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桜町幻想奇譚  作者: 里芽
雪が沁みる
298/360

第五十八夜:雪が沁みる(1)

 

 昔、桜村では雪が積もっている時に誰かが死んだ時は、その人を葬った後に村人総出で雪遊びをし、夜が明けるまで騒ぐという風習があったという。どういう経緯でそのような風習が出来たのか、という話は残されていない。



『雪が沁みる』


「おのれ糞狐! 絶対に、絶対に許さんぞ!」

 桜村及び周辺の集落を守る巫女(と術師)の一族の住まう社に、巫女の悔しさ滲む声と、怒りの地団太の音が響き渡った。銀の月浴びた清水の如き髪振り乱し、白雪の頬は桜の花に染み、唇は赤く燃え、熊どころか鬼さえびびって逃げる程の形相。祭壇の前まで来た巫女――桜は神木より作られた相棒と言っても過言ではない弓を床に叩きつけるように置き、どかっという乱暴な音をたてつつ座った。片膝をたて、そこに右腕を置いて座るその姿は猛々しく、男らしい。しかし容貌と容姿は誰よりも女性らしく、花も恥じらう乙女、天女様。もっとも、怒り狂っている今の彼女を見て「鬼!」と叫ぶ者はあっても「天女様!」と叫ぶ者は誰もいないだろうが。

 この状態の桜にまともに話しかけられるのは、彼女の世話役であり友人であるいよ位のものだ。彼女は糞狐――化け狐の出雲に対し、聞くもおぞましいような言葉を吐き続ける桜を見てため息をつく。


「……全く、神に仕える神聖な巫女様には到底見えないわね」

 桜はいよの方を睨み、うるさいと口を尖らせる。


「これが言わずにいられるか。あの狐め、逃げ足は無駄に速いし、危険を察知する能力も腹が立つ程高いのだ! 今日も後一歩のところで逃げられた……嗚呼悔しい、悔しい、悔しすぎて死んでしまいそうだ! 早くあの糞狐をとっ捕まえて、痛めつけてやりたい! そして奴がお願いします、助けてくださいと命乞いする様を見てやりたい……!」


「それで、命乞いされたら助けちゃうわけ?」


「まさか。地べたに這い、涙と鼻水で顔をぐちゃぐちゃにし、許しを乞うその姿を見て散々笑ってから殺してくれるわ」


「……出雲も相当だけれど、貴方もなかなかの性格しているわ」

 不敵な笑みを浮かべ、冗談とは思えぬトーンで語る桜にただただいよは呆れるしかない。全く巫女とは到底思えぬ凶暴っぷり。その発言の過激さは日に日に増しているようにも思える。

 そうなるのも無理はないかもしれないといよは思う。この村や、周辺集落、桜山に住む人々や妖を殺し、傷つけ、騙し、裏切り、堕とし続ける化け狐は頭が良く、自分の力を過信しない。相手と自分の力の差もちゃんと理解している。理解しているからこそ、桜と対峙することを徹底的に避けるのだろう。まともにやり合えばどうなるか分からない、少なくとも彼はそう思っているようだ。だから桜の気配をほんの微かでも感じ取ると彼は逃げ出す。逃げるは恥などと彼は思わない、逃げずに死ぬことの方が余程恥ずかしいことだと彼は思っているに違いなかった。出雲が本気を出して逃げると、桜でさえ行方を追うことが出来ない。今日も後少しというところで気づかれ、逃げられた様子。


 桜が現れたことで、彼が桜村へやって来て悪さをすることは多少少なくなったが、その分他の集落で悪さをするようになった。騒ぎを聞きつけ、術を用いつつ早足で駆けつければ、桜が来たことに気づいた出雲は姿をけし、今度は桜不在の桜村を襲う。彼はとことん桜と出会わぬよう努めた。その自分をとことん馬鹿にしたような態度や、いつになっても退治することが出来ぬことに対する苛立ちは、彼女の出雲に対する恨みや憎しみ、怒りを膨らませる。膨らんだそれを解消するには出雲を仕留めるより他無いが、それが出来ないから気持ちは膨らむばかり。


「あの狐がいなくなれば、この辺りも少しは平和になるでしょうに……」

 人に悪さをする妖は出雲だけではないが、彼程頻繁に、そして積極的に悪さをする者はそうは居ない。村人達の身に何かが起きたり、村に何かしらの異変が生じたりした時は八、九割出雲が何らかの形で関わっている。何かあったら大抵出雲の仕業なのである。もうこの辺りではそういうことになっている。

