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桜町幻想奇譚  作者: 里芽
にくえんぜん
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にくえんぜん(2)

 紗久羅達がこの森へ来る前のこと。肉や醤油、味噌ににんにくが焼ける匂いやら炭や酒の匂い、熱気、妖達の喧噪のごった煮である会場に到着した大柄な妖が二人。一人は弥助で、もう一人は鞍馬だ。二人共この日の為にうんと腹を空かせてきた。だから煙に燻されげふんげふんと咳き込みながらも、美味しそうな匂いに腹の中で無数の雷が落ち、腹の肉をばりばりと割る。


「いやあ、相変わらずの煙だったっすねえ。危うく狸の燻製になっちまうところだった」


「狸の燻製などただただ不味いだけだろうな」


「天狗の燻製の方がもっと不味いに決まっているっすよ」


「狸よりはましだ、狸よりは」


「何なら試してみるっすか?」


「試すのはいいが、我以外の天狗にすることだな。我はまだ死ぬつもりはない。ましてや貴様の様な化け狸に喰われる為に死ぬなど御免こうむる」

 二人は先に来て自分達を待っているだろう妖の元へと向かっていた。その人がどのテーブルに座っているかは受付から聞いた。聞いた番号のテーブルを探す途中多くの知り合いに会い、その度短い会話を交わすものだから思いの外進まなかった。テーブルに設置された七輪の上には肉、肉、肉。カルビにハラミ、ロースや牛タン、ロース、豚トロ、赤や桃色の肉がじゅうじゅう音をたてながら炭火に焼かれ、茶色になったのを箸でつまんで皿に盛り、タレにつけて大きく開いた口の中に入れたり、盛った白いご飯の上に乗っけて豪快にかきこんだりしている。一人の妖はガーリックソースをたっぷりかけた分厚いステーキをフォークに突き刺し、一呑みしてもぐもぐ。焼けた肉を喰らっては酒をぐびぐび呑み、ぎゃははと笑いながら語らいあう。


豊玉(ほうぎょく)の奴、今頃たっぷり食っている頃だろうな」


「だろうな、あの女は我以上の大食いだから」


「そういえば鬼灯の旦那達も今日ここに来ているんだよな……鞍馬の旦那、本当はあっしや豊玉とより柳さんと一緒に食いたかったんじゃないっすか?」

 構わん、と鞍馬は元々赤い顔を更に赤くしわざとぶっきらぼうに言った。


「あの人と一緒の席だと緊張してしまって、思うほど飯が食えなくなってしまう。今日は思う存分喰らいたいからな、貴様等となら緊張も遠慮もすることはない」


「緊張……? 緊張していてあれだけ食っているんすか……? あっしよりずっと食っていて……つうか柳さんがいる時といない時の食っている量、あんまり変わってない気が」

 鞍馬は弥助の疑問を無視してずかずか進んでいく。それからやや歩いてから目的のテーブルが見えてきた。そこには一人の女がおり、ご飯を盛った丼の上に焼きたての肉、更に大根おろしとねぎを乗せて柚子ぽんずをかけたものをもぐもぐと食べていた。彼女の傍らには肉が堆く盛られた皿が幾つもある。弥助や鞍馬の為に注文しておいたのではなく、一人で食べる為のものだろう。女は二人が来たことに気づくと口の中に入れていたものを飲み込み、こんばんはと気だるい表情で手を振った。彼女はいつもこのような調子で、声だっていつも気だるげで聞いているこちらの体からもひゅるひゅると力が抜けてしまう。流れる豊かな黒髪は、ほんの少し体を後ろに倒しただけで地面に着いてしまいそうな位長い。前髪は真ん中で分けており、左側頭部辺りにつけた銀の曼珠沙華の髪飾りが美しい。赤い唇はぷっくりと膨らんでいて、肉のよくついた太ももや二の腕はむっちりしていて、胸は大きく、かといってデブではない。紅の着物は随分とはだけていて、その豊満な胸の谷間や太ももが露わになっている。和服美人、とは間違っても呼べず、最早着物を着ているというより赤い布を巻いているだけ状態。とりあえずギリギリ目のやり場に困らない程度には隠れているのが唯一の救いである。


