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桜町幻想奇譚  作者: 里芽
故郷は幻の二月の淵に
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故郷は幻の二月の淵に(14)


 茶会が終わった後は奏の住む魔女寮に泊まり、次の日は魔女の暮らしを見、魔女寮周辺を奏と一緒に歩き、観光を楽しんだ。奏への気持ちを自覚した為に、今まで以上に彼女と一緒に話している時は緊張し、彼女の言うことは一語一句逃さず聞こうと思いながらも結局殆ど耳に入ってこなかった。一度近所に住んでいるらしいおばさんに「おや奏ちゃん、彼氏とデート?」と言われた時には顔から火が出る程熱が上がり、一方で恋人に見られたことを嬉しく思い、直後の「違いますよ。彼は同じ帰郷者で、お友達なんです。というより弟みたいな存在かな」という奏の言葉に分かっている、分かっているけれど、と落胆。その様子を見たおばさんは去り際陽太に小声で「まあ、頑張りなさい」とエールを送った。

 私みたいなおばさんが恋人じゃ、あんまり可哀想だものねと笑う奏に陽太は「そんなことないです、むしろ僕は奏さんの恋人になることを望んでいます!」と言いたくて仕方なかったが、そんなこととても言えなかったし、言ったところで信じてくれそうにもなく結局「奏さんはおばさんなんかじゃないです、まだまだ若いです」という本心だがお世辞にしか聞こえないことを言うしかなく、案の定お世辞にとったらしい奏はありがとうねと笑うだけ。


(僕は出来ることなら奏さんと……恋人同士になれたら良いなって思うけれど……でも、無理だろうな。奏さんにとって僕はお友達とか弟とか、そんな感じなんだから。僕がどれだけ頑張っても、それは変わらないような気がする。変なことをして、今の関係がおかしくなっちゃうのも嫌だ。仮にアプローチとか告白が成功したって、恋人同士でいられるのはきっと外つ国へ帰るまでのことだ。帰ったらきっと、奏さんを大切に想う気持ちもなくなる)

 友を想う気持ちさえ幻と消えていくのに、どうしてそれと変わらぬ程大切な想いがそのまま残り続けるだろう。理子と晃はそれを承知の上で事実上恋人同士になっているが、自分にそんなことは出来そうにない。


(それに……恋人同士になれたらいいなと思っているのも確かだけれど、でもなんかこのままで良いんだって気持ちもあるしなあ。なんかこれ以上先に進むのは違うような気がするんだ、好きなんだけれど、でもなんか、いや憧れとか慕っているとかそれとはちゃんと違う気持ちなんだけれど。大好きなお姉さん、の延長みたいな気持ちだからこうなのか)


「どうしたの陽太君、頭を抱えて」


「え、いえ何でもありません! 何でもないので何事も無かったかのように振る舞ってください!」

 動揺のあまり訳の分からないことを口にする陽太を見て困惑しながらも、それなら良いのだけれどと奏は近くにある歴史的事件が起きたという建物の説明をしだすが勿論陽太の耳にはまともに届いていない。

 これからもこうして会って、二人の時間を過ごしたい。今まで捨ててしまった時間を後悔しながらも。そう思いつつ、陽太は想いが成就するかどうかは別にしてきちんと自分の想いを伝えるべきか、心の内に秘めたまま終わりにするかずっと考えているのだった。


 そして次の桔梗会でまた会うことを約束し、幻淵へと帰った。帰ってからはツアーの企画を進めつつ、いつも通り見回り烏の世話や資料室の整理、住民とのコミュニケーション諸々の業務もこなす。永遠にこうしていることは出来ないが、やれることをやれるだけやりたかった。

 ツアーの企画は明之等先輩達が色々とサポートしてくれ、住民も積極的に協力をしてくれた。日帰りの小さなツアーではあるが、陽太にとってそれは大きな一歩である。そのツアーが行われる四月の末日が楽しみで仕方ない陽太だった。

 ふるさとのさと職員と大騒ぎしながら年を越し、冬の寒い日に敢えてアイスやかき氷、そうめんといった冷たいものを食べるという祭りで調子に乗って食べ過ぎて盛大に腹を壊し、おしくらまんじゅう大会なるものに出場し、冬の鍋大会で審査員を務め、参加者の一人である草十郎の料理を久々に食べ、草薙庵に猛烈に帰りたくなった。そして二月末日、桔梗会。陽太は十五歳になり、同時に閏の国で過ごす最後の一年が始まった。もう三年経ったのかと改めて時の流れの早さに驚かされる。四年もあるなどと考えていた時がとても懐かしい。四年という歳月はあまりにも短いものだ。きっと最後の一年は今まで以上に早く過ぎて、皆であの川を下って閏の国へと帰っていく。その実感はまだはっきりと沸かなかったが、じき痛い程この国との別れが近付いてくることを感じるのだろう。


