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桜町幻想奇譚  作者: 里芽
故郷は幻の二月の淵に
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故郷は幻の二月の淵に(11)

 

 春焚かれ、勢いよく咲き乱れ火の粉の如く紅く梅の花、梅の香。三月三日は外つ国と同じ、桃の節句だけれどひな人形もひなあられもない。あるのはその日、女の子しか食べられないという『ひいな焼き』というパイと、この日抱いて眠ると良いとされている奇妙な模様の描かれた猫のぬいぐるみ。この日女の子が食べた方が良いとされるものがたっぷりと詰まった甘いパイ、女の子だけのパイ、男の子が食べたら災いが降りかかるよ、と少し怖い昔話が教えてくれた。


「まあ、名前を変えれば全く問題ないんだがな。桃花パイって名前にしちまえば、男だって食える」

 名前を変えてしまえば、同じ内容でも違うものになるということらしい。草十郎は陽太にはその桃花パイを作ってくれ、切ってお皿に山積みした太巻きと菜の花のおひたし、桜の形に切った人参と三色の団子が入った汁を作ってくれた。これらはこの国のこの地方では定番の桃の節句料理だという。勿論住む場所変われば食べる物も、祝い方も変わる。最近はそういった地方による風習の違いにも目を向けるようになり、早速陽太は図書館へ行ったり、颯馬や奏に手紙で聞いたりして色々と調べた。


 進む春、春色の鳥の笑い声を聞いて花々が顔を出し、あちこちの家の庭に、家の前のプランターに、野に山に彩、花飾り。草十郎特製サンドイッチや唐揚げ、ポテトやお団子が詰まったバスケット片手に、友と柔らかな日差し供にして、春探し。白いヴェールに覆われた青空、お世辞にも広いとは言えぬ通りのど真ん中にそびえ、花散らして春を人に道に供える桜の木、石畳の隙間から顔を出すたんぽぽ、たけのこご飯と書かれた旗の出ている店、四月になると幻淵へ帰ってきて子を産む鶯色の鳥、隠れ日向ぼっこスポット。この時期だけ売られる、桜の香りを楽しむ桜饅頭には各々こだわりがあり、この話になるといつも「あの店のが一番美味しい」「いいやあの店だ」と言い合うことになる。昼ご飯を食べに向かったのは、一面に水が張られた変わった公園。石畳を濡らす透き通った水、それを桜色に染める花びら、濡れるのも構わずはしゃぎ回る子供達、水を怖がらぬ性格らしい犬も同じように駆け回り、綺麗な娘がスカートをつまみ上げきゃっきゃと笑いながら舞うように歩く。陽太は皿や双樹等の友人と共にひんやりする石の長椅子の上に座り、まだ少し冷たい水に足を浸しながらご飯を食べた。

 この国には『春は(がく)に触れ、夏は自然と戯れ、秋は芸能に溺れ、冬は汗を流す』という言葉がある。それゆえか四月の終わり頃、幻淵では『大音楽祭』というものが二日間開催され、アマチュアプロ、ジャンルを問わず様々なアーティスト、楽団があちこちの会場で音を奏でたり、歌を歌ったり。音の海に沈む迷い路の都、その中を泳ぐ住人達。沙羅と双樹も自慢の歌と演奏を披露し、多くの人々を魅惑の美貌と美しい音で魅了していた。その三日後には『新しい日』というものがある。その日は今までやったことがない何かに挑戦すると良いとされており、大音楽祭で聞いたある笛の音が忘れられなかった陽太と理子は二人で、その笛の演奏に挑戦。陽太はコツをなかなか掴めず四苦八苦したが、理子はすぐコツを掴み簡単な曲を吹けるまでいった。これをきっかけに理子はこの笛にはまり、教室に通いだすようになった。


