第十七夜:嘆きの柚季
『嘆きの柚季』
「秋だなあ」
「秋だねえ」
「愛よねえ」
「愛だなあ」
「鯛だなあ」
「鯛よねえ」
手に伝わるたい焼きの温もり。
「ところで愛って今何か関係あったっけ」
「無いわねえ、全然。ただ何となく言ってみただけ」
「こうぼうっとしている時って無意味なことを呟きたくなるよなあ」
紗久羅は何となく空を見上げ、そして手に持っているたい焼きを一口。隣を歩いている柚季、そして流れで一緒に歩いている奈都貴も同じようにたい焼きを頬張った。人肌よりちょっと暖かい、柔らかくてほんのり甘いたい焼きは大変美味であった。
「いやあ、しかし平和だな。最近は変なことも起きていないし」
たい焼きを口に入れ、噛みきろうとした奈都貴を止めたのは隣から聞こえる泣き声のような、うめき声のようなもの。
見れば柚季が頬を膨らませ、目をうるうるさせているのだった。奈都貴はぎょっとし、たい焼きから口を離す。
「ど、どうしたんだよ」
「深沢君の周りでは何も起こらなかったかもしれないけれど! 私の周りでは滅茶苦茶起こったんだからね!」
余程嫌な目にあってきたのか、声が裏返る程叫ぶ柚季を紗久羅は頬をかきつつ見、奈都貴は困ったように顔をひきつらせた。
「悪い悪い。ていうかそんなに色々あったんだ、及川の周りで」
「あったわよ、思い出したくもない忌々しい出来事が沢山! 九段坂さんやあの出雲さんっていう人の言う通り。本当次から次へと……何呪い? 私呪われているわけ?」
「ああ、こら柚季あまり手に力をこめるな。たい焼きからあんこが出てきちまうぞ」
「だってえ」
最近起きたらしい妙な出来事の数々にうんざりしている様子の彼女は、たい焼きをくわえながらえぐえぐ言っている。
あちらとこちらの境界が特に曖昧で、あちらの世界の住人が好むらしい歪んだ力が流れているというこの辺りの土地。そこに来てしまった上に、すったもんだの騒動の最中秘められていた霊的な力が顕現してしまった。異質な力は、異質なものを呼び寄せやすい。
更にその時の騒動をきっかけに『向こう側の世界』と濃く深い縁で結ばれることになってしまい。薄い、濃いに関わらず一度結んだ縁は完全に断ち切ることが出来ない。
そんな様々な理由が彼女を相当苦しめているようだった。
「まあ、何というか大変みたいだな。ごめんごめん、全然知らなかったものだから」
「あたしも。柚季、妖に会ったとか酷い目にあったとか……そういう話全然していなかったから、特に何事もなく毎日を過ごしているのかと思っていたよ」
「だって、だって……あの人達の話なんてしたくないもの! 口にするのも忌々しいんですもの!」
柚季の妖(や幽霊等)嫌いは悪化の一途を辿っているようだ。彼女が彼等のことを嫌っている理由を紗久羅は知っているから、何も言えない。ただ苦笑いするだけ。
力いっぱい握られ若干変形しているたい焼きを眺め、空を見、またたい焼きに視線を戻す。
「半ば自業自得とはいえ、やっぱり嫌になっちゃう。九段坂さん曰く、力のコントロールがある程度上手く出来るようになれば、今より少しはましになるかもしれない……らしいけれど」
まあそうなったら良いな、位に考えていた方がいい、期待はしない方が良いですよってその後言っていたけれどね、とため息。
「この土地から離れるというのが一番有効な手段らしいわ。勿論この辺り以外にも、こういうのがわんさか出てくる所はあるらしいから、そこは避けないといけないけれど」
「それじゃあ高校卒業したら、三つ葉市を出るかもしれないってこと?」
