故郷は幻の二月の淵に(8)
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からんからん。透明な硝子のコップの中で溶けかけの氷が笑う。どこかに止まっているらしい蝉の鳴き声、そのやかましさと暑苦しさを和らげるような、透明で涼しげな音を鳴らすのは店の軒先に並ぶ風鈴達。涼しげな色に、金魚や朝顔といった絵や、海や川、花火等を思わせる模様が描かれたその風鈴は特別涼しげな音を奏でることで有名な『竜頭風鈴』である。水面を思わせる色と模様が美しい硝子がはめこまれたテーブルに肘をつき、颯馬がその風鈴をぼうっと見つめている。きっとこの風鈴にも懐かしさを感じているのだろう。スプーンで延々とかき混ぜている珈琲フロートはすでにアイスの部分が溶けていて、水の中悠々と泳ぐ金魚が可愛らしいコップを白い液体が伝う。満星祭り以来、竜頭に関係した物を見る度彼の懐中時計は逆回りし、意識は過去へ飛ぶ。白い寒天、優しい赤と緑色の求肥、あんずにさくらんぼに餡子に赤エンドウマメの入った、まるで宝石箱の様にきらきらと輝くあんみつにも殆ど手をつけていない。
白餡を夏の空とそこを泳ぐ雲を思わせる色をした練りきりで包んだ菓子と、鉢風の形をした寒天の中で金魚が泳ぐ菓子と甘さ控えめの抹茶オレを楽しむ陽太、黄粉がたっぷりかかった葛餅を口に入れては幸せそうな表情を浮かべるのどかの会話にもあまり入ってこなかった。
「何も決めずにする探検もなかなかですが、今回みたいに目的を決めてするのもいいねえ! 真夏の中の涼探し、楽しいです! こうして探してみると、結構見つかるものだねえ。ビー玉庭園、洞穴喫茶、風鈴ロード、水果(冷やした果実)売り、青い石が埋め込まれた階段で飲むラムネ!」
「打ち水って本当に涼しくなるんですね。青色硝子の商品だけ置いているってあの店も、いるだけで涼しくなりましたし……ああいう面白い店があったんだなって発見も出来て良かったです。あ、後あの『青浜亭』で聞いた怪談……」
「嗚呼、陽太君思い出させないで! どれもこれも怖かった、怖かった……本当に! 涼む通り越して、体中が氷漬けにされたような思いがしたよう。ああいう語り手さんって本当上手いよね、間の取り方とか表情とか喋り方とか……あの人達の手にかかれば、きっとどんな笑い話も身の毛もよだつ怪談になってしまうよう」
とのどかは両腕で肩を抱き、ぶるぶると震えてみせた。陽太もそこでいかにも優しそうな、お坊さんみたいにつんつるてんの頭をした男性がした話を思い出し、震える。話の内容より、彼の話し方が人々に恐怖を与えた。青浜亭では落語や漫談、大道芸などが毎日様々な演者によって行われており、この時期は怪談を聞くことが出来る。
「色々な涼みスポットを見つけられたのはいいですけれど、結局それを探す為にあちこち歩き回ったから……かえって家の中でうだうだしているより暑くなった気がしますけれど。こうして涼んでいる時はともかく」
それを聞いて確かに、とのどかが苦笑いする。彼女は祭りの日に会って以来陽太や颯馬と一緒になって、幻淵中を歩き回っている。探索エリアも始めた当初に比べかなり広がっており、交通機関を駆使してあっちへ、こっちへ。昨日は草薙庵周辺で『身近な涼探し』をし、今日は少し遠出。のどかは見た目通りとても活発な人で、二人に負けず劣らず好奇心旺盛で心から探索を楽しんでいるようだった。子供っぽくはしゃぐ姿が印象的で、颯馬を女にして、精神年齢を上げずに実年齢だけあげたような人だと陽太は思う。どうやら小さい頃は例の友達と一緒にあちこち駆け回り、どろんこ傷だらけになることも気にせず遊んでいたそうだ。元々ド田舎ゆえに自然が主な遊び相手で、調子に乗って迷子になってしまったことも何度もあるらしい。彼女にとって、その友達と過ごした日々が一番楽しいもので、幸せな時間だった。陽太達に友達との思い出を語る時ののどかはとてもいきいきとしていた。
