き継ぎ事項を伝え、二人は教室を後にした。帰り際教室を覗くと紗久羅達を含めたお客さん達が楽しそうに笑いながら、調理係の愛がこもったホットケーキをむしゃむしゃ食べているのが見えた。
「ああ。あたし達も食べれば良かったわね。……まあ、いいか。他のクラスがどうなっているか見てみたいし」
「そうねえ。出来れば一通り見たいわよね」
そう言いながら思うのは、先程の男のこと、出雲のこと。
(やっぱり今この学校には何かいるのかしら。あの男の人は人間じゃ無かったのかしら。彼だけではなく、他にもあちらから来た人がいる? 今日は頭がぼうっとしてばかりな気がする。どうしてかしら、境界が曖昧になるとこんな風になってしまうの? けれど、櫛田さんは何ともないようだし……紗久羅ちゃんや柚季ちゃんはどうなのかしら?)
懲りずに考え事をして意識を周囲に向けていなかったさくらは、誰かと衝突した。はっとして顔をあげる。
文化祭実行委員会と書かれた腕章をつけた御影要が、さくらを睨んでいた。
苦手な人間の登場にさくらは一、二歩後ずさる。
「くだらない夢物語を脳内劇場で見るよりも、前方をちゃんと見て歩くことの方が人生においてずっと大事で有益なことだと僕は思うよ、臼井さくら」
謝罪の言葉をさくらが言う隙も与えず、彼はブリザードワードを放った。
「ご、ごめんなさい」
「君のことだ、人間に混ざって妖怪とかが遊びに来ていたら面白いなとかそんな馬鹿馬鹿しいことを考えていたんだろう」
「そんなことは」
無い、と続けることは出来なかった。向こう側の世界の住人が紛れ込んでいるかもしれないと考えていたことは紛れもない事実だったからだ。
はあ、と重い息を要が吐く。
「幼稚園児がそんなことを考えているんだったらともかく、高校生二年生がそんな馬鹿馬鹿しいことを」
「はいはい分かった、分かった。全く会う度に口うるさいことをぴいぴいと。それより要、今年の文化祭はどうよ? 来場者数、去年より多いんじゃない?」
さくらを庇ったのか、単純に彼の小言を聞くのが嫌だったからなのか、ほのりはさくらの前に立ち、話題を無理矢理変える。要もその問いを無視してまでうるさいことを言いたくなかったのだろう。素直にほのりの質問に答えた。
「何もかも例年通りだよ。小さなトラブルがぽつぽつと起きているという点も、出ている模擬店の種類も、何もかも。……来場者数に関しては僕も去年より多くなっていると思ったけれど。実際はこれも例年通り。去年と比べても大した差は無い」
表情一つ変えず淡々と語る。何だ変わらないんだと少し残念そうに呟くほのり。
「強いて言うなら。……バッジをちゃんとつけている生徒の割合がいつもより多いということかな」
そういえば、と二人は行きかう生徒達の胸に注目する。確かに皆ちゃんとバッジをつけているのだった。
「去年はつけていない人の方が多かった気がする。先生や先輩も今年はつけている人の方がずっと多いから驚いたとおっしゃっていた」
「あたしも去年は開会式が終った後外したっけ。今年は何となくつけているけれど」
自分の胸についているバッジをほのりが指差す。ちなみに真面目堅物人間である要と、割と真面目人間であるさくらは去年もつけていた。
「それじゃあ僕はこれで失礼するよ。パトロールを続けなければいけないからね。君達を相手にしている暇は無いんだ」
それだけ言うと、ほのりの一言多いのよあんたはという文句も聞かずさっさとその場を離れていった。
やたら重かった肩が軽くなり、さくらはほっと一息。
「本当嫌な奴。さあ、あたし達もさっさと行きましょう」
「え、ええ。そうね」
とりあえず今は考えることをやめた方が良さそうだ。そうさくらは思った。
これだけ人がいる中で考え事をするのは危険であるということを学習したからだ。
こういう場では日常、常識といった言葉はいともたやすく揺らぎ、消える。
それゆえ、金銭感覚もお腹も馬鹿になる。
あつあつの豚汁、色合いはシンプル・味は深いおにぎり、団子、焼き鳥、たこ焼き。外と中を行ったり来たりしながら兎に角目についたものを次々と買っては胃の中へおさめていく。周りの人だって、これだけの人数の中の二人にわざわざ目を向けることは無い。だから周囲の視線を気にして遠慮する必要がない。
