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桜町幻想奇譚  作者: 里芽
にくえんぜん
342/360

第六十八夜:にくえんぜん(1)

 

 昔桜村に住んでいた村人が、一人の妖を助けた。困っている様子があんまり可哀想で、つい助けたのだそうだ。妖はお礼を述べ更に「お礼ににくえんぜんに連れて行ってやる」と言ってきた。しかしにくえんぜんというものがどういうものか分からなかった。何なのかと尋ねる勇気もなく、また本当のことを言うかどうかも分からなかった。もしかしたら妖のことだから恩を仇で返すこともあるかもしれないし、妖にとってはそうでなくても人間にとってはとても恐ろしい場所であるかもしれなかったので、体よく断って逃げるように帰ってしまったのだという。

 だからそのにくえんぜんというのが何なのかは不明である。


 またにくえんぜんに誘われたものの断った村人は、一体にくえんぜんとはどういうものだったのか気になって気になって仕方なくなってしまい、死ぬまでそのことについて考えていたという。そのせいか死後成仏出来ず『とはなんぞ』という妖になり、人間の前に姿を現しては「にくえんぜんとはなんぞ」と問うようになったらしい。ただ問うだけで、相手が答えなくても何もしない。だが妖に聞くのは怖いのか、答えを知っている可能性は人間よりもずっと高いだろう彼等には聞かないらしかった。

 しかし今はもう現れないので、もしかしたらすでに答えを聞いて成仏しているのかもしれない。



『にくえんぜん』


 青い灯りを抱く灯籠、夏でも秋でもいつでもいつまでも花を咲かせている桜の木に挟まれた石段を、四人の人間が歩いていた。紗久羅、さくら、一夜、奈都貴だ。この幻想的な光景にすっかり慣れる程度にはこの道を行き来している彼等だったが、目に飛び込んでくる光景に慣れてもこの空間に満ちる空気には何度来ても慣れず、常に何かが体をさあ、さあと撫でる感覚や心と心臓と魂をかつかつと削られているような感覚に襲われる。そしてその削られる時に起きる振動が『不安』『恐怖』という名の感情を生み出すのだった。出雲の出す食べ物に釣られ、何のかんの言いながら一番この道の先にある異界へ足を踏み入れている紗久羅、異界や妖といったものが大好きなさくらでさえ、その感覚を無くすことは出来ないのだった。


「ここ来るといつも寒くて敵わねえ。手がかじかんでいけない。というわけでなっちゃん、あたしの手に温もりをくれ!」


「おわっ!?」


「ってなっちゃんの手もくそ冷たい! 嗚呼、やっぱりこの道を歩いている時のあたし達に温もりをくれるのは通しの鬼灯だけか」

 と言ってばっと掴んだ奈都貴の手を離す。もし温かかったらずっと手を握っているつもりだったのかお前は、と奈都貴は呆れ顔。その頬は微かに赤い。少し後ろを歩いていた一夜は「青春だなあ全く」などと言い、大きなあくび一つ。挙動一つ一つにどこか元気がないのは、つい先程まで学校で部活をしていたからだ。本当はさっさと家に帰って寝るつもりだったのが、待ち構えていたさくらに連行されてしまったのだった(ちゃっかり一夜の部屋に入り込んで彼用の通しの鬼灯を持ち出していた)。


「ったく、いきなり『にくえんぜんに行くわよ!』とか訳の分からんこと言いだして引っ張りやがって……なんだよにくえんぜんって」


「だから分からないって何度もさっきから言っているじゃないの。桜村奇譚集にもその言葉が出てきているのだけれど……。妖に連れて行ってやるって言われた村人がそれを断ってしまったから、詳細は一切不明なのよ。土地や施設の名前なのか、行事とかの名前なのかそれさえも分からない。あの話を読む度、私だったら絶対に断るなんて勿体無いことはしなかっただろうにと思ったものよ。そしていつか私に連れて行ってやると言ってくれる妖が現れたなら、迷わず『喜んで!』って答えようと思っていたわ。それが今日になって実現したのよ! 言ってくれたのは妖ではなく紗久羅ちゃんだったけれど、私もうそれを聞いた時その場で飛び跳ねたいと思う位嬉しくなったわ!」

