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桜町幻想奇譚  作者: 里芽
故郷は幻の二月の淵に
320/360

故郷は幻の二月の淵に(19)

 

 時間は更に進み、別れの挨拶をする一方で自室に置いてある持ち物の整理も始めた。誰かに譲ったり、残したりし、残りは二月二十八日の『別れ火』にて燃やす。出来ることなら奏から貰った星寄せ飾りも、颯馬から貰った人形も持って帰りたいが、それは出来ないのだ。

 あちこちで行われる『お別れ会』に招かれ、その人達と最後の大騒ぎ。ふるさとのさとの人達も会を開いてくれ、思い出を語る。自分がやってきたことを振り返りながら、ふるさとのさとに来て本当に良かったと思う。ここでの日々を知らない自分より、今の自分は確実に前に進んでいる。ここへ来なければ得られなかったものは、とても多い。向こうでもここでやってきたようなことをやりたいと改めて思う陽太だった。

 どのお別れ会でも皆大きな声で泣いているのか笑っているのかまるで分からない状態になり、終始異様なテンションで行われた。次から次へと沸き上がり、体中で暴れまくる多くの感情に耐え切れず皆すっかり壊れてしまうのだ。何を喋ったのか、何を食べたのか、思い出せることより思い出せないことの方が明らかに多かった。


 佐和から別れの手紙が来た。陽太と文を交わすことが日常生活の一部になっていたから、もうこうして手紙を書くことが出来ないかと思うと寂しいとか、勝手に自分の子供のように思っていたとか、今まで手紙を書いてくれてありがとう、のどかと仲良くしてくれて本当にありがとう、とかそういったことが書かれており、そしてその文一つ一つが陽太を突き、その痛みが涙となって頬を伝う。そして自分もまた、彼女のことをいつの間にか自分の母のように思っていたのだということに気づいた。封筒にはまことの母からの手紙も入っていた。一度しか会ったことがない人からの手紙なんて戸惑うと思うけれど、どうしても書きたかった、書かなければいけないような気がしたのだとそこには書かれていた。後は貴方のお陰でのどかが旅立って以来、どことなく元気が無かった佐和が元気になった、のどかの話が聞けて良かった、ありがとう、向こうでも元気でねということが書かれていた位で、かなり短い手紙だった。それでも彼女から手紙を貰えたことが何よりも嬉しくて、そうだ自分はまことの生まれ変わりだったなとここの所あまり意識していなかったことを意識したら涙が止まらなくなった。


(ありがとう……母さん)

 心の中でまことの母に、そして佐和に向けて感謝の気持ちを述べる。

 そうして陽太を涙させた手紙を、今まで自分のところに届いた全ての手紙と共に燃やす日――二月二十八日が訪れた。陽太は夜通し数々の品を通じて無数の思い出を見ていた為に重たくなった目蓋を擦る。最後の夜は草薙庵で過ごすから、この寮ともこれでお別れ。妙にしょっぱいご飯と卵焼きを食べ、仕事場へ足を運んで職員達と別れの挨拶を交わす。今日と明日で忙しくなる彼等とはもうまともに言葉を交わすことは出来ないだろう。話したいことは沢山あった、だが全てを出し切れる程の時間はもうない。話せば話す程新しい感情や言葉が湧いてきて、きっとキリがない。


「今日の別れ火も、明日の送り迎えもきっと素晴らしいものにしてみせる。君達の為に、そして僕達の為にね。ありがとう陽太君、ここふるさとのさとにやって来てくれて。共に過ごした日々はとても楽しいものだった、本当にありがとう。向こうでもどうか元気で」


「明之さんも、お元気で。色々教えてくださってありがとうございました。何度も、何度も明之さんには助けられました。……ここで学んだこと、ここに来たお陰で得た沢山の宝物は忘れません。……忘れません」


「僕も、忘れないよ」

 陽太は右も左もわからなかった自分に仕事のことを色々教えてくれた明之と握手し、それから見回り烏のいる部屋へと向かった。彼等もまた大切な仕事仲間であった。烏達は陽太の為に涙を流し、元気でいてねと口々に言った。


