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桜町幻想奇譚  作者: 里芽
故郷は幻の二月の淵に
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故郷は幻の二月の淵に(9)

 

 竜頭行きを決めた途端すっきりしたのか、或いは最後の思い出作りは全力で、と思ったのか知らないが彼は陽太やのどか、その他の友達と遊ぶことをここへ来た時のように楽しむようになった。毎日のように外へ出かけては、あらゆることをした。探索して、思いついた遊びをやって、色々な発見をして、様々な人と交流を深めて。のどかも故郷へ帰るまでの間、国中を旅したり、陽太達と遊んだりして残り僅かな時間を楽しんだ。悔いのないように、のどかという人間の一生を笑顔で終わらせる為に。理子や沙羅と一緒に洋服屋やアクセサリーショップへ行っておしゃれしたり、旅行先で撮った写真を貼り、拙いながらも飾らない素直な気持ちで書いた文章を載せた旅行記を作成したり、陽太達と男の子が好んでやるような遊びをやったりする内、まだこの世界で暮らしていたい、生きていたいという気持ちが湧いてしまったようではあるが、それでも彼女は前へ進むことを決めた。そもそも熟考期間は過ぎた為、もう外つ国へ行くことを辞退することは出来ないし、何より大切な友人であるまことのいる世界へ自分も行きたい、一緒の世界で生きたいという気持ちの方が勝っていたのだ。


 十二月になり、のどかは故郷へと帰った。満星祭りの時はあんなに暑かったのに、今はもう大分寒く、日によっては雪がちらつくこともあった。幻淵は古き年、そして外つ国へ旅立つ者達を送る準備を始め、年の終わりから元旦までの間玄関に飾る『送りもの』という和風クリスマスリースと称したくなるような飾りや、正月飾り等があちこちの店で売られるようになり、旅立つ者を送る際空へと上げる『見灯り(みあかりと読む。どうやら見送り、とかけているらしい)』も取り扱いが始まった。陽太は颯馬と共に送りものも、正月飾りも、見灯りも作ることにし、また本で調べたり店で売られているものを観察したりしてから材料を買って、作り始めた。並行して颯馬は竜頭へ行く準備も進めていた。草十郎が手続き諸々色々と手伝ってくれたので、こちらはあまり大変では無いようだった。こんな風に飾りを作っていると、満星祭りのことを思い出すと言ったら、颯馬はそうだなと笑った。幻淵から出ることなどまだ考えていなかった頃の自分がもう随分遠い所にいると彼は言う。

 家族や友人と最後の時間を過ごしたのどかが、再び幻淵へとやって来た。彼女は幻淵にいる間お世話になった人に挨拶し、次の日陽太と颯馬に会いに来た。彼女は最後の時は一番楽しい時間をくれた二人と過ごしたいと言い、三人は幻淵を歩くことにした。故郷でどんな時間を過ごしたのか笑いながら話してくれたが、どこかその声に覇気はなく顔にもいつもの元気がない。今は何だか軽く触れただけで粉々に砕けてしまう、そんな脆さを感じる。

 最初はただ無理して笑いながら取りとめのない話をしていたが、段々と抑えていた思いが溢れてきてしまったらしく、今にも泣きそうな表情を浮かべながらぽつぽつと自分の気持ちを語りだす。それを陽太と颯馬は何も言わず、ただ静かに聞く。


「……ここで過ごした時間はとても素晴らしいものだった。でもね、家に帰って家族と過ごしている内にあたし、後悔の思いが芽生えたの。故郷を出ないで、最初から最後までずっと故郷で過ごしていれば良かったって。最後だけ、ちょっとの間一緒に過ごしていればいいやなんて思っていたけれど……とんだ間違いだった、全然時間は足りなくて、別れの時間が近づく程後悔の思いは強くなった。何てことはないものも愛しく見えて、二十年以上毎日見てきた景色もとても輝いて見えて……飽き飽きしていたはずなのに、まことのいないあの小さな世界は、とてもつまらないものだと思っていたのに。別に最期の最期にちょっとだけ顔を出せば十分だって思っていたのに。あそこにあるもの何もかもが宝石のように見えた。こんなに綺麗で、素晴らしくて、愛しく尊いものはないって思ったの。段々の土地も、そこに建つ藁ぶき屋根の家も、ビー玉のように綺麗な石が底に沈む清い水の川も、故郷を守るように囲みそびえる水晶を塗した山々も、口やかましい母さんも、頑固で怒りんぼの父さんも、生意気な妹も、友達も、皆、皆……」

