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桜町幻想奇譚  作者: 里芽
鳥食おうや鳥を
297/360

番外編18:鳥食おうや鳥を

『鳥食おうや鳥を』


「十月はなんだい、かぼちゃ強化月間か何かなのかい」

 というようなことを言ったら、ここ『桜~SAKURA~』で働いている弥助に怪訝な顔をされた。出雲の座っているカウンター……その端の方に置いてあるのは橙色のかぼちゃの置物で、小さな魔女の帽子を被っており三角形の黒い目と鼻、それからでこぼこした形の口らしきものが描かれている。そういった置物や人形を十月になるとよく見かける。菊乃がまだ綺麗な女性だった頃は見かけなかったが、ここ最近になってからぽつぽつと見るようになり、そしてそれを見る度なんだろうと首を傾げる。かぼちゃの置物やランプ等にとどまらず、他にもコウモリや魔女の絵が描かれたものもよく目にした。そしてそういう絵には大抵意味の分からない文字が書かれているのだ。英語、というものらしい。何度か紗久羅達からその英語なるものを聞かされたが、何を言っているのかさっぱり分からない。意味も分からない。正体不明の呪文のように聞こえ、これならばまだ真言とかそういうものの方がまだ理解出来るような気さえする。

 兎に角、この時期はかぼちゃ、かぼちゃ、かぼちゃ尽くしなのだ。舞花市もそうなるし、たまに気まぐれに訪れる三つ葉市など桜町や舞花市とは比べ物にならない位のかぼちゃ尽くしっぷりである。


(十月はかぼちゃを敬い、かぼちゃを沢山食べましょうということなのか? だがそうなるとコウモリと魔女の意味が)

 出雲の視線に気づいた弥助は「ああ……」と合点がいった様子。


「かぼちゃ強化月間とかじゃねえっすよ、何だよそれ。十月にはなハロウィンってのがあるんだよ」


「はろいん?」

 これまた呪文のような響きの言葉である。しかし初めて聞いたかといえば、そうではない。恐らく何度も説明を聞いているのだろう。だが、聞いてすぐ忘れるのだ。興味が沸かないことはすぐ忘れるのが出雲である。

 弥助は出雲の注文したケーキを(やや乱暴に)置きつつ、南瓜の置物を指差した。


「元は海外の行事だったんだが、割合最近になってから日本でもやるようになってきたんだ。色々な店でちょっとしたイベントとかやったりするしな」


「行事? そのはろいんというのはひな祭りとか運動会とかそういうものと同じようなものなのか」


「そうだなあ……ハロウィンってのは」

 と弥助がハロウィンについてより詳しく説明しようとしたところで、出雲がそれ以上はいいと手で制す。聞いておいてなんだよ、と弥助はむっとした顔だ。出雲と話などしたくはないが、聞かれた以上は答えてやろうと無駄な親切心で説明しようとしていたのに。


「お前なんぞに色々教えてもらう位なら、無知であった方がましだよ。別にはろいんなどというものを知らなくても困りはしないしね」


「じゃあ最初から聞くな、ボケ!」


「聞いた? ふん、いつ私がお前なんぞに聞いた? 私の独り言にお前が勝手に反応しただけじゃないか」

 少なくとも出雲の中ではそういうことになっていた。弥助がぎゃあぎゃあ喚く耳障りで不愉快なことこの上ない声を適当に聞き流しつつ、紅茶を一口。マスターである秋太郎が淹れる紅茶や珈琲はとても美味しい。なんだか妙にほっとする味なのだ。勿論飲み物以外のメニューもなかなかいける。この馬鹿狸がいなかったら最高なのだが。


(うるさい狸だ、折角のお茶が不味くなってしまう。火で焼いてしまおうか。いや、こいつの焼けた臭いというのは酷く臭そうだし、この店が穢れてしまう)

 出雲は弥助を徹底的に無視し、お茶とケーキを楽しんだ後客の注文を聞いた帰りの弥助のすねを蹴り飛ばしてから喫茶店を後にした。彼の「てめえ今度会った時は覚えていやがれ」という言葉など耳に届いてすらいない。

 しかし出雲は弥助の話を聞かなかったことを後悔することになる。


 それは十月最後の土曜日のこと。温もりがなみなみと注がれた水色の空、涼やかな白い雲、地上を埋め尽くすのは怪しさを湛えた橙。ここは舞花市、桜町のお隣さんだ。今この街はかぼちゃ一色、どこを見てもかぼちゃ、かぼちゃ、かぼちゃである。ここにいると世界はかぼちゃで作られているのではないかと思える程だった。この様子に出雲は面くらい、そしておかしいなあと首傾げ。


(何か去年以上にすごいことになっているんだけれど……いつもここまで派手ではなかったような)