「達者でな、坊主。……お前のこと、忘れないぜ。忘れない。縁がありゃまた会おうぜ」


「うん、ありがとう善治。僕も忘れないよ」

 見回り烏は一羽を除いて皆陽太を取り囲んでいた。彼の近くに来なかったのは仁左衛門ただ一羽。部屋の隅にちょこんと立っていて、かああとあくび。そんな彼と目が合った。この悪戯ひねくれ烏とももう二度と会えないのだと思ったら寂しくなり、気づけば彼に言葉をかけていた。


「……仁左衛門も元気でな」

 仁左衛門は微笑む陽太をじっと見、それからそっぽを向く。


「……お前が向こうで不幸になって、苦しみながら死ぬことを心から祈っているよ」

 相変わらずな彼のその声が少し震えていた気がしたのは、気のせいだろうか。それなりに向こうも寂しがってくれていたら良いなという願望が作り出した幻?

 陽太は今日の別れ火で燃やすもの(ごく一部のもののみ。残りは業者によって会場へ運び出される)や数々の思い出等を記したノート、着替え等が入ったトランクを手に『ふるさとのさと』を後にした。最後、一度振り返って「ありがとう」と呟いてお辞儀して、それから前を向いて泣きながらその場を去った。


 他の州にいた帰郷者が続々と幻淵にやって来る。今夜『燃やすもの』を持てる限り持ってきて、残りは自分がいた場所で代わりに誰かが燃やしてくれるのだろう。幻淵中は明日の『送り迎え』の為の装飾でお祭り会場のようになっていた。きっと夜になれば夢幻の灯りをともし地上に星空を生み出すことだろう。成程、四年前幻淵はこんな風になっていたのだなと今になって知った。何せあの時は会場から旅館へ直行したものだから。沙羅から話を聞いたが、当日は朝から次の日の朝方まで古き帰郷者を送り、新しい帰郷者を歓迎し、飲み食らい、大騒ぎするのだそうだ。陽太達が参加出来るのは夕方までで、その後は一ヶ所に集まり、夜出発する。陽太は草薙庵へやって来るとトランクを置き、明日の出発に向けて幻淵に帰ってきた颯馬と共に外へ出た。二人で思い出の道を辿りながら、あちこちであった顔なじみの人と別れの言葉を交わす。二人で歩いていると、昔に戻ったような気持ちになる。四年なんてとても長いものだと思っていた頃の、自分達がどんな道を歩むのかまるで知らなかった頃の自分達に。実際の時も巻き戻されればいいのに、そうすればまた四年ここで暮らせるのに、と思う。だがそんなことは星神にだって出来ないことだ。誰にもどうにも出来ないから、帰るしかない。そもそも向こうの世界で生き、生まれることを選んだのは自分なのだ。


 別れ火は夜、四年前何が何だか分からず戸惑っていた陽太達がこの国の民に迎えられた広場で行われた。この別れ火が終わったら、即刻新たな帰郷者の出迎えをする会場に変えられるのだろう。ちなみに陽太達『向こうに帰る組』はここの近くにある別の会場(会場の様子はそう変わらないようだが)からあの川へと向かう。

 清女達が丸太で組まれた超巨大な井桁を取り囲み、歌いながら舞う。そうしている内、その井桁の内から炎が上がった。その火は夕焼け――暗転し世界が『夜』という名に変わる寸前の、昼を呑みこみ鮮やかな世界の色を燃やし尽くす炎の色に似ていて、赤く、赤く、金色で、世界だけでなく見た者の目をも燃やすような、鮮やかで妖しく不気味で美しい、そんな色をしている。それが勢いよくごおおという音を立て、ぱちぱちと赤い星屑を地上に散りばめながら天へと上っていく。そして天に溢れる瑠璃水を熱し、熱された水は仄かに赤く、黄色く、白く。清女の歌と舞が発生された炎はすさまじい熱を持っており、そこから大分離れた場所にいる陽太の、寒さと近づく別れにより冷えた体を芯まで温める。帰郷者は目を瞑り手を合わせ、事前に教えられていた文言を何度も繰り返し言い、それから順番に炎の中で手に持っているものを放っていった。大きなものはそれを引き受けた業者によって代わりに炎の中へと投げられる。順番を待つ帰郷者は陰鬱な表情を浮かべているか、泣いているかどちらかで、足取りは重く。皆手に持つものを本当は燃やしたくはないのだ。


