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桜町幻想奇譚  作者: 里芽
雨唄
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第六夜:雨唄(1)

 物語を動かしたいかい?その手で止まってしまった物語を進めたいかい?それならば、これなんかどうだい。

 ただ、開けるだけでいい。それだけで、物語は動き出す。


 お前さんが、動かすのさ……。



『雨唄』


「止みませんねえ……雨」

 御笠君が窓から見える空を見ながら呟いた。その言葉に皆が頷く。


 今は未だ夏休み。けれど部活は時々ある。今日も文化祭に出す部誌に載せる為の小説を書いたり、本を読んだりしている。

 部室にある窓から見えるのは、青と黒、そして少量の白い絵の具を混ぜた様な色をした世界。どう頑張ってみても、爽やかな色には見えない。太陽は厚い雲に隠れてしまっている。天照大神が天岩戸に籠もってしまった時もこんな感じだったのかしら。

 そんな空から降り注ぐのは、眩しい太陽の光では無く、水晶の様な雨粒。


 梅雨でもないのに、一週間前から少しも止むことなく降り続けている雨。あまり激しくはないけれど、傘をささなければそう時間をかけずに全身が濡れてしまう位には降っている。


「変な雨よねえ、異常気象って言葉がぴったり。いや、異常気象って言葉もびっくりする位の異常っぷりよね」

 テーブルに置かれているクッキーをかじり、ため息をつく櫛田さん。


 そう、この雨は何だか変なのだ。

 まず一つ目。ここの数日間の天気図をどう見たって、雨が降る天気図ではないということ。どのデータを見ても雨なんて降るわけが無い……といった感じらしい。

 こんなに雨雲だらけの空なのに、観測データには雨雲のあの字も映っていないというのも不思議な話。

 そして二つ目。雨は桜町全域、そして三つ葉市と舞花市等の一部地域にしか降っていない。全国的には晴天が続いていて、雨が降っているのはこの辺りだけなのだ。

 しかも雨の降っている範囲は綺麗な円を描いている。円の中心は桜山。桜山にコンパスの針を刺し、そこからくるっと描いた円の中でしか雨は降っていなかった。舞花市は私の通っている東雲高校がある辺り位まではその円の中に入っているのだけれど、円の範囲の外では雨粒一つ落ちていない。円の外側には爽やかな色をした空が広がり、太陽が燦燦と輝いている。雨が降っている所と降っていない所の境目は気持ち悪い位はっきりとしている。あまりにも綺麗な円を描き、驚く位はっきりとした境があるから皆気色悪がっている。

 勿論、原因は不明。あまりに奇妙な現象なものだから、ニュースにまでなっている。


「確かに妙ですよね。こんな滅茶苦茶な雨、初めてですよ」


「私も桜町に住んでいますから、毎日雨で何だかだるくなっちゃいます。お母さんも、洗濯物が乾かないってため息つきっぱなしです」

 深沢さんもため息をつく。いつもお日様の様に暖かな笑顔を浮かべている彼女も、相当参っているらしい。


 私は、窓の外をちらっと見る。運動場が見えるけれど、そこには誰も居ない。いつもは運動部の人達がいて、彼らの出す色々な声や音が校舎の中にいても聞こえてきた。延々と聞こえるその声や音をBGMにして、私達は部活動をしていた。けれど今聞こえるのは、地面や窓を叩きつける雨の音のみ。

 その雨音は心に黒い染みを作り、そしてその染みは徐々に広がっていく。また、心は雨粒を吸収してどんどんと重くなっていく。黒く冷たく、重い。楽しい部活動なのに、少しも気分は晴れない。


「しかしもしこのまま止むことなく降り続けたら、やばいわよねえ。いくらそんな酷い雨じゃないとはいえ。どこもかしこも水浸しになっちゃうわ」


「確かに危ないですよね。本当、どうしてこんな妙なことに……」


「なんていうか、こういう妙なことが起こると妖怪とかそういう摩訶不思議な存在を信じちゃいそうになるわ。この前の神隠し事件にせよ、今回の妙な雨にせよ、普通じゃ考えられないもの」

