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桜町幻想奇譚  作者: 里芽
故郷は幻の二月の淵に
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故郷は幻の二月の淵に(3)

「おい陽太見ろよ、こんな所にちっちゃな祠があるぜ」


「うわ本当だ、何でこんな誰も通らないような路地に」

 昼なお暗く、人ひとりがようやっと通れる位狭い路地。陽太達から見て左側にある建物の壁に、へばりつくようにしてその小さな祠はあった。陽太達のような好奇心旺盛の小さな探検家や、哀れな迷子位しかまず足を踏み入れることのないような場所にあるにも関わらず、手入れはそれなりにされておりお供えものも比較的新しい様子。


「こんな暗くてじめじめしたところに……不憫な神様だなあ。これから梅雨になって、ますますじめじめするだろうな。俺の家もさ、近くにマンションが出来たせいで日当たりが悪くなったけれどここまでじゃない。それとも日陰が好きな神様でも祀ってあるのか?」


「う、ううん……そういう神様もいるのかな。それともずっと前にあった祠の周りにどんどん建物が建てられて、気づいたらこうなった……とか? でもこんな風になる位ならいっそ日の当たる場所に移動してあげた方が」


「やっぱり日陰好きのじめじめした神様なんだよ、うん。きのこ大明神の祠ってことにしておこうぜ」


「きのこ大明神って……また君はそういう変な名前をつける。まあいいや、後でどういう神様が祀られているのか調べてみようっと。何か祠の中にある板に書いてあるから……これをメモ」

 薄暗くて字がやや読みづらかったので、颯馬にランタンで照らしてもらった。探検に必要不可欠なもの、と照明器具専門店で購入したものだ。変わり種が好きな颯馬が買ったのは桜餅を模したランタンで、その光に包まれるとまるで桜の木に登り、薄桃の花びらに包まれたような心地がする。ちなみに陽太は石灯籠を模したものを買った。ぱっと見石で作ったように見えるが、実際は違う素材で作られている為意外と軽い。

 文具屋で買った帳面に見つけた場所や特徴諸々を記し、路地を抜ける。狭い道を抜けても、辿り着くのは狭い道。そもそもここ幻淵の場合はだだっ広い道を探す方が難しい。和洋折衷の建物に挟まれた道は緩やかな坂となっており、石畳の上を歩く三毛猫が「人間のくせして変な所から出てきやがって」と言わんばかりの目でこちらをじっと見つめている。猫がそう思うのも無理はない。陽太と颯太が通った道は実際道とは到底呼べない、そもそも人が通る為に存在しているわけではない所だったのだから。道というか最早ただの隙間である。


「……俺達、どっちから来たんだっけ? 林檎坂ってどっち方面に今あるんだ?」


「えっと……向こう、かな」

 と思った方向を指差すが、正直陽太も自信がなかった。林檎坂というのは少し前に見つけ、上った坂で、その名前は颯馬が勝手につけたものである。バスケットに盛られた林檎を売り歩く老婆とすれ違った時、林檎の甘酸っぱい良い香りがしたから林檎坂。その坂の左手側から薄闇に染まる方へ伸びる路地へ二人は飛び込み、そこから本日の探検が本格的にスタートしたのだ。そして自分達が通れそうな道を見つけては飛び込み、見つけては飛び込み、あっちの坂を上り、こっちの石段を下り、何か見つけてはメモしたり勝手に命名したり……を繰り返している内元々そこまで優秀というわけではない方向感覚はすっかり馬鹿になっていた。いつものことだ、こうなるのは。


「つうか俺達今、どこにいるわけ?」

 さあ、と陽太は肩をすくめる。これもまた、いつものことである。流石迷い路の都様だぜ、と頭をかく颯馬に陽太はこくりと頷いた。入り組んだ路地、あちこちにある坂が多くを占める幻淵は迷路のようで、何も考えず適当にふらふらしているとすぐ迷ってしまう。いや迷うまい、と気をつけていたって迷う。それゆえここは『迷い路の都』と呼ばれているのだ。また『地図要らずの都』とも呼ばれている。大雑把な地図だろうが、詳細な地図だろうが、この都の前では余程方向感覚が良いものでない限り何の役にも立たない。だから、地図要らずの都。陽太と颯馬も少しずつ迷わずに行ける場所というものが増えてはきたが、何回行っても最低一回は迷わないと辿り着けないような場所もまだまだ多い。土地鑑を得るにはまだまだ時間がかかりそうだ。