『どうせお前のことだからすぐ飽きるだろうな』

 そのことを手紙で伝えたら颯馬にそんな風に返されたと地団駄踏んで悔しがっていたが、陽太も正直そう思っていたから曖昧な返事しか出来ず。ところが二人の思惑は外れ、理子は再びこの国を出る日まで飽きたり嫌になったりして放り出すことはなかった。彼女にとってこの笛との出会いは、かなり大きなものとなった。あの時、あの場所であの笛の演奏を聞いた瞬間自分の世界は変わったのだと彼女は言う。前世が関係あるかどうかは分からないが、颯馬があの星寄せと出会った瞬間と同じような衝撃が走り、そしてそれが新たな世界への扉を開いたのだった。

 彼女の世界を大きく変えた出会いは、もう一つ。


 甘い香り満ちる時期が終わり、暖かな日差しをたっぷり吸いこんだ、燃える燃える緑、鮮やか、力強い輝き、花の春から緑の春へ。端午の節句は、季節の野菜や木の実、卵などを詰め込んだ肉――男焼きという随分ワイルドな感じのするものを食べ、犬の絵を描いた凧を揚げた。桃の節句、端午の節句と名前も日にちも同じなのにやることが全く違うのは本当に面白いと陽太は思う。

 その数日後の朝、長ネギと油揚げのお味噌汁すすっていた陽太と理子に草十郎が話を切りだした。


「五日後、帰郷者が一人この草薙庵に来ることになった。青藍という中州で約一年過ごしていた、理子と同い年の男だ」

 突然の発表に陽太と理子は驚き、顔を見合わせる。ここは帰郷者を受け入れる場所、去る者もいれば当然来る者もいるのだということを二人はすっかり失念していたのだった。草十郎と、陽太と、理子。颯馬が戻って来るか、二人の内どちらかがこの庵を去ることはあっても、全く新しい人物が入ってくることはない――ここ草薙庵という小さな世界の内に居る人間はいつまでも自分達だけだと勝手に思っていた。草十郎はその人間の名を告げたが、聞き覚えはなかった。


「……やや変わり者のようだが、まあ良い奴みたいだ。だが一つだけお前達にお願いがある。むしろこちらの方を伝えたかったんだが……そいつには以前までいた所のことは極力聞かないでやってくれ。陽太は最近ここ以外の所にも興味を持っているようだから、そいつにも色々聞きたいだろうが我慢して欲しい。本人が自分から語るようになる日まで」


「青藍って所で何かあったんですか?」

 ああ、と陽太の問いに対して草十郎は重々しく頷く。


「そいつは以前――つまり前世だな――青藍で暮らしていた。そのことを清女から聞いたそいつは青藍で暮らし始めたのだが……段々と自分が前世の自分に引っ張られ、自分が自分ではなくなる感覚に襲われたらしい。知らないはずのものを懐かしいとか、好ましいと思うことが気味悪く思え、あれがしたいこれがしたいと自分ではない自分が自分の中で叫ぶのが嫌で嫌で仕方なかったらしい。そういう気持ちがやがて故郷に対する恐怖心へと変わり、そしてその恐怖心が『このままここにいたら、いつか自分がかつての自分に乗っ取られる』という思いを生んでしまったんだな。こういうことは残念ながらよくある。完全に病んでしまった者も中にはいるんだ」

 頭に浮かんだのは、同じようにかつての故郷で暮らしている颯馬のことだ。今の所彼は毎日を楽しんでいるようだが、いつまでもそうであり続けるとは限らない。今度ここ草薙庵へやって来る人と同じようになってしまうことだって十分考えられる。


「かつての故郷へ足を運ぶってのはな、軽い気持ちでやってはいけないことだ。……かつての自分に引っ張られ、自分というものを失ってしまう可能性が他の場所で暮らすよりずっと高いから」

 そう言う草十郎の目はどこか遠くを見つめている気がした。例えば、幾つもの過去を。もしかしたらそうして心を壊した帰郷者を今までに彼は何人も見てきたのかもしれない。帰郷者を受け入れ、面倒を見るという仕事をしているから普通の人より多く、そして間近でそういった人を見たとしてもおかしくはない。

