故郷は幻の二月の淵に(6)
やがて大鷲が空硝子にヒビを入れ、紫や赤に変色した硝子は音を立てずに粉々に砕け、星神を包む瑠璃水が溢れ出る。すなわち、夜の訪れ。空硝子が硝子工芸の神によって修復されるまで朝は来ない。
あちこちに灯りがともり、屋台や人々を橙に或いは赤や青に染める。一部の通りを飾る星寄せ飾りも同じように照らされ、人々をライトアップした藤や桜、菊、鬼灯、紅葉、魚泳ぐ海の下を歩いているような心地にさせた。光と闇のコントラストが、非日常の様々なものを照らす光が、世界により幻想味を帯びさせ、人々を日常と非日常入り交ざる不思議で蠱惑的な世界のより奥へと誘う。このような状態だから、幻想世界に住まう神々もこの地に降りることが出来るのかもしれない。
四人は交通機関と足を使い、草薙庵のある場所から大分下った所にある屋外劇場へとやって来た。コロッセオを思わせる風貌のそこでは劇やサーカス、ライブ等が年中行われているそうだ。
「今ではあちこちの会場でやっている星降ろし発祥の地は幻淵なんだ。いや、星降ろしだけじゃなく満星祭り自体始まりはこの地だったそうでね。元々は神官や巫女の見習いが舞って、その体に星神を降ろす儀式だったそうさ。その見習い――若星子に降りた星神達は、幻淵の民と共に飲み食い踊り騒いだんだって。星神っていうのは、そういうのが好きみたいだ。そして再び星へ戻る時、この地に幸を与えたそうだ。それでこの祭りが段々と全国へ広がっていったらしい。今は人ではなく星寄せに星神を降ろす祭りになっているけれどね。星神が降りた星寄せには力が宿り、そこに込められた願いを叶えてくれる。いや、叶えるというか背中を押してくれるというか、応援してくれるっていうか……まあ手助け程度みたいだけれどね。で、かつて神を降ろす為の舞を舞ったのが、今この劇場がある場所なの。だからここは星降ろし始まりの場所ってわけ。ここで舞えるのはかなり名誉なことだし、人気も高いんだよね」
「そういや理子の奴がそんなこと言っていたような気が。よりにもよって一番すごい所でやらなくちゃいけないなんてって」
「名誉なことであるからこそ、相当なプレッシャーがかかりますからね。沙羅でさえ僕と一緒に去年ここで星降ろし等をやった時は、本番前にかちこちに固まった体ぶるぶるふるわせながら胃薬飲みましたからね」
「馬鹿、恥ずかしいことばらさないでよね!」
「へえ、変質者に遭遇しても眉一つ動かさず、見事な背負い投げをお見舞いしたような沙羅様がねえ!」
う、うっさいと沙羅が颯馬に殴りかかる。彼女は理子より女性らしい見た目でありながら、彼女よりも勝ち気で乱暴な娘である。そんな二人を見て苦笑いしながら陽太は劇場へと入っていく。若星子に選ばれた人間の家族や親戚、知人数名は無条件で良席のチケットを手に入れることが出来るのだ。そうでなければ、簡単には手に入らないという。
劇場内はすでに観客でいっぱいだった。去年若星子をやった沙羅と双樹もチケットを入手しており、二人とは違う席へと移動した。陽太達はしばらくしてやって来た草十郎と喋りながら星降ろしが始まるのを待った。そしてとうとう時間となり、中央に用意された畳敷きの大きな舞台の上に男の若星子八人が上がる。初めは彼等が舞い、その後理子達女性陣が舞うようだ。頭に白の薄布を鉢巻のように縛り、右手には神聖なる輝き帯びた銀の刃が美しい剣を持っている。勾玉と玉を連ねた首飾りをかけ、陽太達とは違い、顔にペイントは施されていない。彼等は緊張を体の内に封じ込め、実に堂々とした、厳かで静謐、それでいて若者だけが持ちえる眩い輝きを帯びた顔を上げ、前を真っ直ぐと見つめている。
舞台の後方を取り囲む扇状の、綺麗に磨かれた木の床の舞台の上には年季を感じさせる楽器と、それを奏でる楽人達の姿。坊主頭の男が左右の端にそれぞれ二人ずつおり、ぴっと真っ直ぐ背を伸ばして正座をし、静かに始まりの時を待っている。
