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桜町幻想奇譚  作者: 里芽
雪が沁みる
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雪が沁みる(4)


 ぱらぱらと雪が降ったその日の夜も、雪鬼達はやって来た。だが、いつものようにとはいかなかった。

 彼等の歌声や、奏でる楽の音が完全に死んでいたのだ。抑揚も覇気も無い声による歌はまるでお経、ひゅうと少しばかりの風が吹いただけでかき消されるほど小さく、気のせいかすすり泣く声も聞こえる。へろへろひゅるるという笛の音、太鼓の音には張りが無く、その他諸々の楽器の音色にも元気や勢い、命の輝きは無く、ただ聞く者を不安にさせるばかり。

 それを聞いた村人達はぎょっとして、外へ出ればそこに見えるは死者と呼んでも差し支え無いような雪鬼達の行列。皆一様に俯き、輝きを失った虚ろな瞳を白雪へと向けながらとぼとぼと歩いている。いつも見せる太陽の如き笑顔はどこへやら。背を丸め歩幅も小さくなっている為か、或いは彼等の尋常ではない様子のせいか体がうんと小さくなったように見え、また吹けば飛びそうな程儚く見える。

 災いを出来る限り取り除き、幸いを呼び込むはずの雪鬼。だが今の彼等は災いや邪気を取り除くどころか、逆に招き入れそうな雰囲気を醸し出している。彼等の纏う陰鬱な空気が空を覆い、闇は濃くなり星は不吉な輝きを見せ始めた。その尋常ではない様子に村人達は困惑するが、誰一人その理由を彼等に問うことはなかった。いや、問うに問えなかった。弥作でさえ今の彼等に話しかけることを躊躇った。それ程重苦しく陰鬱な空気を纏っていたのだ。

 村人達は、他にも今までの行列とは違う点があることに気づいた。そしてそれこそが彼等をこんな風にしている原因であるのだとすぐに察する。そうなると、ますます声をかけ辛い。


「ねえ、何か雪鬼達の様子おかしくない?」


「そうだな……何かあったのかもしれん」

 雪鬼達を待っていた桜は胸騒ぎを覚え、いてもたってもいられなくなり社を飛び出す。実は彼等がこんな風になったのは初めてのことではなかった。今回も以前と同じようなことが起きたのかもしれない。いや、前よりも今回はずっと酷い。酷いということはより悪いことが起きた可能性が高い。そうであって欲しくない、そう思いながら早足で向かった。闇に浮かぶ白い雪、不吉な色、忌むべき色、桜の内にある不安を膨らませる。

 村人達のざわめきと、雪鬼達のお経としか言いようのない歌声が段々と大きくなっていく。雪鬼達の発する光も心なしか儚く、人の不安を照らすばかりの良くないものに見える。雪鬼達は桜がやって来たことに気づいたらしく、足を止める。一週間程前に会った時はあれ程元気だったのに、今は見る影もない。あまりの生気の無さに流石の桜もぞっとし、うっと呻いた。先頭に立っている……治平と喜六の虚ろな瞳がそんな彼女を捉えた。そして彼等が先頭に立っているという事実が、桜の嫌な予感を的中させる。


「……八田兵衛殿は、どう、なさった」

 どうか、どうかある一つの答えだけは述べないでくれと塵ほどに儚い希望を胸に抱きながら尋ねる。雪鬼達の体が震え、目から涙が零れ、声をあげて泣きじゃくる。治平と喜六は必死に泣くのを堪え、唇を噛みしめ、拳を握り、震える。しかし堪えるのに必死で、桜の問いになかなか答えられないでいた。答えてくれ、そう懇願する桜を二人は見、どうにかして口を開け答えようとするが出るのは到底言葉とは呼べぬものばかり。それでも桜は辛抱強く待った。早くしろと怒鳴ることなど、どうして出来ようか。静かな、そして不穏な時が流れていく。

 そしてとうとう、治平が答えた。風が吹けば飛んで消えそうな位弱弱しい声で、悲しみと絶望に濡れた目を桜へ向けながら。


「八田兵衛様は……昨日、お亡くなりになりました」


「……寿命か、それとも、病か」

 聞きたくなかった答えに胸を締めつけられ、喉を絞められながらも問う。しかしそのどちらでもないことは何となく分かっていた。僅か一週間程で尽きる程残る命が少なかったら、桜も気づくはずだった。

