番外編19:桜村奇譚集(12)
『桜村奇譚集12』
『しょしょり』
しょしょりとは、赤ん坊程の大きさもあるぶっくりとしたネズミの妖である。この妖は人の体についている垢等を喰らうという。夜寝ている人間の所にやって来て、体中の垢や常人には見えない邪なものを食べ朝には姿を消す。基本的に五、六匹程の群れで行動し、仲良く獲物と決めた一人の人間の垢等を食べるのだ。彼等がそれらを食べている時に出る音が「しょしょり、しょしょり」と聞こえることから、しょしょりと名づけられたようだ。しょしょりは食事をする時自身の歯を肌にあてそれを前後させて、垢等を削り取るそうだ。彼等は殆ど力を入れずとも、それらを食べることが出来るという。だから食われている者も痛みを感じないので、気づかぬまま眠っていることが多いそうだ。そして朝起きた時体がすっきりし綺麗になっていることに気づいて「ああ、しょしょりに食われたのだな」と初めてそこで理解することが大半だという。
しかし中には寝ている最中何かが自分の体をこすっていることに気づく者もいる。目を覚まし、自分の体に群がってしょしょり、しょしょりと垢等を食べている彼等の姿を見る。しかしそれに気づいても悲鳴をあげたり、乱暴なことをしようとしたりしてはいけない。驚いたしょしょりに体を思いっきり齧られてしまうことがあるからだ。そうして大怪我をしてしまった人間も決して少なくはなく、中には蚊に刺されているのだと勘違いしてしょしょりを叩いてしまい、怪我をした者もいるそうだ。
『野漁師』
野漁師という妖が居る。彼等は木の船に乗り野山を渉る漁師達で、生前は人間だったという。海で漁をしている最中不幸な事故で溺れ死んだ者がこの妖になるのだそうだ。彼等は終わらせることが出来なかった漁をきちんと終え、家族の待つ家へ帰る為に死んだ後も漁を続ける。しかし彼等は海で溺れて死んだことで水に対して強い恐怖感を抱き、故に死んでからは海の上ではなく野や山等地上に現れ漁をするようになった。
水を嫌い、水を恐れているので水のある所には近づくことが出来ない。朝露一滴さえ見ることを恐れている。
しかし水のない所に魚は泳いでいないので、彼等はいつまでも魚を捕れずにいる。魚が捕れず、漁は終わらず、だから家にも帰れず魂も救われない。それでも彼等は海へ行くことは二度と出来ず、いつか漁が終わる日を夢見ながら全国各地を移動し、水のない所で漁をしているのだそうだ。
『三太鷹』
桜村及び周辺の地域では、子供が誰かをいじめているのを見ると「三太鷹に抉られるぞ」と言っておどかすのだという。三太鷹というのは、昔桜村にいた三太という少年が化けた姿であるという。三太という少年はいじめられっ子で、いつも悪ガキ達にいじめられていた。
そんな彼はいじめられる度親に「俺が鷹だったら……」と泣きながら言ったという。
殴られて帰って来ては「俺が鷹だったらあいつらの目を抉ってやるのに」と言い。
蹴られて帰って来ては「俺が鷹だったらあいつらの腹を抉ってやるのに」と言い。
悪口を言われて帰って来ては「俺が鷹だったらあいつらの耳を抉ってやるのに」と言ったそうだ。
ずっといじめられていた彼は、最後川に顔をつけたまま死んでいるのを村人に発見された。事故でも自殺でもない様子で、村人達はいじめっ子達に殺されたのではないかと考えたが証拠はなく、またいじめっ子の一人が当時の村長(とても性格の悪い村長だった)の息子だった為結局深く追及はされず不幸な事故で片づけられてしまったそうだ。
ところがその数日後、いじめっ子達が無残な死体となって発見された。彼等は目や腹や耳等、体中を鋭利なもので抉られていたらしい。あまりの無残な姿を見て彼等の両親は皆倒れ、そして病気になって死んでしまったという。
その死体が見つかった次の日の朝方、三太が住んでいた家の戸が何者かに叩かれた。両親が戸を開けると、そこには立派な鷹がいたそうだ。その鷹のくちばしは何かの血や肉で汚れていたという。鷹は両親の顔をじっと見つめると一度お辞儀して、ばさばさと飛んでその場から去っていったという。もしやと思って三太を埋めた辺りへ行ってみると、土は掘り返されあったはずの遺体もなくなっていたそうだ。