彼等が登場した途端、騒がしかった会場がしんとなり、くしゃみや咳一つしても会場にいる人全員に聞こえてしまうのではないかという位の静寂が訪れた。それと共に劇場の外にいた人達も喋るのを止めたらしく、静かになる。劇場近くなど数カ所にある櫓に設置された鐘が鳴り、舞が始まることが幻淵中に知らされていった。
それからしばらくして、坊主頭の男達が声をあげる。腹の底まで響く低音で「あ」という音を伸ばし、微妙に音程に変え歌うように、語るように。若星子達は体の中心に沿うようにして真っ直ぐに立て、左手を腰へやり静かに目を瞑る。坊主達の声が一旦止み、静寂。そして聞こえる音色、琴、笛、鈴。
そこから若星子による剣舞が始まった。始めはゆったりとした舞だった。一見すると動きが激しくないから簡単そうに見えるが、実際はそんなことないのだろう。ある意味では激しい動きよりも辛いかもしれなかった。坊主達の響く声による謡いはかなりゆっくりな上に難しい言葉が使われていたので、意味は殆ど分からなかったが、そのことはあまり気にならなかった。彼等の声が天と地、日常と非日常、人の世と星に住まう神の世の境を溶かし、繋げる。そしてその低く響き渡る声は聞く者の意識をぼやけさせ、ごちゃごちゃとしたことを考える力を失わせていった。一種の麻薬のような恐るべき力により、剣舞を見ながら一つに溶けた無限に等しい世界を漂っているような、不思議な気持ちになる。後半舞は激しいものとなり、坊主達の声よりも太鼓を主役にした楽の方がメインとなっていく。剣を振りまわし、くるりと回り、薙ぎ、休む間もなく段々と激しさを増していく楽の音に合わせ舞い続ける。それだけ激しく動きながらも、他人とぶつかったり、剣を落としたりする者は誰もいない。若星子に選ばれ、舞えるのは一生に一度きり。その一度さえ無い人の方が圧倒的に多い。この舞台に立っていられることは奇跡であり、また最初で最後のことなのだ。だから悔いの残らぬよう、全身全霊を捧げこの場に臨んでいる。今の彼等は失敗したらどうしようだとか、上手にやろうとか、そういった雑念など抱きはせず、無我夢中で舞っているだろう。地獄の練習により体に染みついた動きが自然と出ているように見えた。
男達の舞が終わった。ここで大きな拍手をしたいところだが、それは禁止されている。戻ってきた静寂の中、若星子達は深々とお辞儀をすると劇場を去った。きっとその場に倒れこみたい位疲労していただろうが、その様子をおくびにも出さなかった。そんな彼等と入れ違いに、女性の若星子が劇場内に入ってきて、舞台へと上がる。頭に赤い花をつけ、化粧を施した娘達の姿は麗しい。その中に理子の姿があった。快活でボーイッシュな雰囲気はなりを潜め、一瞬彼女とは分からないほどだった。隣を見れば、丸くした目を理子に向け、ぽかんと口を開けている颯馬の姿が目に映る。
小さな銅鏡のついた首飾りを提げ、舞扇を手にした娘達は、ゆったりとした動きで舞い始める。こちらも一見簡単そうに見えるが、かなり辛い体勢をとったり、それを長時間保ち続けたり、さっとやればどうということもないが、ゆっくり少しずつやると途端大変で疲れるような動作をしたりと、実際はかなりの難度であると見受けられる。相変わらず全ての境が楽の音や坊主の声によって溶け、神聖にして異様な世界の中、理子達は舞い続ける。自分達と理子達との境もなくなっていって、時々陽太は目の前にある舞台で自分が舞っているような錯覚に陥った。星降ろしが始まる前は理子が失敗しないだろうか、大丈夫だろうかと心配していたが、今はもうそんなことさえ考えられない。段々と増していった激しさが最高潮に達した時、何も考えられず、見えず、聞こえない状態になっていた。体と世界の境も消え、溶けて一つとなり、それによりものを考える脳もものを見る目も何かを聞く耳も、何もかも失ったとしか思えない感覚。