 のどかは故郷を自分がどれだけ愛していたか、今頃になって自覚したのだという。旅行記も、旅先で見た素晴らしいものの数々も、陽太達と過ごした日々さえも色褪せて見える位、もう捨てても良いものだと思っていたものの輝きは眩かった。


「あたしは故郷を選んだ。でもその後、故郷よりも大事なものがあることに気づいた。まことは故郷より、家族よりも大事な、何よりも大事な人だって気づいた。捨ててはいけなかった、本当に選ぶべきだったのはあの子だったんだって……うんと後悔して、苦しんで、間違えてばかりいる自分を責めて……だからあたしは、あの子のいる外つ国へ行くことにした。十年以上経ってようやくあたしはあの子の手を掴む。そのことを決めた時気持ちが楽になって、故郷のこともどうでも良くなって、ここで変わらぬ毎日を過ごしているよりも、今の内に外の世界をもっと見てみようと思った。新しい世界を知りたかったの。旅立つ前にこの世界にはどんなものがあるのか見て回ろうって。散々見てきた故郷はいいから、見たことの無いものを沢山見て、それで自分の人生終わりにしようって。楽しかった……とても楽しかったよ。故郷に籠っているだけじゃ絶対見られなかったものを沢山見て、触れて、多くの人と出会って……見飽きた世界より新しい世界の方がずっと素晴らしいものだって思った。満星祭りもとても楽しくて……。外の世界を知れば知る程、ずっといた世界がちっぽけで、無価値で、つまらないものに思えてきた。なんであたしはあんなちっぽけな世界を選んだんだろう、あの子の手をとるのを拒んでまで選ぶようなものではなかったのにって……」

 悲しみと後悔で冷えるばかりの体と心をどうにかして温めようとするかのように、露店で買った温かいカフェオレを飲むのどかの姿は、とても痛々しく、思わず抱きしめて慰めの言葉をかけてやりたくなる位だった。石段を上る足音も重く、暗い。上った先は展望台となっていて、狭いスペースに石製のベンチがあり、木の柵の向こう側には混沌にして美麗な迷い路の都の姿が見える。ここはある日三人で見つけた場所で、お気に入りの場所となっている。

 初めてここへ来た日、のどかはすごいすごいと三人の中で一番はしゃぎ、輝く瞳を眼下に広がる世界全てに向けながら、何物にも絶やすことは出来ない眩い笑顔を浮かべていた。しかし今は違う。柵の上についた肘の上に乗せた顔、そこに貼りついている表情は沈んでいる。その目に映っているのは幻淵か、それとも遠い故郷か。


「満星祭りの時、向こうに帰ったけれどその時はただただつまらないと思うだけだった。帰ってすぐ幻淵が恋しくなった。母さん達が作った料理を食べて、家族や友達とおしゃべりしながら考えていることはこっちのことばかり。幻淵は今頃もっと賑やかで楽しいことになっているだろうな、沢山の料理があって、沢山のイベントがあって、大勢の人がわいわい騒いでいるんだろうな、早く行きたいなって……。母さん達はもっといて欲しいって言ったけれど、あたしはそれを断った。今はそれをとても後悔している。最後の満星祭りなのに……ずっといれば良かったって」

 永遠の別れまで後少しというところで、ようやく彼女は気づいたのだ。自分が生まれ育った場所も、家族も、ちっぽけで無価値でつまらないものではないことに。大事な友達の申し出を断ってまで残るだけの価値がちゃんとあったことに。


