第十一夜:化け物使い
『化け物使い』
「ここ……で合っているのか」
「ここ、だと思う」
「地図を見る限り……ここだな」
紗久羅、柚季、奈都貴の三人は地図で示された場所を見て驚愕した。
目の前にあるのは、周りの家が霞んで見える位立派な洋館。
壁の色は黒っぽく、屋根の色は紺色に近い。窓枠は白く、それが良い具合にアクセントになっている。
全体的に暗い色ではあるがかなりしゃれており、ファンタジックな雰囲気を漂わせていた。館の前にある門は花や蔦をモチーフにしたようなデザインでこれがまた素晴らしく、芸術的だった。
周りにあるのはごく普通の家だから、そこだけ異様に浮いて見える。しかしその浮いている感じが、異質な感じが、洋館のファンタジックな雰囲気をより一層引き立てているのだと三人は思う。
「しかし本当に立派な……ここ、まじであのおっさんの家なの」
「……そうらしい。ほら」
家を囲む塀……門のすぐ右隣に『九段坂』と書かれた表札がついており、それを奈都貴が指差した。それを見て、二人は成程と頷く。しかし未だに信じられず、紗久羅は腕を組みながらうーんと唸った。
「ずっと前に建てられた家だとは思うけれど……でも結構高そう。あのおっさん金持ちだったのか?」
「というか洋館ってあの人のイメージにあまり合わないような。どちらかというと和風のお屋敷が合いそうで」
「まあとりあえず中に入ろう」
奈都貴は門を開け、仲良く話している二人を手招きしながら入っていく。紗久羅と柚季はそれに続けて中に入る。
玄関までの道には白い石が敷き詰められており、その周りはきちんと手入れされた庭となっている。塀の裏側には木や花が植えられており、それが洋館の雰囲気とあっている。派手さは無いが落ち着いていて、かつしゃれている。
奈都貴は玄関前についているインターホンを押した。それからしばらくして聞こえてきたのは、美沙のぴょんぴょんと弾んだ声だった。
「わあわあ、いらっしゃい。今開けるね」
そう言ってがちゃり、と勢いよくドアをあげた美沙はそれはそれは嬉しそうな表情を浮かべたまま、目の前に居た奈都貴に飛びついた。
紗久羅と柚季は目を丸くする。抱きつかれた奈都貴は顔を真っ赤にして口をぱくぱくさせる
「ああ、ごめんごめん。あまりに嬉しくて、つい」
美沙は奈都貴からひょいっと離れる。未だ顔を赤くしている奈都貴を、紗久羅はにやにやしながら見つめ、柚季がそれをたしなめる。が彼女の顔にも笑みが浮かんでいた。
「ようこそ。英彦様がお待ちです。ほらほら、あがってあがって」
鼻歌を歌いながら美沙は三人を案内する。
館の中もしゃれており、白い壁には色々な物が飾られていた。美しい女の姿に化けた九尾の狐が描かれた絵、木々に囲まれた湖で戯れる妖精達の絵、狐面や壁掛け時計……どれも素晴らしいもので、紗久羅はすごいなあと感心しながらそれらを眺めていた。
美沙が一つの部屋の前で止まり、ノックをする。扉の向こうからのんびりとした英彦の声が聞こえる。美沙は必要以上に力を入れ、先程と同じように勢いよく扉を開けた。紗久羅は、この扉いつか壊れるんじゃないか?とそんなことを思いながらその様子を見ていた。
扉の向こうにある部屋は教室一つが丸々入ってもまだ少し余裕がありそうな位の広さ。窓は開け放たれており、ぱたぱたと白いレースのついたカーテンがたなびいている。天井には太陽の様な眩しさと、夜空の星の様な輝きを併せ持つ豪華なシャンデリア。正面の壁には大きな古時計があり、振り子が時を刻んでいる。棚には写真や金髪青目の可愛らしい人形などが飾られている。
白いテーブルにはティーカップ、色とりどりのケーキにゼリー、プリン、クッキー、チーズやチョコがのったクラッカー等がところせましと並んでいる。絵本等によく描かれていたお茶会のシーンをそのまま実写化したような光景に、三人は感嘆の声をあげる。