 実際飛び跳ねていたじゃないか、と紗久羅がぼそり。一夜はそんな妹に「何でこいつを誘ったんだ、馬鹿」という視線をぶつけるのだった。


「しかし本当になんだろうな、にくえんぜんって。出雲には夕飯はいらないって家族に言っておけとは言われたけれど……今から行くにくえんぜんってのと関係あるのか、そっちとは関係なくて単に帰りに飯を奢るつもりなのか。あたしもあいつから『にくえんぜんに連れて行ってやる』って言われただけで、詳しいことは一切聞いていないんだよなあ。まあ行ったところで死ぬことはないだろう、死ぬことは」


「死ぬことはないかもしれないが、俺達にとって楽しいことが待ち受けているとは限らないけれどな。酷い目に遭ってひいひい言っている俺達見て出雲がげらげら笑っている……なんて未来だって十分あり得る」


「紗久羅ちゃんは何だかんだ言いながら出雲さんのことが大好きだから、そういうことはないって信じているのよね」


「嗚呼、大好きなら仕方ないな」


「我が妹ながら趣味が悪いな。妖怪狐野郎にフォーリンラブかよ」


「ば、何を言っていやがる紗久羅姉! んなわけねえだろうが! なっちゃんも馬鹿兄貴も黙れ!」

 とかなんとかやっている間に石段を上りきり、鳥居をくぐればすぐ前には満月館。出雲は玄関の前に立っており、ぎゃあぎゃあ言いながらやってくる四人を呆れ顔で見つめていた。


「君達は相も変わらず騒がしいね。そこが魅力ではあるのだけれど。元気な人間の心を折る程面白いものはない。人生を悲観しているような人間に希望を与えた後とことん絶望させてやるのも好きだけれど。それにしても得体の知れぬ所に連れて行くって誘いをよく平気で受けるね。しかも誘ったのはこの恐るべき化け狐様だというのに。ああ怖い怖い、慣れって怖いね。慣れは人を愚かにする。しかし愚かだからこそ享受出来るものもある。ま、大抵の場合は愚か者に待っているのは喜びや幸福ではなく絶望や苦しみであるけれどね」


「自分から誘っておいてそれかよ。ふん、別にあたしだってお前のことを信用しているわけじゃないやい。でもお前はばあちゃんを怒らせて特製のいなり寿司が食えなくなったら嫌だと思って、あたし達をうんと危険な目に遭わせることはないことを知っているから、誘いに乗ってやっているんだ。少なくとも死んだり怪我したり苦しんだりするようなことにはならないだろうさ」

 それってある意味信用しているってことだと思うけれどなあ、と出雲。彼はついておいで、と玄関の戸を開け家の中へと入っていく。四人は彼についていった。


「しかし、いつまでも菊野の存在があるから大丈夫だと思ってもらっちゃ困るね。私なんていうのはね、ある日急に心変わりするものだよ。君達のことも、菊野のことも彼女の作るいなり寿司のことも何もかもどうでも良くなって、突然君達を殺してしまうことだってあるかもしれない。それに私は今だって、彼女が知ったら良い顔をしないようなことを沢山しているんだ。それを分かっていながら彼女は未だ私にいなり寿司を売ってくれている。私というのがそういう男で、これからもそうだということを彼女は君達よりは理解している。そしてそんな男と関わったのが運の尽きと色々諦めながら、様々なことを見て見ぬフリして付き合っている。きっと、これからも。だから私がもし君達を殺したり、死ぬより辛い目に遭わせたりしても案外彼女は今まで通りに接してくれるかもしれないね」

 菊野のいなり寿司位では出雲という男は縛れない。彼が紗久羅達をいつまでも守り、他の人間達とは違う扱いをし続けるとは限らない。紗久羅はそれ位分かっているよ、お前は性格がクソみたいに悪いクソ狐だもんなと悪態をつくが、本当の本当に分かっているとはいえない。口では分かっていると言っていながら、何だかんだいって自分達は大丈夫という気持ちがあるのだ。それは他の三人も同じことだった。


「君達は分かっていないよ。色々なことが分かっていないから、こうして平気で私の誘いを受けて、異界に足を運ぶんだ。その愚かさを私は愛しいと思っているのだがね。まあ今回は安心おしよ、君達が嫌がるような場所ではないからね」

