在りし日の姿は鏡の中に(4)
*
「鳳月さん……オリジナルのシイナラは今どうなっていると思いますか」
木と布で出来た、祭りの屋台の様なものの上にずらりと野菜や果物、肉や魚、飲み物、惣菜等が並ぶ賑やかな市場を歩きながら柚季は尋ねる。あちこちから商品を売り込む声や、それを買い求める人の声が聞こえて大変賑やかだ。利用する者も多いようでそれ程広くない道は人の洪水を起こし、今にもここら一帯を呑み込んでしまいそうな勢い。鳳月はうんざりしたような表情を浮かべながら、呑まれて遠くへ流されていきそうな声で答えた。それは周りに聞かれると気まずい思いをする内容であるからかもしれないし、単純に人混みのせいで精神が摩耗している為なのかもしれない。
「……お嬢さんと恐らく同じ考えだと思います。本物は何らかのことが原因で今は存在していないのではないでしょうか。或いは存在しているが壊滅状態か。郷が健在ならこのようなものを作る必要もないと思いますし。マスターの話を聞く限り郷の守るも滅ぼすも神次第、ミカガミ様がいるからこそ郷は存続出来る、郷から離れればすぐにでも滅びるという話みたいですしね。お嬢さんの知り合いらしい速水という方も似たようなことを言っていましたし……鏡は今、あちこちをふらふらしては人間を自分の中にあるシイナラの模造品の中に引き込むことを繰り返している。自分の郷を愛する神が、自分が居なければ滅びる郷から離れてふらふらしているわけがない。そう考えると矢張りもう本物のシイナラは鏡が居ても仕方ない状態――つまりもう滅びている」
「やっぱりそうとしか考えられないですよね……。ミカガミ様がいてもどうにもならなかったような出来事があってシイナラは滅びた。ミカガミ様はかつて幸せだった頃のシイナラを再現したものを自分の中に作りだした……ってところでしょうか」
「消えることのない、美しい永遠の『夢』を抱きながら生きる……どんな形であれ、シイナラを残しておきたかった……或いは本物のシイナラがすでにないという事実から目を逸らしたい気持ちもあるのかもしれませんね。速水さんはここを精巧な模造品『だった』と称していました。それはミカガミ様にとってここは最早模造品ではなく『本物』であるという意味だったのかもしれません。愛した郷が滅びたという事実を受け入れられず、ここを『本物』とすることで身を焼き尽くすような悲しみと苦しみから逃れた。だからここはもう模造品ではない……」
柚季は速水の苦々しい顔を思い出す。彼は真実から目を背け、自らが作り出した『夢』を『本物』として生きるミカガミを哀れみつつ憤りも感じているかもしれない。そんな複雑な気持ちがああして顔に出たのかもしれない。しかし本当にそういうことなのかは分からない。ミカガミはちゃんとここはあくまで模造品であり、本物はもう無いのだと理解しているのかもしれない。そうした上で『本物』として扱うことだってあるだろう。
「ここが発展もせず衰退もせず、永遠に元の姿を保ち続けているのは、あの喫茶店のマスターの言うように愛した郷の姿を永遠に留めておきたいという気持ちがあるからなのでしょう。本当はその気になればどうにだって出来るでしょうに……かつてのシイナラに無かったものを増やすことも、あったものを減らすことも。外部から以前と同じように文化や技術等を取り入れることだって。でもそうすればここは元の姿から離れます。そしてそれを繰り返せばいずれは自分がかつて愛した郷がどんなものだったか、その全てを思い出すことは出来なくなっていくでしょう。そうして自分が忘れた時点で、本当の本当に真実のシイナラは死んでしまう。だから何も変えない。元あったものを、元あった姿のまま残し続ける。無意識にそうしているのか、意識的にやっているのかはミカガミ様がここがあくまで模造品であることを今も認識しているかどうかによりますがねえ……」
或いは無意識の内に自分の力や住民の意思や行動(自分で考え、行動する力が一応ここの住人にはあるようだから)で郷の姿が変わり『時』が流れることでここ模造品のシイナラもいずれは滅びてしまうかもしれないと考えているのかもしれなかった。ここはミカガミの作り出した夢幻。本物のシイナラ以上に自分の思い通りになる世界だろうからどうしたって滅びることもないような気がするが、それでももしかしたらと思ったのかもしれない。自分がいながら本物のシイナラが滅びたなら、模造品だってともすれば同じ様に、と。一度愛する郷の滅びを目にしたなら、もう二度と同じものは見たくないと強く思うことだろう。だからありえないようなIfを考え、それを起こさない為に今の状態にしているのかもしれない。