「分からない。今はまだ何とも。……はあ」
「具体的にどんなことがあったんだよ。話してみろ、少しは楽になるかもしれないぞ」
奈都貴の提案に、でも、とためらう柚季。
「なっちゃんの言う通りだよ。……ぶちまけちゃいな、楽になるぜ」
いしし、白い歯を見せ笑い、柚季の肩に手を回す。勢いよく肩を抱かれた柚季は少しバランスを崩しながらも、そうだねと小さく笑った。
「まずは昨日! 昨日の夜のことよ! ああ、今思い出しても虫唾が走る!」
少し下がっていたテンションが妙な感じに上がり、普段以上の声で喋り始める。こぶしはかたく握られ、もう片方の手で握られているたい焼きはすでに残念なことになっていた。
*
あれは昨日の夜。私お風呂に入ろうとしたのよ。お湯は少し前に張ってあったんだけれど……TVを見終わってから入ることにしたの、その日はね。脱衣所で服を脱いで……いやだ深沢君、私が服脱いでいるところ想像したでしょう。あ、慌てている。図星だったのね。まあ、いいでしょう。こほん。
それでいつも通り戸を開けて、風呂場に入ったの。体を洗おうと椅子に座る……その時自然と目の前にある浴槽に目がいって。そしたら……そしたら、頭は大きいのに体は恐ろしくがりがりの、肌は灰色、髪の毛は殆ど生えていない、目がぎょろぎょろした、おじいさんっぽい妖が中に入っていたのよ! おまけにそいつ、小さな口を開けて、浴槽のお湯をちびちび飲んでいたの! いや、飲んでいたというか吸い込んでいたというか……鼻も口も浴槽の中に入っていて……半分湯に浸かっている目が私をじろっと見て……笑って。ああ、思い出しただけで!
*
「何それ、怖っ! それは怖いな、ていうか気持ち悪い!」
素直な感想を述べる奈都貴に、紗久羅はにやりと嫌な笑みを浮かべる。
「いやあ、なっちゃん。なっちゃんが今言うべきことはそんなものじゃない。そこはやっぱり柚季の裸を見た妖怪超羨ましい! って言わないと」
「誰が言うか! 俺は変態か!」
「いや、ほらなっちゃんは年頃の男の子だから。変態じゃないよ。年相応にすけべなだけだ」
あんこを得たたい焼き――もとい、水を得た魚のようにいきいきしている。
いつも通り顔を真っ赤にして怒鳴る奈都貴を、柚季は苦笑いしながら見る。そうやって過剰に反応すればするほど紗久羅は元気になるのだ。
奈都貴に助け舟を出すように、柚季はこほんとわざとらしく咳き込んでみせた。途端二人は大人しくなり、彼女に目を向ける。
「主役は今私なんだけれどなあ。二人共私の話を真面目に聞いてくれないのね、しくしく」
今度は泣く真似。まあ実際泣きたい気持ちにはなっているのだろう。その時のことを思い出したせいで。奈都貴と紗久羅はよしよしと彼女を慰める。
「それで、そいつを及川はどうしたんだ?」
「九段坂先生から教わった呪文を唱えてから、ぶん殴ってやったわ。そしたら悲鳴をあげながら、浴槽の栓を抜いて、そこから逃げちゃった」
栓より遥かに図体が大きかったにも関わらず。吸い込まれていく水と共にぎゅるぎゅる音をたてながら消えていったという。
「多分そこから本来いる自分の世界に戻ったんだろうな。もしかしたらまだこっちにいるかもしれないけれど。水っていうか川とかそういうのは異界と通じている……ていう話を九段坂さんから前聞いたことがある気がするし」
「というか柚季、よくそんな気味の悪い奴殴れたな」
「その時は必死だったんですもの。けれど今考えてみれば、なんて恐ろしいことをしてしまったのかしら。うう、あいつを殴った時の感触が蘇ってくるわ」