 出雲は障子が描かれた紙を廊下の突き当たりの壁に貼り、ぺろりと舐めた指で『煙染ノ森』と書いた。この光景もすっかり見慣れたもので、壁に張った紙が本物の障子に変化する様を見てもまるで驚かない。出雲が障子をさっと開けると、前方に森らしきものが見えた。さっさと障子を跨いで歩いていく出雲に四人もついていく。同じように沢山の妖達が森へと続く道を歩いていた。もうその光景にも慣れつつあり、そのことに気づく度紗久羅は「あたし達大分人間やめてきているなあ」と自分達の感覚の麻痺っぷりに痛む頭を抱えるのだった。森は霧に覆われているようだったが、近づくにつれどうやらそれは霧ではなく煙であるらしいことが分かってきた。山火事かと思われる位大量の煙。しかもそれが発する匂いがまた妙で。妙、というのは変な匂いという意味合いではなく「何故こんなところでこの匂いが?」という意味である。


「おお、もうすっかり煙が森中に広がっているみたいだねえ」

 動じていないのは出雲だけで、他の四人は困惑していた。ぐう、と腹の音鳴らした一夜が隣を歩いていたさくらに尋ねる。


「……なああの森からさ、焼肉屋の匂いがしないか? 俺の気のせい?」

 いいえ、気のせいではないと思うわとさくらが戸惑いながら首を横に振った。にくえんぜんについて色々想像を巡らせていた彼女だったが、焼肉屋の匂いがする森という可能性など欠片も考えたことがなかった。

 奈都貴も気のせいではないといい、紗久羅もこれは間違いなく焼肉屋の匂いだと太鼓判。


「肉とか醤油とか味噌とかニンニクとかネギとかが焼けた臭いがする。後炭の匂いな」

 森に近づけば近づく程匂いは強くなり、じゅうじゅうと肉の焼ける音が聞こえるような気さえする程だった。これだけでご飯を何杯も食べられると思う位良い匂いに四人の腹に棲む虫が大合唱。森の入口近くには行列が出来ており、五人はその最後尾についた。少しずつ前に進む内、妖達は森の傍らに設置されている祭りの屋台に似たものの前に並んでいることが分かってくる。その屋台に張られた横幕には『肉煙染 受付』と書かれていた。にくえんぜんとは、肉煙染と書くらしい。しかし大量の煙を見、強烈な焼肉屋の匂いがした時点で何となく想像していた字ではあったので、皆それほど驚きはしなかった。出雲もこの匂いを嗅げば今から何をするかは分かるだろう、と思っているのか順番を待っている間詳しいことを一切説明せず、只管紗久羅を弄って遊んでいた。

 屋台風の受付にはおかめのお面でも被っているのではないかと思われる顔をした、頭から角の生えた女が二人立っており、一人は細身で一人は恰幅がいい。彼女達は巫女さんの格好をしている。霧に覆われた、不気味ながらも幻想や神秘を感じさせる森ならともかく、焼肉臭漂う煙たい森にはまるで似合わぬ格好にますます四人は戸惑うばかり。


「何名様で?」

 細身の女の言葉に、出雲が「五人」と答えた。女は頷くと数字の書かれた板と提灯を手渡し、隣にいた恰幅のいい女が屋台に吊るされたラッパの様なものに自分の口を近づけ、板に書かれた数字と人数を述べる。それが終わると出雲はさあ森に入るよと進んでいった。入口に立っている時も大分煙たかったが、森の中に入ったらますます煙たくなり視界も悪くなる。


「あたし達焼肉の煙で燻製にでもされるんじゃないか?」


「本当、すごい煙ね。大勢の妖がお肉を焼いて食べているとしても、これ程煙がすごいことになるものかしら?」

 しかも歩いてすぐ会場につくのならともかく、もう三十分は歩いている。出雲曰くもうしばらくかかるとのことだ。肉を焼いているだろう場所からそれ程離れているのに、これ程の煙に覆われているなんて幾らなんでもおかしくはないか、と頭にクエスチョンマークを浮かべる四人だった。


「会場はここ程酷くはないよ。木が密集している所はどうしてもこうなってしまうんだ。しかしそれも仕方ないことだ、肉煙染はこの為のものなのだから。さ、詳しい説明は後だ。あまりここで喋りたくないんだよ、けむたくてむせるから」

 焼肉屋の煙を全て集め、更にそれをうんと凝縮したものが充満しているような場所だ、確かに出来ることなら口を開きたくない。視界も悪く、少しでも油断したら出雲の姿を見失ってしまいそうだった。目もなんだか痛い。ますます匂いは強くなって腹を刺激し、頭の中で肉が乱舞している。妖達がくっちゃべっているのか、笑い声やぺちゃくちゃ喋る声も聞こえ段々と賑やかになっていった。

