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桜町幻想奇譚  作者: 里芽
にくえんぜん
344/360

にくえんぜん(3)


「おう、おう、網の上がキャンプファイヤーになっていやがる」

 三人の網の上は今、上る火で真っ赤になっていた。火がそれ程元気なのは、ホルモンを焼いているからであった。といっても種類は三人共違い、弥助はミックスホルモンの味噌ダレ味、豊玉はミノの塩、そして鞍馬は丸ごとマルチョウ。辛味噌に漬かったマルチョウが丸々一本網の上に鎮座し、ごおおと焼かれている様はなかなかのインパクト。人によっては見ただけで「うわ、グロい」と苦々しい顔をするだろうが、少なくとも鞍馬や弥助はそう思わない。仮にグロテスクだと思っても、美味ければ何の問題もない。不味くなければ見た目の美醜など問いはしない。見た目が気持ち悪いといって最初から食べない人というのは人生損している、とは豊玉の言葉。旨味たっぷりの塩だれで味つけされたミノをもぐもぐと食べながら、彼女は網の上に渦状に置かれたマルチョウをじいっと見つめていた。


「何かトグロを巻いている蛇みたい。なんて言ったらヘビの丸焼き食べたくなっちゃった。久しぶりに食べてみようかしら。……あ、唐揚げがきたきた」

 思い立ったが吉日、と注文用紙を手に取ったところで彼女が頼んでいた鶏の唐揚げが到着した。茶色の唐揚げが皿の上に山の様に積まれている。揚げたてほやほやで、そしてうっとりするほどカラっと揚がっている。

 醤油や生姜、ニンニク、林檎等で作られたタレに漬けられた鶏肉を揚げたもので、ぱくっと食べると生姜やにんにくの香りががつんとくる。そして醤油の風味がふわっと広がるのだった。肉は柔らかく、だが適度な噛み応えもある。そしてタレにじっくり漬けこまれていたこともあり、中まで味が染みていた。噛めば噛むほど味が出、いつまでも豊かな香りを楽しむことが出来る。それに噛むことで鶏肉本来の味も楽しめるから、飲み込むのが惜しくなってしまうわと彼女は笑った。最初は単体で食べ、白米と一緒に食べたり、カルビを巻いて食べる為に頼んでいたカキチシャの残りに巻いて食べたりした。そして残り十個程になったところで別添えのレモンを絞ってさっとかける。


「何だ貴様、唐揚げに檸檬をかけるのか」

 焼けたマルチョウを適当に切っていた(少し切ったところで面倒になったのかやめたようだが)鞍馬がそれを見て酷いものを見た、と言わんばかりの目を向けた。


「気分によって変わるわねえ。最後までかけないこともあれば、最初からかけちゃうこともあるわ。無くてもよいものだけれど、かけたい気分の時に無いと悲しいものだと思うわ、檸檬って」


「我は揚げ物にかけるのは好かんな。特にそういう唐揚げには、檸檬はおろか卵酢(この世界でいうマヨネーズ)などもかけたくないものだ。下手に味を付け加えず、そのままで喰らいたい」


「まあ、そういうこだわりも理解出来るけれど。でも檸檬や卵酢をかけて味を変えて食べるのもなかなか楽しいものよ? 卵酢に七味混ぜて食べるのも結構好きだったりするわ」


「レモンかける、かけない戦争っすねえ。人間もかける派、かけない派に別れているっすよ。後、居酒屋とかに複数人で飲みに行った時に鶏の唐揚げを注文したら、メンバー……ええと一緒に飲みに行った奴の一人がやってきた唐揚げに勝手にレモンを振りかけた、この行為は許せるか許せないか、とか」


「……勝手にかけるとは、何と身勝手な屑だ。自分が檸檬をかけて食いたいなら自分の分だけにかければいいではないか」

 元々レモンをかけるのは好かない鞍馬はマルチョウをご飯と一緒に食べながら、その「勝手にレモンをかける人間」に対し嫌悪感を示す。元々怖い顔がますます怖く、大抵の人間はぱっと見ただけで大泣きすることだろう。