 この時になって初めて陽太も理子も、颯馬は最後まで上手くやれるだろうか、自分というものを保ち続けられるだろうかと心配になり、また自分自身もいつか故郷を訪ねた時そうなってしまうのだろうかという不安を抱いた。故郷を訪ねる可能性がゼロではない以上、今後きちんと考えておかねばならない大切なことに、ようやく出会った思いだった。


 五日後、一人の帰郷者が草薙庵へとやって来た。彼は名を晃といい、色白細身で颯馬とは違い知性と気品を感じられる顔立ち。その顔といい、立ち振る舞いといい、相当育ちの良いことが伺える。最初の内は陽太も理子も彼はとても大人しい性格で、繊細な心を持った人間なのだろうと思っていた。いかにもそんな見た目であったからだ。立派な家の中、クラシック音楽を聞き、静かに儚くも美しい笑みを浮かべながら本を読む姿を想像することは容易であった。だが彼は決して大人しく、儚い人ではないことを二日後には二人共すっかり承知していた。彼は茶目っ気があり、悪戯好きで、おまけに適当、いい加減過ぎるにも程があることや親父ギャグ、お馬鹿なことを息をするかのように言う――外見からは一切想像出来ない人物だったのだ。颯馬とは別のベクトルでお馬鹿である。陽太も理子も、心を病んでしまったという事実や初対面時の印象のせいで草十郎が初めに「やや変わり者」と言っていたことをすっかり忘れていたのだ。後になってその発言を思い出したが、揃って「ややどころか相当な変わり者だ!」と心の中で叫んだ。そして心を病んだことが原因でそうなったのではなく、この人はずっと前からこうだったのだということも二人は確信している。


 そんな彼だったが、初対面時に感じた知性は気のせいではなかった。彼は何も考えず、空気も読まずににそんなことをしているようで、実はよく相手の様子を見ている。それにより相手がうざがったり、イライラしたりしない程度をきちんと見極めた上で喋ったり、行動したりしているようだということが何となく分かるのだ。真面目でふざけたことが嫌いな人間には、至極まともに接し、逆にそういうものが大好きな人間相手にはとことん馬鹿になった。同じ人を相手にするにしても時と場合を考えて接し方を変えており、強烈な人なのに彼と接することに疲れることはなかった。勉強も出来るらしく、彼が向こうの世界で通っている高校の名前は陽太でも知っている位の有名校。知識も豊富で、自分の知らない色々なことを分かりやすく教えてくれる彼のことが陽太はすぐ好きになった。青藍にいた頃は星神の研究をしていたらしく、これに関する話を聞くのも好きだった。だがその話をしていると青藍でのことを思い出すらしく、時々苦しげな表情を浮かべることもあり、それを見る時陽太は彼が本当に向こうでは苦しんでいたことを思い知る。向こうの世界ではどんな暮らしをしているかは詳しく話さないが、最初に感じた通り一般家庭の生まれではないだろうことは間違いないようだった。


『相当変てこで面白い奴が来ているみたいだな。俺も話してみたいぜ。しかし、理子の奴は本当にそいつのことが気に入ったんだなあ。もうさ、あいつの手紙ってばその晃って奴のことばかり! これがのろけってやつなんだなあ』

 六月に入った頃届いた颯馬からの手紙を見て、陽太は苦笑する。理子は晃のことがえらく気に入っているようで、近頃は彼と喋ったり出かけたりすることが多い。晃も理子のことが相当気に入っているようで、人目も憚らずいちゃついているのだった。もう殆ど交際中といって差支えない程のものである。陽太は晃という存在が現れるまで、颯馬と理子がお互いをどう思っているのかはっきりと分かっていなかった。恋愛感情を抱いていて、将来お付き合いを始めるかもしれないとも思っていたが、理子の晃への接し方等を見る内にそんな未来は例え晃が来なくても訪れなかったことに気づいたのだった。多分彼等の想いは恋に見えてそうではなく、そしてどれだけ一緒にいてもそういうものに発展することはなかった。颯馬はいずれ理子達が本格的に付き合い始めても素直にそれを祝福するだろうし、いつか颯馬に好きな人が出来た時きっと理子は彼を応援することだろう。


