表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
桜町幻想奇譚  作者: 里芽
我が愛しのエンデュミオン
57/360

我が愛しのエンデュミオン(2)

「出雲は今日、貴方達と会う気分じゃないって。……だから、帰って」

 お茶やお菓子をご馳走になるついでに(懲りもせず)笛吹き魔等についての話をしようと思っていたさくらと紗久羅を待っていたのは、手厚い歓迎ではなく、拒絶。


 呼び鈴が鳴らされるのを聞いてやって来たらしい鈴は、扉を少しだけ開け、刺々しい声色でそれだけ言うと乱暴に扉を閉める。ちょっと何だよ、という紗久羅の抗議に対して聞こえてきたのは、扉の鍵を閉める音だった。


 満月館に遊びに行って、お茶などをご馳走になるのが半ば日常化してきていた二人。今までここまであからさまに拒絶されることは無かった(面倒臭そうな顔、嫌そうな顔で迎えられたことは度々あったが)から、もうただ呆然とするしかない。


 しかしこんな所でぼうっとしていても仕方が無い。こちらの世界を出雲無しで歩いたことは無いし、何が起きるか分からないから暇つぶしにこの辺りを散策する勇気も無い。

 どうしても出雲と話がしたいわけでもなかったから、二人は素直に引き返すことにした。桜山の近くには『桜~SAKURA~』がある。そこでお茶でもしようと紗久羅が提案する。


「あそこだったら弥助が居るし。話を聞いてくれるかも」


「そうねえ……けれど、この時間だとお客さんがいるかもしれないから、あまりお話できないかもしれないわ」


 実際その通りで、喫茶店には何人か客がいた。弥助も今回はさくら達ばかりに構っている暇はなさそうだった。

 弥助に注文を聞かれた時、さくらは笛吹き魔を知っているかと彼に問う。どうやら知っているらしい彼の顔は、何故かとても歪んでいた。


「知っているよ。そいつやコスプレ女の噂話は耳にタコが出来る程聞いた。……どうせあんた等も気になっているんだろう、笛吹き魔のこと」

 気になっていないはずがないよな、と大した断言っぷり。しかし図星であるから、断言するなよ!と文句を言うことも出来ない。


「あっしも何度も聞いている内に気になってきたっすよ……今度情報を集めようかと思っている。今は笛吹き魔によって何かしら被害を受けたって話は聞かないが。放っておくわけにもなあ」

 二人の注文を受けながら呟く弥助。そんな彼にさくらは静香と俊樹のこと等について話そうとしたが忙しいのかさっさとその場を離れてしまった。

 さくらと紗久羅は注文したものを待つ間、話をする。


「ここの所毎晩来ていたはずの笛吹き魔が来なくなった。しかもその前の夜には笛吹き魔の演奏が途中で終わり、誰かと話した後消えていった……先輩達の話を信じるなら、そういうことになるよな」


「ええ。笛吹き魔の目的は何なのかしら。わざわざ同じ道を通って、同じ場所で立ち止まる位だから……何かしら目的があると思うのだけれど」


「けれど笛吹き魔は金曜の夜には現われなかった。もし昨日の夜や今日の夜に現われなかったら……」


「もう、来ることは無いかもしれないわね。金曜の夜に彼の目的は達成されたのかも」


「誰かと話していたらしいけれど……その話し相手と会うことが目的だったとか? 笛はそいつを呼ぶ合図のようなものだったとか。そいつがなかなか自分の前に現れないから何日も続けて吹き続けていたが、とうとう相手が現われ、目的は達成された。夜に吹くのは、その相手もしくは笛吹き魔自身が夜にしか活動できないから……とかじゃないか?」

 自信無さそうな紗久羅の声。ただ他人から聞いた嘘か本当かも分からない話だけを頼りに考えるしかないのだから無理は無い。


「そうねえ……。笛吹き魔が笛を吹いていた理由も気になるけれど、牧田君もことも気になるわ。笛吹き魔の演奏と、彼の様子がおかしくなってしまったことと関係はあるのか、ないのか」


「突然ご飯を必要以上に食べるようになって、水分も異常に摂るようになった――彼女である篠宮先輩は気が気じゃないだろうな。ある日突然っていうのが引っかかるよな。ストレスがものすごくたまっていて、それが爆発しておかしくなった? それとも何かの病気? 笛吹き魔の演奏が牧田先輩にとってものすごいストレスになっているとかかなあ。けれど、家が近い篠宮先輩は元気なんだよな」