テーブルの奥……時計の前にある席に、この館の主である英彦が座っており三人を歓迎する笑みを浮かべていた。ついさっきまで本を読んでいたらしく、それを閉じて傍らに置いている。
「こんにちは。すみませんねえ、どうしても美沙が皆さんにお茶とお菓子をご馳走したいと言うので」
先日紗久羅達は、鏡女の一件で色々力になってくれた英彦にお礼を言いに図書室へ行った。その時英彦がもしよければ今度の休日、自分の家に遊びに来て欲しいといった提案をしてきたのだ。
「美味い菓子とお茶を食べさせてくれるって聞いたからな。それに先日のこととかの話もあるしさ」
「私もその件について色々お話したいと思っていました。あ、とりあえず座って下さい。美沙、お茶の用意を。ああ後、他の子達も呼んでくれないかな」
「合点承知です」
美沙はくるりとその場で一回転すると部屋を後にした。それを見送りながら三人は少し緊張しながら立派な装飾がされた椅子に座った。
「とても立派な家ですね。びっくりしちゃいました」
「はは。私はこういう家より古風な日本の家の方が好きなのですが。……美沙がこういう可愛くておしゃれな家に住みたいと言いましてね。まあ引越し先であるこの街に丁度いい感じの館があったものですから」
ああ成程、と三人は納得する。可愛いもの好きであるらしい美沙にとっては和風のお屋敷より、こういった洋館の方が魅力的だったのだろう。
でもさあと紗久羅。
「ここ、滅茶苦茶高いんじゃないの? おっさん、金持ちなの」
「まあ実家は結構な金持ちだと思いますよ。色々な事業に手を出していましてねえ……父も母も毎日てんてこ舞いです」
英彦はそう言って苦笑する。どうやらお金は両親に出してもらったらしい。
それに、と英彦が続ける。
「実はこの館、見た目程高くは無かったんですよ。……実は幽霊や妖の住処になってしまっていたが為に『呪われた館』として大安売りされていたのです」
幽霊、妖、という単語を聞いて柚季の顔がひきつる。彼女はそういった類のものが大嫌いなのだ。英彦がその顔を見て、あははと笑った。
「いえ、今は大丈夫ですよ。幽霊さん達には成仏してもらいましたし、ここを住処にしていた妖達のリーダー的存在だった子は……」
言いかけたところ、扉が音を立てて勢いよく開く。美沙かと思いきや、そこに居たのは初めて見かける顔であった。
見た目紗久羅達より少し年上っぽい。髪はショートカットで、白いキャミソールにジーンズとシンプルな服装をしている。
英彦がくすりと笑う。
「ああ、噂をすれば。……彼女の名前は秋野。この館で色々悪さをしていた妖だ。あ、でも今は私の使鬼となっているから、大丈夫」
それを聞いて秋野は頬を膨らませながらぷいっとそっぽを向く。美沙と違い、あまり英彦のことが好きではない様子だった。
あのう、と恐る恐る柚季が手を挙げる。
「使鬼、って何ですか」
「そういえばそういうの全然説明していませんでしたねえ。……ええとですねえ、私達化け物使いは様々な術を用いてこれと決めた妖と戦うのです。戦うといっても相手を攻撃するとかではなく、心に訴えかけるというか、自分の実力を誇示して相手を参らせるというか……ちょっと説明が難しいのですが――でその妖を下すのです。そうして配下となった者を、使鬼と呼んでいるのです」
理解したのか、柚季は小さく頷きながらちらりと秋野を見る。紗久羅も彼女を見てみるが、ぱっと見妖などには見えない。現代人の格好をしているからだろうか、と紗久羅は思った。
その視線に気づいた秋野は二人にがんを飛ばしながらどかどかと歩いてきて、椅子に座った。かなり乱暴に座ったので、どしんという音が聞こえた。
「あの時は油断していたんだ。……いつかお前の寝首をかいてやる」
「いつでもかかっておいで」
まあ君ごときに私が負けるわけ無いんだけれどね?と言わんばかりの余裕ある笑みを浮かべて。秋野はその態度が気に入らないのか、馬鹿と一言言って、目の前にあるチョコケーキを掴み大きな口を開けてそれを食べた。