 いいえ、いいえと治平は首を横に振った。


「八田兵衛様は、八田兵衛様は……殺されたのです。あの化け狐に……出雲に!」

 せめて、せめて不幸な事故であって欲しかった。人々は衝撃を受け、俄かにざわつく。桜はその忌々しい名を聞き、拳を硬く握りしめる。憎しみの炎が、すさまじい音をたて燃え上がる。


「あの化け狐めが……!」


「京介、熊吉、おせつ、新平、多喜二、紗雪、山路、我が子をかばったおけいも……殺されました。突然のことに、皆対処出来なかったのです。深手を負った八田兵衛様が残る力を振り絞って追い払ってくださっていなければ……被害はもっと大きかったかもしれません。しかし、そこで無理に動いた為か……三日後、八田兵衛様も帰らぬ人となりました」

 それだけ言うと治平はとうとう泣きだしてしまった。今の今まで必死になって堪えていたが、もう我慢出来なくなってしまったのだろう。それにつられ、喜六もついには泣きだす。村人達も仲の良かった者の死にある者は呆然とし、ある者は涙を零す。弥作は「新平って桜と一緒になって俺に雪玉ぶつけてきた……あんな餓鬼まで」と困惑の表情を浮かべながら呟き、親友の訃報にいよは呆然と立ち尽くしている。その顔は真っ青で、今にも倒れそうであった。信太はおせつの姿が無いことに気づき「おせつ姉ちゃんどうしたの? 今日は来ていないね、風邪でも引いちゃったの?」と首を傾げている。治平の言葉の意味を理解していない彼を、よねはぎゅっと抱きしめる。よねは泣いていて、そのことに気づいた信太は困惑する。そして段々と彼女の悲しみが移っていくにつれ不安になっていき、最後には大声で泣きだした。きっと今後彼は治平の言葉の意味を知り、深い傷を負うこととなるだろう。


(八田兵衛殿……)

 出来ることなら桜も泣きたかった。桜にとって八田兵衛は、父親のような存在であった。自身の本当の父親は自分のことなどまるで見てくれないような人だった。自分の中にあった苦しみや悲しみを一度だって見てくれなかった。むしろ母と共に率先して桜を苦しめていたような人間だった。しかし八田兵衛は自分のことを想ってくれた。まるで実の娘のように。その想いに桜はきちんと気づいていた。だから冬の間だけの交流を楽しみにしていたし、口に出して言ったことはないが、彼に心から感謝していた。巫女という立場は変わらないが、それでも彼と話している時は少しだけ肩の荷が下り、本来の自分を晒せているような気がした。ほんの少しだけ人間の娘に近づける時間、温かく愛しい時間。それが、突然音をたてて崩れた。

 死なないと思っていた。自分が死ぬまでは、ずっと生きているものだと思っていた。酒を飲み、子ども扱いして頭を撫で、軽口を叩きあい、雑談に花咲かせ、笑い合う、そんな冬が毎年訪れるものだと思っていた。当たり前のようにそんなことを思っているからこそ、今年初めて八田兵衛と会った時あんな軽口を叩いたのだ。


――どうかな? 人生というのはどうなるか分からんからな。力を持たないチビガキだった私が、今こうして村一番の巫女として貴方と一緒に酒を飲んでいるんだ。何が起きても不思議ではない。もしかしたら貴方は明日散る運命なのかもしれぬ――

 自分が笑いながら言った言葉が、自分の胸に突き刺さる。人生何が起きてもおかしくはない。その通り、八田兵衛は出雲に殺されることで、その生を終わらせることになった。彼も治平も、想像だにしなかっただろう。彼の豪快な笑い声を思い出し、怒りの炎はますます燃え上がる。村を覆う雪を溶かす程の炎が体中を駆け回り、ごおおおおというすさまじい音をたてる。

 八田兵衛だけではない。多くの罪無き者達が殺された。彼等の笑顔、騒ぐ声を思い出す。無残に殺される日が来ることなど知る由もなかっただろう彼等の姿が、桜の胸の内を刺し、傷つける。そしてその傷に沁みる白雪……。


「……あの狐め、何故そのようなことを。いや理由など問うても仕方ないことか……あれは何の思いが無くても、平気で誰かを殺められるような」


「……憎んでいるからです」

 桜の言葉を遮るように、そう治平が言った。憎んでいる――意味の分からぬ言葉に眉をひそめると、治平が答える。


「あの狐は、雪が嫌いなのです。それゆえ……雪と縁深い者も嫌っているのです。いや、嫌っているというより憎んでいるといった方が正しいかもしれません」


「何……?」

 治平のその言葉に、どきっとした。あの狐が私と同じように雪というものを憎んでいる?