 桜は歯ぎしりし、拳に入れる力を強める。


「何としてでも、仕留める。この私がだ。……私が生きている内にやらねば、いけないのだ。万が一生きている間に出来なかった時は、怨霊となってあいつにとり憑き、息絶えるまでその命吸い続けてくれるわ。この私が倒さなければいけない……この先私以上の力を持った巫女がこの村に産まれることもないだろうからな。それに、時が経てば経つ程あ奴等は力をつける。早いところ決着をつけねば、ますます手がつけられなくなってしまう……嗚呼、本当悔しい。次こそは必ずや八つ裂きにし、狐汁にしてくれるわ。狐汁など、不味そうで仕方が無いが……ふん」

 不敵な笑みを浮かべる巫女の目は完全に悪者のそれだった。この姿を見て神に仕え、力持たぬ弱き人々の為に命を賭して日々戦う者であると信じる者など果たしているだろうか、いや、いない。


「おおい、役立たずの巫女! また今日も狐を仕留められなかったんだってなあ!」

 社の外から大変品の無い声が聞こえ、いよは頭を抱えた。桜の内で膨らむ気持ちをますます膨らませる馬鹿――馬鹿村長の馬鹿息子、弥作がやって来たのだ。彼の訪れは彼女に何一つ良いものをもたらしはしない。いや、桜に限らず彼が誰かに良いものをもたらすことなど全くといっていい程無かった。


(今日は出雲に逃げられた桜に嫌味を言いに来たのね……全く、桜があんたを殺さないように制するの、大変なんだから……こっちの苦労も理解しろってのよ)

 求婚しに来るか、セクハラ発言を連発するか、嫌味を言うか、嫌がらせをするか――ろくでもない四つの選択肢の内一つを選んでは、こうして頻繁に社を訪れる。その度桜は弥作をこてんぱんにのして追い返すのだが、時々怒りと苛立ちのあまり本気で殺しにかかりそうになる。それをどうにかして止めるのは全く骨が折れる。

 さっと桜が立ち上がる。彼女は先程までと変わらぬ、邪悪なオーラ放つ笑みを浮かべており大変楽しそうであった。


「ふん、丁度良い時に鬱憤晴らしをするには最高の獲物がやって来おったわ。これも神の思し召し、だな。さて、私にあの馬鹿を寄こしてくださった神に感謝しつつ、ぼこぼこにしてやろう」

 ぼきぼきと両手を鳴らしながら桜は社を出ていく。全く本当にこれが巫女様だなんて、信じられないわと呆れるしかないいよも、彼女の後を追った。直後、わざわざぼこぼこにされに来た弥作の悲鳴が村中に響き渡った。

 彼はいつもと変わりなく、桜にこてんぱんにされ、目に涙を浮かべつつバリエーションの欠片もない捨て台詞を吐いて去っていった。

 社の前で仁王立ちする桜がふん、とその情けない姿を見て鼻で笑う。それからはっと何かに気づいた表情を浮かべたものだから、一体どうしたのだといよが問えば「そうだ、今日はあの馬鹿を縄で縛って肥溜めに落としてやろうと思っていたのだった。すっかりそうするのを忘れてしまっていた、口惜しい」と本気で悔しそうに言う。


「……桜、貴方あんまり痛めつけてばっかりだと、いつかあいつから手痛いしっぺ返しを喰らうかもしれないわよ?」


「この私が、あいつから? まさか。本当にそんなこと、あいつに出来ると思う?」


「……ううん」

 何となく口に出してみたけれど、よくよく考えてみれば弥作に桜をどうこうするだけの力も頭脳も無かった。彼に桜をぎゃふんと言わせることなど到底不可能だ。きっとこれからも彼は馬鹿ゆえに突っ込み、馬鹿ゆえにぼこぼこにされ、馬鹿ゆえに同じことを繰り返すのだろう。