「強情で乱暴な子だなあ。……まあそういう所が可愛いんだけどね。あ、ほらほっぺにクリームついているよ。とってあげようか」
「じ、自分でとれるから、い、いい」
そう言ってほっぺを指差すと、秋野は顔を真っ赤にしながらそれを拭う。
傍から見ればバカップルがいちゃいちゃしているようにしか見えない。いや、実際いちゃいちゃしているのだろうと紗久羅は思った。
また扉を叩く音がする。今度こそ美沙らしい。奈都貴が立ち上がり、扉を開けてやると、ティーポットや一口サイズに切られた果物を持った皿をのせたワゴンと共に美沙が入ってくる。そんな彼女の後ろには五人もの女性が居た。
「英彦様、お茶をお持ち致しました。あ、後皆も呼んできましたよ」
「ご苦労様。さあさあ、皆座って。早くお茶にしたいからね」
英彦に言われて皆が席につく。美沙も全員のティーカップにお茶を注いでから座った。突然現われた美女軍団に、三人は呆然とするしかない。
「あの……皆九段坂さんの使鬼なんですか」
「はい。皆可愛いでしょう? あ、でも皆私のものですから、差し上げませんよ、深沢君」
「いらないですよ!」
話をふられた奈都貴はまた顔を赤くしている。どうやら紗久羅やクラスの人だけでなく、普段から英彦にも弄られているようだった。紗久羅はその様子を見てまたにやにやする。彼女は奈都貴が慌てふためいている姿を見るのが好きだったのだ。
「あはは。あ、とりあえず食べましょうか。淹れたてのお茶も冷めてしまいますから。好きなものを好きなだけ食べてください」
「いえい、ラッキー。それじゃあ遠慮なく頂きます」
全く遠慮せず、紗久羅は目の前にあるアップルパイをまずは手に取る。隣に座っていた柚季が苦笑いする。
「もう、紗久羅ったら。……ま、いいか。私も食べようっと」
そう言ってレモンの香り漂うレアチーズケーキをとり、口にする。奈都貴も続いてシュークリームを手に取る。
向かい側の席に座っている英彦の使鬼達もきゃっきゃと笑いながら好きなお菓子を手に取り、食べ始めた。
紅茶を一口飲んだ英彦が紗久羅達の方を見た。
「それにしても良かったです。及川さん、井上さん、深沢君が皆無事で。……幸いあの事件が原因で亡くなった方もいらっしゃらなかったようですし」
(そう。鏡女の所為で桜町も三つ葉市もパニックになって、事故とかも起きて……怪我をした人は居たけれど、死人は出なかった。奇跡としか言いようがない)
紗久羅はちらっと柚季の様子を伺う。騒ぎを起こした鏡女に全てを乗っ取られ、奪われそうになっていた彼女は申し訳無さそうに俯く。
自分が鏡を割っていなければ、怪我をしたり倒れたりする人も居なかったのに、と思うと辛いのだろう。
「貴方が悪いわけではありません。少しも気にしなくていい、とまでは言いませんが……自分をあまり追いつめてはいけませんよ」
「ありがとうございます」
「……本当に、良かった。貴方があの時逃げ出さず戦ったからこそ、こうして皆笑いながらお茶を飲んだり、お菓子を食べたりすることが出来るのです」
「正直言うと、私逃げ出しそうになっていました。逃げた方が楽だろうなってそう思って……けれど、紗久羅の声が聞こえて、それで……」
「井上さんの心からの叫びが、貴方に勇気を与えたのですね」
微笑む英彦を見て、柚季もつられて笑みを返す。しかしその笑みはすぐに曇る。英彦はどうしたの、と目をぱちくりさせた。
「確かに鏡女は消えました。けれど、ちょっとというか、私にとってはかなりなんですが……困ったことが起きまして」
柚季は紗久羅を見る。紗久羅は柚季の顔を見て苦笑いした。
「困ったこと、ですか?」
「何か私、潜在的に霊力を持っていたとかで……鏡女を追い出す時、それが目覚めちゃったらしくて」
それを聞いた英彦がやっぱり、といった表情を浮かべたので柚季は驚いた。英彦ははちみつとクリームたっぷりのパンケーキを頬張っていた美沙と顔を見合わせ、苦笑いする。