「まあ、確かに好き嫌いあるし、無断でかけちゃうのはどうかと思うけれど。でもまあそれもその人なりの気遣いなのでしょうね」


「小さな親切余計なお世話ともいうぞ。それにしても人間共というのは、こんなことで戦などするのか。全くくだらぬ、愚かな、醜い生き物よ。何でも茸とタケノコどちらが好きか、ということでも戦になるというではないか」


「いや、戦争っていうのはモノの例えで……実際は論争といいますか。人間だっていくら何でもそんなくだらないことで戦争なんてしないっすよ」


「ふん、人間というのはいつだってくだらぬことで戦をしているではないか。全くだらぬことで命を落とすことが趣味の、低俗な生き物だ。勿論我等妖にそういう者共がいないとは言わないが、人間よりは少なかろう。くだらぬことがどれ程いらぬ力を使い、命を削るものか我等は知っているからな。我は人間は好かん。愚かで、醜く、弱く、汚らわしい」

 相変わらず人間には厳しい鞍馬だった。そのくせ彼等の築いた文明に興味を示すこともあるし、自分がまだ多少は人と接することもあった時代にはなかった、ケーキやカレーといった横文字料理に大して好奇心を抱き、食べようとする(橘香京でもそういったものは食べられるが、変な意地があるらしくそ店では頼まず、代わりに弥助を利用して入手し、食べるのだった)。

 弥助はその心底人間を嫌っている様子の鞍馬を見て苦笑した。


「まあでも、あっしは人間の弱いところもまた愛しいと思うっすよ。勿論程度にもよるっすが」


「そんな人間の好き嫌いなんてどうでもいいから、お肉食べましょうよ、お肉。ほうら、ほうら。私はおしゃべりするよりも食べる方が好きだわ。口とはおしゃべりする為ではなく、食べる為にあると思うのよ」

 と言って彼女はミノをぱくぱく。そして更にぼんじりまで焼いている。塩とタレどちらも頼み、焼いたことで程よく焦げ目がついて美味しそうだ。口に含めば旨味たっぷりの脂、ぷりぷりでもちもち。まあ確かにそれもそうだ、と鞍馬もマルチョウを喰らう。それをあっという間に食い終えると、今度はハツを焼きだす。こりこりと、そしてさっぱりとした味。それを食べ終えると今度はハツ刺しを食べだす。彼も元々お喋りな性格ではないし、それが人間に関する話なら尚更だ。弥助も今はおしゃべりよりも肉を食うことに集中したかった。全く豊玉以外の二人ときたら、肉、肉、肉と肉ばかりで野菜を食べやしない。今日は美味しいお肉で腹の全てを満たしたいと思っているのだ。ほんの少しの野菜さえ入れることも許したくないのだ。肉が一切入っていないもので食べたのといえば、にんにくのバター焼き位。それでも胃はもたれていないらしい。元々そういうのには強いし、また脂など酒さえ飲めば全部洗い流されると信じているようでもある。

 彼等は一心不乱に肉を食い続けた。肉を食わなければ死ぬ、と言わんばかりに。


「そうら、すき焼き様のご登場だ」

 ここでは焼肉以外の肉料理も沢山楽しめる。転送装置である箱に入っていたのはすき焼き鍋と牛脂、やや遅れて生卵と、肉や野菜や白滝がうんと盛られた皿もやってきた。弥助はまずすき焼き鍋の下にある装置に火をつけ、鍋を温める。しばらくしてから箸を使って、牛脂を上に滑らせる。そうして溶けた脂を見ているだけでわくわくする。脂を敷いたら大きく薄い肉を入れて焼く。それが焼けたら軽く味をつけ、まずは肉だけをいただいた。口の中でとろける肉、その風味と脂の味を楽しんでから再び肉を入れ、更に火を通したらうんと甘くなりそうなネギを投入する。更に白菜を入れ、ある程度焼いたら割り下を入れる。そしてシラタキや椎茸、春菊も入れる。シラタキと肉は接しないよう気をつけて。調理方法は地域や家によって変わるだろうが、弥助は大体このような手順で作っていた。彼は陶器のお椀に生卵を落とし、その橙色の綺麗な黄身と白身をかき混ぜ、そこに肉を絡ませた。黄身が絡まった黄金色の肉を見ると思わずニヤニヤしてしまう。