 思わぬ事実に悲鳴をあげる心臓を抱く胸を思わず抑えた。


「雪が憎い? どうして。冷たいからか? 寒いのが嫌いだから、雪も嫌いだと?」

 いいえ、いいえ違いますと治平は首を横に振る。だが、なかなかその言葉の続きを言おうとしない。どうした、言えと桜が促してもただ俯き口をもごもごさせるばかり。その態度に桜は不安を覚えた。しかし聞かないわけにはいかなかった。

 何度も繰り返し「構わぬ、言え」と言われ、ようやく治平は答える決心がついたらしい。顔を上げ、桜を見、それから拳を握りしめつつ彼女から視線を逸らした。そうしながら、ようやくぎりぎり桜に聞こえる位の小さな声で述べた。


「白いからです。雪は白いから、憎いのです。あの狐は白という色を心から憎んでいます。もしかしたらこの世で最も忌むべきものだと思っているかもしれません。……雪が降った日の出雲の機嫌はいつも以上に悪く……時々こうして、我々を傷つけたり殺めたりするのです。雪が憎ければ、雪と縁の深いモノノケも憎い……。八田兵衛様達を殺したあの狐は笑っておりました、けれど瞳は笑っていなかった。激しい憎しみの炎を抱いた瞳は、恐ろしく冷たいものでした……」


――そこの死にかけの爺がうっとおしいから去ってあげる。ふん、けれどお前達のようなゴミも少しは役に立つんだね。お前達の血は、雪を赤く染めてくれた。本当、綺麗な色だ。私の役にたったことを感謝するがいい。そこの爺も、後数日で死ぬだろう。ざまあないね、ああ愉快愉快。皆殺しに出来れば一番良かったけれど、まあいいや。長の爺一匹死んだだけでも十分だ。泣けよ、お前達。泣いて泣いて苦しんで、死人みたいになればいい。その姿を思って、私は笑うよ。お前達、もう少し私の役にたっておくれよ。泣け、泣け、苦しめ、苦しめ、そして私を大いに楽しませておくれ……――

 そのようなことを言いながら出雲は去ったという。治平は再び桜を見たが、そこに浮かんでいた表情を見て視線を逸らし、泣く。彼等は桜が出雲と同じように――雪というものを、白という色を憎んでいることを知っている。だから言えば必ず彼女が衝撃を受け、傷つくだろうと思っていた。案の定桜は出雲と自分の思わぬ共通点を知り、ショックを受けていた。それがどれほどのものかは、顔を見れば分かる。


――雪は白いから、憎いのです。あの狐は白という色を心から憎んでいます――

 その言葉は桜に鋭く突き刺さった。よもや理由まで同じだとは思わないが、しかし憎いと思う程まで嫌っている以上それなりの理由があることは確かだろう。どこまでも自分と違う存在だと思っていた者と、心から憎たらしいと思っていた者と、思いもよらぬ共通点があったことは桜にとってショック以外の何物でもなかった。たった一つの共通点が自分と彼を近づけ、穢れたような気がした。


「八田兵衛様は私を次の長と決め、そして……自分が死んでも、村との親交は忘れてはいけない。雪が降った夜、あの村へ行き、村人達と共に騒ぎ、飲み、遊び、笑うこと……必ず続けなさいと……泣くな、と自分のことは忘れ、振り返らず立ち止まらず、前を向いて真っ直ぐ突き進めと……その遺言通り、私は嘆く皆を連れどうにかここまでやって参りましたが、矢張り……矢張り、駄目です。笑い、遊び、騒ぎ、酒を飲むことなど、出来ません。そのようなこと、出来るはずがない!」

 治平はその場に崩れ落ち、冷たい地面に顔をつけておいおいと泣いた。雪鬼達は皆泣いている、声をあげて泣いている。村人達もあいつはいい奴だったのにとか、少し前まであんなに元気だったのに、と亡くなった者達のことを想い、泣く。泣いていない者達も暗い顔をしていて、黙っている。

 悲しみと慟哭、怒り、憎しみ、苦しみだけがここにある。それが雪の上に降り注ぎ、混ざる。おぞましいその色は輝きを増し、桜へと襲いかかる。


 白い雪。白い、白い、白い雪。悲しみと怒りと憎しみと苦しみだけを与える色。桜の世界を占めていたもの。雪鬼の、村人達の嘆きの声が桜にその忌々しい世界を思い出させる。一週間程前の、あの楽しい思い出も今の桜には少しも役に立たなかった。雪は傷口に沁みこみ、悲鳴をあげたくなる程の痛みを与える。その痛みが幻想を見せ始めた。雪鬼や村人達の姿が、段々とかつての自分に見えてきたのだ。自分の目の前で自分が泣いている。白い世界の中、一人泣いている。泣いても、喚いても、苦しんでも、どうにもならないのに。