 それからどれ位歩いただろうか。いよいよ我々は燻製になるのだ、と思う程煙を浴び続けた頃にようやっと開けた場所までやってきた。途端視界はぐっと良くなり、煙たさもぐっと減って火災が発生したビルから抜け出したような心持。しかし煙自体が消えたわけでなく、むしろここが発生源である。


 広場(という言葉では足りないと思える程広い)にずらりと並ぶ丈の低い大きなテーブル。テーブル一つにつき六つの大きな七輪がはめられている。どうやら一つの七輪を数人で使うのではなく、一人一つ使うらしい。中には二、三個の七輪を一人で使っている妖もいる。一つではとても足りないのだろう。

 じゅうじゅうじゅう、という肉の焼ける音。もくもくとあがる煙、赤く色づく炭、肉や醤油や味噌や塩ダレや葱が焼ける匂い、茶碗にてんこ盛りのご飯からあがる湯気、酒の香り、冬であることを忘れさせる程の熱、爆発音の如き喧噪。音と声と匂いと熱のごった煮、あまりの情報量の多さに頭くらくら夢を見ているような心地。


 出雲は板に書かれている数字を見ながら自分達のテーブルを探す。妖達は肉を焼いて食うのに夢中で、人間である紗久羅達がここに来ていることなど気にも留めていない。全くすさまじい数の妖怪だ、と舌を巻く紗久羅だったが、会場はここだけではないらしくこの森の中にもまだ数か所あるというから驚きだ。上空から見れば、きっとこの森はクレーターでぼこぼこした月の様に見えることだろう。


「そういえば今日鈴の奴はどうしたんだ?」


「あの子は私が君達を誘ったのを聞いて拗ねてしまってね……どこかの会場にいるだろう鬼灯の主人達と一緒にいるよ。あの様子じゃあと三日は口を聞いてくれないかもしれない。本当に悲しいことだ。さて、そろそろか……ああ、あったあった」

 とようやく五人の席が見つかった様子。テーブルには箸置きと箸、取り皿、タレを入れる皿、肉を焼く用の箸、竹をくり抜いたコップ、テーブルの左脇には1.5リットルはあろうかという瓶に入ったタレ四種と、水差し、お品書き。右脇には謎の大きな木箱が設置されていて、取っ手がついている。その傍らには筆と紙があり、どうやらその紙に注文する品を書くらしい。五人は早速椅子に座った。途端はめこまれた七輪に火がついた。出雲曰くこの七輪には魂が宿っており、意思をもって火をつけたり消したり出来るのだそうだ。さくらは興奮気味に「喋れる!? この七輪とお喋り出来る!?」と目を輝かせながら問うていた。残念ながら会話は出来ないらしい。


「注文した品物はここから離れた場所で用意され、そこについている箱に転送される。なんでもある妖の物質を転移する能力を応用して作られたのだそうだ。こちらの世界では結構高価なもので、採用している店はあまりないのだけれどね。これはいい、実にいいよ。何せ出来たての食べ物が食べられるのだからね。ちなみにこれを発明したのは、ここら――日本と重なり合う土地に住んでいる妖だ。こちらの世界における冷凍技術とか保存技術とか、そういう食関係の技術をぐぐっと進化させたのは大抵我々日本に重なり合う土地に住む妖だ。日本人ならぬ日本妖かな」


「流石日本……」

 と奈都貴。日本の食に対する探究心と向上心と執着心の半端なさ。それは人であっても妖であっても同じらしい。美味しいものを食べたいなら、日本と重なり合っている辺りの土地に行くのがベストだというのがこちらの世界の常識とか。そんな話に耳など傾けず、席に座るなりお品書きを開いたのは腹ぺこの一夜だった。良い匂いに刺激された彼の頭には肉のことしかない。食に対しての貪欲さは人一倍の紗久羅もお品書きを開いており、見ただけで腹が大騒ぎするメニューに大興奮。奈都貴は肉の種類の多さに目を丸くする。


「牛、豚、鶏は定番として……」


「ウサギ、鹿、猪、馬、雉、熊、蛙に鳩に蛇にダチョウ、雀……後私達の住む世界にはいない動物も沢山。お肉というお肉が大集合って感じね。それにしても……こちらの世界に鹿とかウサギとかって住んでいるんですね。私達の世界から調達しているわけではないですよね?」

 お品書きを見てさくらがふと疑問に思ったことを口にすると「とりあえず盛り・牛でも頼むか」と注文用紙に記入をしていた(メニュー名の前に書かれている番号と、数量、タレや塩など味付けはどうするか等を記載するようになっている)出雲がうん、と頷く。