 明らかに去年までとは様子が違う。三つ葉市や桜町が可愛く思える程である。

 かぼちゃの置物、かぼちゃのランプ、壁や戸に貼られている紙やビニール等で出来ている飾り……。目鼻口を与えられた西洋的な雰囲気を持つかぼちゃがどこと見てもにっこり笑っているのだ。その笑みは滑稽なような、不気味なような。他にも魔女やこうもりなどのイラストもあちこちで見かける。

 他にも魔女やお化けのイラスト、橙や紫といった怪しげな色をした飾りもあったし、様々なお化けの衣装に身を包んだ子供達がきゃっきゃと言いながら駆けていくのを度々見かけた。いや、見かけたのは子供ばかりではない。紗久羅達とそう変わらない位の人もいたし、もう成人しているらしい人もいる。手作り、或いはどこかで買った魔女や吸血鬼、狼男等の姿をしている愛らしい乙女達が談笑。中には男もいたが、野郎の仮装になど一ミリも興味がなかったから視界にも入らない。


(紗久羅や柚季がああいう衣装を着た姿を見てみたいもんだ。さくらは着ぐるみ辺りの方が面白そうだなあ)

 魔女の衣装に身を包んだ紗久羅と柚季、狸の着ぐるみを着てぽんぽこぽんと言っているさくらの姿を想像したらおかしくなって、つい声をあげて笑ってしまう。今度そういうものを買って嫌がらせに送りつけてやろうかとさえ思う。

 趣ある建物、古き日本の姿、その面影を残している街を闊歩する異国のお化け達、どう見ても日本的なものではない飾り、至る場所に書かれている謎の呪文――その奇妙なちぐはぐ感が異質さを生みだし、この街を異界へと変えている。


 実に奇妙でへんてこで、だが興味深い。和菓子屋で菓子を買ったらすぐに帰るつもりだったが、いつの間にかかぼちゃの国と化した舞花市を散策していた。この奇妙な雰囲気に流されて、気配を隠すこともなく、仮装していないのにある意味仮装しているように見えるその姿をこの世に晒す。

 そうしたのが間違いだったのだ。


 行き交う人々の中には、お菓子を沢山入れたバスケットを手にしている者がいた。若い女もいれば中年の男性もおり、仮装している者もいればしていない者もいる。彼等に共通している部分といえば、かぼちゃとこうもりの描かれた、紫色の腕章もしくは同じ絵が描かれたワッペンをつけているというところ。またその絵が描かれたポスターを貼ってある店、もしくは民家もちらほらと見かける。何かの目印なのかもしれないが詳しいことは分からない。


 どこもかしこもかぼちゃだらけでお祭り騒ぎといった雰囲気であったが、市内にある大きな公園なんかは一際派手で大変な盛り上がりっぷりだ。仮装をした人間達がうじゃうじゃいて写真撮影に応じたり、今日初対面らしき別の仮装グループと仲良くしていたりする。あちこちにはテントが張られており、お菓子やらかぼちゃ料理、ちょっとしたおもちゃなどを売っていた。かぼちゃの煮物、かぼちゃの天ぷら、パンプキンパイ、かぼちゃクッキー――視覚どころか味覚やら嗅覚やらにもかぼちゃが自分の存在を訴えているのだった。公園内に設置されている街灯の下にもかぼちゃが飾られているし、まるで提灯のようにかぼちゃのランプが吊るされているエリアもある。


(秋の大かぼちゃ祭りってところだねえ……異国風収穫祭ってところなのかな……かぼちゃ限定の収穫祭って感じだけれど)

 楽しいことは嫌いじゃないから、こういうのも悪くないとは思う。だが一体どうして彼等がここまでかぼちゃや仮装にこだわっているのかよく分からないから、気持ち悪さも感じる。あの時弥助に聞いておけばよかった、という考えが一瞬よぎるがあいつに聞く位なら知らないままでいた方がましだと首を振る。

 一体なんだろうなあ、と考えながら歩いていた出雲は道端に何か落ちているのを見つけた。拾って見るとそれは腕章で、お菓子の入ったかごを持っている人がつけているものであった。どうやら歩いている内にとれてしまったが、何か別のことに気を取られていた為かそのことに気づかぬままこの場を去ってしまったようである。


「これをつけている人、ちょくちょく見かけたな。特にこの公園内で……しかしこれ、何て読むんだ本当」

 腕章には、かぼちゃやお化けの絵が描かれているものによく書かれている文字があったが異国の言葉であるからさっぱり読めない。誰かに教えてもらわない限り、どれだけ奮闘したって読めるわけがなく。まあいいや、捨ててしまおうと手放そうとしたまさにその時。