そう言いながら、彼を殴ったらしい右手を忌々しいものを見る目で睨んだ。
「あまりに気持ちが悪かったから、その後浴槽を掃除したわ。それでお湯も張りなおして――あの妖のせいでお湯も減っちゃったし――しばらくしてようやく入ることが出来たの」
そりゃご苦労様、と二人仲良く声を合わせて彼女に慰めの言葉を送る。その後、そういえばと何か思い出したらしい奈都貴が口元に手をやる。
「九段坂さんから桜村奇譚集に載っている妖達のことを何度か話してもらったんだけれど……確か、及川が会った妖みたいな奴の話があった気がする」
もうしばらく考えた後、具体的なことを思い出したらしく、二人に目を向けながら口を開いた。
「名前は忘れたけれど……なんでもそいつは風呂とか、水がめとか、酒樽――水やお湯、酒が入っている大きなもの――の中に現われて、中に入れてあるものを飲んでしまうらしい。最初の内は吸い込むように……ほら、あの、ジンベイザメが餌を海水ごと吸い込む……あれみたいな感じだと思うけれど――そういう風に飲んで、少なくなってくると舌を出してべろべろ舐めだし……兎に角完全に空っぽ、水分のすの字も無くなるまで飲みつくすんだと。おいどうした及川、顔青いぞ。ああ……うん、見つけたのが浴槽を舌で舐められる前で良かったな。不幸中の幸いってやつだ」
ああ後、と奈都貴は続けた。
「そいつに中に入っているものを飲まれてしまったかめとかは、汚れが落ちて綺麗になるらしい」
「……私のお風呂は綺麗にならなかったけれど」
「そいつが殆ど中に張っていたお湯を飲んでいなかったからじゃないか?」
「ていうかさあ、そいつが水とか飲んじゃったものが綺麗になるのって……別にそいつが綺麗にしたんじゃなくって。『うわ、妖怪に入られた上にべろべろ舐められた! 最低だ! だがこれを捨てるわけにはいかない!』って感じに思ったそれの所有者がごしごし磨いたり、洗ったりしたからなんじゃない? 昨日の柚季みたいにさ」
「さあ、どうなんだろう? まあありえないとは言い切れないけれど」
奈都貴は腕を組み、肩をすくめた。紗久羅は昔のことだもんなあと返し、それから柚季に話しかける。
「それでさ柚季、他にはどんなことがあったの?」
「紗久羅、顔がにやけている。もう、他人事だと思って……面白がらないでよね」
「悪い悪い」
手を合わせ、申し訳程度に謝る紗久羅を見、柚季はため息をつきながらも次の話をしてくれた。
「他にはね……」
*
あれは三日前のことだったかな。ほら、紗久羅と桜町にある喫茶店に行ったじゃない? そうそう、紗久羅と深沢君がよく行っている、狸さんが働いているっていうあの……。あそこにいる弥助さんって人、妖には全然見えなかったわ。ものすごく良い人だったし……言われなきゃ全然分からないレベル。ってああそれは今回のことと全然関係ないんだけれど。
あの時、急用が出来て私一足先に帰ったでしょう。あの帰りのこと。
家もまだ殆ど無い、寂しくて何だか気味の悪い道を歩いていたら。何故か知らないけれど急に足が動かなくなってしまったの。足が地面に縫いつけられてしまったかのように、ね。ああもしかしてまた変な奴が現われたのかしらとうんざりしながら足元を見たら。……予想通り、いたの。
そいつは私の足から出ている影から顔を出していて、私の足を掴んでいたの。
真っ黒な、影のような手で。それでね、そいつはね。長い首を伸ばして、私の、私のスカートの中を、の、覗いていやがったのよ!