「住んでもいるし、食用に育ててもいるよ。だからこそ君達が食べているものと同じようなものが食べられるのさ。向こうの世界に組み込まれていて、こちらには組み込まれていない生き物は人間位のものさ。まあ若干君達の住む方に居るのより大きかったり、たくましかったり、特殊な力を持っていたりするのが多いね。向こうと全く同じなのもいるけれど、どちらにせよ生まれながらにしてこちらの世界に属するもので、向こうに住むものとは交わらないものだ」

 出雲は注文用紙を皆にぺらぺら見せ、こういう風に書くのだと教えてくれた。それを転送装置である木箱の中に入れる。さくらが再びそれを開けて見てみると、紙は見事に消えうせており一夜が「マジックみてえ……」と呟いた。そしてどんなものを注文しようかと全員うきうきしながらお品書きとにらめっこしているところで箱の上部についていた赤べこのような牛がもおお、と間抜けな泣き声をあげる。これがどうやら注文品が届いたという合図になっているらしい。出雲が箱を開けると、そこには大皿にてんこ盛りになった肉。


 出雲が頼んだ『とりあえず盛り・牛』はカルビ、ロース、ハラミの三種盛りで醤油やにんにく、唐辛子で作ったタレに浸かっている。ふわっとそれらの香りがして口の中が一瞬でツバだらけ。綺麗なサシの入ったカルビ、ハラミは厚めに切られておりロースは薄め。それが盛りに盛られて肉の山。


「ちなみにこれが一人前ね」


「はあ!? これが!? いやいや、これどう見ても十人前は軽く超えているぞ! これをとりあえずビールみたいなノリで一人で食うのか!?」

 紗久羅が山を指差しツッコミを入れた。とりあえずって言葉がつくような量ではないとさくらと奈都貴は困惑、一人前でも十人前でも食えればいいと一夜は気にしていない。出雲は彼等の反応を見てけらけら笑った。


「これを一人でぺろりと平らげられないなんて、やっぱり君達人間は小食だなあ」


「お前ら妖怪が大食漢すぎるんだよ!」


「妖達って食べ物が胃に入った瞬間煙のように消えるのか……?」


「何でもいいよ、さっさと食べようぜ」

 という一夜の一言で小食大食漢論争は一瞬にして終わり、皿を順番に回して食べられるだけの量を小皿によそう。そして各々七輪の網の上に乗せていく。途端じゅううという音が聞こえ、肉と醤油とにんにくの焼ける甘辛く香ばしい匂いが煙と共に立ち上った。じうう、ぽたりと油が焼ける炭の上にぽたりと落ちては音をたてた。赤いお肉は熱されて徐々に良い色になっていく。頃合いを見計らってひっくり返し、少ししたら取り皿で。タレがついているから、特に味つけしなくても食べられるだろう。手を合わせていただきます、それから肉を食べ始めた。


「ああすっげえうめえ!」


「かあ、最高だなこれは!」

 最初に歓喜と感動の声をあげたのは井上兄妹だ。タレの甘辛い味、焼いたことで出た香ばしい匂い、それらにも負けぬ肉の味。タレを食べているのではなく、きちんと肉を食べているのだということが分かる。美味しいと分かれば、箸は自然と進む。網の上に肉を乗せ、それが良い匂いを出しながら焼けていく様を見るのも楽しいし、口の中にそれを入れた時の幸福感はいつになっても薄れない。濃い味で、香ばしい香りがたまらない肉を食らうとご飯が欲しくなる。ご飯は粒、つまみ、小、並、大、特大、阿呆盛りと七段階あったがきっと妖基準の並盛なんて頼んだら恐ろしいことになると一番少ない粒盛りを頼んだら、案の定人間にとっては並サイズのものが出てきた。隣のテーブルを一人占めしている大鬼が頼んでいるのが阿呆盛りらしいが、彼自身の体格がすさまじいので一見それ程多くないように見える。しかし実際は白目を剥く程の量なのだった。タレのついた肉をご飯に乗せて一気にかきこめば、肉単体で食べた時とはまた違う味わい。ご飯に甘辛いタレと肉の脂が染みこんで、噛めばご飯の甘みとそれが口の中で混ざり合う。ご飯と食べるから味の濃さがより丁度良い具合になり、そうなるとますます食が進んでしまうのだった。


「焼肉のタレをただご飯の上にかけただけじゃこうはならないんだよなあ。ああ肉、もっと肉!」

 

