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桜町幻想奇譚  作者: 里芽
月夜の宴
55/360

月夜の宴(2)

「うん、これ美味いな」

 紗久羅が口にしているのは、数種類の魚に酸味がきいたソースをからめたもの。魚は脂がのっていて口の中ですぐとろける。だがソースのお陰でくどさをあまり感じない。

 一方さくらは、黄色い粒の入った白い塊を手に取る。お菓子のラムネのように持った感じは硬い。匂いを嗅いでみると、お米の匂いがする。

 口に入れてみると、お米の香りが口の中いっぱいに広がった。お米の旨みをぎゅっと凝縮させたようで、甘味も強い。黄色い粒の方は炒った木の実に似た、香ばしくて甘い味がした。主食やおかずというより、菓子に近いものだとさくらは思う。

 一夜と奈都貴も大方食べ物には満足している様子で、これまたおかわりしようとか何とか言っている。しかし仲には不味いわけではないが、口に合わないものもあった。

 黒っぽいソースのかかった、豆腐の様なものを口に入れた紗久羅が奇声を発し、悶絶する。


「どうしたの、紗久羅ちゃん。大丈夫?」


「これ、すごい味がする。なんていうか、もう、色々強烈で……あと、お酒みたいな味もする。これ絶対つまみ用の料理だよ……」

 さくらは紗久羅が強烈だといったその料理を試しに一口食べてみる。確かにすごい味がする、と目をぱちくりさせた。


「これ、沖縄の……ええと、豆腐ようだったかしら? あれに似ているかも……この前父さんが同僚の方にもらったのを食べたことがあったけれど、確かこんな感じの味だったわ」


「ああ、それはかなり強烈だよ。匂いで分からなかったのかい? 私もそれは苦手だから、代わりに食べるわけにはいかないなあ……まあ、紗久羅が私に抱きついて『お願いします食べてくださいにゃん』と言ったら考えてやらないでもないけれど」

 乾燥させた、赤黒い色をした肉らしきものを根気もひもひ噛みながら出雲がそんなふざけたことを言う。当然紗久羅はその申し出を断った。


「それなら私が食べてあげようか?」

 誰かが後ろから紗久羅に話しかけてきた。ねっとりとした、艶がある女の声。

 後ろを振り返った彼女は悲鳴をあげる。つられて振り返った他の三人も同じように驚いた。


 そこには女の首しかなかったのだ。白粉を塗りたくった肌、赤い唇、着物はわざとはだけさせており、形の整った鎖骨が見える。

 紗久羅は彼女に見覚えがあった。案の定、ここから大分離れたところに首から下――胴体があり、楽しそうに手を振っている。


「び、びっくりした。……あんた確か、白粉……だっけ?」


「おや、覚えていてくれたんだねえ。嬉しいよ。おやおや、新しい人間もいるじゃないか。本当、物好きが多いんだね、人間さんには。……ん?」

 白粉が話をぴたりとやめ、ある人物の顔をまじまじと見つめる。白粉が見ている相手は奈都貴で、彼にぐいっと顔を近づける。奈都貴は冷や汗を流しながら視線を思いっきりそらしていた。その様子を見て白粉が「あっ」と声をあげる。


「あんた、もしかして以前『鬼灯』に来た少年かい? まあまあ、随分大きくなって。良い男になったじゃないか」

 頬に唇を寄せ、にたりと笑う白粉。奈都貴はこくこく頷きながらも無言である。彼から発せられているこの人苦手オーラが半端ない。


「隣のあんたもなかなか良い男じゃないか? え? まあ、鬼灯の主人程では……ちょ、ちょっと、なんだい、あんた!」

 一夜にまでちょっかいを出していた白粉が困惑と驚きのまじった叫び声をあげる。見れば、ぐにょりと伸びた首をさくらが興味深そうにぺたぺたと触っているのだった。一夜と奈都貴はそれを見てぎょっとする。


「ろくろ首さんの首がどうなっているのか、ずっと気になっていたの。骨はあるのかしら、ゴムのように柔らかくて弾力があるのかしらってずっと考えていたの。気になりはしたけれど、本物のろくろ首さんに会ったことは無くて……ああ、でもやっと分かったわ。こういう感じなのね」

 そう言うさくらの表情はとても幸せそうであった。逆に白粉はといえば、初対面の小娘に馴れ馴れしく首を触られ、腹が立つやらどう反応すれば良いやら。非常に複雑そうな表情を浮かべながらさくらを見やる。

 

「一体何なんだい、この小娘は。あたしを見て悲鳴をあげたり、間抜けな走り方して逃げる奴は沢山居たけれど、にこにこ笑いながら首を無遠慮に触ってくる奴なんて初めてだよ!」


「ああ、その子の名前はさくら。ちょっと、というか大分変わった子だけれど無害だから安心おし」

 

「どこが無害だっていうんだい? あれ、そういえばそっちの小娘の名前も……」


「紗久羅だ。二人共名前がサクラなんだ。書く字は違うけれどね。まあ、今君の首を触っている方の子はサクと呼んでやっておくれ」

 

