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桜町幻想奇譚  作者: 里芽
雪が沁みる
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雪が沁みる(2)

 

 夜をかち割るかのような、賑やかな楽の音と歌声が桜村目指してやって来る。音色も声も、雪踏む足が鳴らす音も弾んでいる。高らか朗らか、雪もしゃっしゃっざっくざっくと笑っている。お祭り騒ぎ、馬鹿騒ぎ、山からお祭りやって来た、ぴゅうひゃらぴいひゃら、やって来た。


 とんてんしゃんとん雪が降る とんてんしゃんとん雪が降る

 雪が降れば白くなる 嗚呼白くなる、白くなる

 冬を迎えて 春招きゃ 育ちの夏に実りの秋だ

 風よ吹け吹け (さい)飛ばせ

 雪よ降れ降れ 邪を覆え 覆いて溶かせ 幸の為

 冬を迎えよ 春招け

 夏を思え 秋を待て


 とんてんしゃんとん雪よ降れ とんてんしゃんとん雪よ降れ

 雪鬼様の お通りだい……


 その歌声と楽の音は止むことを知らない。大変やかましいが、不思議とその声を疎ましいとは思わない。


「桜の言った通り、本当に来たようね」

 この季節だけやって来る者達の歌声に笑顔を浮かべるいよが呟くと、桜は当然だと言わんばかりに胸を張る。


「この私がこれしきのことを外すわけがないだろう、ふふ。さて、今夜は誰も彼もまともに寝ることは出来ないだろうな。物の怪退治のせいでこちらはへとへと、ぐっすり眠りたいのだがなあ。迷惑、迷惑」

 とか何とか口では文句を言っているが、実際はそれほど迷惑には思っていないこと位表情を見ればいよには分かる。彼女は雪を憎んではいるが、この雪が招く『彼等』のことは嫌っていない。やれやれとか何とか言いながら、社へと向かう。いつもそこで『彼等』を迎えているからだ。

 村人達も今頃「今夜は眠れないな」と苦笑いしている頃だろう。しかしそれを嫌だと思う者は殆どいない。眠れない、眠れないと言いながら皆うきうきしているのだ。皆『彼等』を、彼等と共に過ごす夜を好いている。


 夜の闇を幾つもの灯りが照らす。雪の様に白く、月の様に眩い光だ。その光は世界を白く染め、闇に溶けたあらゆる境は取り戻された。まるで時間が巻き戻され、或いは早送りされて昼がやって来たかのようだ。

 賑やかな行進はやがて桜達のいる社の前で止まった。桜が社から出ると、世界を白く染めた者達がずらりと並んでいた。


 眩い光を放つ雪の様に白い手足と銀色の角、血の様に赤い顔、凛々しい眉に鋭い歯、肩近くまで伸びたぼさぼさの黒髪、黒い着物に雪蓑つけて。怖いといえば怖いし、滑稽といえば滑稽、何とも言えぬ容姿である。童もいれば、おじいおばあもおり、その誰もが皆にこにこと笑っている。彼等もまた、村人達との交流を毎年楽しみにしているのだ。

 彼等の先頭にいるのは、一際図体の大きな男。えらく目つきが悪く、彼ばかりは「滑稽な顔」とは間違っても思えない。初めて彼を見た村の子供は高確率で泣く。桜も幼い頃彼の顔を見て大泣きし、それをネタに今でも彼によくからかわれる。男――八田兵衛(やたべえ)という――は桜を見てにかっと笑った。


「一年ぶりだな、巫女よ。今年も宜しく頼むぞ、良き明日の為に」


「ああ、こちらこそ宜しく頼むぞ雪鬼達よ、良き明日の為に」

 二人のあまりに短く素っ気ない挨拶を合図に、彼等――雪鬼達は散り散りになった。後は皆、日が昇るまで好きな村人と好きなように遊び喋り酒を酌み交わし、馬鹿騒ぎするだけ。本当に何でもないようなことだ。しかしそんな何でもないことが、毎年行われる大事な儀式であるのだ。