我に帰った時には舞は終わっていて、星降ろしの最中は殆ど見えなくなっていた世界が再び陽太の前に姿を現した。しかしその世界は星降ろしが始まる前とはどこか様子が違って見える。空気も変わったように思えた。
陽太は手に持っていた星柱を見る。
(これがあるから、僕は今こうしてちゃんと『僕』に戻ったんだ)
この星柱には、星降ろしの最中世界と一つになった『自分』を呼び戻し、一つにし、体と外に境を作り、『自分』という個の存在を再構築するという効果があるらしい。草十郎にその話を聞いた時は何が何やら訳が分からなかったが、不思議な感覚を味わった今ならなんとなく分かる気がする。この星柱を用意しなかったり、無くしたりすると世界に溶けた自分という存在が戻ってこなくなり、結果廃人のようになってしまうという都市伝説が存在するらしい。同じく星降ろしの影響を受けるらしい動物や植物はそういったものなしで元に戻るようだが。
しかしそうして『自分』を再び一ヶ所に集める時、別のものが入り込んでしまう場合があるという。星寄せには自分を選んだ星神(正確に言うと星神の一部らしい)が入り込む。これがすなわち星の神を降ろすということなのだそうだ。別の動物や人間の一部等が入るという事故が起きる場合もあるとか、ないとか。
「……成程な。加えて、人間の中に星神が降りるってパターンもあるわけか」
「そう、みたいだね……星柱を持っていても、入っちゃう時は入っちゃうんだね」
颯馬と陽太は頭を抱え、深いため息を吐く。二人の前にはにこにこと笑っている沙羅と双樹がいる。しかし彼等が漂わせている空気はいつもの二人がもつそれとは格が違う。神々しい、とか神秘的、とかそういった言葉さえ陳腐に聞こえる位の、この世に存在するどんな言葉でも言い表せぬようなものを今の彼等は持っている。
「一部の人間が言っていたことは、嘘じゃなかったんだな……」
みたいだね、と陽太は再びため息。双子の星神を降ろしたことでより勇ましくなった沙羅と、穏やかになった双樹は呑気に伸びをする。
「矢張りこの体は使いやすいな、我等によく馴染んでいる。矢張り我等と何らかの関わりがあるのかもしれない。さて、お前達は初めて見る顔だ、ふむ……帰郷者か。真面目眼鏡が陽太、そっちのやんちゃ阿呆馬鹿男が颯馬か」
どうやら沙羅の記憶を読み取り、そこから情報を引き出したらしい。颯馬は誰がやんちゃ阿呆馬鹿男だ、と講義しようとしたが、陽太がすんでのところで制す。今の沙羅はあくまで星神の一人、しかも双子神の姉は神話では短気で喧嘩っ早い上、弓や剣や斧、何を持たせてもどんな武術をやらせても強いという武の女神なのだ。下手に刃向って、喧嘩を売ればどうなるか分かったことではない。
沙羅はふふ、良い判断だと二人を見て鼻で笑ってから、さて行くかとすたすた歩きだす。
「行くってどこへだよ」
「決まっておるだろう、屋台の集まる通りやイベント会場へだ。我等は祭りを楽しむ為にこうして降りてきたのだから。それにこの娘も、そっちの坊主もお前達や他の友達とあちこち回ることを楽しみにしていたようだからな。二人共、お前達のことは結構気に入っているようだぞ。彼等の望みを無視するわけにはいかない」
「しばらく一緒にあちこちを回ってもよろしいでしょうか? 二人がご迷惑でなければ、是非お願いいたしたいのですが」
いつもよりも柔らかな声で双樹が問う。陽太と颯馬は顔を見合わせ、どうしようかと目で相手に問う。神様と一緒に遊ぶなんて、なかなか出来ない経験ではあるが、それがとても楽しい経験になるかは正直分からない。特に沙羅に降りた女神は扱いが面倒そうだし、いかにも周りの人間を振りまわしそうな性格に見える。下手すると折角の楽しいお祭りが、散々なものになってしまうかもしれない。
少しの間迷ったが、結局二人は双子の申し出を受けることにした。下手に断るとどうなるか分からなかったというのもあるが、結局の所不安や恐れより好奇心等の方が勝ったのである。
