にくえんぜん(4)
鬼灯の主人達と別れ、そろそろ肉を食いに戻ろうと元いた場所へと歩きだす。美味しそうに肉を食べる姿を見たら、まだ尽きぬ食欲が「肉を寄こせ!」と大合唱しているのだ。歩きながら、様々なテーブルの上を見て、次は何を頼もうか考えていた。
「あ、弥助さんこんばんは」
「ん? おお、南造じゃねえっすか。久しぶりっすねえ!」
弥助に話しかけてきたのは、網の上で辛味噌に漬けられた大きな豚バラ肉を焼いていた男だった。それに白髪ねぎやしそ等をお好みで巻いて食べるのだ。男は背は低く、ひょろっとしている。顔はごく普通の大きさだが頭は異様に大きく、耳も大きい。眉も目も唇も小さく、良く言えば人が好さそうな、悪く言えばぱっとしない顔だちである。他には三つ目の、肌の色が緑の大男と、紙に墨で描いたものを切り取ったかのような、ぺらっぺらで色味のない、吹けば飛ぶような体の女と、頭に髪の代わりにカエルの卵の様なものが無数についている男が座っていた。
「今年の肉煙染も楽しんでいるっすか?」
「ええ、勿論です。さっさと成仏せず、いつまでも『とはなんぞ、とはなんぞ』と言いながら現世を彷徨っていた甲斐があったと、ここへ来る度いつも思いますよ。あの時新兵衛さんの誘いを断っていなければ、人間だった時も美味しいものをたらふく食べられる、幸せな時間を過ごすことが出来たのにとも思います。結局人間として生きている内は、お腹いっぱいになるまで美味しいものを食べたことなんてなかったですからね」
と言って苦笑い。南造というのは妖になってから名乗っている名前で、人間であった時の名前はもう忘れてしまったらしい。名前だけでなく、時が流れ妖として生きている時間が長くなる内に人間であった時のことは大分忘れてしまったそうである。彼が唯一今でもはっきりと覚えているのは、自分が妖になるに至った原因である、一人の妖――新兵衛との出会い位。そして新兵衛というのは、今南造の真向かいに座っている三つ目の男なのだった。男は激辛ソースで味付けされた鶏のもものステーキにかぶりつき、くっちゃくっちゃとそれを噛みながら喋りだした。
「いつもここに来る度、こいつと出会った時のこととかここで再会した時のことが話題になる。まあ俺も自分の誘いにこいつが乗るとは思わなかった。俺を助けながらも、この姿を見てぶるぶる震えていたものな。案の定断られて、まあそうなるわな位に思ってそれからはこいつのことなんてすっかり忘れていたんだが……まさかここで妖怪になったこいつと再会することになるとわな。最初は忘れていたから話しかけられた時は何事かと思ったものだ」
そう言ってがっはっはと豪快に笑ってみせた。人間だった頃の南造は、こちらにふらっとやってきた時ちょっと困ったことになっていた新兵衛を助けた。困った様子の彼を見たら放っておけなかったのだ。新兵衛はお礼にと肉煙染に誘ったが、南造は断った。だが断ってからもそれがどういうものなのか気になってしまい、その思いに囚われた結果死後『とはなんぞ』という妖となり、桜村を中心に現世を彷徨っていた。桜村奇譚集に載っていた話は本当だったのだ。
ただ彼が見かけられなくなったのは、真実を知って成仏したからではない。真実を知った、という部分はその通りなのだが彼は今もこうしてこちらの世界でのんびりと生きている。
「こいつは死んでからもあんたが言っていた『にくえんぜん』が気になっていた。気になりすぎて妖になって、人間ににくえんぜんとはなんぞと聞きまくっていたんすよねえ。人間が知っているわけねえのになあ」
と弥助が肩をすくめると、南造は恥ずかしそうにしながら体をすくめ。それからぽりぽり頬をかいた。