 そして聞こえる笑い声、嘲笑う声。まともに聞いたことのない出雲の声から、かつて自身を苦しめた村人達の声へと変わっていく。自分がどれだけ苦しんでも、彼等は笑うことを止めなかった。苦しめば苦しむ程、彼等は笑う。楽しそうに、笑う。泣きもがき苦しめば止めてくれる程世界は優しくない。消したい現実は消えず、桜を嘲りながら残り続けたのだ。

 再び聞こえた出雲の笑い声が、桜を過去へと引きずり戻そうとする幻想の笑い声と重なる。今頃きっと彼は雪鬼達の――かつての自分のように白い闇の中泣き叫ぶ者達のことを思い、笑っている。


――泣け、泣け、苦しめ、苦しめ、そして大いに私を楽しませておくれ――

 握りしめた拳が、怒りに燃えて熱い。させるものか、あの狐の思い通りにはさせない。

 彼等を過去の自分と同じものにはさせない。


「……泣くな」

 雪鬼と村人達の泣き叫ぶ声よりも大きな声で、彼女は言った。そのよく響く声にびくっと体震わせ、人々は自分達のことを睨んでいる桜へと目を向ける。一瞬にして村の音という音全てが消え去った。


「泣くな、馬鹿者! そうして泣いていれば、現実が変わるというのか。殺された者達が生き返るというのか。泣いてどうなる、何か良いことでも起きるのか。何も起きぬ。涙を流せば簡単に変わる程世界は優しくないのだ。ただ、あの狐が笑うだけ……お前達の悲しみや苦しみ、憎しみや怒りが奴に最上の喜びを与えるのだ。このままでは奴の思うつぼ、それで良いのかお前達は? 良いわけがなかろう! このままでは、再び同じ悲劇が起きるぞ。あれはきっと繰り返す、何度でも、何度でも! お前達があいつの望み通りの行動をとればとるほど、事態は悪い方へ悪い方へと転がるだろう。お前達の涙は、あいつを調子に乗らせるだけだ! 私はそれを許さぬ、お前達もそれを望まぬだろう? 今お前達がすべきことは、ぴいぴい泣くことではない、あの馬鹿という大いなる災厄を祓うことだ」


「ど、どうやってそんなことを……」


「笑えばいい! いつもと同じように、いや或いはそれ以上に騒ぎ、笑い、歌い、踊り、酒を飲み、語らうのだ! あの馬鹿が望むのは、お前達が嘆き悲しみ苦しむこと。ならばその反対のことをしてやればいいのだ。どれだけ痛めつけられようと、笑って踊って飲んで馬鹿騒ぎをするがいい。虚勢だろうが何だろうが構わぬ。兎に角徹底的に奴の望まぬことをしてやれ。何をやっても無駄だと、無駄な力使って殺しても少しも良いことはない、つまらない、馬鹿馬鹿しいと思わせる位にな。ああいう馬鹿が一番嫌うのは、自分の思い通りにならぬこと。そして何の利益にもならぬことに無駄な労力を使うことだ」

 仲間を殺された位でこちらはそう簡単にはへこたれないぞ、お前が何をしたってこっちは最後まで笑ってやる、お前が喜ぶようなことなど一つだってしてやるもんか……その意思をはっきりとさせることで、出雲の気を削ぐ。出雲のような輩は自分の行ったことが相手に何の影響も及ぼさないことを――無意味で無駄な行為を嫌う。わざわざ無駄な労力を使ってまでやる価値はない、やってもてんでつまらないと思わせることが出来れば、雪鬼達に己の憎しみをぶつけ、彼等の苦しむ姿を思って笑うなどという馬鹿げた行為を止めさせることが出来るかもしれぬ。


「あの馬鹿を楽しませてやる必要などどこにもない。何の役にもたたぬ奴等だ、悔しいと思わせてやれ。あれの役にたつことなどしたって少しも良いことなどないのだ。ぎゃふんと言わせてやれ、惨めで空しい気持ちにさせるのだ。笑え、歌え、踊れ、騒げ! あの馬鹿がもたらした闇をいつものあのすさまじい熱気と輝きによって吹き飛ばしてやるのだ!」

