第十三夜:月夜の宴(1)
『月夜の宴』
真珠と金剛石、青玉を混ぜた様な月が頭上に浮かんでいる。漆黒に近い夜空。
その月を美しく飾るのが金銀の星。うっすら漂う雲はヴェールに似ている。
さくら、紗久羅、一夜、奈都貴の四人は桜山の麓――桜山神社の前に居た。
山は黒く、人の影より濃い色をしているように見える。虫の歌声に合わせるかのように、ざわざわと草木が揺れた。入り口にある鳥居が、訪れる者を飲み込もうと大きく開けている口の様だった。
「何か夜の山って気味が悪いよなあ。近くに建物とかも殆ど無いから余計にさ」
目の前の山を眺めながら、紗久羅はポケットに入れていた通しの鬼灯を取り出す。他の三人も同じように鬼灯を手に取った。
優しい温もりが手に伝わるのとほぼ同時に、景色がさあっと変わる。
無数に立ち並ぶ、季節はずれの桜の木。尋常では無い数の鳥居、青く揺らめく炎を孕む灯篭。異質なそれらが紡ぐのは、息が詰まるほど恐ろしく美しい幻想。
出雲曰く、この道は『こちら側』にも『向こう側』にも属さないのだという。
ここで通しの鬼灯を落としてしまうと、この恐るべき『道』に閉じ込められて出られなくなってしまうとか。
そんな場所に長居などしたくはない。四人は気持ち早足で、長い石段を上っていく。体力のないさくらだけは異様に遅く、一夜は時々心配そうに後ろを振り返る。
上り終えた先にある満月館。紗久羅が扉の傍らにある呼び鈴を鳴らす。しばらくして出てきたのは、鈴だった。
「……来た。……出雲を呼んでくるから、中でちょっと待っていて」
四人の来訪を喜ぶわけでもなく(どちらかといえば嫌そうだ)小声でそう言い、さっさと背を向けて二階へ行く。相変わらず無愛想な奴だと悪態をつく紗久羅と、苦笑いするさくら。
奈都貴はこの満月館に来るのは初めてだったらしく、辺りをきょろきょろ見回していた。
「なっちゃんはここに来るの初めてなんだ?」
「ああ。……小学五年の時以降、こっちの世界には来ていないから。だから、あの『道』を使うのも初めてなんだ。びっくりしたよ、本当。お化け通りから入った時はああいうの、なかったから。境界はあったんだろうけれど、あの時は夢中だったから変化にも気がつかなかったし……」
「多分他にも、ああいう『道』が幾つかあるんだろうな」
そう言う一夜の傍らで、ほわわんとした表情を浮かべているのは、さくらだ。相変わらずしゃれっ気のカケラも無い服を着ている。今時の女子らしい格好をしている紗久羅とは大違いだ。男子である一夜や奈都貴の方がまだおしゃれである。しかしさくらはそんなことを微塵も気にしていない。
「きっとこの町、あと三つ葉市や舞花市にはそういう『道』が沢山あるのでしょうね。通しの鬼灯を使えばどこに『道』があるのか、調べることが出来そうね」
「やる気か、お前」
「だって楽しそうじゃない。それをまとめてマップでも作ろうかしら」
「さくら姉……」
紗久羅と一夜はそれを聞いて、思う。
(やるなら一人で勝手にやってくれ。絶対あたし達(俺等)を巻き込むなよ……)
「面倒臭くないかい? そういうの。私は絶対やりたくないなあ」
いつの間にか来ていた出雲はさくら……ではなく、紗久羅に後ろから抱きついていた。紗久羅は奇声を発し、一夜と奈都貴はその声に驚き、さくらは暢気に「あら」と一言。
「カキ氷を服の中に入れられたかと思った……くそ、いつまで抱きついているんだよ、さっさと離れろこのセクハラ野郎!」
手を振り回して暴れる紗久羅から、出雲は舞うようにして離れる。その顔にあるのは人をイライラさせるような笑みだった。
「相変わらず可愛いなあ。美しい月より、やっぱり君を愛でる方が楽しいよ」
冷たくも艶のある声で言われ、紗久羅は体中が熱くなるのを感じる。心臓が月で跳ねるうさぎのようになる。直接言われていないさくらですら、どきりとした。体に直接入ってくるようなその声の艶かしさは半端ない。