(何で他人のことはそんな風に何となく分かるくせに、自分のことは分からないんだろう……)

 陽太はその手紙とほぼ同時期に来た、奏からの手紙を読み返す。自分の中にいる奏がその手紙を読み上げ、その声が「陽太君」と自分の名を紡ぐ度かあっと顔が熱くなる。この気持ちは颯馬が理子へと向ける想いと同じなのか、理子が晃へ向ける想いと同じなのか、まだ分からない。お子様だからか、それとも本当は分かっているのに、何かが色々変わるのが怖くて気づいていないフリをしているのか、それも分からない。


 六月は雨、ざあざあと。雨粒が地面や屋根を叩く音を聞きながら、本を開く。雨の日に傘を差し、雨とそれに濡れたものの匂いを嗅ぎながら歩くのも嫌いではなかったが、それよりも雨の音をBGMにしてうんとたくさん本を読むことの方が楽しい。こちらへ来てから飲むようになったレモンティーの爽やかな香りが、少しずつ近づいてくる夏の匂いに思えた。ここから程近くにあるあじさい通りは今、青や紫やピンクの鮮やかな花でいっぱいになっていることだろう。白い壁の建物を、灰色の石が敷き詰められた道を飾る花の美しさ。全体の鮮やかさを見るのも好きだし、花ごとの色合いの違い、時間の経過と共に色が変化していく様を見るのも好きだ。ここは紫陽花の時期だけ紫陽花提灯という、グラデーションが美しい提灯が吊るされ、夜になるとそれが眩い光を放ち、下方に咲く紫陽花を照らす。色合いが全く同じ提灯はただ一つとしてなく、夜に浮かぶ紫陽花も含め幻淵の小さな初夏堪能スポットだ。

 今年の雨渡りでは晃がずぶ濡れになりながら、雨に濡れて重くなった纏に似たものをお供に去年陽太と颯馬が辿った道を練り歩いた。頭は良い反面力もスタミナも無い彼は相当苦労していたが、それでも最後までやりきった。その姿に理子はくらっときたらしく、二人はますます仲が良くなりもうこれを恋人と言わずして何という――そんな状態にまでなっている。


(面白くない……)

 本を読んでいると、遠くから理子と晃の声が聞こえる。近頃二人の楽しそうな声や姿を見聞きする度、そんなことを思うようになっていた。後からこの草薙庵にやって来た人に、居場所も大切な友達である理子も取られてしまったような気がしたから。自分の方がずっと前にここにいたのに、ずっと前から理子とお友達だったのに、どうして自分がこんなに居心地悪い思いをしなくてはいけないのか、どうしてこんなに寂しくて苦しい思いをしなくてはいけないのかといじけ、嫉妬し、自分でも嫌になる位暗い色をしたものが腹の中に溜まっていった。こうなったのも全部晃さんが草薙庵に来たせいだ――そんな嫌な思いが陽太を支配する。その為に彼の声を聞いただけでイラつき、ちょっとした冗談を聞いただけでもむかっとし、やや辛辣な態度をとってしまう。彼がいるだけで食事も、読書も、星寄せ飾り作りも、何もかもが楽しくなくなっていき、自分の世界の輝きが段々と失せていった。

 何て自分は小さな人間なのだろうと陽太は自分に失望する。理子も晃も何も悪いことなどしていないし、自分を蔑ろにしているわけではない。晃に罪はない。分かっている、分かっているのに嫌な気持ちは消えずにいた。晃も理子も陽太に気を遣い、彼が近くにいる時にはあまりいちゃつかなくなり、また陽太の機嫌をどうにかして戻そうと積極的に遊びに誘ったり、話しかけたりするようになったが、そうしたらそうしたで「まるで腫れ物に触るような扱いをして」といじける。そんな恥ずかしい自分をどうにかしたいと思ったが、誰かに自分の醜い気持ちを晒して相談する気にはどうしてもなれなかった。変なプライドがあったのだ。奏になど、余計相談出来ない。格好悪い自分など、彼女に知られたくなかったから。


