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桜町幻想奇譚  作者: 里芽
我が愛しのエンデュミオン
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我が愛しのエンデュミオン(4)

 部活の後、さくらはほのりと一緒に職員室を訪ねる。いつもとは違う緊迫した空気が流れているのを感じて二人は理解した。

 俊樹の行方は分かっていないのだと。


 教師の一人に尋ねてみたが、矢張り彼は見つかっていないとのことだった。

 俊樹は五時間目の授業まで保健室に居たらしい。だが掃除の時間頃、保健室の先生に「今日はもう家へ帰る」といい、出て行った。しかし晶が彼の母に確認の電話をとったところ、まだ彼は帰ってきていないと言われたらしい。

 学校にもおらず、今は一部の教師達が彼の行方を探しているという。精神が不安定な彼が何かとんでもないことをしでかしてしまう可能性は高い。早く探さなければ、取り返しのつかないことになってしまうかもしれない。


「君達ももし彼を見かけたら、すぐ学校へ連絡してくれ」

 二人ははいと頷くが、その声は自分でも驚く位掠れていた。

 職員室を出、二人はどこか重苦しい空気の漂う学校を後にした。


 さくらは途中でほのりと別れ、家へ行って荷物を置き、念の為通しの鬼灯を持って行き、すぐ家を出る。向かった先は桜町商店街だ。弁当屋『やました』ではいつも通り紗久羅があくびをしながら店番を務めていた。彼女はさくらを見て元気な挨拶をしたが、さくらの様子がおかしいことに気がつき眉をひそめた。


「どうしたんだよ、さくら姉。……牧田先輩と篠宮先輩に何かあったの?」

 さくらはこくりと頷き、簡単にことの経緯を説明した。それを聞いた紗久羅が冷や汗を流す。


「それ、かなりやばいじゃん!」


「ええ。だからこれから、弥助さんの所へ行こうと思うの。笛吹き魔とコスプレ女……この二人は、牧田君がおかしくなってしまったことと何か関係があるのではないかと思う」

 俊樹のことを想っているらしい女は恐らく『向こう側の世界』の人間だ。

 そしてほのりが言った通り、この辺りで噂になっていたコスプレ女と彼女が同一人物である可能性もある。となれば、コスプレ女は『向こう側の世界』の人間であることになる。

 弥助が上手く情報を集めていれば、その仮説が確証へと変わるかもしれない。

 そして同時期に出てきた笛吹き魔もまた、恐らく『向こう側』の人だ。もしかしたら彼も今回のことと何か関わりがあるかもしれない。


 その話を聞いた紗久羅は、困惑しながら後ろを振り向く。そこには作業をしている菊野が居る。菊野は紗久羅をじろっと睨みながらもあごをしゃくり「行け」という無言のサインを出した。


「ありがとう、ばあちゃん。さくら姉、あたしも行くよ! 何だかものすごく気になるし」


「ええ、一緒に行きましょう!」


 紗久羅は二階にある家から通しの鬼灯を持ってきて、勢いよく一階へと駆け下りてきた。

準備が出来たところで、二人は早足で喫茶店を目指した。その間、さくらはまだ紗久羅に話していなかったことなどを語る。

 彼女は頷いたり、質問をしたりしながら、一生懸命頭の中で情報を構築しているようだった。商店街から店までは結構な距離がある。もどかしい思いをさくらは抱きながら足を進める。


 やっとのことで『桜~SAKURA~』へ辿りついた。ドアを開けると秋太郎が二人を迎えてくれた。店の中には殆どお客さんはおらず、静かで穏やかな空気が流れている。その空気が少しだけ、あせる二人の気持ちを落ち着かせた。

 テーブルを拭いていた弥助が二人に気がつき、こちらへやってくる。同じくテーブルを片付けていた満月はふわりとした笑みを浮かべながら、こちらへ軽く手を振り厨房へと消えていく。