「つい最近遊びに行った新城という州には涼み床っていう夏の風物詩があったんだあ。綺麗な川の上に東風の床が設置されていて、そこの上でご飯を食べたりお酒を飲んだりするの。川のさらさらって音、苔むす岩、辺りを包み込む緑、透き通った水……とても涼しかったなあ。川沿いのお店の屋外にもね、夏だけ設置されて……すごいよう、川を見下ろすように高床式のお座敷がずらりと並んでいて、それを橙色の灯りが照らすんだよう」
「涼み床……向こうでいう納涼床かな。京都の夏の風物詩の」
「京都? それって向こうの世界の州の名前? ねえねえ、それってどんな所?」
のどかは初めて聞いた言葉に興味津々の様子。陽太は京都について色々と話してやる。といってもまだ一度も行ったことがない場所だから、本やTVで見たものを語るだけにすぎないけれど。そうして陽太はよくのどかに向こうの世界の話をしてやる。子供に御伽噺を聞かせてやっているような気持ちで。自分は現実の世界の話をしているのか、それとも夢の世界の話をしているのか、いつも分からなくなる。もしかしたら誰かの、或いは自分の作ったお話を聞かせてやっているだけなのかもしれないとさえ思う。
「確か、向こうの世界のことをまとめた本って色々出ていますよね。そういうのを読めばもっと色々なことを知ることが出来るのでは」
「そりゃああるけれど、やっぱりそこに住んでいる本人達から色々聞く方が間違いないかなって。それにあたし本読むの苦手だし……文字がびっちり詰まっている本を見ただけで頭痛くなっちゃうよう。あの子もそうだったなあ」
のどかは頭をかきながら、あははと笑う。のどかの一番の友達――まことというらしい――も彼女同様家の中で殆ど動かずじっくり何かをするというのが苦手だったらしい。双六やかるた、花札諸々は五分ももたずに飽きたという。
颯馬も理子さんも本ってあまり好きじゃないんだよね、と言いながら陽太は颯馬をちらりと見やる。彼は「ああ」と生返事。一度時計が逆回りを始めると、颯馬はなかなか戻ってこなくなる。今ここにいる颯馬は颯馬であって颯馬ではないのかもしれない。こんなだから、近頃は理子やのどか、沙羅や双樹といった颯馬以外の友人と喋ったり、遊んだりする時の方が多くなっている。あの日までは、彼と一番よく喋り遊んでいたというのに。
毎日のようにやっていた探検ごっこも満つ星祭りを境に頻度が減り、彼が不参加の日もあった。昨日今日は彼の思いつきで動いているが、言い出しっぺの割に乗り気ではない。近頃はそうだ。昔ほどこの探索に入れ込んではいない。つまらなくなった、飽きた、というわけではない。ただ、幻淵中を探索するという『遊び』以外のものに目を向けるようになったのだ。
まだ清女に前世の故郷がどこかは聞かない、竜頭にも行かないと彼は言う。まだ前世のことなんて考えるのは早い、今はまだのんびりまったりやっていたいと口では言っているが、彼の目は完全に竜頭へと向いている。竜頭や、竜頭の工芸品のことが載っている本を集めては読んでいる。
「不思議だよなあ……あの日までは竜頭のものを見ても何も感じなかったのに。あの日星寄せを見ていなければ、今日俺はここで竜頭風鈴を見ても……良い音した風鈴だなあ、位にしか思わなかったんだ」
颯馬が少しずつ次のステージへ向かっていくことを実感しながらのどかと喋っていると、颯馬がぼそりとそんなことを呟いた。語りかけるように、独り言のように。確かに満星祭りの前も、彼は竜頭産のものを幾つも見てきたが、その時は何の反応も示していなかった。この幻の二月の淵を懐かしむ気持ちはあっても、その中の限られた場所に特別強い思いを抱くことは無かったのだ。