「よう陽太、久しぶり!」

 手を振る颯馬はますます大人っぽくなっていた。背はもうそれ程大差ないが、顔つきが陽太より四年分大人びている。陽太は自分が随分成長していることを実感していたが、そうして色々と変わっているのは自分だけではなく、自分がそうなった分だけ先を進む颯馬もまた変わるのだ。やんちゃで子供っぽい部分もまだまだ残ってはいるが、昔に比べれば幾分なりを潜めているように思える。やっぱり年下な分、颯馬を色々な意味で追い越すことは出来ないなと苦笑いする陽太を見て、颯馬は感嘆の声をあげた。


「ほう、お前も随分背が伸びたなあ! すっかり俺と同じ位になってら。一緒に草薙庵に居た頃はあんなにちびすけだったのにな。大人の階段怒涛の勢いで駆け上がったなあ!」


「颯馬も随分大人びてきたね。颯馬でも大人になるんだね」

 颯馬でも、とはなんだ颯馬でもとはと陽太の首を絞める真似をする。こういうノリは今も変わらない。


「声も低くなったなあ。ちょっと前まで女みたいな声だったのに。……そんな風になる位の年月が経ったんだな、もう。ほらチビスケ達もどんどん大きくなっている」

 そう言って颯馬は陽太達よりもっと小さな子供達を次々と指差す。その中には陽太と同じ舟でやって来た坊やもいた。坊やは今も坊やという言葉がぴったりな位小さくはあるが、それでもここへ来た当初に比べれば随分と成長している。彼以外の子供達も桔梗会で見る度大きくなっており、実は弟や妹に思える彼等の成長を見るのも皆の楽しみの一つであった。しかしそんな彼等の姿を見る颯馬の横顔は寂しげだ。彼等の成長は、残された時間が少なくなってきているという現実を突きつけてくるものでもあるから。


「色々なことが変わっていきながら、終わりに近づいているんだ。ずっとこのままじゃいられないんだ、俺が幻淵から出て竜頭へ行った時のように、今度はこの国と別れて向こうへと帰る。お前が幻淵で会ったっていうじいさんが言ったみたいに『里帰り』って名前の夢から覚めるんだ。夢から覚めずにずっとここにいたいって思うよ、俺。でもそれは駄目なんだよな。俺が俺として生きるにはそれじゃあいけないんだよな。……今は人形作りに夢中になっているけれどさ向こうに帰ったらどうなるんだろう。この思いも消えちまうのかな。竜頭人形とは違う人形をどこかで学びながら作り続けるのか、別の何かを見つけるのか。俺が人形作りなんて始めたら、周りの奴皆驚くだろうな。へへ……こんな風に向こうに帰ってからのことを考えたの、初めてかもしれない。これからはもっと考えるようになっていくのかな、家族のこととか友達のこととか、向こうの世界に帰ったら自分がどうなるかとか」


 どうだろうね、と陽太は颯馬の問いかけに答える。今は向こうの世界のことをそれほど多くは考えてはいない。しかし終わりの日が近づくにつれ、己の目は向こうの世界のものに向けられていくのかもしれない。今この国に向ける愛が遠ざかっていく、何もかも忘れていく――それを想像しただけで悲しくて、恐ろしくなる。颯馬もそうして自分の中にある沢山のものが消えていくかもしれないことを恐れているようで、珍しく真剣な面持ちでじっと黙っている。しかし生来静かでじめじめした空気が苦手な性分ゆえか黙って色々考えることをすぐにやめ、そういえばさと無理矢理笑いながら話題を逸らした。


「お前、ようやく気づいたんだな。魔女の姉ちゃんへの恋心ってやつにさ」

 その話題は陽太の不安や恐れを一瞬にして吹き飛ばすには充分なものだった。陽太は一瞬で金魚のようになった顔を特別何も無い床に向け、それから奏さんが聞いていたらどうしようと思って辺りを見回し彼女が近くにいないことを確認するとまた俯き、最後に小さく頷いた。颯馬はそんな様子を見てけらけら笑いながらうんうんと頷いた。


