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桜町幻想奇譚  作者: 里芽
故郷は幻の二月の淵に
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故郷は幻の二月の淵に(2)


 おかえりなさい、おかえりなさい……人の声と拍手は一つの塊となって大きな波となり、押し寄せ、陽太達を打ちつけ、そして包む。門をくぐり抜けた陽太達が立っていたのは屋外に設置された大きな舞台で、両端には篝火が設置されている。赤と黄と橙の炎は、星々を求めるかのように天上へとその手を伸ばしながら辺りを照らしていた。振り返ってもそこに門はなく、代わりにあったのは立派な金屏風。そこには美しい花々や、姫君、武士、貴族の男、動物、妖怪の類が描かれていたが不思議なことに彼等は皆動いており、わいのわいの言いながらご馳走を食べ、酒を飲んでいる。身分も種族も関係なく仲良しこよしで実に楽しそうだ。

 ご馳走を食らい、酒を飲んでいるのは屏風の絵達だけではなく、舞台の前、果てが見えない位広大な敷地を埋め尽くしている人々も同じように。彼等が取り囲んでいるのは等間隔に並べられたテーブルで、その上には美味しそうな食べ物がずらり。恐らくその料理を食べ、酒等を飲みながらわいのわいの大騒ぎ、そして門をくぐりここまでやって来た人の姿が見えたら、一度飲み食いを止め「おかえりなさい!」と言って拍手する――ということを繰り返しているのだろう。


 人の海を目の前に船頭と老婆それから奏以外は呆然とし、目を瞬かせる。これ程までに大勢の人間の視線を浴びたことなど今まで無かった。それは陽太以外の人間もそうだろう。なんだかライブのステージに立ったアーティストや、何かの行事で大勢の国民を見下ろしながら手を振っている王様にでもなった気分だった。それぞれのテーブルを囲むようにして立っている人々の目は、きらきらと宝石のように美しく輝いている。彼等の姿が見えるのは、各テーブルの中央に置いてあるランプや、会場内に等間隔で設置されている灯りのお陰だった。その灯りは支柱といい照明の部分といい、まるで鈴蘭のようだった。ランプやその灯りは洋風だったが、陽太達を迎えた人々は着物を着ており、顔立ちも日本人のそれだった。

 舞台の中央から伸びる道が、人々を二分している。よく見ると前方を歩いている人達の姿が見える。恐らく一足先にここへ辿り着いた、陽太達同様里帰りに来た人達だろう。自分達もこれからこの道を人々の注目を集めながら、ファッションモデルの如く歩くことになるだろうな、と思ったら正直緊張で胃がきりりと痛む。しかしその痛み以上に大きかったのは、この地に再び降り立ち、同胞達と再会出来たことに対する『感動』であった。彼等と過ごした日々のことは思い出せないが、それでも確かに自分はかつてここにいて、彼等と共に生きていたことを陽太の魂はきちんと覚えている。その魂に人々の温かな声や笑顔がじんわりと染み渡り、深い感動を与えるのだった。頬に生暖かい線がつつうっと引かれ、透明の雫がぽつぽつと舞台の上へと落ちる。


 嬉しい、嬉しい、嬉しい。言葉では言い表せない程大きな喜びが溢れ出し、また国の人々の思いに体が包まれた。

 自分達は故郷を発った者だというのに。ここでの暮らしを捨て、新しい世界を選んだ者だというのに。それなのに嬉しくて仕方がない。そして、この国に残った人々もまたこの国で過ごす日々を捨てた自分達を歓迎している。それがまた嬉しくて、嬉しくて。

 内から溢れる喜び、外からやってくる喜び、その二つが生み出した大きな喜びの渦の中にいて動けなくなっていた陽太達の方を老婆が見、さて行くとしようと言い舞台から伸びる道を歩き始めた。船頭はその道を進まず、陽太達に無言でお辞儀すると舞台を下り、どこかへ行ってしまった。しばらく動けなかった陽太達だったが、ここで老婆に置いていかれたら困る。かつて住んでいた国とはいえ『陽太』にとっては『初めて』来た何もかも分からない場所なのだ。奏が繋いだままの手を軽く引っ張る。行きましょう、と微笑む彼女の頬にも涙の跡があった。