「そうかい……それは良いけれど……おい、あんた、いつまで触っているんだい? あまりおいたが過ぎると、この首であんたの体を締めつけてやるよ!」

 さくらに顔を近づけ、思いっきりすごんでみせる。しかしさくらは怖がるどころか、目をきらきらさせ、興奮し始めた。


「まあ、素敵! 私一度ろくろ首さんに巻きつかれてみたいと思っていたのよ。勿論、苦しい思いをするのは嫌だけれど……でも、興味があるわ」

 白粉はぽかんと口を開け、やがてため息をつくと逃げるように首を本体へ戻す。そしてすたすた歩いてきて、出雲達の座るござに腰をおろした(さくらとは距離を置いて)。

 その様子に出雲が感心したように頷いた。


「サクも、すごいねえ。ある意味。白粉を打ち負かせて大人しくさせてしまうとは。なかなか出来ない芸当だよ?」


「この白粉姐さんが、小娘に負けるなんて。一生の恥だよう」

 白粉はむすっとしながらさくらを睨みつける。さくらは相変わらずにこにこ笑っていた。出雲は苦笑い。


「で、君は一人なのかい? それとも鬼灯の主人や柳と一緒?」

 それを聞いた白粉の瞳がうるみだし、情けない顔になった。


「鬼灯の旦那が居たら、わざわざこっちへちょっかいを出しになんかいかないよう。二人は今頃、紅都京で美味しいもの食べながらいちゃいちゃしているよ」


「……いい加減諦めればいいのに」

 ずっと黙って透き通った身の魚を食べていた鈴がぼそりと呟く。それを白粉が聞き、彼女をきっと睨む。


「おだまり、ちび猫。恋をしたことなんてない小娘に、あたしの気持ちなんて分からないんだ。……ああ、今年こそはこの麗月京で鬼灯の旦那との時間を過ごしたかったのに。何だって、狢なんかと……」


「狢って……あののっぺらぼうの姉ちゃんのことだっけ?」


「そうだよう。全くあの娘、酔うと本当手がつけられなくなる。魚を指と指の間に挟んで、奇声をあげながらぶんぶんそれを振り回し続けてさ。指からぽぉんと離れた魚が何度あたしの顔に当たったことか」

 鈴は白粉を見ながら鼻をくんくん動かし「……白粉の顔、魚臭い」と一言。悔しそうにござに拳をたたきつける白粉。さくらはといえば、ここにのっぺらぼうも来ていることを知り、恍惚の表情を浮かべている。


「私、会ってみたいわ。のっぺらぼうさんに」

 その言葉に、一夜が顔を歪ませる。


「お前本当物好きだな。そんな気持ち悪いのに会って何が楽しいんだ」


「あら、素敵じゃない。私本物の妖を見ることにずっと憧れていたんですもの。一夜は会ってみたいと思ったことはないの? 本を読んでいると、ああこの人に会ってみたい、この食べ物を食べてみたい、ここへ行ってみたいって思うでしょう?」


「俺は本なんて、国語の授業でしか読まないからな。全然分からないや」


「本は読むべきだと思うわ。素晴らしいのよ、本って」

 その後いつものように本というものがどれだけ素晴らしいかという話に移りそうになったので、慌てて一夜は彼女の口へ甘く煮た栗を突っ込んだ。ものを食べながら話すことは絶対しないさくらだったから、少しの間だけ彼女を黙らせることが出来た。そうしている間に一夜は立ち上がり、食べ物をおかわりする為(ついでにさくらから逃げる為)にその場を離れた。

 栗を飲み込んださくらは、今度は肉や葱、玉葱等が入った皮が黄色の饅頭を頬張る。具の旨みが凝縮された汁が口の中いっぱいに広がった。少し独特な風味もしたが、またそれも癖になる。饅頭を食べながら、空を見上げる。


 空を覆いつくさんとする月の美しさは、見事としか言いようが無い。


(きっと、どれだけ科学が発達してもあの月のような美しいものを作ることは出来ないでしょうね。純粋な自然の美しさは、人の手では決して作ることが出来ない)

 そんなことを思いながら月を見るさくらの視界を、白粉が顔で遮った。また首を伸ばしているのだろう。いきなりのことだったから、さくらはびっくりした。


「なんだい、そんなに月が珍しいのかい? うっとりしながら見ていたけれどさ。月なんて、あんた達世界でも毎日見られるだろう? いつでも見られるものを見るのに時間を割いたらもったいないじゃないか」


「滅多に夜、こうして外へ出ることは無いし……それに今夜はお月見をしに来たんですもの。こんなに素晴らしい月を見ないで終わりなんて、寂しいわ」


「そうかい? 月見なんていうのはさ、こうして飲み食い騒ぐ為の口実じゃあないのかい? 月見の時、本当に月をじっくり眺めている奴なんて、この世界には殆どいないよう」

 風情とか、わびさびとか、季節の移り変わりを楽しむとか……そういうものは妖達にはあまり分からないらしい。彼等は毎日を楽しく、騒がしく、美味しいものを飲み食いしながら過ごすことが出来ればそれでいいのだ。実際、さくらは辺りを見回して見たが、月をじっくり眺めている者等一人も見当たらない。

 それはそれで寂しいと感じる彼女の耳に、鈴の音が聞こえた。聞くだけで心が洗われるような、透き通った美しい音色。その音が、この美しい風景にとてもよく合っている。


 その音を辿ってみると、一人の女性に行き着いた。出雲の髪に似た、藤色の髪。濃い紫の瞳は冷たく、何の温もりも感じられない。月光を受けて銀色に輝く、白い肌。月島同様、月の民であることは一目見て分かった。

