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桜町幻想奇譚  作者: 里芽
ひなのまもり
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ひなのまもり(3)


 奈都貴が入った部屋はやや広めの部屋だった。畳敷きの、襖に囲まれた部屋で天井に灯りはない。が襖がどういうわけか白く淡い光を孕んでいる為、薄暗いながら部屋の様子がある程度は分かる。

 部屋の中央には紅白の幕が四方に張られた小さなやぐらがあり、そこには立派な太鼓が一つ置いてあった。いやにしんとしていて、その静寂が氷で出来た無数の小さな針となって奈都貴をちくちくと刺す。静かすぎて落ち着かず、また不安がかきたてられる。

 だがその静寂は永遠に続かなかった。部屋の様子を見て回っていた奈都貴は、持ち上げられた世界がびたんと思いっきり叩きつけられたかのような衝撃と音に思わず悲鳴をあげた。それを聞いて驚かずにいられる人間などこの世に誰一人としていないだろう、それほどのものであった。そして少しして奈都貴はそれが部屋の中央にある太鼓が叩かれた音なのだと察した。太鼓は最初よりは随分大人しい音を小気味いいリズムで鳴らす。が、それを叩いている人の姿は見受けられない。やぐらの太鼓の前に、宙に浮いたバチが二本あり、それらが意思を以て動いているのだった。或いは太鼓を叩いているのは透明人間なのかもしれない。


 どんどんどん どどんどん どんどんどん どどんどん……

 しばらくして太鼓だけではなくぴいひょろろという陽気で、それでいてどこか狂っている印象を受ける笛の音まで聞こえだした。太鼓、笛、闇夜の祭囃子。だが奏者の姿はどこにもない。

 突然、無地の襖にぱっと人の影が映った。それは一つだけでなく、幾つもあった。大きいもの小さいもの、男らしきもの、女らしきもの、中には人の影ではなく動物のものもあった。そしてその平面の民達は襖の中で踊りだした。上げた両手をひらひらさせたり、ぱんぱんと叩いたり、上下左右にひょいひょいと軽快に動かしたりしている。祭囃子に合わせて彼等は踊り、そして踊りながら前へと進む。黒い影が、襖から隣の襖、またまた隣の襖へと移り、ぐるぐると回っている。三日月の形をした目と口だけは赤く赤く、狂った笑みが右から左に流れていく……。

 白い襖に映し出される、その中でだけ生きる黒い影、平面の民。それらが踊り狂い、くるくる回る、回る。しばらくすると襖は白い光だけでなく時折ピンクや緑、青、黄の光に染まるようになっていった。七色の襖をぐるぐると、黒い影。奈都貴は何だか自分が走馬灯の中に閉じ込められたような気持ちになった。


 その踊りは、段々と早くなっているような気さえする回転は、奈都貴の足をその場に縫いつける。目を奪われる、心を奪われる、だが決して魅力的なものではない。人を縛る催眠術、得体の知れぬ不安に体を掴まれ絶叫し滅茶苦茶に暴れたくなる気持ちにさせる呪い、意識を彼岸へ誘うような恐るべき力。

 今聞こえているのは祭囃子か、彼等の笑い声か。彼等が回れば回る程、奈都貴の正気ががりがりと、嫌な音をたてて削られていく。


「あ……」

 奈都貴の目に、見覚えのある姿が映った。それは自身を追いかけている化け物の姿だった。他の者は影のままだったが、それだけは影ではなく今までとまるっきり同じ姿が襖の中にあった。化け物は下品な笑みをその顔に貼りつけながら踊っている。奈都貴は不味い、と縫いつけられた足を無理矢理動かそうとした。笛の音色が高くなり、テンポは明らかに早くなり、太鼓の音は奈都貴の今の心臓の鼓動と同じ位早くなり、影の化け物の踊りは段々とばらばらに、滅茶苦茶になっていっている。部屋の中を満たす狂気がすさまじい高さの音となって奈都貴を襲う。頭が痛くて、くらくらして、まともに立っていられない。