 ずっと先まで続く道を老婆について歩く。少しして、一段と人々の歓声や拍手が大きくなった。どうやら後続の舟から降りた同胞があの門をくぐって舞台の上に立ったらしい。今頃何が起きたのかと呆然としているだろうな、と思いながら歩を進めた。人々を見下ろす場所にある道を、彼等の視線を浴びながら歩く――本当にファッションショーでもやっているかのような気持ちになり、緊張と恥ずかしさ、それからこれからの四年間に対する期待などにより体が熱くて仕方なく、今なら毛布にくるまっていなくても大丈夫なのではないかと思える位だった。陽太達の来訪を歓迎しない者は少なくともこの巨大な会場には一人もいなかった。彼等はしきりにおかえりなさい、おかえりなさいと弾む声で言ってくれた。陽太達の姿など全く見えないだろうと思える位遠くにいる人々もそう言ってくれているようだ。さかさまにした金魚鉢のような笠のついたランプが照らす、テーブルの上のご馳走は美味しそうで、ぐうと腹が鳴る。つい数時間前にご馳走をたらふく食ったばかりだというのに。それを囲む人々には古風な顔立ちが多く、着物や袴姿の者が多い。しかし洋装の者もそれなりにいた。髷を結っている者もいれば、現代でも通用する髪型の者もおり、また殆どは見るからに『日本人』な人達だったが中にはどう見てもそうではない人がいた。金色の髪に青い瞳に高い鼻の、白いワンピースを着た女性が微笑みながら手を振っている。彼女が元々この国に住む人なのか、旅行で訪れているだけなのかは分からない。


 歩いている内、暖かな眼差しや声に緊張でガチガチになっていた体は解され、最後の頃は皆実に滑らかな動きで歩いていた。道中何度か人々の歓声や拍手が一段と大きくなる。一体どれだけの数の人が里帰りしたのだろう?

 相当長い時間歩いたような気がしたが、不思議とそこまで疲れなかった。あの坊やでさえ泣き言一つ言わず、また陽太達に遅れることなくすたすたと最後まで自分の足で歩いた。長い道の果てにあった階段を下り、正面に伸びる道を歩いた。この会場は木々に覆われており、陽太達の歩く道も背の高い木々が呑みこまんとしていた。その木々の前に等間隔に並ぶのは街灯サイズの雪洞(ぼんぼり)で、月明かりと同じ色をほう、ほうと吐いている。道は途中で二つに分かれ、トの字型になっている。老婆は真っ直ぐ伸びる広い道から突き出ている横棒部分の狭い道を進み出し、陽太達もそれに続く。その道の先にはしゃれた洋風の門があり、その前に立っていた二人の男は陽太達の姿を認めると静かにその門をがらがらと開けた。その門の奥には大きな白い洋館があった。洋館とはいうが、どこからどこまで洋というわけではなく、黒く輝く和瓦葺きの屋根、入り母屋造、千鳥破風等破風といった和の要素を随所に散りばめた和洋折衷の、何だか明治時代の日本にありそうな建物だった。

 

 館をぐるりと囲む夜空色の木々、館へと続く道に設置されたガス燈の青白い光が、館に妖しさを与えており、吸血鬼や悪魔、魔法使いといった人ならざる者が住んでいて、彷徨える哀れで愚かな獲物が訪れるのをじっと待っている――そんな物語が浮かぶような佇まい。

 奏を見ると、彼女はにこにこと笑い「大丈夫よ、ここはただの旅館だから」と言った。なんでもここは里帰りしてきた者だけの為にある建物なのだそうだ。唐破風の入口から中に入ると、着物姿の気品のある中年女性が出迎えてくれ、陽太達を案内してくれた。赤と茶を基調とした内装にも洋の中に和を感じられ、また随分年季が入っていることも伺える。息を吸い込めば、ここに降り積もった長い時の放つ心地よい香りがすうっと中へ入っていきそうだ。床同様赤い絨毯の敷かれた大階段を上り、案内された部屋にそれぞれ入っていった。入り際老婆に「今日はゆっくりと休むが良い。しばらくは忙しくなるから」と言われ、女将さんに食事は一階でとれることを教えてもらった。

 陽太は中年男性と老人と同じ部屋になった。畳敷きで、黒っぽい茶色の丸テーブルと椅子二脚が置かれた窓辺だけ板敷きになっている。その境には障子があり、自由に開け閉め出来るようだった。外観よりは和の要素が多めだが寝具は布団ではなくベッドで、クローゼットも落ち着いた色合いのアンティーク風のものだったし、壁についている時計も同じくアンティーク風の振り子時計だった。違い棚に乗っているものも洋風のものと和風のものがあり、和と洋が完全にまぜこぜになっているのだが不思議と調和しており、違和感がない。