「ああ、うめえなあ……幸せ」

 紗久羅は噛めば噛む程出てくる味に上機嫌。ここが妖だらけの異界であり、周囲にはかなり異様な光景が広がっていることなど気にも留めていない二人だった。さくらもしばらくの間は食べることに集中していた。井上兄妹に比べれば少食だが、お肉は彼女も嫌いではないのだ。

 とりあえず盛りは意外と早く終わり、各々食べたいと思ったものを次から次へと注文しだした。出雲も自由気ままに注文しては焼いて食べている。焼肉なんて煙たいし自分の美しい体や髪に匂いがつくから嫌だとか、匂いのきつい食べ物は嫌だとか、自分で焼くのは面倒くさいといかにも言いそうな男だが実際はそうでもないらしく、せっせと焼いてはご飯に乗せてぱくぱくと食べていた。にんにくたっぷりのタレも嫌いではないらしく、塩と同じ位タレ味の肉も頼んでいる。美味しければ多少の匂いなどは気にしない性質のようだ。あまり得意ではないと言いながら酒を頼んで飲んでもいた。しかし実に豪快な食べっぷりの井上兄妹と違い、食べ方は非常に上品で美しく彼の周囲だけは野外の焼肉屋ではなく高級料亭に見える。


「さくら姉のそれ美味しそう。それ何?」


「鶏の西京焼き。一口食べる?」

 サンキューと紗久羅はさくらの皿の上にあったそれを一切れもらった。西京味噌に漬けたものを網で焼いたもので、味噌がよく肉に染みこんでいるから、口に入れた瞬間優しくそして独特の甘さがふんわりと広がり、またその味が鶏肉とよく合うのだった。それをもらってこれも美味いな、と幸せそうな表情を浮かべる(彼女は本当に美味しそうに食べ物を食べる)彼女は代わりにさっぱりした味わいのネギ塩豚カルビをくれた。一夜は壺漬けカルビを注文している。これはさっき食べたカルビについていたものとはまた少し違ったタレに漬けた巨大カルビ一本が壺に入ったもので、網の上に大きくてぶ厚いカルビがどどんと乗っている様は圧巻。さっきはさっきで極厚のステーキを注文し、醤油と柚それから沢山の玉ねぎで作られたソースをつけて食べていた。


 元からテーブルに置かれていたタレは、王道の醤油やにんにくで作られたもの、塩ダレ、柚ぽんず、それから辛ダレ。これはかなり辛いが旨味もたっぷり入っているようで結構クセになる。しかし他にもタレはあり、注文すればその都度寄越してくれた。さくらはにんにくがたっぷり入ったものよりも、葱のたっぷり入った大根おろしぽんずや、一夜がステーキを食べる時に一緒に頼んだタレなどの方がさっぱりしていて好みだった。偶にパンチの効いた味も恋しくなるが基本はそれらのさっぱりした味のタレを使って食べる。奈都貴と一個ずつ分けて食べた焼きおにぎりも美味しかった。これは自分で焼くタイプのもので、カツオと昆布の出汁の効いた醤油味のご飯の表面に味噌がちょこんと塗ってあるもので、網に置いて焼くとそれが微かに焦げて良い匂いが辺りに広がった。焼きたてほやほやになるので大変熱かったが、噛めば噛む程ご飯の甘みと出汁と醤油の味が。ちなみにしらす入りのもの、チーズ入りのものも取り扱っているらしい。

 出雲は味噌ダレに漬けられたホルモンを焼いている。流石ホルモン、網の上で火が乱舞しすさまじい量の煙がもくもくとあがっている。それらはある程度の所まであがると四散した。


「そういえば出雲さん。……肉煙染って、体が煙に染まってしまう位お肉を沢山焼いて食べるからそう呼ばれているんですか?」


「まあそれもあるだろうけれど、肉煙染という言葉が指しているのは我々ではなく……そろそろかな、いやまだか……じっくり焼かないとね……ええと、そう、指しているのはここの森の方なんだよ」


「森……ああ確かに」

 ここは煙の発生源でも関わらずそれ程煙たくないが、木々が密集している部分はこの広場から大分離れている所まで異様なほど煙が充満していた。それらの煙に確かに森は染められていると言えるだろう。出雲は丁度良い焼き具合になったホルモンをご飯に乗せて食べ、それを飲みこんでから話を続けた。