 そしてその音が最高まで高くなり、人間には聞こえぬ程になり、無音のようになったのと同時に祭囃子も消えた。それも消えた瞬間、影が、化け物が、襖から飛び出てきた。飛び出した彼等は一斉に奈都貴へと向かって来た。捕まれば、おしまいだ。驚愕と恐怖が奈都貴の体を動かし、彼はさっと掴んだ桃雛を投げた。

 光と共にそれは奈都貴と寸分違わぬ姿へと変わった。途端彼等の注目の一切はこの奈都貴の身代わりに向き、奈都貴などその場にいないのと同じ状態になった。身代わりの奈都貴は大勢の彼等に群がられ、悲鳴をあげる。そして聞こえる骨や肉が噛み千切られる音……。その音は両手で耳を塞いでも聞こえてくる。非常に冷たい影の海を行きながら奈都貴は否応なく聞こえるその音に、自身の肉と骨が今まさに彼等に喰われている錯覚を覚える。何度も吐きそうになりながら、奈都貴はどうにかその部屋を出た。


 それからも奈都貴はあちこちの部屋へ入っては、おぞましい体験、恐ろしい思いをした。部屋の一つ一つが彼の心を削る装置であり、恐怖を、絶望を増幅させる呪文そのものだった。いつになっても、どれだけ走っても、逃げても、終わりは見えない。その絶望は奈都貴を狂気へと近づけたが、一方で「何が何でも絶対に生き残ってやる」という気持ちを生み育てた。逃げ切れないかもしれない、という絶望とここまで逃げられたなら逃げ切れるかもしれないという希望が一つの心の中にある。絶望が膨らめば膨らむ程、希望は強い輝きを増す。その希望が、生き残ってやるという気概が奈都貴の体を動かし続けた。


 途中一つの桃雛を使いながら仕掛けを解き、それによって無限ループしていた部屋が普通の部屋となり、襖を開けた先にあった真っ暗な空間へと奈都貴は足を踏み入れた。目の前には太い柱があり天まで伸びていいる。その柱を螺旋階段がぐるっと囲んでいる。支柱とそれに巻きつく蔦に見える。その空間に光をもたらすのは、柱と、そしてその柱に藤壺の如くついている般若や翁、媼の面。その面が青白い光を発し、不気味に闇を照らす。黒く塗られ闇に同化した手すりと、朱塗りの階段。奈都貴は化け物に追い立てられるようにしてその階段を駆け上がっていく。

 おおおお、おおおお、おおおおお……。面の口から漏れる重低音はお経のようで、奈都貴の心をぐらぐらと揺らす。化け物は一定の距離を保ったまま追いかけてくる。ここまで耐えてきたのに今更捕まってたまるものか、奈都貴はなるべく下を見ないようにしたし、また上に何が待ち受けているか考えもしなかった。駆け登った先にあったのは行き止まりで、苦労して上った階段をまた降りて行かなければいけないとか、無限に続く階段であるとか、そういう可能性は考えたくも無かった。

 ぼう、ぼう、闇に浮かぶ面。笑っている、笑っている、見ている、見ている、奈都貴が絶望に呑まれ化け物に喰われる瞬間を待ちながら、見ている、笑っている、ぽう、ぽう、闇に浮かんで。おおおう、おおおうと笑っている。


 天から差し込む光が見える、後少しでてっぺんに着くのかもしれない。そう思った時奈都貴は足を踏み外し、前のめりに倒れた。幸いそのまま転がり落ちることはなかったが、顔と体を強く打ちつけ激痛にしばらく身悶えていた。そしてその間に化け物は奈都貴との距離を詰めている。その足が階段を踏む度、振動が身を起こす奈都貴に伝わる。それは死を告げる合図だった。よろよろ立ち上がった瞬間うっかり下に目がいき、自分がどれだけ高い所まで上ってきたのか一目で理解してしまった。高所恐怖症ではないが、流石の高さに眩暈を覚え、また奈落の底に広がる闇の濃さ、そしてそこにぽうぽうと人魂の様に浮いている面の気味悪さが奈都貴を恐怖させる。走りださなければ、そう思ってもなかなか足が動かない。これは絶好の機会、そう思ったのか……今まで早歩き程度で階段を上っていた化け物が走り出した。


(これを使ったら残り一個に……ええい仕方ない!)