「あ、あそこにいるお兄ちゃん腕章持っている!」


「本当だあ!」

 すぐ近くを歩いていた男の子四人人と女の子三人のグループが出雲に気がつき、とことこと駆けてきた。

 見たところ上は小学四年前後下は幼稚園児か小一かといったところだ。皆仲良く仮装しており(ただマントを羽織ったり、耳をつけたりしているだけの子もいれば、ばっちり仮装している子もいる)、手にはスーパーやコンビニの袋を持っていた。中には飴玉やチョコレートなどのちょっとしたお菓子がたんまりと入っているようである。

 彼等は出雲の前で立ち止まり、あまりの眩しさに目を覆いたくなる位きらきらと輝く瞳を向け、頬を喜びと期待に赤く染めにこにこしている。出雲は訳が分からず半歩後ろへ下がる。


「――――ッ!」

 そしてせえの、という合図と共に可愛らしい声で何か叫んだ。だが出雲には何と言っているのか全く聞き取れず「はあ?」と思わず聞き返す。

 子供達はもう一度声を揃えて先程と同じことを言ったが、ちんぷんかんぷん、さっぱり分からない。子供達は何度も何度も、出雲が自分達の期待している行動をとるまで延々とそう言い続ける。可愛いには可愛いが、何を言っているか分からないし甲高くてきんきんする声だからうるさくてかなわない。しかも色々言いながら思いっきり出雲にしがみつき、着物をぐいぐい引っ張るものだからたまったものじゃない。

 幾度となく聞く内、段々と出雲の脳内である言葉が形成されていく。


「鳥食おうや鳥を?」

 思わず自分の中で出来上がった言葉を口にすると、子供達の動きがぴたっと止まる。その顔に書かれているのは「何言っているんだこいつ」という文字。出雲としても絶対に正解ではないだろうなとは思ったが、どう頑張ってもそんな風にしか聞こえないのだから仕方がない。

 やがて出雲の真正面にいた、恐らく最年長だろう狼男の格好をした少年が呆れたような表情を浮かべ、腰に両手をおいてやれやれ。その仕草に出雲はイラっとした。人を馬鹿にするのは大好きだが、馬鹿にされるのは大嫌いな性質なのだ。


「そんなこと言っていないじゃん。おじさんそいつを持っているくせにハロウィン知らないの?」


「お、おじ!?」

 この外見でまさかおじさん扱いされるとは思っていなかった出雲は腹をたてる以前に衝撃を受けた。少年は自分が出雲のことをおじさん呼ばわりしたことを何にもおかしいとは思っていない様子。


「鳥なんて少なくとも今日は食べないよ、クリスマスじゃないもん。俺達はトリックオアトリートって言ったんだよ。分かる、おじさん? ト・リッ・ク・オ・ア・ト・リイ・ト! そいつにも書いてあるじゃんか」

 と少年が指差したのは出雲が持っている腕章。彼が非常にゆっくり一字一字丁寧に言ってくれたお陰でようやく出雲はワッペンに書かれていた謎の呪文は「トリックオアトリート」と読むのだということを理解した。そして言われてみれば、以前そんなような単語を聞いた覚えがあった。紗久羅か菊野か、多分その辺り。しかし意味は全くもって分からなかった。


「はろいんの時はいつもそうやって言うのかい、鳥食おうや鳥をって」


「だからトリックオアトリートだよ!」


「トリックオアトリート!」


「トリックオアトリート!」

 すかさず入る舌っ足らずなツッコミ。そんなこと分かっているよ、と幼い子供達のもつ圧倒的なパワーに押され、顔しかめつつ。分かっているのにどうして間違えるの、と狼男と同い年位の魔女の格好が愛らしい少女が詰め寄る。それに続くように幼稚園児だか小学生だかよく分からない年頃の少年と少女による怒涛の何で何でコール。どうして子供というのは何かとこう何で何でと聞いて来るのだろう、とうんざりしてしまう。


「面倒だからだよ、発音が難しいんだよ発音が」


「そんなに難しいかなあ?」


「おじちゃん、生粋の日本人ってやつなの? だから英語分かんないの?」


「何でそんな言葉を知っているんだ……? というか意味分かって使っている?」

 小学二年位の、吸血鬼らしき格好をしている少年はその質問には答えなかった。どうやらあんまり意味は分かっていないらしい。


「でも変なの、その腕章持っているのにトリックオアトリートも知らないなんて!」


「これは拾ったんだよ、だから私のものじゃあない」

 それを聞いた途端、明らかに子供達はがっかりした様子を見せた。貰えるはずのものが貰えない、そのことに落胆しているような。もしかして子供達が袋の中にたっぷり入れているお菓子は、腕章をつけている人間から貰ったものなのか、と出雲はようやくそのことに気がついた。そして子供達は自分からもお菓子が貰えると思った。冗談じゃない、どうでもいい、しかも自分のことをおじさん呼ばわりするような子供達に誰がお菓子などやるものか、と心の中で悪態を吐く。