 早速童の雪鬼と村の子供達が遊んでいる。雪玉をぶつけ合ったり、雪に足をとられながら鬼ごっこをしたり、おしくらまんじゅうをしたり、じゃれ合ったり。雪だるまや雪うさぎを作っている者達もいる。雪鬼はとても作るのが早くて、子供達と他愛もない話をしながらせっせと作って、雪うさぎが一羽、雪うさぎが二羽、三羽、あっという間に白くて冷たいうさぎの群れの出来上がり。その群れをにこにこ笑いながら見つめているのは雪だるま達。子供達はそれらに囲まれてもう、足の踏み場もない。一人の雪鬼と村に住むやんちゃ坊主はえらく大きい雪うさぎを作った。うさぎというか、最早犬である。セントバーナードである。

 雪鬼と初めて遊ぶらしい坊やは、お姉ちゃんにずっとしがみついている。そして、雪鬼が自分に少しでも近づいたり、声をかけたりすると小さな悲鳴をあげるのだ。今雪鬼達と当たり前のようにきゃっきゃとはしゃいでいる子供達だって、初めの頃は皆同じような状態だった。おっかなびっくり近づいて、接して、やがて彼等の温かさを知って仲良くなる。勿論、最後まで馴染めない者も中に入るけれど。

 女の雪鬼が、坊やに近づく。坊やは「きゃっ」と女の子のような声をあげて姉の背に顔を埋め「ねえや、たすけて」と涙声で言う。姉である少女、よねは苦笑いしながら大丈夫よとなだめ。


「雪鬼はちっとも怖いことなんてないわ、鬼とは言うけれど悪さなんかしないわよ。顔は怖いけれど、中身は怖くないよ。本当よ、私が信太に嘘を吐いたこと、ある?」


「……おいら達のこと、食ったりしない?」

 食ったりなんかするもんかい、と女の雪鬼――おせつという――はかっかっかと笑った。


「おら、人の肉なんて食ったことないよ。きっとこれからも食わないな、きっと美味しくないもの。肉なんて猪肉とか鹿肉とか食っていりゃあいいんだ。おら、人間とは遊ぶ方がいいや。信太とも、遊ぶ方が良い。本当だ、食わないよ、だから遊ぼうよ」

 しゃがんで目線を合わせつつ努めて優しく言うおせつを、信太はおずおずと見つめる。まだ半信半疑といった様子だが、歩み寄ろうとはしている。本当?と尋ねる信太に「本当だよ」と頷くおせつの肩を、村の少年がぽんぽんと叩く。


「そろそろ『あれ』やってくれよ。きっと『あれ』を見たら、信太も喜ぶよ」


「へへ、そうだな。ようしやろう、やろう! 信太、面白いものを今から見せてやるよ」

 ぽかんとしている信太を見、おせつはにこり。それから他の雪鬼達と一緒に雪うさぎと雪だるまの周りをぐるぐる回りだした。滑稽な振りつけ、軽やかなステップ、珍妙な歌、その様子はまるで盆踊り。ますます信太はぽかんとして、目をぱちくり。一方事情を知っているよね達はそうれそれと彼女達の踊りに合わせて手を叩く。

 変化が出始めたのは、雪鬼達が十周程した頃だった。信太は雪うさぎと雪だるまの白い体が橙色に光りだしたことに気づいた。温もりを感じるその光は一度は消えたが、再びその身を包み込んだ。つき、消え、つき、消え、それをしばらくの間繰り返していたがやがてその光が消えることは無くなった。雪鬼達が尚続ける踊りは、更なる変化を雪うさぎ達にもたらした。


「あ、あれ……?」

 信太は傍らにある雪うさぎを映した目をこする。体を包む光、それ以上に不思議なものを見たような気がしたからだった。もう一度見てみれば、それが気のせいではなかったことが分かった。ぴくっ、ぴくっと濃い緑の葉で作られた耳が動いたのだ。それが風によるものでなかったことは間違いなかった。明らかに雪うさぎが『自分の意思』で動かしている。耳がまたぴくぴくと動き、そして今度は身じろいだ。動いているのは他の雪うさぎや雪だるまも一緒だった。耳が動き、口が動き、手が動き体が動き……その動きは段々と派手になり、やがて雪うさぎはぴょんぴょんと跳ね、雪だるまもぴょこぴょこ跳ねて自由気ままに動き出した。その動きはまるで本物の生き物のそれのようで、とても雪で作られたものであるとは思えなかった。