言い返すことも出来ず顔を真っ赤にしているさくらを見て、出雲は満足気な表情を浮かべる。紗久羅は兄である一夜の後ろに隠れながら、敵たる出雲を威嚇した。しかしそんなことをしたところで出雲が怯むはずもない。むしろ、その状況を楽しんでいる。
出雲と紗久羅の間に挟まれる形となった一夜がわざとらしくため息をついた。
「ったく毎度毎度飽きないなあ、お前達。それよりさっさと、何とか京ってところへ行こうぜ。そこで開かれる月見会に参加するんだろう?」
そう。四人がわざわざ夜になってから満月館へ来た理由はそこにある。
お月見をしよう、と出雲が言い出したのは昨日のこと。いつも通り店番をしていた紗久羅の前に現れた彼が、まず彼女にその話をした。紗久羅は学校帰り店に寄ったさくら、部活帰りの一夜にそのことを伝え、更に奈都貴にメールを送った。
さくらは嬉々としてその誘いに乗り、一夜は「まあ夜なら部活ないからいいか」と承諾。奈都貴も「次の日休みだし、行こうかな」と返答した。
「そういえば、さくら姉とあたし達は一晩中あっちに居ても問題ないけれど、なっちゃんは大丈夫なのか? 帰り、朝方になるって話だけれど」
「ん? 大丈夫だ。多分……九段坂先生がくれた札の術が上手く作動していればの話だけれど」
奈都貴は若干不安そうだ。九段坂英彦は優秀な化け物使いのようで、不得手な術もそこそここなすが、必ず完璧に出来るというわけではない。どういう術かは分からないが、失敗していたら大変なことになる。
まあ、もしも何かあったら私がどうにかしてあげるよと出雲。
「とりあえず後のことは気にせず、月見を楽しもうじゃないか。……今日行くのは『麗月京』だよ。ここは非常に珍しい京なんだ」
出雲は入り口の真向かいにある壁まで歩き、そこの前で止まる。そして以前翡翠京へ行った時と同じように、障子の絵が描かれた紙を貼る。舐めて濡らした指ですうっと紙をなぞる。なぞられた部分は黒く変色し、やがて『麗月京』という文字が出来上がった。
ぽん!という音と共に本物の障子が現れる。それを初めて見た奈都貴は随分驚いているようだった。そんな彼に、紗久羅がこの障子がどんなものであるのか説明をする。
「それじゃあ、行こうか。幻の京、麗月京へ」
出雲が障子を開ける。鈴は満足そうな表情を浮かべながら、出雲と手を繋ぐ。
*
障子を開けた先に広がっていたのは、非常に美しい光景だった。
出雲が使った道具で行ける場所に立っている柱は、水晶だった。貝の内側の様に、白や紫、青や黄に輝いている。そこに青いガラスのようなもので幾何学的な模様が描かれていた。
道の両脇には木々が立ち並ぶ。その木には何か光る実のようなものがついており、その光は通しの鬼灯と同じく淡い橙色だったり、蛍の光のような緑がかった黄色だったり。
「すごく綺麗……」
「クリスマスツリーとかとはまた違うな」
「そうね。ツリーについているのは人工的なものだけれど、この木についているのはそういうものではなくて、自然のものみたい」
出雲の後ろを歩きながら、さくらと紗久羅が感嘆の声をあげる。その木についている実が道を照らしているから、安心して歩くことが出来る。
進んだ先にあるのは大きな湖。そこには光り輝く橋がかかっていた。その輝きはとても眩しく、柱と同じように様々な色をしていた。綺麗に磨いた貝を敷き詰めて作ったかのような橋が、さくらの幻想に焦がれる心をくすぐる。ふと足を止め、橋の光に照らされている湖を眺めた。
水は一点の曇りもなく、透き通っている。色は瑠璃色。出雲曰くこの湖は『瑠璃湖』と呼ばれているらしい。紅玉の如き金魚、翡翠で作られたような鱗を持つ魚、泳ぐ真珠と呼ぶべきだろうもの等が泳いでいるのが見える。この湖は、美しい宝石を沢山入れた宝石箱の様だとさくらは思った。