「よお、二人共。……どうしたっすか? 何か随分急いで来たようだが」


「弥助さん、牧田君が」

 さくらは俊樹が向こう側の世界の者と関わっているかもしれないということ、メールを送った後学校から姿を消したことなどを話す。

 それを聞いた彼は青ざめ、思わずテーブル拭きをカウンターへと叩きつけた。


「それはかなりやばいじゃないか! くそ、なんてこった……」


「弥助さん、笛吹き魔やコスプレ女のこととかって調べたんですか?」


「ああ、一応な。有益な情報になるかどうかは分からないっすが……後一応俊樹のことについても周りから少し話を聞いた」


「教えて下さい。もしかしたら笛吹き魔達が牧田君と何かしら関わっているかもしれないんです。私が見たり聞いたりしたことなどと照らし合わせれば、何か分かるかもしれません」


「ああ。だが、今は仕事が……」


「良いよ。少しの間なら。行っておいでなさい」

 三人のやり取りを黙って聞いていた秋太郎が口を開く。そして彼らの緊張を拭ってくれる、優しい笑みを浮かべた。弥助は彼の言葉に甘えることにし、満月に少し店を離れるから宜しくお願いしますと言い、休憩室らしき所へ入ると何かを持ってきた。恐らく今回の話に何かしら関係があるのだろう。

 弥助はさくらと紗久羅を先導し、すぐ近くにある秋太郎の家へ向かった。


 四方を本に囲まれた居間。綺麗に磨かれているテーブルの上に弥助は抱えていたものを広げた。

 見てみれば、それは桜町周辺の地図で色々印がついている。

 弥助が説明する前に、さくらは改めて俊樹についての話、不審者女の話などを二人に聞かせた。全て聞き終えた弥助はゆっくり頷きながら、自分が調べてきたことを話していく。


「まず笛吹き魔だ。あっしはこいつの笛を聞いたという人達から話を聞いた。その話を元に推定されるルートをここに記入してみたんだ。まあ正確なものは分からないから、あくまでこんな感じといったものだが」

 弥助が指差した辺りには赤い線や点が書き込まれている。二人はよくここまでやったなあ、と素直に感心した。

線が書かれているのは桜町中央よりやや西に寄っているところ。さくらがあまり歩いたことのない場所だ。線の出所は舞花市で、そこからずっと伸びている。見たところルートは複雑なものではなく時々右に折れたり、左に折れたりしながらもほぼ真っ直ぐ進んでいるようだった。

 線は途中で点線へと変わっていき、やがて途切れた。


「多分この点線で書いた辺りで、笛吹き魔は止まっている。牧田家のお向かいさんである男が見た化け物っていうのが真実笛吹き魔だとすれば、奴はこの辺りで止まったんだろう」

 弥助が指差したところには青いシールが貼られていた。


「笛吹き魔は同じ道を辿って舞花市方面へと帰っていくみたいだ。こいつの笛は不思議な力を持っているのか、笛の音を皆認識はするが、そのせいで眠りを妨げられることはないらしい。夢の中で聞いているような感覚らしいっすね。仮に起きていたとしても、この笛の音を聞くと思うように体が動かなくなるようだ」

 その辺りについては静香からも聞いた。美しい音色ではあるが、同時に気味の悪いものでもあったと語っていたのをさくらは思い出す。


「次はコスプレ女だが……この女は舞花市と桜町に出現していたようっすね」


「私はこのコスプレ女さんが牧田君と一緒に居たっていう女の人なのでは、と思うのですが」

 殆ど根拠らしいものはないのだが、もしかしたらそうであるかもしれない。


「その推測、当たっているかもしれないな。……この緑色の印が、コスプレ女が現われたとされている場所っす。ほら、ここ見てみろ」

 弥助が指差したのは舞花市を入ってすぐの所。ある一つの建物をぐるっと囲むようにして緑色の点が印されている。

 その建物――やや大きめの四角――に書かれていたのは『東雲高等学校』という文字。さくらはそのことに気がついた途端、只の点が気持ち悪いものに見えてきた。


「コスプレ女はどうも、この高校近くでよく見かけられていたらしい。目撃されるのは大体昼~夕方にかけて。あんたらが授業を受けたり、部活をやったりしている辺りの時間だな。……東雲高校の近くに駄菓子屋やタバコ屋があるの、知っているだろう? そこの店をやっているおばちゃんや婆さんが、毎日のようにこいつの姿を見たと言うんだ。目撃情報を総合すると、コスプレ女は東雲高校の周りをひたすらぐるぐるしていたらしい。始め駄菓子屋の婆さんは道に迷っているのだと思い、恐る恐る声をかけた」