*
「うわ、変態だ! なっちゃん並の変態だ!」
「お前さっき俺は変態じゃないって言っていただろう!? ていうか俺はそんなことしないし!」
というか及川裸見られたり、スカートの中覗かれたり悲惨だなと後に続く言葉。その言葉を先に言ってもらいたかった、何故そっちの方をおまけ程度に言うのかと柚季はふてくされる。
「ええ、悲惨ですとも。おまけにあいつ、嬉しそうな笑い声あげるし!」
「で、そいつはどうしたんだ」
「印結んで力を飛ばしてやったわ。それでもってそいつの手が私の足から離れたところで、思いっきりそいつの頭を踏みつけてやった!」
そうするとその妖は悲鳴をあげて姿を消したという。
柚季はご丁寧にも、その時自分がとった行動を忠実に再現してくれた。見る限り、相当強く踏みつけてやったようだ。
奈都貴はたくましいなあ、と彼女を素直に褒める。柚季はたい焼きの残りを一気に食べ、飲み込んだ。 そこに彼女のことをまだあまり知らない人が抱いている「及川さんは物静かでお嬢様っぽい(あの井上さんと仲が良いのが信じられない位)人だ」というイメージと結びつくものはどこにも無かった。確かに柚季は紗久羅に比べればずっと女の子らしいし、落ち着いているが、皆が思っている程おしとやかでお嬢様っぽい子ではないのだった。
「なっちゃん、そいつの正体に心当たりは?」
「ああ、何か聞いた覚えが。……確か女の影の中から出て来てその人の足を掴んで動かなくさせ、そうした上で首を伸ばして着物の中を覗くっていうのが……人を食べることは無いらしいが。ちなみに男の前には現れないらしい」
女にしか興味が無いのね、二人はただ呆れるやらどん引きするやら。奈都貴も二人に同意し、妖の中にもえろい奴がいるんだなあ、とこめかみ辺りを左手の人差し指で押さえる。
「さくら姉の場合は『妖にだったら覗かれてもいい!』とか言いそうだ。まああの人殆どスカートとかはかないけれど」
せいぜい、高校の制服位だ。基本的には足のラインがはっきり分からないようなズボンをはいている。
ああ、でもさくら姉の場合妖に会う為なら普段はかないスカートだってはいちゃうかもな、と続けため息をついた。
「その人、紗久羅のお兄さんと同級生っていう人だっけ?」
「うん。まあ同級生でもあり、幼馴染でもありって感じかな」
「変わった人だよな。小学校の時とかもある意味有名だったもんな。俺も何度か見たことあるけれど……ぱっと見、身なりを気にしない男の子って感じだよな……おまけに眼鏡も大きくて、あんなの漫画とかでしか見ない。いや、今や漫画ですらあまり見かけないかも」
「うん、変な人。悪い人じゃないんだけれど。兄貴はよくあの人に桜村奇譚集に載っている話とか聞かされているみたい。かくいうあたしもだけれど」
「妖とかが好きなんて信じられない」
「柚季からしてみればそうだろうな。……あ、そういえば。さくら姉……と馬鹿兄貴がいる高校で今度の土曜日文化祭があるんだ。柚季、一緒に行かないか?」
柚季の顔が明るくなる。特に悩むことなく彼女は満面の笑顔を浮かべ、頷いた。次に紗久羅は奈都貴へ目を向けた。
「なっちゃんは?」
「俺も行く。あ、でも別にお前等と一緒に行くわけじゃないからな。多分友達と行く」
「両手に花状態で他校を歩きまわれる絶好のチャンスを棒にふるなんて、もったいない!」
「及川はともかく、お前は花とは呼べないな。名前だけは花だけど」
うんうん、と柚季が同意する。酷いなあ二人共、と紗久羅は頬を膨らませてみせた。それからまた柚季に他には何か無いのかとせがんだ。
「あるわよ、まだまだいっぱい。これは一週間位前の話だったかしら」
*