「時が流れる以上どんなものもいずれは消えてなくなる。ならば時を止めれば良い。まあ大車の車掌さんの話の中に『一年』『誕生日』という単語が出てきてはいたので、一応時間の流れというのは存在するようですから、時を止めたのに近い状態って位でしょうがね――それによりミカガミは何よりも恐れる滅びを防ごうとした。ありえないことはありえない……僅かな可能性でも潰しておきたかった。確かにそういう考えもありますね。もしくは本物のシイナラが滅びた原因が郷の発展、大きな変化にあったのかもしれません。何かを得れば何かを失う。シイナラは何かを得た結果、全てを失った。それを目の当たりにしたミカガミ様は、美しい郷を美しいままでいさせる為には何も加えず、除かず、変えずにいるしかないと悟った……私ももし人生をやり直すことが出来るなら、今度こそは何も変えないようにするでしょう。美しい日々を永遠にする為に。私は大切なもの全てを失って以来、いつもそんな『もしも』を考えるようになりました。でもその『もしも』の実現にはとんでもないレベルの奇跡が必要です。普通に生きていては絶対手に入らない程の奇跡が……だから、こんな形でもやり直しが出来ているミカガミ様が少し羨ましい。夢幻でも、私達が見る『夢』よりはより本物に近い……」
「……もしかして鳳月さんが三つ葉市に来たのって……そんなありえない程の奇跡をあそこなら手に入れられるかもしれないと思ったからですか? あの街はその……常識では考えられないようなことが起きる、非常識な性質を持つ土地ですし」
思い切った柚季の問いに、鳳月は曇天の様な、異界へ続く道が隠れる路地裏の様な、陰鬱で重くて黒々としていてじめじめしていて怪しい、じっと見ているとじわじわと人を不安や恐怖で侵すような、兎に角嫌な笑みを浮かべた。
「ふふふ、それは秘密ですよ。数々のイベントをクリアし、私の好感度をMAXにした者だけがその後発生するイベントにて私のあれやこれやを知ることが出来るのです」
(そんな恋愛ゲームじゃあるまいし……ま、つまり話すつもりはないということだ。それにしても……本当、妖や幽霊が可愛く見えるレベルの笑み……これが人間のする笑みなんて)
彼がこんな風になってしまったのも過去の出来事が関係しているのかもしれないが、矢張り柚季には関係の無いことだし人間触れられたくない部分というのは存在する。だからもうこれ以上は何も聞くまいと思いつつ、柚季はその不気味な笑顔に怖気を震う。その笑み、喋り方、態度には自分の領域に相手を必要以上に踏み込ませない力がある気がした。恐怖や気味が悪いという気持ちで侵入を防ぐのだ。柚季はその恐怖をかき消すように、話をシイナラのことについて戻す。
「そういえば私達サトトザシは模造品のシイナラでのみ行われているものって感じで話をしましたけれど、実際はどうなんでしょう。本物のシイナラですでにあったことかもしれないんですよね」
それを聞くと鳳月の放つ不気味オーラが少しだけ和らぎ、確かにその可能性もありますねと頷いた。
「マスターが言ったような理由――自らが愛した美しい郷を永遠に愛したままの姿にする為、ミカガミ様はサトトザシをしていた。それがそのまま模造品にも引き継がれただけかもしれませんね。こればかりはここの住民に聞いても分からないでしょうねえ。彼等はここが『模造品』であることなど知りもしないでしょうから。彼等自身も実際にいたシイナラの民の模造品なのでしょうが……それとも模造品の郷に、本物の住民を壊滅状態のシイナラから移した?」
「あ、それはない。ここに住んでいる奴等は皆この郷同様模造品だよ。……ここに本物なんて一つもない。柚季とお兄さんは別としてね」
とこれは二人の様子をどこか(恐らく及川家から)から見ている速水の言葉だ。だが彼はそれ以上は何も話さなかった。鳳月と柚季が今までしてきた、根拠も何もない――妄想としか呼べないものに正解があるのか一つもないのかさえ教えてくれない。柚季が話してくれてもいいでしょう、と言ってもだんまり。結局全く返事がないので柚季もやがて諦め、何でそんな頑なに話そうとしないのだろうと呆れ顔。