「我は生卵をつけず喰らう方が好きだな」


「そういう人も多いっすよね。卵が苦手だからとか、肉の味とかを楽しめなくなるからとか色々理由はあるっすが。でもあっしはすき焼きといったら生卵! これがないとすき焼きじゃないとさえ思ってしまうんすよねえ!」

 じゅるっと吸い込むように食べた肉は、他の野菜と煮て更に生卵をつけたことでそのまま食べた時とはまた違う味わいだった。シラタキをまるで麺のようにずずる、とすすり、しゃきしゃき感残る春菊や葱を喰らい、良い香りのする椎茸をもぐもぐと。途中生卵を追加しながら大量の野菜と肉にむしゃぶりつき、そしてあらかた食べ終わったところで頼んでいたうどんを入れ、生卵をさっとかけて〆の美味しいうどん。かえって自分はこれの方が好きなのかもしれない、これを食べる為にすき焼きを食べているのかもしれないとさえ思う弥助だった。野菜や肉の旨味がたっぷり入った汁を吸った熱々のつるつるおうどんをずるずると豪快にすすり、それが終わったらまだ食い足りないと今度はご飯を入れて食った。


 その間に鞍馬は鳥もつ煮を食べていた。砂肝、ハツ、レバー、キンカンを醤油や酒で煮込み、そこにししとうを添えたもので、甘辛い味がたまらない。それをつまみに彼は酒をぐびぐびと飲んでいる。全く彼等ときたら箸の止まることがなく、三人の中で一番大食らいである豊玉も今は先程言っていた蛇の丸焼きを食ってから、皮がぱりっぱりの、野菜が沢山詰まった鶏の丸焼きをぺろりと平らげる。とても今まで散々食べてきた者とは思えぬ程あっという間に、まさに種も仕掛けもないイリュージョン。そして今はライスバーガーを食べている。ライスで作られたバンズとトマトやレタスといった野菜がセットでやってくる。肉は別途に自分で頼むので、好きな肉を挟むことが出来る。豊玉はこのセットを三つ(ちなみに一セット辺りバンズが三組)頼み、タレ味のカルビやネギ塩カルビ等それぞれ違う肉を挟んで食べた。トマトはさっと焼いてみたりもして。肉に味がついており、ご飯も仄かに味つけされているので何も余計なものはつけずにそのままかぶりつける。

 

 弥助の背にあるテーブルから、火柱が上がる。誰かが業火牛でも焼いたのだろう。大きな塊で出てくるこの牛肉を網に乗せて少しすると、天を突きさすかの如き火柱が必ず上がるのだ。肉は一瞬で焼け、しかも焦げていない。味は普通の牛肉と別に変わりはない。ただごうっと上がる火柱を見てぎゃははと笑う為だけに品種改良を重ね作られた肉である。


 こちらの世界には、まず人の世にはないような珍妙なものが数多くある。昔からここらに生息しているものもあれば、くだらない者を作りたい一心で品種改良を重ねたことで生まれたものもある。例えば腐ってもいないのに納豆のごとくねばねばの糸を引く(一応若干クセはあるが旨味成分はある)肉とか、口に含むとぱちぱちと弾ける肉とか、食べると胃の中で声のようなものを発する肉とか、味は格別だが見た目はグロテスクな、まるで幾つもの動物の遺骸を寄せ集めて作ったモンスターの様な色形の肉とか。肉に限らず、こういう珍妙なものは沢山あるのだ。こういうくだらないものは海の外に住む妖達の方が作るのは得意だった。