 その女性は手にすずらんのようなものを持っている。葉の部分は青色で、ガラスのように透き通っている。花の部分は銀色で、女が手を振る度愛らしくその花が揺れ、美しい音を出していた。


「綺麗……」


「あれで、この地の穢れを浄化しているんだよ。私達妖が沢山来ると、ここが穢れた空気で満ちるのだとか。美しい風景を保ち続ける為、ああして月の民があの鈴を鳴らしながら一晩中歩き続ける。……全く涙ぐましい努力だよ」


「最後の部分だけ、全くと言っていいほど感情がこもっていないな……」

 それを聞いた奈都貴がぼそり。聞こえない振りをして微笑む出雲。彼のその姿は、月を頭上に冠したことでより美しく、妖しく見えた。

 さくらは目を瞑り、鈴の音に耳を傾ける。ただ聞くだけで、体に溜まった汚れや、よく無いものを洗い流してくれそうだった。


 紗久羅や奈都貴は鈴のことなどすぐ忘れ、学校のことなどを話しながらご馳走を楽しむ。奈都貴が今口にしているのは肉と小さな白い花を挟んだもの。噛み応えのある肉に挟まっている花は大根のようにしゃきしゃきしていて、甘辛い味がした。例えるなら少し癖のあるねぎタン塩といったところだ。

 一方の紗久羅が食べているのは淡い黄色の酢飯に色々な具を混ぜたもの。花の形をしたもの、一見青色や赤色をした石のようなもの、羽に似た形の葉、赤い花びららしきものなどが具。酢飯は程よい酸味で、とても良い香りがする。具は甘いもの、しょっぱいもの、苦いものが上手く混ざっている。


 得体の知れないものも多いが、大抵の料理は美味しく食べられた。……勿論、自分の口に合わない品物も幾つかはあったが。紗久羅はもう少し色々な種類のものを試してみようと思った。


「ちょっと新しい料理、とりに行こうかな」

 そう言って腰を少し浮かせたところで、兄・一夜の悲鳴の様なものが聞こえ、驚いた彼女は尻もちをついた。


「いてて……何だよ、いきなりあの馬鹿兄貴は!」

 命の危機が迫っている……というような声ではなかったから、紗久羅は大して慌てることなく、悪態をついた。


「何だよ、お前等、うわ、ちょっとこっちに寄るなっての!」

 見れば、一夜は二人の妖に絡まれている。


「げ」

 その妖の姿に紗久羅は思わずそんな声をあげた。一人は上半身こそ美しい女だが、下半身は百足のそれであり、もう一人は巨大な肉の塊に百の目がついている。手は小さく短く、足は無い。

 百の足を持つ女と、百の目を持つ(多分)男にぴたっと体をくっつけられ、一夜はとても迷惑そうだ。


「人間なんて、久しぶりに見たわ。今時の人間って、こういうものを着ているのね。着物とは似ても似つかない代物だわ」

 と言って百足女がシャツの裾を思いっきり引っ張る。ちなみにこの女、上には何もまとっていない。長い髪のお陰で胸は隠れているが、一応男である一夜は目のやり場に困った。しかし注意はしなければいけない。出来ることなら睨みつけたいが、首より下がどうしても気になってしまう。

 百目男の方は小さな手で一夜のズボンをぐいぐい引っ張っている。


「あらあら。聞き分けの無い子供と、それを一生懸命どうにかしようとするお母さんみたい」

 さくらはそんな暢気なことを言い、一夜に睨まれた。


「見てないで、助けろよ! ああ、もう! ちょっと、おい、ぺたぺた触るな!」

 左手に料理を盛った皿を持ち、左手で百足女の白い手を自分から引き剥がそうとする。


「つれないねえ、いいじゃないの。あんたなかなか良い体つきをしているね。よく動き回っている証拠だ。……肉は柔らかい方が好きだけれど、固いのも噛み応えがあって好きよ? 残念だわ。あんたが出雲の連れじゃなければ、一思いに食ってあげたのに」


「長い足、ふさふさの髪、がっちりした体。羨ましいんだな。おいらももっとこんな風に格好良くなりたいんだな」

 百目男の声はくぐもっていて、聞き取り辛い。そんな彼は百個の目をうるうるさせながら、羨ましげに一夜を見る。


「ああら、目目(もくもく)。私はこの子よりあんたの方がずっと良い男だと思っているわよ? 特にその右手のすぐ横についている小さい目が艶っぽくてたまらないわ」

 その様子を眺めていた紗久羅、さくら、奈都貴は、視線を目目の右手近くにある目に素早く移す。しかし三人には他の目との違いが一切分からなかった。


(かず)(しろ)、目目。その位にしておあげ。……いじるなら、こっちの娘におし」

 そう言って出雲が指差したのは紗久羅であった。紗久羅はふざけるな!と出雲に食ってかかる。下半身百足の女と、体中に目がある化け物にぺたぺた触られたらたまったものではない。

 一白と呼ばれた百足女は紗久羅を見て、興味ありげに笑いながら、内側にはね、頬を隠す髪を弄る。上半身だけ見れば大学生位の若い娘である。


「あら、可愛い女の子。貴方みたいな気の強そうな子って一番弄りがいがあるわよね。何か、こう思いっきり泣かせてあげたくなっちゃうというか。私、人間が泣き喚く姿を見るの、大好き」