 シャーペンを器用にくるくる回しながら櫛田さんが言う。


 そう。多分今回の雨も……以前起きた桜町連続神隠し事件と同様、出雲さん達のいる「異界」の住人が関わっているのだ。ただの異常気象とは。考えにくいし。

 だとしても、一体誰が何の為に。シャープペンで頬をぺちぺち叩きながら考えてみるけれど、何も思い浮かばない。


「櫛田先輩まで臼井先輩の様なことを言って……。まあ、確かに常識では考えられない様なことが起きていますよねえ、実際のところ。こんなことがこれからも続くようなら、世も末ってやつですね」

 御笠君が、出雲さんの姿とその力を目の当たりにしたら、きっと失神するわね……。私はため息をつく御笠君を見て、くすりと笑う。それに気がついて、御笠君が首を傾げる。


「何笑っているんですか、臼井先輩」


「ふふ、何でもないわ」


「変なの。ま、変なのはいつものことですけれど……あいた」

 御笠君の頭に消しゴムのかけらが直撃する。


「全く失礼な後輩君ね、相変わらず」

 櫛田さんが投げたようだ。別に私は気にしていないのに。

 そんな様子を微笑みながら見ていた美吉先輩がぽんぽんと手を叩く。


「まあ、この不思議な雨のお話は置いておきましょう。原因を話し合ったところで、この雨が止む訳ではないわ。自然相手に戦いを挑んでも返り討ちにあうだけ。それより、部誌に載せる為の小説をどんどん書かないと。文化祭は待ってはくれないのよ、今の内にどんどん進めて気持ちよく文化祭を迎えられるようにしなくちゃね」

 皆「はーい」と返事をして、目の前にあるノートや原稿用紙とにらめっこを再開する。

 自然の仕業なら、人間では太刀打ちできない。

 妖怪を始めとした人ならざる者の仕業なら……やっぱり人間にはどうすることも出来ない。

 自分では何も出来ないけれど、それでもやっぱり気になってしまう。この不思議な雨は誰が、何の為に降らせているのか。この雨の裏にどんな物語が隠されているのか。色々考えてみる。

 そんな調子でぼうっとしていたら、結局原稿が全く進まないまま、部活は終ってしまった。


「はあ、何だか結局全然進まなかった。雨が降っていると心がずんと沈んじゃって、何にもする気が起きないのよね。サクは進んだ?」


「ううん、全然」


「一番書くのが早いあんたでもそれだもの、元々書くのが遅いあたしの原稿が進むはずないわ、うん。ひいちゃんと環はどうよ」 


「僕も同じく、です。全く梅雨はとっくに明けたっていうのに。暑いのも嫌ですけれど、雨が続くのも憂鬱な気分になるから嫌ですよ。何というかあの暗い空見て、雨の降る音聞くだけで体中に重りがくっついた気分がします」


「私は書いたには書いたんです。でも、何だか自分でもよく分からない話になってしまって……うう、集中しないで書いていると訳が分からないことを書いちゃいます」

 と言って深沢さんは原稿を皆に見せる。ぼうっとしながら書いていたからなのか、その文字はみみず文字一歩手前。そして彼女の言う通り内容はすごいことになっていた。ひよこが海を歩いていたら雨が降ってきて、その雨をひよこが飲んだらひよこは怪獣になって、何故か突然海底からにょきっと伸びてきたビルを壊しまくり、そのビルの破片が花火になって空に打ち上げられ、空を飛んでいたカラスがびっくりして口にくわえていたポップコーンをぼろぼろこぼし、何故か途中でそれは金平糖に変わって、森に住むクマの頭に当たる。何故か金平糖が当たっただけなのにクマの頭には大きなたんこぶが出来てそのタンコブがぱんと破裂して……そんなお話。ちなみにオチは無い。