「らしいわ。まあもしかしたら牧田君以外に具合が悪くなった人が居るかもしれないけれど……。けれど牧田君の具合が悪くなったのは、笛吹き魔が来なくなった後なのよね……本当、よく分からないわ」

 少ない、しかも不確実すぎる情報が元に考えても、答えは見出せそうに無い。


「弥助が今度情報を集めてみようかなとか何とか言っていたよな。そうすればもっと色々な考えが浮かぶかも。まあどうしたって答えにはいきつかないような気がするけどね。仮に答えが出たとしても、笛吹き魔に会わないことにはそれが正しいかどうか分からないし」

 最初に出された水をちまちま飲む紗久羅を見ながら、さくらは静かに頷く。

 そして今度はコスプレ女の話になる。


 さくらが環から聞いたコスプレ女の話をしてやると、紗久羅は何それ気持ち悪いと顔を歪めた。


「それが本当だとしたら、コスプレ女って超危ない女じゃん。マジで何をするか分かんない感じ。ていうか何者なんだよコスプレ女って。最近になって目撃されるようになったみたいだけどさ」


「そうねえ。普段はとても大人しい犬にさえ吠えられちゃうような格好をして、この辺りを歩き回って……何か目的でもあるのかしら?」


「目的ねえ……どうだかなあ。目立った格好をして皆の視線を浴びたかったとか、愛しい王子様に自分の存在をアピールするためとか、それとも元々コスプレとかが好きで、ふと奇抜な格好をして街を歩きたくなっただけなのか……。しかし地面につきそうな位長い髪のかつらってそう簡単に手に入るものなのか? 昔のお偉いさんの衣装とか……自分で作ったのだとしたら、すごいよなあ。ある意味」

 紗久羅の疑問にさくらは困ったような笑みを返すしかない。コスプレなどに興味を持ったことがないから、そこら辺のことはよく分からない。

 

 結局良い考えが思い浮かぶことはなく、二人は甘いお菓子に舌鼓をうった後、大人しく家へ帰った。


(笛吹き魔とコスプレ女は何者なのか。牧田君がデートをやめてまで追いかけた相手は誰なのか。……そして何故牧田君は急に沢山飲んだり食べたりするようになってしまったのか。笛吹き魔の笛と、そのことは関係しているのか……分からない。全然、分からない)


 月曜日、いつもと同じ時間に教室へと入ったさくらはいつも通り本を広げる。

 しかしいつものように読書に集中は出来なかった。彼女は本を読むフリをしながら、やや離れた席に座っている俊樹の様子を見てみる。

 彼は友人達と喋っており、何かおかしなことでも聞いたのか大笑いしている。

 見た感じ、今も具合が悪いようには見えなかった。


 休憩時間などにもさりげなく彼へ視線を向けるが、特別変わった様子は無い。


(体、すっかり良くなったのかしら?)

 さくらはそう思おうとした。だが、出来なかった。

 彼が真実元気になっていたのなら、当然静香も笑顔でいるはずなのに。彼女は土曜日会った時以上に暗い表情を浮かべていたのだ。時々俊樹の方をちらりと見ては小さくため息をついていた。


 何故彼女がそんな表情を浮かべているのか。俊樹は元気になったわけではないのか。どうしたのか、と彼女に直接聞きたいのは山々だったのだがどういう風に、どんなタイミングで声をかければいいのか分からない。そもそも彼女とまともに話をしたのなんて、先日が初めてのことだったのだ。下手に話しかければ周りの人が、何故さくらが静香に話しかけるのだろうと訝しがるだろうし、不特定多数の人間の前で話す内容でもないし……。


 普段特定の人以外とコミュニケーションをとることがないから、どうすればいいのか分からず悩んでいる間に時間だけがただむなしく過ぎていく。

 このまま彼女にあの後どうなったか聞くことは出来ないのだろうかと半ば諦めかけていた。


 しかしそんなさくらに絶好のチャンスが訪れる。放課後、部室へ向かおうとしていた彼女を静香が引きとめたのだ。

 さくらは驚きつつも、運んでいた足を止める。どうしてさくらが静香に声をかけられているのだろう?と首を傾げているほのりに「先に行っていて欲しい」と告げた。


「何だかよく分からないけれど……まあ、いいか。それじゃあ先に行っているからね」


「ええ、有難う」

 ほのりを見送ったさくらと静香が向かったのは学校の中庭。木々や花に囲まれたベンチに二人腰掛けた。二人を知る者がその光景を見たら、一体何がどうなっていんだ?と首を傾げるに違いなかった。