「あら、陽太君」

 絞首台へ向かう死刑囚の如き足取りで進む陽太に声を掛けたのは奏だった。彼女も四年間住んだ土地を離れ、幻淵へと帰って来ていた。二度目の別れをすることになった彼女は陽太が気づいたのを見て微笑んだが、その表情は憂いを帯びている。彼女も焼くものを詰めたらしいトランクを手に順番を待っていた。彼女と話せる時間ももう残り僅かだったが、聖域、という言葉が合うような、そんな場所で――神聖で厳粛な儀式を執り行っている中でぺちゃくちゃと喋る気にはなれなかったし、大切なものを燃やすという行為を控え重たくなっていた気分が、口さえも重くし動きづらくしていたのだった。時々短い言葉を交わしながら順番を待ち、そしてとうとうその時はやって来た。美しい炎を前に、今すぐ引き返したい衝動に駆られる。隣をちらっと見ると奏もこちらを見ており、静かに頷いた。ちゃんと燃やそう、そしてこれらに詰まった思い出を天へ送ろうと言っているようだった。

 彼女のその瞳が、陽太に勇気をくれた。出会ったあの日何が何だか分からず不安で胸がいっぱいだった自分に「大丈夫」と声をかけてくれた時のことを思い出す。四年経っても自分は彼女に背中を押される側なのだな、と思ったら少し情けなかったが意を決し漏ってきたもの全てを炎の中へと放った。思い出の品々は炎に包まれ、あっという間に見えなくなる。そして物に込められた思い出、思いは炎となってごおおと勢いよく天へ、天へ、そして全ては天を満たす瑠璃水に溶け、この世界の一部となって永遠に有り続ける。自分がいなくなっても、ずっとずっと。この『別れ火』という儀式はこの国と別れる決意を固めさせるものであり、この国と決別する為のものであり、そしてこの国に永遠に『自分』を残す為のものなのだった。


(さようなら、僕達の思い出。さようなら、僕達がこの国で生きてきた証達。僕達がいなくなってもずっとずっとこの国に居続けて、僕達の代わりにこの国の大切な人達を空で見守り続けていて)

 しばらく延々と燃える炎を見、それから「また明日ね」と言って奏と別れ颯馬と草薙庵へ戻った。少しして理子と晃も帰ってきて後は延々と喋っていた。四年間の思い出とか、向こうのこととか、色々。

 普段は会話の輪にあまり加わりたがらない草十郎も一緒に。もうこの草薙庵で夜を過ごすことも、こうして話すこともないから。二月の二十九日は容赦なく訪れて、幻の二月の淵は幻でなくなるから。


「今ここで話したようなことも、皆あたし達帰ったら忘れてしまうのかな」


「忘れるだろうな。俺達だってそうだ……今はもう、お前達の前にここで暮らしていた帰郷者の顔も名前も思い出せん。そもそも本当に以前ここには帰郷者がいたのか、それさえも曖昧だ。……そいつらの写った写真があるんだがな、見てもぴんとこない。お前達もそうなるだろうさ」


「信じられないなあ。そういう言葉を色々な人から聞いているけれど、何だかんだいって帰ってもそれなりに覚えているのではないかと思えてならない」


「俺も。忘れない……忘れるもんかと思う。覚えている、忘れない、そう心に言い聞かせていれば大丈夫だって」


「僕もそう思う。駄目かもしれないって思っていたらきっと駄目だ。何が何でも覚えていようと思っていればきっと大丈夫だよ……向こうに行っても、友達でいよう」


「当たり前じゃないの、ずっとあたし達友達よ。向こうでも時々会えたらいいわね……皆住んでいるところバラバラだから難しいかもしれないけれど」


「そうだな。皆で集まって焼肉パーティーしようぜ、焼肉パーティー。それかすげえ豪華なホテルでバイキング! 遊園地に行くのも良いな!」

 遊園地いいねえ、と颯馬の提案に皆乗ってここに行きたいあれに行きたいこれこれに乗りたいと大盛り上がり。一番に名の上がったのは日本で一番大きく、そして世界的にも有名な『夢としあわせの国』と称されるテーマパークで、まだ一度も行ったことがないという晃が特に乗り気だった。皆で旅行に行くのもいいかもね、お金貯めてという理子の言葉に「行きたいね!」と皆口を合わせる。閏の国程旅行にかかる費用は易くないけれど、それでも皆で名所を巡り美味しいものを食べ、大騒ぎしたいと陽太は思った。