「ま、いいか。引き続き適当に進むとしようぜ。とりあえずこの坂を上ろう。で、何か面白い道見つけたらそっちに」

それで陽太も異論はなかった。ここへ来た当初は少し迷っただけでどうしようと慌てていたものだが、今はすっかり暢気な颯馬に毒されてしまい、最早草十郎にお使いを頼まれたとか、時間内にある場所へ行かないといけない、とかそういうことでない限りは慌てなくなった。最終的に家に無事に帰れれば何の問題もないのだ。


 坂を上り、また気ままに歩き回る。気になるものは常時陽太がメモし、颯馬は興味を抱いた店の中にひょいひょい入っては、そこで売っているものを物色する。大抵はデザインにしても商品自体にしても、向こうの世界でも見かけるようなものであるが、それでも何だか不思議と特別なものに見えてしまう、らしい。今は香炉を取り扱っている店に入り、何かマジックアイテムみたいだとかなんとか言いながらはしゃいでおり、他の客に苦笑いされている。彼はどんなものを見てもこんな様子で、自分よりうるう年一回分年上とは到底思えない子供っぷりを常時発揮していた。そのあまりのお子様っぷりのせいで恥ずかしい思いをすることもあったが、同時に感謝もしていた。どちらかといえば内向的で、外で遊ぶことより家で読書をしている方が好きだった陽太には、迷子覚悟であちこち朝から夜まで歩き回るなんて発想はなかった。きっと颯馬がいなければ、どこに続くか全く分からない道に足を踏み入れることなどせず、決まった場所へ続く決まった道を決まったように歩いているだけだっただろうし、ちょっと寄り道をしたり変な道に入ったりしなければ出来ない発見(例えば今日見つけた祠とか)をし、胸躍らせることもなかっただろう。また、颯馬は社交的で初めて会った人ともすぐ仲良くなれるような人だった。そんな彼が一緒のお陰で知りあえた人、仲良くなれた人も多かった。ガイドブックや本に頼らず、自分の目で様々なものを見つけ、様々な人と次々と出会う度、陽太は颯馬と一緒に喜びと興奮で胸をいっぱいにするのだった。


「見ろよ陽太、この辺りの建物全部お面がついているぜ」


「本当だ。入り口近くに……これもしかして、ランプ? 遅くなったら灯りがつくのかな」

 石段の両隣にある建物、その入口の両側に鹿や兎、狐、狼、天狗、南瓜等といったかなり立体的なお面が飾られている。お面の下を見る限り、それがどうもランプであるらしい。近くを通った人に颯馬が尋ねると、矢張りランプだったようで夕方位になると橙色の灯りに照らされ、美しさと少しの気味悪さが魅力的なものになるそうだ。陽太と颯馬はそのお面が橙色に照らされる様を想像しながら石段を下りていく。


「やっぱりどの通りも雰囲気が違って面白いよなあ! 夜道を照らす灯り一つとっても場所によって全然違うんだから。だからここの探検って飽きないのかもなあ」

 夜の世界を照らすのは場所によって石灯篭だったり、伏見稲荷の如くずらっと並ぶ代々の光孕む鳥居だったり、しゃれた街灯だったり、雪洞を長くしたようなものだったり、干し柿通りなる軒先に吊るされた干し柿を模した灯りだったり、色々だ。建物も和風のものが多い所、和洋折衷のものが多い所、洋風が多い所、石造りの家が並ぶ所、びっくりする位カラフルな家が集まっている所とばらばらだ。通りが一本違うだけで雰囲気がガラッと変わることだってある。あらゆる世界をあらゆるところからかき集めぎゅっと一つの街にしたような、悪く言えばまとまりが無く、良く言えば個性がある愉快な所。先々で次々とその顔を変えるのだから、探検だっていつになっても飽きやしない。