「あたしは間違ってばかり。そして自分の間違いに、手遅れの状態になってから気づく。間違って、後悔して……。あたしは本当に気づくのが遅すぎる。故郷で家族や友人と過ごす時間より外の世界で過ごす時間の方を大事にしたことをあたしはとても後悔している。故郷と家族と『のどか』の人生を捨てて、外つ国へ行くことなんて選ぶんじゃなかった……そんなことだって、思った。お別れしたくない、捨てたくないって……でも今更そんなこと思っても、もう遅いの。今更外つ国へ行くことを取り消すことは出来ない。だから余計悔しいの。家族達と過ごす時間を大切にしなかったことを、後悔するの……」

 少し前までは陽太達と幻淵で遊んだり、あちこちの州を旅行したりすることを楽しんでいた彼女。まことのいる外つ国へ旅立つことを楽しみにしていた彼女。だが今の彼女は当時の自分を否定している。あの時の自分は『間違い』だったと言っている。陽太は自分達と過ごした輝ける日々を否定されたような気がして、正直寂しかったし悲しかった。だが彼女を責める気にはならなかった。

 しばらく沈黙した後、のどかは突然大きな声で絶叫した。自分の中に溜まっているものを残らず吐きだすかのように。叫び終わると、びっくりし目をぱちくりさせながらもその様子を見ていた陽太と颯馬の方を見、にっこり笑った。不思議とその表情は晴れやかだった。


「色々吐きだしたら、楽になった。ごめんね、変なことを聞かせてしまって。……さっきもいったけれど、陽太君達と過ごした時間はとても楽しいものだったよ。故郷で過ごす時間を殆どとらなかったことを後悔はしたけれど、ずっと故郷で過ごせば良かったと思ったことも確かだけれど、故郷を出て過ごした時間も大切なものなの。外へ出なければ手に入れられなかったものがある……あの日芋洗い亭に行っていなければ、陽太君と颯馬君には会えなかったし、満星祭りの時ずっと故郷にいたら二人に再会して仲良くなることもなかった。仲良くなっていなければ、あの楽しかった日々はなかった。無かったことにはしたくない思い出や、出会いが沢山あった。……きっとあたしは故郷にずっといても、後悔したと思う。もっと外の世界を見ておけば良かったって。結局、どっちを選んでもこうすれば良かった、ああすれば良かったって思ったんだ。人間って手に入れたものより、自分が選ばなかった方に目がいっちゃうんだねえ。後悔はしてる……でもあたし、自分が選んだ道を間違いだったって思わないようにする。これはこれで良かったんだって。捨てたものと同じ位大切なものをあたしは手に入れた、だから良いんだってさ。まあ、なんていうか……ちょっと捨てるものと得るものの比率を間違えただけっていうか、あれ、間違ったって言っちゃった」

 そう言って彼女は照れくさそうに笑う。捨てる代わりに得るものもあり、得るものの代わりに捨てるものもある。誰もがそんな人生を送る。これからはそういうものがもっと多くなっていくのだと、陽太と颯馬は予感した。そうやって多分自分達は大人になっていく。


「あたしは大丈夫、もう大丈夫。外つ国へ行くことを決めた自分を否定しない。間違いだったなんて、もう言わない。……本当はね、約束したの。故郷でまた会おうって。そして二人の思い出が沢山詰まった缶を一緒に掘り出そうって。あたしはそれを待っていた。でもね、きっとそんな日は来ない。まことがそもそも帰郷者としてこっちに戻って来るか分からないし、戻って来たとしても約束のことなんて覚えていない。故郷に来ても自分が誰なのか思い出さないまま終わるし、あたしもその人がまことだって気づかないまま終わる。とても素敵な約束……でも叶わない約束。あの子もきっと分かっていた。それでも約束したかったの……また会おうって言葉が二人共欲しかったの。でも、もう良いの。あたしは故郷を出る……もしかしたらその後あの子が故郷を訪ねてくるかもしれないけれど、多分それはない。あたしってさ、遅すぎることはあっても早すぎることってないから。今まで来なかったなら、もう来ない」