「土曜日はごめんなさいね。何かみっともないところ見せちゃって」


「そんな。謝る必要なんてないわ。……あ、あのそれで……」

 わざわざこんな所まで連れてきたところを見ると、静香はさくらに何か話したいようだ。俊樹のことを聞くなら今がチャンス。だがなかなか言葉が出ない。

 その様子を見た静香が苦笑いした。


「俊樹のこと、でしょう? 私も、そのことを話したくて。土曜日のことを知っている臼井さんになら話しやすいかなと思って」


「牧田君、見たところ調子が良さそうだけれど……本当のところはどうなの?」


「多分体の具合は土曜日よりよくなっていると思う。さり気なく彼のお母さんにも様子とか聞いたんだけれど……特に変わったことは無いって言っていたわ」

 でも、と静香は続ける。


「俊樹、一見元気そうに見えるけれど……多分無理している。誰も気づいていないみたいだけれど、私には分かるの。彼が無理をしている時に浮かべる表情を……私は、知っている。付き合い、長いから」

 静香はそう言って少し照れくさそうに笑う。


「付き合いが長いとそういうの、分かっちゃうんだ。私は一夜と幼馴染だけれど、あまりそういうの、分からないわ。……元々鈍いから」


「臼井さんがそう思っているだけで、実際はそうでは無いかもしれないわ。他の人は決して気がつかないことに、気がつくこともあるかもしれない……何だか、話がそれちゃったね」

 そうね、とさくらは困ったように笑う。逆に静香の顔は沈んだものへと変わっていく。


「俊樹、何か悩み事を抱えているんじゃないかなって思うの。周りの人――私を含めて――に話すことが出来ないような悩みが……。私、思うんだけれど……その悩みは、土曜日俊樹が追いかけた人と関係があるんじゃないかなって」

 俊樹はあの後「具合は大分良くなった。心配かけてごめん」と電話をしてくれたらしい。だが、自分が誰を追って走っていったのかについては静香が幾ら聞いても話してくれなかった。


「何でもないって……その一点張りで。でもそう言う声はどこか上擦っていて。一瞬浮気でもされているのかなって思ったんだけれど……でもそうじゃないと私は思うの。何となくだけれど。臼井さんは、俊樹が誰を追いかけていたのか見ていない?」

 半ばすがりつくように静香に聞かれ、さくらは困惑する。さくらもまた、俊樹が追いかけた相手を見ていないのだ。申し訳無さそうに首を横に振ると、静香はそうよね……と力なく呟き、俯いた。


「俊樹、絶対おかしい。……今日のお昼にも、変なことがあったの」


「変なこと?」

 静香が頷く。


「私達よく一緒にこの中庭でお弁当を食べるのだけれど……。ベンチに座った私に、先に食べていてと言ってどこかへ行ってしまったの。最初はトイレかなって思っていたんだけれど」


「……そうじゃなかったの?」


「多分。……戻ってきた俊樹の口元に何かがついていたの。透き通った水色のかけら――飴か何かだと思うの」


「飴?」

 静香がこくりと頷く。


「よく見てみたら口の中にもそれらしきものがついていて……。変でしょう? お弁当を食べる前に飴を食べるなんて。誰かから貰ったのならご飯を食べた後に舐めればいい。……わざわざ私に隠れて、ご飯を食べる前に飴を――多分舐めたんじゃなくて噛み砕いたんでしょうね――食べる理由が分からないの。実は俊樹が飴を食べていたらしきところを見かけたっていう人が居て……。巾着袋のようなものから何かを――飴だと思うけれど――を沢山取り出して、狂ったように食べていたらしいの。しばらくして俊樹とその人の目があって……俊樹は、気まずそうな表情を浮かべながら逃げるようにその場を去った」

 そして私のところに戻ってきた……静香は苦しげに言葉を吐き出す。言葉はやがてため息となり、空気を重く沈んだものへと変えていった。


「それと、この前のことが関係しているのかは分からない。けれど何だかもう、どうしようもなく不安なの。考え過ぎだと思いたい……そうであったらどれだけ良いか――けれど、絶対違う。俊樹は今、何かに苦しんでいる。私には分かる。でも、どうしたらいいのか……」