 ところでここでは本来、和風とか洋風とかそういう言葉を使わない。

 颯馬が陽太の肩をちょいちょいっと叩き、あの人すげえ美人だなと囁く。指差した先には十八、九程の娘がおり、石段を静かに上っていた。その髪は銀色で肌は白く、白っぽい石段、白が基調の建物にすうっと溶け込んでいる。瞳は空より濃い青。頭には赤いリボン、赤い着物に紫色の着物と格好は大正時代の娘さん、巾着片手にかんころり。着慣れているのか、その姿はかなり様になっておりみっともなさや偽物感がなかった。彼女は陽太達にじっと見つめられていることに気づかぬまますれ違い、そのまま陽太達が辿った道を只管上っていく。


「あの人、西の人かな」


「多分? 僕達と同じ帰郷者か、親が西の人ってだけかもしれないけれど」

 閏の国は生まれた地域によって肌や髪の色、顔立ちが大きく異なる。東の人は髪と目が黒く、西の人は肌が白く髪の色は金や銀、茶などで、南の人は肌の色が黒く、北の人は耳が長かったり目が猫のようだったり頭から花が生えていたりとファンタジーな作品に登場する架空の種族を思わせる姿をしている。北の人を除けば大体陽太達の住む世界と同じようなものだが、こちらの世界には髪の色や肌の色の違いによる差別はほぼ無い。東西南北、どこの産まれの人も等しい。同じ国に産まれた、等しい魂を持った者達なのだ。だから西の人が自分達が最も優れているのだと言うことも、東の人や南の人を嘲笑うこともないし、争いも起きない。

 また、地域によって文化も異なる。東は所謂和風だったり中華風だったりで『東風(とうふう)』、西は西洋風で『西風(さいふう)』。和洋折衷はこちらでは『東西折衷』と呼ばれている。ちなみに南は『南風(なんふう)』で北は『北風(ほくふう)』である。幻淵は首都だけあって、東西南北の文化がごちゃまぜになっているらしい。陽太達が行動している辺りは東西の文化が中心だが、少し場所が変わるとまたがらりと雰囲気が変わるようだ。だから二人はいずれそういった所にも足を運びたいと思っている。

 言語は方言と呼ぶようなものは存在しているが、全地域共通。ちなみに今、陽太と颯馬は基本的にこちらの世界の言葉を使っている。どうやら舟に乗る前、魂に刻まれた閏の国の民だった頃の記憶の一部を引き出されることにより、こちらの世界の言語を解し、また喋ることが出来るようになったらしく、余程意識することが無ければ、自然とこちらの世界の言語を喋るようになっている。


「ああいう姉ちゃんとお茶出来たら最高だろうな。よし、ちょっくらナンパしに」


「やめてよ、恥ずかしい!」

 と乗り気になっている颯馬を陽太は引っ張り、石段を下っていく。ええ、いいじゃんかよう一回位チャレンジしてみたいんだよう、などと言っている彼の頭を一回なんて大嘘ついてと軽くはたいた。以前陽太が興味深いものを見つけ、それをメモしている隙に颯馬が近くにいた女の子達に話しかけていた。それは誰がどう聞いてもナンパであり、しかもそれに陽太まで巻き込もうとしていたものだから恥ずかしくって仕方が無く、馬鹿なことをやっていないでさっさと行くぞと彼の手を引っ張りその場を去ったことがある。その時ナンパされていた女の子達の「今度会ったら遊びましょうねえ、勿論そっちの可愛らしい坊やとも!」という声と楽しげな笑い声を背に浴び、ますます恥ずかしくなった。