 弥助が焼きだしたのは、外国の妖が品種改良を重ねて作った非常にくだらない鶏の肉。この鶏はバカオドリという。踊りが好きな鶏で、生まれてから死ぬまで延々と愉快に鳴きながら踊っている。そして彼等は死んで尚踊ることをやめない。細長く切られた彼等の肉は、網の上に置いた途端くねくねと動き出した。縦に、横に、時には回転し、跳ね。その激しさは熱いものの上に置かれた鰹節の比ではなく、生きているとしか思えぬ程である。そんなに動くものだから均等に火を通すのはほぼ不可能に近いが、生で食べても問題ない肉だから、生焼けの部分があっても気にはしない。一応ある程度火が通るとおとなしくなる。これを人々は食べ頃、ではなく『死に頃』と呼んでいた。


 妖達はしばらくの間は自分のテーブルで仲間と適度に騒ぎながら肉を食べることに専念しているが、中には徐々に肉を食べることに、そして椅子に座りっぱなしでいることに飽きてくる者もいる。これだけ大勢の妖がいるというのに、誰とも絡まずただご飯を食べているだけでいるのはあんまりつまらないと感じ、気分転換に一旦席を離れ、誰かにちょっかいをかけに行ったり、他のグループの会話を聞いたり食いっぷりを見に行ったりする者がちらほらと。

 弥助も今までは食うことに集中していたが、食べることも好きだが誰かとぺちゃくちゃ喋ったりするのも好きなので、ちょっと遊びに行ってくるかと立ち上がる。元々寡黙な方の鞍馬と、喋る暇があったら食べる、がモットーの豊玉は話し相手にはならないだろうから。


 わいわいがやがや、じゅうじゅう。わいわい、がやがや、じゅう、じゅう。声と音、煙と臭いのごった煮、ぐつぐつ煮込まれて、きっと口に入れたなら大層賑やかでその癖妙にまとまりがある味がすることだろう。こういった場というのは、そういうばらつきとまとまりどちらも併せ持っているものだ。

 会場内の煙の量もなかなかだったが、会場を取り囲む森はそれ以上だ。何も知らない者が見れば、山火事でも発生しているのかと思うに違いなかった。或いはうんと高くまで降り積もっている、えらい匂いのする白雪。木々の輪郭さえ遠くから見ると見当たらず、無数の木がそこに生えているのだとは俄かには信じられない位だった。あの中を帰らなければならないのか、と思うと少しうんざりしたが今はそのようなことは考えずとも良いだろう。


 弥助は適当にぶらぶらしながら知り合いや、面識のない妖に声をかけたりかけられたりしていた。元々このような賑やかな場に来ている妖だから、一定の社交力はあり、初対面の者とも普通に会話出来る妖は多かった。しかしそれでも話しかける相手選びは慎重に行わないといけなかった。知り合いでも、元来は誰かとお喋りすることが好きな妖でも、肉を喰らうことに集中したいから今はあまりちょっかいを出してもらいたくないと考えている場合がある。そういう『今は邪魔するなオーラ』を発しているかどうかの見極めは大切で、見境なく話しかけるのは空気の読めない馬鹿のすることだった。


 それぞれのテーブルの様子を眺めつつ歩いていると、近くから「熊美ー!」という叫び声が聞こえた。あまりに大きな声だったので「何だ!?」と驚いてしまった。振り返ってみると、その叫び声の主は弥助がほんの数秒前に横を通り過ぎたテーブルに座っていることが分かった。座っていたのは巨大な熊――いや、正確には熊の皮を被った何者か(声を聞く限りだと男だろう)で、その男は熊美、熊美と何度も叫びながら隣に座っているえらく大きな鬼に掴みかかっている。ほんのり赤い肌をしたその鬼は、確証はないが恐らく女だろう。立ち上がれば弥助さえ小人になる程の背丈はありそうだ。縦もあれば横もある女で、その体は隣のテーブルの一部を浸食していた。彼女の両手には鍋がある。大きな彼女が持つと、鍋も茶碗の様に小さい。


