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桜町幻想奇譚  作者: 里芽
金魚捕り
44/360

第九夜:金魚捕り

『金魚捕り』


「良い所に連れて行ってあげる」

 そう出雲に言われて、さくらと紗久羅、そして一夜は満月館へと来ていた。

 一夜はここへ(骨桜の精神世界に居たことはあったが)来るのは初めて。訳が分からぬまま出雲に通しの鬼灯を託され、さくらに引っ張られるようにしながらここまで来た。

 言われるまま、通しの鬼灯を握った一夜は目に映った景色に呆然とし、声をあげることもなく顔を引きつらせていた。それを見たさくらと言えば、感動のあまり声も出ないのねと勝手なことを言い、一人頷いていた。


 鳥居と灯篭、桜の木がずらりと並ぶ石段は異質な空気を漂わせる。その異質さが幻想を生み出しているのだ。

 石段を上った先にある大きな鳥居をくぐれば、向こう側の世界――さくらは異界と呼んでいるが――に着く。通しの鬼灯から手を離せば、二つの世界を繋ぐ道は姿を消す。


「で、ここが出雲の住んでいる家、と。随分立派な洋館に住んでいるんだな」


「ここに来たからには、兄貴も仲間だぜ。もう逃げられないからな」

 何のことだ、と顔をしかめながら問う一夜。紗久羅は鼻歌ではぐらかす。


「良い所ってどんな所かしら、楽しみだわ」

 心の底から楽しみにしている人など、さくら位しかいない。彼女は例え連れて行かれた先が地獄であっても興奮するに違いないと紗久羅は思った。まあ、あれが本物の閻魔大王様なのね、素敵!と目を輝かせながら言う彼女の姿がありありと浮かんだ。それは一夜も同じようで、はあと深いため息をつく。


「久しぶりに部活が休みになったのに……なんだってこんな所に来なくちゃいけないんだよ」


「一夜はここへ来て胸躍らないの?」


「ここに来てきゃっほい言えるような奴なんて、お前くらいしか居ないっての」


「そうかしら。紗久羅ちゃんは楽しいわよね?」


「いや、別にそんな楽しくないです……」

 紗久羅は彼女から目をそらす。声は随分と引きつっている。さくらは肩をすくめた。


 三人はなかなか満月館に入らず、ぺちゃくちゃ喋っていた。


「君達、入らないの?」

――いつの間にか三人の前に居た出雲が、呆れた表情を浮かべながら話しかけてくるまで。


 三人はいつもの部屋に通され、お茶とお菓子を出された。


 水を思わせる青味がかった硝子の皿にのせられた菓子。清水の様な透き通った色の寒天の中を、白餡で出来た金魚が気持ち良さそうに泳いでいる……見ているだけで涼しくなる、芸術的なお菓子だった。

 口の中に入れると、上品な甘味が広がる。単品で食べると結構甘いのだが、お茶と一緒に食べると丁度良くなる。寒天のつるんとした喉越しが、体を冷やしてくれるような気がした。


「ああ、とっても美味しいわ。見ても食べても涼しくなれる、素敵なお菓子」


「だろう? こちらの世界にある和菓子屋なんだけれど、なかなか良いものを作ってくれるんだよね」


「こちらの世界の……これ、変なもの入ってないよな」

 食べかけのそれを指差しながら、一夜がおそるおそる聞く。出雲がはは、と笑った。


「特に変わったものは入っていないはずだよ。入っていたとしても、食べて分からない位のものなんだろう。まあ、毒になるようなものは入ってないし、問題ないんじゃない」

 そういう問題なのだろうかと一夜は思ったが、変な味がするわけでもないし、美味しいからまあいいかと考え直す。

 紗久羅は、寒天の部分をむにむにと押して遊んでいる。


「何か、この菓子見ていたらさ、金魚すくいがやりたくなったよ」


「ああ、金魚すくい。子供の頃はよくやっていたけれど、そういえば最近はやっていないわねえ。私下手くそで、全然とれなかったのよね」


「TVとか見ていると、馬鹿みたいな数をすくう人が居るけれど、実際にやると難しいよな。コツとか聞いても上手く出来ないし」

 こういう感じですくうといいんだっけか、と一夜はポイを持って金魚をすくうマネをする。


 菓子を一口頬張りながら、その様子を見ていた出雲。金魚すくいねえ……と小さな声で呟く。


「あれって、何が楽しいの?」

 その一言で、三人の会話が止まる。目をぱちくりさせ、首を傾げる。

 何がと聞かれると意外と答えられないものだ。


「金魚をポイっていうの? あれで金魚をすくうだけの遊びだろう。ポイが破ければそれでお終い。上手くすくえたとしても、もらえるのはすぐに死ぬ金魚だけだろう? 飼うのだって面倒くさそうだし。金魚すくって、貰って、嬉しいのかい」


「そりゃあまあ、確かにそうだけれど……でも、やったとったぞっていう達成感はある……よなあ?」

 紗久羅は兄に同意を求める。


「うん、まあ。具体的な景品とかそういう物を貰うためにやっているわけではないしなあ。ポイを持って金魚と格闘する過程を楽しんでいるっていうか」

 さくらの方の意見は、また違うようだ。


「金魚って宝石みたいに綺麗だから、私は嬉しいわ。家に綺麗な金魚鉢があって。その中に放して眺めるのが、好き。餌を食べる様子も可愛いし……」


「ふうん。一応楽しいんだ。――けれど私は金魚すくいより、金魚捕りの方が余程楽しいと思うんだけれど」

 三人が金魚捕り?と返す。そんなもの、聞いたことが無かったからだ。

 金魚を素手で捕るとかいう遊びなのだろうか?どじょうすくいの格好でもして、金魚を大量にゲットするとか……それは嫌だ。


 三人の間抜けな面を見て、出雲は満足気に笑う。


「あれは、なかなか良いと思うよ。涼むことも出来るし、頑張れば面白い物を沢山貰えるしね。今から行こうじゃないか。――元々そこへ連れて行く為に今回君達を呼んだんだよ。」