 そのことをやっと受け入れたからこそ、のどかは外つ国へ旅立つのだ。それから三人は今までの思い出話をし、芋洗い亭まで行ってあの日注文したものと同じものを食べ、別れた。最後は皆涙をぽろぽろ零して、お互いしつこい位ありがとう、楽しかった、さようなら、向こうで会えるといいねという言葉を繰り返した。

 この国では帰郷者を迎える時は盛大に迎えるが、旅立つ者は静かに送る。国民は当日見灯りを空へ放ち、川を下る人々のもとへ贈るだけで後は特別なことをしない。当日彼等の姿を見るのは清女など、儀式に関わるごく一部の者だけだ。

 手を振りながらのどかは去って行き、段々と見えなくなっていった。

 これがのどかとの永遠の別れとなった。


 十二月三十日は、大掃除の日。この日は病院など一部の施設を覗いた殆どの店が休みとなり、一年の汚れを拭い去り、同時にそういったものに含まれるという悪しきものを取り除くのである。

 勿論草薙庵も例外ではなく、廊下をぞうきん掛けし、あちこちをはたきで叩き、箒で掃き、障子を張り替え、不要なものを処分した。颯馬も最初の内は「これが草薙庵でやる最初で最後の大掃除になるかもしれないのか」とか何とか言いながら真面目にやっていたが、段々と悪戯やんちゃクソガキ坊主(草十郎談)の部分が表に出始め、箒で遊びだす。ちゃんばらごっこでもして遊ぼうぜと言わんばかりに絡んでくる颯馬を、陽太も最初はよしなよ真面目に掃除をしなよとたしなめていたが、段々と自分の中に眠っているやんちゃ坊主の部分が現れ、とうとう颯馬と箒という名の剣を交え、最終的にそれが草十郎が張り替えたばかりの障子にクリーンヒットし、二人は思いっきりどつかれた上、まともにやったことがない障子の張り替えをやる羽目になったのだ。理子はすっかり颯馬に毒されちゃって、可哀想にと陽太に同情しほろり涙零すふり。


 そんなこともあったが無事大掃除は終了し、そしてとうとう大晦日。この国では蕎麦に限らず、長いものを年越しのお供とする。うどん、ラーメン、パスタ、のり巻き、チュロス、焼きそばやコロッケを挟んだコッペパン、千歳飴のように細長い飴、細長い身の魚……。またとろろのように粘り気のあるものや、餅のようによく伸びる食べ物も好んで食べられる。陽太と颯馬も色々なものを食べつつ、この国の大晦日の様子を観察し、夜は草薙庵で粘り気のあるとろろがたっぷりかかった蕎麦を食べた。今年一年をそれぞれ振り返り、それから鐘の音が鳴ったのを聞くと見灯りをもって外へ出る。雪洞のような形をした灯りに各々好きな模様や絵を描き、呪いの施された玉に旅立つ者へ贈る言葉を吹き込み、十回振れば灯りが灯る。それを内に入れ、光源とする。

 次の鐘の音と共に、人々は一斉に灯りを離す。見灯りはゆっくりと手から離れ、鐘が鳴る前にうっかりと手を離してしまった人の見灯りを追いかけるように空へと上っていった。陽太はのどかや、その他に旅立つ人々のことを思う。


(さようなら、いってらっしゃい。いってらっしゃい、のどかさん。いってらっしゃい、他の旅人達、いつか向こうのどこかで……)


 それ以外特別なことは何もなく、一年は終わった。そして新年、向こうと変わらず雑煮やおせちをたらふく食べ、草十郎からお年玉を貰い、親しい人に挨拶し、正月ムードが落ち着いたところでとうとう颯馬が旅立つ日がやって来た。その前夜当日眠くなることも気にせず陽太と理子は颯馬と沢山話をした。皆して最後は涙を流し、永遠の別れってわけじゃないのにと言いながら零れ落ちる滴を拭い、今度は三人仲良く大きなあくびを、目からぽろり涙を零しながら港へと向かう。港には沙羅や双樹など親しい友人や、知り合いなどがおり見送りに来てくれた。