(満面の笑み浮かべながらいう台詞じゃねえよ……)

 紗久羅は背筋が凍りつくのを感じながら、心の中でツッコミを入れた。


「一白の言う通り。やっぱり人間は思いっきり怖がってくれないと、面白くないねえ?」

 白粉は嫌味っぽく言いながら、さくらを見た。しかしさくらはその視線には全く気がついていない。何故なら彼女は、目目を観察するのに夢中だったからだ。恥ずかしそうにしている彼をじいっと見つめている。


「すごいわ。目が沢山……しかもそれぞれ、別々の動きをしているわ。瞬きもするのね。全ての目が同時に、というわけではなく、皆ばらばらに……。大きさは、私達の目より少し大きいかしら? まぶたもついている……一重のものと、二重のものがあるわね」

 熱心に観察をするさくらを、一白が気持ちの悪いものでも見ているかのような目で見た。妖の目から見ても、さくらは異様な存在であった。


「変わった子ねえ……普通の人間は目目を見ると悲鳴をあげて逃げ出すものなのだけれど。こんなじっくり観察しだした娘は初めてよ、本当。それとも何、最近はこういう根性すわった子ばかりなわけ?」


「そいつを基準にしないでくれ……」


「さくら姉は例外だよ、例外」


「やっぱり、そうよねえ……って何よ」

 さくらは次に一白に目をつけた。どうやら人体部分と百足部分の境目が気になるらしく、その辺りをじいっと見つめている。


「その小娘の被害者がどんどん増えていくねえ」

 さくらの一白へ向ける瞳を見つめながら、白粉が呆れたように一言。

 

「な、何よ……ま、全く気味が悪いわ。目目、行きましょう! 白粉、あんたも一緒に来る? 今広場の奥で、月魚(つきな)のひれ酒が振舞われているらしいのよ!」

 一白は一刻も早くさくらの視線から逃れたいようであった。白粉は喜んでその誘いを受ける。それを聞いた一白は目目と白粉を連れて逃げるように立ち去っていった。


「……さくら。お前さ、ある意味すごい妖怪の祓い人とかになれるんじゃね?」


「妖を祓うだなんて、そんな、とんでもない! ああ、それにしても今日は素晴らしい日ね。今日の日記、何ページになるかしら。どの料理がどんな味だったかも記録しておきたいし、もう少し別の料理をとってこようかしら。紗久羅ちゃんも一緒に来る? さっき一度立ち上がったでしょう?」


「ん、そうだなあ。それじゃあ一緒に行こうか」

 紗久羅とさくら、二人は立ち上がって先程料理が並べられていたところへと向かう。


 夜の闇はますます濃くなっていき、乙女の黒髪に近い色となっている。それと共に月はよりいっそうその輝きを増しており、夜の国を統べる女王の如く空に君臨していた。

 その美しき女王に見守られながら、飯を喰い、酒を飲み、騒いでいる妖達。

 幻想的な風景と俗っぽい風景がごちゃごちゃに混ざり合った不思議な世界が今、さくら達の前に広がっている。


「月見なんて綺麗な言葉使っているけれど、実際のところ、只の飲み会だよなあ、これ。飲み会IN夜の麗月京……って名前の方がしっくりきそうだ」

 顔を真っ赤にしながら芸をやったり、大声で笑ったり、箸をかちんかちんと鳴らしながら歌っている妖達を横目で見ながら紗久羅が呟く。それを聞いたさくらが頷いた。


「確かに、そうねえ。まあでもこれだけ大勢の人と飲んだり食べたりするには、それなりの口実がなければなかなか出来ないかもしれないわね。私は月見というからには、月を眺めて静かに語り合いながらお茶を飲む方がいいけれど。でも、これはこれで良いわ。美しい風景に、沢山の妖……眼福、眼福。ふふ」

 その言葉に嘘は無いようで、さくらは幸福そうな笑みを浮かべ、鼻歌を歌う。 


(あたしにはコメディ要素入りの地獄絵図にしか見えん……)

 紗久羅は地獄絵図なのにコメディ要素が入っている、というのも変な話かもしれないが……と自分でそう思っておきながら、自分でツッコミを入れた。


 出雲同様、人とあまり変わらぬ姿も者も多いが、何と形容してよいのか分からない異形の者も居るし、食欲を一瞬で奪い去るようなとてもグロテスクな姿をした者も多い。妖怪愛好家でも、ホラーやゲテモノ大好き人間でも無い紗久羅からしてみれば、気味の悪い光景にしか見えなかった。外見で人を判断するな、という言葉をよく耳にするが紗久羅には彼等を人間と同じように扱う気持ちにはどうしてもなれない。

 柚季を誘わなくて良かった、と紗久羅は心の底から思う。彼女がこんなところに来たら一瞬で気を失い、そして自分が見た非現実的な光景についての記憶を即刻抹消しただろう。


(こいつら妖怪共が居なければ、ものすごく魅力的な場所なんだけれどなあ、ここ……料理も美味いし)

 料理の並ぶテーブルへ向かう道中、鈴を鳴らしながら歩く月の民とすれ違った。彼女もまた無表情であった。紗久羅は思わず彼女の背中にぜんまいがついていないか見てしまう。そうしたくなる位、生気を感じなかった。