「素敵。この世のものとは思えない……」
色々言いたいことはあるが、あまりに素晴らしすぎて何も言えない。
感心しながら眺めていた奈都貴が、出雲に問いかける。
「そう言えば出雲、さっきここのことを幻の京って呼んでいたけれど、あれってどういう意味なんだ?」
美しい湖など目もくれず歩いていた出雲はその場で立ち止まり、後ろを振り返る。橋の光を受けた髪は、月光によってライトアップされた藤の花の様。
「……ああ。ここは特殊な場所でね。普段は『閉じられて』いて、来ることが出来ないんだ」
「閉じられている?」
「そう。隔てられ、閉じられている。そういう場所はここ以外にもあるのだけれど……。一定の条件を満たさない限り、入ることも見ることも出来ない。普段はあの紙に『麗月京』と書いても扉――障子は現われない。結局緑の炎に焼かれ、紙は消滅してしまう」
「それじゃあ、何で今回は入れたんですか? 条件を満たしているからですか?」
さくらが手をあげながら質問すると、出雲がゆっくり頷く。
「ここは、一定の期間だけ開かれるんだ。毎年この時期にね。期間としては三日位だったかな? その間は自由に行き来することが出来る。それでもって、月見会と称した宴を開き、訪れた者達をもてなしてくれるんだ。……ちなみに再び世界が閉じられるまでに帰らないと、約一年の間帰ることが出来なくなる。過去に帰りそびれた妖が居たらしいが、一年間非常に気まずい思いをしたという」
まあ私達は一晩ここに居るだけだから、そういう事態に陥ることはないだろうと出雲は付け加えた。
そうして話している間も、五人の横を様々な妖達が通り過ぎていく。彼等は人間である紗久羅達を物珍しそうに見ていた。中には鬼灯夜行の時紗久羅を見かけた者も居たらしく、あの娘が又来ているぞ、今時珍しい人間も居たものだ……などと話しながら歩いているのを紗久羅は見た。
「ここに住んでいる者達は、元々月の民だったらしい」
月の民、という単語にさくらのメルヘンセンサーが反応する。
「月の民……月から来た、ということですか?」
「真実は分からないけれどね。ここに住んでいる人達は、あまり自分達のことを話したがらないから。けれど、彼等が人や妖、精霊や神……どれにも属さない存在であることは確かなようだ」
「月から来たってことは、宇宙人か? だとしたらまあ、どれとも違う存在だなあ」
一夜は頭でっかちで、青い体に緑色の目をした生き物を想像する。ここの雰囲気とは全然合わないなあ、と思いながら。妹である紗久羅も、似たようなことを考えていた。
「……何故彼等が元住んでいた場所を離れ、ここへ来たのかも分からない。まあ、この世界を乗っ取る為に来たというわけではなさそうだけれど」
「ふうん。……征服する為に来たとしたら、SF映画のようなことになるんだけれどな。ま、平和が一番だよな」
「そういうこと。私達は君達と違って、無意味で無益な争いは好きじゃないからね。さ、そろそろ行こうか」
全員頷き、先へと進む。
橋を渡った先には円状に背の高い木々が並んでいる。葉は白、桃、緑、黄、青と一秒おきごとに違う色に変わっている。葉によって色の順番は違うようだった。
その木々の向こう側には立派な屋敷がある。屋敷は黄金に――といってもきんきんぎらぎらとした色ではなく――月光に似た色だ。
入り口には大きな鳥居。ここをしばらく歩けば宴のある広場へ着くと出雲は言う。葉が光を持っている上に、月が明るく照らしてくれている為、楽々歩ける。まぶしすぎない明るさが心地よい。
抜けた先には、巨大な広場。空に浮かぶ月は大きく、手を伸ばせば触れられそうだった。
広場にはござが敷いてあり、そこに多くの妖が座って飲み食いしていた。 紗久羅は鬼灯夜行のことを思い出す。さくらは夢にまで見た光景に恍惚の表情を浮かべ、一夜と奈都貴はぽかんとした。