「私達がああだこうだ妄想話しているの聞いて楽しんでいるのかしら。答えを教えたらつまらないから、無視する……本当性格悪いったらないわ」
「本当にそうでしょうかねえ。私はどちらかというとどうしても話したくないから黙っている、という印象を受けます。話したくない程の真実がシイナラにはあるのかもしれません。先程ここに住んでいる住人も模造品である、と述べた声には悲しみとやるせなさ、怒り……何か色々な感情がたっぷりこもっているような気も。本物のシイナラを愛していたからこそ、この模造品のシイナラには思うところがあるのでしょう。そしてその思いは吐き出すのも嫌だと感じる程のものなのかもしれません」
柚季も鳳月の言っているようなことをちゃんと感じてはいた。速水の一見明るくおちゃらけた声には、沢山の思いが詰まっている。哀れみ、悲しみ、怒り、そして憎しみ。こんな所はあってはいけない、あること自体間違っていると彼の声は告げていた。
(やっぱり本物のシイナラは滅びていて、そしてミカガミ様はそれをちゃんと受け入れていないのかな。速水はそんなミカガミ様を哀れみながら、どうして受け入れないのだと憤りを感じているのかな。おまけにこんな偽物の世界を作り出して、そこで暮らしている……まるでここが本物であるかのようにふるまっている。それが気に入らないのかもしれない。……本物のシイナラが好きだったからこそ、まるで自分こそが本物であるかのように存在しているここが憎らしくて仕方ないのかも。なんだか意外。あのいっつもおちゃらけている、お調子屋の、無駄に元気で明るい馬鹿が……)
それほどまでにシイナラは大切な所だったのだ。しかし今のところ正直柚季にはここがそれ程魅力ある所には見えない。速水はのんびりするには最適な土地と言ったが、少なくともシイナラ・チュカクはそういう場所ではなかった。どこもかしこも賑やかで、建物も沢山あってごちゃごちゃしていて、自然も少なく、いかにも都会という雰囲気。あちこちを眺めていると、何だか大量の物を乱雑に、そして無理矢理しまい込んだ物置の様な印象があった。ただ大車に乗っている時に見た、のどかな田園風景広がる場所もあるからのんびり出来る場所が全くないわけではない。彼はそういう所ばかりに顔を出していたのかもしれず、ここにはあまり興味が無かったのかもしれない。
シイナラの人達は決して悪い人達ではないと思う。だが散々ぐいぐい来られてシイナラやミカガミ様がいかに素晴らしいか熱弁されたり、カブネリのカルト教団の信者の如き姿を見たりした後だからどうしても好きになれなかった。過剰な愛と崇拝は人に恐怖を与え、そして吐き気を催させる。
小声とはいえ柚季と鳳月が本物のシイナラがどうとか、模造品がどうとか、滅びたかもとか、そんなことを話していても住民達は特に何の反応も示さなかった。まるで二人の会話など聞こえていない、そもそも二人の存在自体視界に入っていないという様子。カブネリ前までのことが嘘の様だ。彼等はカブネリ終了後に案山子が告げた、ミカガミ様からの『お願い』を忠実に守っているのだ。柚季達から話しかけない限り、反応しない。二人に注意を向ければ、話しかけずにはいられないから、そこに存在していないものとして扱っているのだろう。彼等はミカガミ様に「マレビトを殺せ」と言われれば、何のためらいもなく二人を殺すに違いない。
市場を抜けた先にある比較的広い道を渡ると、多くの専門店が建ち並ぶ『専門店街』と呼ばれるエリアがあった。家電店、家具屋、文房具店、生活用品店、書店、宝石店、CDショップ、洋服店、玩具屋、呉服屋……何か欲しいものがあったらとりあえずここに来れば大抵のものは手に入るのでは、と思えるようなものだった。別の所には食事処が集まる『食園』というエリアもあるらしい。
しかしそれだけ様々な店が集まっているエリアにも関わらず、どこよりもそこは閑散としていた。道を歩く者の姿も少なく、店の中を覗いてみても客など殆どいない。他の通りも狭くて薄暗かったが、ここは人がいない分余計に暗く見え、また空気が冷たい気もした。桜町商店街の方がまだしも活気があるだろう。まるで墓場の様だ、と鳳月は呟いた。確かに店という大きな墓石の並ぶ墓場の様に見えると柚季は思った。
「……私、こういう所好きですよ。最高に落ち着きますねえ、ひひひっ」
「ああ確かに鳳月さんにはぴったりだと思います、ここ……」