「体だけじゃなくて、とりあえず心も大人に近づいたってことかな。いや普通は子供でも気づくことだがな。……それでどうすんだよ、あの姉ちゃんに告白するのか」


「分からない。この好きって気持ちがこここ、こ、こ、恋っていうのはその、ちゃんと分かったけれど、でもだからといって恋人になりたいかと言われると、ちょっと分からなくて」

 陽太は何とも言えない複雑な思いを颯馬に打ち明ける。彼は途中茶化すことなく至って真剣に聞いてくれた。


「理子と晃がお前達の前でやっていたようなこととか、キスとか……それ以上の諸々のこととか、魔女の姉ちゃんとやりたいとは思わないのか?」

 陽太は理子と晃のいちゃつきっぷりを思いだし、更にその二人に自分と奏の姿を重ねて赤面。今よりもっと親密な関係になれたらそれは嬉しいことだが、あの二人がやっていたようなことをやりたいとは正直あまり思わなかった。べたべたして、甘い言葉を交わして見ている方が気まずくなったり、恥ずかしくなったりするようなことを望んではいない気がする。またそれ以上のこと、というのがどんなものか分からない歳ではない。彼が指している行為についてうっかり想像しそうになったことを恥ずかしく思い、自己嫌悪に陥る。それを見て颯馬がごめんと謝罪を口にした。ううん、気にしないでと陽太は首を横に振る。


「今より距離が近づいたらいいとは思うけれど、程よいところで止まりたいって感じなのかもしれない……そんな感じだけれど、自分の想いはちゃんと知ってもらいたい気はする。それはきっとちゃんと口にしなくちゃ伝わらないと思う。でも言ったら色々なことが変わりそうで怖いし、そもそも勇気を出してまで言うことに意味はあるのかなとも思う……帰れば消えるだけの気持ちを伝えてどうするんだって」

 そうして話しながら陽太は『自分はまだ向こうの世界のことをそれほど多く考えてはいない』という認識を撤回する。少し前までの自分だったら、向こうの世界に帰ったら幻のようになってしまう気持ちを伝えるか否かで悩むことは無かっただろう。恥ずかしいけれど伝えるべきか、とか玉砕覚悟で告白しようかどうしようかという風に悩み、向こうへ帰った後のことは一切考えなかったに違いなかった。でも今は違う。今は向こうへ帰った後のことも考えている。向こうへ帰った後のことを考えているということは、向こうのことを考えているということだ。奏から交流の途絶えた友人の話を聞いたからというのもあるだろうが、それだってここへ来て一年目や二年目だったら他人事のように聞いていただろう。


「俺は伝えるだけ伝えた方が良いとは思うけれどな。あの姉ちゃんだってそりゃあ困惑するかもしれないけれど、いつまでもそのままってことにはならないと思うぜ。きっとすぐ元通りになるさ。変わる部分はお前の気持ちを知っているか、いないかってところだけだ。……それにさ、向こうに帰ったら想いも記憶も遠ざかって幻ようなものになっていくかもしれないけれど、それを理由に告白しないってのは何か寂しくないか? 今お前の中にある気持ちは紛れなく本物だろう。それは向こうに帰っても偽物になるわけじゃない。本物の、ちゃんとした気持ちのままだ。その本物の気持ちをさ、遠ざかってぼやけていく前に伝えた方が良いと思う。向こうに帰ったら、もう終わりだよ。お前は自分の中に確かにあった気持ちを伝えることが二度と出来なくなる。伝えられたとしても、きっとこっちにいる時の十分の一も言葉に想いを込められないだろうさ。それって何かすげえ寂しいことだと思う」


「え、何か颯馬がものすごく真面目なこと言っている……」


「相変わらず生意気な奴! 生意気なチビガキにはお仕置きが必要だな。ようし」


「何でそんなに大きく息吸っているの」


「大声出す為だよ」


「大声出してどうするの」


「お前が魔女の姉ちゃんに惚れているという事実を周囲の人間に教えてやる。もしかしたら魔女の姉ちゃんも今頃会場のどこかにいるかもしれ」


「やめろ、死んででもやめてくれ!」


「ちょ、おま、まじで首絞めるのやめ、ぐえ」


「死ぬか黙るかどっちか選んでくれ!」


「黙るから、黙るから手を離せ、俺が死ぬ前にっ!」

 その言葉を聞いてようやく手を離した陽太を咳きこみながら見、全く大きくなって言動も行動も物騒になりやがって、と颯馬は嘆く。そんな彼を見て陽太は笑った。


「ごめんごめん。……ありがとう、颯馬。僕もう少し考えてみる。向こうへ帰るまで少しの猶予もないというわけじゃない。ちゃんと伝えてお別れするか、何も伝えず終わりにするか、決めるよ。もしかしたら僕はただ告白する勇気が無いだけなのかもしれない。向こうへ帰ったら想いが消えちゃうとかなんとか、そういうのはただそんなみっともない自分を隠す為の言い訳なのかも」