「相変わらずだらしのない格好をしているな貴様は」


「別にだらしない格好でもご飯は食べられるもの、何の問題もないわ」

 と答えになっていない答えを返し、大きな口を開けて特製おろしぽんず丼をぱくり。もぐもぐと申し訳程度に噛むとまた口を大きく開けてぱくり。そしてあっという間に丼一杯を平らげた。彼女は大食いな上に早食いで、ちょっと目を離した隙にとんでもない量を食べている。食べ物瞬間消失、弥助はこれを種も仕掛けもないマジックと呼んでいた。それだけの早食いにも関わらず、非常に綺麗に食べ、口の周りにものをべったりつけたり、辺りにこぼしまくったりすることはない(大きな口を開ける点はみっともないが)。弥助と鞍馬は相変わらずの彼女の食べっぷりに感心しつつ席についた。豊玉は再び皿に盛られたカルビやロースを焼き始め、焼き終わったものから順に新たに注文した丼飯の上に乗せ、ご飯を肉でくるっと巻いてぱくりと口の中に入れる。濃い甘辛のタレで味つけされた肉と米の味に彼女は幸せそうな表情を浮かべていた。


「さっさと注文するか。肉を見ただけでうんざりする程度には食わねばな」


「私ももっと沢山食べるわよ。何せまだお通し程度しか食べていないもの」

 彼女の言うお通し程度の量、というのは人間基準でいえば五十人前……いや、下手するとそれ以上。人間であるさくら達が聞いたらおったまげるだろうなあ、と弥助は苦笑いしながらお品書きに手を伸ばす。


「我はとりあえず歓迎盛りの牛と豚、にんにくハラミ、ネギタン塩、鹿肉と猪肉の盛り合わせ、飯、それから日本酒――今回はこの『修羅』にするか――この位だな」


「まずは腹ごしらえってやつっすね。あっしは歓迎盛りの牛と豚と鶏、壺漬けカルビ、豚トロ、それから牛タン膳……こっちにも飯はついているが、やっぱり別に一杯注文しておかなくちゃな。そして酒、酒っと」

 注文を紙に書き、箱の中に入れる。注文した品が来るまでの間は二人で喋っていた。豊玉はといえば食べるのに夢中で、殆ど会話に参加してこない。話しかけられれば答えるが、話しかけられなければ食べている。今は新たに注文した鶏の果実漬けを焼いている。これは鶏のもも肉をりんごやパイナップルといった果物で作ったソースに漬けたもので、女性に人気の品だった。網の上に置かれた肉は甘酸っぱい匂いを発している。漬けたことで柔らかくなった、噛むと口の中に砂糖とは違う甘みと、爽やかな酸味が広がる。一方弥助と鞍馬は果実自体は嫌いではないが、肉の味つけとしてはあまり好きではない。うんと甘い味つけの肉は好みではないのだ。二人が何ともいえない顔を浮かべながらその肉を見ていることに気付いた豊玉が、憐みの目を向けた。フルーツソースがたっぷりついた鶏肉にかぶりつくと、良い具合に焼けた皮がぱりぱりっと音をたて、じゅわっと肉から黄金の肉汁が溢れる。


「あの味は好き、あれは好きじゃないっていうのがあるのってすっごく可哀想だと思うわ、私。何でも美味しく食べられるのって幸せなことよ。私は人間だった頃から好き嫌いがなくて、人間だってあの娘は喜んで食べるかもしれないと陰で言われた程よ。それ位何でもかんでも美味しく食べたの。食わず嫌いも当然なくって。ふふ、でも今のところ人間は食べたことがないわねえ。流石にちょっと食べる気が……あ、これじゃ食わず嫌いよねえ。食わず嫌い、好き嫌い無し女を自称しているのにこれじゃあ駄目ね。今度試してみようかしら。私何でも美味しく食べるから、きっと美味しい美味しいと言って食べることでしょうね。そういえば弥助、貴方の知り合いの人間が今日ここに来るのでしょう? 確か猫娘ちゃんがそれで拗ねて出雲の旦那とではなく、鬼灯の旦那達と一緒にお肉食べることになったのよね。ねえねえ弥助、その子達のところに挨拶に行きなさいな。ついでに腕一本辺りとってきて頂戴よ。腕一本位ならすぐ治療すれば死なないでしょう」