 そのままの勢いで走ってこられたら逃げ切れない。まずは化け物をどうにかしようと奈都貴はやっとのことで体を動かし、桃雛を投げる。桃雛は化け物の近くまでぽんぽんと何度も弾みながら落ちていくと、紅蓮の炎を発した。その炎の勢いはすさまじいもので、一瞬にして階段を焼いていく。焼け、そして崩れた落ちた階段と共に化け物も奈落の底へと落ちていく。普通なら助からないだろうが相手は化け物、油断はできない。そして奈都貴を助けた炎は階段を伝ってどんどん上へ上へ、彼をも焼き尽くさんと伸びてくる。


「炎と追いかけっこなんて……ふざけるなよ!」

 化け物に喰われるのも嫌だが、炎に焼かれて死ぬのも嫌だ。上へ向かって伸びる、伸びる、赤く熱い、化け物じみた手。その手から逃れようと奈都貴は走った。さっきから絶望し、恐怖し、足を止めることもあったが最後には必ず動いた。死んでなるものかという気持ちがある限り自分はどこまでも走り、逃げていけるような気もする。

 赤らむ闇、伸びる迫る炎、その炎に囚われぬよう必死に走った。走って、走って、そして光の中へと奈都貴は飛び込んだ。階段を上りきり、闇に慣れた目を突き刺す程眩い光。その光の中には木製の、格子状の引き戸がありそれを乱暴に開けて前へ飛び出すとふっと光が消えた。

 扉の先にあったのは別の部屋ではなく、行き止まりでもなく、屋外だった。振り返ると自分が先程開けた戸と立派な造りの屋敷がある。どうやら階段の先には玄関があり、その玄関の戸を開けて外へと出たらしい。全くどういう原理か分からないが、何でも有りなのが異形の者の領域である。


 奈都貴の前には真っ直ぐと石畳の道が伸び、その両脇には等間隔に篝火が設置されている。左側は火が赤く、左側の火は青い。長く長く伸びるその道の先には開け放たれた門と、こちらと向こうを隔てる高い塀がそびえている。空は金銀散りばめた瑠璃の器、だがそうなっているのは『こちら』側だけで、門の向こう――『あちら』は甕覗き色で、自分と陽菜の誕生石を思わせる色で、金混じりの白い太陽が昇っている。

 奈都貴はそれを見た時直感した。あそこを出ればこの悪夢から逃れられると。それに気づいた時、奈都貴の中にある希望の光がその輝きを増した。後少し頑張ればここから抜け出すことが出来る!


 恐怖や不安、緊張で固くなっている体をその希望の光で溶かし、奈都貴は走り出した。それと共にがらりと背後から戸を開く音が聞こえた。振り向けば案の定生きていた化け物が、醜悪な声をあげ百足の髪を振り乱しながら追いかけてくる。その足は今までよりも速く、少しずつ距離が縮まってきていた。門まで後少し、後少しなのだ。だがこのままでは門を出る前に喰われるかもしれない、と奈都貴は最後の桃雛を化け物めがけて投げた。桃雛は大きな升に姿を変え、かと思うとそこに篝火の二色の炎が吸い込まれていった。その炎は混ざり合い、紫色になる。紫色の炎は升から一気に飛び出し、同時に美しく神々しい龍にその形を変えた。龍は奈都貴を守らんと、咆哮と共に化け物に襲いかかる。


(これでかなり時間が稼げるはずだ……!)