そして陽太と颯馬は双子と共に行動を開始した。
星降ろしも終わり、空硝子が割れてから大分経った今、辺りはますます盛り上がっている。皆普段では考えられない量の食べ物を口に入れ、酒やらジュースやらを飲み、広場で演奏される曲に合わせて愉快そうに笑いながら踊り、友人や初めて出会った人達と騒ぎ、命を削る勢いで楽しんでいた。提灯や街灯に照らされた人々の笑顔の眩しさはこの世に恐るべき闇が蔓延ることを決して許さない。
陽太や颯馬も思い思いのものを買い、次々と胃へ納めていく。金銭感覚も満腹中枢も何もかもが馬鹿になっていた。女の子と手を繋ぎ一緒に踊ることだって恥ずかしくもなんともなかったし、酔っ払いのテンションにもついていけたし、沙羅や双樹の中に双子神が降りていることも気にならず、下手に気を使わず普段通りに接することが出来た。周りの人間も二人の中に神がいることを察しながらも特別扱いしたり、ぺこぺこ頭を下げたりせず、いつも通りに接していた。二人はそのことで怒ることはなかったし、威張り散らすこともなかった。振りまわされそうだ、という予想は良い意味で外れたことになる。
普段は色々なことに捉われ、気にしてしまったり余計なことを考えてしまったりするが、今は違う。だから、いつもなら考えられないようなことも出来る。畏れなく神の降りた人と接することも当たり前のように出来るのだ。
一見世界は形を取り戻したかのように見えるけれど、実は星降ろしの最中と同じように全てが一つに溶けあっているままなのかもしれない。星降ろしが始まる前はまだ『曖昧』だった程度の境が、今は完全に取っ払われている、そんな気がした。何の境も無い、沢山のものが混ざったたった一つの大きな世界。境が無いから、限界が無いから、皆馬鹿になれる、腹も睡眠欲求も皆、皆、馬鹿になる。境を失い、世界はバランスを失うけれど、四日間位耐えてくれるだろう。
「俺今までどれだけ食ったっけ……? たこ焼きに焼きそば、五平餅、焼き豚丼、スモークターキーサンド、納豆チーズ入り油揚げ、しそ入り餃子、いか焼き、鶏のから揚げ、タコス、お好み焼き、大海老焼きにそれから……うへえ、指が幾つあっても足りない。何か改めて食ったものを挙げたら腹がいっぱいに……こんだけ食って、あんな風に踊って、俺よく吐かなかったなあ。うええ」
「とか言いながら揚げパン食べてる……お祭りの力っていうのもあるんだろうけれど、それだけが理由じゃないよね、絶対もっと不思議な力働いているよね……星降ろしの儀式って星神を星寄せに降ろすだけの儀式じゃないのかも……あ、黄粉味も美味しい」
黄粉をたっぷり塗した揚げパンを頬張りながらも、屋台チェックは怠らない。醤油やソース等が焦げる匂いを嗅ぎ、ずらりと並ぶ料理の数々を見ても、気持ち悪くなったりうんざりしたりするどころか美味しそうだと思える辺り、まだ腹に余裕はあるらしい。星降ろしが終わってからというもの、ひっきりなしに何かしら口にしているというのに。おまけにいつになっても全く眠くならないのだ。
「折角の祭りなのに、いつもと同じ程しか食えなかったら楽しくないからな。眠る時間も勿体無いし」
「やっぱり何かよく分かんねえ力が作用しているのか!?」
「さあね? まあぐちゃぐちゃ考えず、食いたいものを只管食い、体を動かしたくなりゃ動かし、騒ぎたくなったら騒ぐ、そんな風に思ったことを思った通りにやればいいのさ。頭を使わず生きるのは得意だろう、やんちゃは」
「だから俺はやんちゃって名前じゃなくてそう……むぐ」