墓場に佇み、不気味に笑う亡霊が柚季の隣にいる。自分も静かで落ち着く場所は好きだが、ここまで来ると恐怖すら覚え、とてもじゃないが「好き」とはいえない。ここを好むのは隣にいる亡霊もどき位だろう。
シイナラの民は恐らく食材等、比較的すぐ消耗して無くなるようなものは割と頻繁に買うのだろう。様々な食材が売られていた市場は賑やかだったから。だが家電や本の様に長く残り続けるようなものは極力買わないようにしているのだ。
先が尖った、長い耳と猫の様な瞳の若い女性が家電店の前で立ち止まっている。彼女は目をぎゅっと瞑り握りしめた右の拳を口の前にやったまま『エマタ・ユルシオ・アイスーマ』と十回程言うと、その拳で自分のおでこを三回小突く。何をしているのか気になり、思わず柚季は声を掛けた。
「あの……今のは一体」
「あら、マレビトの方。シイナラ・クーリャンセ、この郷の美しい永遠を感じ、さぞ幸福な気持ちになっていることでしょう。……今のはミカガミ様に許しを乞う為に行うものですよ」
「許しを乞う?」
ええ、そうですと女は頷いた。
「私は今これから、ここで買い物をします。どうしても、どうしても新しいタスケモノ(助物。ここでいう家電のことらしい)が欲しいのです。しかしそうして新しいものを買い、家に増やすということはミカガミ様が、そして我々シイナラの民が心から愛する美しい永遠に、ごく僅かでも傷をつけてしまう大変罪深い行為です。ですがミカガミ様は大変お優しい方でいらっしゃいますから『どうか私をお許しください、愛すままでいてください』と心から許しを乞い、そして額を小突くなどというとても軽い罰を受けさえすれば、シイナラ最大の罪を犯す私さえも許し、そして愛したままでいてくださるのです」
「は、はあ……」
「そして物を買った後は、罪をお許しくださったミカガミ様にお礼を申し上げます。そうしてミカガミ様がお許しくださいますと、罪は消えるのです。ミカガミ様は本当に素晴らしい方です。優しくない神様なら、こうして何か新しい物を買うことも許さないでしょうから。ふふ、マレビトの方には理解出来ないでしょうね。美しい永遠を貴方方はお持ちではないでしょうから。でもそれを間違っているとは思いませんよ、別に。美しい永遠を失う代わりに、多くのものを得る生き方もまた幸福なものでしょう。私達にとってはそれよりも美しい永遠を生きる方が幸福ですが。美しい永遠があれば、永遠に何も失われませんもの……でも貴女方は常に色々なものを失い、そして最後には全てを失うのでしょうね」
そう言って女はお辞儀すると、店の中へと入っていった。二人もどんなものが売っているのか気になったので続けて店の中へと入っていく。
二人が入った家電屋は三階建てで、結構中は広い。しかし客の数は少ないのでしんと静まり返っており、灯りがついているのにいやに暗く見える。
「家電一つ買うにもあんな風に許しを乞うなんて……おでこ三回小突くなんて大した罰じゃないけれど、何だかなあ……。宗教とか文化の違いって本当に怖い。本物のシイナラもこんな感じだったんでしょうかね? 怖い位ミカガミ様第一主義で、故郷への愛が強くて、美しい永遠への執着心も半端じゃない位あるのって……」
「どうなのでしょうねえ。元は程ほどだったのが、サトトザシをして以来こうなったのではないかと私は思いますが。美しい永遠を守る為には必要なことでしょうから。ただサトトザシというのが、本物のシイナラでも行われていたことなのか、模造品のシイナラのみのものなのか分かりませんからねえ……」
二人はざっと店内を回る。そうする内に、胸の中にあったある疑問がどんどんと膨らんでいった。
洗濯機コーナーの前にいた。シイナラにおける洗濯機は見た目だけでいうと、家電というより工芸品であった。どう見ても巨大な漆塗りの箱で、前面や上部には螺鈿や金箔等で美しい細工が施されている。それが洗濯機としての機能を持っているとは到底思えないものだった。側面についているポケットに閉じた扇がささっており、開くと鈴の音と共に扇に文字が浮かび上がった。そこには脱水とか予約とか、そんなことが色々書かれており、どうやらこれを使って操作するらしい。どう見ても普通の扇がリモコンになっている機械は多く、この形がここでは主流なのだということが分かる。逆に柚季達が想像する形のリモコンはまず見かけなかった。