 今日も満星祭りに向けて、陽太の部屋に集まり三人で星寄せ飾り作りを進めていた。大変ながらも楽しかったはずのそれも、今は苦行でしかなかった。去年とは違うただ重苦しいだけの空気が漂う。ちらりと晃の方を見やれば、彼はどこか辛そうな表情を浮かべている。空気の重さと、星寄せ飾りが青藍のことを思い出させたのかもしれない。それを見た時生まれたのは二つの思いだった。一つは「まだ忘れられない位辛いんだな」という彼を哀れむ思い。もう一つは「折角の星寄せ飾りをあんな顔をしながら作るなんて、気分が悪い」という酷いにも程がある気持ちだった。そしてその思いが陽太の口を動かしたのだった。


「……ねえ、晃さん」

 晃が顔を上げ、驚いた様子で陽太を見る。近頃は陽太から話しかけてくることなど無かったからだ。どうしたの、と問いかける晃を見て陽太は微笑んだ。


「ねえ、晃さん。青藍の満星祭りってどんな感じだったの?」


「ひ、陽太!?」

 彼にこちらから青藍のことについて聞くのは禁止されていたことだから、理子はぎょっとし、晃は青ざめ固まった。その反応を無視して陽太は更に尋ねた。どんなだったか、僕気になるんだと。晃は拒否せず、向こうの満星祭りはああだったこうだったと話してくれたが、表情は硬く声は上擦り全く酷い状態になっていた。


(ざまあみろ)

 彼の姿を見ながらそんなことを思った時、陽太は自分が自分がどれだけ最低で恥ずかしい人間か気づいてしまった。やっとの思いで「もういいよ、ありがとう」とだけ言ったらもうこの場にはいられなくなり、逃げるように部屋を飛び出した。そして走って、走って、のどかと最後に話したあの展望台まで行って、思いっきり泣いた。大切な友達が、とても大切な人を見つけたことを祝福出来ない自分を、友達の大切な人を、同じ庵に住む仲間を受け入れず、拒絶し、酷い仕打ちをした自分のことを只管責め続けた。

 草薙庵へとぼとぼと帰ってきた陽太を、誰も責めはしなかった。いっそそうしてくれた方が楽なのに。

 謝ろう、早く謝って仲直りしようと何度も思いながらも実行に移せぬまま時間だけがだらだらと過ぎていった。もう一生自分は謝れないのではないか、ずっとこのまま何も変わらないんじゃないかとさえ思い始めたが、そうはならなかった。


 陽太と晃の間に生まれた溝を埋めたのは、満星祭りだった。仲直りのきっかけになるような、特別な出来事が起きたわけではない。ただ祭りの生み出す、あの空気が自然と陽太の心を溶かし、陽太と晃、そして理子の三人の心を繋げたのだ。最初の内は気分も重く、沙羅が熱を出しダウンしたことが原因で双子神の両方をその身に降ろすことになってしまった(弟の波長が合うなら、自分の波長も合うはずだという姉神の超理論により)双樹や他の友人とご飯を食べたり、様々な催しを見て回ったりしても心から美味しいとか楽しいとか感じることが出来ずにいたが、二日目、三日目と時が過ぎる内段々と楽しくなっていって、重くなっていた気分も、醜い気持ちも吹き飛んでいき、ばったり出くわした晃と理子を誘って踊り狂い、それから一緒に屋台を巡り、最後、三人で星見広場に寝転がって星を見た。その時に陽太は晃にし、彼は喜んでそれを受け入れてくれた。多分もう祭りが終わっても晃に酷いことは言わないし、辛辣な態度をとることもないだろう。その様子を遠くでそっと見守っていた草十郎や、双樹の中にいる双子神が良かったと微笑み、胸を撫で下ろす。後日、星神を二人もその身に降ろした為に沙羅と入れ違いにダウンした双樹を三人で仲良くお見舞いに行った。