 出雲は皿と湯飲みの片付けを鈴に頼んだ。鈴はこくりと頷いて、お盆に皿などをのせて持っていく。


「鈴も一緒に行くかい?」

 立ち止まった鈴は、小さく首を振った。


「いい。――別の日に、出雲と二人で行きたい」

 ようは、紗久羅達と一緒に行くのが嫌なようだ。出雲は鈴の頭を優しく撫でる。


「ふふ、分かったよ。今度二人で遊びに行こうね。それじゃあ留守番をお願いするよ。お土産も買ってくるからね、待っていてね」

 出雲らしくない、非常に優しい声色でそう言うと、鈴はこくんと頷いて部屋を出て行く。出雲はそれを見送ると、机の引き出しを開けて何かを取り出した。


「それじゃあ、行こうか。とりあえず一階へ」

 出雲に三人は続き、部屋を後にする。階段を下り玄関の正反対――屋敷の奥の壁の前まで行って、出雲が止まった。


「どうしたんだよ、出雲。こんな壁の前で止まって」

 紗久羅の言葉に出雲はにっこり笑う。机の引き出しから持ってきたのは、A4サイズ位の紙だった。よく見ると障子の絵が描かれている。

 出雲はまず壁にその紙をつける。紙は壁にぺったりと貼り付く。そして右手の人差し指をぺろりと舐めると、その紙に文字を書き出した。彼の指になぞられた部分が黒く変色し「翡翠京」とまるで墨で書かれたような文字が紙の上に浮かび上がった。


 出雲はゆっくりと手を紙から離す。

 すると、ぽん!というコルクを抜く時のような音がして、壁に本物の障子が姿を現した。


「何、これ」


「障子だけど?」


「見れば分かるよ。その障子をここに出してどうするんだよ」

 紗久羅の言葉に、出雲がはあ、とため息をつく。意味も無く私がこんな物を出すとでも?と言いたげだ。


「障子、扉、戸、ドア。それらは二つの世界の間に存在し、世界と世界を繋ぐ。まあ兎に角開けてごらん」

 言われて、紗久羅は障子に手をかけ右にスライドさせる。


「あれ?」

 先程まで確かにあったはずの壁が消えていた。障子がついている所の壁だけが、無くなっている。そして目の前に広がるのは、広い道。そしてその道の先に、建物がずらりと並んでいるのが見える。

 満月館は木々に囲まれた山の中にある。当然その館の裏も木々に囲まれているはずなのだが。


「どうなっているんだ?」


「この障子が、満月館と翡翠京って所を繋いだということかしら」

 紗久羅と一緒に、障子の向こう側に広がる世界を見ているさくらは興奮しているのか、顔がやや上気している。

 扉は世界と世界を繋ぐ。閉めれば双方の世界を隔絶する壁に、開ければ世界を繋げるものに。


 紗久羅は恐る恐る、さくらはやや興奮しながら、一夜は特に何を考えるわけでもなくごく普通に足を踏み出した。

 境界を越え、振り返る。渡った先から障子を見てみると、それは道の上にぽつんと立っていた。最後に出雲がこちらに来ると、障子を閉める。今度は左手の人差し指を舐め、大きな×印を描く。朱色の×印が障子の上に浮かんだ瞬間、またぽん!という音がして、障子は跡形もなく消えた。


「離れた場所にも、これさえあれば簡単に行くことが出来る」


「素敵! 何て素敵!」

 さくらだけが目を輝かせ、興奮気味に叫ぶ。山ほど積まれたお菓子を目の前にした子供のようである。


「これってどこにでも行けるの?」

 一夜が聞くと、出雲は首を振る。そうだったらとても便利なのだけれど、と話を始める。


「一定の場所にしか行くことは出来ない。ほら、あそこに赤い柱があるだろう」

 言われて見てみると、確かに道の両端に赤く丸い柱が立っていた。電柱位の高さのそれには幾何学的な模様が描かれていて、先端には大きな青い玉がついている。


「この柱が立っている所にだけ、行くことが出来るんだ。ちなみに満月館の近くにはこれが無い。だから帰りは別の手段を使うしかない」

 便利なのか不便なのか――何とも微妙な道具だ。まあこんな道の上で立ち止まっていても意味は無い、と言って出雲は先へ進みだす。三人はその後に続いた。


 しばらく進むと川があり、木の橋がかけられていた。橋を渡った先に広がる風景は、江戸の城下町を思わせるようなものだった。

 道の両側に、酒屋や呉服屋、茶店等が並んでいる。


「ここが翡翠京。満月館に一番近い大きな京だ」


「何で翡翠京って呼ばれているんですか?」


「魔珠羅の森が割と近くにあるからだよ。紗久羅は行ったから知っているよね」

 紗久羅が頷く。出雲に半ば無理矢理連れて行かれた場所だ。こちらの世界の母とも呼ばれているカガキミの樹、そしてその樹を包むように生えている木々は確かに翡翠の様な色をしていた。翡翠の色をした森が近くにあるから翡翠京。