 四人は向こうで会って遊ぶ話を延々と続けた。草十郎は輪の外にいたが、時々興味のある単語を聞くとそれはどういう所だとか、それはなんだと聞いてきた。彼にとって向こうは未知の領域、異界なのだ。

 手紙を沢山書くことも約束した。何度もしつこい位、一緒遊ぼうね手紙も書こうねと口にする。どれだけ願っても忘れてしまうという事実から目を逸らし、何度も、何度も。

 忘れずにいようね。絶対覚えているよ、ずっとずっと――と。最後は全員で泣いて抱きしめあいながら、忘却を阻止する呪文であるかのように、自分に言い聞かせるように。


 結局殆ど寝ることないまま、旅立ちの日を迎えた。最後の朝食はとても静かで、皆毒でも食らっているかのような顔をしている。


「折角の旅立ちだってのに、ぶっさいくな顔してら。いつも以上にぶ厚く化粧してごまかした方がいいんじゃ……いてえ!」


「いつもそこまで厚く化粧していないし、女の子にぶっさいくなんて最低。そういうあんたもただでさえ大惨事な顔がますます悲惨なことになっているわよ。今すぐ整形手術してもらわないと駄目なレベル」

 うるせえなあ、と颯馬は口を尖らせる。二人は顔を合わせばいつもこうだが、いつもと違ってその口げんかに元気はなく、台本に書かれた台詞を無理矢理言わされているような違和感さえ覚える。

 お前等全員、今までにない位酷い顔をしているという草十郎に「草十郎はいっつも酷い顔だけれどな。ああ、酷い顔じゃなくて怖い顔だった」と余計なことを言い、ぽかんと頭を叩かれたがそれにも矢張り勢いはなかった。ご飯を食べてから沙羅と双樹が来るまでの間、四人は草薙庵の中を延々と歩き回りもう二度と訪れることがないだろう自分達の家に別れを告げた。


(もう来ることも許されないなんて……惨い話だ。奏さんみたいなことにならない限り、もうお別れしたら……二度と……)

 昨日別れたふるさとのさとの人達や見回り烏、別れの挨拶をしにいった人達のことを思い出すとまた涙が出、腫れた目が痛みを訴える。その痛み以上のものが陽太の胸を襲っていた。また会おうね、という言葉が使えないことの辛さをこの国で初めて知った陽太だった。

 やがて沙羅と双樹がやって来た。四人はあのノートを手提げの鞄の中へ入れ、外へと出る。そして草十郎にありがとうございましたと深々とお辞儀した。


「……達者でな。写真はアルバムの中に入れておく。俺はお前達のことを忘れるだろうが、写真は無くならない。お前達が持ち帰る写真とは違って、こっちの国のは問題なく残り続ける。お前達がここで暮らした事実も、消えることは無いから安心しろ」


「忘れるなんて、いうなよ」


「それが現実だ、仕方ない。俺は人を安心させる為だろうがなんだろうが、真っ赤な嘘をつくことは出来ないからな。……まあ、向こうでも元気にやれ。ほら、さっさと行け。だらだらしていたら、別れが辛くなるぞ。俺も見送り会場には足を運ぶ、他の人達と一緒にお前達を見送ってやるよ……だから、さっさと行け」

 顔はいつも通りだったが、その声は震えていた。別れが辛いのは陽太達だけではない。約一年しかいなかった颯馬も、ほぼ四年丸ごといた理子も彼にとっては大切な子供のようなものだった――彼がそんなことを口にしたことはなかったが、態度で分かる。自分達は彼に大切にされていたし、自分達もまた彼のことを大切にしていた。実の父親のように慕っていた。

 別れたくない、ここで背を向けたら彼とはもう二度と会えない。彼は見送りには行くと言ったが、今から始まるお祭り騒ぎに参加するとは言っていない。夜まで恐らく家の中にこもっているだろう。

 それでも陽太達は行かなくてはいけなかった。


「本当に、ありがとうございました。草十郎さんもお元気で」

 改めて、お辞儀する。自分の顔がぐちゃぐちゃになっていることが分かる、でもそれを恥ずかしいと思う気持ちも今はない。この別れの瞬間が、一番辛い。その場を去った時が最後なんて、なんて、残酷な。

 しばらく頭を下げ続け、それから四人は沙羅達と一緒に坂を下った。草薙庵での思い出が涙となって溢れて、止められない。これだけの涙を流すものを向こうに帰った途端忘れてしまうなんて、矢張り信じられない。