『旅は新たな道を開く』

 陽太は積極的に幻淵を出、様々な所、様々なものを見て回るようになっていった。星座盤がそんな言葉を示す前から少しずつ外へ足を運ぶようにはなっていたが、頻度は祭りを境に多くなっている。のどかや桔梗会で会った人達から話を聞いたり、本を読んだりして興味がわいた場所を中心に回る。話を聞いたり、本を読んだりしただけでは分からないこと、感じられないことは沢山あり実際に外の世界に足を踏み出して良かったと陽太は思う。向こうの世界に比べ、交通にかかる代金は随分と安いから、気軽に遠出出来るのでありがたい。

 鉄と蒸気の都、近未来的な街並みが新鮮な所、超巨大な時計台内に全住人が暮らしている所、魔女の都、世界最大の火山のある火の都、死の国に最も近いと呼ばれている不気味さと静けさ、美しさ、神秘性を感じる不思議な都……。ピアノの鍵盤を模した橋、笛の形をした塔、鼓を思わせるドーム、オカリナ型の館、三味線と立てた琴をくっつけた建物(三味線の棹の部分が通路になり、銅の部分と琴を繋げている)等古今東西の楽器をモチーフにした建物やオブジェが点在する楽の都もなかなか愉快で面白かった。

 世界は止まることを知らず、広がり続ける。時に理子や晃と共に出かけることもあり、そうすると自分は気づかなかったことに他の人が気づき、一人では知ることの出来なかったことを知ることが出来たし、矢張り友達と出かけて遊ぶのは楽しかったし、所変われば気持ちも変わりいつもとは違うテンションになったり、普段話さないようなことを話したりして。行く先によって自分も他人も色々と変わって、それがまた面白い。一人も楽しく、皆で行くのも楽しい。


 あっという間に実りと芸能の秋が駆けていき、冬の足音が近づいてきた頃、颯馬のいる竜頭にも遊びに行った。舟唄、幻淵以上の迷路具合、竜頭硝子に竜頭焼に竜頭箱といった工芸品の数々、住人と多くの観光客ですさまじいことになった祭り『御狐行列』は異界に迷い込んだような気持ちにさせてくれた。颯馬は今年の満星祭りで見た、有名な人形師の作った『竜頭人形』というものに心奪われ、今はその人形師の弟子だった人の下で勉強している。またしても彼は満星祭りによって新たな世界へと誘われたのだ。来年の満星祭りには運命の女性と出会ってフォーリンラブもありえるんじゃないの、とは理子談。晃とは案の定すぐ仲良くなり、この二人を一緒にするとやばいということを陽太も理子も身を以て知ることとなった。本当の馬鹿と頭の良い馬鹿が、お互いの馬鹿な部分を増長させ更なる馬鹿になり周囲を馬鹿世界に巻き込む。晃も颯馬レベルと一緒になると歯止めが利かなくなるらしい。

 どうにか馬鹿二人の暴走を止めると、颯馬が竜頭人形のことや師匠のこと等について話をしてくれた。竜頭人形は別名『守りの人』と呼ばれるもので、置いている舟や家や店を災いから守ってくれると云われている。近頃は観賞目的、芸術作品として作られることも多いそうだ。妖しい美しさ、人の形をしていながら人ならざる者の雰囲気を醸しだす姿。人はそれを見、畏れながらも惹かれるのだ。