 奇妙な格好をした女に話しかけるのは相当な勇気が必要だろう。

 

「ところが、だ。女はにこりと笑って『私は愛しい人を待っているだけなの』とだけ言って、さっさと居なくなっちまったらしい。だがしばらくするとまた女はこの店の前を通った。……多分他にやることとか、行くところとかなかったんだろうな」

 コスプレ女が待っていたという愛しい人。それが俊樹である可能性は決して低くない。


「それに、ほら。桜町の方を見てみろ」

 桜町にも緑色の印が幾つもある。印は俊樹の家近辺に多くあり、逆にさくら達が住んでいる辺り――町の中心や、三つ葉市近く――には全くといって良いほどないのだった。


「噂としては桜町や舞花市全体に広がっているが、本人の行動範囲自体はものすごく限られている。多分この女は俊坊中心に動いている。……目撃された場所と俊坊が通学する時に利用しているらしい道がほぼ一致しているし……実は、コスプレ女が俊坊の家をじっと見ていたっていう話も出ているんだ」

 地図には俊樹が通学する時に使っているらしい道を大まかに記してあった。

 確かにその道に沿うようにして緑色の印がある。バラバラに話を聞いただけでは分からないが、実際に図などにしてみると浮き上がってくる事実。

 紗久羅は気持ち悪い、と舌を出しながら露骨な嫌悪感を示す。


「完璧ストーカーだな……で、さくら姉はこの女が『向こう側の世界』の住人かもしれないって思っているんだよな」


「ええ。コスプレ女さんと牧田君のことが好きらしい女の人が同一人物だとすれば、の話だけれど。牧田君は随分と変わってしまったわ……たった一週間程で。傷つけたはずの頬がすぐ元通りになったり、肌の色が白くなったり……精神的にも大分不安定になっていたようだけれど」


「確かに近所の人も、俊坊の様子がおかしいって話してくれたな。牧田家から何かが割れるような音とか、俊坊の怒ったような声とかが聞こえてきたらしい。雰囲気もがらっと変わって、まるで別人のようだと言っていたっす」


「精神状態の変化はともかく――傷が一瞬で再生するとか……そういう普通では考えられない肉体の変化は……向こう側の人が関わっていない限り、起きないような気がするんです」

 さくらのその言葉に弥助が頷く。


「私達世界の人からしてみれば、コスプレ女さんの格好は奇抜なものに見えたかもしれません。大昔の王族が着ていたようなものらしいですから……だからそれを見た人は『何かのコスプレ』だと思った。けれど」

 向こう側の世界ではどうだろうか。さくらは翡翠京や麗月京へ行った時のことを思い出す。彼らの格好は着物が主だった印象がある。あの世界を基準に見てみると、彼女の姿はそこまでおかしくないのかもしれないと考えた。

 陽菜の友人は漫画に出てくる登場人物に似ている気がすると言ったようだが……それは恐らく偶然だろう。


「後、私の後輩がお友達から聞いたようなんですが……コスプレ女さんは、普段はとても大人しい犬に吠えられたらしいです。それを聞いた時は、ああきっと犬がびっくりしたり怯えたりする位すごい格好だったんだなって位に思っていたんですけれど……あの、犬や猫……そういった動物って、人間には分からない何かを感じ取ることが出来るって言いますよね。その犬はもしかしたら、コスプレ女さんが人間ではなく、異質な存在であることを感じ取ったのかもしれません」

 

「そうらしいっすねえ。あっしもよく犬に吠えられるっすよ。多分あの馬鹿狐とかも同じじゃないっすかねえ」


「あ、あたしそういえば前あいつが犬にわんわん吠えられて迷惑そうにしていたのを、見たことがある。すげえ嫌われようだったぜ」

 紗久羅はその時のことを思い出したのか、にやにやと笑っている。余程愉快な光景だったのだろう。さくらもつられて笑ったが、俊樹のことを思い出した途端、笑うに笑えなくなった。

 そしてさくらは、他に考えていたことを口にする。それはこの地図を目にして思い浮かんだことであった。


「あの、もしかして笛吹き魔もまた……同一人物とか……ありえない……かしら?」

 二人がさくらを同時に見る。見られたさくらは少し照れながら、地図に目を向けた。

 コスプレ女が目撃された場所、笛吹き魔が歩いていたらしい場所。赤い線と、緑の印。その二つはほぼ綺麗に合わさっていたのだ。


「あっしも話を聞くうちに思った。ここまで綺麗に一致するのは偶然ではないと思う。あっしは勝手に笛吹き魔のことを男だと思っていたんだが……。女であってもおかしくはない。こいつの性別に関する噂は一切なかったし」