 門はもう目前に迫っている。あそこを出れば自分は助かるのだ。闇に苦しめば苦しむ程、希望の光はより眩い輝きを見せ、死が近づけば近づく程生にしがみつこうとする気持ちは強くなる。

 絶望が見せる闇が濃ければ濃い程、希望が見せる光は明るくなるのだ。


 だが。

 龍は化け物によって、いとも簡単に倒され消えてしまった。今まではもっと長く足止め出来ていたはずなのに。龍が倒れされたことをを背に受けた悲鳴で悟った奈都貴が振り向けば、化け物がぎゃはははははとヘリウムガスを吸った人間のような、奇妙に高い声で気味悪く馬鹿笑いしながら四つん這いになっている姿が見えた。そして化け物は今までにない位の速さでこちらへと向かって来た。どれだけ奈都貴が死ぬ気で走っても、そのスピードで来られればあっという間に――門を出る前に間違いなく追いつかれる。更に奈都貴を守ってくれる桃雛はもう一つもない。


 その時奈都貴は悟った。化け物が今の今まで本気を出していなかったことを。本当は彼女(よく見ると女らしい)には奈都貴を容易に捕え、喰らうだけの力があったのだ。桃雛の守りの力も本当はかなり楽々打ち消すことが出来ていた。今化け物が纏っている気配がその事実を教えてくれたのだ。

 化け物はすぐに捕まえて喰らうことが出来る奈都貴を敢えて捕えなかったのだ。勿論奈都貴が諦め逃げることを止めれば即喰らっただろうが、逃げ続ける限り化け物は桃雛のもたらす『時間稼ぎ』に付き合い、走るスピードも緩めていた。桃雛自体、奈都貴の記憶か何かを読み取った化け物が用意したものかもしれない。


 きっとそれは奈都貴に『生きて帰ることが出来るかもしれない』という希望を持たせる為。その希望があったから、彼はここまで走り続けていられた。

 数々のおぞましいものたちによって心削られる一方、時間の経過と共に奈都貴の中にあった希望の光は大きくなり、輝きを増していた。心が脅かされる程、希望の光にしがみつく力も強くなっていた。そして奈都貴の体を動かし続けていた眩い光は門を目前に最高潮になっていた。

 この化け物は、その輝きを一瞬にして打ち砕くのが何よりも好きなのだ。彼女の満面の狂った、そして歪んだ笑みを見れば嫌という程それが分かる。希望が、生きて帰れるんだという喜びが大きければ大きい程、それを壊された時の絶望は強くなる。闇が濃い程光は強くなり、光が強くなる程闇は濃くなる。本気を出した化け物が迫る、桃雛の守りはない、このままただ走っても追いつかれる、もうどうにもならない。

 そう思った瞬間、希望というエネルギーを失った奈都貴の体は全く動かなくなった。途端つんのめって盛大に転ぶ。今まで逃げてこられたからこそ絶望は大きく、今まで彼の体内に蓄積された恐怖と削られた心が光という抑えを失って一気に噴き出していた。もう奈都貴の体は石になっていた。


 どうして、ここまで逃げて来たのに、最後の最後に、門は目の前にあるのに、後少し後少し後少し……。

 しかしもう奈都貴の体は動かない。化け物が喜びの咆哮をあげ、そして飛びかかってきた。奈都貴はぐっと目を瞑る。目蓋の裏が映し出す、桃雛の『守り』が見せたおぞましい光景。再生される肉と骨を喰いちぎる音、身代わりの発した悲鳴。それらが見せた未来が奈都貴に訪れたのだ。


「奈都貴!」

 その瞬間奈都貴は自分の名を叫ぶ女の声を聞いた。その声は十六年間ほぼ毎日のように聞いていた、馴染みのあるもの。自分と同じ日に母親の腹から誕生した、双子の妹。

 彼女の声と共に、辺り一面に白い光が降り注いだ。彼女が投げた何かがその光を発したのだ。目を瞑っていてもその光がどれだけ強いものなのかよく分かる。開けていたら今頃目は焼かれていたかもしれない。その光は柔らかく、そしてとても温かかった。温もりが奈都貴の体を解し、石から血の通う肉体に戻してくれる。一方化け物にとってこの光は強力な毒であったらしい。彼女は聞くも恐ろしい悲鳴をあげた。


「奈都貴、奈都貴、こっち!」

 陽菜の声が奈都貴の体を引っ張り上げた。目を開け自分に襲いかかろうとしていた化け物を見れば、彼女は地べたで死にかけた油虫の様にのたうち回っている。今だ、と奈都貴は門まで全速力で走っていった。門の向こう側に、美しい『空の色』の光――深沢兄妹の印――がきらり光っている。最後門へ伸ばした手を柔らかい手が掴み『向こう』へと引っ張る。