 紗久羅は納得したが、そこへ行ったことの無い他の二人はあまりピンと来ていない様子で、はあ、と曖昧な相槌を打つだけだった。


「一定の規模がある集落は、この世界では『(みやこ)』と呼ばれている。ここの他にも『(こう)()(きょう)』や『(りっ)()京』『(きっ)(こう)(きょう)』等があるんだよ。まあその辺りは大分遠くにあるのだけれど、先程の道具を使えば簡単に行けるから、いずれ連れて行ってあげるよ」

 最後に気が向いたらね、という言葉を付け加えた。


「素敵、素敵! どんな所なのかしら。ああそちらも気になるけれど、ここも素敵! 町並みも素敵で……しかも本物の妖怪さん達がいっぱいいるわ!」

 さくらの言う通り、流石『向こう側の世界』だけあって妖達がうじゃうじゃと居る。ここでは、普通の人間である紗久羅達の方が異質な存在であった。

 一つ目に提灯お化け、三つ目小僧、猫耳が生えている女、手足に鱗がある男等が店の中に入ったり、町の中を歩いていたりしている。その光景を見て大喜びしているのはさくら位だ。紗久羅は未だ完全には慣れていないのか顔が引きつっているし、一夜はため息をつきながら頭を抱えている。


「まあ興奮するのは構わないけれど、私から離れないようにね。迷子になるだけならまだいいけれど、腹を空かせた妖達に食べられちゃうかもしれないから」


「恐ろしいことをさらっと言うな!」

 顔を青くして紗久羅が出雲に食ってかかる。出雲はそんな紗久羅の顔を見て満足気ににやにや笑っている。


「ああもうたまらないね、その顔。もっと意地悪してあげたくなっちゃう。――しかし実際冗談では無いからねえ。何せ生身の人間なんて昔ほどこちらに迷い込んでこないし……久しぶりに生きている人間の肉が食える、とか何とか言って襲ってくる妖が居ないとも限らない」


「普通そんな危険のある所に連れてくるか……?」

 一夜は呆れ気味だ。紗久羅はふざけるなと喚いている。さくらは出雲の言葉が耳に入っていないのか、夢に見てきた光景にうっとりしていた。


「まあ、私から離れなければ大丈夫だと思うよ。まあ基本的に騒がしいけれどそこそこ平和な所だし、どうにかなるって」


「万が一食われたら、お前とお前の子孫を呪ってやるからな!」


「子供作る気無いから、子孫も何も私の代で血が絶えると思うけれど。後、私は人間如きに呪われたって死にはしないよ」


「うっ……」


「それとも私の子供を君が産むの? 自分で自分の子孫を呪っちゃう? そういうことだったらまあ協力してあげてもいいかなあ」

 紗久羅の顔が天狗の顔になる。


「殺す! いつか絶対殺す!」


「駄目よ紗久羅ちゃん、そんな乱暴な言葉使っちゃ」

 さくらにまるでお母さんの様な口調で優しく諭され、紗久羅は言葉を詰まらせる。

 紗久羅を怒らせた張本人は、彼女達を置いてさっさと進む。離れるなとか言っておきながら、平気で置いていく……。一夜も妹と幼馴染を無視して歩いている。

 二人は慌てて彼等を追いかけていった。


 江戸時代へタイムスリップしたような気分を味わいながら、三人は出雲についていく。妖達に好奇の視線を向けられたり、話しかけられたりしてあたふたしている紗久羅の姿を出雲はにやにやしながら見ていて、助け舟を出そうともしない。逆にさくらの方は妖達に自ら近づいて質問をまくしたて、一夜が必死にそれを止めていた。