 

「それじゃあさあ、牧田先輩のお向かいに住んでいた奴が見たっていう黒くて大きな化け物っていうのは一体なんだったんだ? 寝ぼけて見た幻覚?」

 紗久羅の疑問に、さくらはううんと唸る。


(大きくて……黒い……塊……)

 コスプレ女の正体が黒くて大きな化け物なのかもしれないとさくらは最初考えた。

 だが、彼女の特徴の一つを思い出した時、一つの仮説が頭の中によぎる。


「コスプレ女さんは確か、地につく程髪が長いって話だったわよね。そんな彼女は、牧田君の家の前で笛を吹いていた。彼の為に演奏しているのなら、当然その顔は彼の家の方へと向いていたはず。となれば必然的に、お向かいさん側には背中を向けることになるわよね。笛吹き魔が現れるのは夜。当然外はとても暗かったはず。その闇夜の中で見える、体を隠す豊かな黒髪……それがもしかしたら黒くて大きな化け物に見えたのかもしれないわ。これが昼だったら、髪の毛だってすぐ認識できたでしょうけれど。暗い上に、相手は人間ではないんじゃないかと思いながらそれを見たら……」


「成程。お向かいさんの勘違いではあったけれど、全くのでたらめってわけでもなかったってことだね」

 紗久羅は頷きつつ、納得した様子を見せる。勿論これは推測でしかないのだが。


「笛吹き魔とコスプレ女。この二人の噂が出始めた時期も、ほぼ同じようっす。逆に、笛吹き魔の笛が聞こえなくなった時期と、コスプレ女を見かけなくなった時期もほぼ同時のようっす」


「そう言えば、確かにコスプレ女の話とかもあまり聞かなくなったなあ。牧田先輩と一緒に居たっていう女は、特別変な格好はしていなかったんだよな?」


「ええ。髪の毛が地面につく位長かったっていう話は聞いていないし、格好も着物とかではなかったみたい。弥助さんや出雲さんの様に姿を変えられる妖も居るのだし……きっと彼女も変身能力みたいなものを持っていたのではないかしら」

 彼女が普通の格好をするようになった為『コスプレ女』は目撃されなくなったのではないだろうか。そして噂は消えていった。


「こっちの世界の奴全員が姿を変えられるわけではないっすが……まあ出来る奴は少なくないからな」


「しかし何でそいつは急に笛を吹いたり、変な格好でうろつくのをやめたりしたんだろう?」


「そうね……。彼女は何かがキッカケで、牧田君に恋をした。そして彼に向けて笛を吹いたり――彼女流の愛の告白だったのかしら――彼を追いかけたりした。最初の内はそれだけで十分だった」


「だが、俊坊への想いは募っていくばかり……とうとう我慢できなくなった女は、人間の女として俊坊と何らかの方法を使って接触した」


「そして、彼に何かした……。牧田君は自分が変わってしまった、篠宮さんとは違う存在になってしまったと語っていた。それは自分が人間ではなくなってしまった……ということではないかしら。牧田君はお昼を食べる前に、飴のようなものを食べていたらしいの。それがもしかしたら何か関係しているかも」

 さくらの言葉を聞き、弥助があごをさすりながら何か考え事をしている。人を異形の存在へと変えてしまうような食べ物があったかどうか思い出そうとしているようだった。


「確かにそういうものが全くないとは言わないが……しかし愛する人を手に入れる為に、毒物といってもおかしくないようなものを平気で食わせるとは」


(私には分からないわ。そんなことをしてまで、手に入れたいなんて……。けれど、何かしら。何か大事なことを思い出しそうなのだけれど……それに女の人が牧田君をエンデュミオンと呼んだ理由もよく分からないし……ええと……毒……異形……食べ物……あら?)