 化け物の悔しそうな、そして苦しそうな絶叫を聞きながら、奈都貴は朝の光に包まれた。


 はっと気づくと奈都貴は住宅に囲まれた道路に立っていた。すぐ近くには自宅が見え、自分が化け物の領域に引きずり込まれる寸前にいた場所に戻ってきたことを、助かったのだということを悟る。呆然としていた奈都貴はそのことを悟るとへたへたとその場に座り込んだ。喜びと恐怖と緊張が体から力を抜いたのだった。しばらくはその場から少しも動けず、通りかかった近所の人に「大丈夫か?」と声をかけられてしまった。大丈夫です、と答えたけれど実際は全く大丈夫ではない。


(いい加減立たないとな……それにしてもよく助かったよな、俺)

 深呼吸をし、未だクラゲの如くふにゃふにゃな体に鞭入れて無理矢理立ち上がったところで彼は自分の名を呼ぶ声を聞いた。その声の主は先程奈都貴の危機を救ってくれた者。彼女は奈都貴を見てにこにこと笑っている。


「陽菜……」


「おかえり、奈都貴。何だか心配になって迎えに来ちゃった。もうすぐ近くにいるような気がなんとなくしたのよ」


「心配……?」

 そう心配、と頷いて抜けた力がなかなか戻らぬ奈都貴の手を握り優しく引っ張りながら歩きだす。姉に泣きべそかきながら手を引かれる弟になった気持ちがして何だか恥ずかしい。だがその手を振りほどいたらまた地べたにへなへなと座り込んでしまいそうだったから、大人しくされるがままにされていた。


「今日は部活がお休みでね、私すぐ家に帰って奈都貴にあげる桃雛の仕上げをしていたの。でも完成した直後に不思議と眠くなってしまって……寝てしまったの。そこで私、夢を見たわ。夢の中で私は青空広がる場所にいたの。雑草がところどころ生えた地面と空、それ以外は何もない広々とした場所。何故か手には桃雛を持っていたわ。私はそれを手に握りながらふらふらと歩いていた……最初はあてもなく。しばらくしてからはアクアマリンの色をした光が見える方を目指して。その光は明るい空の下でも不思議とはっきりと見えたの。私あれは奈都貴だ、奈都貴の光だって不思議と途中から理解した。その光が私に来てくれって語りかけている気がして……只管私はその光のある方へ歩いていったわ。そしたら大きな屋敷と門と塀が見えて……そこの前まで来たら、びっくりしたわ。だって奈都貴が恐ろしい化け物に襲われていたのですもの。私思わず奈都貴! って叫んで手に持っていた桃雛を投げたわ。そうするのが一番だと、誰に教えられたわけでもなく分かったの。桃雛は眩い光を出して化け物の動きを止めた。私は奈都貴を呼んだ。こっちに来てって。自分のいる方に奈都貴を引っ張り込めば二人共助かるって思ったの。奈都貴だけじゃない、貴方を助けることで私も助かるんだって何故かそう思った。奈都貴を救えなければ、私もあの夢から永遠に覚めない気さえして……それで奈都貴が伸ばした手を掴んでめいっぱい引っ張った瞬間、目が覚めたの」

 その夢の内容の後半は、奈都貴があの領域で体験したことと合致している。陽菜にとっては夢だが、奈都貴にとっては現実だった。陽菜は双子の兄の危機を夢を介して救ったのだ。目をぱちくりさせている奈都貴を見て陽菜はにっこりと微笑む。彼女の名の通り、陽だまりに咲く菜の花の様な笑みだ。


「お誕生日おめでとう、奈都貴。それが今日言えたことは奇跡の様な気がしてならないわ。きっとあの夢のせいね。でも不思議、あの夢ってば夢とは到底思えないの。夢以外の何物でもないのだろうけれど……でも夢じゃないかも、やっぱり。だって折角作った桃雛が消えていたのですもの。確かにちゃんとあったのに……多分どれだけ探しても二度と見つからないだろう、そう思うわ。だからごめんなさい、今年は桃雛あげられないわ。もっとも貰ったところでどうというものでもないから、気にしてはいないと思うけれど」