「熊美、熊美、熊美ー!」


「だからこれは熊美じゃないっての! あんた熊は全部熊美なわけ!? 大体あんたの熊美はもうとっくに死んで皮だけになっているじゃないの!」

 どうやら彼女が手にしているのは熊鍋であるらしい。男は女の言葉を聞くと一瞬だけおとなしくなったが、それは嵐の前の静けさで。男は体を震わせ、おいおいと泣き出した。


「死んだ、死んだ……熊美、熊美、熊美ー!」


「嗚呼もううるさい! ちょっとしがみつかないでよ、鍋が食べられないじゃないの!」


「ふくよ、あんた青一郎をいじめるのやめなさいよ! うるさくてかなわないわ。全く、彼が熊を目にするとそうなっちゃうこと、分かっているくせに」

 ふくよと呼ばれた女が幾分浸食していたテーブルに座っていた男が、不愉快そうな表情を浮かべながらたしなめていた。ぱっと見は女だが、男で間違いないだろう。女の様な喋り方をしており、所謂オネエではないかと推察出来る。


「いじめていないわよ! 勝手にこいつがぴいぴい喚いているだけ。こいつに気を遣って好きな食べ物を食べられないなんて冗談じゃないわ!」


「おおう、おおう、熊美、熊美、俺の熊美ー!」

 ああもううるさい、ととうとうふくよは青一郎に凄まじい勢いの手刀を喰らわせ、物理的に黙らせた。彼女は「やっと落ち着いてお鍋が食べられるわ」と言って熊鍋を温めつつ食べだす。それを隣で見ていたオネエや、その他メンバー(どうやら鬼の集まりらしい)は明らかにドン引きしている。


「あんた乱暴なことするわねえ……ていうか起きたら起きたでまた騒ぎ出すわよ」


「そしたら『あたしが熊鍋を食べている夢でも見たの?』ってすっとぼけるわよ。夢って言い張れば納得するでしょう。それでも駄目なら力づくで納得させちゃうわ」

 と言って素振りを始める。青一郎とやらがすんなりと「あれは夢だったのだ」と思うことをただただ祈りながら弥助は歩き出した。なんだかよく分からないが、あの男にとって熊美というのは余程大切な存在だったのだろう。もしかしたら身にまとっている熊皮は熊美のものかもしれない。

 次に弥助の足を止めさせたのは、肉を食っていたやた吉とやた郎だった。弥助に気づくと、やた吉がぱあっと明るい表情を浮かべ、元気よく彼の名前を呼んだ。やた郎も隣で微笑している。


「おう、楽しんでいるか」


「うんと楽しんでいるよ。どいつもこいつも美味しいし、お酒もご飯もすすむ」


「今日は……鳥仲間と食っているのか」

 テーブルについているのはオウムと鶏と雉と孔雀の妖だった。皆やたら派手で個性的な格好で、原宿辺りに居そうであり、山伏の衣装に身を包んでいるやた吉とやた郎が酷く地味に見えた。テーブルの上にはハラミやカルビ、豚ロース、ネギ塩牛タン、レバー、、にんにくフライやかりっかりのフライドオニオンがたっぷりのったサラダ等が置かれている。その中で目を引いたのは、辛味噌に漬けた鶏肉と、同じく辛味噌をつけた鶏皮、タンドリーチキン風味のもも肉。そしてそれらをひょいひょい焼いて食べていたのはよりにもよって鶏の妖であろう男だった。


「……共食い」


「美味ければ共食いでもなんでもしてやらあ。俺、自分達の肉がこんなに美味いもんなんてただの鶏の時は知りもしなかったぜ。ま、それに今は俺は鶏の妖怪、鶏のバケモンだから正確にいえばもうこいつら鶏とは違うもんだ。俺を食ってもこいつらとは同じ味はしないだろうぜ。よってこれは共食いではない。似たやつを食っているだけだ」

 そう言ってこけっけっけと笑う。滅茶苦茶なことを言っているような気もしたが、本人が気にしてないのなら他人も気にしなくて良いことだろう。彼は実に美味そうに鶏肉を食った。鶏の頭をした男が鶏肉をもぐもぐ食べている様は随分と珍妙だった。