「……サトトザシっていつから始まったんでしょう。私達世界の何時代にあたるところから……? 何か色々見る限り、かなり最近の気がするんですが」
確かに、と鳳月は頷く。二人が見ている洗濯機は機能を見る限り相当新しいものに思えた。鳳月達が生まれるずっと前に使われていた様な、今ではなかなかお目にかかれないような代物も結構あった。電気を使わない、手動式のものもある。見た目は色々違えど(内部は殆ど同じ)、洗濯機の歴史を見ているような心地。それは別に洗濯機コーナーに限ったことではない。冷房、暖房コーナーには矢張り工芸品にしか見えない冷暖房がある。その冷暖房にしても機能や仕組み的にかなり古いと思えるものから、最新家電と呼べるものがあった。扇風機も江戸時代にあったという団扇を六枚取りつけて手で回すタイプのもの、それよりもう少し後に出たぜんまい式自動団扇もあり、ごく一般的な扇風機もある。
「どこもかしこも……ここ、家電製品の歴史博物館じゃないですよねえ……?」
「一応博物館じゃなくてお店みたいですけれど……でもそんな風にしか見えないですよね」
シイナラはもう新しい商品を作ることは無いはずだ。何かが売れれば、売れたものと全く同じものを入荷し再び店に並べることはあっても、新機能を搭載した、今まで全くなかったものを作ることはない。そうなるとここで売られている機能や性能的にかなり新しいと思われる製品も、サトトザシする前にはすでにあったことになる。
「もしこれらを作る技術諸々が我々の住んでいる所から入ってきたのだとすると……相当最近まで外部と繋がりがあったことになるような気がします。勿論シイナラの技術力がこちらよりも優れていて、我々世界の人が今になってようやく開発出来たものを、シイナラはとっくの昔に開発していたという可能性もなくはないですが。かなり最近作られたもののようでいて、その実相当前に作られていた……進化の速さはシイナラの方が早かった。しかし進化の流れはこちらの世界とほぼ同じだった……でも、それならどうして古い製品が無くなっていないのでしょう。サトトザシをする前は新しい物を作れば、古くなっていらなくなったものは普通に排除していたでしょう。搭載されている機能が少ない分値段を安くして売る――いうことはありますが、それにしてもここまで……」
家電店を出、他の店にも入ってみる。そうするとますます混乱してくる。どう考えてもつい最近まで柚季達の世界と繋がりがあったとしか思えない物が次々と見つかったからだ。
例えば本屋。店にはシイナラの作家が書いたものや、柚季達の住んでいる層から『シイナラ・タメノハーテ・チョーサ』の人間が持ち込んだらしい本が売られている。装丁は違うものの、本文はそっくりそのままで、こちらの郷の言葉に直されてはいない。注釈はついており、こちらの郷でいうどういうものなのかはある程度分かるようになっている。但し奥付はなく、これはシイナラ発の本も一緒であった。
柚季はそんな書店で、半年前位に出たばかりの本を見つけた。それでも結構最近だと驚いていたが、それよりもっと最近に発売されたものを鳳月が見つけていた。苦い顔をしながら持ってきた本を、彼は柚季に見せる。柚季はその本のタイトルに注目する。そのどれもに彼女は見覚えがあった。
「ええと……これ、確か……あ、もしかして!」
「ええ、今年の一月下旬に発表された塵山賞と曲葉賞受賞作品です。発表時点ですでに発売していたものもありますが、こちらとこちらは翌月に発売されたものです」
「ってことは二月に発売されたってことですよね。それってつまり……一か月前に出たばかりの商品がここにあるということですか?」
はい、と鳳月は頷く。他にも間違いなく二月に発売されたばかりの本を幾つか見かけたらしい。そうなると先月まではサトトザシはしていなかったということになってしまう。
次に足を運んだのは『チョウソウ(調奏)屋』。ここではレコード、カセットテープ、MD、CD(8㎝のものもあった)が売られている。シイナラ独自の媒体らしきものも少量存在している。こちらにも柚季達の住む世界のアーティストのレコードやCDが大量に販売されていた。CDは木製のCDケースに入れられており、ケースの表にはタイトル名とアーティスト名だけが記載されており、こちらのものよりかなりシンプルである。柚季はその内の一枚を手に取り、眉をひそめる。