「四年ってすげえ長い時間だと思っていたけれど、こういうものを見つけちゃうと全然そうは思わなくなるよ。……でもまさか俺が人形作りをすることになるなんてな……自分でも驚いているよ、本当に。でもびびってきたんだよ……それまでも竜頭人形なんてあちこちで見ていたのに、あの人形を見た瞬間ものすごく気になって、俺も作りたいって気持ちになったんだ。でもこれは多分前世の俺って奴の気持ちじゃなくて、俺の気持ちなんだと思う。時々感じる『あ、引っ張られている』って感じが全然しなかったからな」

 そんな風に今の自分のことを語っている颯馬は、以前にも増して大人に見える。晃と一緒に馬鹿騒ぎしていた時とはまるで別人だ。彼は限られた時間の中で、やれることを精いっぱいやるつもりだと語った。満星祭りの日、自分を新たな世界へ導いた一体の人形のような素晴らしい人形を作ることを目指し、真っ直ぐに突き進む。颯馬に人形作りを教えている男性(颯馬曰く生活面はまるで駄目な、ドジなおっさんらしい)にも会い、工房を見せてもらい、最後に颯馬は自分が作っている途中の人形も見せてくれたが、まだまだ完成には程遠く、どんなものが出来上がるのか想像が出来なかった。手紙と共に写真が送られて来る日が楽しみである。そうして幻淵以外の場所へ足を運び、自分の世界を広げるようになったけれど、奏の住む所へ行く勇気は未だ湧かず。誰かと一緒には行きたくない、自分一人で行って奏に会いたい……だが一人で会うのは恥ずかしくて、と面倒臭い思いを抱えているのだ。奏には遊びに来てくれると嬉しいなと何度も言われているのだが。


 外の世界を見、感じるのは楽しくて仕方の無いことだったが、どれだけ楽しんで「何て素晴らしい場所だったのだろう!」と思っても幻淵に戻ると「ああやっぱり幻淵に勝る場所はないなあ」と思ってしまう。陽太にとって幻淵は一番安心出来る場所で、自分の居場所だと思える所だった。幻淵に対する愛は、外の世界が広がれば広がる程増してきている。いや、決して増しているわけではないのかもしれないと最近は思っていた。


(多分違う。これは、これだけの思いはずっと前からちゃんと僕の中にあったものだ。でも気づかなかったんだ……好きだって思いはあったけれど、こんなにも好きだったってことには。多分比べられるものを持っていなかったからだ。でも今は比べられるものが沢山あるから、自分がどれだけここのことを好きだったのかもっとしっかり分かるようになったんだ)

 他の場所にはない幻淵の魅力、特徴等を見つけることも出来たし、新たな発見のきっかけにもなった。向こうではこうだったけれど、幻淵ではどうなんだろうという疑問を抱き、それを解消する為に調べることもあった。

 外の世界、異なる世界を知るということは内の世界、己の世界を知ることにもなる。外の世界を知らずして内の世界の全てを知ることは出来ないのだ。好きとか嫌いとか、そういう気持ちも比べるものが出来ることでより正確に知ることが出来る。陽太はきっと自分はこの先幻淵以上の場所に出会うことはないだろうと思う位、この迷い路の都を愛している。


(外の世界のことももっともっと知りたい。でも、幻淵のことももっと知りたい。外の世界を見ながらも、僕は向こうの世界に帰るその日まで、幻淵で暮らそう。それで幻淵に昔から暮らしていた人よりも、幻淵のことに詳しい……そんな人になりたいなあ、なんて。その為には外の世界だってうんと知らなくちゃいけないし、もっと探索して、勉強もして……。うん……目標が出来たみたいで、嬉しい)

 理子は笛を見つけ、颯馬は人形を見つけた。晃は珈琲と紅茶が美味しい小さな喫茶店で働き始め、珈琲や紅茶の勉強をしている。そして陽太は幻淵を見つけ、新しい一歩を踏み出した。そしてそれから間もなく更なる一歩を陽太は踏むことになる。


 それは年が明け、二月も間近に迫ったある日のことだ。草十郎に頼まれた買い物を終え、草薙庵へ帰る途中で地図を手に辺りをきょろきょろ見回している若い男女を見かけた。恐らくは観光客で、夫婦か恋人だろう。この都においては地図などほぼ無意味だ。ましてやここのことを知らない人なら尚更。