「弥助の旦那は今日は誰と一緒に食べているの?」


「鞍馬の旦那と豊玉っすよ」


「そうなんだ。てっきりおいら達、弥助の旦那は鬼灯の旦那達と食べているのかと」


「お前らこそ、くそ狐やさくら達とは一緒じゃなかったんだな」

 と言うとやた吉とやた郎は顔を見合わせ、乾いた笑いを浮かべる。その目はお互いの顔へ向いていながら、視線ははるか遠くにある気がした。


「……ここさ、烏の肉も取り扱っているからさ」


「旦那の気まぐれで共食いとかしたくないんだ……」


「あ、ああ……」

 確かにあの男ならやりかねないと弥助は思った。特にやた吉は余計なことを言って機嫌を損ねてしまうことが多いから、やた郎以上に食わされる可能性はある。彼等は鶏の妖と違い、共食いはしたくないようだった。


「気の置けない仲間と肩の力抜いてのんびり食う肉が一番美味しいよ……ねえ?」

 同意を求めるやた吉に、やた郎が静かに頷く。その生気のない表情と声が、今までに彼等が出雲から受けた仕打ちの数々の酷さを物語っていた。気まぐれであの馬鹿に呼び出されないことを祈りな、そう言って弥助はその場を後にする。

 知り合い初対面問わずあちこちにちょっかいを出しながら歩いていた弥助は、見慣れたいや見飽きた長く伸びる白い首を認めた。その首はうねうね動き、その先にある頭は狐面を被っている男のすぐ近くにあり、赤い唇を男の頬に寄せていた。その唇は今にも触れそうである。そして同じく聞き飽きた『艶』という言葉を胃もたれがする位ぶちこんだ声を発する。色っぽいを越して気持ち悪い、胃がむかむかする。


「ねえ鬼灯の旦那、今度来る時は二人っきりで来ようじゃないか。別に一度位良いだろう、あたしに甘美な夢を見せておくれよう。肉だよ、ただ肉を一緒に食べるだけだよ。何も淫らなことをしようってわけじゃあないんだからさあ。ううん、本当はそういうこともしたいけれど……そこまでは望まないよ。ね、ね、いいだろう? 旦那、一生に一度位は『うん』と頷いてくれたっていいだろう?」

 懲りもせず女――白粉は自分の真向かいにいる男――鬼灯の主人にアタックをしていた。彼の隣に座っている柳は困ったように笑いながら長ネギを豚肉で巻き、焼いたものを食べている。


「生憎だが、私は余程特別な事情でもない限り柳以外の女性と二人きりでどこかへ出かけることはないよ。例えそれがここであってもね」

 鬼灯の主人はいつものように白粉の誘いを断った。確かに彼が柳以外の女性と二人きりでいるところは見たことがない。いつも彼の隣には柳が居て、柳の隣には鬼灯の主人が居て。しかし白粉は納得していないらしく、嫌だい嫌だいと駄々をこねる。その姿はまるで可愛くない。


「鬼灯の旦那はお堅すぎるんだよう。ちょっと二人で食事に行ったからって浮気になんてなりやしないよ。柳の姐さんだって意地が悪いよ、あたしにちょっと良い思いをさせるのさえ許さないんだ。姐さんはそんな人ではないはずだよ。ね、ねえ姐さんからも言っておくれよう。一回位行ってやってもいいじゃないかってさあ」


「彼が嫌だと言っていることを、私がやれと言うわけにはいきませんよ」


「姐さんの意地悪! ねえねえ旦那、一回、一回でもいいからさあ!」


「もう、いい加減にしてくださいよ白粉さん。鬼灯のご主人、迷惑そうじゃないですか。食事の邪魔にもなります」

 隣に座っていた狢がたしなめると、白粉は彼女をぎろっと睨みつけしゅるしゅると首を戻し、狢の耳元で怒鳴った。


「うるさいねえ、これはあたしと旦那と柳の姐さんの問題で、あんたには関係ないよ! 余計な口出さないでおくれ!」


「ちょっと、そんなに怒鳴らないでくださいよ! というか唾飛ばさないでください、折角のお肉が台無しになっちゃいます!」


「唾が少し位かかっただけで駄目になるような肉なんてあるもんかい! それにねえ、あんたの場合はあたしみたいに色気たっぷり、ぷりんぷりんの乳を持っている人の唾をふりかけたものを食べた方が良いんだよ! 爪の垢煎じて飲むように、飯に唾ちょっとかけて食えばあんたの色気も貧乳もどうにかなるかもしれないよ。ついでに上手くいけば顔も出来るかもねえ? まあ顔なしが顔ありになっちまったら、あんたの申し訳程度にして唯一の特徴が無くなっちまうけれどねえ!」