「いえ、それに関しては……美沙が貴方に抱きついた時に感じ取っていたようなんですよ。鏡女の歪んだものとは違う、強くて清らかな力を感じると彼女は言っていました。そうだろう、美沙」
「そうなのですよ。まあ鏡女の邪悪な魂が邪魔で、はっきりと感じ取ることは出来なかったんですけれどね」
「その力が目覚めてしまったのですね……確かに貴方にとってはかなり面倒な事態になりましたねえ。しかし誰がそんなことを貴方に?」
「い、出雲さんっていう……ええと、鏡女に止めを刺した……化け狐さんです」
「陰険で根性が曲がっていて、人が困っているのを見て喜ぶような奴です」
と紗久羅が付け加える。そんな二人の話を聞いた英彦の目に好奇の色が滲んで見える。
「出雲。……桜村奇譚集によく出てくる化け狐のことですね。深沢君から彼がまだ生きているということを聞いて驚きました。巫女と相討ちになったとそれには書かれていましたから」
「桜村奇譚集のこと知っているの」
「ええ。私は妖に関する本を色々読んでいますから。この辺りには昔から興味があったんですよ。妖と関わる人間の間では有名なんですよ、この辺って。これ程までにあちらの世界との境界が曖昧な場所ってそうそうお目にかかれませんからね」
そう言ってシュークリームを一口。柚季はよりにもよって何でそんなところに来てしまったのか、と頭を抱える。紗久羅は彼女の肩を、慰めるかのようにぽんと叩いた。柚季はヤケクソとばかりに、モンブランにかぶりつき、続いてレアチーズケーキを食べる。
「今度会ってみたいですねえ、その化け狐さんに。聞くところによれば、かなり強い力を持っているそうですし」
「あの馬鹿狐も使鬼に加えるつもり?」
紗久羅の言葉に、英彦が慌てて首を横に振る。
「とんでもない! 恐らく私の力で下すことが出来る相手ではないでしょう。自分とはかけ離れた者を使鬼にすることは不可能に近いですし。……第一、私は女の妖にしか興味ありません。やっぱり使役したり一緒に暮らしたりするなら、可愛い女の子の方がいいじゃないですか。野郎が野郎を使うとか……そんな、気色悪い。相手が美形であろうがなんだろうがお断りです」
と満面の笑みを浮かべながら言う。
「英彦様の使鬼は、皆女の子なの。そして全員が英彦様の彼女なのよ。ねえ、英彦様」
「ああ。皆愛しているよ」
(何だこのエロ男……皆彼女って……)
ドン引きする紗久羅に柚季が小声で囁く。
「あれだよね、萌え系漫画とやらにありそうなシチュエーションよね。一人の男性に、沢山の美少女……。しかも全員その男性のことが大好きっていう」
「リアルにそんなことあるんだな……」
「いや、これは例外だろう。多分……」
黙々とクラッカーや果物を頬張っていた奈都貴が視線を逸らしながら力なく呟く。
「あ、ご心配なさらず。生徒とか、人間の女の子とかに手を出すなんてこと絶対にありませんから。言ったでしょう。女の妖にしか興味は無いって。人間の女の子には興味が無いんです。あくまで妖だけなのです」
誰もそんなこと聞いていないのに、英彦が再び眩しい笑顔を浮かべ更に三人をどん引きようなことを言う。妖(女限定)にしか興味ないって人間としてどうよ、と三人は思った。
(ああ、でもさくら姉も似たようなものか。人間の世界に興味ありませんって感じだもんな……)
案外英彦と気が合うのではないかと紗久羅は思う。
「ああ、そういえば美沙と秋野以外の子達の紹介がまだでしたね」
英彦の言葉を聞き、お菓子を食べたりお茶を飲んだりしていた五人の手が止まる。
「ええと、まず秋野の隣に座っているのが榊」
真雪の様に白い髪、陶器のように白くて滑らかな肌、白い着物、とあまりに白くて清らかで……今にも消えてしまいそうな姿をしている。榊はこくりと頷いた。年は紗久羅達と同じ位に見える。
「次が、真砂」