 陽太は手を引く颯馬の腹がぎゅっきゅるるうという間抜けな音を鳴らすのを聞いた。


「……腹減ったなあ」


「その音を聞けば分かるよ。そういえばもうお昼だものね」


「なあなあ、今日も『お化け通り』行こうぜ!」


「お化け通りじゃなくて、常闇通りだってば……まあでも、そうだね。今日もあそこでご飯を食べよう」


「ここからだとどう行けばいいんだ? ちっとも分からん。というわけで頑張れよ、神様仏様陽太様!」


「ああ、はいはい……僕もあまり自信ないけれど、まあ君よりはましだろうね。完全にどうしようもなくなったら、見回り烏にでも聞けばいいし」


「あの仁左衛門って奴に当たったら終わりだけれどな。全くあの烏野郎、どうでも良いこと散々喋った挙句さっさといなくなりやがって!」


「あれはまあ、稀有な例だろうからさ……多分」

 見回り烏とは、人語を解し喋る烏のこと。空を飛びながら辺りを見回し、哀れな迷子を見つけては導き、人の呼びかけに応じて地上へ降りたち、その人達の行きたい場所まで案内したり、オススメの場所を教えたりしてくれる、この迷い路の都ではかなり重宝されている存在だ。ある日陽太と颯馬は完全な迷子になり、歩いても歩いても同じ所へ戻ってきてしまうというどうしようもない状態に陥ってしまった。その時たまたま上空を飛ぶ見回り烏を見つけ、助けを求めたのだがこれがとんでもない烏で。結局その烏は二人を助けることなく飛び去ったのだ。その後やって来た他の見回り烏に助けられた二人は、あんまりポンコツなお調子烏に憤慨したものだ。後々聞いたところによると、あの仁左衛門という烏はいつもあんな調子であるそうだ。

 二人はあっちへ行き、こっちへ行き、また新たな場所や道、変わったものを見つけつつ大いに迷った末ある通りへとやって来た。そこにある喫茶店と寿司屋の間に作られた石畳の道、出入り口にはアーチ看板があり『常闇通り南入口』と書かれている。ようやく見つけたぜ、とため息をつく颯馬の腹は看板を見た途端今までで一番大きな音を出し、それにつられて陽太の腹もぐうと鳴った。


「ここまでどうやって来たか、覚えているか?」


「まさか、全然覚えていないよ」


「だろうなあ、滅茶苦茶ぐるぐるしたもんなあ。本当何でこんな迷路みたいな場所になっちまったんだここは。まあいいか、よしいざ向かわんお化け通り!」


「だからお化け通りじゃないってば!」

 という陽太のツッコミも無視して颯馬はどんどん進んでいく。全く、いつも変な名前ばかりつけるんだからと呆れながら、陽太は自分の住む町にある『お化け通り』のことを思い出した。それは町はずれにある場所の名前で、もう誰も住まなくなった家――いや、最早かつて家だったもの、瓦礫、家の屍と呼べるようなものが集まっている。そこがいつまでもそんな状態なのは、撤去工事をお化けが邪魔するからなのだそうだ。不気味さとその噂により、化け物通りと呼ばれているのだ。寝ている間に舟に乗り、閏の国へ来た――という体験をした今、本当にあの噂は本当なのかもしれないなとも思う。


(でも不思議だな……なんだか、今はあっちの世界の方が夢の世界のように思える)

 十二年も生きてきた世界での日々が、随分と遠いものに感じられる。両親や友達の存在も、あの世界の存在も、何もかもが今陽太から遠く離れた場所にある。向こうの世界が、日々こそが夢幻だったのではと思えた。そのせいか寂しいとか帰りたいとか、そういった本来なら確実に抱くような気持ちをあまり抱かなかった。あの世界に蓄積された『陽太』という『情報』を入れた『器』が本物の陽太の代わりに毎日を過ごしている為、両親や友人達が悲しみに暮れることも無いという事実を知らなかった、もしくはそういう仕組みはなく行方不明扱いになっていたとしても同じだったかもしれない。自分と今まで切り離されていた場所と再び繋がった時、今まで繋がっていた場所と自分は切り離されてしまったのかもしれない。そして今は再び繋がれたここ幻の二月の淵こそが現の世界で、向こうの世界こそが幻の、御伽の世界へと変わったのだ。