 しばらく歩いたところで、出雲が立ち止まった。


「後少しで着くよ。ほらここから金魚鉢みたいなものが見えるだろう」

 出雲が右前方を指差す。確かに彼が指差した先、立ち並ぶ店の奥に大きな金魚鉢のようなものが見えた。周りにあるのが低めに出来た木造の家だから、相当目立っている。

 三人は目を丸くした。少し歩き、金魚鉢の前まで行く。遠くから見ても大きく感じたが、近くで見るとますます大きく見え、思わず息を呑む。


 青みがかった硝子は曲線を描き、縁は波打っている。形や色は普通の金魚鉢と変わらない。その大きさだけが、異様なのだ。


「でかっ!」


「金魚どころかイルカも泳げそうだな……」


「鉢というより、巨大水槽って感じね」


「ここは金魚亭。普段は喫茶店だけれど、一定の期間だけ『金魚捕り』という遊びを実施しているんだ。入り口は裏にある、ついておいで」

 ぽかんとしている三人を手招きし、金魚鉢の裏にまわる。

 裏には看板が立っていて、金魚鉢に硝子で出来た短いトンネルがついていた。


 トンネルをくぐると、金魚鉢の中に入る。


「あれ?」

 入った瞬間体がひんやりとするのを感じ、三人は立ち止まった。動くと妙な抵抗を感じ、風も吹いていないのに髪が海藻のように揺れ動く。


「まるで、水の中に居るみたい……」


 そう、まさに水の中に居るような感じがするのだ。けれど息は少しも苦しくないし、服も濡れていない。息を吸い込んでみても水が鼻や口に入ることはなかった。


 透明な硝子で出来た金魚鉢の中に居るのに、外の景色は一切見えない。色のついたライト等があるわけでもないのに、鉢の中は青く輝いていた。

 硝子で出来た床の下には色とりどりのビー玉が敷き詰められ、見上げると天井は日の光を受けた水面の様にぎらぎらと輝いている。


「不思議な場所だろう。涼むには絶好の場所だ」


「おや、いらっしゃい。よく来たね」

 背後から女の声が聞こえ、皆で振り返る。


 いつの間にかそこに一人の女が立っていて、にっと笑いながら紗久羅達を見ていた。


 赤く薄くて柔らかい布を鉢巻の様に頭に巻いていて、長く余った部分がゆらゆら揺れている。

 前髪は両サイドだけが伸びていて、後ろの髪は短めでやや外側にはねている。

 袖の無い赤い着物に、黒い帯。丈は短めで、白い足が露になっている。手首に金の腕輪をつけていて、きらきら輝いていた。何故か茶色い小さな壷のようなものを首にかけている。右手に持つのは黒いキセル。腰には首にかけているのと同じような壷や鍵の様な物等を連ねたものをつけていた。

 外見年齢は二十代前半~半ばといったところだろうか。


「出雲じゃないか、久しぶり。あれ、一緒に居る子供達はひょっとして人間かい? 珍しいね」

 はきはきとした、やや男の子っぽさがある口調で話す。


「ああ、ボクの名前は赤魚(あかな)。今日は楽しんでいってね」


「赤魚、三人に簡単に金魚捕りの遊び方を教えてやってくれないか」

 出雲が言うと、こくりと赤魚が頷く。


「ま、遊び方は簡単さ。子供だって出来るだろう」

 そう言って、赤魚はにかっと笑い、首にかけていた壷を外し、手に取る。壷の蓋を開け、そこに何かの茎のようなものを入れ、取り出す。


「とりあえず、準備をしなくちゃ」

 その茎に赤魚が息を吹き込む。


 すると茎の先から、蓮の花が入ったしゃぼん玉が次から次へとでて来て、金魚鉢中へ広がっていく。小さなもの、大きなもの。それらが、ぷかぷかと鉢中を漂う。それを何回か続けるうち、広い金魚鉢に数え切れない位の数のしゃぼん玉が出現した。

 ぽかんとしている三人の表情を見て、赤魚が笑った。


「驚くのはまだ早いよ。それっ」

 壷を再び首にかけた赤魚がぱん!と手を叩く。


 それを合図に、しゃぼん玉がぽぽぽぽぽんと心地よい音を立てて弾け、中に浮かんでいた蓮の花が……。


「蓮が金魚になった!」


「何だこれ、新手のマジックか……?」


「わあ、可愛い金魚が沢山!」


 蓮の花は、金魚に姿を変えた。といっても普通の金魚より大分大きく、丸っこい。尾ひれは立派で、水の中で踊る海藻のようにゆらゆらしている。色は、赤一色のものもいれば、黒一色のもの、赤と白が混ざったものなどが居る。大きいしゃぼん玉が変じたものは大きく、小さなしゃぼん玉が変じたものはやや小さめ(それでも普通の金魚に比べれば大きいが)だ。

 さくらはその様子を見て興奮し、カメラとか持ってくれば良かった!と叫ぶ。


「ふふん、すごいだろう。さて君達に今からこの店の中を泳ぐ金魚達を捕まえてもらう」


「捕まえる? 網か何かで捕まえるの?」

 紗久羅は、巨大虫取り網で金魚を捕まえる自分の姿を想像した。かなりシュールな光景だと思った。まあ、現時点ですでにシュールな光景が広がっているのだが……。

 赤魚が左手の人差し指と、首を振った。


「そんな道具なんか、使わないよ。素手だよ、す・で」


「素手かよ!?」


「まあ、捕まえるといってもさ、ただ両手でちょいっと触るだけで良いんだよ。 ここの金魚達は両手で触れられると、別の物に姿を変える。それはそのまま、捕まえた人の物になる。ま、この遊びの景品ってやつだね。ちなみに、大きくて早い金魚が必ずしも良い物に姿を変えるとは限らない。そういう金魚でもしょぼい景品に変わることだってある。逆に言えば、動きの鈍い小さな金魚が素晴らしい物に姿を変えるってこともある。まあ、何が手に入るかっていうのは完全な運……だねえ」

 あ、今回人間にとって毒になるものとか、そういった景品は除外してあげたから、安心してねと付け加える。その後腰につけていた壷を三つ外す。地面に置くと、その壷は巨大化した。


「手に入れた景品は、この壷に入れるといい。他人の壷から景品を盗もうとしても無駄だからね。あ、壷に名前を書いておいた方がいいね。君達の名前、教えてよ」


「あたしは紗久羅。糸偏に少ないって字でサ、久しいっていう字でク、羅針盤の羅」


「羅針盤って何? どういう字書くの」

 赤魚が首を傾げる。こちらの世界には存在しないのだろうか。紗久羅は説明に困った。


「あ、修羅の羅です」

 さくらが助け舟を出すと、赤魚がぽんと手を叩いた。そして壷にまず『紗久羅』と書く。


「それで、私の名前もさくらなんです。あ、ちなみにひらがなです」


「へえ、君もかい。ひらがなね、了解、了解」

 すらすらと書き、最後は一夜が名前を告げた。それも書き終え、今度は腰についている赤い雫型の石がついた首飾りを三人に差し出す。


「これは、残りの時間の目安を教えてくれるものだよ。残りが半分位になると黄色くなって、残り僅かになると青くなる。最終的には白くなって、終了を告げる音を出す。音が鳴っている間に捕まえた金魚は景品に変わるけれど、鳴り終った後はどれだけ捕まえても景品には変わらないから気をつけてね」