こちらは海藻の様に波打っている、ぎらぎらした黒髪を伸ばした女性。見た目は二十歳過ぎといったところ。肌は何故か濡れているように見える。寝ぼけ眼で、へらっと笑いながら軽く手を振った。
次に紹介されたのが阿古という娘で、こちらは小柄でややふっくらしている。くりくりした瞳に小さな口。ぷにぷにほっぺで、とても可愛らしい少女だった。可愛いほっぺをほんのり赤くさせながら、にこりと笑う。
「そして、蕾」
右下にホクロのある、スタイル抜群の色っぽい女性で、宜しくねと甘い声で囁き、ウインクしながら投げキッス。大人の魅力で満ち溢れているが、どこか子供っぽい雰囲気もある人だ。
「最後が……夢結」
「夢結?」
紗久羅はその名前に聞き覚えがあり、思わず口にする。
夢結と呼ばれた女性は秋野と同じく髪は短い。瞳はガラス玉のように透き通っており、蕾と違って物静かで落ち着いた大人の女性といった雰囲気だ。
紗久羅は彼女とどこかで会ったことがあると思い、彼女の顔をまじまじと見つめる。視線に気づいた夢結は苦笑いする。
「お久しぶりね、お嬢さん。……最も、貴方は私のことよく覚えていないと思うけれど」
「え、ええとどこで会ったんだっけ……」
「鏡女に襲われて倒れた後、ですよ。彼女は人の夢や精神世界に潜り込む力を持っていますからね。私は術をかけたしおりを貴方に渡しました。そしてその直後、鏡女が貴方を襲った。……その時術が発動し、鏡女から貴方を守った。代わりに、私は体に強い衝撃を受け動けなくなってしまいました。……けれど、術が本当に成功し、貴方をきちんと守れたのかはあの時の私には分かりませんでした。私は一刻も早く安否を確認したくて……彼女を貴方の夢の中へ潜りこませたのです」
英彦の話を聞き、曖昧な記憶が少しだけはっきりとしてきた。
(ああ、そういえばあたし夢の中で誰かと会った。目を覚ました途端、誰とどういう話をしたのか殆ど忘れてしまっていたけれど……そうか、あの時あたしはこの夢結って姉ちゃんと会っていたんだ)
「私の術が完璧だったら、貴方が倒れる位の生気を奪われる前に、鏡女を弾くことが出来たのですが……元々、攻撃する為の術とかはそれ程得意ではなかったので。化け物使い――この響きはあまり好きではないのですが――は、妖をもって妖を制す存在で。己を鍛えることでより強い妖を使鬼にし、そうすることで強い妖に立ち向かう力を手に入れる」
「でも、おっさんの術がなければ、あたしは確実に死んでいた。柚季だってどうしていいか分からないまま、消えてしまっていたかもしれない。……おっさんにはこれでも感謝しているんだぜ」
と感謝の意を述べながら紗久羅はフルーツケーキをもぐもぐ食べる。
「紗久羅、お礼を言いながらお菓子食べちゃ駄目でしょ……」
と呆れる柚季。
「照れ隠しってやつじゃね?」
チーズとトマトの上にオリーブオイルがかかったものをのせたクラッカーをひょいっと口に入れながら、奈都貴が一言。図星だったので、紗久羅はぷうっと頬を膨らませる。
「成程、照れ隠しね。可愛いわねえ、紅茶と一緒に食べちゃいたい」
と蕾が組んだ両手の上に顔を乗せ、妖しい笑みを浮かべる。紗久羅はケーキの上に乗っていたキウイを思わず口から噴出しそうになり、慌てて紅茶を飲んだ。その様子を見て、蕾が今度は声を出して笑った。
「あはは、本当に可愛い。……ああ、でも可愛さで言ったらやっぱり佳奈が一番かな」
「佳奈?」
「英彦様の幼馴染なんだけれどねえ……」
と言ってなぜかにやにやしだす。意味が分からず、紗久羅と柚季は揃って首を傾げる。英彦もよく分かっていないらしい。顔に何のことだろうとはっきり書いてあった。蕾は「内緒」と一言言って、結局その続きを言おうとはしなかった。
何だかなあと肩をすくめていた英彦は、柚季に話しかける。
「そういえば及川さん、霊力が目覚めてしまったんですよね。……どうです、あれから何か変化はありましたか」
紅茶を一口飲み、ふっと息をついた柚季は曖昧に首を横に振る。