 頭をフル回転させているさくらの目に映ったのは、地図の余白部分に書かれている日付。さくらは不思議に思ってその日付を指差す。弥助がそれに気がついて、ああと口を開いた。


「それは笛吹き魔とコスプレ女の噂が流れ始めた頃の日付っすよ」


「二週間ちょい前位だな。丁度麗月京で月見をした頃だね」


「そうね。あれから二、三日経った後から……みたいね」


「へえ、あんた等も麗月京へ行ったのか。あっしも最後の日に行ったんだ。あそこの飯は美味いから、毎年楽しみにしているんだよ」

 にんまりと笑みを浮かべ、酒を飲むふりをしてみせる。


(麗月京……楽しかったわ、本当。夢の様なひと時を過ごすことが出来た。月に住んでいたという月の民の人達は皆綺麗で……)

 ほんのわずかの間、麗月京での月見をしたことを思い出し、幸せな気持ちで胸が満たされる。自然と笑みがこぼれ、少しだけ緊張感がほぐれた。

 だが波のように引いていった何かが一気に押し寄せ、さくらは石のように硬くなる。心臓が止まり、顔が真っ青になった。


(エンデュミオン……月の女神……人を異形の存在へと変える毒物……笛……不老不死……)


 頭の中で巡る様々な映像が、さくらを真実へと導いていく。


「もしかしたら牧田君のことを愛した女性は……月の民なのかもしれないわ」

 その言葉に返ってきたのは「はあ!?」という二人の驚きの声。


「紗久羅ちゃん。私達、麗月京で影月さんという女性と会ったわよね?」


「え、ああ、うん。覚えているよ。ものすごく元気な姉ちゃんだった」


「影月さんは音紡のメンバーだった。けれど本当はあの夜、彼女には演奏する予定はなかった。けれど彼女は月島さんに呼ばれ、急遽(きゅうきょ)あの日の演奏に参加することになってしまった」

 人間の世界に興味津々だった影月。だが結局彼女はさくら達からまともに話を聞くことが出来ないまま、さくら達の前から姿を消してしまったのだ。


「そういえばそんなことがあったなあ。確か本来参加するはずの姉ちゃんが姿を消していたんだよね……え、さくら姉もしかして」

 紗久羅はそこまで言ってようやく彼女が考えていることを読み取ったらしい。

 ゆっくりと頷くさくら。


「その人こそが牧田君をエンデュミオンと呼び、慕った女性だと思う。確か彼女の名前は星條(せいじょう)さん」


「でも、何の根拠があって……」


「理由は幾つかあるわ。一つ目は牧田君が人間ではなくなってしまった原因。それがもし彼が昼食前に食べていたらしい飴だったとしたら。ほら、影月さんが話してくれたでしょう? 月の民が食べるものは、他の人達が食べると毒だって」

 頭の中に響く、影月の言葉。


----死にはしないわ。ただ、今まで自分達が食べていたものを食べても、飲んでも、お腹が膨らまなくなるの。栄養にもならず、食べても飲んでも何の変化もなくなる。当然時間が経てばお腹が空くし、喉は渇く。……その飢えや渇きを癒すには、もう月の民の食べ物を摂るしかない。けれど食べれば食べるほど、自分が自分ではなくなっていく。そして……最終的には月の民もどきになってしまうの――


「牧田君は土曜日、篠宮さんとデートに出かけた。ところがその日の彼はひっきりなしに物を食べたり飲んだりしていて……しかもそれだけ食べてなお、お腹が鳴った……らしいわ。牧田君金曜日に女の人……星條さん、としておきましょう。星條さんから貰った飴――と偽った月の民の食べ物――を食べてしまったのではないかしら。そのせいでお腹は満たされず、喉も潤いを失った。まあ月の民の食べ物は口にしていたから、どうにか行動は出来ていたようだけれど……」

 そして土曜日公園で、たまたま星條を見かけた(もしかしたら星條が意図して彼の前に姿を現したのかもしれない)俊樹は星條を追いかけた。自分がおかしくなった原因が、彼女から貰ったものにあるかもしれないと思ったから。


「そこで俊坊は、真実を知らされた。自分が毎日を生きていくには、もう星條って女から月の民の食べ物を貰い続けるしかないという事実を知った」

 恐らく星條は、それをあげる代わりにデートしてくれとかなんとか言ったのだろう。俊樹は嫌だったが、生きるためにはそうするしかなかったから、仕方なく星條の言うことを聞くことにしたのだ。