 薄暗い道を何度も曲がり、三方を高い壁(それが建物の壁なのか、違うものなのかは分からない)に囲まれた場所へとやって来た。その中央には一日中灯りを灯す街灯をうんと縮めたようなものに挟まれた石段があり、来る人を地下へと誘う。アーチ看板に気づかぬままここまで初めてやって来た時、陽太は絶対に下りたらいけないものだと思い込み、引き返そうと言ったが、颯馬は「大丈夫、大丈夫。やばい所だったらこんな灯りなんてついていないって」と言い放ちさっさと石段を下りていってしまったのだ。陽太はもし危ない人の隠れ家へ続く場所だったらどうしようかと本気で思っていたが、松明を思わせる形のランプに照らされた石段の先にあったのは、そんな恐ろしいものではなかった。


 永遠の夜の中に佇む通り。しゃれた街灯が橙色の灯りを灯し、その両脇には灯りに照らされてなお影絵と見紛う程黒い建物がずらりと並んでいた。主に西風だが、東風、東西折衷のものもあり、窓や入口のドアから橙や黄色の眩い灯りが漏れている。入口に光る天狗の首を模した提灯を掲げている所、入り口横にお化け南瓜のランプがででんと置かれている所、光る大小様々な手毬が壁にどどんとついている所、てるてる坊主型のランプをずらっと吊るしている所もある。そういった店を照らす為の灯りが、それぞれの店に個性をもたらしており、見ているだけで楽しい。遥か彼方にある天井には光を発する苔が生えていて、それがこの地下に星空を作り出している。地下なのにじめじめした感じはせず、変な臭いもせず、息苦しさも感じないから、よくここが地下であることを忘れてしまいそうになる。

 大きな道と、それに突き刺さるようにして伸びる小さな道幾つかで構成されたここ常闇通りは、連日多くの人で賑わっている。地下に存在している場所ではあるが、危険なものを取り扱っている店があるわけでもないし、ゴロツキの溜まり場ということもなく、治安も地上と変わらず良い。全てを覆い隠す闇、それを照らす灯り――その光景は幻想的で、夜の町というより異界という印象の方を強く陽太に抱かせる。朝も夜もなく、常に暗いという異常性がそういう属性をこの場所に付与しているのかもしれなかった。


「やっぱりここは何回来てもわくわくするなあ! さて、今日はどこで飯を食おうか」


「この前行こうか迷った所でいいんじゃないかな。ほら、あの芋専門店」

 そうだな、と颯馬が頷き二人は前回ここを訪れた時入ろうか迷い結局やめた店を目指すことにした。ここには飲食店や居酒屋が多くあり、度々二人はここで昼食などをとっていた。

 記憶を頼りに歩き、ようやく見つけたのが『芋洗い亭』というあまりにも捻りがない名前の店。ガラス張りで、屋根は黒々と輝く瓦、地面から四、五十センチ位の高さまでは同じく黒々とした大小バラバラの石が貼られており、石垣にも見える。屋根の上には風見鶏ならぬ風見熊がおり、もぐもぐと芋を食っている。それが橙色の光を発していた。店内はファミレス風で、ログハウスにでも置いてありそうなテーブルと椅子がずらっと並んでいる。

 店の中央には黒く丸いテーブルがあり、左手にジャガイモの入ったバスケット、サツマイモを持った右手を頭上に掲げている女神の石像が立っている。そしてその周りを囲むショーケースに、サツマイモやジャガイモ、山芋、里芋等様々な芋が並べられており『本日の芋 〇〇産〇〇』といったようなことが書かれていた。流石にまだ州の名を把握しきれていない上、どこの芋が美味しいとか有名とかそういったことはよく知らないからそれを見てもピンと来なかったが、近くにいたおじさんが「今日のサツマイモは木景(もっけい)のか、じゃあうんと甘いな」と言っていたから、まあ多分木景のサツマイモはとても甘いのだろう。


 団子屋の娘、という言葉が合いそうな出で立ちの娘に注文をし、今日の探検の成果を喋りながら料理が来るのを待つ。ここ芋洗い亭ではこの世にある全ての芋が食せる、らしい。お品書きにどんと書いてあることが嘘でなければの話だが。