「断る! あいつらの腕一本もぐなんざ簡単なことっすが、絶対にやらんぞ! そんなことやりたくないし、そもそもそんなことやってみろ、あの糞狐野郎に死ぬより恐ろしい目に遭わされるわ!」


「もう、冗談よう」

 うふふ、と笑うがいまいち信用出来ない。己の『食べたい』という気持ちを満たす為なら何でもするのが彼女だった。かつて人間――大きなお店の娘だった彼女(当時は『とよ』という名前だった)は、兎に角食べるのが大好きで四六時中何かを食べていたそうだ。そんじょそこらの人間には真似出来ない程の量を食べていたにも関わらずデブにはならなかった。近所の人には「(とよの食費で)店が潰れるのが先か、彼女が国中の食料を食い尽くすのが先か」と言われるほどの食いっぷり、食費もさぞかさんだろうが店が潰れることはなかったようだ。


「人間の体じゃ食べられる量に限界があるって理由で妖に転生させてくださいって神様に頼んだ阿呆だからなお前は……人間を食う位平気でやりかねん」


「だってえ、助けた人が実は神様で『願いを一つ叶えてやろう』って言われたら、普通に生きていたら絶対に叶わないような願いを言うでしょうよ。そして願いが叶い、私は人間だった時よりずっと沢山食べられるようになったわ、これってとっても最高なことよう。人間としての生を投げ捨ててまで願った甲斐があったわあ」

 妖なら今以上にもっと沢山食べられるだろう、だから私を妖怪にして頂戴と言われた時神様は一体どんな心境だっただろう。とんでもない娘に助けられたものだ、と頭を抱えたかもしれない。ぶっ飛んだ理由でぶっ飛んだ願い事をした結果妖となった彼女は二枚目の鶏肉を焼いている間に、次の注文をする。今度はローストビーフ丼、長ネギ、レバー、ミスジ等を食べるようだ。

 弥助と鞍馬が注文した品も続々届き始め、酒が来たところで乾杯をした。それをぐいっと飲んでから早速てんこ盛りの肉を焼き始める。すっかり温まっていた網の上に乗ったお肉があげるじゅうう、という音ともくもくとあがる煙が食欲をますますそそる。鞍馬の肉盛りは辛ダレ味で、ものすごく辛いが旨味もあり、これがご飯にもよく合った。二人共肉が焼けるとさっとそれをご飯にのせてがつがつとかきこむ。それこそ肉一枚で山盛りご飯一杯食い尽くす位の勢い。熱い、熱いと言いながら止まらぬ箸、閉じぬ口。


「かああ、最高っすねえ! 肉だけで食うのもいいが、飯と一緒に食うのが何よりも良い。やっぱりご飯もうちょっと頼んでおくか」

 歓迎盛りをある程度食べ、次に焼くは壺漬けカルビ。壺の中にたっぷり入ったタレにどっぷりと漬かった分厚く長いカルビは、もうそのまま食べても美味しいのではないかと思われる程の見た目。そしてそれを豪快に網の上に乗せれば、醤油や生姜、にんにくの匂い。壺の中には同じくタレに漬かった長ネギやにんにくが入っており、こちらも網で焼く。これがまた格別に美味いのだった。じっくりと焼いた肉は切らずにそのままかぶりつく。勢いよくかぶりついたものだからタレが辺りに散ったが、それを気にする者は誰もいない。非常に分厚くインパクトのある姿だが、その見た目に反して見は柔らかく食いやすい。タレに林檎等の果実が入っており、また食べやすいよう切れ込みが入っているからだ。しかもそれのお陰で分厚いにも関わらず、タレが中までよく染みている。火を通したにんにくには甘みがあり、同じくネギからは噛むとじゅわっと甘い汁が出る。


「薄く切ったものをご飯にのせてかきこむのも最高っすが、このでっけえ肉に思いっきりかぶりつくのもいい!」


「何かちょっと行儀の悪い食べ方ねえ、切り分けもしないでそのままかぶりつくなんて。でもそういう行儀の悪い食べ方って最高に気持ちが良いのよね。罪を犯しているような気持ちになって、それがたまらなく良いと思う。以前『けえき』とやらを海の外の京で『ほうる』で食べたの……勿論切らずにそのままかぶりついてやったわ。はしたないと一緒にいた友人に苦笑いされたけれど、あれ、最高に気持ちが良かったあ」