 俊樹が昼前に月の民の食べ物を口にしていたのは……星條に言われたからなのかもしれないし、他の食べ物を食べてもお腹が全く満たされない感覚がいやだったから、あらかじめ飴みたいな食べ物を食べることでお腹を満たしたかったからかもしれない。


「けれどその食べ物を食べれば食べるほど、俊坊は月の民へと近づいていったんだな。……月の民は不老長寿の種族と言われている。ちっとやそっとの傷ならすぐ再生するっていう話も聞いたことがあるな。どうも不死の属性ももっているらしい。カッターで切った頬の傷がすぐ消えたのは、俊坊が月の民もどきになっちまったからだろう」

 そのことに彼は気がついただろう。自分の体がどんどん変わっていくことを嫌でも感じ取っただろう。少しずつ変化していったわけではなく、一気に変わっていったのだから。

 彼は自分が異形の存在へと変わっていくことに耐えられず、精神的にも不安定になっていった。誰だってそうなるに違いないとさくらは思う。


 彼はきっとものすごく苦しんだだろう。自分が一番愛した人にさえ苦しい思いを打ち明けることが出来なかった。誰にも、話せなかった。そして結局一人で苦しむことになった。

 さくらは胸の痛みをこらえながら、話を続けた。


「二つ目の理由は、笛。星條さんが笛吹き魔であるということを前提にした考えだけれど。確か月島さんは、星條さんが竜笛役の一人だって言っていたわ。きっと彼女は笛が得意だったのよ。……ああいう演奏で、下手な人を使うとは考えられないし。……そんな彼女はこちらの世界へ行く時、一緒に笛も持っていったのかもしれない。月の民の食べ物も多分、一緒に」

 笛の演奏が得意な彼女は、俊樹に愛を告げる時その笛を使おうと思ったのかもしれない。


「三つ目の理由は、彼女が東雲高校の生徒に話しかけた時の状況。彼女は月の下の水晶とか、蛍の光とか、川を流れる紅葉とか……そんなことをいきなり言ってきたらしいの。そんな訳の分からないことを言っておいて『どうして何も言ってくれないの?』とか何とか言いだしたとか」


「そんな変なこと言われても、こっちだって返答に困るよな」


「ええ。……けれど、彼女にとっては少しも変なことではなかったのかもしれない。……彼女は只、挨拶をしただけだったのかも」


「挨拶?」

 紗久羅は一瞬何を言っているんだという表情を浮かべる。一方の弥助は納得しているような顔をしていた。


「ああ、この世にある美しいものって奴か。あの京では割と一般的な挨拶だな」

 それを聞いて紗久羅も思い出したらしい。

 

「あれを初めて聞いた時、何をしているんだろう? と不思議に思ったことを覚えているわ。何も知らない人が、いきなり蛍の光がどうとか言われたら絶対ぽかんとすると思うの」

 彼女はしばらくしてようやくここではその挨拶が通用しないことを悟った。だが、さくら達人間が呆然とする表情を見るのが楽しくなって、わざとその挨拶をやり始めたのだろう。

 更に彼女が述べていたという外国人らしい名前。恐らく『エンデュミオン』と言っていたのだろう。ジョンやブラウンのように馴染み深い名前ではなかった上に、頭がパニックを起こしていたから誰もその名前を覚えていなかったのだ。


「星條さんは牧田君のことをどうやらエンデュミオンと呼んでいたようなんです。直接彼がそう言ったわけではないんですが……。彼は『俺はエンデュミオンなんかじゃない!』と叫んでいました。友人達に送ったメールにもそういう言葉が書いてありました」

 その後さくらは、エンデュミオンとセレネの恋物語を二人に聞かせた。


「牧田君がエンデュミオンなら、そんな彼に恋した彼女はセレネ……月の女神です。月の民である自分と、月の女神セレネを重ね合わせたんじゃないでしょうか……彼女は」

 自分とは『違って』老いていってしまうエンデュミオン。そのことに我慢できなくなったセレネは、ゼウスに頼んで彼を自分と『同じように』決して老いぬ体にしてもらった。


(星條さんは自分とは違う存在――人間である牧田君に恋をした。けれど『違う』以上、自分と彼が結ばれるのは難しい……そう考えたのかもしれない。だからこそ、自分と牧田君を『同じ』存在にする為に……そんなことをしたって、牧田君の心は手に入らないのに)