あの日まで、颯馬の顔は薄い布に覆われていた。だがそれは星寄せを見た途端、取っ払われ、彼は目覚めることになる。目覚めのキッカケは些細で、そして突然訪れるのだ。一度取り払われた布で再び目を覆うことは出来ない。陽太もまた、微かな目覚めを迎えている。何も思い出すことなく過ごしていた日々にもう戻ることは無い。
のどかと過ごす時間も、颯馬や理子と過ごす時間と同じ位楽しい。同年代の、同性の友達感覚で付き合うことが出来た。きっとこれが奏だったら隣に座って、目を合わせながら気楽にお喋りすることなど出来なかっただろう。
だが、楽しいと思う一方で重く暗い色をした気持ちにもなる。申し訳ない、という気持ちが罪悪感が常に体内の隅にいて、ふとした時に陽太の胸を痛ませる。一緒に行こう、と手を差し出されさえしなければ抱くことの無かった思いを抱くことになっただろう誰かのことが過ってしまうから。
(自分にも一緒に行こうって言う位大切な人がいたんだ。でも、そんな人がいたのに僕は外つ国へと旅立ったんだ)
のどか曰く特別理由もないのに外つ国に惹かれ、旅立つことを決める人もいるという。のどかの友達、まこともその部類だったそうだ。旺盛な好奇心が囁いたわけでもなく、田舎暮らしに飽きたわけでもなく、ただとても行きたくなったから、行った……らしい。
自分はどうだったのだろう、と考える。そうして考え出すと颯馬の様に逆戻りする懐中時計の中に囚われることになり、一人ぼっち状態になったのどかに可愛い金魚を盗み食いされても気づかなかった。
結局その日はそこで探索終了となり、もう少し一人で涼探しをするというのどかとは別れることになった。彼女は会計の時、陽太の財布についていたあるものに気づいた。
「それ、もしかして星寄せ飾り?」
「え、あ、はいそうです。知り合いの人が作ったのを貰ったんです……お、同じ帰郷者で一緒の舟に乗ってこの国へ来たんです。奏さんといって、今は別の州で魔女をやっているんですけれど……」
そう言って、陽太は財布についている飾りを手に取る。それは逆さまになった山と猪のマスコットで、山と亥で『やまい(病)』となり、それが逆さまになったことで『病にならない』という意味を持つ。すなわち無病息災という願いのこもった飾りである。自分が作った星寄せ飾りを添えて手紙を送ったところ、いつも通りの丁寧な字で書かれた手紙と共にこれが送られてきたのだ。元々陽太にあげる為に作ったのだという彼女の言葉は、陽太の胸を熱くした。自分が彼女に大切な友達と思われていることが嬉しくて仕方が無く、散々眺めてから財布につけ、こうして常に持ち歩いているのだ。奏も陽太があげた飾りをバッグにつけてくれているらしい。それがまた嬉しくて仕方が無い。一方で、彼女の間近にいられる星寄せ飾りのことが羨ましいと思う。
「彼女の手作りだから、ものすごく大切にしているんだよな」
「え、恋人さん?」
「違います、違いますってば!」
「間違えた。今後恋人になる予定のお姉さんだったな」
「それも違う! もう毎回毎回、からかわないでよ! 僕は別に、そんな、毎回言っているじゃないか、これは恋とか何とかじゃなくて」
「お前、今度奏姉ちゃんの話をしている時の顔を鏡で見てみろよ。こうやって弄らずにはいられなくなるような、それはそれは良い顔しているぜ。まじで。あれはなあ、お姉さんを慕うって顔じゃない。恋する男の顔だ、うん」
「成程。つまり陽太君はまだ、その奏さんとやらに抱いている感情の名前が自分では何なのか分かっていないと。まあ、恋にせよ愛にせよ、きっといつか分かるよう。今は分からなくても、多分ある日突然自覚するんだよ。それでね、自分の世界が変わるの。世界なんてさ、ある日突然変わるもんなんだよう。あたしみたいに。或いは、颯馬君が星寄せを見た時みたいに……ええと、帳っていうのかな? ああいうのがさあ、そういうのがどーんと取っ払われて、自分の気持ちにででーんと気づいて、世界がどかどかどーんと変わるよう、うん! それでもって君と彼女の世界も大きく変わるのさ、どどどどーんとねえ!」