抗議する颯馬の口に沙羅が捻じ込んだのは蜂蜜と木の実が入ったチョコケーキ。ほろ苦いチョコと甘い蜂蜜、香ばしい木の実の絶妙なバランスが人気の、有名菓子店が出しているお菓子だ。腕にそのケーキがたっぷり入った紙袋と、たい焼きが入った紙袋を抱える沙羅は上機嫌。女神は本来の沙羅とは正反対の甘党であるらしい。彼女の為に作られた神殿への供物も殆どが甘いお菓子や果実であるらしい。一方双子の弟である神は辛党で、今は揚げた唐辛子をにこにこ笑いながら食べている。本来の双樹なら口に入れようともしなかっただろう代物を何でもないという風に食べているが、陽太と颯馬は一口食べただけで噴火してしまった。
アジの干物や葱、生姜入りの炊き込みご飯、フランクフルト、綿菓子、レンコンのはさみ揚げ、冷たく冷やしたトマト、かき氷、焼き鳥、バターで炒めて醤油をたらした白はんぺん、つみれ汁……あちこちで気になったものを各々食べつつ、あちこちの会場で行われている催しを見たり参加したり。ジャグリング、パントマイム、ダンス、歌唱大会、漫才、手品、ミス幻淵コンテスト、抽選会、フリーマーケット……。
調子に乗って出来もしないリンボーダンスに飛び入り参加した挙句、盛大にぶつけた頭をさする颯馬と、楽器を借りて演奏会に飛び入り参加し素晴らしい演奏を披露し、満足気な表情の沙羅と双樹と共に『踊り狂い』の会場へ。本日二回目の来場だ。そこでは文字通り大勢の人が踊り狂っている。踊りに型はない。演奏に合わせる必要もない。ただ踊りたいように、飽きるまで踊る。それが踊り狂い。普段は大人しい人も、馬鹿馬鹿しいことや騒がしいことを嫌い『面白味のない人だ』などと称されている人も会場に足を運び、馬鹿みたいに踊っている。先程のように見知らぬ人や、可愛い女の子と一緒に手を繋いで踊りもした。
そこで一生分やったと思える位騒ぎ、踊ってから浦和邸へ行った。きつい坂道をひいひい言いながら上った先にある広大な土地に建つのは東西折衷の屋敷。いつの間にか昇っていた朝日に照らされる黒い瓦の敷き詰められた屋根と、白い壁。華美な装飾はなく、シンプルながらも洒落ていて、惚れ惚れする程美しい。
正門からその屋敷へと至る道を囲む緑、そこには多くの星寄せが設置されており、訪れた者の目を惹きつける。しかしメインはここではなく、屋敷の裏側にある大庭園だ。普段は主役として見るものを楽しませる四季折々の花や木は今、その座を沢山の星寄せへ譲っている。
「すごい数! すごい人数……一つ見るのにものすごく時間がかかりそうだね」
「でもすげえなあ! 見るからに大昔に作られたっぽい奴も普通に飾られているぜ!」
入り口で貰ったパンフレットを手にしている颯馬は興奮気味で、ゆっくり歩き、それぞれの星降ろしの前にある看板の説明を熱心に読みながら、一つ一つを丁寧に見る。
「最初は本当にシンプルだったんだね、星寄せも飾りも……これはこれで落ち着いていていいなあ」
ここに飾られているのは、様々なものを蒐集することを趣味にしていた資産家浦和景昭氏のコレクションである。普通なら博物館や資料館に展示されているような貴重なもの、有名な工芸家等の作品がある。ここに飾られているものを見れば、星寄せの歴史を学べるし、時代の移り変わりを目で感じ取ることが出来る。
また全国各地の星寄せがあるから、地方毎の特色等を知ることも出来る。好き勝手やっているとはいえ、矢張り地方毎の違いは色々とあるのだ。館の中でもこの祭りの間は星寄せ飾りや満星祭りに関係するものが展示されている。また、三浦氏やその子孫が蒐集したものだけでなく、毎年著名人による作品も幾つか展示され、それを楽しみに足を運ぶ人も多い。
「これは南にある大州、薊野の中でも一部の地域でのみ作られている星寄せ飾り、トコロコだ。ここに伝わる伝説の生き物をモチーフにしているんだ。頭は馬で銅は虎、足は鳥で尻尾はトカゲ。災いを喰らい、それを体内で幸いに変え、排泄するという変わった奴なんだ。そっちのは、北の仙原西部ではポピュラーな飾りで、自分の髪を入れた布玉とビーズ等を樹脂で包んで作った玉だ。これを使ったアクセサリーもあって、近頃若い娘の間で流行っているらしい。その場合は髪を入れないことが多いが、中には好いている男の髪を入れて作ったものを肌身離さず持っている者もいるらしい。恋の呪いらしいが、なかなか気味の悪いことを考えるものだ」