 目の前で起きた出来事に対して驚いているのは信太だけで、後の子供達はそれを不思議にも思っていない様子で、きゃっきゃと言いながら雪うさぎや雪だるまと遊んでいる。

 信太の胸に何かが飛び込んできた。それは一羽の雪うさぎ。


「うわ! わあ、わあ、すごくふかふかで温かい……でも冷たい! 温かい、冷たい、あれ、よく分からないや……でも可愛い」


「可愛いだろう、本物みたいだろう?」


「うん、すごく可愛いし本物のうさぎみたいだ、すごいなあ、すごいなあ!」

 先程まではかちこちだった信太の表情は、雪うさぎの可愛らしさのお陰ですっかりとろとろに溶けていた。おせつの問いにも興奮気味に答え、そして彼女と顔を見合わせにっこり笑った。一緒に遊ぼう、と差し伸べられたおせつの手をとって信太は元気よく駆け出した。雪うさぎと追いかけっこしたり、雪だるまと押して押されて投げて投げられの取っ組み合い(という名のじゃれ合い)をしたり、どちらが高くジャンプ出来るか競ったり。彼等は日が出るまでは自由に動くことが出来る。喋ることは出来ないが、人の言葉をある程度解することは出来るらしく、話しかけると表情やジェスチャーを用いて答えてくれた。何度もやり取りをしている内、向こうの言いたいことがどんどんはっきりと分かるようになり、そうなると会話も弾んだ。


「うわ、いて! やったなあ、このこの!」


「おら、この雪だるまと恋に落ちそうだ……」


「俺は去年よりも大きくなって、力も強くなった。今年こそはお前に勝ってやる! いざ尋常に勝負!」


「ふふ、この雪うさぎさんはとっても甘えん坊さんね。何だか赤ちゃんみたいで可愛いわ。おお、よしよし。ああ、可愛くてすべすべでふかふかで……温かいけれど、冷たい! 変なの!」


「おっしくらまんじゅう、おっされてなくなあ!」


「雪路もシロも、早いよ! 何でそんなに雪の上を早く走れるんだ! わあ、こら待て、くそ、全然捕まらない!」

 地面を覆う雪を更に覆うのは、子供達のはしゃぐ声。信太は最初に自分に抱きついてきた人懐っこい性格であるらしい雪うさぎを頭に乗っけ、冷たいと言ったり温かいと言ったりしながらおせつ達と遊んでおり、自分がついさっきまで雪鬼のことをとても怖がっていたことなど忘れてしまっているのではないかという位仲良くなっていた。白い雪が、小さな足跡でいっぱいになる。どれが村の子供のもので、どれが雪鬼のものかは一目見ればすぐ分かる。雪鬼の足跡は、微かに青白く光っているから。

 子供達は外で遊び、大人達は家の中に籠っている。そして彼等もまた、大声で笑ったり喋ったりと大騒ぎしている。何軒かの家で行われているのは酒宴だった。雪鬼は村を訪ねる時必ず酒とつまみを持参し、こうして村人達と共にそれを飲んだり食べたりしながら騒ぐのだ。雪鬼の持ってくる大変美味しい酒を、村人達は毎年楽しみにしていた。そしてまた雪鬼達も村人達と酒を飲みながらわいわいいうことを何よりも楽しみにしている。


「お前、ますます太ったんじゃないか? 去年あれだけ痩せる痩せると言っていた癖によう」


「うるせいやい、お前さんだって去年よりうんと太ったんじゃないか? お互い頑張ろうぜってのは嘘だったのかい」

 と太っちょの村人と雪鬼が小突きあい、それからげらげら笑っている。おなつは仲の良い女の雪鬼に、秋に産まれたばかりの我が子を見せている。赤ん坊は変顔を連発する雪鬼を見てきゃっきゃと可愛らしく笑う。弥作は自分と同じ位やんちゃで大馬鹿者な雪鬼と酒飲み対決をしている。今年こそは負けねえぞこら、と息巻いているが恐らく今年も負けるだろう。雪鬼は酒に強い、対して弥作は酒に弱い。作治は初めて飲んだ酒に早くも頭の中がぐるぐるしているらしく、妙なことを口走っては皆にけらけら笑われた。