「みっともない自分を隠す為にもっともらしい理由をつける、か。チビガキ時代には絶対言わなかったような言葉かもな。まあ頑張れや、若人よ」

 若人なんていう歳か、と陽太は苦笑い。それから颯馬とは手紙に書ききれなかった互いの近況を語り合い、別の帰郷者とも話をする。新見や片倉からも大きくなったねと優しい声と笑顔、なんだか彼等の実の子や孫になったような気持ち。自分達が坊や達の成長を見守っているように、自分達の成長を優しくそして温かく見守ってくれている人もいるのだ。彼等の口からも、向こうの世界についてのことがぽろり、ぽろりと零れる。これまで彼等はこの国で自分が何をしているか、という話をするだけで向こうのことに関する話は全くといっていいほどしていなかった。今はまだ最後の年が始まったばかりだから僅かに聞く程度だが、いずれ陽太を含めた全ての帰郷者の頭を向こうの世界が占めるようになっていくだろう。その事実が終わりの始まりを感じさせ、切ない痛みを胸に与えた。今はまだこの国を想う気持ちの方が強い。元々の世界に帰ることを辛く苦しく思う位に。そう思っているのが陽太だけではないことは、会場に居る帰郷者達が時々見せる重く、苦しげな顔を見れば、向こうのことを話す時の声を聞けば分かる。

 奏とも話をした。想いを自覚した直後以上にあがってしまい、一方的に何事かを延々と早口で喋り続けただけだった。何を喋っていたのか欠片も覚えていないし、奏が話していたことも覚えていない。テンパった挙句コップをうっかり落としたり、奇妙な声をあげたり、散々。彼女と別れた後もう少し自分は心を落ち着けた方が良いと反省する。彼女と過ごせる貴重な時間を無駄なものにはしたくない。自分が喋っている内容も、相手が喋っている内容もよく分からないまま終わるなんて、そんなのは会わず話さずの状態とまるで同じだと思うから。


 桔梗会が終わると、少しずつ春が近づいてくる。マフラーや手袋、セーター等を貫き体をちくちくと刺す冷たい風も和らぎ始め、太陽は己を覆う冷気を溶かしだし、地上へ温もり溢れる光を差し出した。春の鳥の声が聞こえ、春を告げる花があちこちで見られるようになっていく。菜の花畑が有名だという公園に久々に会った沙羅と双樹と共に行き、この世で最も鮮やかな黄の花の間を縫いながら歩いた。右も左も前も後ろどこも黄色で、間から覗く黄緑の茎も鮮やか、鳥や虫もその黄に惹かれて遊んでいる。ほんの少しのミルクを混ぜたような柔らかな色の空。そして響き渡る沙羅と双樹の歌声は変わらず美しい。この世とは違うどこかにいるような心地。

 更に少しの時が進み、真雪に紅を一滴垂らしたような色の花が青空の下に咲く。他にももっと多くの紅を垂らしたようなものや、真雪のままの花もあり、枝が垂れているものもあり。桜の花はこの国でも愛されており、その木の近くへ来れば誰もが立ち止まり一瞬の美を楽しむのだ。ふるさとのさと作成の桜饅頭MAPも人気で、陽太も一つ手に取り桜饅頭食べ比べ。

 花見もあちこちの桜の名所で行われ、屋台の出ている所もある。ふるさとのさともある公園で屋台を出し、花見に来た者達に食べ物や遊びを提供したり、ゴミ拾いをしたり。花見の後自分達が出したゴミを片付けず放置する不埒な輩は残念ながらこの国にもいたが、向こうの世界に比べればまだましなレベルかもしれない、と陽太はゴミを拾いながら思う。


 ふるさとのさとの職員が集まっての花見も楽しかった。弁当の上にはらり、はらりと落ちる花びらを風流に思っても邪魔に思う者など誰もいない。その花びらももう少しすれば全て散り、春の世からすっかり消えてなくなるのだ。その儚い花をこの国で皆と見られるのも今年で最後。他の職員達の言う「また来年」は永遠に訪れないことを思うと胸が苦しかった。美しく儚い花が改めて教えてくれるのは、永遠に続く時間など存在しないこと。人生を終えるその日までこの国で暮らすことが陽太には出来ない。長い人生の中のたった四年。まさに咲き乱れ、一瞬の内に散っていく桜と同じ。