「月の民もさ、何で毎年こうしてご馳走を用意して、妖怪達を迎えているんだろう? 自分達も妖怪達と一緒に飲み食いして騒ぐっていうなら分かるけれど……そういうことはまずしないらしいしさ」


「そうねえ……」

 

「別に、やりたくてやっている訳では無い」

 いつの間にか紗久羅達の背後に月島が立っており、冷たい視線で二人の体を射抜いていた。


「昔、ここ麗月京に一人の妖が迷い込んできた。たまたまこの空間が開かれた時、偶然足を踏み入れてしまったのだろう。……珍しい来客を喜んだ御月様――我等一族の長のことだが――彼女は妖にご馳走を振舞い、手厚くもてなした。満足した妖はここが再び閉じられる前に帰っていった。……だが翌年、彼は仲間を連れて再びここへとやって来た。御月様は今度も彼等をもてなした。そして翌年、更に次の年と徐々にこの京を訪ねる者が多くなっていった。どうやら彼等は最初に迷い込んだ妖から、この京の話とここへの入り方を聞いたらしい。話はどんどん広まっていったらしく……」

 月島は表情を変えぬまま、ため息をつく。


「……気づいたら、こうなっていた。今更もてなすことをやめることも出来ぬ」


「この麗月京の存在が口コミでどんどん広がっていって、最終的にこうなったのか……成程なあ」

 可哀想に、と紗久羅は心の中で呟く。


「まあ、今の話は忘れて楽しむが良い。来る者は拒まぬ。……この京に危害を加えぬ限りは」

 月島はそう言い放ち、立ち去っていった。

 それを見届けた二人はテーブルまで行き、新しい皿に料理を盛り始める。


「これ、美味しそうだな。……豆を煮たやつかな?」

 うぐいす色の豆を紗久羅がよそう。さくらは手のひらサイズの白い花が盛られた皿を指差す。


「これ、お花だわ。……バニラに似た香りがする。お花の砂糖漬けでもないし……どういうものなのかしら。これ、一つ頂きましょう」


「こっちは刺身かな。隣に置いてある壷に入っている薬味を適量つけて食べろだって」

 透明でいかにもぷりぷりしていそうな身が、綺麗に皿に並んでいる。その横に小さな茶色の壷がある。開けてみれば、中には鰹節を醤油でつけたようなものが入っていた。二人、美味しそうだと思って皿に刺身を盛り薬味をその隣にちょこんとのせる。

 他にも串に刺さった真っ赤で丸いもの、木の実入り餡がかかった卵焼きらしきもの、七色の石を砕いたようなものが混ざっているクリームをのせたパイ、光にかざすと銀色に輝くせんべいらしきもの、青と白のゼリーの上に魚のムニエルがのったもの……。見慣れぬものを中心に、少しずつ皿に取り分けていく。

 飲み物は水。出雲曰く、この水は『月光(げっこう)(せん)』という月の光が水に変わる不思議な泉から汲み取られたものらしい。氷も入れてないのにとても冷たく、おまけにものすごく美味しいのだ。


「どんな味がするのか、どきどきだな」


「そうねえ。何となく味が予想できるものもあれば、一体どんなものなのかさっぱり分からないものもあるし」


「外国の料理以上に味が予想出来ないものが多いよなあ……。青色のスープとか、銀色のソースがかかった肉とか……」


 二人はとった料理の味を予想したり、先程食べた物の味を言い合ったりしながら出雲達のところへ戻る。

 出雲は月の様に黄色いお団子をちまちま食べており、やた吉とやた郎はどちらが酒に強いか勝負しており、鈴は飽きもせず魚を淡々と食べ続けていた。


「おや、二人共帰ってきたんだね。お帰り」

 二人を迎える声には抑揚は無く、団子から視線を外すこともない。その冷たさは月島に負けずとも劣らず、だ。

 紗久羅はあかんべえしながら座り、さくらと談笑しながら食事する。


 今回皿に盛ったものは全て紗久羅の口に合うもので、おかわりしたいと思うものばかりであった。クリームの乗ったパイはパイ生地に包まれたフルーツの甘味とクリームの酸味が絶妙。石のようなものは口に入れるとぱちぱち弾けた。

 串に刺さった赤い球体は何かの卵だったらしい。とろりとしていて味は濃厚。甘味があり、何もかけなくても十分食べられる。何の卵なのかは怖くて聞けない。

 銀色のせんべいは甘辛い味。口に触れて濡れた部分は赤や黄色に変色している。色の変わるせんべいなんて面白いな、と紗久羅は感心した。


「紗久羅ちゃん、このお花。まるでバニラシャーベットみたい。とてもつめたくて、しゃりしゃりするの。仄かな甘味で、ちょっと苦くて……でもとても美味しいわ」

 さくらがそれをのせた皿を差し出す。紗久羅や奈都貴、一夜はその花を少し分けてもらい、口にする。


「あ、確かにバニラシャーベットだ。キャラメルソースみたいな、少し苦い味もする」

 奈都貴がもぐもぐそれを食べながら頷いた。手で触れるとそんなに冷たくないのに、口にすると頭がきんとなる位冷たい。


「うん、これはなかなか。……それよりさくら姉、あの刺身もう食べた? これ、ものすごく美味しいよ」

 透き通ったその身はえんがわのように歯ごたえがあり、噛めば噛むほど甘味が増す。油もよくのっているが、しつこすぎない。茶色い壷に入っていた薬味はぴりっと辛い醤油味。これをつけても美味しいが、薬味無しでも十分美味しい。