「自分でも馬鹿だな、と思う位食べてしまった。ああ、文芸部の当番やっている時にげっぷ出たらどうしよう。恥ずかしいどころの話じゃないわ」
「私も沢山食べちゃったわ。本を買うお金が……」
「ああ、今月好きな作家の本が出るっていうのに。辛い、これは非常に辛い! けれど後悔はしていない。こういうイベントで馬鹿みたいにケチったってしょうがない。無駄だと思いつつ使う。それでいいのよ、ええ、それでいいんですとも!」
半ばヤケで叫ぶほのりだった。さくらは苦笑いしつつ、同意する。
「あ、そういえば御笠君と深沢さんのクラスの」
「まだ行ってないじゃん。すっかり忘れていた。ああでもそろそろ当番が……終わったら行こう。うん」
そして二人、店のある棟へと入っていく。
文芸部同様影が薄い部の部屋が集まる棟。囲碁部は体験教室、生物部は飼っている動物の観察日誌公開、手芸部は手作りの小物販売を行っている。他にも幾つかの文化部が色々やっているようだ。普段は運動部や、輝かしい功績をあげている一部の文化部の影に隠れている彼らが、唯一、ほんの少しだけ輝けるこの日。文芸部もこの日だけ学校の表舞台(といっても端っこだが)に立つことが出来る。
「まあいつもよりは賑やかだけれど、やっぱりあっちの校舎に比べると……」
「手芸部と、保護者の方主導のバザーはそこそこ盛り上がっているみたいね。後は」
続きはあえて言わなかった。言うと悲しくなるからだ。
この校舎に染みついている『地味』『路傍の石ころ以下』という言葉は、祭りの魔力でも完全にかき消すことは出来ないようだ。空気はじめじめ、心なしか暗いような気もした。
(お祭り中とは思えない……)
正直さくらはそう思う。誠に残念なことではあるが。
今回、店を開くにあたって文芸部が借りた部屋。覗くと、展示されているものに目を通している人の姿がちらほら見えた。誰もいなかったら二人はきっと泣いただろう。
二人が来るまで会計をしたり、お客さんの相手をしたりしていたのは環と陽菜だ。ほのりは手をあげ、交代に来たことを告げる。
「どう、部誌とか少しは売れた?」
「あ、はい。しおりも結構好評で。櫛田先輩の作ったもの、しゃれた感じで良いってお客さんおっしゃっていましたよ」
「ふふん、当然。ああ本当、部誌少し減っているわね」
確かに部誌の山はやや低くなっているようだった。買ってくれる人の多くは先生やOB、部員の家族などではあるが。しおりやブックカバーは部誌以上に減りが早い。嬉しいとさくらは心の中で素直に喜んだ。
「私のしおり、さっき売れたんですよ。この鳥なかなか独特な感じで可愛いって言ってくれました。……鳥じゃなくてうさぎの絵だったのですが」
「ひいちゃんの絵は独特すぎるのよ。大体どう描けばうさぎが鳥になるのよ、有名なだまし絵に、鳥にもうさぎにも見えるっていうのがあるけれど……まあそれとは違う次元のものだったのでしょうね」
陽菜が作った別のしおりに視線をやり、頭を抱えた。確かに彼女の絵は独特で、ぱっと見ただけでは何が描かれているのか分からない。
環と陽菜は部屋を去り、彼らの温もりが微かに残っている席に二人は着いた。
会計をすることは殆ど無いし、彼女達に話しかけてくる人もそこまで多くは無いから、二人は基本的に好き勝手なことを喋りながら、何となく室内の様子を伺う。時間が経つのがとても遅く感じられた。
「この部屋にいると、外やあっちの校舎の喧騒が嘘みたいに思えるわ。一階にある居酒屋と、地下一階にあるバー、同じビルにあるのに温度差激しすぎみたいな感じ。って何それどんな感じ、意味が分からない」
自分で言ったことに対してそんなことを言う。その声からは力も魂も抜けていた。だがお客さんが部誌としおりを手にしてやってくると一瞬にして満面の笑顔になり、声も明るく元気なものになる。その切り替えの早さにさくらは素直に感心した。
お祭りの真っ最中であることが信じられない位のんびりゆったり、まったりした時間の流れる部屋。
その空気が少しだけ変わることになった。