「制限時間って何分なの?」

 一夜が聞くと、赤魚が首を傾げる。


「さあ? 具体的な時間なんて知らないよ。ボク達ってあんまり時間に細かくないからさ。まあでも、皆同じ時間だけ遊べることは確かだよ。あ、そうそう。時間とは関係ないけれど。もう分かっていると思うけれど、この空間では水の中で出来ることの多くをすることが出来る」


「泳ぐことも出来るってことですか?」

 赤魚が頷く。


「勿論さ。この空間は(うつろ)(みず)というもので満ちている。水の性質を持っているけれど、実体は無い。水であって水ではないもの。まあ、兎に角やってみよう。慣れれば楽しいよ」

 確かに、この広い空間を泳ぐことが出来たらさぞかし楽しいだろうと三人は思った。おまけに金魚を捕まえれば何かが貰えるのだ。人間景品とか、プレゼントとか、そういったものに弱い。


「あれ、出雲さんはやらないんですか?」

 あくびしながら、赤魚が三人に説明している様子を見ていた出雲にさくらが話しかける。話しかけられたことに気づいた出雲は、手を振る。


「やらないよ。疲れるもの。私は赤魚とお茶でも飲みながら、君達が騒いでいる姿をじっくり観察することにするよ。今回の遊びの代金は払っておくから、気兼ねなく思いっきり遊べばいい」

 楽しいよと言って人を誘った当の本人が「疲れる」などと言って遊ばないって……とちょっと三人は心の中で思ったが、口には出さなかった。


「それじゃあ、そろそろ始めようか。準備はいい?」

 三人が頷くと、首飾りが赤い光を放った。どうやら開始の合図らしい。

 皆ばらばらの方向を向き、三方に散らばって金魚を捕りにかかった。


「ええと、ここでは泳げるんだよな。何か俄かには信じられないけれど……ていうか、何で俺こんなことやっているんだ。変てこな体験は、あの骨桜の時が最初で最後だと思っていたのに……大体妖怪とか、別の世界とか何だよ、訳が分からん」

 一夜である。二人に半ば無理矢理連れてこられ、訳の分からない世界と再び関わることになってしまった。妖怪等が大好きなさくらと幼馴染である以上、これからもこういう所に来る羽目になったり、変な事件に無理矢理巻き込まれたりするのだろう。

 それを思うと、気分が沈む。しかし目の前を泳ぐ金魚を見たら、何かもうどうでも良くなってしまった。とりあえず今は自分達の世界では決して出来ない体験をしておこうと思う。


 一夜は、思い切ってジャンプする。体は浮遊し一向に地面に足がつく様子は無い。しかしこのまま動かなければ意味は無いだろう。手で青く染まった空間をかくと、確かに水をかいた時と同じ感覚がし、更に体は浮上する。

 手を動かしながら、体勢を色々変えてみる。最初の内は思うようにいかなかったが、一度体勢を整えるとすんなりと動くことが出来た。


 悠々と泳いでいる、真っ赤な金魚に背後からそうっと近づく。赤い尾ひれが舞姫の如くひらひらと優雅に踊っていた。

 しかし後少しという時、気づかれてしまう。その金魚は目にも留まらぬ速さで逃げていった。


「あ、こら待て!」

 足と手を激しく動かし、スピードを上げる。途中、のんびり群れながら泳いでいた金魚達と衝突しそうになり、彼等は驚いてあちこちに散らばる。最初に目をつけていた金魚はそれに紛れて逃げた。

 

 そんな一夜の様子を下から見ていたのは、さくらだ。彼女は彼の泳ぎを見て、どうしてあんなに早く、しかも綺麗に泳げるのだろうと思った。

 彼と同じようにジャンプし、体を床と平行にして泳ごうとしたさくらだったが、これが意外と上手く行かない。体勢を思うように変えられないのだ。一夜や紗久羅と違って、残念な運動神経を持つ彼女は、まるで溺れているかのようにもがく。無闇にもがいても無駄なのだが――。


 周りを泳ぐ金魚達が、彼女を馬鹿にしたような目でじろじろ見ながら泳いでいる。いつの間にか用意されていた、赤い布を敷いた長椅子に腰掛けてお茶を飲んでいた出雲と赤魚まで笑っている。

 

「さくら姉……何しているの?」

 金魚と追いかけっこをしていた紗久羅が、それを一時中断してさくらのところまで泳いできた。


「なかなか上手く体勢を変えられないの。いまいちやり方が分からなくて」

 私も金魚さんと泳ぎたいのに、と嘆くさくらを見て紗久羅はちょっと待っててと言う。

 そして彼女の体に触れ、ひょいっとその向きを変えてやった。


「水中と似たようなものといっても、ちょっと違うからなあ。息を吸ったりはいたりしながら上手く体を動かすと、割と簡単に体勢とか変えられるみたい。ま、一度その体勢になればある程度は大丈夫だよ。それじゃ、頑張ってね」

 そう言って、紗久羅は目をつけた金魚に勝負を挑みに行った。


 さくらはお礼を言い、泳ぎ始める。そのフォームは矢張り散々なもので、泳ぎも鈍いのだが、彼女自身は金魚を捕れなくても、ただこの不思議で素敵な空間で、泳ぐことが出来れば満足だと思っているのであまりそのことについては気にしていないようだった。