両親は三太が死後鷹になり、自分を散々いじめた末に殺したいじめっ子達に復讐をしたのだと考えたという。以後三太鷹の仕業かいじめっ子が目や腹を抉られて死んでいることが度々あり、大人達は誰かをいじめている子供を見ると「三太鷹に目や腹を抉られるぞ」と脅していじめをやめさせるようになったそうだ。
『赤い花嫁』
昔桜村に一人の娘がいた。この娘はどういう経緯か不明だが、桜山に住んでいた一人の妖と恋に落ちてしまった。彼女は毎日のように山へと行き男と会っていた。娘は自分が妖と恋に落ちたことも、彼と会っていることも秘密にしていたがいつまでもばれずにいられるはずはなく、ある日とうとう両親にばれてしまった。彼等は化け物と一緒になっても幸せにはなれないと言い、もう会うなと言ったが娘は聞かず「彼の妻となり、共に暮らしたい」と両親に懇願した。しかしそれを両親は認めるわけにはいかなかった。娘はある日の夜家を抜け出し、妖の所へ行こうとしたが両親に気づかれ連れ戻されてしまった。娘は何度説得しても話を聞かず、何度も逃げたがその度両親や事情を知った村人に連れ戻されたという。このままでは埒が明かないととうとう彼等は娘と、彼女に好意を抱いていた村人を無理矢理結婚させた。娘は他の男のものとなった今、彼の妻になることは出来ないと嘆き悲しんだ。そんな彼女に両親は「お前の幸せを思ってのことだ。化け物と一緒になることは決してお前を幸福にはしない」と何度も何度も言ったそうだ。
そんな日々が少しの間続いた後、娘は自分の胸に刃物を突き立てて死んでしまった。自分が心から愛した妖と共にいられないなら生きている意味などないと思ったのだろう。そして死後娘は深い悲しみと怒りによって妖に姿を変えた。真っ赤に染まった白無垢を着た女の妖になった娘は、曼珠沙華の火で両親や夫を焼き殺し、村を焼き、姿を消したという。それにより村は甚大な被害を被ったそうな。
今頃彼女がどうしているかは知らないが、愛した男の妻となり幸せに暮らしているのかもしれない。
『はなとあさ』
昔桜村にはなとあさという姉妹が住んでいた。姉のはなは生まれつき美しく、妹のあさは醜い娘だった。二人とも心優しく仲もとても良くいつも一緒に遊んでいたが、姉妹の母は醜い顔をしたあさを心底嫌っており、何かにつけ彼女をいじめていた。彼女ははなはとても可愛がったが、あさは自分の娘扱いせず、ご飯は自分達よりずっと粗末なものを食べさせ(時に難癖をつけて寄こさないこともあり、その度あさがこっそり自分の分を分けてやった)、寝る時は自分とはなは寄り添って寝て、あさは部屋の隅で一人寂しく寝させたという。何かとこき使ってもいた。
はなはあさをいじめる母を嫌い、また妹をどうにかして母から解放してやりたいと思った。しかし家を飛び出した所で行くあてはないし、外面は良い母だったから助けを乞うために村人達に訴えても信じてもらえない。また下手なことを言うとあさがいじめられることになるので、表立って何かすることは出来なかった。
母のあさに対しての仕打ちは段々と苛烈になり、はなはいつか母はあさを殺してしまうのではないかと心配になった。実際母はあさを事故か何かに見せかけて殺そうとしていたようだ。しかしそれを誰に訴えても信じてもらえないだろうし、どうやって妹を守れば良いのかとんと見当もつかなかった。いっそ母親を殺してしまえば守れるだろうかと思ったが、そうするわけにもいかない。
はなは結局神様に「どうかあさを助けてください、幸せにしてください」と祈り、あさに母には気をつけるようにと言うしかなかったそうだ。
そんな妹を想うはなの祈りが通じ、ある日の夜一人の男が家を訪ねてきた。見たこともないその男は突然あさを嫁に貰い共に暮らしたいと言いだした。男は山に住む神様の一人で、妹思いのはなの願いを聞き届けあさを迎えに来たのだった。母は「こんな醜いものはもう一日たりとも見ていたくないから、喜んで寄こしてやる。さっさとそれを連れて消えてくれ」と言って了承した。そしてあさはその男に貰われていった。その時男ははなも一緒に来るかと言ったが、母が自分の大事な娘をお前の様な得体のしれない男にはやれないと言って許さなかった。はなは母といたくはなく、あさと一緒にいたかったので家を出て男を探そうとしたが母に見つかり、家に閉じ込められてしまった。