(桜の季節……そういえば僕は高校一年になるんだっけ。一体どの高校を選んだんだろう。知っている所か、それとも違う所か。小学生の時に高校のことなんて考えなかったから殆ど知らないけれど。秀一や桂馬とかと一緒かなあ。あいつら元気にしているかな、僕も大分背が伸びたけれど向こうもやっぱり大きくなっているのかな。秀一は元々背が高かったし、ますます高くなっているかも。桂馬は横幅がますますすごいことになっているかもしれない。中学の修学旅行は京都だよね、多分。どんな感じだったんだろう、清水寺とか行ったのかな、それとも嵐山の方か。今まで行ったことがないからな、気になるな。正直自分の足で行って、自分の目でちゃんと見ておきたかったけれど……まあ機会はあるか。五つ星探偵団シリーズの舞台が京都だったからなあ……僕がこっちに来た後幾つか新刊が出ているんだろうなあ、読みたいなあ。それからドラゴン島のピッケに、妖怪博士、怪獣使いの学校シリーズ。まほろば国シリーズもものすごく気になる所で終わっているし、同じ作者が書いた七翼シリーズも途中までしか読んでいないし……そういえばこれ、臼井さんから教えてもらったんだよな、彼女は元気だろうか。相変わらず本ばかり読んでいるのかな。父さんも母さんも元気にしているかな)

 桜を見ながら自分が向こうのことを考えていることに気づき、はっとする。ここまで家族や友人のことを考えたのは、この国に来て初めてのことだったかもしれなかった。あの世界に蓄積された情報を基に作られた『自分の影』が今どんな暮らしをしているのか考えたのもほぼ初めてのことだ。終わりの年が始まり、少しずつ自分が向こうに属する者に戻りつつあることを否応なく自覚する。向こうのことを思い出した途端、胸に宿る『帰りたい』という思い。それは明之達と話している間に一度消えたが、きっとまた現れやがて陽太を支配するようになるだろう。


(……今の内に、この国でしか出来ないこととか出来る限りやっておこう。きっと後になればなるほど僕はこの国でやりたいことを見いだせなくなっていく。今ここにある気持ちの殆どが向こうへいってしまうから。この国で全力で生きられるのは後少しなんだ)

 奏へ想いを伝えるかどうか、それも早く決めなければいけないだろう。猶予はあるようで無い、それが今日よく分かった。

 花見が終わり、四月の末とうとう陽太が企画したツアーが実施された。


「ここにある祠に息を三回吹きかけながら手を合わせると、体の悪い部分を治してくれるそうです。こんな場所にありますが意外と訪れている人は多いようで、特に近所では有名な祠なんです。どうしてこのような狭い路地にあるのかというと、狭く暗い場所には『新しく生まれ変わる』力があると幻淵等一部の地域では考えられているからです。新しく生まれ変わる力を持つ場所に神様の住む祠を置き、願うことで悪い部分を持つ体を生まれ変わらせる……というわけです。ここに祀られている神様の名前は――」

 陽太が今紹介しているのは、颯馬と共に見つけた祠だった。きのこ大明神と彼に名づけられた哀れな神は、健康を司るそうだ。そんな神の力と、暗く狭い場所にある力が合わさり訪れた人の体に救いをもたらす。そのことをあの日帰った後調べ、そしてツアーで紹介することを決めた後この辺りに住む人から色々と話を聞いた。その話で得た情報もお客さんに話してやると、皆感心したように頷いた。

 普通はあまり紹介しないような場所を中心に回ったツアーは、それなりに好評だった。ぐだぐだになった部分、改善点も多くあったが成功といっていいだろう。探索や住民とのコミュニケーションによって得た情報を人に教えることで楽しんでもらえるのは嬉しいことだ。お客さんから「楽しいツアーをありがとう」と言われた時陽太は涙が出る程嬉しかったし、明之からよくやったねと言われた時はとても誇らしかった。そして陽太はもう一度ツアーの企画をすることになった。陽太は二回目にして最後になるだろうそれに全力で取り組み、今回以上にクオリティの高いものを提供することを心に誓う。