「とっても気持ちいいわ。程よく冷たくて、しかもプールの様に塩素臭くも無いし。息が苦しくなる事も無いし……ふふ、金魚鉢で泳ぐのって夢だったのよね」


 そんなのん気なことを言っているのは、彼女位のものだ。

 一夜と紗久羅は金魚を捕まえることに燃えている。


 この空間では体勢を変えることが若干難しいのだが、一度こつを掴むと割と簡単に出来るようだ。一夜はもうほぼ自由に泳ぎまわっている。変なフォームで泳いでいる幼馴染とは出来が違うのだ。


「絶対捕まえてやる!」

 一匹の金魚に目をつけ、追いかけっこをしている。金魚は捕まるまいと、急浮上したり、降下したりして一夜を翻弄する。小回りが利く分、金魚の方が若干有利ではある。しかし一夜は諦めない。兎に角金魚を、金魚鉢の端まで追い込もうとする。

 とうとう鉢の端まで追い込まれた金魚。一夜は手を伸ばすが、すんでのところで一夜の足がある方に逃げていった。


「この、金魚のくせに、生意気だ!」

 一夜はターンし、足で金魚鉢を思いっきり蹴飛ばす。すると体は勢いよく前へ進み、彼を馬鹿にするかのようにひれをひらひらさせていた金魚に接近する。

 油断していた金魚は咄嗟に動くことが出来ない。


「もらったあ!」

 一夜は金魚を両手で包み込むようにして捕まえた。赤と白のまだら模様のその金魚は、じたばたした後、ポン!と音をたてて姿を変える。

 金魚の姿が消え、代わりに一夜の手のひらに現われたのは、金色の指輪だった。何か文字のようなものがびっしりと彫られている。

 とりあえずそれを握りしめ、壷のある所へ向かう。

 赤魚が拍手で彼を迎えた。


「おめでとう。初めてにしては上手くやったね。君運動かなり出来るでしょう。で、何をとった?」


「えっと指輪かな……これ」

 一夜は赤魚に指輪を渡そうとするが、見えない壁に阻まれて、彼女に手渡せない。赤魚ははっと何かに気づき、ぽんと手を叩く。すると見えない壁が消えた。


「ごめん、ごめん。ここに結界を張っていたから。金魚達がぶつかってくることがあってねえ。……ふむふむ、これは場合によっては役に立つ道具だね。()(らい)()というものでね、これを身につけていれば、絶対に君の体に雷が落ちることはない。雷避けの道具だよ。ちなみに家とか、そういう場所に置いておけば、そこに雷が落ちることは無い」

 ふうん、と一夜は指輪を受け取る。雷雨の日にどうしても家から出なくてはいけない、という時には役に立つかもしれないが……まああって邪魔になるものでもないから、良いかなと思った。

 指輪を壷に入れ、次の金魚を捕まえるべく、再び泳ぎだす。


 妹の紗久羅は、他の金魚には目もくれず、一匹の金魚をしつこく追いまわしていた。余程体力の無い金魚なのか、大分へばってきているようだった。

 急降下した金魚を追いかける。大きな水の抵抗を感じるが、意地でも泳ぐ。

 何故この金魚に的を絞っているかといえば、この金魚、一匹の金魚を捕り逃がした紗久羅を見て、丸い体をぷうっと膨らまして笑いやがったのだ。短気な紗久羅はそれでカチンときた。


「絶対にてめえは捕まえてやる、覚悟しやがれ!」

 慌てた金魚は、急浮上し逃げようとする。紗久羅の横を金魚が猛スピードで通り過ぎる。


「逃がすか!」

 紗久羅は大きく息を吸い込む。すると体がぷうっと浮かぶ。どうもこの空間の中では、息を吸うと風船のように体が浮かび、思いっきり吐くと沈むらしい。

 思いっきり手を伸ばす。金魚は逃げる……が、少しだけ遅かった。紗久羅の両手が微かに金魚の尾ひれに触れる。金魚は間抜けな表情を浮かべ、姿を変えた。


「よっしゃ、やってやったぜ!」


 しかし。

 紗久羅の手に残ったのは――たわしだった。どう見てもただのたわし。とりあえず赤魚に見せてみたが、矢張りどこにでもある何の変哲も無いただのたわしらしい。

 散々追い掛け回した挙句、手に入れた物がたわしなんて、と紗久羅は嘆く。

 某番組で、苦労してゲームをクリアしたのに、最後のダーツでたわししか当てることが出来なかったゲストの気持ちが良く分かるような気がした。


「くそ、最後の最後まで馬鹿にしやがってあの金魚め!」


「ははは、可哀想にねえ、紗久羅。まあまだ時間は沢山あるから頑張ってね」

 出雲は暢気に笑い、金魚を象った饅頭を口に入れる。


「絶対良いものとってやる!」

 そう言って、また泳ぎだした。


「一夜と紗久羅ちゃんは、金魚を捕まえたのね。私もちょっとだけ頑張ってみようかしら」

 等と言って、比較的どんくさい感じの金魚を狙い、追いかけるのはさくらだ。しかしその金魚以上にどんくさい彼女。赤く薄い羽衣を身に纏い、踊るように泳ぐ金魚が、彼女を翻弄する。


「この世界の不思議なアイテムを手に入れることが出来たら嬉しいのだけれど、ああ、やっぱり一夜達みたいに上手く泳げないわ。ああ、金魚さんそんなスピードあげないで。追いつけなくなっちゃう」