「うん、これもいいねえ。甘辛で。私はうんと辛いものはあまり得意ではないから、これ位が丁度良い。で、ああそうだね肉煙染の話だったね。実はこの大焼肉会はこの森の為に行われているんだ。この森に生えている木は変わったものを養分にしている。水でも太陽光でも土に含まれる養分でもなく……そう、牛や豚といった生き物の肉を焼いた煙なんだ。ただ木や葉を燃やした煙では駄目なんだ。魚も良いみたいだけれど、ここでは魚はあまり提供されないね。別の場所では大浜焼き会をやっているようだけれど」


「こっちの世界は木さえあたし達の常識から外れているのかよ……」

 一応話を聞いていた紗久羅が呆れたように呟いた。彼女の網には牛タンが何枚も並んでいる。これを細かく刻んだネギたっぷりの塩ダレで食べるのだ。他にも彼女は貴族盛りという、ミスジやザブトン、カイノミ、サンカクといった希少部位が乗った贅沢なセットを頼んでおり、それが来た時は滅多に食べられるものではないからどういう味か楽しみと一人盛り上がっていた。


「煙が養分なこと位、何にもおかしいことではないよ。こちらには君達がびっくりするようなものを養分にしている植物なんて幾らでもあるのだから。しかもここにある木は毎日煙を吸収する必要はない。年に二回こうして大焼肉会を開けば十分なのさ。そしてこういうものを開けば妖は沢山訪れ、しこたま肉を焼いてくれる。その時発生した煙をまずは会場に近い場所に生えている木が集め、更にそれを増幅させてここから離れた場所に生えている木にも送る。その送られた煙がああして充満しているのさ。木は次から次へとひっきりなしに送られてくるその煙をゆっくり吸収するんだ。この様子がまるで肉の煙に染められている様に見えることからついた名前が肉煙染。木にとっては美味しい煙をたっぷり貰える良い日、そして我々にとっては美味しい肉を沢山食べられる素晴らしい日。良きかな良きかな肉煙染」


「何かさ……お前等森で食ってばかりいないか? 鬼灯夜行だって魔珠羅の森で飯食うやつだったし」


「そうだねえ。君達が知らない食に関する催し事は他にもあるけれど、森が会場なことが多いかもしれないねえ。そのせいか私達の中では森といえば美味しいご飯を沢山食べる所という認識になっている。妖の中には、森の語源は『もりもり食べる』だと思っている者も多い位だ」


「お前らの中の森は食事処か」

 

「森だけじゃないさ、我々にとっては海も川も山も皆食事処だよ。そこを住処としている者や精霊共とかは別だろうけれど。正直これだけ長く生きているとこれやりたい、あれやりたいっていうのも無くなってきてねえ。やることといえば食べて飲んで騒いで遊ぶこと位なんだよ。変わり映えのしない退屈な日々をそうすることで無理矢理過ごすんだ。遊戯や酒や食べ物は愉快で幸せな日々だと思い込む為の薬だ。退屈だけれど死ぬのも嫌だから仕方ない、と惰性で生きているような妖だって少なくない。時間に追われすぎる日々というのも辛いのだろうが、余りすぎているのも考え物だね。勿論心から楽しい日々を送っている妖だって多いけれどね」

 確かに千年以上も生きていれば、やりたいことなどなくなってくるかもしれない。退屈しのぎで普段やっていないことをやっても矢張りそれにもすぐ飽きるだろうし、何度も繰り返す内退屈しのぎの為に何をするかということも思い浮かばなくなってくるかもしれなかった。

 出雲はひょいひょいと山盛りになっているホルモンをご飯と一緒に食べては飲みこみ、それを何度か繰り返してから再び口を開いた。


「私には君達人間と遊ぶ、という暇潰しがあるけれど大抵の妖にはそれがない。しかし退屈な日々を変える為ににどうにかして境界を越えたいと願う者は実はそれほど多くないんだよね。愉快で楽しい日々を送っていると思い込んでいるからね、わざわざ現状を変えようとは考えない。『楽園』から抜け出した先にも『楽園』が待っているとは限らないし。それに人間と関わらない日々が長くなる内、頭から人間とか向こうの世界とかの存在が抜けているのも多いし。こちらで生きている内人間なんてどうでも良くなったって者も多い。多くの妖の中ではもう、人の世というのは存在しない、あってもなくても変わらないものになっているんだ。そして生まれも育ちもこちら、向こうには一度も行ったことがない妖はそもそも最初から人間や向こうのことなんて眼中にない」