「のどかさん颯馬とまるっきり同じこと言っているよ……」
流石精神年齢同レベル、表現方法も同レベルである。それにしてもここまで一致するなんて、ある意味奇跡だよなあと感心、否、呆れ。しかしそんな擬音語だらけの現象が訪れる日を否定することは出来ない。
世界なんて、ある日突然変わる。そして新しい世界と引き換えに、古い世界を人々は捨てる。
友達とあちこちを気ままに探索していれば満たされていた、何も考えずただはしゃぎ回っているだけで良かった――そんな日々で構成された世界を颯馬はもう捨ててしまっている。陽太も、半分はもう、無い。
それと同じように『よく分からないけれど大好きなお姉さん』と友達として、或いは姉弟としてのんびり手紙のやり取りさえしていれば満たされていた世界が、ある日突然変わってしまうことだって十分にあり得るのだ。そんな今の世界を捨てるのと引き換えに、自分はどんな世界を手に入れることになるのだろうか。
奏のことだけではない。颯馬の様にある日突然自分の前世に触れるような体験をした時、自分はどうなるだろうか。
そんなことを考えながら陽太は草薙庵へと帰って行った。
それからも幾度か陽太達は幻淵のあちこちへ足を運んでは、気ままに探検ごっこをした。のどかも飽きずに子供の遊びに付き合い、いつもにこにこ笑いながらはしゃいでいた。その眩しい笑顔を陽太は好ましく思っていた。しかし颯馬の目はますますここではない場所へ向けられるようになっていき、夏の暑さが少しずつ和らぎだした九月の終わり頃に行われた、その時期にだけ獲ることを許されているスイショウホネウオをはじめとした海の幸が振る舞われる鉾石港水産祭りへ行き、十月初めに草薙庵のある地域で行われた泥んこ運動会に参加し、スタンプラリー大会にのどかも加えて三人チームで参加し、理子のいるチームや、沙羅と双樹のいるチームと順位を競い、晴れた日に理子と沙羅と双樹とのどか達と共にお弁当を持って出かけて、お気に入りの場所をスケッチしたり、それぞれの行きつけの店を紹介しあったり、鳥や花の写真を撮ったりし、そして十一月。
とうとう颯馬は清女に自身の前世の故郷の名を聞いた。予想通り、彼の故郷は竜頭だった。そして彼は決断する。年明けに一旦草薙庵を出、竜頭へ行くことを。もう彼は膨れ上がる『故郷への思い』を抑えきれなくなったのだ。彼はしばらくの間向こうへ滞在するつもりらしい。
「ずっと昔の俺が、行きたい行きたいってうるさいから。……またすぐ戻ってくるかもしれないし、向こうの世界に帰るまでずっといるかもしれない。どっちになるかは分からないけれど、行くよ、俺」
その告白を聞いて驚く者も、反対する者も誰一人いなかった。遠くない未来に彼がそう言うことは分かっていたからだ。ただ、覚悟していたとはいえ本人から実際にその言葉を聞くと、少し寂しくて切なくて、胸がずきりと痛む。応援し、笑顔で見送ることが分かっていても、寂しいから行かないで欲しい、もう少しもうちょっとだけまだ一緒に居て欲しい、一緒に遊んで欲しいとも思う。失うのはあまりにも惜しい世界を思うと、そんな我侭も言いたくなる。颯馬もきっと同じ気持ちだだったから、今の今になってようやく竜頭行きを決めたのだ。
『――そう遠くない日に、颯馬はきっと竜頭に行くだろうと思っていました。でも、そう思いながらあの人はまだ行かない、まだ一緒に過ごす日々は続くんだという考えもありました。近い内に聞くことになる言葉だと分かっていたけれど、でも、それとは全く逆の彼がそのことを口にするのはもっと後だ、いや結局言うことなく終わるかもしれないという考えがありました。不思議です。分かっていたのに、分かっていなかったんです。竜頭に行く、という言葉を聞いた時『やっと言ったか』って気持ちになりながら『もう言うとは思わなかった』なんて気持ちにもなりました。もう彼も自分もここへ来た時とは違っていることを僕は知っています。知っているのに、僕達はずっと変わらないんだって、このままだって思っていたんですね。