 といって止まる阿呆はいない。金魚だって捕まりたくないのだろう。

 ばたばたと足を動かしてみるが、それだけで早く泳ぐことが出来るわけでもない。


 そうしてちんたらしている間に、一夜と紗久羅は兄妹仲良く協力して、それぞれ一匹ずつ金魚を捕まえていた。

 一方が金魚を追いかけ、上手くもう一方の所に誘導し、捕まえる。

 一夜は『使うと絶対に赤ん坊が泣き止むでんでん太鼓』を、紗久羅は『他の土地で降っている雨を、そっくりそのまま呼び寄せる笛』を手に入れた。まあ、あまり役に立ちそうにない。


「赤ん坊を泣き止ませると言ってもなあ……」


「いいじゃん、とっておけば。いずれさくら姉と結婚した時に使うかもよ」


「何であいつと結婚確定なんだよ! 冗談じゃない、あんな頭花畑女と結婚なんかしたら、疲れるに決まっている!」

 と顔を真っ赤にして否定する。絶対に無理と言われた相手――さくらは、まだ追いかけっこをしている。


「さくら姉頑張っているなあ。おい馬鹿兄貴、未来の嫁さんを手伝ってやれよ」

 一夜が全力で否定しようがおかまいなしで、そんなことを言う。一夜はうるせえ、誰が未来の嫁だ!と叫びながらも、彼女を手伝いに行く。

 紗久羅はにやにやしながら、笛を壷に入れ、また泳ぎだす。


 大分時間が過ぎ、雫型の石は青く変わり始めている。


 一夜は鈍いさくらにどうにか金魚を捕まえてもらおうと必死にフォローする。しかし彼女の運動神経は、予想以上に酷いもので、上手く金魚をさくらの所まで誘導しても、彼女はなかなか捕まえてくれない。


 さくらがとり逃がした金魚を一夜が追いかけ、捕まえる。かなり鈍い動きで、簡単に捕まえることが出来た。……こんな鈍い金魚を捕まえられないのは、さくら位のものだ。


「お前何でそんなにどんくさいんだよ。というか泳ぐのが本当下手だよな」

 とため息をつく。彼女が学校の授業で泳いでいる様子は、周囲から見れば溺れているように見えるらしく、いつも教師や生徒達に心配されている。


「お前のは泳ぐ、じゃない、溺れる、だ。まあいいや、とりあえず俺はこれを壷に入れてくるわ」


「私も金魚のように綺麗に泳ぎたいものだわ」

 一夜を見送った後、天井を見上げる。太陽を浴びた水面の様に輝いていて、とても綺麗だ。その光を浴びて泳ぐ金魚の姿もまた美しく、目を奪われる。空を飛ぶ鳥のように、自然で優雅な動き。


「まるで宝石箱みたい」

 金魚を追いかけることなどすっかり忘れ、美しい空間に見惚れる。

 天井を見上げたまま、無意識のうちに手を泳がせる。すると、両手が何かに触れた。


「え?」

 両手に視線を戻す。彼女の手が、一匹の丸々太った金魚に触れていた。

 この金魚、さくらがぼうっとしていることを良いことに、彼女の近くを悠々と泳いでいたのだ。しかしさくらが無意識に手を動かした時、運悪く彼女の両手に触れられてしまった。

 さくらは目をぱちくりさせる。触れられた金魚も、体と同じく丸い口をぽかんと開けていた。

 

 金魚は間抜けな表情を浮かべながら、姿を変える。

 さくらの手に残ったのは、瓶だった。瓶の中には、黄色やピンク、青色の塊が入っている。見た目は色つきの氷砂糖といったところか。


「君に捕まるなんて、随分間抜けな金魚だ。……ほほう、それは氷飴だねえ」

 床になかなか足をつけられないさくらをにやにやしながら見ていた赤魚が、さくらの手にしていた物を指差す。


「氷飴? これ、飴なんですか」


「うん、色によって味が違う飴でね。しかも氷の様に冷たい。それを舐めれば、暑さも吹き飛ぶよ。でも一度に食べ過ぎないようにね。お腹壊しちゃうから」


「とても美味しそう。素敵な物が手に入ったわ」

 さくらは心の底から喜んだ。早速帰ったら食べてみようと思った。さくらはしばらくその瓶を大切に握りしめ、そして壷の中に入れる。


「お前みたいな奴に捕まえられるなんて……哀れな金魚」


「一夜はさっき何をとったの?」


「俺も飴だよ。蛍飴って言うんだってさ。蛍みたいに、光っているんだ。暗いところで見ると、すごく綺麗らしい……しかし飴が光る意味ってあるのか?」


「あら、いいじゃない。蛍のように光る飴なんて……私にも後で見せてね」

 にこりと笑うさくらに、一夜はああ、と答える。そして首にかけた石を見て、顔をしかめる。もう後少しで完全に青くなりそうだったからだ。


「こんな所でのんびりしている暇はない、行くぞ」


「あ、そうねえ。最後まで頑張らないとねえ」

 勢いよくジャンプし、泳ぎ始める一夜。それにちんたらついていくさくら。


 その後も三人は金魚と格闘し続けた。


 一匹の金魚を挟み撃ちにしようとしたら、寸前で上手いこと逃げられ、勢いをつけていた井上兄妹が危うく頭をごっつんこしそうになったり、さくらに追いかけられていた金魚が一夜の口の中に入ってしまったり(幸い飲み込んでいなかったが)、一匹の血気盛んな金魚が一夜に体当たりしてきたり……まあ様々なハプニングがあったが、それもまた良い思い出になった。