 あちこちに屋台があり子供達のはしゃぐ声や、帰郷者とこの国の人が喋っている姿、食べ物の匂いがそこらじゅうにあった。彼等は新しい出会いに胸躍らせているようでもあり、今までいた帰郷者との別れに胸を痛めているようにも見えた。各々の複雑な心境を取り込んだお祭り騒ぎは異様な空気をたたえ、不気味な化け物を溶かして混ぜた様な。皆狂ったように声をあげ、笑い、泣き、食らった。正常な者も祭りの空気に呑まれれば狂人となり、世界は狂い人間の大パレード。今日は新たな出会い、別れ、どちらにもふさわしい位晴れていて空は惚れ惚れする程澄んだ色。

 陽太はもう殆どヤケクソみたいになって幻淵で過ごす最後の時間を楽しんだ。いや楽しんでいたのか悲しんでいたのか、正直分からなかった。幻淵での数々の思い出、それから向こうで過ごす未来のことで頭の中はいっぱいで、沙羅達とどんな会話をしたかも覚えていない。そんな状態でも自分がこの国の輪から外れかかっていることによって生じた疎外感を痛い程感じていた。

 食べて飲んで喋って遊んで、最後は陽太、颯馬、理子、晃、沙羅、双樹、たまたま会った奏、その他の友人と一緒に写真を撮った。草十郎がこの場にいなかったのが残念で仕方なかったが、一応彼の写真もノートには貼ってあるからよしとしよう。出来立ての写真をノートの最後のページに貼った。もう旅立ちに向けて決められた場所に集合しなければいけない。


 沙羅と双樹は最後に美しい歌を五人に贈ってくれた。涙交じりだったけれど、その歌声は全てのもやもやを浄化してくれるような、素晴らしいものだった。古い言語で紡がれたのは、別れの歌。歌の終わりと共に、六人で大泣きして抱き合った。その様子を奏が見守っている。


「ボク達にとって、君達はとても大切な人達だった。初めて会った時はこんなに……別れを苦しいって思う程好きになるなんて、思わなかった。多分ボクは前親しくなった帰郷者と別れた時、もう二度と帰郷者とは仲良くしないぞって決めていたはずだったのに……無理だったね。ボクはまた次の帰郷者と仲良くなるかもしれない。そして、また、こうして、泣く、泣くんだよ……嫌になっちゃうよ、本当最低の気分だ。最高の気持ちを沢山貰ったからこそ、その分……」


「僕も同じ気持ちです。陽太君達が帰郷者ではなく、この国の住人だったら良かったのにと思う位大切に思っていました。でも、別れなくちゃいけないんですね……」


「俺達も別れたくねえよ、俺達にとってもお前等は大切な友達だったんだ。そんな友達と別れて良い気持ちになんてなれるかよ、畜生……くそ、涙が。最後は笑って終わらせようと思ったのに……そう出来た試しがない」

 忘れない、忘れない、ずっと忘れない。覚えている、覚えている。何度もしつこい位口に出した。陽太は心の中で、満星祭りの度彼女達の体に降りてきた双子神にも別れを告げた。そして陽太達帰郷者は二人の歌声に見送られ、集合場所へ向かった。

 集合場所はここへ来てしばらくの間泊まっていた宿だ。宿の中は話し声と鼻をすする声でいっぱいだ。昨日の別れ火の炎のような色の空は、空硝子がひび割れ瑠璃水が溢れたことであっという間に真っ暗になった。帰郷者達は『真鶴の間』にてここ閏の国での最後の食事をとった。特別豪華ではないが、ほっと出来る味の美味しいご飯だったが、その食事を楽しんでいる人は誰もいなかった。向こうへ帰る時間が近付いていることでそわそわしており、それどころではなかった。もう帰らなければいけないんだ、この国と別れなければいけないんだという思いで腹がいっぱいになっていたというのもあった。帰りたい、帰りたい、早く向こうにいる家族や友達と会いたい。でも、帰りたくもない。来年も再来年もここにいたい。真逆の気持ち、沙羅と双樹の別れの歌が折角腹の中のぐちゃぐちゃを浄化してくれたのに、もう元通り。