 雪鬼達も村人も桜の言葉に戸惑っていた。彼女のよく響く声によって涙は引っ込んだものの、とてもいつものように馬鹿騒ぎする気にはなれないでいる。無理もない、普通はそう言われてすぐ出来るものではない――そんなこと位、桜も理解している。仲間を、共を無残に殺されて面白おかしく騒ぐことなど出来るはずがない。それは出雲も同じことだ。もしかしたら彼は雪鬼達が山を下り、村へ向かったことに気づいたかもしれない。気づいたとしたら、今頃彼は笑っているだろう。どうせ騒げるはずがないと高をくくっているはずだ。


(あいつの思い通りにさせてなるものか。ヤケでもなんでもいい、全てを吹き飛ばす位大いに騒いで欲しい……。邪を祓い、前を向いて歩いてもらいたい)

 彼等は誰も動かない。生気の無い瞳、歌を紡げぬ口まともに動かせぬ手足。今の彼等は命を失った木のようだ。ただそこに突っ立っているだけ。何もしなければ、いつまでもこの状態のままだろう。仕方が無いことと分かっていても、短気な桜はイライラを隠せない。雪鬼が照らす白雪がその気持ちを増長させる。

 仕方が無い、と桜は深呼吸する。ここは私が導き手になってやらねば。神に仕え、人々を救い正しい方向へと導く――それが巫女だ。


 間もなく人々は、声を失い目を丸くすることになる。そりゃあ巫女が突然大きな声で歌いだし、手をぱんぱん叩きながら妙ちくりんな振りつけで踊りだしたら誰だってぽかんとするだろう。その歌は雪鬼と村人達が雪の中踊る時によく歌う歌だ。それをわざと調子外れに歌いながら、滅茶苦茶なリズムで手拍子して、踊っている。彼女はしいんと静まる場で、只管歌い踊り続ける。正直顔から火が出る程恥ずかしかったが、形振りなど構っていられない。彼等がヤケクソでも何でもいいから、歌い踊り遊び出すまでやめるつもりはなかった。見た目はふざけているが、実際はふざけていない。本気の踊りだった。

 根気よく続けた。そしてそれは決して無駄にはならなかった。その踊りに込めた思いが通じる時がとうとうやって来たのだ。よねと共に泣いていた信太が、涙をぽろぽろ流しながら笑いだした。最初は小さな声だったが、段々と大きくなっていく。皆の視線が一斉に信太へと集まった。


「変なの、巫女のお姉ちゃん。歌も踊りも、すっごく下手くそだ。おいらだってもう少し上手に出来るよ」


「馬鹿者、これはわざとだ。本当はもっと上手くやれるぞ」

 信太が反応を示してくれたことを喜びつつ、桜は腰に手をやり胸を張って威張ってみせた。本当、と信太が尋ねるから本当だと返し、頷く。


「それじゃあどっちが上手に出来るか競争しよう」


「ああ、そうしよう」

 そして、信太が加わった。信太は大きな声を上げ、小さな体を大きく動かして踊る。それを見ていた姉のよねが涙を拭いた。その瞳には失われた生気が戻りつつあった。


「泣いているだけじゃ、どうしようもないよね……そうだ。きっとおせつだって、こんな風に泣かれても嬉しくないに決まっているわ。私も踊る、出雲の思い通りになんてさせないんだ!」

 そう言って、よねも信太や桜と一緒に踊りだした。この踊りの輪は、段々と静かにだが着実に広がっていく。呆然とし、その場に立ち尽くしていた雪鬼や村人達が次々と踊り、歌いだしたのだ。桜や信太、よねの思いが目や耳を通じて彼等に伝わっていったのだ。


 初めは歌というよりは呻き声に近いもので、動きものろい上にちまちまとしていて、地獄にて救いを求め天へ向かって手を伸ばし蠢く罪人達のようであった。それこそ踊れば踊る程惨めな気持ちになりそうな位酷い有様だったが、延々と踊る内段々と皆ヤケクソ気味に声を張り上げ、派手で滑稽な動きを見せるようになっていった。ヤケクソ踊り、すてっぱちの歌は激しさと大きさを増すばかり。皆して無理に笑顔を作り、歌の合間に笑い声をあげる。昇り、広がり、叩き、響く。そのヤケクソ踊りと歌が生みだした振動が、彼等の心を、魂を震わせていった。そしてその震えが『楽しい』『喜び』といった気持ちを生み出していく。気持ちが盛り上がっていけば、歌も踊りも本物になっていく。それらが本物になれば、震え方も変わり、より気持ちが強く激しく輝きあるものへと変わる。虚勢から本物へ。今や村を包むものは悲しみでも苦しみでもなく、歌い踊ることの喜びである。白い雪を黄金に染める、すさまじい熱量を帯びた光が村を満たしている、そんな幻想を桜は見た。出雲も村を包むものに気づいていることだろう。気づいていないとしたら、相当のにぶちんである。