あれは夜、眠っていた時のことよ。といってもまだ眠りが浅かった時のことだけれど。……眠っている耳元で誰かが囁く声が聞こえたの。最初は何と言っているのか分からなかった。けれど何度か聞いている内にどうも「海の音を聞かせてあげましょう」と言っているらしいってことが分かったの。そう、海。
何で海の音? と思ったのだけれど……そしたら耳が何だかくすぐったくなって……その後、波が寄せては返す音が聞こえ始めたの。ざあ、ざあ、ざっぱん、ざっぱんっていう音。最初はああ何だか心地良い音だなあと思っていたのだけれど、段々煩わしくなってきて。
良い音ではあったけれど、ものすごく大きな音でもあって。全然寝られなくて。目を開けて部屋中を見渡してみたけれど、誰の姿も見えなかった。けれど何となく嫌な感じはしたの。ああ絶対近くに妖がいるって思ったわ。
そうしている間もずっと海の音が聞こえてきた。もうあんまりうるさかったから、魔よけの呪文を唱えたの。そしたら、ぴたっとその音は止んで。それからそれが聞こえることは無かったわ。
*
「前の二つに比べると気味悪さはそんなに無いな。海の音か……なっちゃん先生」
全部俺に聞くのかよ、と文句を言いつつ彼はちゃんと脳内にある記憶を探っているらしい。そして手をぽんと叩く。どうやら今回も心当たりがあったようだ。
「海の音を届ける、小さな虫の姿をした妖っているのがいるらしい。ほらここら辺って近くに海が無いだろう? 今は電車を使えば割と簡単に行けるが、昔はそうもいかない。それでもってな。桜村に住んでいた一人の少女がいた。その子は海というものを一度でもいいから見てみたかった。その思いは村を訪れた旅商人から海の話を聞くことで、ますます強くなった。海をみたい、せめて波というものが寄せては返す音というものを聞いてみたいと思ったらしい。……まあでも結局その子は海を見ることも、海の音を聞くこともなく死んだようだ。けれどその子の海を求める思いはあまりに強くてさ。彼女は死ぬ間際、生まれ変わったら海が見たい。私を空飛ぶ生き物に生まれ変わらせてください、そうしたら私は海へと飛んでいきます。そう言ったそうだ」
すると、と奈都貴は一呼吸置いて続きを語る。
「少女の体は瞬く間に小さくなり、一匹の虫へと姿を変えた。虫になった少女はそのまま外へと飛んでいってしまったらしい。……その少女はとても心優しい子だった。彼女は海を知らない村人達に、海がどんなものか教えてやりたかった。その思いが元少女の妖に力を与えたようで……その子は自分の分身を置いた海の様子を中継することが出来るようになったらしい。まあ中継といっても、映像を見せることは出来ず、せいぜい波の音、空飛ぶかもめの鳴き声、そこで遊んだり仕事をしたりしている人達の声を届けることしか出来なかったらしいが」
しかし神様も残酷だよな、どうせ姿を変えてやるなら虫じゃなく鳥とかにしてやれば良かったのに、と奈都貴が素直な感想を述べた。確かにそうだな、と二人も素直に同意する。
それにしても。そう言って話を始めたのは紗久羅だ。
「何か小さな親切余計なお世話状態だなあ。聞きたい、聞きたくないに関わらず聞かせちゃう辺りが迷惑だな。けれど良かったな柚季、今回は裸を見られたり、パンツ見られたりしなかったわけだろう?」
「あ、ちなみにその虫の妖は、海の音を聞かせる相手の耳の中に入り込むらしい」
「いやあああ!?」
空気を読まず正直にその事実を告げた奈都貴と、それを聞いて絶叫する柚季。
まあまあいいじゃないか、と紗久羅は彼女をなだめる。
「そいつは元々女の子だったんだろう? ということはまあその妖も多分雌だったんだろうさ。雄じゃなくてよかったじゃん」
「そういう問題じゃない! ああ、だからあの時耳がくすぐったくなったのね……ああ、嫌、嫌! 帰ったら耳を綺麗にしなくちゃ」
そう言ってぽんぽん耳を叩く。
「大変だなあ柚季も。他にも色々あったの?」