はなは家の中で毎日お祈りをした。自分もあさと一緒に暮らしたい、母は醜いものが嫌いだから自分の顔が醜くなればきっとここから出られます、だから私の顔を醜くしてくださいと言った。するとその願いも聞き届けられ、ある日はなの美しい顔はあさのように醜いものになった。すると母は激しく怒り狂いはなも追い出してしまった。家を追い出されたはなを、あさと神様である男が待っており三人は山の中で幸せに暮らしたそうだ。母はその後原因不明の病にかかり長い間苦しんだ末に死んだという。
このはなとあさの話は、山の中で暮らしていた彼女達とたまたま会った村人の一人が聞いたものである。
『蛇を吐いた男』
一人の男がある日怪我をしている蛇を見つけた。その時嫌なことがあって機嫌が悪かった男は怪我をして弱っている蛇を見つけ、散々痛めつけて殺した。
その数日後友人と話していた男は突然苦しみだし、倒れてしまった。男は目を大きく見開き、喉をかきむしりながらうんと苦しんでやがて死んでしまった。それから少しして息絶えた男の口から大きな蛇がずるずると出てきた。蛇は「仲間の敵はとった」とだけ言うとどこかへ消えていったそうだ。
『便手』
便手という妖は濃い茶色の、まるで泥で作られたかのような手だけの妖である。この妖はどこからともなくすうっと現れ、人の下腹部をさっと撫でるそうだ。そうして便手に撫でられるとたちまち便意を催し、大便なり小便なりを漏らしてしまうことになる。撫でられた、と思った次の瞬間にはそうなってしまうので便所やその辺の草むらに駆け込む暇もない。結果恥ずかしい思いをすることになるのだった。祝言の最中にそれに撫でられ、大便を漏らしてしまった娘などもいる。
おねしょをしてしまった子供達は親に怒られると大抵「寝ている時に便手に腹撫でられたんだ」と言い訳したという。
『大桜の女』
桜山には一際大きく立派な桜の木があった。村人達は毎年春になると山を登り、その桜の木のある辺りで宴会を開くのが恒例の催しだった。その木には美しい女の精が住んでいるといわれ、また桜狐もこの木で暮らしているとされていた。この立派な木は桜村の象徴の一つだった。
ある春いつものように村人達は山に登り、花見をしていた。滅多に飲めない酒を飲み、大いに盛り上がっていた。ある若者もその一人で、酒を飲んで大変酔っていた。彼は美しく大きな桜の木を思いっきり蹴飛ばし「おい女、ここにいるなら出てこい。出てきて裸踊りでも踊るがいい」などと言った。何度も呼びながら木を傷つけ、最後にはしょんべんまでかけ「きっとおら達の前に姿を見せられない位醜い女なのだ、貧相な体で踊りも苦手なのだ。それならおら、いいや」等と言って笑うのだった。村人達は美しい桜の木が傷つけられるのを快く思わなかったが、この若者はうんと力が強くまた酒を飲むと乱暴になる為皆見て見ぬフリをするのだった。
その数日後、村に見知らぬ美しい女が現れた。その女はすぐ人ではないと分かる異様な空気を身にまとっていたそうだ。大層不機嫌な様子で女は近くにいた村人に、以前桜の木を蹴飛ばし小便をかけた男の名前と今どこにいるかということを聞いてきた。村人はその女があの桜の木の精だと確信し、話せばきっと男は殺されるだろうと思い躊躇ったが、女が「庇うとお前も殺すぞ、八つ裂きにしてやるぞ」と脅してきたのでとうとうあの若者の名前と居場所を話してしまった。
それからしばらくして若者はその女に山へ連れていかれてしまった。怖くて誰もそれを止めることは出来なかった。
数日後、若者が村に戻って来た。彼はその時はまだ生きていたが、体中ぼろぼろで無事な所を見つけることの方が難しい位だった。そして彼は裸だった。
男は奇声を発しながら狂ったように体を滅茶苦茶に動かし「裸踊りだ、これで満足か!」と叫び、また最早人のものとは思えない、獣の様な声をあげるとその場に倒れ絶命したそうだ。その恐ろしい光景は忘れたくても忘れられないものだったという。
あの大桜に住まう女を怒らせると恐ろしいことになる。村人達はそれを思い知り、以来あの桜の木に狼藉を働く者は誰もいなかったという。
『痰まきばばあ』
痰まきばばあという妖が居る。この老婆は自分が抱えている壺に頻繁に痰を吐き、そして集めた痰を家や畑にうんとばら撒くという悪戯をするのだという。彼女の痰はうんと臭く、また非常に粘り気があるので取り去るのがなかなか大変だそうだ。彼女を見つけたらどうにかして壺を奪い、割ると良い。そうすれば痰まきばばあは死に、壺に入っていたはずの痰も消えるそうだ。