「いやあ……確かに妖に聞けば答えを聞ける可能性は高いですが。私は答えを知ることを望みながら、一方で答えを知りたくないもあったんです。もし恐ろしい答えが返ってきたら嫌だし、なんだそんなつまらないものだったのかとがっかりするのも嫌で……。答えを望みながら、避け続けていたんです。……まあ弥助さんに問いかけた瞬間、そんな相反する気持ちに悶々としながら生きる時間も終わったんですがね」
「まあな。あっしを人間だと思い込んで問いかけちまったのが全ての終わりで、それでもって始まりだったってことだな」
「山男が時々山を下り、自分は人間と偽って桜村で人間と一緒に人間として生きる……って話は確かに聞いていましたよ。でも本当かどうかなんて分かりませんでしたし……しかも弥助さん山男じゃないですよね?」
「まあ化け狸っすが。一部の人間以外には特に自分が狸だとは言わなかったっすからねえ……。で、何か結局人恋しさに時折山を下りてくる山男ってことになっていた。まあ元々山に住んでいた狸が化けた男だし、山男でもある意味間違いではない気はするっすが」
弥助は度々今と同じように桜町などで人間を名乗り、人間として生きた。人恋しさに、人を求めて、何度も、何度も。そしてその一つ一つを彼はよく覚えていた。妖というのは桜村に混沌ばかりもたらしていたが、彼が拒絶されたことは一度もなかった。昔は一目見て村人達は彼が人間ではないことを悟っていた。しかし全員にとは言わないがいつも彼は人に好かれ、受け入れられた。気さくで、心優しい性格であったし、また彼は妖らしくない妖で、接している人々は時々彼が妖であることを忘れる。時を経て彼はどんどん人間くさくなり、今では彼を妖だとすぐ見抜ける人間の方が少ない。それでも彼は妖だし、どうしたって本物の人間にはなれず、人間とは違う世界を生きている異形である。
南造に声をかけられたのは、畑を耕している時だった。人間くささが大分増していた彼を南造は人間だと思い、にくえんぜんとはなんぞと問いかけてきたのだ。妖が人間の住む村で畑を耕している訳がないとも思っていたのだろう。しかし彼は化け狸であり、人として過ごしている時以外は妖の住む世界で生きており、肉煙染にも何度か参加していた。だから彼は即答し、彷徨う意味を無くした南造をこの世界へと連れて行ったのだった。以後南造はここで暮らしており、この森で再会した新兵衛とは良き友人となっている。
「最初は答えが返ってきたことに呆然としながら『この人間は適当なことを言っているのだ』と思いましたよ。貴方が妖であることも信じられなかった。弥助さんほど妖らしさを感じない妖も珍しいと思います。元人間だった私より人間らしい位だ」
そう言って南造はくすくすと笑った。確かにそうかもしれないっすね、と弥助は答える。外見も南造より余程人間らしい(人間に化けているのだから当然で、本来の姿と比べれば南造の方が近いのだが)。
「ま、偶に自分でも忘れちまう位っすからねえ。そんなだから本来の姿に戻れなくなっちまったんすよ」
「戻れなくなって大分経ちましたか」
「……大分。十云年だか前に一度戻ったことはあったっすが……人間に化け直してからは結局。まあ狸の姿に戻れなかったからといって困ることはないっすがねえ」
と言って笑う。だが自分が狸であったことは永遠に忘れない、忘れてはいけないことだとは思っていた。
目の前にいる南造は、いつか人間であった時のこと全てを忘れてしまうだろうか。それもまた決して悪いことではないだろう。
弥助は彼等の注文した肉を少し分けてもらい、それを食いながらしばらく喋ってから別れた。
(へへっ、さくらもまさか桜村奇譚集に載っていた『とはなんぞ』が、かつて肉煙染に誘った妖と友達になって、ここで仲良く肉を食っているなんて思いもしていないだろうなあ。あいつに教えたら、そこへ連れていけってあっしがうんと言うまで頼み続けるに違いない。あいつをこっちまで連れていく暇があったら肉を食う。それにあそこには馬鹿狐がいるしな)