「さあて、月見だ月見。ここの食べ物はなかなか美味だから、楽しみだねえ」
「……ここの魚、美味しいから、好き」
鈴の声は弾んでいた。余程美味しいのだろう。
「って頭の中は食べ物のことだけなのか……」
呆れた奈都貴がツッコミを入れるが、二人は少しも気にしていない風だった。
「そりゃあ、そうだろう。月なんて毎日飽きるほど見ているのだから。わざわざ首を痛めながらじっと眺める程珍しいものでもなし」
「お前、風情って言葉を知っているか?」
「そういう紗久羅だって、結局の所花より、月より団子だろう?」
出雲にさらっと言われ、紗久羅はうぐぐと答えに詰まる。
「食べ物が並んでいる場所がある。そこから好きなものをとってきて、適当な所で食べよう。基本的に私達が出入りを許されているのは、この広場だけだから、他の所へは行かないようにね。……後、輝夜宮――あの黄金色に輝いている建物――にも入らないように」
「とても立派な建物ですね。やっぱり、偉い人が住んでいらっしゃるのかしら」
「どこの京にも、必ずああいう『宮』がある。ここの場合は身分の高い者が住んでいるようだね。通常は精霊や神と呼ばれる者達が住んでいるんだ。宮に住むのを許されるということは、彼等にとっては相当名誉なことらしい」
広場の奥へと進む間、多くの妖達が紗久羅達を見ていた。まるで、珍生物でも見ているかのような目で、興味深そうに。さくら以外の人間は、なるべくそんな彼らと目を合わせないよう努めていた。
広場には透明な植物が生えている。葉と茎、そして蕾らしいものが見える。しかし花開いているものは一つも見当たらない。まだ花が咲く時期ではないのだろうとさくらは思った。咲く頃にはこの世界はまた閉じられ、隔てられてしまうのだろうと思うと酷く残念だった。
「本当、素敵。とても絵になる世界だわ。ここで暮らせたら、どれだけ素晴らしいでしょう」
「ええ、ずっと居たら流石に飽きないか?」
紗久羅の言葉に、奈都貴が頷く。
「浦島太郎も結局竜宮城を出て故郷へ帰って行ったし……。こういうのは、たまに来るからいいんだと思いますよ?」
一応相手が年上だからか、語尾は丁寧だった。出雲もそれに続き「その通り」と一言。
「その存在が当たり前になってしまったら幻想は現実へと変わる。気づけば、現実だったものが幻想に変わっていく……。桜の花だって、すぐ散るからこそ愛しい。……散って欲しくない、ずっとそこに存在していて欲しい、と願う気持ちはまあ、分からないでもないけれど」
「それも、そうですね……。ああ、それでもやっぱり、心の中では願ってしまうわ。こういう所に住みたいって……」
願うだけ位の方が良いよ、きっとと出雲が返す。
輝夜宮の前に巨大な青いガラスのようなもので出来たテーブルがあり、その上に所狭しと様々な料理が並んでいた。海の幸、山の幸、お菓子、何だかよく分からないもの……数え切れない位多い種類。飲み物も透明で巨大な瓶に淹れられており、丁寧にどんな飲み物であるか書かれたラベルが貼ってある。テーブルの端に透明な皿やコップ、箸、お盆が並んでいた。どれも触れるとひんやりした。
「すごい量。……結構あたし達世界にもある料理が多いな。何か不思議だよなあ。こっちの世界とあたし達の世界は全く別物のはずなのに」
「さあ? 何でだろうね? まあ、どうでもいいじゃないか。さあ好きなものをお取り。……ここに並んでいる料理は、人間が食べても多分大丈夫だろうから。もし食べてどうにかなってしまったら……まあ、骨だけは拾ってあげるよ」
「取る前に脅すなよ!」
皿と箸を手に紗久羅がきっと出雲を睨んだ。一夜と奈都貴はとりあえず見た目安全っぽい物を優先して取ろうと心の中で思った。
「安心するが良い。……毒などは入っておらぬ。誰が食べても問題無いものしか揃えてはおらぬ」
背後から落ち着いた女性の声が聞こえ、紗久羅達は振り返る。