「ああ、それは月魚だね。月光泉で育つ魚で、麗月京を訪れる妖達の間で一番人気の食べ物だ。鈴も大好きなんだよね?」

 優しげに微笑む出雲を見上げ、鈴が恥ずかしそうに俯きながらこくこく頷いた。そう言えばさっき一白が月魚のひれ酒がどうのこうのと言っていたな、と紗久羅は思った。


「今夜は食い倒れちまいそうだな。妖怪達は気味が悪いけれど、飯は美味い」

 一夜は料理を山のように盛った皿と格闘している。奈都貴もそれに同意した。それ位ここにある料理は美味しいのだった。月を愛するさくらでさえ、今は料理に夢中であった。


 それからどれ位の時間が過ぎたのだろうか。時計が無いからさっぱり分からない。周りで飲み食いしている妖達の会話がどんどん支離滅裂になっていき、笑い声は一層大きくなっていた。


「美しき藤の君」

 酒をちまちま飲んでいた出雲に誰かが話しかけてきた。

 見た目若い女性で、どうやら月の民らしかった。夜空に似た色の髪を肩まで伸ばしており、白い花が愛らしくその髪を飾る。月島に比べると装飾はシンプル。奈良時代貴族の女性が着ているような衣服に身を包んでいた。彼女は優しく微笑んでいる。月の民にも素敵な笑顔を浮かべる人が居たのか、と四人は思った。


「この世にある、美しいもの」

 女性が出雲に問いかけた。出雲は困惑する様子なく、それに答える。


「夜の桜」


「愛しき人を想う女の顔」


「桔梗。土の上に生まれる夜空」


「膨れた腹を撫でる母の顔」


「空架ける虹の橋」


「雨にも風にも負けず、咲き続ける一輪の花」


「黄玉、紅玉にひけをとらない、秋を彩る紅葉達」

 こんな調子で出雲と女性は交互に「美しいもの」をあげていく。一体何をしているのだろう、と何も知らない紗久羅達は首を傾げながらその様子を見守る。


「それよりなお美しいのは、今目の前に居る貴方の姿」

 恐らく締めだろう、とさくらは思った。


「その言葉を贈って下さった貴方こそ、美しい」

 出雲が微かに口元を緩め、女性にござへ座るよう手を使って促した。女性はこくりと頷き、出雲の隣に座る。


「今のって何ですか?」

 早速さくらが尋ねた。


「ああ、これは挨拶のようなものだよ。それぞれ美しいと思うものを一つずつあげ、締めの言葉を言ってお終い。まあ、一種の遊びでもあるのだけれど」


「この京にぴったりの、超気取った挨拶ってやつよ。あ、私の名前は(えい)(げつ)。宜しくね」

 にこり笑う彼女は、月島と同族とは俄かには信じがたい人物に見えた。困惑する四人を見て、今度は声をあげて笑い出した。


「嫌だわ、そんなぽかんとしなくても。月の民にだって笑ったりお喋りしたりすることが好きな人がいるのよ? まあ、殆ど居ないけれど。声をあげて笑ったり、必要以上にお喋りしたりすると魂が削れてしまうって思っているの。実際のところどうなのかしらねえ? それにしてもこの京に人間が来るなんて。驚いたわ。ああ、でも嬉しいわ。私本物の人間に会ってみたかったの。どう、楽しんでいる?」


「ええ、とっても」

 さくらが微笑む。他の三人もこくりと頷いた。


「良かったわ。それにしても貴方達、随分食べているようね? 私達ってあまり食べたり飲んだりしないから……。食事しなくても生きていけるしね」


「影月さん達ってどんな料理を食べているんですか?」


「色々。……あの台に並んでいる料理とはまた違うものを食べているわ。私達が食べるものって、他の種族にとっては恐ろしい毒なのよ」


「食べたら死んじゃう……のか?」

 奈都貴が聞くと、影月がううんと首を横に振る。


「死にはしないわ。ただ、今まで自分達が食べていたものを食べても、飲んでも、お腹が膨らまなくなるの。栄養にもならず、食べても飲んでも何の変化もなくなる。当然時間が経てばお腹が空くし、喉は渇く。……その飢えや渇きを癒すには、もう月の民の食べ物を摂るしかない。けれど食べれば食べるほど、自分が自分ではなくなっていく。そして……最終的には月の民もどきになってしまうの」

 それを聞いて四人はぞっとする。死ぬよりずっと恐ろしいことかもしれないと思った。


「麻薬並の恐ろしさだな……」


「まや……? 魔の薬?」


「いや、そうじゃなくて……まあある意味間違ってはいないと思うけれど」

 紗久羅はそう言って苦笑いした。


「ふうん。まあ、いいわ。……ねえ、人間界のこと色々教えて頂戴よ」


「私も月の民について色々知りたいです。皆さん以前月に住んでいらっしゃったんですか?」


「さあ? どうなのかしら。私が生まれた時には皆すでにここ麗月京で暮らしていたから。ここに移る前のことってあまり話してくれないのよ、皆。まあでも、以前ここではないどこかに住んでいたことは確かのようだし、月の民って言っている位だし……月に住んでいたんじゃないの?」