こんなに早くあの楽しかった毎日が終わってしまうなんて、ちょっと前の僕は考えもしていなかったです。僕も颯馬もこの草薙庵で暮らし始めた頃は、ここで暮らす日々が楽しくて、ただ楽しくあちこちを歩き回っていさえすれば十分でした。だから僕達は、自分達が自分達でない時にこの国のどこでどんな暮らしをしていたかなんて、ちっとも気にしたり考えたりしようとはしませんでした。いつかは、自分達の故郷に行くかもしれないとは思っていました。でもそれは、ずっと先の、三年とか経って最後の年になった位になってようやく考えることだと思っていました。でも、実際はそれよりもずっと早くなりました。颯馬は半年足らずでそのことを考えるようになりました。僕も、前よりはそのことを考えるようになりました。たった一つのきっかけで、こんなに世界って変わるんだなって不思議に思います。こんなに早く、終わっちゃうんですね。勿論僕と颯馬が友達であることに変わりはないです。でも、何にも考えずただ呑気に毎日過ごしていた日っていうのは、もう戻ってこないんだなって思ったら少し寂しくなりました。奏さんは新しい世界を手に入れるには、古い世界は捨てなければいけないと言いました。新しい世界にも、古い世界にはないとても素敵なものが沢山あるとも。一つ大人になる為には大切なことなんだと。確かにそうなんだろうと思います。だから、これはとても良いことなんです。悪いことじゃないんです。分かっていますが、それでも寂しいと思ってしまいます。ずっとあのままだったら良かったのになって。でも、こう思うのは悪いことじゃないですよね? そんな風に思うけれど、でも僕は颯馬が新しい世界へ行くことを歓迎します。笑って、送ってあげようと思います。そして、颯馬がここで遊んでいるだけでは手に入れられなかった新しい色々なものを沢山手に入れることを願います。出来れば、頻繁にこっちに帰ってきて欲しいなとも思います。颯馬は僕より子供で、うるさいことも多いけれど、好きです。ああいう感じの人で、こんなに好きだなと思ったのは初めてです。颯馬が一緒に探検しようって言ってくれていなければ、僕は幻淵のことを今ほど知らなかったし、好きにもなっていなかったかもしれないです。
奏さんは、前世のこととか気になったことはありますか? 前世に暮らしていた場所に行ったことはありますか? あったら、教えてください。
(中略)
十二月の終わりに、のどかさんも旅立ちます。のどかさんは僕達がずっと前に下った川を下っていって、外つ国へ行きます。向こうで会うこともあるかもしれないけれど、でもそののどかさんはのどかさんであって、のどかさんじゃありません。颯馬とは、颯馬が死んじゃうことがない限り(なんて、不謹慎ですね、ごめんなさい)永遠のお別れにはならないけれど、のどかさんとは永遠のお別れになります。多分星神様が示したのは、のどかさんとのお別れのことなんだと思います。そんなの、示さなくても分かるのにな。分からないことを教えて欲しかったのになってちょっと残念ですが、文句を言っちゃ駄目ですよね。それにもしかしたら違うことかもしれないですし。でも、違わない方がいいかもしれないです。永遠の別れなんて、あまり良い響きじゃないですし。