だからさくら達のいる所にはいかない。後日話して彼女を思いっきり悔しがらせるとしよう、とにっしっしと悪戯小僧の笑い。
鞍馬や豊玉は先程までと変わらぬペースで肉を喰らっていた。テーブルの上に並べられた肉料理を見て、弥助は苦笑いする。
「何か大焼肉会じゃなくって、大生肉会になっているっすねえ……」
「何だ、帰ってきたのか。別に戻ってこなくても良かったものを」
「酷いこと言わないでくださいよ鞍馬の旦那。……ああ、綺麗な姉ちゃんと二人きりの肉会を楽しんでいたかったと。柳の姐さんという想い人がいながら、この浮気助平……ぐは!?」
などとからかえば、飛んできますのは箸。彼の手にかかれば容易に凶器になり、弥助のおでこから血がたらり。無駄に丈夫な弥助だからそれ位で済んだが、人間がまともに喰らえば即死していたことだろう。その場にしゃがんで悶絶する弥助を無視し、鞍馬は箸の替えを注文した。豊玉は弥助になど見向きもせず、肉寿司をもぐもぐ食べている。彼女が今食べているのは白いシャリの上に乗った生肉。赤いお肉いっぱいに入った桜色のさしの美しい。それを醤油にさっとつけて口の中に入れると、すうっと溶けていく。甘い脂と肉の風味が口の中にふわっと広がった。肉寿司には他にも赤身、生レバー、炙り、馬肉等があり、どうやらこれらを順番に食べているらしかった。緑色の細長い皿には十貫のっているが、彼女にとっては『つまむ』という範囲にさえ入らない位の量。その皿が十枚積まれていたが、幾らか空になった皿を返している可能性もあり、食べたのは十皿どころではないのかもしれない。
大生肉会、と弥助が称した通りテーブルの上は生肉料理で埋め尽くされていた。豊玉は寿司をひょいぱくっと食べながら、肉膾(所謂ユッケ)にも手を出す。深皿に盛られた、細切りにされた牛生肉。その上にはゴマとネギ少々、それから卵の黄身。ごま油や醤油、唐辛子味噌、砂糖等で作られたタレでそれらをあえて食べる。橙色の黄身を割った瞬間、彼女は恍惚の表情を浮かべる。
「嗚呼、罪悪感さえ覚える程の幸福な気持ち……! 私、こういう赤みの強い卵の方が好きなのよ。別に黄色でも橙でも味が変わるわけじゃないんでしょうけれど、何か気持ちこっちの方が美味しそうなのよねえ。この赤いお肉にとろっとろの黄身が絡まって……後ごま油最高よね、ごま油。この香り、私大好き」
甘辛のタレ、ゴマの香り、濃厚な黄身の味にも負けぬ肉の味も楽しみつつそちらを平らげ、また寿司に手を出して、今度は鶏刺し盛り合わせを食べだす。更に盛られているのはササミ、ハツ、砂肝、レバー、胸肉のタタキ。薄桃色から赤までの、美味しそうで美しい肉のグラデーション。これをショウガやにんにくを入れた醤油につけたり、ごま油につけたりして食べるのだ。ぷりっぷりの、程よい弾力のあるお肉はそれ自体に旨味やコクがあり、噛んでいるとじゅわっとそれが溢れるのだった。他にもタルタル、と呼ばれている食べ物だ。これは人の世界でいう『タルタルステーキ』で、生の牛肉を細かく切ったものをオリーブオイルや塩コショウで味つけし、みじん切りした玉ねぎやケッパー、ピクルス等を添え更に卵の黄身を上に落としたものだ。焼く前のハンバーグ……生ハンバーグという言葉がよく似合う料理だった。
一方の鞍馬が一人抱えている大皿に綺麗に盛られているのは馬肉の赤身だった。艶のある濃い赤の肉、それを葱や生姜やニンニクといったお好みの薬味と一緒に甘めの馬刺し用の醤油につけて食べる。柔らかいながら弾力もあるその肉を噛むと、じわっと広がる甘みと馬独特の風味で脂はあるがさっぱりしているから食べやすい。そのあっさりながら旨味はたっぷりの肉は一度口に入れると箸が止まらない。あんまり美味しそうなので弥助も思わず馬刺し盛りを頼んだ。こちらは赤身だけではなく、様々な部位の盛り合わせだ。部位によって違う味を楽しみつつ、酒を飲む。