「幸い今のところは何もありません。けれどいずれ何か起きるのかなって思うとちょっと憂鬱で」
「柚季は妖怪嫌いだもんな。あたしも別に好きってわけじゃないけれど。あの馬鹿狐は、これから面倒なことになるだろうねって言っていたな」
「力はありとあらゆるものを引き寄せますからね。面倒なことも当然起こるでしょう。……となると、もしものことがあった時自分で対処できるようにならないとまずいですねえ。及川さんさえ宜しければ、力の使い方、制御の仕方を教えて差し上げます。自分の身を守る位の術は私にも教えられると思いますよ」
「教えてもらった方が身の為だと思うぜ。そうしなきゃ、あっという間にお前みたいなガキなんて食われちまう」
秋野がクリームのついた口の周りをぺろりと舐め、脅すような声で一言。柚季はその言葉にぞっとしたのか、鏡女に体を乗っ取られかけていた時のことを思いだしたのか、顔を青くさせながらごくりと息を呑む。あまり不安をかきたてるようなことを言ってはいけないよ、と英彦がたしなめると秋野はべえっと舌を出し、ぷいっとそっぽを向く。やれやれと言いながら英彦は再び柚季に視線を戻す。その表情は真剣なものであった。
「まあ覚えておいた方がいい、というのは事実です。その力を使い、人々を妖怪から守る為に戦えとは言いません。他人の為に使うかどうか、それを決めるのは貴方自身ですからね。……正直、オススメはしません。しかし自分の身を自分で守る為にも、色々知っておかなければいけません」
「柚季、教えてもらった方がいいと思うよ。このおっさんなら信用出来るだろう」
「う、うん……そうだね。このままじゃあ、また色々な人に迷惑かけちゃうかもしれないしね。九段坂さん、お願いします」
「はい。簡単なことでしたら、図書室に来てくだされば教えて差し上げますよ。しかしあの鏡女は消えてなお及川さんの平穏を奪い続けて……全く困ったものですね」
「本当ですよ。これからどんなことが起こるのだろうと考えるだけでも憂鬱です。でも、いいんです。あれのせいで酷い目にあったし、沢山の人に迷惑をかけちゃったけれど……でも、あの鏡女のお陰で私は素敵な友達と出会えましたし。これから先の人生思いっきり楽しんで、鏡女をくやしがらせてやるんです。ねえ、紗久羅」
「そうそう。きっとあたし達がわいわいお喋りしながらお茶飲んでいる姿を見て、鏡女の奴あの世で地団駄踏んでいるぜ」
紅玉に似た輝きを持つイチゴジャムをたっぷり塗ったスコーンを手にし、紗久羅と柚季は笑い合う。奈都貴もそんな二人を見て微笑む。
三人はその後も英彦達とお喋りを楽しみながら、美味しいお菓子をお腹がはちきれそうになるまで食べた。美沙が作ったというそれらは、それ程までに美味しかったのだ。
ご馳走になった挙句お土産まで貰ってしまい、三人は喜ぶ反面色々助けてもらった挙句、ご馳走までしてもらって……と若干申し訳ない気持ちになった。
「それでは皆さん、また学校でお会いしましょうね。もし変わったことがあればどんどん相談して下さい。妖などが関係していそうなものでしたら喜んで話を聞きますよ。ああ、後可愛くて強そうな女の妖の情報とかも大歓迎です」
最後に若干の変態さんな発言を混ぜた別れの挨拶を述べ、英彦は三人を見送る。
きっと彼に相談する機会はこれから多くなるだろう、と紗久羅は思う。『向こう側の世界』に何度も通ったその身にはあちらの世界の空気が染みついているのだ。あちらの世界の住人を引き寄せてしまう存在となってしまっているのは、何も柚季だけではない。
(まあ、ちょっと……というかかなり変わったおっさんだけれど、頼りにはなりそうだな)
三人は途中まで一緒に歩き、別れた。
美味しいお菓子を食べすぎた三人は結局夕飯を食べることが出来なかった。
ちなみに井上家の本日の夕飯は散らし寿司であった。……紗久羅の大好物である。
紗久羅は遠慮なく食べまくったことを少しだけ後悔したのだった。