 さくらは異性を好きになったことはない。けれど、大切な人達なら居る。その人達の様子がある日突然おかしくなってしまったら、さくらだって不安になる。

 顔を手で覆い、しばしの間俯いていた静香ははっと顔をあげ、さくらを見る。

 夢中になって話している内にさくらの存在を忘れてしまっていたのだろうか。


「ご、ごめんなさい。こんな変な話しちゃって……」


「いいえ。そういう思いは誰かに吐き出した方がきっと楽になるわ。あと紙とかに書いてみるのも良いらしいわよ。客観的にその出来事を見ることが出来るって……ええと、そんなこと言ってもしょうがないわね……ええと」


「ありがとう。臼井さん。……少しだけ楽になった」


「そんな、とんでもない。もしまた何かあったら、私に言って。色々答えることとかは出来ないけれど――でも、お話を聞くことなら出来るから」

 そうして話を終わりにしようとしたが、まだ聞いていないことがあったのを思い出した。


「そういえば篠宮さん。笛吹き魔はどうなったの?」

 立ち上がっていた静香はさくらを見下ろしながら、静かに首を振る。どうやら出ていないらしい。


「あれから、あの笛の音は少しも聞こえない。近所の人にも聞いてみたけれど、皆聞いていないって」

 矢張り笛吹き魔は現われなかった。彼が笛を吹く理由はもう無いのだろうか。


「あの笛の音が聞こえなくなって――皆ほっとしているわ。私だってそうよ。確かにとても綺麗な音色だったけれど……でも同時に気味が悪くて……何か嫌だった。本当、人間が吹いているとは思えないものだったわ」

 彼女が言う通り、恐らく笛吹き魔は人間では無いのだろう。

 静香は改めて話を聞いてくれたお礼を言うと、足早に去っていく。さくらもそれに続くように立ち上がり部室へと入る。彼女の姿を認めたほのりは「思ったより遅かったね」と言うだけで、彼女と何があったかについては聞こうとしなかった。聞かれたとしても上手く説明できなかっただろうから、有り難かった。


 その日の部活も約一ヵ月後にある文化祭の準備を進め、佳花の手作りクッキーを食べて終わった。

 帰り道、何故か教師数人が校門の辺りをうろうろしていた。どうしたのだろう、と不思議に思いながらもさくらは学校を離れていく。


 やや早足で向かった先は喫茶店『桜~SAKURA~』だ。学校から行くと結構な距離があるが、さくらは少しも気にしない。そして店に入るや否や、やや暇そうにしている弥助に、昨日話すことが出来なかった静香と俊樹のことを話した。

 二人のことを知っていた弥助はそれを聞くと、心配そうな表情を浮かべ、唸る。

 


「そりゃあ心配だなあ。もしかしたらあっし達側の住人が関わっているのかもしれんな……まあ、話を聞いただけじゃ分からないが――とりあえずそこら辺のことも一緒に調べた方がいいかもな。明日は休みだし、いっちょやってやるか」

 出雲とは違い渋ることも、面倒と言うこともなく彼はそう言う。

 きっと彼ならば色々掴んでくれるに違いない。さくらは弥助を信じ、紅茶を一杯飲んだ後帰った。


「ガキンチョ共、恐怖の不審者情報が入ってきたぞ」

 時は朝のSHR。出欠確認を終えたクラス担任――『姫ちゃん先生』こと姫野(ひめの)(あきら)が学校近くに現われたらしい不審者についての話を始める。彼女は紗久羅同様男勝りな先生で、口は悪いが生徒思いであるから意外と人気があった。

 不審者という単語を聞いた生徒の一人が「露出魔ですか?」と手を上げながらふざけた口調で尋ねる。晶は首を縦ではなく横に振った。後ろの下の方で一つに縛った髪が揺れる。


「それが違うんだなあ。その不審者っていうのはむさ苦しいおっさんでも、強面の兄ちゃんでもなく――若い女だったらしい」

 