 もしかしたら自分が知っている場所を探しているかもしれない、と陽太は思った。この辺りの地理なら大体頭に入れている。見回り烏も近くを飛んでいないようだったので、思いきって陽太は声を掛けてみた。


「あの、どこか探しているんですか?」

 地図とにらめっこしていた男が陽太に気づき、こちらを見た。


「ああ……君、ここの子?」

 そう尋ねられ、はいと頷いた。今の陽太は桜町ではなくここ幻淵の人間なのだ。昔はともかく、今なら自信を持ってそう言える。男は女に「聞いてみるか」と問いかけ、女はそうだね聞いてみようと頷く。


「実は『シシサン』っていうパスタ屋に行きたいんだけれど……友人に美味いし主人が面白い人だからオススメって言われたから行こうと思ったんだけれどさっぱり場所が分からなくて。何かあっちこっち行けば行くほど訳分からなくなるし、かといって人に聞く勇気が出ないし、見回り烏も気づいてくれないしで困っていたんだ」


「あ、そこなら僕知っています。ついてきてください」


「え、別に道を教えてくれれば……」


「教えるより、一緒に行った方が早いと思うんです。ここからだと結構遠いですし、道もかなり複雑ですから」

 それなら、と二人は陽太に道案内をお願いする。陽太は二人(まだ結婚はしていないが、恋人同士らしい)と話をしながら足を進めた。背後で二人が「こりゃあ確かに教えてもらっただけじゃ無理だ」漏らしているのを聞いた。約二年前の自分も同じようなもので、右も左も分からずしょっちゅう颯馬と迷子になったものだが、今は違う。まだ草薙庵から遠い所のことは殆ど知らないが、いずれこの辺りと同じ位のことを知りたいと思っている。陽太はあっちには何がある、こっちには何があるとガイドブックには載っていない、小さく人によってはあまり面白いとは感じられないかもしれない情報を教えてやる。二人が結構興味深げに聞いてくれたので、嬉しくなってつい遠回りしてしまったことは黙っておく。


「やっぱり地元の人は違うなあ。案内本とかに載っていないようなことを聞くのって、なんか良いな」


「実は僕、帰郷者なんです。ここにはまだ二年位しか住んでいないんです……でも、同じ帰郷者の友達と毎日のように歩き回って、少しも有名じゃないけれど面白いものとか隠れた名店とか、近道とかそういうものを見つけて、この辺りのことにも詳しくなっていったんです」


「帰郷者なんだ。でも本当、ずっと前から住んでいたんじゃないかって思う位色々知っているのねえ! それに君は、ここのことが本当に好きなのね。色々話している時の笑顔と声で分かるわ。何かそういうのを見ていると、私達も嬉しくなって、うきうきするわ。君と同じ位、ここのことが好きになるかもしれないって気持ちになる」

 そんなことを話している内に目的地へと辿り着いた。二人は笑顔で、何度もお礼を言ってくれた。その笑顔とありがとうという言葉がとても眩しくて、胸を熱くしてくれる。そして時間があって、ちゃんと道を覚えていたら陽太が教えたものを見て回りたいとも言ってくれて、それもまた嬉しくて。

 その場を後にする陽太の、温かくなった胸がついさっき生まれた新しい思いを口にする。


(ここのことが好きになるかもしれない……ああ、そうなってくれるといいな。僕は幻淵のことが大好きだ。大好きだからもっと知りたい……それだけじゃない、自分以外の人にも幻淵のことを色々知ってもらいたい。ここのことを好きになってもらいたい。僕が知った沢山のことを、僕以外の人にも知ってもらいたいし、この好きって気持ちを分けてあげたい!)


 そしてその思いは変わることなく陽太の中に残り続け、そして三年目の春。

 陽太は草薙庵を出、幻淵の新たな場所で新たな生活を始めていた。

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