「これって確か二月に発売されたばかりのCDだわ。友達がうきうきしながら買っていたのを覚えているわ。あ、こっちはMINAZUKIさんが出したっていうCD」
元はモデル、最近はマルチタレントとして活躍中の女性が歌手としての活動を始め、そのデビューシングルとして出したCD。柚季の記憶が間違っていなければ、一月の終わりか二月のはじめに出たばかりのものである。
「ああ……そういえば姉さんそんなこと言って送りつけてきたっけ」
「え、なんかおっしゃいました?」
「いいえ、何でも。ふむ……家電等はシイナラの人がサトトザシ以前独自に開発したもので、たまたま機能や形状、仕組みがこちらのものと似通ったものになったとか、そういった推論が出来ないでもないですが……CDや書籍に関してはそうは言えないですよねえ。実はこちらの世界の人がシイナラで見たり聞いたりしたものを自作として発表したってことがないでもないですが、それにしてもこちらのものは向こうへ持ち帰れない以上、記憶を頼りに丸々同じものを作ることは流石に厳しいでしょうし、そもそも歌っている人は同じですからねえ……それはない」
商品を視聴出来るコーナーがあったので幾つかCDを聞いてみたが、間違いなくこちらの世界で売られているのと全く同じものであった。歌っている人が実は違うとか、歌詞やメロディが違うとか、そういうことは全くない。つまりこちらの世界からシイナラへ持ち込まれ、パッケージだけ変えられただけのものである。
二人はそれからも色々な店を回ったり、シイナラ・チュカクの様子を見て回る。改めて見てみると、ここは江戸時代から現代位までをごっちゃごちゃに混ぜたような所であった。電話も携帯電話(見た目は印籠)や昔のえらく大きくて重い携帯電話らしきもので会話している人もいるし、街中に設置されている公衆電話もレトロという言葉がぴったりなものもあれば、ごく普通の見た目のものもある。電話交換手を介する必要がある電話もあるらしい。映画館もシイナラには存在していた。入ってみると、様々な映画を上映していた。シイナラオリジナルらしきものもあったし、こちらから持ってきたものだろう(どうやって持ってきたのかは不明だが)ものもある。それも一月位から上映開始された作品だったり、何十年も前に上映されたのだろう白黒フィルムのものだったりと時代はバラバラ。活動写真を上映する館もあり、活動弁士が映像に合わせて台詞や状況を語っていた。洗濯機が売られているのに、たらいと洗濯板を用いて洗濯している人も見かけたし、長時間全く同じポーズをとったままでないと撮影出来ないカメラを用いてモデルらしい女性を撮っているのを見かけたかと思えば、ポロライドカメラらしきものを使っている人もあり、また恐らくデジカメとほぼ同じ機能であろうものでぱしゃぱしゃと辺りを撮っては「いつ見ても美しい郷!」と恍惚の表情を浮かべるものもあった。
「ここにいると今が何時代なのか分からなくなりますね。建物は比較的昔ながらの……って感じのが多いですけれど、全部が全部そうじゃないし……」
柚季は視線を酷く目立っている建物へと向けた。シイナラ・チュカクには幾つか一際背の高いガラス張りの随分現代的な建物が建っている。三つ葉市の中に混ぜるとそれ程高くはない為に目立たないだろうが、それほど高い建物の無い上、こういった建物が非常に少ないここでは違う。その建っている時代を明らかに間違えている感じが、異様な空気を生み、何だか気色悪い化け物に見えてくる。しかもどうもこの建物、オフィスビルでもホテルでも商業施設でもないらしい。住民に話を聞いたところ、これらは建物ではなくオブジェのようなものであることが分かった。どう見てもビルだが、中には何もないのだった。ちなみにこれらにはやたら大きな金屏風がついている。この金屏風はモニターであるらしく、時々美しい絵が消え代わりにある映像が映る。それは人形劇で、主役はミカガミ様であった。内容は特撮ヒーローもののようなもので、シイナラに入り込み『よくないもの』をばらまき、美しい永遠の郷を滅ぼそうとする悪の組織『ソトモノ』のメンバーをミカガミ様が華麗に倒すというものだった。ソトモノ達の格好は神父とか牧師とかそういった人達のものによく似ている。鳳月は「もしかしてシイナラの滅亡には異国の人が関わっていたのでしょうか」とこれを見て言ったが、真相は不明である。この映像が映し出されると近くを歩いていた人々の多くは足を止め、敵をばったばったと倒すミカガミ様(より正確にいうと、ミカガミ様の化身)を見て歓声をあげたり、何と強いお方かと感嘆の声をあげたり、感動のあまり泣きだしたりする。特撮ヒーロー人形劇という名の信者洗脳動画だなこれは、と二人はしかめっ面。