 しかし、そんな馬鹿でも村長の息子。下手に逆らったり手を上げれば、息子を溺愛している馬鹿村長に何をされるか分からない。それゆえ村の者は誰も、村長にも弥作にも逆らえないでいた。彼に刃向っても無事でいられるのは、桜位のものである。この辺りで桜程怖く、強い人間はいないのだ。熊さえびびって逃げるという娘に、どうして狸親父と馬鹿息子が敵うだろう。また異様に歪んだ力をもつが故、多くの怪異を呼び寄せるとされるこの地において、巫女や術師というのは非常に重要な存在である。彼女達がいるから、それなりに平和にやっていけているのだ。特に桜はその中でも飛び抜けた力を持った者。そんな彼女に下手な制裁を加えたところで、村にとって(というかそこの長である自分にとって)良いことはあまりない。


(どうせ、また来るのでしょうね。本当、懲りないもの。……まあ、同情はしないわ。あれだけのことを毎回桜にされるだけのことはしてきているんですもの。全く、出雲のように恐れを知る者も厄介なら弥作のように恐れを知らない馬鹿っていうのも厄介な存在よね)

 

「すっきりしたような、していないような。嗚呼、あいつに触れたお陰ですっかり身が穢れてしまった。後ですっかり流してしまわないと。……あ、やっぱり気分が余計に悪くなってきた。おのれ……あの男『お前を殺めねばこの村に災いが降りかかるというお告げがあった』と大嘘を吐いてさっさと始末してやろうか?」


「……お願いだから、やめて頂戴ね」


「当たり前だ。神に仕える者が、神の言葉を騙るような真似をして良いはずがない」


「それ以前の問題の気もするんだけれど……」


「やるなら、もっと別の理由にせねばならぬな。さて、どうしてくれよう」


(嗚呼、神様。本当にこの人は巫女様なのでしょうか……あんな悪人面して、もう!)

 機嫌の悪い桜は、いつも以上に性質が悪いから困ったものだ。凶暴っぷりに拍車がかかり、言葉遣いは荒れに荒れ、出雲に負けず劣らずの極悪人の如き状態になるのだ。

 この時点でも大層機嫌は悪かったが、ある出来事によりその機嫌はますます悪くなることになった。

 

 それは、夕方近くのことだ。突如村に現れ、老若男女問わず襲いかかり村を悲鳴で満たした、露出狂変態阿呆妖怪集団を一人残らずこてんぱんにした(おぞましいものを見た上、無駄に数が多く手こずった為余計機嫌が悪くなった)帰り、ひらり、ふわり、天女の如く花びらの如く何かが空から舞い降りるものがあり、思わず右手を差し伸べてみれば、白い手に白い袖にはらりとかかるは白い花びら――雪の花。灰の空から降るその花の冷たいこと、冷たいこと。

 手や袖の上に落ちた雪はあっという間に解けて消えた。桜は手の平の上で解けて水となった雪を見、それから舌打ちをすると、ぎゅっとその手を握りしめた。握り潰し、跡形もなく消し去ってしまいたいという思いがその強く握った拳から溢れている。不機嫌な瞳に、憎悪の炎が宿る。


 白い、白い、綺麗な雪。穢れなき白。白い、白い、白い……白い世界、温もりも喜びも愛も居場所も無い世界、一つの色も無い……。

 一人泣き叫ぶ少女。その涙を拭ってくれる者など、自分以外に誰もいない。寂しさと悔しさと苦しみに震える体を抱きしめてくれる者も誰もいない。誰も彼も自分に笑いかけてはくれない。言葉や視線という名の凶器を無慈悲に突き刺すだけだ。

 人として産まれながら、人として生きることを許されなかった。人が霊的な力を持たずして産まれることは本来なら、普通のことであるのに。少女――桜の一族は多かれ少なかれ霊的な力を持って産まれる。だが、彼女はそれを全く持たずして産まれた。彼女の家にとって、異常こそが普通であった。桜は普通にして異常な存在だった。それが彼女に悲劇をもたらしたのだ。


 温もりも喜びも愛も無い世界。ぐるり見渡しても、色は無い。世界は白く、白く、どこまでも白く……。


――ねえ、いつになれば雪は降りやむの。ずっとずっと、雪が降っている。降りやまないよ、雪……――

 桜は地面を思いっきり踏みつける。そうして過去の忌々しいだけの記憶を、胸の内をうずまく醜い感情を潰して残さず消し去ろうとした。しかしそんなことをしたところで、どうして深い傷を重い感情を消し去ることが出来るだろうか。嗚呼、雪が降る降る、止まらない。雪が、雪が沁みる。心に沁みる、痛い、痛い、吐きそうになる位、痛い、痛い、でもこの痛みを取り除いてくれる人はいない。ここには、いない。