酷い言いようだ、とめそめそする狢を放って再び白粉は鬼灯の主人に絡もうと首をにゅっと伸ばした。その伸ばした首を弥助ががっと掴む。鬼灯の主人と柳の二人には当然白粉の背後にいた弥助の姿は見えていただろうが、彼等は気づかぬフリをしていた。彼が白粉が次に首を伸ばしたらいつでも引っ掴めるよう準備していたのを見ていたからだろう。白粉は突然ものすごい力で首をはしっと掴まれたものだから「ぎゃあ!」と驚きと苦悶の表情を浮かべながら大声で叫んだ。


「へん、こんな所にただでかいだけのくそ不味いマルチョウが浮いてらあ」


「その声は狸公かい! ちょっと、離せ、離せえ! あたしの首に触って良いのは鬼灯の旦那だけだよ!」


「私は触りたいと思ったことは一度もないよ」

 と淡々と、それでいて人の心を深く抉る声色で。それを聞いた白粉も流石に大人しくなった。鬼灯の主人も散々食事の邪魔をされた為か、腹に据えかねている様子。恐らくここで弥助が手を出さなくても、鬼灯の主人が口を開かなくても、どの道いずれは同じく内心イライラしていただろう柳の絶対零度スマイルによって大人しくさせられていたことだろう。

 弥助は白粉の首から離した手を振り、三人に(白粉は無視して)挨拶した。


「よう、鬼灯の旦那に柳の姐さんに狢こんばんはっす。三人共肉、沢山食っているっすか?」


「そうだね、しばらくの間殆どものを食べられなかったがまたゆっくり食べられそうだよ」

 狐の面をつけた顔は弥助ではなく、白粉を向いている気がした。彼女は「旦那があんな冷たく……ああ、でもそこもたまらなく良い」とかなんとか小声でぶつぶつ言っているが、それでも大分堪えたらしく(静かでそれでいて激しい怒りに触れたことで恐怖も感じたのだろう)当分は大人しくしていることだろう。もしまたうるさくなったら柳がきっと大人しくさせてくれる。鬼灯の主人は白粉のせいで食べられなかった肉をせっせと焼きだした。


「君は今日は確か、鞍馬と豊玉と一緒に食べに来たのだったね。豊玉には久しく会っていないが、彼女は変わらずよく食べるかい」


「食べるっすよ、あっしもよく旦那には食うのが早いって言われるがあいつはそれ以上だ。気が付くといつの間にか食い終わっていたってことがしょっちゅうっすよ。早い上によく食べる」


「彼女はよく食べるし、とても美味しそうに食べる。私は美味しそうに、そして幸せそうにご飯を食べてくれる人が好きだよ。柳も初めて私の作った料理を食べた時、とても驚いたような顔をしてから、うんと美味しそうに食べてね。あの時の彼女はまるで幼子のようだったよ。元々一目惚れのようなものだったけれど、あの可愛らしい顔を見たらますます惚れこんでしまって。ふふ、懐かしいな。今じゃ随分とおとなしくなったけれど、私と会った当時は悪戯好きなやんちゃ娘だったっけね。あの時の彼女も可愛らしくて好きだったし、今の落ち着いた女性に見事成長した彼女も好きだよ」

 昔を懐かしむように鬼灯の主人が言うと、嫌ですね恥ずかしいと柳が珍しく頬を微かに赤らめた。そんな風に彼等が自分達の過去のことなどを話すことはあまりなかったから、正直驚きだった。もしかしたら白粉への当てつけかもしれず、実際彼女はおいおいと泣きだし「そんな惚気話聞きたくないよう!」と嘆いている。