 今頃閏の国の民はご馳走を食べながら陽太達帰郷者と、新たな帰郷者を待っていることだろう。そしてあの灯りを空へ放ち、あの川を天の川に変える。

 食事の後は景圀等歓迎会と同じメンバーによる挨拶が続き、巫女姿の女性たちによる送りの舞が披露され、後は出発まで自由時間となった。舟に乗るグループは四年前と一緒の為、颯馬達とはここでお別れとなる。四人は自分達グループの出発時間になるまでずっと一緒に居た。


「……あっという間だったなあ、四年」


「本当あっという間だったわね」


「流星のようにってまさにこういうことを言うのだろうね。四年ってこんなに短かったんだね」


「あっという間だったけれど、その間に沢山の出来事があった。本当に数え切れない位」


「舟に乗ったら俺達もう、離れ離れになるな。そしたら今みたいに簡単には会えなくなる」


「皆見事に住んでいる場所がばらばらだもんね。でも手紙やメールなら、そんな距離関係ないものね。こうして顔を合わせることはなかなか出来ないけれど、言葉を交わすことは出来る。だから、いい。それさえ出来なかったら悲しくて死んじゃいそうだけれど」

 改めて手紙を書くからね、と約束を交わす。いつか一緒に遊ぼうねとも言った。しつこい程交わす約束にどれだけの力があるか、今の陽太達には分からない。自分達を永遠に結びつけるだけの力があると信じていたかった。


 初めに晃がこの場を去った。彼は理子と抱き合い「君と会えて良かった」と礼を口にする。そして陽太と颯馬に少しだけ目を瞑っていて欲しいといった。その間に彼等が何をしたのか想像に難くない。晃は陽太と颯馬と握手をし、同じグループの人と一緒に部屋を出た。理子の「お別れしたくない」と言いながら泣きじゃくる声が痛々しかった。

 そんな理子が次に部屋を出た。最後まで颯馬と憎まれ口を叩きあって、二人して泣きながら笑って。大声で喧嘩しては草十郎に叱られていた日々が思い出され、陽太はあんなやり取りさえ愛しい宝物になるなんてねと二人を見ながら微笑む。


「あんたとこんなやり取りするのもこれで最後ね」


「最後なんて言うなよ、またいつか会うんだろう?」


「それもそうだった。あんたのこと、嫌いじゃなかったよ。陽太君も今までありがとう。向こうでも元気でね」


 そして最後は颯馬だった。帰郷者の中で特別親しかった彼との別れはとても寂しいもの。


「お前と会って幻淵中歩き回って、色々なものを見つけて……楽しかったよ。草薙庵を選んで良かったと俺は本当に思う。あそこを選んだからこそ俺はお前や理子に会って、楽しい時間を過ごせた。別の所へ行っていたらまた別の幸せがあっただろうけれど、俺にとっては草薙庵が『正解』だったよ」


「僕も同じだよ。颯馬と会っていなければ、あんな風に毎日のように幻淵を隅から隅まで探検することはなかっただろうし、ここまで幻淵のことを好きになることもなかったかもしれない。幻淵を好きになったからこそここの為に、ここに住む人、ここに来る人の為に色々なことをしたいと思えた。僕が自分の好きなことを、やりたいことを見つけられたのは四年前のあの日々があったお陰なんだ」


「……本当、あっという間の四年だった。あっという間だったけれど四年の月日は確実に流れた。俺もお前も随分大きくなって、沢山のものを得た。得たもの全て、失いたくないな」


「うん、全部持ち帰って……全部覚えていたいね」


「また向こうで会おうな。俺、ちゃんと手紙も書くよ。ここに住んでいた時と同じように。絶対に、絶対だ」

 陽太と颯馬は硬く握手する。陽太は改めて颯馬との出会いに感謝した。彼と草薙庵と出会ったから、今の自分がいるのだと思う。そして草薙庵に入ったからこそ理子や晃、草十郎と出会い、颯馬と遊ぶ最中沙羅と双樹等の友人と出会った。自分はこれ以上にない選択をし、最上の幸せを得たのだ。

 その幸せを忘れたくない、心からそう思う。やがて颯馬は陽太から手を離し、それじゃあなと笑って手を振って部屋を出た。そしてとうとう陽太は一人になった。三人がいなくなり、陽太の両隣は随分と寂しくなった。彼等が発していた温かく優しい熱も消え、ぽっかり空いた心に冷気が入り込み陽太は体を震わせる。