「そのくせうっかり境界飛び越えてこっちに来た途端人間にちょっかい出したり、危害を加えたりするんだ」

 豚肉大葉巻きを注文して焼いていた奈都貴の言葉に出雲が首を横に振る。

 

「皆が皆そうではないよ。勝手の分からない世界に迷い込んで泣きだす者とか、いっそ死んだ方が楽だと死を選ぶ者とか、波風立てた結果術者等に殺されたらたまったものじゃないと大人しくどこかでひっそり暮らしながら再び境界を越える日を待つ者もいる。いっそこっちで人間として暮らしてしまうか、と考え人の世に溶け込む変わり者もいる。中には向こうでは何も問題がないのに、向こうに行った途端存在が希薄になり幽霊みたいな存在になってしまう妖もいる。そうなると霊的な力を持った人間か、妖にしか存在が認識されなくなる。後たまたま波長か何か合ったのか、何の力も持っていないのに認識してしまう運の悪い人間とかも偶に。更に存在を保てなくなると、最悪消滅してしまう。これらはこちらと向こうの関係が以前より薄くなったことが関係しているのかもしれないね」

 中には紗久羅達の世界に迷い込んだ結果ストレスが溜まり、魔に憑かれ暴走する妖もいる。クリスマスパーティーの時柚季の家に現れた賭け婆もそうだった。こちらに来た途端存在を保てなくなり(元々大分弱っていたようだが)、やむなく近くにいた人間の存在を奪いどうにか自分の存在を場に固定した妖といえば、東雲高校に怪談騒動を起こした安達鈴鹿こと花鬼だ。


「なあ、網交換するにはどうすればいいんだ?」

 出雲達の会話などまるで聞かず、只管肉を食べていた一夜によって話の流れは見事にぶち切られた。出雲はまあ別にいいか、と嘆息してから注文用紙に網交換と書けば良いと答える。結局全員網を交換することにし、注文用紙を箱に入れた。紗久羅は首を傾げながらそういえばどうやって網を交換するのだと出雲に尋ねる。


「まあ、いずれ分かるよ」

 という答え通り程なくしてもおお、と赤べこの鳴き声。それと共に箱ががたん、とひとりでに開いた。今までは注文の品がきたら自分達で開けていたので、自動で開いたことに四人はぎょっとする。そうして勝手に開いたのは、箱の中に居た者が内側から開けたからだった。箱の中に居たのはおかっぱ頭の、気味の悪い顔をした、そしてやたら手の長い日本人形。手は自分の体よりも長い。


「網は全員交換か」

 不気味な顔から発せられた声は矢張り不気味で、今から恐怖のショーでも始まるのではないかと思ってしまう程で。その人形を見ながら固まる四人に代わり、一人平然としている出雲が「そう。お願いね」と一言。それを聞くと人形は「御意」と答え無表情のまままずはその関節などない、長い手を使って熱々の網を引っ掴み箱へと押し込んだ。触手の生えた化け物の如き人形が網を回収するその様はなかなかぞっとする光景である。そして新しい網をすさまじい速さでセットすると「完了した」と一言言い、まだ熱いだろう網と共にご退場。彼女がいなくなってからも、彼女が生み出した異様な空気に呑まれ四人はしばらくの間呆然としていた。そしてなるべく網は交換したくないな、と心の中で思うのだった。


「なんだい、長い手の人形が網を交換した位で。妖に囲まれながら平気で肉を食べている癖して」


「な、なんかあまりにインパクトがすごかったものですから……」


「あたしそのことは今まで割と本気で忘れていたから……」


「何かあれを見た瞬間そういやここ妖怪の世界だったなって。まあいいや、肉頼もう肉」


「井上先輩切り替え早!」


「そうだな。周りのことなんて忘れて肉食おう、肉」


「井上妹も早い!」


「その切り替えの早さは菊野譲りだね……」

 と出雲は若干呆れたが、こちらもまた肉を食べることに集中しだす。肉が上手ければ会話も弾む、彼等は自分の頼んだメニューを美味しいからと他人に勧めたり、肉が焼けるのを待ちながらお喋りしたり。どちらかというとお喋りで盛り上がっているのは四人で、出雲は偶にその輪に入る程度だった。まさに子供達を引率する保護者ポジション。適度に距離をとり、適当に面倒見つつ食べている。お喋りより肉、紗久羅と遊ぶより肉。彼の頭は完全肉モード。


 こうして彼等は焼肉パーティーを楽しむのであった。


 

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