建物関連で妙な部分といえば『元々あった建物の上に全く違う建物をそのままのせました』としかいえないようなものがよく見受けられることだ。無理矢理増築、というよりポンと上乗せという感じで、下にある建物と上にある建物はそれぞれ独立しているように見える。材質も下の建物が石造りで上が木造とか、その逆もあるし、下の建物より明らかに上の建物の方が大きいとか、ピラミッドの如く二つの建物の上にぽんと建物がのっているとか、そうことも少なくなかった。他にも道を寸断するように建てられた建物(両脇にある建物と完全にくっついている)もあった。
「……何か後から適当に加えたって感じ。でもシイナラってサトトザシ以降建物って増えていないんですよね? あの建物とかは、サトトザシ以前からあったんですかね? 元々こういう増築方法とか……でも全部が全部こんな滅茶苦茶なやり方ってわけじゃないですし」
「そもそもサトトザシをして以降、ここシイナラに本当に何も物は増えていないのか疑問ですねえ。サトトザシがつい最近の出来事だったから、かなり最近のものまでこの郷にあるという可能性もゼロではないですが、むしろサトトザシ以降何も変わっていないという話自体が真実ではない――という可能性の方がずっと高い。古いものを排除することはしていないようですがねえ。但し、そのことにシイナラの住民は気づいていない」
柚季も同じことを考えていたので、こくりと頷いた。その方がどう考えても自然である。古いものを出来るだけ排除しないが、新しいものは実はばんばんと取り入れている為こんな時代がぐちゃぐちゃになった郷が出来上がった。シイナラ・チュカクという物置に乱雑に次から次へと物を放り込み、ぎゅうぎゅう詰めにし、ごちゃごちゃぐちゃぐちゃとした印象しかない所となった。元のここはもう少し綺麗な所であったのかもしれない。しかし今の状態を見たら、そんなシイナラ・チュカクの姿を想像することなどとても出来ない。元のシイナラ・チュカクはどんな姿だったのだろう。本当の本当にそっくりこのままだったのだろうか。
「……シイナラ・テーベの頂上にある神殿に行きますか。そこにいるだろうミカガミ様に色々と話を聞いてみましょう。もしかしたら真実を語ってくれるかもしれません」
鳳月はそう提案したが、その表情を見る限りあまり期待はしていないようだった。ミカガミ様の『真実』が本当の本当に真実であるかどうかは怪しい。だから話を聞いたところで何も分からない可能性は高かった。サトトザシ以降もシイナラが色々な面で変化しているとして、果たしてミカガミ様はそのことを自覚しているだろうか。本人が無自覚のまま新しいものを取り入れている可能性も十分あり、こちらが質問したところで「どれもサトトザシする前からあったものだ」と言われておしまいの可能性がある。そしてそう言われてしまったら、こちらとしてもどうしようもなくなる。
話を聞いたところで、それが真実であるかは怪しい。そして鳳月と柚季にはそれが真実なのか虚偽なのか判断することは出来ないのだ。速水が口を開かない限りは。
それでもここをふらふら探索しているよりは、直接ミカガミ様から話を聞いた方がより多くのことが分かるかもしれない。柚季は行きましょう、とこくりと頷いた。
シイナラ・テーベまではアマカケブネを使っていくことにした。二人が利用したのはバスより若干大きく、通路の両脇に四人掛けの椅子がある。二人の隣には眼鏡をかけた、一角獣と人間を混ぜたような姿をした男が座っていた。聞けば彼は小説家だそうだ。名前を聞くと、書店で見かけたものだった。
「書店へ行った時、名前を見た覚えがあります」
「おや、それはそれは……嬉しいような、何だか少し恥ずかしいような」
柚季に言われ、男が少し照れくさそうに笑った。柚季の右隣に座っていた鳳月が男に問う。
「そういえばサトトザシをして以降、ここシイナラでは新しいものは作られないと聞きましたが……貴方方小説家も、矢張り新作を書くことはないのですか?」