 男衆はひたすら飲み続けてやかましい、女達はちびちびと飲みながらぺちゃくちゃ雑談姦しい。今はまだ家の中で騒ぎながら飲んでいるだけだが、いよいよ酔いが回ってくると外へ飛び出して雪へダイブしたり、子供のように遊びだしたり、子供に混ざって遊びだしたり、奇怪な踊りを踊ったりしだす。最後はもう子供も大人もなく馬鹿騒ぎして、朝を迎えると皆死んだようになるのである。


 戸を開け放った社の中、子供と雪鬼がはしゃぐ声を聞きながら杯を酌み交わしているのは桜といよ、雪鬼達の長である八田兵衛、それから彼の側近である治平と喜六だ。最初はお互い一年どのように過ごしたか報告しあい、それが終わると他の村人達同様雑談に花を咲かせる。


「本当、ちょっと前まであんなチビガキだったのに……人間ってのは成長が早いな。ぴいぴい泣いていた頃が懐かしい。まあ、気の強いところは小っちゃい時とちっとも変らんがな。しかし分からんものだな、俺を見てぴいぴい泣いた、ろくな力も持たずに産まれたか弱いガキが今や村人達を妖から守る巫女様だ。人生何が起こるか分からんな」


「ふん、貴方は毎年会う度そのことを話題にする」

 幼い頃八田兵衛を見て大泣きした時のことを思い出し、照れ隠しの為に杯を満たす酒をぐいっと飲み干す。治平と喜六は年々その輝きと美しさを増している桜を褒めちぎる。褒めたって何も出ないぞ、と言うと別に何か貰う為に言っているわけじゃないですよと口を揃える二人の鼻の下は伸びていて、大変だらしない。八田兵衛は二人のだらしない顔を見てかっかっと笑った。


「こんな無駄に気が強くて、空腹の熊よりなお凶暴な娘相手に鼻の下を伸ばすなんて、見る目が無いのうお前達は」


「性格は確かにあれですが、いいじゃないですか、超美人なんだもの。美人は正義です」


「そうですよ、中身は確かに残念ですが、美人ならある程度許される。まあ嫁には絶対貰いたくないですがね」


「そういうことは本人がいない時に言え、馬鹿共。そんなだからいつになっても嫁が貰えんのだ」

 未だ独り身である二人から漏れる、呻き声。馬鹿正直な上、思ったことをぽんぽん口にしてしまう性格である為、惚れた女を怒らせ、振られ、恋愛連敗街道をどんどん突き進んでいる二人にとってはなかなかぐさりと突き刺さる言葉であった。


「早く身を固めろよ。お前達の内どちらかはそこの八田兵衛爺が死んだ後、雪鬼達を束ねる長になるのだから。この爺さんだってもうそう長くはなかろう」


「阿呆抜かせ。俺はまだまだぴんぴんしておるわ、当分死にゃあしない。俺より先にきっとお前さんの方が逝くだろうよ」


「抜かせ、私は後百年は生きるつもりだ」


「人がそこまで生きられるものか。仮に百年生きたとしても、俺より先に逝くという運命は変わらんさ」


「どうかな? 人生というのはどうなるか分からんからな。力を持たないチビガキだった私が、今こうして村一番の巫女として貴方と一緒に酒を飲んでいるんだ。何が起きても不思議ではない。もしかしたら貴方は明日散る運命なのかもしれぬ」