 こういう独創的な物語も私は嫌いではないけれど……。


「流石だわ、ひいちゃん。あたしには一生こんな物語は書けない」

 櫛田さんは引きつった笑みを浮かべながら言う。深沢さんがえへへと恥ずかしそうに笑う。


「そんな照れちゃいます」


「褒めてないっての」

 そう言って櫛田さん、そして一緒に原稿を読んだ御笠君が肩をすくめた。

 その様子を、お姉さんの様に優しく見守る美吉先輩。いつでも先輩の目は優しくて、温かい。歳は一つしか変わらないのに、とても大人びている。

 皆傘を持って部室を出た。


「それじゃあ、皆またね。気をつけて帰ってね」


「ええ、有難う御座います。それじゃあ美吉先輩さようなら」


「ええ、さようなら。臼井さん」


 皆校舎を出て、傘を差し、それぞれ帰路についた。


 家に帰り、私服に着替えた後、机に向かう。原稿用紙と、物語案を書いたノートを広げ、シャープペンシルと消しゴムを出す。部活中進まなかった分、家で進めないと。

 けれど、場所を学校から家に移したところで作業は少しも捗らない。雨音が頭の中にノイズをかける。書きたい場面の情景を思い浮かべようと思っても、そのノイズのせいでなかなか上手くいかない。やっと浮かんできた文章も、雨に流されていく。

 意味も無く、先日買った見事な細工のされた木の箱を開けたり閉じたりする。とりあえず何かしら手を動かしていないと、気力ゲージがゼロになってしまいそうで。

箱をシャープペンシルでこんこんと叩いたところで、箱から何かが出てくる訳でもない。この箱に今は何も入っていない。何も入っていないから、何も出てこない。私はため息をついた。


 こういう時は、おじいちゃんのお店でお茶を飲もう。お茶を飲むとほっとする。こんな気分も吹き飛ばしてくれるかもしれない。それにあそこには弥助さんもいる。もしかしたら今回の雨について何か知っているかもしれない。

 私はお気に入りの紺色の和傘をさして、再び家を出た。


「あっしが知っている訳ないだろう」

 見事な即答。がらんとした店内には、私と弥助さん、そしておじいちゃんだけがいる。朝比奈さんは用事があって今日はお休みらしい。

 弥助さんは私の真向かいに座り頬杖をついている。


「桜山から今まで感じたことの無い力の波長みたいなものを、感じてはいる。だが、それが具体的に桜山のどこから来ているのか、良いものなのか悪いものなのか、そういったものはさっぱりわからん。あっしはそういうのを感じ取る力……及び霊力とか妖力とかそんな風に呼ばれている様な力は殆ど持っていないし。あっしの場合、妖としての力は全部こっちに来ているからな」

 ぽんぽん、とがっちりとした立派な腕を叩く。腕だけではない、体全体ががっしりしている。喫茶店のウエイターという言葉がこれほどまでに似合わない人もそうそう居ないでしょう。ジムとか道場とか、そういうのはぴったりだけれど。


「誰が何の為に降らせているのか、皆目検討がつかない。ただまあ、あっしが感じる程強い力の持ち主の様だから……悪戯とかそういうくだらない理由ではないとは思うが」


「そうですか……」

 結局これといった情報を掴むことは出来ず、私は肩を落とす。

 弥助さんが分からないとなると。後頼れるような人といえば。


「出雲さんなら、分かるのかしら」

 その名前を出しただけで、弥助さんの表情は歪む。名前を聞くだけでも嫌なようだ。本当、出雲さんのことが嫌いなのね。


「確かにあの馬鹿なら、山からする気配を辿って、雨を降らせている奴のところにそう時間をかけずに行くことが出来るだろうな。倒すなり脅すなりなんなりして、雨を降らせることをやめさせることも、出来なくはないはずだ」

 だが、と弥助さんは続ける、


「あれが、今回の件で重い腰をあげるとは思えない。あいつには関係ないからなあ。別にあっちの世界じゃこんな異常な雨は降っていないし。基本的にあいつは面倒ごとを嫌うタイプだ。雨が降っている山の中を歩き回り、雨を降らせている奴を見つけるなんてことは、まあ人にお願いされたくらいじゃあやらないだろうな」