 と夢心地。ルビーの如く輝くいちごがたっぷりのった、生クリームを塗った純白のケーキをホールごと、顔や手につくのも気にせず、むんずと掴んで食ったらしい。彼女にしてはかなりはしたない食べ方だ。だがたまにそうして行儀の悪い食べ方をすると、極楽へ行ったような気持ちになるらしい。


「そしてそれをすっかり食べ終わった後にね、手にべったりとついたくりいむをぺろぺろと舐めとって……またそれが気持ち良かったわあ。はしたない上になんかいやらしいって言われたっけ。きっとはしたない食べ方の気持ちよさに興奮していたから、舐め方もいやらしくなっちゃったのねえ。それを見ていたらしい男が何か興奮しちゃったらしくて、下心を隠しもせず私をご飯に誘ってきて、おかしかったあ」

 恍惚の表情を浮かべながらクリームを舐めとる彼女の姿を想像した二人は、その男の気持ちもほんの少しは分かるかもしれないと思った。元々豊玉はかなり魅力的な体つきをしている。特に細い女よりむっちりした体の女が好きという男にはたまらないだろう。もしかしたら彼女を誘った男は単純に見た目が好みだったから誘っただけかもしれない。


「で、結局どうしたんすか」


「ご飯だけ一緒に食べて逃げたわよ。私は食べ物に関しては選り好みしないけれど、男は選ぶわよちゃんと。好きはあっても嫌いはないのは食べ物だけ。あ、ネギきたネギ」

 と皿に盛られているのは長ネギ丸々三本。長ネギを頼むとこの状態で来るのだった。後に紗久羅が野菜も食いたいと長ネギを頼み、目を剥くことになる。カットしたものをちょろっと出すだけでは足りないからいっそそのまま出す……妖感覚ではそうなるのだ。網は大きめなので丸ごと焼けるし、それが嫌ならハサミで切ればいい。焼かずにそのまま食べる者もいる。


「焼いたおネギ、とっても好きなのよ。この表面に出来る焦げがまた美味しそうで……うふふ、そのままでも美味しいし、醤油をちょっとかけても良いわよねえ。私が野菜を食べると、お前野菜も食べるのかって驚く人もいるけれど、失礼よねえ。きっとこんなふっくらしているから、肉しか食べないと思っているのねえ。私は肉も野菜も等しく愛します。勿論、等しく愛するのは食べ物だけ」


「ぴりっと辛い薬味としてのネギもいいし、こうして焼いて甘くて柔らかくなったネギをもぐもぐ食うのもいいっすよねえ……嗚呼、なんか鶏ネギ丼食いたくなってきた。後で注文しようっと」

 鶏ネギ丼というのは、ぶつ切りにした鶏もも肉と同じくぶつ切りにした長ネギをご飯の上に乗せたもので、見た目は焼き鳥のネギまを串から外して丼飯の上に置いたような感じだ。そのままでも美味しいが、お好みで醤油や柚子ぽんずをかけて食べる者もいる。

 豊玉は焦げすぎない程度に焼いた長ネギを切らずにそのまま食べていく。齧る度じゅわりと旨味たっぷりの甘い汁が溢れ、しゃき、しゃきと小気味よい音がする。


「あ、こういう食べ方もしちゃうわよ」

 と突然顔を天へと向け、天を突き刺すが如く立てたネギをもぐもぐと食べ始める。こちらもまた大変お行儀の悪い食べ方だ。なんじゃその食い方は、と弥助は呆れ顔。豊玉は一旦食べるのをやめるとにやりと笑った。


「以前行った京で見た芸の真似。なんかねえ、こんな風にして長い剣をどんどん呑んでいくの。そしてすっかり呑んでから、しゅるしゅると出していく」


「嗚呼、そんなのがあるっすねえ。人間でもやる奴がいるっすよ」


「あら、人間にも出来ちゃうの? それじゃあ元人間の私にも出来るかしらあ」

 さあ、どうだかと弥助は肩をすくめる。豊玉は長ネギと網で焼いたミスジやレバーを交互に食べる。レバーはレバ刺しの方が好きだ、と鞍馬はそちらを頼む様子。そんな彼は歓迎盛りの肉を食べた後、鹿肉と猪肉を焼く。真っ赤な鹿肉はさっぱりたんぱくな味で、意外とあっさりした脂が美味しい猪も焼いて楽しみ、それからネギ塗れのやや厚めの円いタンを焼き、それでご飯を包んで食べる。そちらもあっという間に平らげるとお次はにんにくハラミを焼きだした。これはにんにくとネギがこれでもか、といわんばかりに入った塩だれに塗れたハラミだ。口の中に入れるとにんにくの匂いががつんとくるが、見た目程どぎつくはない。にんにくとネギの味しかしない、ということはなく噛んでいるとそれらと柔らかいハラミの味が良い具合に混ざり合い、一度口にしたら癖になる。