あったわよ、と顔をしかめながら指を折る。見る限り相当多くの妖と会ったようだ。
「他にも折角作った料理をものすごく甘くされたり、おでこに朱色の筆で二重丸書かれて、その丸めがけて光の矢を放たれまくったり、蛙みたいな妖に『接吻してくれれば私は元の姿に戻ることが出来るのです。お願いですどうか私と接吻を』とかなんとか言われて追いかけ回されたり、枕元で変な話を語りまくられたり、干からびたかっぱの手みたいなものを窓辺に置かれたり!」
一度語り始めたら止まらなくなってしまったらしく、このそう長くない期間中にその身に降りかかった災難について延々と語る。
紗久羅と奈都貴は大分冷めてきたたい焼きを食べつつ、相槌を打ったり、顔をしかめたり。
「もううんざりよ。段々神経が過敏になってきちゃってさあ。この前なんて妙な気配がする、もしかして妖!? とか思ってばっと振り返ってみたら……そこにいたのは妖でも何でもない、他校の――多分高校生だと思うけれど――男子三人組だった……なんてこともあったわ。余程私がすごい形相になっていたのか、気まずそうな顔して逃げるようにその場を去っていったわ。他にも道端で暢気に寝ていた三毛猫にびびったり、飛んでいた二羽の烏の足が三本生えているように見えたり……」
「本当、悲惨だな」
恐らく三本足の烏というのはやた吉、やた郎のことだろう。柚季はまだ彼らのことを知らない(人間形態の彼らは鏡女騒動が一件落着した時にちらっと見たはずだが)。あえて教える必要もないだろうと紗久羅はあえて黙っておいた。
「ええ、悲惨。けれどまあ、どうにかしていくしかないのよね。ふう。二人に話したら少しだけ気持ちが楽になったわ。今まで九段坂さんにしか話していなかったから。……うう、持つべきものは友ね。愛しているわ、紗久羅」
「あたしも愛しているよ、柚季」
大げさに言ってみせながら、軽く抱き合った。馬鹿だなあ、お前等はとその様子をみて奈都貴は呆れる。
まあ、柚季さんよ、と芝居がかった調子で紗久羅が言えば、柚季もどうしたんだい紗久羅さんよ、と同じような感じで返した。
「色々嫌な目にあった時とかはさ、どんどんあたし達に話してよ。まあ聞いたところであたし達に出来ることなんていうのは殆ど無いけれど」
「妖達のことを思い出したり、話したりするのも嫌だっていう気持ちも分かるけれど。でも、それでも、やっぱり、さ」
「ありがとう。二人共。愛しているわ!」
「うむ。勿論あたしもだ、あっはっは」
「はいはい。俺もアイシテマスヨー」
こちらは酷い棒読みだ。だがクラスメイトとして、友人として想ってはいる。
愛しているかどうかは別として。
「柚季が術を使っているところみてみたいな。ねえ、今やってみてよ」
「駄目。見世物じゃないんだからね、ああいうのは」
軽い気持ちでやると痛い目に合うし、むやみやたらにやるものでは無いのです、そう英彦から聞かされたことがあったらしい。
いいじゃんケチと紗久羅が文句を言ってやる。柚季はあかんべえで答えた。
「こうなったら、柚季が妖と会うまでストーキングしてやる。妖と遭遇した場面に居合わせれば、柚季が術を使って妖を追っ払うところが見られるもんね」
あかんべえされても全く堪えていないらしい紗久羅であった。
「ストーカー? はん、この変態め」
紗久羅に弄られまくっていた奈都貴が腕を組みつつ、嫌味たらしく言ってやった。
「あたしは柚季の為なら変態になれる!」
「否定をしろ、否定を!」
「ふん、なっちゃんの分際であたしを弄ろうなんて……一万と二千年早い!」
「何でそんな微妙な年数なんだ!?」
「ん? いや、適当に言ってみただけ」
紗久羅と柚季、顔を見合わせ笑う。そして奈都貴をおいて駆けていくのだった。それを奈都貴が追いかける。
沈み始めた太陽が、そんな彼らのことを呆れながら見ていた。