 一人、また一人部屋を出旅立ちへの道を歩んでいく。家に帰れる喜びと、この国と別れる悲しみ入り混じる顔を浮かべた人が次々と陽太の横を通り過ぎていった。そんな陽太のもとに奏がやって来た。奏が来てくれてとても嬉しかったが、彼女が寄り添ってくれてもぽっかりと空いた心は満たされずにいる。


 やがて陽太達のグループが呼ばれた。奏に差し出された手をとり、彼女と手を繋いで陽太は歩いた。随分と大きくなった坊やや新見さん、片倉さんもいる。

 陽太は手を繋いでいるのを見られていることを少し恥ずかしく思い、頬を俄かに染めながら彼等とも話をする。四年というのはあっという間だね、それが皆の口癖。誰もが皆そのあっという間の四年を幸せに過ごし、陽の光を浴びながら水底に沈むビー玉の様にキラキラ輝いた思い出を抱えこの国を出る。

 

 宿を出ると陽気なメロディと人々の声や手を叩く音が体をガツンと叩いた。賑やかな爆弾をぶつけられ、陽太の心がその衝撃でぐらんぐらんと揺れ動く。帰れる、帰れる、早く帰りたい、自分の家の自分の部屋のベッドで早く寝たい、帰りたい、帰りたくない、お別れなんて嫌だ。この音楽も、この声も、拍手も向こうでは聞けないもの。

 木々と雪洞の灯りに囲まれた道を歩く。自分達が向かっている所とは別の方からも、歓声が聞こえた。もう新たな帰郷者が訪れているのだ。今頃彼等は鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしていることだろう。会場に入ると先程までとは比べ物にならぬ程大きな爆弾を投げつけられた。眩い灯りに照らされたそこには無数のテーブル、ご馳走、そして閏の国の民。彼等は陽太達が入ってきたことに気づくと『いってらっしゃい!』と見送りの言葉を口にした。その声を聞きながら帰郷者達は階段を上り、花道を進んでいく。


 いってらっしゃい、いってらっしゃい、いってらっしゃい。

 さようなら、と言う人は誰もいない。皆いってらっしゃいと言う。まずもう二度と来ることがないことを分かっていながら……。また会おうね、また会いたいね――そんな願いがこの言葉には込められているような気がする。そして彼等にとって陽太達はいつまでもこの国の民なのだ。輪から外され、向こうに属する者に戻ったとしても。

 陽太は進みながら周りをちらちらと見る。見知った顔を見つけ、胸から熱いものが込みあげてくる。残念ながら草十郎や沙羅と双樹の姿を認めることは出来なかったが、きっと彼等もどこかで自分達に「いってらっしゃい」と言っていることだろう。彼等の姿を見ることが出来なかったのは残念だったが、見たら三田で帰りたくないという思いが強くなるだろうからこれで良かったのかもしれない。


「行ってきます!」

 ステージまで行き、正面を向いて帰郷者達は大声で挨拶し深々とお辞儀する。いってらっしゃいという爆発音が会場内に響き渡った。いってらっしゃい、いってらっしゃい、いってらっしゃい。頭を上げると無数の住人達の顔があり、愛しさに胸が満たされる。四年前は懐かしさを感じながらも戸惑い、今はただただ愛おしい。ありがとう、行ってきます。心の中で呟いてくるり彼等に背を向ける。顔一つ一つをしっかりと脳に刻みつけて。

 そして陽太はステージ後方にある屏風の方まで進んだ。屏風は手が触れると波紋を生み出し、そのまま前に突きだすと、指は中へとずぶずぶと入っていく。勇気をもって前へ進むと屏風は陽太の体を受け入れ、そのまま突き進み、抜けた先には懐かしの小島と舟。人々の声は消え、静寂が辺りを包み込む。


 そして陽太達は舟に乗り、川の流れに乗って向こうを目指した。岩のトンネル、見送り迎える精霊、苔むす岩、川を泳ぐ翠輝魚。四年ぶりに見るものだったが久しぶりではなくつい半年位前に見たばかりのような気がした。

 きらきらと空に瞬く金銀砕き硝子、舟の浮かぶ橙星、天の川。天も地も輝き、その光に挟まれた緑も翡翠の美。息を吸い込むとその煌めきが体の内に吸い込まれそうな気さえした。