 

「お、牛タン膳が来た来た」

 ぱん、と手を叩き歓迎する牛タン膳。メインは特製のタレに漬けた厚切りのタン。程よく焼けて茶色になった表面、中は仄かにピンク。肉は柔らかくて食べやすく、だがタンの魅力の一つである弾力もしっかりある。噛むと漬けこんだタレの味がし、それから肉の風味と甘みがふわっと広がる。程よい噛み応えの肉を噛めば噛むほど肉の味が出てきた。一枚目はそのまま食べ、二枚目は麦飯と一緒に食べた。麦のもちもち、ぷちぷちという独特の食感が楽しい。


「麦飯といえばとろろご飯もいいっすよねえ。ちょっと出汁いれたとろろを熱々の麦飯の上にぶっかけて、ネギとかかけてがっと一気に飲むように食うのがたまらなくいい。とか言ったらすげえ食いたくなってきた……今度鬼灯の主人の店で麦とろろ食おう。あ、とろろ蕎麦もいいな! 長いもバター焼きも美味いし、あれは熊さんの店で食うか。あいつの店の料理はものすごく美味いわけじゃないが、安心出来る味なんすよねえ。あ、あの店の焼き鳥とか焼きそばとかお好み焼きも食いたいっすねえ」


「麦飯はどこいった、麦飯は」

 と鞍馬は呆れ気味。弥助の独り言はどんどん麦飯から離れていったが、どんどん回って回ってうんと遠回りして、最後にようやく麦飯に戻った。コンビニで買った豚カルビ麦飯弁当がそれはそれは美味しかったらしい。豚カルビ麦飯弁当の話をしながら牛タンを食べ、お次は白菜やきゅうりのお新香を食べる。白菜はじゃき、じゃき、と良い音がした。


「後はこれこれ、南蛮味噌漬け! 牛タンといえばやっぱりこれっすねえ! これが最高に美味い!」

 肉の奥、お新香と共に添えられているのは青唐辛子を味噌でつけたもの。ぴりっと辛いが旨味もあり、異様に癖になるものだった。肉と一緒に食べればその辛みと旨味が肉の風味を引き立てる。そしてほんの少しのせただけでもえらくご飯が進む。ご飯のお供にはたまらない味だ。


「牛タンもいいが、これが本当美味くって……この味噌漬けだけ注文出来たら良いのに。しかしご飯ばっかり食って肉食わなかったらここに来た意味ないっすねえ。で、濃い味のタンにぴりっと辛い南蛮味噌漬けを食った後こいつを飲むとさっぱりするっすよ」

 と弥助がずずず、と飲んだのは牛タン膳についてくるテールスープだ。牛テールや牛骨をことこと煮込んで作られた微かに黄金色がかった透明のスープに、ごろっと大きな牛タンと千切りにしたネギがたっぷり入っている。味はあっさりさっぱりで、とても優しい。比較的濃い味の肉を食べた後は尚更だ。


「タンって噛み応えがあっていいわよね、あの弾力ってたまらないわあ。私は薄く切ったものを焼いて食べるのが好きだけれどねえ、そういう分厚いのよりは。でもそっちも時々食べたくなるのよねえ」

 そう言う豊玉が頼んでいたローストビーフ丼及び角煮丼がやってきた。まず手をつけたのは、角煮丼。醤油や酒、生姜、砂糖で煮込んだ豚バラ肉は味が良く染みていることがぱっと見ただけで分かる位色が濃く、またその身には照りがあり、宝石の様にきらきらと輝いている。大きくカットされたそれが丼の上にこれでもかという位乗っており、またその汁で煮たのだろう卵が一個共に乗っていた。こちらも元は真っ白だったのが汁をうんと吸って茶色になっている。最後にネギをぱらりと散らしその緑がとても鮮やかに映る。