「きゃっ」
この高校のOGと話をしていた時のことだ。
ぼとっと何かが床に落ちた音が聞こえ、さくらとほのりは音のした方を見る。
そこには高校生位の女性がおり、床をじっと見ていた。その視線の先にはビニールパックと、あちこちにちらばったたこ焼きがあった。うっかり落としてしまったのだろう。
「ごめんなさい、今見たら輪ゴムが切れかかっていて……気になって取り出したら落としちゃって」
おまけにその時輪ゴムが切れてしまったようだ。
「気にしなくていいですよ。あたし達が掃除しますから。サク、ちょっと掃除道具取ってきて」
ほのりに言われ、さくらは部屋の隅にあった掃除用具を入れているロッカーを開ける。中にはほうきやちりとり、雑巾がびっしり詰まっていた。
ほうきを取り出そうと柄を掴み、引っ張る。すると他の道具がばらばらどんがしゃ、と音を立てて倒れてしまった。急いで引っ張ったせいで隣接していた道具に衝撃が伝わってしまったようだ。
「ああ、もう何やっているのよ」
さくらは一言謝ってからほのりにほうきとちりとりを渡し、自身は倒れてしまった道具を戻す作業に取りかかる。殆ど使われていない部屋なのに、無駄に掃除用具の数だけは多い。
ごちゃがちゃ、ぐちゃぐちゃ。どん、かちゃ、びりっ。
「びり?」
紙が破れたような音が、ロッカーから聞こえ、ぎょっとする。出た音の主はどうもロッカーの奥、下側にあるらしかった。気になったものだから、一度入れ直した道具を出し、探してみれば、割と早く見つかった。
それは長方形の紙であった。無地ではなく、何か奇妙な文字が書かれていた。
両面テープで貼ってあったようだが、さくらが道具を入れ直している最中、柄で思いっきり引っかけられて剥がれてしまったらしい。おまけに一部分破れてしまった。
「何かしら、これ……」
「どうしたの、サク」
とりあえず室内にあった小さなゴミ箱にたこ焼きを捨てたほのりは、いつまでも掃除用具入れの前にいるさくらの様子を伺いにきた。さくらは彼女に手に持った怪しいお札らしきものを見せる。
「こんなものが、貼られていたの」
「何それ、お札? テープ見る感じだと貼られて間もないって感じねえ」
「ええ。お札自体も新しいみたい」
しかし何故そんなものが、この部屋に? 二人仲良く首を傾げた。
よく分からないが気味が悪い。そう言いだしたほのりはさくらからその札を取り上げ、びりびりに破ってゴミ箱に捨てる。たこ焼きと謎のお札で満たされたゴミ箱は、怪しげな薬を作る為に様々な薬草を突っ込んだ鍋のように見え、さくらは身震いした。
(何か意味のあるお札だったのかしら。それともただの悪戯?)
そんな少し妙なことがあったものの、後は特に変わったことも無く無事文芸部の当番を終えた。次に来た佳花にバトンタッチをして部屋を出ようとする。
「あら? これは……」
佳花がゴミ箱の中を見て驚きの声をあげる。誰だってゴミ箱にたこ焼きと変な紙切れが入っているのを見たらそうするだろう。
ほのりが詳しく説明する。その間佳花の表情は気のせいか、曇っていた。
「そう、お札が……」
「先輩、心当たりあるんですか?」
「いいえ。こんな所にそんなものが貼ってあるなんて、不思議ね」
そう言って笑う。だがその笑顔にもどこか元気が無い。
「さあ、後は私に任せて。文化祭、うんと楽しんで頂戴ね」
「はい。それじゃあサク、行こうか」
「え、ええ」
部屋の外に出る間際、さりげなく後ろを振り返ってみる。佳花はゴミ箱を見つめながら何か考え事をしているようだった。憂いを帯びた表情に、さくらは不安を覚える。
(本当に美吉先輩は知らないのかしら、何も。もしかして何か知っているのでは……)
仮に知っていたとしても、佳花は何も話してくれないだろう。きっと優しい笑みを浮かべ、何でもないと答えるに違いなかった。
(あのお札は一体。この学校で今、何が起きているのかしら。もしかしたら何も起きていないかもしれない。向こう側の人も、来ていないかもしれない。分からない……)
何も分からないまま、二人はお祭りをやっているという空気がびしびし伝わってくる校舎へ移動するのだった。