 陽太達はそれぞれ簡単に自己紹介をし、不思議なこともあるものですね、とかまるで夢でも見ているかのようだ、とかそんなことを話した。中年男性は新見さん、老人は片倉さんといった。短い会話を交わしている間に目蓋が段々と重くなっていく。時計を見ると今まで起きたことがないような時間で、ここに来るまでよく起きていたものだと驚いた。あの坊やだってここまで寝ることも、ぐずることもなく自分の足で歩いていた。もしかしたら不思議な力が自分達に作用していたのかもしれない。そしてその効果は無事この旅館についていたことで切れたのだ。三人は無理に起きていることもないだろう、と用意されていた浴衣を着てからベッドにもぐりこんだ。あのお祭り騒ぎとなっている会場からそう離れた場所にあるわけではないのに、室内はとても静かだった。これならきっとすぐに眠れるだろうと陽太は思った。流石にあのお祭り騒ぎがほぼそのまま耳に届いていたら、眠りたくても眠れないだろう。

 ここへ来た人皆、この世界に対して疑問を抱かず、元の世界のことも考えず、不安も抱かなかった。いや、何の不安もないわけではない。だがそれは「これから自分はどうなっちゃうんだ、こんな世界に放られて、しかも四年も帰れないなんて!」とかいうものではなく、むしろ「もしこれが夢だったらどうしよう?」というものだった。


(朝目を覚ましたら自分の部屋があって、この国はただの夢まぼろしで……何もかも僕が作り上げたものだとしたら? あの天の川のような川も、美しく鳴く鳥も、閏の国も、おかえりなさいという声も、この旅館も……奏さんも、隣にいる新見さんや片倉さんも……みんな、みんな、何もかも)

 それを考えたら、ここへ来て初めて寒さ冷たさを感じ、ぶるっと震えた。もうそうなる程に陽太はこの閏の国のことを、そして同じ舟に乗ってやって来た『同胞』のことを愛してしまっていた。これ程短い間に、これ程までに強く深い愛情を抱くことは、自分が確かにこの国に住んでいたことの証であるかもしれない。

 夢ではない、きっとこれは夢ではない。

 祈るように心の中で呟きながら目を瞑り、眠りにつくのだった。

 そしてその願い通り、目を覚ました時陽太は変わらず和洋折衷の部屋に――閏の国にいたのだった。


 昼過ぎに起きた陽太は半纏をひっかけ、すでに起きていた新見と片倉と共に部屋を出、一階にあるレストランへと向かう。レトロな雰囲気が魅力のそこでは洋食も和食も食べられるようで、陽太はとりあえず朝食セット・和(今は昼過ぎだが、今日はこの時間でも取り扱っているようだ)を頼んだ。内容はごはん、豆腐とわかめの味噌汁、卵焼き、アジ(かどうか確信はなかったが)の干物、きゅうりの糠漬け。シンプルだったが優しい味の、身も心もじんわり温かくなる大変美味しい料理だった。また見た目と味にギャップはなく、ごはんはごはん、味噌汁はちゃんと味噌汁の味。ごちそうさまでした、と手を合わせたところで奏がやって来た。浴衣にかかる黒髪はさらさらと、そしてきらきらと、まるで昨日渡った川のよう。浴衣を着た彼女は妙に色っぽく見えて、陽太はどぎまぎしてしまった。露出の度合いも、柔らかな笑みも昨夜と大して変わらぬというのに。奏の方を見て、そして夢ではなく現の存在であった彼女ともっと話がしたかったのにどうしようもなくどきどきしてしまって、まともに目を合わせられず、もじもじするばかりでろくに話せはしなかった。その様子を新見と片倉はまるで我が子や孫を見るような目で見つめている。奏もあらあら、と笑ったが気分を害したり、馬鹿にしたりすることはなかった。

 食事を終えた後(この旅館内での食事はタダであるらしい)は成程、確かにあの老婆の言った通り色々なことがあった。


 まずは一階にある大きな座敷『真鶴の間』で歓迎会が行われた。歓迎会といっても、美味しい料理に舌鼓をうちながらわいわいするような類のものではなく、至って厳粛なものだった。最初にここ首都『幻淵(げんえん)』の長である景圀(かげくに)という、つるっぱげで顎から豊かで長い白髭を生やした老爺の挨拶と話があり、それから色々な人の挨拶が続き、千早を羽織った巫女達の舞が披露され、最後に皆で赤い盃に注がれた甘みを感じる冷たい水を呑んだ。