「それを言うなら、お前さんだってそうじゃないか」


「二人共、死ぬとか死なないとか縁起でもないこと話さないでよ。折角の『儀式』が駄目になってしまいそうで、嫌だわ」

 治平の盃に酒を注いでいたいよが抗議すると二人は苦笑いして「すまんすまん」と謝る。

 雪鬼達が村人と酒を飲んだり一緒に遊んだりすることは、この村にとって大事な儀式である。雪鬼達が笑い、騒ぎ、そして雪に覆われた土地を踏む度その場に不思議な力が流れ込む。その力は、自然がもたらす災いを軽減し、より良い眠りの冬、暖かな春、育ちの夏、実りの秋を村に与えるのだ。絶大、とまではいかないがそれなりの効果があることは、雪鬼の力を感じ取ることが出来る桜には分かっている。彼女は彼等は鬼というより、むしろ神や精霊に近い存在ではないだろうかと思っているが本人達が「そんな大層なものではない」と否定している。


 自分達が雪鬼達と共に遊ぶことにどんな意味があるのか、そんなことは知らない子供達は絶えず声をあげて遊んでいる。雪の夜、これだけ雪鬼達と遊んでも殆ど風邪をひくことはないから不思議だ。むしろより体が丈夫になるような気さえし、それもまた雪鬼達の力のお陰なのかもしれないと桜は思う。雪鬼が村のやんちゃ坊主達を次々と投げ飛ばしている。少年達は「今度こそ!」とか「まだまだいける!」とか「負けるものか!」と言いながら投げ飛ばされても投げ飛ばされても、諦めず向かっていく。雪鬼は人間よりも力が強い。彼等を投げ飛ばしているのは八田兵衛曰く産まれて三年程の少女(随分遠くにいるのに、よく判別出来るなと桜は感心した)だそうだが、がっちりとした体格の十二歳の少年さえ彼女には歯が立たない。しかも本気は出していないそうだ。一人の情けない少年が「手加減してくれよ!」と懇願するも、少女に「これ以上手加減なんて出来ないよ」と言われ、これで手加減していたのかよと衝撃を受ける。別の少年は「流石化け物、俺達とは違うなあ!」と感心し、化け物なんて言い方やめてよねと自分達を散々投げ飛ばしている少女がぷくっと頬を膨らませて抗議され。信太は雪うさぎの真似をしてぴょんぴょん跳ねながら、他の子供達と競争している。桜は信太がもうすっかり彼等と馴染んでいる様子を見てほっとする。


「懐かしいなあ、私もああやって小さい頃雪鬼と遊んだっけ。特におけいとは仲が良くて……昔はうんと弱虫だったのに、今は随分とたくましくなっちゃって、旦那も子供もいて。ああ、おけいと久しぶりにお話したいなあ」


「ならば行ってくるがいいさ、多分どこかの家で飲んでいるだろう」


「え、いいの?」


「構わんさ。別に私はいよがいなくても平気だからな」


「まあ、酷い! ふんだ、ふんだ!」

 などと言いつつも、いよは久々に友人とお喋りする為社を後にした。すぐ戻る、などとは言っていたが恐らく朝まで戻ってくることはないだろうと桜と八田兵衛は言った。実際彼女は朝、雪鬼達が山へ帰るまでずっと帰ってこなかった。

 いよのように、特別仲の良い雪鬼がいる村人は多い。そして彼等は毎年雪鬼が来る度様々な思い出を作るのだった。だが、桜にはそのような思い出が無い。桜は一度もまともに雪鬼と遊んだことなどなかった。


――へん、この出来損ないの女は仲間になんていれなくていいんだよ。そうだろう、皆。まさかこいつを仲間に入れろなんて言わないよな?――

 理由の大半は弥作のせいだった。桜は本当は雪鬼達と遊びたかった。だが仲間に加わろうとすると弥作が酷いことを言って仲間外れにしようとするのだ。弥作に便乗して他の非情な子供達も桜を除け者にし、他の気弱な者達は弥作に何かされるのが怖かったから、桜を仲間に入れようとはしなかったし、弥作のろくでもない言葉に対しても頷くことしか出来なかった。いよもまた、そんな弱い人間の一人だった。そして最初は桜のことを気にかけていても、しばらくすると雪鬼と遊ぶことに夢中になって桜のことなどまるで考えなくなった。