 確かに。前回の桜町神隠し事件は解決してくれたけれど、それも被害者の一人が弁当屋『やました』の子供である一夜だったからの話。菊野おばあ様の機嫌を損ねるのが嫌だから仕方なくやりましたといった感じで。そんな彼が自分にとって何の利益にもならないことをやるとは思えない。


「気まぐれな奴だから、暇つぶしとかなんとかいって動いてくれる可能性がゼロって訳じゃないだろうけど。ま、あんまり期待しない方がいいっすね。とりあえず今回の件、あっしが調べてみるよ。確かに力を感じる能力は殆ど無いが、一応あっしも妖怪。まあどうにかなるだろうさ」


「調べてくださるんですか?」


「あっしがやらなければ、あんたがやろうとするだろう」


「弥助さんが調べてくださっても何かするかもしれないわ」


「お前なあ……」

 がっくりと肩を落とし、頭を抱える弥助さん。だってやっぱり気になるじゃない。何もしないで待っているというのは、辛いわ。勿論、私が何かしたところで何がどうなるわけでも無いとは思うけれど。


「兎に角、お前は家で大人しくしていろ。分かったな」

 念を押す様に言われ、おまけにでこピンされた。い、痛い。何もそんなことしなくても。


 結局これといった情報を掴むことは出来ないまま、私は店を出た。とりあえず美味しいお茶を飲み、美味しいお菓子を食べたお陰で憂鬱な気分が少しだけ飛んで、ほっとした。

 それでも、もやもやした感じは消えない。私は空を見上げる。人の憂鬱な気持ちを吸収して、ますます暗く重くなっている様だった。嘆きの涙の様な雨が降り注ぎ、世界中を黒く染めていく。雨はもやもやした気分を流してはくれない。

 一体この雨に隠されている物語はどんなものなのだろうか。

 それを考えながら、私は家へと帰っていった。


*第三者の語り

 『桜~SAKURA~』での仕事を終え、秋太郎から夕飯をご馳走になった弥助は、桜山へ行った。すっかり暗くなり、明かりの殆ど無いこの辺りは真っ暗だ。雨は相変わらず降り続けている。

 さくらに「調べる」と言った以上、何かしらやらなければなるまいと弥助は思った。出雲と違い、彼はお人よし。そして約束は余程のことが無い限りは破らない。言ったからには、やる。


(調べると言ったはいいものの、はて、どうしようか)

 妖怪であるから、夜目は利く。体力は無駄に有り余っているから一日中桜山を探したって別に問題は無い。この雨が降り出すようになった辺りから感じる様になった力。感知能力に乏しい自分でさえ感じることは出来るのだから、されなりに強い力を持った存在であることは確かだ。この雨に関係している可能性は十分高い。

 しかし桜山中を適当にただひたすらにぐるぐる回って探すというのは、非効率的だ。ちゃんとそういったものを感知する力のある者なら、そんな面倒なことをする必要は無い。力のより強い方向へ進んでいけばいずれその力の持ち主へと辿り着く。


(こういう時困るよなあ、霊的な力が殆ど無いっていうのは)

 頭を掻く。普通の人間にちょっと毛が生えた位の……雀の涙程度の力しか彼は持っていないのだ。

 別段、そんなものが無くても普段はこれといって問題は無い。

 しかしこういう時は、矢張り。


(参ったな。しかしまあ、あっしには馬鹿みたいな体力がある。こうなったらやけだ、この山中歩き回って探し出してやる。……結界の様なものを張っていたら終わりだが)