こちらの世界にだけ生息している動物の生肉を使った料理なら、例えば辛ダレ漬け肉。『カタブツ』と呼ばれる動物の、非常に噛み応えのある生肉を醤油やニンニク、ネギ、唐辛子味噌等を混ぜて作ったタレにじっくり漬けこんだものが壺にびっしり入っている。これを延々と、味がすっかりなくなる位まで延々と噛んでいるのが楽しい。最初はタレの味、噛むと肉の味、噛み続ければその二つが綺麗に混ざってきて飲み込むタイミングを見極めるのが難しい位、ずっと噛んでいてしまう。他にはパンの上に『トリエアブラ』の生肉と脂、玉ねぎを刻んだものを和えて塩コショウで味つけたものを載せた『パンの生肉のせ』。ドイツにこれによく似た料理がある。トリエアブラの肉は脂身が最も美味いと言われていて、甘みや旨味がぎゅっと詰まっておりまた意外とあっさりしている為、この脂だけを食べる者も少なくないし、実際メニューの中にもそれだけを皿に盛ったものがある。
馬刺しの盛り合わせを食べた後、弥助は目の前にある赤い大きな塊の肉(こちらも生である)を切り分け、にんにく醤油につけて食べている。これを注文した際他にも様々な味のタレが来て、適当に切ってはつけたいと思ったタレに漬けて食べる。色々な味で肉を楽しむには最適なメニューだ。それを食べながら先程から一切使われていない網の方を見て苦笑いした。
「あっしらさっきから生肉しか食っていないっすね。肉を焼く煙をうんと出すための催しだってのに、さっきからあっしらの網からはちっとも煙なんて出ちゃいねえ」
「良いではないか、別に生肉だけを喰らっていてはいけないという決まりもないしな。元より我は生肉の方が好きだ。……別に我等が肉を焼かずとも、他の連中が焼いているのだから何も問題はない。一人二人が焼かなかったからといってくたばるような木でもあるまいし」
「そうよ、何も気にせず私達は只管食べたいお肉を食べたいだけ食べていればいいのよ。私今は生肉を食べ続けていたい気分なの。ま、どうせしばらくしたらまた焼いたお肉が食べたくなるでしょうけれど」
彼女は肉寿司の皿を只管食い(時々別の料理を挟みつつ)、皿が邪魔になれば箱に入れて転送し、食っては転送しを繰り返している。一体今までに何貫食べたのか、弥助にも鞍馬にもそれどころか本人にさえ分からないのだった。
「焼肉も美味いが、やっぱり生肉も最高っすよねえ……!」
「俺は焼肉の方がずっと良いと思うけれどね」
いつの間にか真向かい――豊玉の隣に座っていた一人の少年に、三人は一斉に視線を向けた。外見上は十二、三歳位で肩程まで伸ばした黒髪は光を受けると緑青色に輝く。濃い緑の着物を着ていて、さも当たり前の様にそこに座り、鼻緒が緑の草履をはいた足をぶらぶらさせていた。
「折角の肉煙染なのに、生肉ばっかり食べるなんてあんまりだよ。生肉は焼けば煙を出すけれど、焼かなければ何も出しやしない。俺達が欲しいのはね、肉じゃなくて肉を焼く煙だよ。肉を煮る時に出る湯気でも構わないけれど、あれは味が落ちるからね。やっぱり煙が一番さ。そりゃあ確かに君達三人ばっかりが肉を焼かなかったからといって死ぬ俺達じゃないし、君達が何を食べようと自由さ。……全く、何故樹守達は生肉料理をこんなに沢山提供しているんだ。焼肉だけ出せば良いのに。あんまり食べすぎると俺達の体の毒ってことなのかな、やっぱり」
「どんなものでも食いすぎは良くないからな。まあ単純にどうせならあらゆる肉料理を出してやれって感じの気持ちなんじゃないっすかねえ?」