――そんな酷いこと言うなよ。お前も一緒に遊ぼうよ、おいら達とさ――

 雪鬼達は心優しく、桜に手を差し伸べてくれた。弥作も雪鬼達に本気で抗議など出来ないから、その手を掴めばきっと一応は遊べたことだろう。しかし村人達の冷たい仕打ちに負けまいと、強気で意地っ張りな性格になっていた桜は決して「うん」とは頷かず、別に遊ばなくても良いと言ってその手を突っぱねた。遊びたいと思ったからこそ、外へ出たというのに。心と言動を一致させることがどうしても出来なかった。それを見て弥作達は「酷い女」とか「人の親切を無下にするなんて最低だな」とか言うのだ。雪鬼達は毎回懲りずに声をかけてくれたけれど、桜が頷くことはついになかった。子供の輪に混ざることも出来ず、同じく大人の輪に混ざることも出来ず。八田兵衛と酒を飲む親達も、桜を社に近づけさせようとしなかった。何の力も受け継がずに産まれた娘を恥と考えているからだ。一方、それなりに大きな力を持って産まれた妹は自慢の娘とし、大切にした。だから桜は雪が降り、雪鬼が来た日も一人涙をこらえながら寂しく冷たい時間を過ごすしかなかった。

 世界から色が消え、白の世界に放られてからは雪積もる中遊ぼうなどと考えなくなった。むしろ雪鬼と子供達が遊ぶ声が聞こえる度、白い雪積もる世界を思い描き、嫌だ嫌だと震えるようになった。

 何も良い思い出など無い。雪の中に、白の世界の中には何も無い。これからもきっと、何も白の世界は良いものなどもたらしはしないだろう。


(あの頃、私は仲間外れにされていた。人間扱いされていなかった。そして、それは……)

 それは、今も同じことだ。人以下の扱いを受けていた過去、そして常人とは違う異形――神や物の怪と同じ――の存在として扱われている現在。人々は雪鬼と親しくなりながらも、決して彼等が物の怪であり自分達とは違う存在であることを忘れはしない。必ず線を引き、それを超えないようにしている。自分達に利益をもたらす存在でも、自分達は持ちえぬ力を持った、違う道を歩み違う世界を生きる者であることに変わりはない。境界をはっきりさせることは重要なのだ。それを破れば、歩まねばならぬ道を踏み外すことになる。彼等は雪鬼に親しみを覚えつつも畏れた。畏れつつも、愛した。子供達はまだ大人達程その境界をはっきりさせてはいないが、大きくなるにつれより明確な線を引くようになるだろう。雪鬼達もまた同じように線を引き、そうすることで己の世界を守り、相手の世界を守るのだ。

 村人達が桜に向ける眼差しは、雪鬼達に向けるそれと同じものだった。桜は今なお村人達の引いた線の内側にいない。産まれた時から、ずっと外側、向こう側だ。人とは違う者。同じに扱ってはいけない者。


 雪鬼達と遊ぶ村人達。嗚呼、雪鬼を見る目と私を見る目は変わらない。昔も今も、私はあれ以外の目を知らない。自分と違う者を見る目、線の向こう側にいる者を見る目……。桜の意識は過去へと遡っていく。雪の中、雪鬼達と遊ぶことが出来なかったことや、雪鬼の差し伸べた手をとらなかったこと、嫌だ嫌だと目を瞑りながら震えていたことを思い出す。そしてその記憶が白い闇の中一人生きていた苦しみを呼び覚ます。


(あの頃から私は少しも変わっていない。変わったようで変わっていない……)

 そのようなことを考えてから我に返り、何を馬鹿なことを考えているのだと頭を振る。


(変わっていないわけではない。あの時の私と、今の私は違う。……誰にも必要とされなかったあの時とは、違うのだ。私は村人達が持たぬこの力を使って、皆を守り続けるのだ。只人でないから、何だ。只人ではないからこそ、出来ることがあるのだ。くそ、雪は嫌いだ。いつも雪は私に嫌なことを考えさせる……)

 普段は考えないこと、或いは考えないようにしていることを雪は、白という色は浮かび上がらせる。そして桜の心を痛ませるのだった。子供達が雪鬼と遊んでいる様子は本当に楽しそうで、こちらまで温かい気持ちになってくる。だがその一方で、積もる雪が嫌なことを思い出させ、桜を白い闇へと堕とそうとする。