 傘を持つ手に力が入る。思いっきり深呼吸をする。やってやろうじゃないか、あっしだって妖怪だ。本気を出せばどうにかなるさ、と自分に言い聞かせる。

 そうして山の中へ足を踏み入れようとした時のことだった。


「お前さんも、この雨が気になるのかね」

 誰かに声をかけられ、弥助は振り返る。


 そこに立っていたのは、爺さんと少女だった。

 爺さんの方は小柄で、(なえ)烏帽子(えぼし)に直垂姿。あごには立派なひげ。見た目は平安時代の庶民といった感じ。手に立派な杖を持っている。

 隣にいる少女の方は見た目十二、三位。おかっぱ頭に、無地の赤い着物。日本人形をそのまま大きくした様な感じだ。

 二人共、赤い和傘をさしていて、弥助をじっと見つめている。

 見た目は人間だ。だが、まあ恐らく人間では無いだろう。流石の弥助にも彼らが人間ではなく自分と同類の存在であることは一目見て理解できた。


「あんた達は?」

 誰なのか、と弥助は問う。


「儂の名前は栄達(えいたつ)。こちらの娘は、安寿(あんじゅ)という」

 安寿というらしい娘が会釈する。


「あっしの名前は弥助っす。見たことの無い顔だが、一体何でここに?」


「お前さんと同じく、この雨が気になってな。いや、正確にいうと気にしているのは儂等ではなく、我らが主なのだ。儂等は美吉山の者。あちらの世界ではなく、こちらの世界で暮らしておる」

 そういって栄達は、美吉山のある舞花市の方を指差した。別にこちら側で暮らしているのは弥助のみでは無い。こちらに住み着いている「向こう側の世界」の住人は割と多い。だが弥助のように人間として、人間と深く関わりあいながら生きる者はそう多く無い。恐らく彼らは、弥助と違って、人とは距離を置き山の中で静かにひっそりと暮らしているのだろう。


「美吉山のある辺りではこの雨は降っていない。だから儂等にとってはあまり関係の無いことなのだが。まあちょっと様子を見に、な」

 そうだったのか、と弥助は頷く。そして自分はこちらの世界で人間として暮らしていることや、この雨に興味を抱いている人間の娘に代わって色々調べようと思っていることを話した。


「まあ、問題はあっしの感知能力が限りなく皆無に近いということなんですがね。これから山中探し回ってやろうと思っていたところっす」

 栄達はこの山を隅々まで?見つかるまで探すつもりなのか?と言って目を丸くした。何と無謀な、馬鹿じゃないのかと思っているに違いない。言っている弥助自身、馬鹿みたいだと思っているのだから。弥助はもう乾いた笑いで返すしか無い。

 ずうっと黙っていた安寿が、栄達の袖をぐいぐいと引っ張る。


「爺様。あのことをこの人に教えてあげたら?」

 出雲が可愛がっている化け猫の鈴並に小さいが、彼女同様可愛らしい声だ。

 栄達はそうだなあと言って頷く。


「あのこと?」


「この町は兎に角、あちらの世界の者がうじゃうじゃ居すぎる。あちこちから仲間の気配がする。しかし……」


「しかし?」


「今この桜山から感じる強い力の気配と全く同じものを、ここから離れたどこかから、微かに感じるのだ。本当に微かなものなのだが、もしかしたら今回の事と関係あるのかもしれん」


「それは本当か!?」

 弥助は大きな声を上げる。それが本当だとすれば。その気配のある所で何か掴めるかもしれない。

 栄達は大きく頷く。


「本当じゃ。嘘を吐いてどうする。まあ、今にも消えそうな位だが。儂と安寿は、お前さんとは正反対で、戦う力を殆ど持たぬ代わりにこういうのを感じる力には優れておるのだ」


「頼む、桜山と同じ力の気配がするという場所がどこにあるのか教えてくれ。情けない話だが、あっしにはさっぱり分からないんだ」

 弥助は心からお願いした。小さな手がかり一つも逃したくは無い。さっさとこの一件を解決したいのだ。

 栄達と安寿は顔を見合わせる。


「まあ、困っている者を捨て置いたなどということを知ったら、姫様がどうして見捨てたのだとお怒りになるだろうし……。儂等としても、このまま放っておくというのは、なあ。まあいい、分かった。それならば安寿、儂の代わりに彼を案内しておあげなさい。儂は足が遅いし体力も無い。お前の方がまだしもましだろう」