 悲しみ、苦しみ、出雲に対する怒りを忘れたわけではない。忘れず、失わず、強く抱きしめながらも自分達が生きていること、面白おかしく歌い踊ることの喜びを噛みしめている。痛みを抱きながら騒ぎ、死者を悼み彼等が大好きだった馬鹿騒ぎを極楽へと捧げる。

 今日の馬鹿騒ぎは、約一週間前の時のものよりもうんと派手なものになった。飛び交う雪玉、積もった雪に次々と出来る人型、馬鹿踊り、滑稽な歌、駆け回る子供、飛び跳ねる雪うさぎ、踊る雪だるま、雪の上に座って酒を飲み続ける大人、死した者へ気持ちのこもった言葉を贈る者……。桜もそこに混ざり、弥作を雪玉で打ちのめしたり、踊りながら酒を飲んだり、治平達と八田兵衛達に関する思い出を語り合ったり(治平達は何度も涙ぐんだ)……。痛みを笑いで癒し、悼む気持ちを馬鹿騒ぎにのせて贈り、出雲に痛い目を見せる。

 皆の思いは、間違いなく死した者達に通じた。桜は歌い踊り騒ぐ生者達に混ざって、無残に殺された者達の魂が同じように歌い踊り騒いでいるのを見た。おせつは信太と共に駆け、新平は桜に教わった通りの投げ方であちこちに雪玉を投げ、おけいは雪の中くっちゃべっているいよ達女性陣の輪に加わりけらけら笑い、それから旦那が抱いている我が子の頭を撫で「幸せにおなり」と愛に満ちた言葉をかける。その言葉は聞こえないだろうが、想いはきっと通じている。きゃっきゃと笑いながら「おっか、おっか」と言う子を見れば、それが分かる。


「……まだ行っていなかったのか」


「あまりに心配でな、なかなか行けなかった。だが、これで皆安心して行くべき所へ行ける」

 桜の隣にいつの間にか立っていた八田兵衛が、安堵の声を漏らす。二度と聞けぬものだと思っていた声を聞き、胸が詰まり、熱いものが込みあげてきたがぐっと堪えた。誰かが見ている前で泣くのは昔から苦手だった。桜は、八田兵衛の方を見ようとした。だが見てしまえばきっと我慢出来なくなる。だから、目は真っ直ぐ――大騒ぎする人々の方へ、向けたまま。苦しい、色々な思いを吐きだしたい。でも、出来なかった……虐げられた日々が彼女をとことん意地っ張りにさせていたのだ。


「……ありがとう、巫女よ」


「私は巫女として当然のことをしたまでだ。礼には及ばぬ。……それに、最後に選んだのは彼等だ。私はただきっかけを作っただけに過ぎぬ」

 しばしの間、沈黙。それを破ったのは八田兵衛だった。


「最期に、お前に伝えたいことがある」


「何だ、愛の告白か?」


「まさか。俺もお前のようなじゃじゃ馬はお断りだよ」

 などと言って笑いながら、八田兵衛は『最期の言葉』を伝えた。


 そして今までで一番の馬鹿騒ぎが終わり、雪鬼達は去って行った。彼等の表情は晴れ晴れとしていた。彼等は出雲に仲間が殺された日のことを、これからも思い出しては泣くだろう。だがその苦しみを、今日という日はきっと癒してくれるはずだ。彼等は立ち止まらない、きっと前を向いて進んでくれる。村人達にも、そして彼等にも素晴らしい、そして美しい春はやって来る。今年もきっと、変わらず訪れる。

 またこの馬鹿騒ぎは桜の目論見通り出雲に大打撃を与えた。彼はある日治平と喜八の前に現れたらしく、実質の敗北宣言をしたという。どうやら彼はあの日雪鬼達が村へ行くのを見「どうせいつも通り騒げるはずがない。村人共と一緒になってぴいぴい泣く様を見てやろう」と思い、村の近くまでやって来たそうだ。確かに途中までは出雲の予想した通りだった。ところがしばらくするといつも通り、いやいつも以上に騒ぐ声が聞こえたものだから、びっくり。彼は心から笑い、楽しんでいる姿を見て地団太を踏んだに違いない。更に雪鬼達は己の住処に帰った後も絶えず馬鹿騒ぎを続けた。それは出雲にとって、大変腹立たしく、またつまらない光景だったことだろう。そして彼は「無駄な労力使ってまでやっても、ちっとも良いことは起きない」ということを学んだらしい。