 料理は程なくして運ばれてきた。陽太は三種のジャガイモチーズフォンデュ、颯馬はシンプルにただ茹でただけのジャガイモと里芋。それにアンチョビや味噌マヨネーズ等のディップが添えられている。二人は熱いと美味いを交互に言いながらそれをぱくぱくと食べ始めた。


「随分シンプルなものを頼んだね……ああ、熱い! あ、この芋は甘めだ」


「シンプルイズザベストってな。さっきどこかのテーブルじゃ、山盛りのでけえ里芋を四人で分け合ってひたすら食っていたぜ。焼き芋の山が出来上がっていたテーブルもあったっけ。すげえ美味そうだった……いいようなあ、山盛りの料理ってなんかこう、美味そうなんだよな。俺見た目綺麗だけれどちょこっとしかのっていない料理より、山盛りの料理の方が好きだな。昔見た映画でさ、山盛りになった料理を男四人が美味い美味いいいながらあっという間に平らげるってシーンがあったけれど、あれはまじで美味そうだったなあ……ああこれも美味そうだな。アンチョビポテト、豚の塩漬けとジャガイモのスープ、山芋サラダ、里芋の煮っころがし、じゃがバタ、大学芋、山芋ステーキ、サツマイモの天ぷら……」


「どれも美味しそうってことには同意するけれど、そんなお品書き見ながら食べないでよ、行儀が悪いよ」


「はいはい分かりましたよ、陽太ママン!」


「誰がママンだよ、誰が」

 お前お前、と指をさしけらけらと笑う。


「そっくりだもの、お前。後は眼鏡とって、図体をうんとでかくして、目を細くして、髪を伸ばしてもじゃもじゃにして茶色に染めて、だらんとした乳と皺と、額に黒子をどんとつけりゃあ、完璧俺の母ちゃんになる」


「もうそれ別人じゃないか……」


「そうともいうな。へへ……母ちゃんか。そういや、俺の前世って奴の母ちゃんはどんな人だったんだろう。つうか俺自身どういう人間だったんだろうな」

 ぼそりと颯馬が呟く。確かに少し気になるよね、と陽太は頷いた。かつてここで暮らしていた時、自分はどんな人間で、どんな人に囲まれて暮らしていたのだろうか。そしてどうして自分はここでの暮らしを捨て、外つ国で新たな生を受けることを選んだのだろう。ここへ来るまで考えたこともなかった、自分の前世のこと。陽太も颯馬も何となく出身はここ幻淵ではなかったのだろうなとは思っている。恐らくここが生まれ育った場所なら、もっと強く『懐かしい』という気持ちを抱いたことだろう。一応前世はどこで暮らしていたか、ということに関してだけはあの老婆達清女に聞けば分かるらしい。それを聞き、自分がかつて暮らしていた州へ足を運ぶ者もいる。今のところ二人は幻淵の探検に夢中で、自身がかつて生まれ育った場所へいくつもりはない。しかし、いつか行きたいとは思っている。


 ここの人間として生きていた頃のことは、どうやっても思い出せない。そういう風になっているらしい。故郷などを訪れた結果、思い出してしまう人もいないわけではないらしいが、稀らしい。具体的なことは思い出さず、ただ魂の温かく愛しい痛みを抱いていれば、それでいい。それが今の生を健やかに生きる為には必要なこと。だから気になるには気になるがいつも「まあ、考えても無駄か」という結論に至るのだ。

 いつものように前世のことを考えるのを止めた陽太は、自分の体を誰かが作った影が覆ったことに気づいた。見ると奏と同い年位の女性が立っていて、陽太をじっと見つめているのだ。いかにも快活そうな女性で、ポニーテールがゆらゆらと揺れている。しかしそのいかにも元気で明るくて、ズボンを履いて外を走り回ったり、汚れるのも気にせず泥んこの中に突っ込んでいきそうな人なのに、着ているのは黒いワンピース。襟と袖口とスカートの裾は縮緬、赤い生地に和を思わせる花が咲いている。女性は陽太が自分の顔と服を交互に見つめているのを見て、苦笑い。