声がした方には美しい女が立っていた。銀に輝く髪に、青い瞳。腕や足を覆う白い衣は薄く、月光を受けて輝く白い肌が透けて見えていた。装飾品等のおかげで胸はかろうじて見えない。腰には赤くて薄い布が巻いてあり、後ろで固く結ばれている。
「人が来るとは、珍しい。……我が名は月島。この宴を仕切る者。思う存分楽しむが良い」
出雲以上に冷たく、感情の無い声。精巧に作られた人形と言われても、誰も疑いはしなかっただろう。月島は特に人間である紗久羅達には興味が無いらしく、さっさとその場を去る。彼女の両脇には可憐な乙女が居たが、何も言わず軽くお辞儀しただけ。そのまま月島についていく。
「あの方が、月の民? とても綺麗な人だったわ」
「まあ確かに綺麗な姉ちゃんだったな。けれど、すっごく冷たい感じがした」
「月の民にはそういう人が多いよ。滅多に表情を変えないし、無口だし。こうして妖達を宮に入れて、食べ物や飲み物を提供したり、楽を奏でてくれたりはするけれど、一緒に飲み食いしたり、話したりするということはまず無いね。からくりのように、ただ決められた作業を決められたようにこなすだけ。何か、大事なものが欠落している感じで」
「大事なものが欠落しているなんてお前に言われたらお終いだな」
紗久羅が嫌味を言う。欠けてはいけないものが欠けているのは出雲も同じだからだ。もっとも本人はそれを認めてはいないが。
出雲はそんな紗久羅の嫌味など全く聞いてはおらず、食べ物選びに夢中であった。彼についている鈴も心なしか楽しそうだ。
弄られるのも嫌だが、無視されるのも嫌だ。紗久羅はやや拗ねながら、乱暴に食べ物を皿に移していく。さくらがそれを見て苦笑いする。そうしながら彼女も料理を選ぶ。あまり取り過ぎないようにしないとと思いつつ、見たこともない食べ物を目にするとついつい取りたくなる。気づけばさくらの皿には見慣れない料理が沢山盛られていた。
「お前チャレンジャーだな。よくそんなよく分からんものを取れるな」
冒険する気等毛頭無い一夜は、彼女の皿を見て呆れたような表情を浮かべている。
「だって、月島さんはどれも大丈夫だって言っていたし……折角だから、普段食べたことのないものを食べたいんですもの」
「あっそう。まあ、どっちでもいいけど」
しばらくして全員料理と飲み物を選び終える。後はどこかに座りながら飲み食いし、月を眺めるだけ。
「どこか空いてないかなあ……?」
きょろきょろする紗久羅の肩をぽんと出雲が叩く。
「その点はご心配なく。……場所取り役がきちんと仕事をしていればの話だけれど」
「それってもしかして……」
「あ、出雲の旦那! 見つけた。やた郎が場所を取ってくれているよ。なかなか良い場所を取れたと思う。音紡を間近で聞けるんだ」
空から飛んできたのはやた吉だった。ああ、こういう時もこいつらはこき使われているのか……と紗久羅は心の中で同情する。
当然というか何というか……出雲は彼等をねぎらう様子無く、そこへ案内するよう命じる。やた吉も「ご苦労」という言葉など一切期待していないらしく、合点承知と出雲達をやた郎の居る所まで導いていく。
やた郎が居たのは、ステージのようなものが近くにある場所だった。幅は広く、高さはそんなに無いもので、赤い毛氈に覆われているもの。
(ここで音紡、というものをやるのかしら。多分、演奏会か何かよね……)
今の所何も置いていないそこを見ながら、さくらは思った。
正座をし、何も食べずに待っていたやた郎が微笑む。
「旦那、場所ここでいいよね?」
「ああ、悪くないね。さあさあ、皆座って。早速食べようじゃないか」
そう出雲に促され、紗久羅達は各々好きな場所に座る。やっと落ち着いたといった感じで、ほっと息が漏れた。これから、月見が始まる。
皆して手を合わせ、取ってきたものを食べ始めた。