(おのれ、忌々しい! だから冬は嫌いなのだ)

 どったどったという、年頃の娘が出しているとは到底思えぬ足音を鳴らしながら桜は社へと帰った。いよが彼女の不機嫌っぷりを見て困ったように笑いながら「お疲れ様」と声をかける。桜はただうん、と頷いただけだった。桜が雪というか、白という色を好かないことは大抵の者が知っているが、何故嫌いなのかと理由を問われれば、殆どの者が答えられないだろう。彼女をそうさせたのは、かつての自分達であるというのに。

 桜が雪をはじめとした白いものを見る時に浮かべる表情、それを見る度いよは胸が痛む。いよは桜の気持ちを全て理解しているわけではない。彼女の苦しみや憎悪の全てを理解出来るのはきっと、同じ苦しみを味わった者だけだろう。


(何も分からないわけじゃない。少なくとも私は、私達が桜にどれだけの仕打ちをしたか知っている。……

そしてそれはある意味、今も続いていることだ。力が無くても、有っても、彼女は決して人間扱いされない。……私も今じゃ、桜を普通の人間として見ることが出来ない。見ることが出来ていた時だって、私は彼女に手を差し伸べやしなかった。あの時、勇気を振り絞って手を差し伸べていれば、桜だってこんな風に雪を憎むことが無かったかもしれないのに。だから、私も他の村人と同罪だ。今も昔も、私は桜の救いにはなれないのだ)

 そう思うと胸が苦しい。だが、その気持ちをいよが桜に伝えることは無かった。そんなことを言ったからといって、彼女は決して救われまい。私は本当は貴方のことを、助けたいと思っていたのよ、でも助けられなかったの、ごめんなさい。私、貴方の苦しみを思うと辛くて辛くて仕方ないのよ……そんな言葉のどこに救いがある?

 しかしそれでも、いよはまだ桜のことを考えているだけましであるかもしれなかった。村人の多くは、自分達がかつて彼女にどのような仕打ちをしたのか、まるで覚えていないのだ。どれだけの苦しみを与えたのか、考えやしない。考えないから、平気で手のひらを返せるのだ。最初から彼女を慕っていたかのように接し、そして救いを求める。桜は自分に差し伸べられた手を必ず掴む。それを、村人達は当たり前のように思っている。巫女である桜が自分達を助けるのは当然のことだと。いよは時々思う。真に恐ろしく、醜いのは出雲のようなモノノケではなく、自分達人間の方ではないかと。


 雪は止むことなく降り続け、あっという間に桜村を真白の世界へと変えた。雪降り積もる庭に背を向け、あぐらをかいている桜の顔はずっとむすっとしている。凍てつく寒さに口から洩れる吐息の白さえ、彼女には忌々しく映るらしい。桜町となった今は気候等の変化により、あまり雪も降らなくなったが、桜のいた時代はほぼ毎年雪が降っていた。だから冬から春になるまでの間、彼女の機嫌はずっと悪い。冬の桜は椿色――そのようなことを最初に言ったのは、果たして誰だろうか。


「積もってきたわねえ……まだ降っているし。どこもかしこも真っ白」


「ああ、そうだな。炭でもぶちまけて黒く染めてやりたい位にな。ついでにこの衣も黒くしてやろうか」

 雪景色には目もくれず、怒ったような声で言う。こんなに綺麗なのに、黒く染めるなんて勿体無いわとは口が裂けても言えない。きっと、この白を美しいと思えるのは自分が幸せな人生を送ってきたという証なのだろうとも思う。


「これだけ降るとなると……来るんじゃない、彼等」


「ああ。もうすでにこちらへ向かって来ているよ。もうじき、村へ来るだろう。何となくだが、感じる」


「私には全然分からないけれど」


「この私だからこそ分かるのだ。いよに分かるものか」

 わざと嫌味っぽく言う桜に、まあ酷いわねと頬を膨らませて抗議すれば桜はははは、と笑う。その笑顔を見て、ほんの少しだけいよは安心した。

 そして村人達が眠りにつこうとした頃『彼等』はやって来た。

 雪に誘われ、うるさくも愉快な者達が。

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