「はっ! でも鬼灯の主人は美味しそうに、幸せそうに食べてくれる女を愛するって言っていた! ならあたしも幸せそうに、美味しそうに食べればいいんじゃないか! そうすれば愛してもらえるじゃないかあ!」


「いや、女とは限定していないし愛するとも言っていないし」


「そうと決まったらさっさと沢山食べなくちゃあね! それ、それ!」


「あ、ちょっと白粉さんそれ私が頼んだ肉盛りですう!」

 すっかり元通り元気になった白粉は狢が頼んでいた肉盛りを強奪し、それをさっさと自分の網の上へ置いていく。奪われた牛カルビやハラミやロースが良い音と匂いと共に焼けていく。本当にどうしようもない奴だと弥助は溜息をつき、鬼灯の主人と柳は「仕方のない人だ」と苦笑いするより他なく、狢は泣く泣く改めて肉盛りを注文する。しばらく話している内に、鬼灯の主人が頼んだらしいわさびステーキがやってきた。

 醤油ベースのソースで味つけされた、中がまだ赤いステーキの上にはわさびがのっている。口に入れると肉の風味と脂の甘み、醤油の香り、そして鼻をすうっと突き抜けるわさびの爽やかな辛み。チューブのわさびとは大違いの豊かな風味がたまらない。


「そういえば出雲はあの人間のお嬢さん達とここに来ているのだったね。あの元気なお嬢さんは今も元気かい」


「あの娘っ子が元気じゃない時なんて見たことないっすよ。他の奴等も元気っすよ。奈都貴には旦那も会っていたっすね、旦那の店で」

 ああ、あの時の少年だねと鬼灯の主人は懐かしむように言う。大きくなった彼の姿を見てみたいと思っているかもしれない。さくらはまだ『鬼灯』夫婦には会ったことがないはずだが、いずれ会うことにもなるだろう。出雲がいつかあの店に紗久羅達を連れていく気がしたし、そうでなくてもこういった催しが行われている場所で会う気がした。


(まあ、本来は人間がここに来るのは良いことじゃないんだが……あいつら、どうせ平気な顔して肉食っているんだろうなあ。幻想が現実の一部に完全になっちまっているんだもんなあ……それもこれもあの糞狐のせいだ)

 紗久羅は出雲によって鬼灯夜行へ連れていかれ、さくらは出雲に神隠し事件を解決してくれと依頼した際出雲に通しの鬼灯を渡され、奈都貴は妖の魔の手から助ける為とはいえ通しの鬼灯を渡され『向こう側の世界』へ足を踏み入れることになった。三人をこちらへ引き込んだのは彼で、今も三人を積極的にこちらで行われる催し事に誘ったり、京等へ連れて行ったりしている。一夜も始まりは骨桜による神隠しだが、出雲によってこちらに引き込まれた妹や幼馴染に誘われてこちらへ幾度か足を踏み入れている。そういう意味では出雲のせいでこちらの世界に深く関わるようになったといえるかもしれない。通しの鬼灯も出雲に渡されていることだし。そしてこの世界と深く関わった四人の存在は、異界の者を呼び寄せる装置になってしまっていた。それにより桜町やその周辺地域は今まで以上に混沌と化し、妖達が関わる事件が増えていった。それは彼等だけでなく、多くの人々を苦しめたり悩ませたりすることになる。

 それでも四人はここへ来ることをやめない、いややめられないだろう。ここがもつ見えない力は、彼女達を離さない。だから余計、出雲を恨めしく思う。彼が通しの鬼灯を四人に渡さなければ、もう少しまともな日々を送れていただろうに。


(あの糞狐に関わっちまったことが運の尽きか……)

 彼は昔も今も、あの町や三つ葉市、舞花市等に災いをもたらしている。間接的に、そして恐らく時には直接的に。本当にさっさと死ねばいいのに、と思うがああいう男は無駄に長生きすることだろうし、弥助の力では彼を倒すことも出来ない。紗久羅達がこちらへ足を踏み入れることを止めることも出来まい。

 弥助に出来ることはせいぜい彼女達を見守り、助けること位だった。

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