 八田兵衛は静かに彼女を、そして多くの村人達が考えようともしない桜の気持ちを、彼女の内にある大きな傷を見つめている。


「……雪は嫌だ。雪は、沁みる。いつになっても沁みる……」

 消えぬ傷に、雪が沁みる。一度沁みると、どうにもならない。酒もそれを忘れさせる薬になりはしない。

 そんな彼女の頭を、八田兵衛はぽんぽんと軽く叩き、それから何も言わず優しく撫でるのだった。


「何をするのだ……まるで子供をあやす親みたいじゃあないか。私は子供じゃないぞ」


「俺からすれば、子供だよ。ずっとずっと、子供だよ」


 村人から、両親から拒絶され、いつも一人だった娘。八田兵衛は幼い頃から彼女のことを気にかけていた。両親達にさりげなく少しは桜のことも考えてやったらどうだと言ったが、彼等は聞く耳持たず、あまりの薄情っぷりに何度張り飛ばしてやろうと思ったことか。しかし人間側の事情に、自分達物の怪があまりずかずかと奥まで足を踏み入れるわけにはいかない。だからそれ以上は何も出来なかった。八田兵衛に出来ることは、ただ見守ることだけ。そして、いつか彼女が人として扱われ、村の一員として認められることを祈るだけだった。

 そして今彼女は大きな力を得、幾つもの集落を怪異から守る巫女となった。村人から敬われ、大切な存在として扱われている。村人達の見事な手の平返しっぷりに正直八田兵衛は呆れつつも、これでようやく彼女は孤独な日々から解放されるだろうと胸を撫で下ろした。

 だが、と八田兵衛は桜の頭を撫でながら思う。彼女は今も孤独なのではないだろうか、と。


(この娘の隣には誰もいない。あのいよという娘さえ、全てを理解しているわけではない。彼女が巫女を見る目もまた、村人達のそれに近いものだ。強すぎる力が、彼女から人々を遠ざけているのだ。昔よりはずっと彼女は幸せだろう。昔に比べれば……だが)

 元々異形の者として産まれた自分に、そして孤独というものを、何も無い白の世界を知らぬ自分には桜の全てを理解することは出来ない。彼女の心の奥底にあるものを、八田兵衛には感じ取れない。それを感じ取ることが出来るのは、同じ苦しみを味わったことがある者だけだろう。


(苦しいだろう、辛いだろう。きっとこれから先もずっと彼女は孤独に戦い続け、簡単に手のひらを返すような者達を、彼女の孤独や苦しみを考えもしないような者達を助け続けるだろう。この巫女は弱き者を守り、助けることを誇りに思っている)

 村人達を恨む気持ちがないわけではないだろう。あれだけの仕打ちを受けながら、少しも恨まぬ方がおかしい。だがその気持ちに彼女は流されない。弱き者の為に己の力を振るうという道をただ只管真っ直ぐ進み続けている。


 そのままであって欲しい。恨みや憎しみや怒りという負の感情に負け、道を踏み外さないで欲しい。

 八田兵衛は彼女と同じく雪――白色を嫌い、憎む者を知っている。そして強大な力を持っているという点も一緒だった。だが桜と違い、その力を自分の欲望を満たす為だけに使っている。そして、白い雪を嫌うがゆえに、その雪から産まれた物の怪である雪鬼まで嫌い、時に手酷いことをするのだ。桜にはそんな風になってもらいたくないと八田兵衛は思う。


 真っ直ぐであれ。例え苦しくても、道を外してはいけない。

 いつか――近い内に彼女に言ってやろう。それは呪いの言葉になるかもしれないが、それでも八田兵衛は彼女にそういつか言ってやるのだと思いながら彼女の頭から手を離した。それから苦笑した。


(今すぐ言えば良いのにな。何を偉そうに、と言われたらどうしようなどと……全く、俺はそんな弱気になるような男ではないのだがな)

 今日のお前はなんだか変だぞ、と言いながら桜が八田兵衛の盃に酒を注ぐ。八田兵衛は気のせいだと笑いながらその酒をぐいっと飲むのだった。

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