 何故話してくれないのか、それは影月にも分からないらしい。話す必要はないと思っているからなのか、それとも話したくないのか。


「何かあったのかもしれないわね。聞こうとすると、露骨に嫌そうな表情浮かべるもの。普段滅多に感情を表に出さないような人達が、嫌悪を剥きだしにするのだから。さ、私は貴方の問いに答えたわ。今度は私が質問する番よ」

 張り切った表情で質問を考え、やがて何かひらめいたのか口を開きかけたまさにその時、聞いた者の体をぐさりと突き刺すような冷たい声で、影月の名が呼ばれた。

 見ればそこには紗久羅達とさくらにとっては本日三度目の邂逅となる――月島が立っていた。影月が身を固くさせ、ごくりと唾を飲み込む。


「影月。……そなた、確か明日の音紡で竜笛役を務めるよな?」


「え、ええ。そうですが。それがどうか?」


「急な話だが、今夜も竜笛を演奏してはくれぬか」

 月島の言葉に「えっ」と影月は驚きの声をあげる。


「今宵の竜笛役が一人、星條(せいじょう)が姿を消したのだ。大方ここを抜け出し、どこかで遊んでいるのだろう。……全く、困った娘だ」


「で、でも私今この子達とお話を……」


「何だ。私の命に背くと申すか?」

 月島の背後に見えない雷が落ちている。ついでに、吹雪いている。影月に選択権はないようだった。

 彼女ははい、と答える前に月島についていた女性二人に引きずられていった。


「ああん、折角お話を聞ける絶好の機会だったのに! 馬鹿、馬鹿、星條の馬鹿!」

 影月は大声で喚きながら、さくら達の前から消えていった。


「あの人、結局何しにきたんだ?」

 これは奈都貴だ。


「さあ……」

 一夜はさして興味無さそうに一言。


「ああ、月の民についてのお話、もっと聞きたかったのに。残念だわ」


「しかしパフォーマンスを披露する予定だった人間が行方不明って……やっぱりなんというか、宴会にはハプニングがつきものなんだな」


「毎年、何だかんだいって色々な事件が起きているらしいからねえ。あの月島って女も大変だろう。私だったら絶対宴の仕切り役なんてやりたくないよ」


「出雲の旦那、面倒臭いこと嫌いだもんな……」


「面倒なことは大抵俺達に押しつけるしね……」

 色々苦労しているらしいやた吉とやた郎がそんなことを呟きながら、ため息をつく。

 出雲はそれを笑いながら聞き流した。自分にとって都合の悪い言葉は耳に入ってこないらしい。


「人生楽して楽しむのが一番だよ」


 さくら達が座るござの近くにある、何も無かった舞台に変化が訪れたのはそれから一時間程経った時のことだった。

 影月が着ていたものより更に飾り気の無い着物を着た娘達が、無言で楽器を運んできた。そしてそれらを舞台の上に慎重に置く。運ばれてきたのは琴ようなものを始めとした大きな楽器だった。ぱっと見た感じはあまり「こちら側」にあるものと大差ない。

 運び終わった娘達は音も立てずにその場を立ち去り、彼女達と入れ違いに、奏者らしき女性達が舞台へとやって来た。

 頭を花や宝石、布などで飾った彼女達は皆美しく、眩く輝いていた。月を擬人化したような娘達の中に、先程にこにこ笑いながら喋っていた影月の姿もあった。先程までとうってかわって、真剣な表情を浮かべている。

 彼女達が舞台に現れると、今まで騒いでいた妖達が少し大人しくなった。


「音紡がそろそろ始まるんだね」

 酒の所為で顔が赤くなっているやた吉がわくわくしながら言った。


「音紡って演奏会のようなものですか?」


「まあ、そんなところだよ。……けれど、只の演奏会じゃない。見ていてごらん。面白いことが起きるから」

 出雲が彼女達に視線を向けながら微笑む。


 可憐な花も妬むだろう、麗しき乙女達。彼女達は無言で音あわせを始めた。

 美しい音色が静かに響き渡る。


「今宵は麗月京にお越しいただき、誠に有難う御座います。歓迎の意を込め、音紡を披露したく存じます」

 中央に座っている女性がよく響く声でそう述べながら、頭を下げる。妖達がそれを聞いて拍手をした。つられて紗久羅達も手を叩く。


 拍手が止んだところで、金髪の女が鼓を叩く。そして始まる音紡。

 酒を飲んでぐでんぐでんに酔っている妖達も騒いだり飲み食いしたりすることを忘れ、静かになる。


 始めは非常にゆったりとした曲調。透き通った高い音を出す笛が川を生み出し、鼓が鳴れば魚が跳ねる。鈴の音が星の瞬きを現し、琴は空を流れる雲。

 月輝く空の下、ゆったりと流れる川。そんな風景が四人の脳裏に浮かぶ。四人とも音楽とは無縁で、高級な楽器と安い楽器の音の違い等も分からないし、普段は曲を聴いてもそれが表しているものをはっきりと思い浮かべることは出来ない。だが、今回に限っては違った。

 穢れの無い音色は一瞬にして聞く者の心をぐっと掴み、体を内側から綺麗にしていく。この演奏を邪魔しようと思う者など誰も居ない。滅多なことでは感動しないであろう出雲でさえ、満足気な笑みを浮かべながら聞きいっている。