 

「さくら姉の考えは間違っているとは思わない。思わないんだけれど……真実牧田先輩を変えてしまった女っていうのが月の民、星條だとして……何でそいつはエンデュミオンとセレネの話を知っていたんだ? その話ってこっちの世界で伝わっている話だろう? その星條って奴が毎年こっちへ遊びに来ているとしても、そういう話を知る機会ってそう無いと思うんだけれど」

 腕組みしながら疑問を口にする紗久羅。それを聞き、さくらは唸る。


(紗久羅ちゃんの言う通りだわ。出雲さんや弥助さんみたいにかなり頻繁にこちらの世界と関わっている人ならともかく……星條さんもまた、こちらで長い間過ごしていたのかしら? けれど今年の音紡のメンバーに彼女は選ばれている。毎年麗月京が開かれる時期になる度、外へ出て行ってしまったり、そのまましばらく滞在してしまったりしているするような人を選ぶとは思えない……。まあ月島さんはあの時『大方ここを抜け出してどこかで遊んでいるのだろう』とまるで彼女の行動を把握しているかのようなことを言っていた。そういう風に麗月京を出て行ったことが何度かあったのかも。けれど、それにしても……)


「後、もう一つ分からないことがあるよな。笛吹き魔が喋っていたらしい相手って奴だ。あまりはっきり聞こえなかったが確かに男と女の声だったと皆言っている。笛吹き魔が女だとすれば……話し相手は男ってことになる。その男っていうのは一体何者だったのか」


「確かその話し声が聞こえた次の夜から、笛吹き魔は現われなくなったんだよな? それと今回のことは関係あるのか、ないのか。いまいちよく分からないよなあ」

 少なくとも今まで集めた情報の中に、その男の正体を示すものは無いようにさくらは思えた。だがその男が何かしらの形で関係しているのではないだろうか、と同時に思う。


(その人と話したことをきっかけに、星條さんは積極的に行動しようと思うようになったのかもしれない。その男の人が、彼女の背を押した……?)


 気まずい沈黙が流れる。答えは出そうにも無い。

 だが三人共分かっていた。


 答えが分かったところで、自分達に出来ることは何も無いということが。

 もう何もかも手遅れだということが。


 恐らく俊樹は星條と共に生きることを選んだのだ。最早人間ではない自分がこの世界で生きることは出来ないと思って。だから静香や友人達にメールを送り、姿を消した。


(牧田君は言っていたじゃない。全てが遅すぎたと)

 だが、さくらはそれを認めたくなかった。彼のことを心の底から大切に思っている静香や友人達のことを思うと、どうしても認めたくなかった。

 だからこそ、こうして三人ひっきりなしに喋っていたのだ。そうしている間はその残酷な事実を忘れることが出来ていたから。

 さくらは弥助を見る。その視線に気がついた彼は気まずそうにしながら首をゆっくり横へと振った。


「最初の内だったらどうにかなったかもしれないが……もう今は。麗月京の奴等に助けを求めることも出来ないし。ちくしょう、結局その女の一人勝ちじゃないっすか!」


「星條さんと牧田君はきっと、こちらの世界から消える。あちらの世界へ『帰って』いくに違いないわ……ううん、もしかしたらもう帰ってしまっているかもしれない。月にある故郷へあっという間に帰っていったかぐや姫のように。麗月京へは後一年しないと帰れないでしょうけれど『向こう側の世界』へ行くこと自体はできるはず」

 俊樹を手に入れることが出来れば、もうこの世界に用は無いだろう。

 

「あの馬鹿狐でも、牧田先輩を助けることは出来ないのかな」

 紗久羅が腕を組み、俯きながら呟いた。


「分からん。巫女を喰らうことで手に入れた力でどの程度のことまで出来るのか、あっしには分からない」

 と言っているが、顔には「多分無理」と書かれている。出雲だって万能ではないのだから。

 仮に俊樹を助ける力があったとしても、彼がさくら達の助けを求める声に応えてくれるかどうかは微妙なところだ。もしかしたら本当は助けることが出来るのに「出来ない」と答えるかもしれない。