 その後は別の部屋に幾つかのグループに分かれて移動し、勉強会が始まった。陽太達は元々ここで暮らしていたが、当時のことははっきりと覚えていない。魂に刻まれた記憶を読み取ることは出来ず、結局この国のことは赤子並に知らないのだ。自分達の住んでいる国と似ている部分は多いが、何もかも同じということもあるまい。このような状態のまま放られても途方に暮れることは間違いない。その為これからしばらくの間この旅館で寝泊まりしながら、この国での日々の暮らしに必要な最低限のこと、この国に関する基礎的な知識諸々を学ぶのだ。奏をはじめとした以前ここに来たことがある人のグループは、軽くおさらいをするだけだったのですぐ勉強会は終わったが、陽太達は流石にそうはいかなかった。またあの坊やの姿もなく、どうやらうんと幼い子供達はここでは勉強せず、選ばれた家で暮らしながらゆっくりと教わるようだ。そうして色々なことを学んだり、外へ出て実践したり、自由時間の時に配布されたマニュアル本を読んだりした。


 やったことは勉強会のみではない。『帰郷者(陽太達のような人をそう言うらしい)証明カード』の申請をしたり、ここへ再び帰れたことを喜び感謝する――という名目で行われた宴会で馬鹿騒ぎしたり、帰郷者同士の親睦を深める会と称した宴会で騒いだり(「何故今頃になって?」と皆内心疑問に思いつつも)、数日間にかけて全国からやって来た大州・中州・小州(こちらの世界でいう市町村)の長と顔合わせしたり、今後のことを決める為に色々な人の話を聞いたり、相談したり……。遊んだり学んだり真面目な話をしたり、後から後からやってくる様々なことを片付けていき……そしてあっという間に里帰りしてから三か月の時が過ぎた。


 ぽっぽう、ぽっぽう、ぽっぽう。鳩の陽気な鳴き声が室内に響き渡る。布団に飲みこまれていた陽太はその音を聞いてもぞもぞと身じろいだ。ぽっぽう、ぽっぽう、ぽっぽう。ぬうっと蛇のように敷き布団の上を這う手が枕元にある木製の箱上部についているスイッチへと伸びた。文字盤のついた箱、その下部から小さくてかわいらしい鳩三羽が乗った舞台が飛び出している。陽太がスイッチを押すと鳩は鳴くのを止め、彼等の乗る舞台は時計の中へと引っ込んでいった。

 あくびを二度三度しながら着替える陽太の右隣から、ぐおうごおうといういびきが聞こえる。その毎朝聞き飽きた騒音に陽太はため息をつき、いびきをかいている少年の耳元で「起きろ!」と怒鳴った。


「ぎゃあ! いつの間にかお化けが俺の横に!」


「……何言っているのさ」


「何ってお化けが、お化けが! 逃げろ陽太! ん、陽太? あれ、さっきまで陽太はいなかったような」


「何寝ぼけているの」


「お化けだよお化け! 散々逃げ回って、ようやく撒いたと思ったらいきなり俺の耳元でわって……あれ? あ、あ、さてはお前、また俺の耳元で大声出しやがったな!」

 跳ね起きた少年はようやく自分が夢を見ていたこと、お化けの声ではなく陽太の声であったことに気づき、むきいと顔を赤くしながら陽太に抗議する。短く刈った髪、太い眉に爛々と輝く瞳、見るからにやんちゃ坊主。実際、大したやんちゃ坊主だ。


「時計が鳴っても起きないからだよ。あのまま放っておいたら絶対起きなかっただろう? 一昨日俺のことは放っておいてくれっていうから放っておいたら結局起きてこなくて、朝食抜きにされたじゃないか。そしたら今度は絶対起こせっていうから、起こした。それだけだよ」


「にしてももっと優しく起こせよ! こんな乱暴な起こし方ってないぜ!」


「ぶたれたり蹴られたりしなかっただけましだと思え」


「ちっともましなものか。全く、生意気な口聞きやがって……俺は年上だぞ、年上! しかも四つも!」


「年上だと思わず、同い年だと思って接してくれっていったのは君じゃないか」


「そりゃ、そうだけれどよう……」

 そう言うと四つも年上である少年、颯馬は口を尖らせた。背は陽太より高く、見た目は確かに十六の少年なのだが精神年齢は同じ、或いは下である。陽太が年上の、同じく帰郷者である彼とすぐ仲良くなり、こんな口を平気で叩けるのはその子供っぽさが原因なのかもしれない。