「若いお姉ちゃん? 姫ちゃん先生、その姉ちゃん美人だったの? 美人が色々露出しちゃったの?」

 エロいことしか頭に無い男子生徒の言葉を晶は「馬鹿」と一蹴した。


「露出魔じゃねえと言っておろうが。後、美人かどうかは知らないよ。あたしはそいつを見ていないし」

 その答えに男子生徒達が一斉に口をすぼめてぶーぶー言い出した。


「ええ、姫ちゃん先生役立たず」


「でも大体の女は姫ちゃん先生より美人だよな」


「じゃあ少なくとも姫ちゃん先生よりは別嬪な姉ちゃんだったってことだな」

 無論、本気でそんなことを思っているわけではない。分かっていながら、からかう為にクソガキ共はそんなことを言っているのだ。


「うるせえ、クソガキ共。生意気なことばっかり言っていると、その舌ちょん切るぞ」

 閻魔もびっくりな恐ろしい形相で生徒達を睨みつける。だが生徒達にはそれ程効果は無い。彼等は怖がってもいないのに怖がっているフリをし、わざと体を震わせた。


「姫、姫がご乱心じゃあ」


「へへえ、姫様平にご容赦を」

 等とひれ伏すようなポーズをとりながらふざける男子も居た。それを見た女子達がきゃっきゃと笑っている。


「てめえ等、姫様の言うこと聞かないと――国語の宿題増やしてやるぞ?」

 どう見ても体育会系でありながら、実は文系人間である晶。彼女が放った恐怖の一言によってようやく茶番劇は終わりを告げる。

 再び晶は女性の不審者について簡潔に話し始めた。


 その女に会ったのは、分かっている範囲では三年の女子三人組と二年男子一人、一年女子が一人。もしかしたら他にもいるかもしれないとのこと。

 女は生徒を引き止め、いきなり訳の分からないことを言い出した。訳が分からないといっても外国語とかだったというわけではなかったようだ。

 日本語ではあった。だがいまいち意味が分からなかったらしい。


「散々訳の分からないことを一人でぶつぶつ言った挙句、今度は私の愛する人を恋人にしていた幸福な女性はどういう人なの、とか私の――何か外国人っぽい名前だったらしいが――はどんな人なのか教えてとか、よく分からないことをしつこく聞いてきたらしい。……とりあえずお前等、気をつけろよ。後、昨日この女に絡まれたっていう奴が居たら、先生に報告するように、以上」

 そう締めて、彼女は詳しいことがのっているプリントを配り、他の連絡事項を述べると教室を出て行った。


 さくらは一時間目の授業に使う教科書等を机の上に置いた後、先程貰ったプリントを眺める。


(昨日先生達が校門の近くをうろうろしていたのは、これが原因だったのね)

 不審者である女は見た目二十代後半位、細身で背丈は普通。髪の毛は長く、お嬢様っぽいおしとやかな雰囲気だったと書かれている。女は数回に渡って高校近くに現われ、半ば無理矢理生徒数人を引きとめたのだという。

 授業が始まる前にトイレへ行こうと立ち上がったさくらは、前の方に座っている静香にさりげなく視線を向けた。


(……?)

 静香は先程のさくらと同じように、あのプリントを見ているようだった。だがその表情は酷く険しいもので、手は心なしか震えている。

 次に俊樹の方へ目を向ける。彼もまた眉間に皺を寄せながらプリントを凝視し、やがてそれを一気に丸めると乱暴に机の中へ。

 二人のその様子に、さくらの不安はより一層掻き立てられていく。

 静香にどうかしたのか、と声をかけたかったが矢張り上手くタイミングがつかめず、話しかけることは出来なかった。


 彼女に話しかけることも、彼女から話しかけられることもないまま、三時間目の授業が終わる。お弁当組は教室へ向かい、購買・食堂組は早足でそちらへと行った。


「姫ちゃん先生が朝言っていた不審者って、案外コスプレ女のことかもしれないわね」


「え?」


「まあコスプレはしていなかったみたいだけれど? 環の話を聞く限り、コスプレ女は誰かに恋をしている危ない女だったわけでしょう? どうも今回現われた不審者ちゃんも誰かのこと好きで、その人について聞きたかったみたいだし。微妙に共通点があるじゃない」

 確かに、似ていると言えば似ているかもしれない。コスプレ女だって常時コスプレをしているわけではないだろう。今回は私服で行動していた可能性だってある。


「不審者ちゃんが話した内容って具体的にどんなものだったのかしら。何か訳が分からないものだったらしいけれど」


「プリントにも詳しいことは書いていなかったし……不審者さんに会った人達自身、具体的に何と言われたのか理解できなかったのかも」

 口元に手をやり、考え込むさくら。そんな彼女の肩を、誰かが力強く叩いた。

 その衝撃にびくっと体を震わせ、振り返ってみればそこには授業を終えた帰りらしい晶が居た。手に持っている国語の教科書が全くといっていいほど、似合っていない。ウエイター姿の弥助並に、似合っていない。