「ええ、ありませんよ。ですがサトトザシ以前から小説家であった私は、何も書かなくなった今でも小説家です。これから先も、ずっとそうです。それ以外の職につくことはありません。それでもミカガミ様はお優しい方だから、生活に困らないようにしてくださいます」
「でも、幾ら生活に困らなくても……何も書けないって辛くないですか? こういう話を書きたい、と思っても書いちゃいけないんですよね?」
「ミカガミ様の、そして我々シイナラの民が愛する永遠の郷を壊すわけには参りません。私も、この美しい永遠を、自分の作品等の為に傷つけたくないと思っています。ですから、何も苦しいことはありませんよ。私はもう何も書きません。でも、一生小説家です。シイナラ・タメノハーテ・チョーサの方々などもそうですね。もう彼等が外から新しいものを持ってくることはありません。が、彼等はこれからもずっとシイナラ・タメノハーテ・チョーサという組織に所属する人達です。今あの辺りの席に座っている人達がそうですよ」
男が前方を指さす。今座っているところからだとその姿は見えず、結局はっきりとした姿を見たのは神殿近くの船着き場に船が到着した時だった。彼等もまた神殿に用があったらしい。彼等は帽子、スタンドカラーシャツにうぐいす色の着物、褐色の袴、濃い緑の羽織という所謂書生スタイル。羽織の背の部分には、シイナラ・テーベの姿を象ったと思われるしゃれたデザインが描かれていた。彼等は一様に漆塗りの黒い箱を手に持っていた。男が教えてくれたが、彼等はミカガミ様の欠片と呼ばれるものに外部で見つけた本や食べ物、技術諸々を『写し取り』、箱の中に入れて持ち帰るのだという。そしてミカガミ様がその欠片に写し取ったデータを抽出することで、シイナラで同じものを作ったり、知識や技術を民に与えたりすることが出来るのだそうだ。今はそのようなことはしていないから、箱の中には何も入っていないのだと男は言った。二人は「本当にそうかな」と思ったが、どうせ口にしたところで一笑されておしまいだろうから、ただ「そうなんですか」と頷くだけにとどまる。
男は神殿に一番近い船着き場を二人に教え、自身はそれより少し前の船着き場で降りていった。目的の船着き場に着く少し前、今度は別の男が「あ、いたいたマレビトさん」と気の置けない友達を見つけた時のような声をあげると、二人の隣の席に腰を下ろした。目の下に涙の雫が描かれた白い面を被った黒い着物の男で、見た目は結構インパクトがあるのだが気配とか生気とかそういうものを全くといっていいほど感じられない。人の形をした空気、或いは亡霊。鳳月の方がまだしも生きている人だということを感じられる。柚季は幽霊二人に挟まれたような心地がして泣きそうになった。男は二人の方へ顔を向け、えらく馴れ馴れしく話しかけてくる。
「お二人とも、これから神殿へ行ってミカガミと話をするわけ?」
シイナラの民(のはずだが)でありながら、ミカガミ様のことを呼び捨てにしたことに二人は仰天した。
その発言を他の人が聞いていたらとんでもないことになるのでは、と辺りをきょろきょろ慌てて見まわしたが、どうやら誰も彼の発言に気づいていなかったらしい。余計なトラブルに巻き込まれずに済んだことにほっと胸を撫で下ろしていると、あははははと愉快そうな男の声。
「大丈夫だよ、心配しなくても僕の声など聞こえはしないさ。ここの住人は僕を見はしないよ。この声を聞くこともない。それはミカガミも一緒さ。君達はこれからミカガミに話を聞くのだろう。……シイナラの真実を知る為に。まあ、確かにある真実はミカガミから聞くことが出来るだろう。でも全ては聞けないよ、君達の想像通りね。あの鏡にとっての真実は、真実ではない。本当の真実を知るのは、ここにいる中では僕だけさ」
「……貴方は一体何者です?」
「後で教えてあげるよ。神殿でミカガミの話を聞いた後、君達をある場所へ案内してあげる。そうすれば君達の知りたい真実が明らかになるだろう。もっとも、知ったところで別に幸せな気持ちになりはしないけれどね。それじゃ、僕それを伝えたかっただけだから」
本当にそれだけの為に現れたらしい。柚季と鳳月が「待って」と言った時にはすでに彼の姿は煙のように消えていた。そのような芸当が出来るのだから、人間ではないのだろう。
あの男は一体何者だったのだろう、と困惑している内に船は目的地である神殿近くの船着き場に着いた。