「何か照れくさいな……こんなに沢山の人が見送りに来てくれるなんて、思わなかったよ。へへ……何か感極まって泣いちまいそうだよ」

 そう言って鼻の下をこする颯馬を見て沙羅が笑う。


「あんたには涙なんて似合わないよ。まあ、向こうでも元気でね。あまり色々な人に迷惑かけるんじゃないよ」


「手紙、くださいね。楽しみにしています」


「期待しない方がいいわよ、いかにも筆不精な男だもの」


「あ、そんなこと言っているとお前には手紙やらねえぞ、理子!」


「別にいらないわよあんたの解読が必要な手紙なんて」


「お前の字だって大概じゃないか」


「あら、あんたのよりはずっと綺麗だわ」


「いや、二人共どんぐりの背比べだから……」

 何だと、何ですってとぼそりと呟いた陽太の体を二人してくすぐったり、頭をぐりぐりしたり。痛いよ、やめてよと言いながら笑う陽太と、自分の方がまだましだと答える二人。そんな三人を見て周りの人は苦笑い、本当にお前達は仲が良いなあという声が聞こえる。


「まあ、理子よりはましな字で手紙書くよ。二月にある桔梗の会にも参加するから、一か月ちょっとすればまた会えるし。いつまで向こうにいるかもまだ分からないけれど……楽しんでくるよ。前世の俺としてじゃなくて、颯馬として楽しんでくるんだ。自分以外の奴に引っ張られるなんて、もうごめんだ。懐かしいって気持ちも、竜頭に帰りたいって気持ちも前の俺のものなんだろうけれど……行くのを決めたのは俺だ、俺の意思で決めて、俺のやりたいようにやるんだ。ここで陽太や理子と過ごす日を捨ててまで行くんだ、思いっきり楽しまなきゃ損しちまうもん」

 そう言って海の方を見上げる颯馬はいつもと違い、ちゃんと年上に見えた。一瞬大人に見えた位だ。その表情は、あの展望台で自分はもう大丈夫だと言った彼女の顔に似ていた。

 それを見た時、陽太は颯馬が随分遠くへ行ってしまったような気持ちになった。それが少しだけ寂しくて、行かないでくれと思わず口に出してしまいそうになる。それをぐっと我慢して「楽しんできてね、元気でね」と言って颯馬と握手する。


「あんたがいなくなったら、草薙庵も随分静かになるでしょうね。……でもあんまり静かすぎて、寂しいかもね。まあ、元気でやりなさいよ。元気だけが取り柄なんだから、あんたはさ。まあ、向こうの家の人に迷惑はかけないでね。手紙も……しょうがないから受け取ってあげる。だから、ちゃんと書きなさいよね。書かなかったら承知しないから」

 素直なような、そうでないような、そんな言葉と共に理子は微笑み颯馬と握手する。それから颯馬は他の人に挨拶をし、最後に草十郎に今までお世話になった礼を言って深々とお辞儀する。それから彼とも握手をし、やがて颯馬の乗り込んだ船は港を出立した。

 ぼおおん、ぼおおん、という汽笛は別れの言葉であり、旅立つ人へ贈るエールである。徐々に消えていく船の後ろ姿を見ていると寂しさと、幸ある未来を祈る気持ちでいっぱいになる。


(僕もいつかあんな風に旅立っていくのかな。新しい世界へ旅立つ為に。颯馬は先に行ってしまった。……いつか僕も、向こうへ、遠い遠い向こう側へ行くのかな)

 それはいつの日になるのか、今の陽太にはわからない。案外すぐかもしれないし、向こうの世界へ帰るまでずっとこのままなのかもしれない。


「全く……ずっと餓鬼のままでいるんだろうと思っていたら、一年も経たねえ内にちょっとだけ大人になっちまいやがった。あいつのあんな顔を、見ることになるとはな。子供ってのは本当に成長が早いな……本当」

 そう呟く草十郎の顔には喜びと少しの寂しさがあった。多分息子の成長を目の当たりにしたお父さんが浮かべるのと同じ表情だ。陽太や理子は舟が完全に見えなくなるまで手を振り続け、そして沙羅達と一緒に帰路に着く。


 そして、颯馬ものどかもいない世界での日々がこの日から始まった。

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