 この煌めきの先に待っているのは、懐かしの、そして愛しい世界だ。舟がそちらへ向かって進めば進む程、気持ちは向こうへと引っ張られていく。四年ぶりに家族と会えるのだ、と思ったら嬉しくて仕方が無かった。彼等と会えるその瞬間が待ち遠しい。向こうのことばかり陽太は考える。

 だが、閏の国に引っ張られる力もまた強かった。帰れることへの喜びが生み出す高揚感に包まれたかと思えば、もう二度と見ることも触れることも叶わぬ世界への想いの重さに沈む。


「……帰りたくない」

 そう呟いたのはあの坊やで。彼は何度もそう呟く内耐え切れなくなったのかとうとう泣きだしてしまった。それを宥める人達も次々と涙を流し、収拾がつかない有様になった。そしてその空気に陽太も呑まれ、帰りたくないという思いが強くなった。

 どんどんと舟は進む、だが想いは前に進みたがらない。後ろだけを見、流れに逆らい遠ざかる世界に手を伸ばしそっちへ行かせてくれ、と心の中で叫び続ける。だがどれだけ頑張ってもそちらへは進めず、体は無情にも流れていった。帰りたくない、まだあそこに居たい、家族や友達と会えなくてもいい。幻淵に住み、ふるさとのさとで仕事をしながら友達と遊びたかった。


 その時、向かい側から一艘の舟がやって来た。今から閏の国へ向かう帰郷者達の乗った舟だ。そこに乗る彼等の顔が少しだけ見える。誰も彼も四年前の自分と全く同じ表情を浮かべており、陽太は何も知らなかった頃の自分の姿をそこに見た。そして今の自分はあの日反対側からやって来た舟に乗っていた人達と、寸分違わぬ顔をしていることに気づく。四年経って陽太は彼等がどうしてあれ程悲しそうな、苦しそうな、帰りたくなさそうな顔をしていたのか理解した。四年経って、ようやく。

 やがて遠くへ消えていった舟に乗っていた人々はこれからあの国へ行くのだ。そして四年という長いようで短い月日を過ごし、数々の宝物を得、やがて陽太と同じ顔を浮かべ向こうへと帰る。陽太達の顔を見た帰郷者は帰る時、その表情の意味を知るのだ。


「……羨ましいな。あの人達は今から四年、向こうで暮らせるんだ」


「そうね……羨ましいわね。彼等は私達の知らない四年を知ることが出来る。でも私達もあの人達が永遠に知ることのない四年を知っている」


「そうですね」

 陽太は奏と二人、空を見上げる。星を見てこれ程苦しい思いをしたことなど一度も無かった。向こうに引っ張られたり、閏の国に引っ張られたりを繰り返す心に眩い輝きは酷く沁みる。


「奏さん、僕奏さんのこと絶対忘れません」


「ええ」


「……向こうでも、また会ってくれますか」


「……ええ。いつか、必ず会いましょう」


「絶対ですよ、約束ですよ」


「分かっているわ。そしたらまた向こうで読んだ本の話とかしましょうね」

 そう言って奏は陽太に小指を差し出した。陽太も小指を差し出して、それに絡めて指切りげんまん。改めて陽太は奏と会えてよかったと思う。彼女の笑顔も声も、全てが愛おしい。そしてその想いは向こうへ帰っても変わらず残り続けると彼は信じた。

 川を流れる灯り、美しいそれは閏の国の人々の想いであり切り取った魂の一部であり言葉である。四年前はただ綺麗だと思うだけだったそれが今は愛しい。耳を傾けると灯りが『行ってらっしゃい』と言う声が聞こえる気がした。この無数の灯りの中にきっと、草十郎や沙羅や双樹や明之が作ったものもある。陽太は本当に最後の別れを、どこかを流れている灯りに告げた。遠くから清女の


「僕奏さんと会えてよかったです。……本当にありがとうございました」


「私も陽太君と会えてよかったわ。こちらこそありがとう」

 帰郷者達は舟の上で、ありがとうさようならまたどこかでと仲間達に次々と告げていく。舟が向こうへ辿り着く時間が迫っているのを感じたからだ。本当はお別れなんて告げたくなかったけれど。

 やがて陽太は意識が遠のいていくのを感じた。川の灯り、その光がぐんぐん膨らんで大きくなり陽太達の視界を橙色に染めていく。そして世界の全てがその光に染まった時、陽太は意識を完全に手放した。


 忘れない、さようなら、僕等の国。

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