「ご飯が見えない位にモノが乗っている幸せ……この色、醤油や砂糖の匂い……嗚呼目に見える幸せが、鼻を通って体の内に入っていく幸せがここにはあるわ。そ・し・て舌で感じる幸せもね」

 そう言って豊玉は随分と重量があるだろう丼を持つと、そこに乗っている角煮を一つ箸で掴んだ。トロトロになるまで煮込んでいながらしっかりとその形を保ったままの肉を大きな口を開いてぱくり。脂身はとろとろ、肉はほろほろと。生姜香る、甘くて濃い角煮は次々と彼女の口に吸い込まれていき、それからお酒をごくり。角煮を幾らか食べていくとご飯が見える。白いご飯に角煮のたれがつき茶色に輝いている。濃い味の食べ物に、ご飯はよく合う。そしてあっという間に平らげると、お次はローストビーフ丼。ここでは牛蒸し焼き丼と呼ばれている。ローストビーフと表記したところでまともに読める者などほぼいないからだ。

 丼飯の上に、切られたローストビーフがまるで盛りつけられている。その盛り付け方は優美で、まるで丼の上に花が咲いているようだ。肉は外側は茶色く、内側は赤い。更にその上にとろとろ白身の温泉卵と醤油ベースのタレがかかっている。豊玉が温泉卵に箸をすっと入れると白身が割れ、中から鮮やかな橙色の黄身がとろりと溢れ、肉を染めた。


「ああっ、もう本当好き! このぷるぷるの半熟卵を割る瞬間ってたまらなく好き! この黄身のとろとろ感! これがとろりとお肉の上を流れていって……本当罪よね、罪、罪そのものだわ!」


「何だよ罪そのものって。いやまあ気持ちは分かるっすが。温泉卵に出汁の効いたタレかけて食うのすげえ好きっすよ。箸で黄身を割る瞬間も。その瞬間を目にするだけで食欲が湧いてくる」


「我は半熟よりも固ゆでの方が好きだな。黒部京の地獄黒たまごが特に好きだ。後は豊玉が先ほど食らっていた角煮丼に入っていた様な煮卵もな」

 地獄黒卵というのは温泉が有名な黒部京の名物である温泉卵だ。温泉の成分により真っ黒になった殻を剥いて食べる。こちらの世界でいえば大涌谷の黒たまごのようなものだ。固ゆでだが黄身はぱさついておらずしっとりしていて美味しい。そのまま食べても美味しいし、塩を軽くつけて食べても良い。


 私も地獄黒たまご好きよ、と言いながらとろっとろの黄身をタレと肉に絡めて口の中へと入れれば、広がるのは肉の味やタレの甘み、そしてそれを包み込む濃厚な黄身の味。白身のぷるぷるつるんとした舌触りもたまらない。噛めば噛むほど出てくる肉の味は決してタレや黄身に負けていない。

 と、サイドメニューも楽しみつつ焼肉も楽しむ。弥助はタレ味のぶ厚いカルビを焼き、それを丼飯の上に乗せ、更に注文したわさびをそこにのせて食べた。豊玉はラムチョップを焼いて食べ、更にサーロインステーキを豪快に焼き、その上から醤油と玉ねぎで出来たソースをかける。途端じゅううという音がしてソースが肉の上で跳ねる。鞍馬は網の上に大量の肉を一気に乗せ、箸を使って全体に火を行き渡らせている。どちらかといえば蒸し焼きに近かった。豊玉が頼んだソーセージ盛りはごく一般的なものと、レモン&バジル、ブラックぺッパーの三種が楽しめるもので、熱せられたそれはじゅわじゅわと美味しそうな脂を出し、そしてぱちぱちと音をたてた。甘い味噌に漬けた豚ロースを焼けば味噌の香りがし、またそれがちょっと焦げたことで更に美味しそうな匂いに変わる。

 他にもチーズと大葉を牛肉で巻いたもの、焼けばぱりぱりの鶏皮、ロース、ネギ塩カルビ、生姜がたっぷりきいた醤油ダレ美味しい豚肉などなど。そして肉を食えば飯が進み、そして酒も進む。


 しかしまだまだ彼らのにくえんぜんは終わらないのだった。

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