僕は、のどかさんのことも好きです。颯馬と同じ位子供で、奏さんとあまり変わらない年齢なんて信じられない位で、時々人の話を聞かないでずっと喋り続けてははっと我に帰って、ごめんなさいって言ってはまた同じことをするし、颯馬と一緒になって僕に悪戯したりからかったりするし、しょうがない人だって思うこともあるけれど、でも好きです。のどかさんは女の人だけど、あまりそんな感じがしません。奏さんや理子さんと手を繋いだらきっとどきどきするけれど、のどかさんと手を繋いでもそうならないし、この前あった料理大会で草十郎さんが優勝した時、やったーと二人で思わず抱き合ったけれど、やっぱり恥ずかしいって思いはしませんでした。男の人と思っているわけじゃないけれど、同性の友達みたいな感じで、何かよく分かりませんね、ごめんなさい。のどかさんは十二月になったら故郷に帰って、家族の人と最後のひと時を過ごすそうです。それで最後こっちに顔を出してから、幻淵にある清めの園へ行って潔斎をするそうです。僕もずっと前にそれをやったはずですが、全然覚えていません。懐かしいと思うものもあれば、こういうものみたいに全く覚えていないし、懐かしいって思いもあまりしないものがあるのって不思議です。颯馬だって星寄せを見るまでは、竜頭のものを見ても何にも思わなかったようですし、もしかしたら僕もただ何の思いも抱かないだけで、そういう前の自分と縁があるものを見ているかもしれないですね。
のどかさんと別れて、颯馬もいなくなったら、僕はきっととても寂しくなると思います。他にも沢山友達がいるけれど、それでも寂しいと思うと思います。二人とは特によく一緒に遊んだから。二人がいなくなった世界で、僕はどんなものと出会うのでしょう、どんな時間を過ごすのだろう。今は楽しみより、寂しさや不安の方が大きいけれど、でもきっと大丈夫です。僕は一人じゃないですから――』
陽太はもう何通目になったか分からない奏宛ての手紙を書き終え、ポストに投函する。手紙にはこんな行事に参加した、こういうことをした、ということも沢山書いた。特に自分はその時こういうことをした、とか自分の功績等は多く書いた。自分がどんなことをしたのか奏に教えてやりたい、功績を褒めてもらいたい、という気持ちが働いてのことだったが無意識でやったことなので、陽太は気づいていない。
しばらくして、奏から返事が来た。彼女は前世のことは思い出していないし、故郷のことも聞いていないという。前の自分に引っ張られたくはない、自分は自分として生きたい、それが彼女の考えだった。だからかつての自分の故郷のこともあまり気にならないそうだ。
彼女は陽太とは違い、自分のことはあまり書かない。どちらかというと、陽太が書いたことに対するコメントの方が多くを占めている。この前陽太が満星祭りのことについて書いた時も、彼女は自分がどんな風に四日間を過ごしたのかとか近況については殆ど書かず、陽太に渡した星寄せ飾りの意味や、沙羅と双樹に降りた双子神に関する記述、星神が人間の醜い心に触れ祭りの体系が変わってなお人を愛し続けていることを嬉しく思っている旨、陽太の手紙に対するコメントが大半を占めていた。陽太としてはもっと奏がどんなことをしたのか、どんな日々を過ごしているのか知りたかったが、催促するわけにはいかないので手紙の中にさりげなく彼女への質問を混ぜることで、彼女が自分のことを書いてくれるようにするに留まっている。
陽太が手紙を読む時は、とても良い顔をしている。夢中になって手紙を読んでいる陽太の横顔を見る度、颯馬は必死に笑いをこらえながら、体を揺らす羽目になる。それに気づくと陽太はむくれるが、にやにやするな、笑うなという方がおかしいと颯馬は思っている。特に今回の手紙にあった『陽太君はのどかさんととても仲が良いのね。のどかさんのことも、とても好きなのね。なんだかちょっと妬けてしまうわ、なんて』という文を読んだ時の陽太は颯馬的には最高傑作であった。その姿を見ていると、ああもうこの顔を見ることもしばらくないんだよなあ、とちょっとさびしくなった。