「これねえ、あたしの趣味じゃないの。母さんがさあ幻淵なんて都会に行くなら、田舎者だってばれて笑われないように、うんとお洒落して行きなさいとか言ってさあ、無理矢理着せたのよ。これが都会風の服だとは思わないけれどねえ。それに服装ごまかしたところで、口を開きゃ一発でばれるって話よ」

 女性は快活な見た目に合わぬ、随分と間延びした喋り方だった。何だかその喋り方には聞き覚えがあった。誰かの喋り方に似ているのだ。それが誰だったか思い出し、陽太は笑いそうになってしまう。彼女に似た喋り方をしていた人、それは他でもない幼い頃の自分だった。どうも親が見ていたドラマの登場人物の喋り方を真似してそうなってしまっていたらしいのだ。しかも目の前の女性には訛りがあった。これではどうごまかしても無駄だろう。

 しかし、彼女に聞きたいのは顔と服装の不一致具合ではなく、彼女の素性である。どうして自分のことを見ていたのか、どこの誰なのか、そちらの方が気になったのだ。そのことに彼女も気づいたらしく、ごめんごめんと笑った。


「ごめんねえ、そんなことどうでもいいよねえ。失礼、いやああの、二人の話を君のすぐ後ろのテーブルで聞いていてねえ、気になってさあ。二人共もしかして、帰郷者?」


「え、あ、そうですが……」


「やっぱりねえ! 幻淵ともなると、結構いるんだねえ、帰郷者が」


「姉ちゃんの住んでいる所にはあまりいないのか?」

 どうやら帰郷者に興味がある人のようだ、ということを理解した颯馬が尋ねると女性はまあね、と苦笑い。


「うちの所、ド田舎だものう。あそこにわざわざ足を運ぶ帰郷者なんて、国中を旅して回っている人か、あそこで生まれ育った人位さあ。そんな人さえ殆どいないけれどねえ。ああ、自己紹介がまだだったねえ、あたしの名前はのどかってのう、よろしくねえ。実はあたし、帰郷者に……というか外つ国に興味があってねえ、ここで帰郷者から色々話を聞いているの」


「外つ国に?」


「そうなのよう。結構気になっている人、多いと思うなあ。よく聞かれない?」


「確かによく聞かれるな。俺も陽太も、何か色々な人に話したような気がする」


「でしょう、でしょう。やっぱり気になるものねえ! まああたしの場合は事前調査って感じだけれどねえ。あたし、実は今度舟に乗ってそっちへ行くつもりなのよ。審査も一応あるけれど、あたしは特に問題も起こしていないし、大丈夫ねえ。楽しみだったり、不安だったり、複雑な心境。でも多分、これがあたしの最善なの。あたしは外つ国へ行くの。というのも……ってまだ食事の途中だったわね! ごめんごめん、どうしてこうあたしは色々なことに気づくのがいつも遅いのかなあ。気づかなくちゃいけないことに気づかなくて、間違ってばかりなのさあ。そうだ! しかもあたしったらこの後予定があるんだったわ、ここでお喋りしている時間はないのだ! 嗚呼、全くそのことも忘れていたわ本当に嫌になっちゃうなあ。それじゃあねお二人さん、食事の邪魔してごめんねえ! あたしまだしばらく幻淵にいるつもりだし、またどこかで会うこともあるかもねえ!」

 そう言うとのどかは手を二三度振り、さっさとどこかへ行ってしまった。喋り方とは大違いの、忙しない動きだった。結局殆ど一方的に話しかけられただけだったな、と二人は苦笑い。


「あの姉ちゃんは前の俺達みたいに旅立つんだな。外つ国と閏の国が繋がるのは四年に一度だけれど、旅立ちの舟は毎年出るんだってな。あの姉ちゃんは今年最後の日に旅立つんだな」


「そうだね。あの人はどうして外つ国へ旅立つことに決めたんだろう。何か言いかけていたけれど、結局聞かずじまいだったね」


「そういやあ、そうだった。まあ、また近いうちにどこかで会うこともあるかもな。それはそうとさ、この後はどうする?」

 二人は自分達の仲間入りをするだろうのどかのことは一旦置いといて、これからの予定について語らい、そして会計を済ませると芋洗い亭を後にした。

 


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