「けれど、もう相談できそうなのは出雲さんしか居ないわ」

 彼が話をまともに聞いてくれるかどうかは分からない。だが聞かないまま只んぼうっと時間を過ごすことも、さくらには出来そうになかった。


「さくら姉、駄目元で行ってみるか? 相談しに行かなきゃ良かったと後悔する可能性が高いけれど」

 紗久羅も同じ考えらしい。さくらの答えを聞く前に彼女は立ち上がっていた。

 弥助は勝手にしろと、二人を送るかのように手を振る。


「まあ、とりあえず聞いてきな。少しでも現状が良い方向に進むことを祈って。あっしは店へ戻る。……俊坊のことが心配だが、仕事も大事だ。まあもう殆ど後片付け位だけどな。いいかお前等、無茶はするなよ?」

 弥助はさくらの鼻の前に人差し指を突き出し、じっと真っ直ぐ目を見つめながら念を押した。さくらは曖昧に笑い、弥助に礼を言ってから家を出た。それを見て弥助は困った奴だと言わんばかりに息を吐く。


「あいつは放っておくと何をするか分からないっす。困ったもんだよ、本当。紗久羅っ子、あいつのお守りを頼んだぞ。……あいつの方がお前さんより年上なんだがな……」

 まだ家から出ていない紗久羅は、弥助に話しかけられ、苦笑いした。

 確かにさくらは色々と危ういところがあるから、一人で放っておくのは心配だと紗久羅も思う。


「分かっているよ。とりあえず今日は出雲の所へ行くだけにするよ。それ以外、何も出来ないしね。しかし、お前よくあれだけのことを短期間で調べあげたなあ」


「まあな。あっしは人から情報を引き出すのが上手いんだ」

 弥助がにかっと笑う。紗久羅もつられて笑うと、さくらの後を追いかけて行った。


 外はすっかり暗くなっていた。先に秋太郎の家を出たさくらのあちこちはねている髪が、涼しい風にさわさわと揺られている。二人共気持ち早足になっていた。もう手遅れなのだろうと思う一方で、早くしなければいけないとあせる気持ちもあった。信じたい幻想と、信じたくない現実。入り混じった二つのものが、二人の心と体を硬くする。


 家からそう遠くない場所にある桜山。その辺りには月光以外の灯りは殆ど無いものだから、ますます暗かった。油断をすれば闇に、山に、飲み込まれてしまうような気がして、さくらは少し身震いした。たまらず、さくらはポケットに入っている鬼灯に手を伸ばす。かちこちに硬くなったものが、鬼灯の温もりによって少しだけ柔らかくなった。


 こちらとあちらを繋げる『道』はいつも通りで、幻想・恐怖・不気味といった美しい言葉と恐ろしい言葉が色々入り混じったような空気を漂わせている。

 闇にも負けず、紅く輝く鳥居。フランス人形の瞳に似た色をした青い炎、無邪気で残酷な笑みを浮かべる女を思わせる桜の花びら……足の裏から体温を奪っていく石段……。


 その『道』を抜けた先に、満月館がある。二人は最後の数歩を駆け足で上がり、最後にあるとりわけ大きく威厳のある鳥居をくぐり抜けた。

 

「うわ!?」

 勢いよく駆けていた紗久羅が急にスピードを落とし、その場で止まる。少し遅れて、さくらが鳥居を抜けた。

 見れば紗久羅の前に、一人の女が立っていた。


 空に浮かぶ銀の月と瓜二つの輝きを持つ肌。その肌の輝きを引き立てているのは、艶やかな黒髪。その髪は地面に触れていた。月を抱く、星を散りばめた夜空にも似たその髪は遠くから見ても美しい。

 淡い黄色と紅を重ねた衣。ガラス細工同様繊細で儚い雰囲気を持った薄絹。

 髪に負けない位長い裳。

 二十代半ば~後半らしいその女性は、右手に笛らしきものを持っていた。


 その姿を見て、二人は絶句した。


(あの格好……まさか。でも、何で、満月館の前なんかに、この人が?)

 

「私を探していたのかしら? 良かったわね、私がまだここを離れていなくて」

 歌うように紡がれた言葉。笑みを浮かべながら、女は二人を見つめた。その瞳は何もかも理解していると語っているようだった。


「せ、星條……さん……?」


 女は先程までよりもずっと美しく、無邪気な笑みを二人へ向けた。


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