――ふん、痩せ我慢しちゃってさ、馬鹿みたい。嗚呼本当につまらない、お前達は大変つまらない。つまらないものは、いらない。私の役に少しも立てぬ無価値な者共め。本当、無駄骨だった。無価値なゴミに使った時間が勿体無いよ。返しておくれよ、私の時間を! もっとも、それも無理な話か。お前達馬鹿騒ぎすることしか能の無い奴等に出来るはずがない。もういい、いいよ、嗚呼本当勿体無い、お前達と話している時間さえ勿体無い! 別に私はお前達に負けたわけではない、それを忘れるな。忘れるなよ!――

 そう言って彼は、特に手を出すこともなく去って行ったそうだ。それを聞いた桜はどれだけ喜んだことか。雪鬼達も万歳三唱『ざまあ見ろ音頭』なるものを踊り、今日という日を祝ったとか。

 結局出雲は雪鬼達には殆ど手を出すことがなくなった。あくまで殆ど、であり気分によっては嫌がらせをすることもあったそうだし、雪鬼に手を出すことが無くなっただけで村人達や他のモノノケには相変わらずろくでもないことばかりするのだが……。


 さてこの日のことをきっかけに、村には『雪が積もっている日誰かが死んだ時には、その人を手厚く葬った後雪遊びなどして大騒ぎする』という奇妙な風習が生まれることとなった。出雲に殺された雪鬼達をそうして極楽へ送ったように、死した村人も同じように送るようになったのだ。また、この行為がきっかけで出雲が雪鬼に手を出さなくなったという事実がどんどんと形を変え『人が死したことで生まれた悪しきものを、雪遊びなどをすることで祓う』という考えが生まれたようである。

 そしてこの風習は数百年に渡り続くことになるのである……。また雪鬼との交流も、二百年前位までは続いた。




 桜は、月を見ている。昨夜の馬鹿騒ぎは夢だったのではと思う位今日は静かである。しかし彼女の心は絶えずざわついていた。彼女の心から静寂という言葉を奪ったのは、昨日初めて知った自分と出雲の共通点である。雪が嫌い、白という色が憎い。桜という人間の中心にあるものが、出雲の中にもあった。それは桜にとって残酷な事実であった。たった一つの共通点が自分と彼を近づけた。近いどころか、全く同一の存在になったような気がして、頭も胸の内もぐちゃぐちゃになる。中心からうんと離れたところにあるものが共通しているなら、何も思わなかったし、自分と出雲が限りなく同一の存在であるなどという馬鹿げたことを考えることもなかっただろう。

 彼がどうして白を憎んでいるのかは知らない。しかし憎しみを抱いている以上、とてつもなくくだらない理由ではないような気がした。

 同じように、白という色を憎む者。だが、彼と自分の生き方はまるで違った。出雲は白を憎むゆえに雪と深い縁がある雪鬼をも憎み、危害を加えた。桜は白を憎みながらも、決して雪鬼を憎むことはなかったし、彼等に危害を加えもしなかった。例え彼等が自分達にとって都合の良い力を持っていなかったとしても、絶対にそのような真似はしない。己の持つ強大な力を、誰かを虐げる為に使うことだって無い。


(自分の為に、自分の欲望を満たす為に力を使うことだって……いや、違うか。私だって力を持たぬ弱き人の為とか何とか言っておきながら、本当のところは)

 苦笑し、それから再び神妙な面持ちになる。


(私とあいつは、違う。だが、だが……もしかしたら……あいつという存在は、私が選ばなかった道そのものなのかもしれない)

 自分を虐げ、冷たく白い雪降り止まぬ世界に放った村人達を、自分のことなどまるで考えてくれない村人達を全く憎んでいないわけではない。自分が力を持った途端手のひらを返した彼等のことを殺してやりたいと思ったことだってある。だが、恨み憎み怒っても桜は自分の力で彼等を傷つけはしなかった。恨みを晴らす為に力を使うのではなく、彼等を――力無き者を守る為に使うことを選んだ。自分に力をくれた神との約束を守る為に。

 もしあの約束が無ければ、自分だって出雲のように力を振るい、憎いものを虐げる化け物になっていたかもしれない。村に良きことをもたらす雪鬼も「大嫌いな雪と関わりのあるモノノケだから」という理由で殺していたかもしれない。巫女として人々を守る道を選んでいなかったかもしれない。絶対そうはならなかったと、どうして言えよう?