 布団を押入れにしまい(颯馬にやらせると酷いことになるので、いつも陽太が二人分やっている)、彼が着替え終わるのを待って部屋を出た。廊下を歩いていると、階段を下りてきた少女理子と出くわした。


「おやおや颯馬君、今日はちゃんと起きてきたんだ、お姉さん感心しちゃった」


「何がお姉さんだよ、俺と同い年のくせに」


「あんたの精神年齢五歳児、あたしきちんと十六歳。ほうら、あたしの方がお姉さんだ」


「言っていろよ、馬鹿め」

 と言ってあかんべえする颯馬を無視し、理子は陽太に「おはよう」と挨拶した。おい、俺にも挨拶しろよなちゃんと、と抗議する彼をまたまた理子は無視。恐らくこれから夫婦漫才のようなものが始まり、そしてそれは朝食が終わるまで続くことだろう。二人は二か月どころか二十年間連れ添った夫婦の如く息ぴったりで、仲睦まじい(などと本人達に言ったら怒られるだろうが)。かくいう陽太も、二か月の間に颯馬とは随分と親しくなり、理子に「竹馬の友って感じよね。とても知り合って二か月とは思えない」と言われた。二人とはあの旅館にいた時はまともに話したことがなく、喋ったり一緒に出かけたり遊んだりするようになったのは、この『草薙庵』に来てからだ。


 和風建築である『草薙庵』は、幻淵にある帰郷者を受け入れる施設である。毎月役所から渡される生活費の内の幾らかを渡す代わりに部屋や食事を提供してくれる場で、この国に幾つもあるそうだ。帰郷者の内の幾らかはこれを利用している。他にも一般家庭に居候する者、住み込みで働く者、一定の場所に留まらず放浪する者など色々いる。

 居間には卓袱台があり、三人が仲良くそれを囲むとタイミング良く大柄の男が食事を運んできた。いい加減に束ねた、胸ほどまで伸ばしたぼさぼさの髪、顔の下半分を覆う髭、太く勇ましい眉、熊どころか閻魔さえびびって逃げてしまうのではないかと思える位鋭い目、筋骨隆々の体。陽太の住む桜町には似たような髪型、体格の男がいるが彼のようにおっかなくはない。そんな世にも恐ろしい男は今頭に三角巾をつけ、割烹着を着ている。この絶望的に似合わない格好を見て、颯馬はほぼ毎回吹きだしては食事を卓袱台に並べ終えた男に軽くはたかれるのだった。学習能力のないやつ、と陽太も理子も呆れ顔。


 男は割烹着を脱ぎ、それを部屋の隅にやると卓袱台の前に座り四人仲良く手を合わせ、朝食を食べ始めた。男――草十郎の作る料理は美味しい。間違いなく自分の母より料理が上手いと陽太は思っている。初めてここへやって来て草十郎と会った時は三人共ぶるぶる震え、彼が食事を作ると言いだした時颯馬は「食事……その材料ってまさか俺達?」などと言って早々頭をはたかれ、その後も懲りずに「絶対やばいよ、黒焦げの何かとか、変な味のやつとか食わされるよ、あんな素手でとった熊を何も手を加えないで丸かじりするようなおっさんに料理なんて出来るものか」とか何とか言ってはどつかれた。そのようなことを言っていたのも、彼の料理を口に入れるまでのことだったが。

 草十郎はこの草薙庵の主で、こうして陽太達の食事の世話などをしてくれる。また、基本的なことは頭に叩き込んだとはいえ、まだまだ知らないことの方が多い陽太達に色々なことを教えてくれたり、困っている時に何かと助けたりしてくれる、大変頼もしい存在である。顔は怖いし、口調もぶっきらぼうだが根は優しく、面倒見も良い。だから陽太は彼のことが好きだった。それは卵かけごはんをかきこんでいる颯馬や、そんな彼と漫才を繰り広げている理子も同じだ。


 食事を終えると後は自由だ。陽太と颯馬は出かける準備をし、草十郎に昼食はどこかで適当に食べ、夕食はここで食べる予定であることを伝えると、玄関の脇にあるボードにかけられた自分の名が書かれた木札を裏返すと、鉄砲玉のように外へと飛び出した。

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