 しばらくして、中央に座っていた女が歌い始めた。歌といってもこれといった歌詞はない。楽器に負けない、かといって演奏の邪魔は決してしない、丁度良い大きさの声。だがマイク無しでここまで大きく、また響く声が出せるなんてすごい、とさくらは思う。


 女の歌と共に、思い浮かべていた風景に天女が現われた。月を背に、()()をひらひらさせながら地へと降り立つ。その辺りから曲調が変わっていき、先程までよりほんの少しだけテンポが速くなった。

 天女が、舞い始める。彼女の動きを数種類の三味線や琴が表し、柔らかな音色の笛が彼女の衣服がふわりと舞う様子を表す。

 しなやかに手を動かし、月夜を舞台に舞う天女。


 木の葉は風に吹かれ、さやさやと。夜の鳥達が歌いだし、蛍が小川の傍を飛び交う。

 曲はゆったりと静かになったり、速く激しくなったり。緩と急がはっきりすることで、天女の動きがより鮮明に頭に思い浮かぶ。


 曲は少しずつ速くなっていき、段々と盛り上がっていく。通常の音楽でいうところの「サビ」に近づいているようだった。自然と聞く者達の鼓動が早くなっていく。

 一番の盛り上がりに近づくにつれ、現実の世界にある変化が訪れた。

 地面が……というより地面を覆う草花が輝き始めたのだ。その輝きの度合いは曲によって変化している。


(曲が始まる前まではこんな風になっていなかったのに……この曲に反応しているのかしら?)

 見れば広場を囲む木も先程までとは違う輝きを見せていた。


「そろそろ来るよ」

 出雲が本当に小さな声で、そう呟いた。


 やがてその瞬間がやって来た。


 地面を埋め尽くしていた可愛らしい蕾達が一気に膨らみ、そして花開いたのだ。虹色に輝くガラスの如き大輪の花。曲の「サビ」がきたのと同時に、一斉に。

 人々はあっという間に美しい花に囲まれた。更にその花から、橙や紫、緑がかた黄色の粒子が溢れ、空へと上っていった。まさに月に降り注ぐ虹色の雨。

 そして木々についていた光る実もまた、枝から離れて空をめがけて落ちていく。


 人々の脳裏に浮かんでいた天女が「現実の世界に」現れ、空中で踊りだす。


 美しい、という言葉以外何も思い浮かばなかった。夢の様な光景であり、四人は時を経つのも忘れ、その光景に見惚れながら美しい音楽を聞く。


 やがて曲は再び静かに、ゆったりとしたものになっていき、天女は月へと帰っていった。

 曲が終わり、しばらくすると花は再び眠りにつき、光の粒子も消えていった。

 あまりのすごさにしばし呆然としていたさくら達だったが、やがて我に返ると大きな拍手をした。同じように妖達も拍手する。


「すごい……とてもすごかったわ。綺麗で、心震えたわ。ものすごく素晴らしくて……言葉にならない位に」


「確かに何と言えばいいのか分からない。男の俺でも綺麗だなって思った」

 奈都貴も素直に感想を述べた。その言葉に紗久羅が頷く。


 本当に素晴らしいものを見た時、人は言葉を失う。言葉で表すことが出来ないもの。それこそが最も素晴らしいものなのだとさくらは思った。


「ここに咲く花は、美しい音色に反応して開く。けれど曲が終わればまた閉じる。彼女達は一晩につき一度だけ音紡を披露してくれる。どうも音紡は気力や体力を使うらしい」


 その後もさくら達は、朝が来るまで宴を楽しんだ。

 月の民の遊びをやた吉、やた郎に教えてもらった。一つ目は親が選んだ石と同じ形のものを、壷に入った沢山の石から手探りで探し当てるという遊び。これが簡単そうで難しく「絶対これだ」と思って取り出したら全然違う形をしていた、などということが多々あった。二つ目は親が指定した色の石が何個あるか瞬時に答えるというもの。沢山の石から、決められた色の石が何個あるか数える……これまた単純な遊びだが、意外と数え間違える。時々複数の色を指定されたり、石を途中で容赦なくシャッフルされたりした。


 さくら達は朝が来るまで麗月京に居て、食事や歓談を楽しんだ。眠気は不思議とあまり来なかった(ただ一夜は部活がある為、音紡が終った後は殆ど寝ていた。よくこんな所で爆睡できるなと紗久羅は内心感心した)

 そして、朝、月が空に溶けて消えた頃四人は出雲に連れられ、麗月京を後にした。


「素敵だったわ。また来年も来たいわ」


「あたしも。妖怪共に囲まれるのはちょっと嫌だけれど、料理は美味かったし。あの音楽、また聞いてみたいしな。なっちゃんもそう思うだろう?」


「だからなっちゃん言うなっての。……まあ、確かにまた来られたらいいなとは思うけれど」


「俺は気が向いたら……ああ、眠い。俺部活中倒れないかな」


「まあ、君達がそういうのなら……気が向いたら来年も連れてきてあげるよ。気が向いたら、だけれど」


「……出雲。こいつら、そんなに甘やかさなくても、いいのに」

 鈴が唇を尖らせる。出雲はそんな彼女の頭を優しく撫でた。


 四人は楽しかった宴の思い出を胸に抱きながら、帰路へついた。


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