 そんな彼はツアーを終えたその日の夜も、満星祭りで見た人形劇に出てきた女と、芸能祭で見た『深山松』に出てきた女の夢を見た。前者が私は貴方と共に行くことは出来ないという旨のことを言った後、後者が深山松の前の地面を思い出話をしながら掘る場面へと移る。どちらも背景や話している内容は劇と殆ど同じだが、それぞれの姿が見覚えの無いそれでいて懐かしさを感じる第三の女に変わる時だけ違ったものになる。そして最近は第三の女になっている時間が明らかに長くなってきていた。またその姿や声も以前に比べるとはっきりしてきている。その女はこの国へ来た当時の陽太と同じ位の歳のようだった。恐らく彼女は自分の前世が『共に外つ国へ行こうと誘った子』なのだろう。だが彼女は自分の手を取らなかった。目を覚ますとその姿、声の記憶は朧になる。

 その夢は奏への想いを自覚してからより頻繁に見るようになった。どうしてあの時を境により頻繁に見るようになったのか。夢を見ている時はちゃんとその理由を理解しているのに、目を覚ますと忘れてしまう。

 

(本当に最近はこの夢ばかりだ。この国の住人だった頃の僕がきっと見せているんだ。僕をかつての故郷に行かせようとしているんだ……何となく分かる。何かを求めているんだ、僕じゃない僕が……夢に出てくるあの女の人というか女の子に会いたいのだろうか、やっぱり)

 今まで陽太は自分がかつて暮らしていた場所に行きたいとは殆ど考えたことがなかった。だがこの夢を頻繁に見るようになってから、一度足を運んでみようかという気持ちになってきている。颯馬や晃の様にそこで暮らす気はないが、何日か滞在するだけなら良いかもしれないと思う。行くとすれば今の内か、満星祭りが終わってからか。かつての故郷へ行くことが必ずしも良いことをもたらすとは限らないことは、晃の件で知っているが、これもまたこの国にいる間だけ出来ることだ。


(とりあえず故郷の名前だけでも聞いておこうかな)

 布団から起きあがった陽太は寮の玄関にある郵便受けを覗く。すると一通の手紙が入っているのを見つけた。颯馬か奏さんからか、と思ったがそのどちらでもない字に見える。差出人を見てみるとそこには見知らぬ名前があったが、住所を見て「おや?」と思った。


「これ、のどかさんの……?」

 急いで部屋に戻り確認してみれば、それはのどかの故郷の住所で間違いなかった。しかしのどかはもうこの国にはいないし、名前も違う。もしやと思い中の手紙を読んでみると、差出人がのどかの母であることが分かった。

 手紙にはのどかから陽太や颯馬のことはよく聞いていたこと、大変お世話になったらしいということ、のどかが旅先で親しくしていたらしい貴方達と直接話をしてみたいと思っていることなどが書かれていた。のどかから陽太達が帰郷者であることは聞いているのだろう。だから陽太達が来年の二月二十九日に帰ってしまう前に会っておきたいと思い、こうして手紙を出したのだ。


(のどかさんの話を色々聞きたいんだろうなあ)

 手紙には幻淵のような都会とは違って何もない所だけれど、是非遊びに来て欲しいとあった。陽太はのどかが住んでいた故郷に行ってみようかと何度か考えたことがあったが、結局今まで行くことはなかった。後日颯馬からも手紙が来た。彼も同じような内容の手紙を受け取っていらしい。満星祭りの時に展示する為の人形作りで忙しい為彼女の故郷へ行くことはないが、手紙で彼女と過ごした日々のことを出来るだけ詳細に伝えるつもりだそうだ。颯馬が一緒でないのは少し寂しかったが、最終的に陽太は一人でのどかの故郷へ行くことに決めた。自分の前世の故郷のことは、帰ってからでもいいだろう。陽太は是非伺いたいという旨の手紙を送り、日付を決めた。

 前日、カバンに必要な物を詰め込みながらそういえばのどかと共に過ごした日々のことを思い出す。今を生き、未来を思い真っ直ぐ進んでいた陽太はそんな風に彼女のことを思い出すのは久しぶりだと思った。あれだけ仲が良かったのに薄情だな、と苦笑い。彼女は今頃どうしているだろうか。外つ国で新たな人生を送っているのか、それとも新しい始まりを黄泉の国にあたる場所で待っているのだろうか。


(のどかさん、会えるといいな。まことさんの生まれ変わりに、向こうで)

 そう願いながら陽太は眠りについた。そしてその日もまたあの夢を見るのだった。

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