 これから先だって分からない。いつか道を踏み外し、出雲と同じ者になるかもしれない。桜は出雲と同じ化け物と化した自身の姿を思い浮かべ、頭を横に激しく振ってそれを振り払った。そして拳を硬く握りしめ、誓う。


(……私は絶対に、あの狐のようにはならない。別の道を進むことは絶対にしない。これからもこの道を進み続ける。神との約束を守り……そして、八田兵衛殿と交わした約束を守る)


――巫女よ、真っ直ぐであれ――

 昨晩の八田兵衛の『最期の言葉』を桜は思い出す。銀色の月に、彼の顔が浮かび胸が締めつけられる。


――真っ直ぐと進み続けよ、巫女よ。力無き人々を己の力を以てあらゆる災いから守るという道を只管進み続けるがいい。……村人を恨む気持ちもあるだろう、彼等は恨まれるだけのことをした。俺だってお前と同じ立場だったら、恨み憎んだはずだ。一生彼等を許さないと思ったはずだ。お前もきっと、別に彼等を許したわけではないだろう。彼等は弱く、愚かだ。お前の行動次第ではまた簡単に手のひらを返すかもしれぬ。……だがそれでも、それでも進み続けなさい。どれだけ苦しくても、隣に誰もいなくても……負の感情に流されてはいけない。出雲と同じ道を辿ってはいけない。あれと同じものになっては、いけない――


――八田兵衛殿……――


――真っ直ぐであれ。お前が放つ退魔の光と同じように、真っ直ぐ突き進む眩いものであれ。彼等を守り、導いてくれ。これは激励であり、約束であり……いつか呪いの言葉になるかもしれない言葉だ。それでも俺はこの言葉を贈る。真っ直ぐであれ、と。俺は願う。いつか、いつかお前の隣に誰かが立ってくれることを。お前の悲しみや苦しみを理解してくれる者が現れることを。……嗚呼、やっと伝えられた。出来れば生きている内に伝えたかったのだがな。俺は見守っている、お前を……隣に立ってやることは出来ないが、ずっと見守っている。どうか幸せに……巫女よ――

 八田兵衛の大きく温かい手が、桜の頭を撫で、彼女が必死になって押さえ込んでいた熱い、とても熱いもので体が悲鳴をあげる程膨らむ。震える体、火に焼かれたように熱い瞳。そしてそれはもう、外へ出ることを止められなくなった。


――八田兵衛殿!――

 とうとう我慢出来なくなり、ぱっと彼の立っていた方を向いたが時すでに遅し。彼は姿を消していた。おせつや新平達ももういない。桜はへなへなとその場に座りこみ、そして声を上げ顔を覆って泣きじゃくった。騒ぐことに夢中な村人や雪鬼達は、輪の外で泣いている彼女に気づいていない。昔から彼等はそうだ、桜の苦しみにまるで気づかない。

 八田兵衛に自分も伝えたいことが沢山あった。父のように慕っていること、共に過ごす時間がどれだけ愛しいものだったかということ――今まで素直に言えなかったことを、ちゃんと言葉にして最後の最後に伝えたかった。勿論「その約束、必ず守る」という言葉も。

 だがそれはもう永久に、直接彼に届けることは出来なくなった。彼はもうこの世に戻っては来ない。

 我慢などしなければ良かった。する必要など無かったのに。

 とうとう伝えられなかった素直な気持ちは言葉ではなく、涙や嗚咽となって溢れだす。外へ出ても、出ても止まらない。後悔の気持ちもまた消えるどころか増すばかりだった。


(そう、昨日私は一人でいつまでも泣いていた……)

 誰に気づかれることもなく、ずっと。朝、雪鬼達を見送る際治平に目が赤くなっていることを指摘されたが、寝不足のせいだと言ってごまかした。

 そして今、その時のことを思いだし涙一滴零し。だが昨夜のようにいつまでも泣きはしなかった。天を仰ぎながら、口を開く。


「八田兵衛殿。私は貴方との約束も必ず守ろう。私は真っ直ぐ進み続ける。だから見守ってくれ……私がただ一人、父と慕う人よ。そして……ありがとう。私に温かいものを貴方は沢山くれた。それがどれだけ私の支えとなったことか。ありがとう、本当にありがとう……」


 桜が微笑むと、八田兵衛のあの豪快にして優しい笑い声が聞こえたような気がした。

 

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