「何だ臼井、不審者野郎――野郎じゃなくて女か――に興味でもあるのか?」


「え、あの、その、ええと……まあ、そんなところです。姫野先生は彼女がどんなことを話していたのか、ご存知ありませんか」


「一応知っているよ。そいつに絡まれたっていう生徒の一人から話を聞いたから。……ただ具体的には殆ど覚えていなかったらしいがな。唐突に何の脈絡も無いことを言われたら頭が真っ白になるから――皆殆ど覚えていなかったらしい。その生徒が言うには、蛍の光がどうとか、川を流れる紅葉とか、女の唇がどうとか言ってきたらしいな」

 さくらはぽかんとし、一緒に話を聞いていたほのりは「はあ!?」と素っ頓狂な声をあげる。


「しばらくすると笑って『貴方達ってこう言うと皆同じ顔をするのね』とかなんとか言い出したらしい。不審者女と最初に会ったらしい三年女子生徒達は『どうして何も言ってくれないの?』と怪訝な顔をされたらしいな。ちなみに彼女達は月の下の水晶とか、舞う女とか……やっぱり訳の分からないことを言われたようだ」

 絡まれた奴等は本当にかわいそうだ、さぞかし気味が悪かっただろうなあ……と晶は同情の言葉を口にする。その言葉に、二人共同意した。


「まあ、お前等も気をつけろよ。もしかしたら今日だって来るかもしれないからな」

 ぽん、と胸を叩く晶はそこらにごろごろ転がっている男たちより男らしかった。巫女の桜も彼女のような感じだったのだろうか、とさくらは心の中で思う。

 その場を去る彼女を見送った後、ほのりは相変わらずカッコイイよねえと感心の声をあげた。そうね、カッコイイわね、とさくら。


「しかしそれにしても、想像以上に意味の分からないことを言っていたのね、例の不審者ちゃん。主な目的は想い人の話を聞くことだったようだけれど」


「もし彼女が東雲高校の生徒にだけ話を聞いたのだとすれば――不審者さんの想い人は東雲高校の生徒、もしくは教師の可能性が高いってことよね」


「不審者ちゃんは、外国人ぽい名前を口にしたのよね? 確かにこの学校には何人か外人がいるけれど……皆ごく一般的な名前だから……流石に聞かれた人達も覚えていると思うのよね」

 案外、不審者ちゃんの妄想世界にだけ存在する人なのかも、とほのりは付け加え、気持ち悪いと言わんばかりに舌を出す。

 そちらの可能性が高いかもと思う一方で、さくらはもやもやした気分も抱いていた。

 

(そういえば篠宮さんと牧田君は食い入るようにあのプリントを見つめていた――もしかしたら違う紙だったのかもしれないけれど――プリントを見ていたとして、どうしてあんな表情を浮かべていたのかしら。二人共、何かを知っているのかしら……)


 それから午後の授業を終え、放課後になった。

 さくらは休憩時間などに、俊樹の様子などを伺ってみる。昨日は元気そうに見えたが、今日は何だか酷く疲れているように見えた。ぼうっとしていて、友人の話す声にも殆ど反応を示していない。


(何だか、元気がなさそう……)


 不安な気持ちがどんどん膨らんでいく中、全ての授業が終わり、放課後となる。

 さくらは部活へ向かう途中で昨日と同じように静香に声をかけられた。そして再び彼女と一緒に中庭を目指す。


 黙々と足を運び続ける彼女は、今にも泣きそうな表情を浮かべている。心の中では、涙を流しているのかもしれない。さくらはこういう時どうすればいいのか分からず、結局無言のまま彼女についていった。


 今日は中庭にあるベンチには座らず、庭に生えている木に体を預けることにした。少し黄色っぽい葉に覆い被されながら、話を始める。


「臼井さん……やっぱり、俊樹、どんどんおかしくなっていくよ。おかしいよ。あのね……」

 苦しげな声。静香は一呼吸置いた後、話を続けた。


「俊樹が、見知らぬ女の人と手を繋いで歩いていたんだって」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