この少年の名前を弥助は知らないし、初対面だ。だが彼が何者であるかは、ここにいる全員が察している。彼いや彼等――肉を焼く煙を糧に生きる木々――は時折こうして本体である木を離れ、人の形をとって肉煙染参加者にちょっかいを出すのだ。そういうことがあるのをここにいる妖達は皆承知しており、皆彼等を歓迎するのだった。
少年は頬杖をつきながら弥助達が肉を喰らう様子をつまらなそうに眺めていた。
「ねえ、お肉って美味しいの」
「そりゃあ美味いっすよ、焼いても煮ても生のままでも。魚も好きだが、肉も好きっす」
「美味いと思ったものしか我は食わぬ」
「この世にある食べ物っていうのはね、なんだって美味しいものなのよ。少なくとも私はそう思っているのよ」
三人はそう答えたが、矢張り少年にはピンとこないようだった。
「ふうん、そうなの。俺はその塊を見ても、それ自体を美味しそうだとはやっぱり思わないな。俺達が食べるのは肉を焼いた煙か、肉を煮た時とかに出る湯気位でそれ以外のものは食べないし、食べられない。肉を見た時に思うのは、肉自体が美味しそうだな不味そうだな、じゃなくて『あの肉は美味しい煙を出しそうだな、あまり美味しくなさそうだな』っていうことなんだよね。他の食べ物は見てもそういうことさえ考えられないから、皆にとっては『美味しい食べ物』だけれど俺達にとっては只の物体。肉も煙を出す為の道具って感じ。そもそも形あるものを食べるって概念が俺達にはないから、あんた達と気持ちを共有出来ないんだよねえ」
「あっしらにとっては食べ物でも、あんた達にとっては違うものだもんなあ。モノの価値も、それを見てどんなことを思うかも生き方ひとつで大きく変わっちまうから面白いもんだ」
「そうだね。逆にあんた達にとって肉の焼く煙は食い物じゃないから、煙を美味しそうだとは思わないんだよね。……ところであんた達、今日は最後までずっと生肉を食べているつもり? 折角遊びに来たのに、ただ食事風景を見ているだけじゃつまらないよ。他の奴のところへ行けばいいじゃんってのは無しだよ。ねえ、俺はねホルモンとかいいと思うんだよね。辛味噌でもタレでも塩でも、どれでも良いよ。牛カルビなんかもなかなかだね。向こうで食べる時は全部の煙が混ざってしまうけれど、ここで食わせてもらえばその煙だけを楽しめる」
つまり、何か肉を(出来ればホルモンや牛カルビ)を注文しろと催促しているのだ。そして彼等にそうせがまれたら必ずその通りにしてやる、というのが肉煙染において暗黙の了解となっていた。特にそういうものがなくとも、彼の穢れなきキラキラとした眼を向けられて懇願されたら誰だって「分かった」ということだろう。しょうがねえなあ、と弥助は笑いながらホルモン等彼が好きだと言ったものを次々と注文していった。そうすると少年は満足げににっこり笑い「ここに来る人達は皆ちゃんと心得てくれているからありがたいね」と言い、それから素直にありがとうと礼を言うのだった。
「やっぱりね、やっぱりこの煙が最高なんだよ! 嗚呼美味しい! 生きているって素晴らしい!」
肉焼く網が発する煙を吸い、恍惚の表情。彼の目は肉などまるで見ていなかった。少年を満足させたところで弥助はご飯の上に焼いた辛味噌味のホルモンを載せ、ばくばくと食べる。鞍馬や豊玉も仕方ない、と少年の為そして自分の為に肉を焼き続けていた。羊肉に、味噌漬けの豚肉、極厚カルビ等など。肉を焼きながら弥助達は少年と色々話をした。この森の外で起きている出来事等が主で、彼等がこうしてちょっかいを出しにくるのは自分達が決して足を運べない世界のことについて話を聞く為でもあるのだった。彼等は自分の本体がある場所からそれほど離れられないから、森以外で起きた出来事、あるモノ、暮らし等については妖達から聞くしかないのだ。妖が大嘘を吐いても彼等は信じてしまうが、出雲レベルで性格が悪い奴でなければそういうことはしない。彼等の純粋な瞳は、嘘を許さないのだった。弥助があれやこれや日々の暮らしについて話してやると、少年はとても喜んだ。鞍馬と豊玉は肉を焼き、食べるのに夢中で弥助ほど話はしなかったが、先程までに比べるとやや多弁になっていたかもしれない。