 安寿はこくりと頷く。弥助の顔がぱあっと輝く。


「ありがとう、恩にきるよ」


「礼には及ばないさ」

 栄達は、かっかっかと笑う。そうして、弥助と安寿を見送った。彼は一足先に自分の住む山へ帰るようだ。


 安寿と弥助は、ゆっくりと歩き始める。感じる力の気配は、ほんの微かなものだから、いくらそれを感知する能力に優れる安寿でもそう容易に辿ることは出来ないのだ。

 二人は桜山を離れ、町中へとやって来た。月も星も雲に隠れている。明かりといえば、ぽつぽつとある電灯と、家からもれる明かりのみだ。決して明るく無いが、妖である二人にはあまり関係無い。

 こんなところを誰かに見られたら、幼い女の子を夜中連れまわしている怪しいおじさんだと思われてしまうだろうかと内心不安になる弥助だったが、雨の中を歩く物好きは殆どおらず、二人は歩く間誰ともすれ違わなかった。


 ずうっと無言で歩いているというのは何だか辛いから、弥助は途中安寿に何度か話しかけた。安寿は特にそれを鬱陶しく思うわけでもなく、淡々とだが、きちんと答えてくれた、これが鈴だったら、全力で無視していることだろう。


「安寿、お前さんは今回のことどう思っている」


「分からない。……ただ、桜山やこの雨から感じる力は決して弱く無い。むしろ、強い。そこら辺にごろごろ居るようなのが悪戯で降らせているとは思えない。何らかの意図があって、降らせているのだと思う……。この雨は、少し触れるだけで何だかぴりぴりする。誰かを攻撃しているような、そんな感じが、する」


「そうか……」

 弥助には、そこまでは分からない。試しに雨に触れてみるが何も感じない。


 そのまま二人は、町中を行ったり来たりしていた。強い力を持った何かが降らせているらしい雨は、少しも止む気配を見せない。

 桜町商店街も過ぎ、どちらかというと安寿達の住む美吉山のある舞花市に近い所まで来た。大分気配のする方に近づいてきた、と安寿は言う。


「意外と美吉山に近い方からしていたのね、この気配。桜山に行くまではあまり意識していなかったから、気がつかなかった」


 そしてそれから間もなくのことだった。


 安寿は一軒の家の前で、ぴたっと立ち止まった。


「どうした?」


「ここ」


「え?」


「間違いない。……この家から、桜山で感じた気配と同じものを、感じる」

 弥助は目の前の家を見る。


 何の変哲も無い、普通の二階建ての家。これといって説明する部分も無い。

 だが。

 弥助はその家を眺めるうち、あることを思い出し「あ」と声を上げた。慌てて、塀に取り付けられている表札を見る。

 そして、頭を抱えた。あと少しで大声で叫ぶところだった。


「どうしたの?」


「嘘だろう……くそ、どうも見覚えのある家だと思ったら!」

 表札には「臼井」と書かれていた。


 そう、そこは臼井さくらの住む家だった。


「あの馬鹿娘、一体何をしやがったんだ!?」

 大声を出す訳にはいかず、手で口を抑えながら弥助は呻く。

 臼井家は三人家族。父と母と、さくらだ。だから何かをしたのがさくらであるとは限らないのだが……しかし一番何かやらかしそうな人間は、さくらだ。


「知り合いの家?」

 安寿が首を傾げる。


「まあな。……ああ、安寿有難うな。かなり助かった」


「どういたしまして。でも私に出来るのは道案内だけ。ここから先は、貴方の力でどうにかして。……頑張ってね」

 それだけ言って、安寿はその場から立ち去る。


 真っ赤な着物は闇に溶け、あっという間に消える。弥助はさくらの家を見た。

 

(明日、さくらに聞いてみるか)

 弥助は頭を抱えながら、自分の住むアパートに向かって歩いていった。


 さくら以上に、もやもやとしたものを胸に抱きながら……。


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