等と、沙羅が次々と星寄せ飾りについて説明してくれた。双樹も、地方によって意味合いが変わる星寄せ飾りのことについて色々教えてくれ、大変為になった。
「二人共、すごく詳しいんだね」
「当然だ。自分達が降りるもののことは、きちんと知っておかねばならぬ。学び、知り、人々の意を汲まないとな。まあ近頃は願いとあまり関係の無い飾りも多いし、ここ五年はこの娘達の体にしか降りていないが」
「十歳の頃からずっとこんななんだ……あの、沙羅さん達って祭りの間の記憶は?」
「一応あるらしいぞ。ただ我等が降りているという自覚はなく、全て自分達がやったこととして認識しているようだ。祭りになると満腹中枢どころか味覚も馬鹿になるのかといつも嘆いているようだ」
だから、自分達に双子神が降りていることを信じていないのだ。そんな陽太と沙羅達との会話に全く参加せず、星寄せを見ることに夢中になっているらしい颯馬の姿を探せば、彼はある星寄せの前に立ち尽くしていた。
「……颯馬?」
彼が見ている星寄せは、寄木細工や陶製の人形、硝子玉、手毬等が飾られている。そのどれも素人目で見ても見事なもので、恐らく颯馬ならその良さが自分以上に分かるに違いなかった。しかし、どうも颯馬の様子がおかしい。始めは素晴らしいものを目にしたことによる衝撃で立ち尽くしているのだと思っていたが、そうではないようだ。
彼の口から言葉が漏れる。無意識の内に発しているようで、しかも妙に訛りが強くて何を言っているかさっぱり分からない。その様子を見ていた沙羅が両腕を組み、ほうと一言。颯馬はしばらくの間何かぶつぶつと呟いた末に、その目から涙を零した。矢張り様子がおかしい。
「颯馬? 颯馬!」
何度目かの呼びかけにようやく颯馬は反応し、こちらを見た。そして自分の頬を涙が伝っていることに気づくと、気まずそうにそれを拭う。
「な、何だろう……何か分からないけれど、すごく懐かしくてさ。どの飾りも、懐かしく思えるんだ」
「さっき何か言っていたけれど、何て言っていたの?」
「え、俺何か言っていたか? 全然覚えていないんだけれど」
と本気で心当たりがない様子、きょとんとして首傾げ。
「あれはこの星寄せを作った大州『竜頭』のある地方独特の訛りだったな。そこでしか使われていないような方言も混ざっていた。……もしかしたら前の世は竜頭で暮らしていたのかもしれない。竜頭は工芸の都でな、硝子、陶芸、彫像、織物あらゆる工芸品で有名なのだ。竜頭焼、竜頭硝子、竜頭細工、竜頭織、竜頭塗……数えだしたらキリがない」
「竜頭、竜頭……嗚呼、何だろう、その響きもすごく懐かしい。知っている、俺は多分そこを知っている」
心ここにあらずといった様子で彼は呟いた。ここ数か月殆ど考えたことが無かった『前世』が突然目の前に姿を現し、戸惑っているようにも見える。気になるなら、清女に聞けば良いという沙羅の言葉にも生返事。その後も庭園内の星寄せや屋敷内の星寄せ飾りを見て回ったが、終始ぼうっとしている様子だった。きっと彼は今、自分がかつてこの国の人間だった時に住んでいたかもしれない都のことを考えているのだろう。もう少し後になってから考える予定だったことを、ずっと。
それでもしばらくすると表面上は普段通りになり、陽太達と共にきゃっきゃと騒ぐようになった。しかし陽太はこちらに気を遣わせまいと無理をしていることを何となく察していた。故郷かもしれない所で作られたものを目にしたことで激しく動いた心はそう簡単に収まらない。もしかしたら今すぐにでも清女を訪ね、己の故郷へ行きたいと思っているかもしれない。きっともう彼は、まだ知らなくてもいいやと考えていた頃の自分には戻れまい。