少年はしばし話をし、煙を堪能すると「それじゃあそろそろ」と立ち上がる。
「お、もういいんすか?」
「本当はずっとここでもぐもぐしていたい位だけれどね。でも俺だけが楽しんでいちゃ悪いもの。ここの煙は皆のものだからね。それに長時間体から離れているのはあまり良くないんだ。それじゃあお兄さん達美味しい肉の煙をありがとう。今日は死にそうになるまで楽しんでいってね、俺ももういらないって思うまで楽しむつもりだから」
そう言うと瞬き一つする間に彼の姿はかき消えた。文字通りぱっと煙の様に。ぱっと現れ、ぱっと消える、それが彼等だった。
「まあいつものことだよな、あいつらの神出鬼没っぷりは。……ま、いいや。あっしらは焼肉会を進めれば。死にそうになるまで食ってやるっすよ!」
「そのまま死んでも構わんぞ」
「ひでえよ鞍馬の旦那!」
「貴方が死んだらこの場でかっさばいて食べてあげようかしら」
「怖い!」
「冗談よ」
「お前が言うとその冗談も冗談に聞こえないんすよ……」
と弥助はがくり。
それからも彼等は朝方まで只管食べ、飲んでいた。大きな鉄串に牛肉や豚肉、鶏肉の塊を刺して荒塩を振りかけて焼いたシェラスコ。それを適量切り落としてもらって食べるなんてみみっちいことはしない。彼等はその串を丸々、しかも何本も焼き鳥でも食べるノリで食べる。串に幾つも刺さった牛の大きな塊に弥助が豪快にかぶりつく。こういう料理が、食べ方が彼にはとても似合っていた。噛みちぎられた肉、まだ赤みの残る部分が露わになる。みじん切りしたトマト、玉ねぎ、ピーマンと塩とワインビネガー、オリーブオイルで作られたソースをつけると、絶品だ。バルサミコソースをかけた子羊のソテー、ぱりっぽりっという音が小気味良いウインナー、自分で焼いた肉をのせて食べる焼肉ラーメン、味噌の香りが食欲をそそる、白米と食べるのが最高に美味しい牛肉の味噌漬けステーキ、鶏の丸焼き、壺漬けハラミ、醤油ラーメンや豚骨ラーメンもあり、こればかりを只管食う客もいると言われている。
一日だけで、いったいどれだけの数の動物の肉が妖達の胃の中へ消えていったのだろう?
朝が来る頃には弥助も鞍馬も「当分肉なんて食いたくない、見たくもない」と嘆く程腹をいっぱいにしていた。豊玉だけは彼等以上の量を食べたにも関わらずまだ余裕があるらしく「口なおしに甘味処へいかない?」などと言って二人を誘ったが、もう水一滴さえ入らないとこれを拒否。彼女だけが意気揚々と甘味処を目指し歩いて行った。
「今日が仕事休みで本当良かったっすよ……あったら勤務中にゲロ吐いていたかもしれん」
「我も今日は一日山で寝ているとしよう。あまり動くと体の中に詰まっている肉全てが口から出そうだ」
二人共帰りながら何度もしばらくの間は肉は食わない、と連呼していた。
が、三日後にはけろりとして橘香京にある焼肉屋へ行った二人だった。そして他の、肉の食いすぎで屍の様になり同じように「肉は当分食わない」と誓った妖達もまた同じように数日後には死にそうになるほど肉を食ったことを忘れ、肉にかぶりつくのだった。
紗久羅や奈都貴達も肉煙染から帰ってしばらくの間は「肉なんて当分見たくもない」と言っていたが、矢張り数日後にはけろりとしていた。死ぬほど食ってもまた食いたいと思う、それがお肉なのだった。
森を作る木々達も、しばらくは「当分煙を食いたくない」と思う程煙をたっぷりもぐもぐしたが、矢張りすぐけろりとして次回の肉煙染に思いを馳せるのだった。