 それから程なくして、金魚捕りは終わった。


「ふう、ぎりぎりで一匹捕まえたよ。へへん、馬鹿な金魚。他の金魚を追っているフリをして、油断しているところを捕まえてやったぜ。まさか自分が真の標的だとは思ってもいなかっただろうよ。しかし、この石ころは何だ」

 紗久羅が手にしているのは歪な形をした、濃い緑色の石だ。


「ほほう、それはなかなか面白い物だよ。幻想(げんそう)(せき)っていうんだ。それは、自分の姿を、別の何かに見せかけることが出来る石なんだよ。使い方は簡単、それを両手で握って、○○になりたいと強く念じるだけ。例えば、君が猫になりたいと念じたとする。すると、周りの人には君が猫に見えてしまうようになる。喋ってもにゃあにゃあと鳴いているように聞こえるし。ただ、本当にそれに姿を変えられる訳じゃないから、猫になっても狭い道を通れるわけでもない、鳥になっても空は飛べない。効果は時間が経てば消える。……ちなみにその大きさの石だと、使えるのは五回ってところかな」


「私もどうにかこうにか、もう一個とることが出来ました」


「俺が死ぬ気でサポートしたからな」

 さくらが持っているのは、筆だった。毛先はすでに墨に浸したかのように黒くなっている。


「そちらは、切り筆だね。それで紙をなぞると、なぞった部分が切れるんだ。切れるのは紙のみ。まあ後はせいぜい薄い板かな。ちなみに人を始めとした生きているものの体は切ることが出来ない。怪我をする心配がなく、しかも曲線も綺麗に切れちゃう優れもの」

 対して、一夜が持っているのは……ストラップの飾りにできそうな位小さな矢。

 

 さくらに金魚を追いかけさせ、相手がさくらのあまりに駄目な泳ぎっぷりに油断しているところを捕まえたのだ。


「それは守りの矢。身につけている者を一度だけ守ってくれるものだよ」


「どんな攻撃からも守ってくれるのか?」


「ああ、そうさ。神の攻撃にすら、耐えることが出来る。まあ神様から攻撃されるなんてまずないと思うけれど」

 確かにそうだ、と一夜は呟く。

 三人が金魚と格闘している様子を楽しく見ながら、暢気にお茶を飲んでいた出雲が三人に声をかける。


「ね、なかなか楽しい遊びだっただろう? 体も動かせて、涼むことも出来て、なおかつ面白い物が上手くいけば手に入る」


「ちなみに出雲さんは、この金魚捕りってやったことがあるんですか」


「いや、無い」

 満面の笑顔だ。


「お前、やったこと無かったのか!?」


「だってものすごく疲れそうだし、面倒くさそうだし。それより、赤魚と一緒にお茶を飲んでいた方が楽しいもの」


「ボクもやるより、見ている方が好きだなあ。皆が必死になって足掻いている姿ってとっても滑稽で、見ているだけでお腹一杯。楽しいけれど疲れることより、楽しい上に疲れないことの方がずっと良いし」

 金魚捕りという遊びを提供している、当の本人までそんなことを言い出す始末。


「はあ……まあ、楽しかったからいいけどさあ……」


「さて、金魚捕りも終ったことだし。今度は先程まで追いかけっこをしていた相手を眺めながら、お茶でもいかが?」

 笑顔を浮かべる赤魚に、三人もまた笑顔で答える。泳ぎ回って疲れていたから、ちょっと休みたいと思ったのだ。


 三人、そして出雲と赤魚は、自由に泳ぎまわる金魚を眺めながら、甘くて美味しいお菓子を沢山食べた。


 店を出ると、溶かした鉄を頭からかけられたかのように、体が一気に暑くなった。しかも泳いだ後の、あの独特な疲労感に襲われる。

 三人は、すぐに金魚亭に戻りたくなった。


「楽しかったけれど、結構疲れるな」


「私明日辺り筋肉痛になっていそう」


「それは幾らなんでもオーバーだろうが」

 と言った後、さくらの場合ありえるかもしれないと思い直す。

 三人の手には、今日の戦利品が入った巾着袋。青い布地に金魚が描かれたその袋は、何と無料でプレゼントしてくれるのだという。


「ちなみに、あの金魚亭はね、冬になるととても温かい虚水を店の中に入れるんだ。まるで温泉に入っているかのようにポカポカ体が温まる。ぬくぬくしながら食べるお菓子もまた最高だよ。冬になったら、また来る?」


「行く!」

 即答だ。しかしまた店から出たくなくなるのだろうなあ、と思った。


「ああ、でも楽しかったわ。本当この世界って素敵な所ですね。今度は、他のお店もじっくり見てみたいです」


「君は本当に好きだねえ、まあ、良いけれど」


「良くねえよ、こいつに振り回されるだろう俺の身にもなってくれよ」


「あはは、それは可哀想に」

 勿論、可哀想なんて微塵も思ってはいない。一夜はがっくりと肩を落とす。その妹は、あははと楽しそうに笑っている。


 出雲は火車という、空飛ぶ車(鬼灯夜行の帰り、骨桜を探した時に使ったものとは違う。人間の世界で言えば、タクシーのようなもの)を呼び、そして皆で満月館へと帰った。


 ちなみに出雲は鈴へのお土産を買うのを忘れ、彼女の機嫌を損ねることになり、紗久羅と一夜は未だ残っている宿題と格闘する羽目になるのだが……その辺りの話は、割愛させていただく。


 夏休みも、後少しで終る。


 今日の出来事を、個人的につけている日記に書いたさくらは、夏休み明けも色々な事件が起きるのだろうか、と思いながら眠りについた。

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