「いや……貰ったよ。お前が今年作ってくれた桃雛」


「え?」


「ちゃんと貰ったよ。だから俺は今ここにいるんだ」

 目を瞑っていたからその造形を見ることは出来なかったが、まあいつも通りの珍妙な物体だろう。予想外の言葉に陽菜は目をぱちくりさせ、首を傾げた。そうしながら奈都貴の言葉の真意を汲み取ろうとしているようだった。


「それって……奈都貴にとっても、あれは夢ではない?」


「夢じゃない。誰も信じてくれないだろうから、二人だけの秘密な」

 双子の守りというものはどうやら本当にあるらしい、そう奈都貴は思いながら人差し指をたてた手を口元に持っていく。陽菜もそうだね、二人だけの秘密だねと言って笑った。陽菜は夢を通じて本来なら部外者は立ち入れぬはずの妖の領域に入り込み、双子にとって大切な色をした光を頼りにあのおぞましいもので満ちた屋敷の前まで辿り着き、そして十六歳の誕生日プレゼントを奈都貴に『贈り』その命を救った。きっとそれは紗久羅や柚季にも、出雲にさえ出来ない芸当だ。双子の彼女だけが出来ること。きっと常に出来る芸当ではないだろうが、時にこうして奈都貴を助けてくれることだろう。そして奈都貴にも彼女の命の危機を救う機会がいつか訪れるかもしれない。そんな『守り』が必要になるような事態が起きないことを祈りたいところだが。

 二人は改めてお互いの誕生日を祝った。そしてプレゼントを交換する。奈都貴は水色の硝子玉がついたストラップを、陽菜は水色の蜻蛉玉がついたおしゃれなブックマーカーを。陽菜はそれをずっとスカートのポケットに突っ込んでいたらしく、ラッピング袋はくしゃくしゃになっていた。もしかしたらお互いがお互いの為に用意したプレゼントが、空の色の光を発し、互いを導いていたのかもしれない。

 そして奈都貴が今まで陽菜から貰った桃雛も、その桃雛が入っていた袋も(最後の桃雛を放った後、手離してしまっていたらしい)部屋から消え二度と見つからなかった。


 手を繋ぎ、微笑みながら帰る双子を影から見守る梓は「面白いものを見せてくれてありがとう。矢張り双子の守りというものはあるようだね」と小声で呟き、にこりと笑った。

 でもそのことを二人は知らない。


 翌日奈都貴が英彦にその話をしたところ、よくその妖から逃げられたものだと驚かれた。陽菜の力が無ければ間違いなく奈都貴は逃げ切ることが出来なかっただろう。

 あの化け物の名前は『おとし()』といい、人間を自分の領域に引きずり込み次々と恐ろしい目に遭わせるのだそうだ。

 奈都貴の想像通り、おとし女はすぐに獲物を喰らいはしない。恐怖と絶望を与える一方で、それを抑えるだけの希望も与える。本気を出さず、お助けアイテムも渡し、逃げ切れるかもしれないという思いを獲物に抱かせる。そして彼等が領域から脱出する為の場所に近づいたところで本気を出し、すさまじい絶望で打ちのめしてから喰らう。彼女は人が絶望する顔を見るのが何より好きで、その絶望が大きければ大きい程良いのだ。勿論即諦めた人間はさっさと喰ってしまうようだが。

 奈都貴はあの妖がまた別の人間を標的にするのではないか、と不安を口にする。が英彦はそれを否定した。何でもおとし女には獲物に領域から脱出された瞬間死ぬという性質があるらしい。こちらも命がけなら、彼女達も命がけらしかった。英彦は本当に良かったと胸を撫で下ろしながら、ふっと微笑んだ。


「双子の妹さんに救われた命、大事にしてくださいね」

 その言葉に奈都貴は勿論です、と頷き図書室を後にする。


 十六歳となった奈都貴の一年はまだ始まったばかり。その始まりをアクアマリンが――優しい色の空が祝福していた……。

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