「そもそも私は今日ここで何が行われているのか、知らないんだ。はろいんとかいうのがどういうものなのかもね」

 直後「ええ~!?」という驚きの声があがる。語尾が無駄に伸びたそれは、どう聞いても自分を馬鹿にしているようにしか思えず、またイラっと。いっそのこと『向こう側の世界』へ連れて行き、置き去りにして帰ってやろうかとさえ思ったが、祭りの空気と子供達の得体の知れないパワーによってどうにか思いとどまる。その後狼男の少年に「やれやれ、仕方がないから教えてやろう」というような態度をとられた為、再び「このガキだけは本当に向こう側の世界に連れて行って置き去りにしてやろうか」などと考えてしまった。


「ハロウィンっていうのはお化けの格好をして、沢山の家を回って、お菓子を貰う行事なんだよ。その時にね、トリックオアトリートって言うんだ。お菓子をくれなきゃ悪戯しちゃうぞって意味なんだよ!」


「お菓子をくれたら悪戯はしないのかい?」

 子供達がそりゃあそうだろう、という風に頷いた。


「お菓子をぶんどった上で悪戯もするって方が面白そうだけれどねえ……」


「おじちゃん、ごくあくにんー」

 猫耳をつけた、恐らくこのグループの中では最年少であろう少女がそう言うと、他の皆も口々に「ごくあくにん、ごくあくにん!」と言いだす。その響きが妙に気に入ったのか、段々声が大きくなりまるで歌うように、しつこい程言われ、出雲は本当に一人一人死ぬより辛い目に遭わせてやろうかと考えた。


(本当に子供ってのはどうしてこううるさいんだろう! ああ嫌だ、嫌だ。子供は嫌いだ!)

 兎に角さっさと逃げるとしようか、そう思った出雲の手をあの狼男少年が掴んだ。


「そうだ、おじちゃんハロウィンのことあんまり知らないんだろう? だったら俺達と一緒に回ろうよ!」


「はあ!?」

 そうだ、それがいいそれがいいと口々に言いだす子供達、出雲は目をぱちくりさせるしかない。


「おじちゃんに身をもって教えてやるんだ!」


「いつもは大人が先生だけれど、今日は私達が先生!」


「せんせい!」


「先生!」


「何を意味の分からないことを……」

 少年の手を振り払おうとしたが、存外力が強く上手くいかない。子供というのは得体の知れない、大人などまるで歯がたたないとてつもない力を秘めている。その圧倒的な力というのは腕力や知恵などではどうにか出来るものではない。そういう得体の知れない、対処しようのない力を持っている子供というのが出雲は苦手だった。

 子供達は出雲の意思などまるで無視。狼男の少年と魔女の少女に両手を引っ張られ、他の子供に周りを囲まれ、お菓子集めの旅に強制連行。がっつり手を繋がれ、囲まれ、彼等にとってなんとなく目に映っている景色の一部ではなくなっている状態では気配を消して逃げることも難しかった。


 おばけがくるぞ おばけがくるぞ こわくてかわいいおばけがくるぞ

 おかしをおくれ おかしをおくれ あまくておいしいおかしをおくれ

 まほうのことば きかせてあげる おかしをあつめるまほうのことば

 トリックオアトリート トリックオアトリート!


 大人には出せない子供特有の甲高い声で、高らかに歌いながら(音程は滅茶苦茶で余計頭が痛くなってくる)出雲を引っ張り、腕章をつけている人から次々とお菓子を貰っていく。バスケットに入っているクッキーや飴玉を渡しながら大人達(中には高校生位の子もいた)はちらちらと出雲を見、くすくすと笑う。子供に手を引っ張られ、時々つんのめりながら歩く大人の姿は大変滑稽であるし、また、微笑ましくもある。人間に「いやあ、和むなあ」といった風な目で見られることなど滅多にないから、出雲は恥ずかしくなるやら、腹立たしくなるやら。しかも子供達はいちいち「今俺達、このおじちゃんの先生やっているの」とか「このおじちゃんハロウィンのこと全然知らないんだよ!」と言って、出雲の無知っぷりを触れ回るのだからたまったものではない。成人したかどうか位の女性に「え、今時ハロウィン知らないなんてありえない!」などと言われたこともあった。うっかり思ったことをそのまま口にしてしまったのだろう。すぐに彼女は謝罪の言葉を述べたが、出雲を見る目はまるで珍しいものでも見るかのようなものだったし、心の中で出雲のことを馬鹿にしていることもばればれであった。


(こんな小娘に馬鹿にされるなんて!)

 人間に馬鹿にされることも、人間が原因で酷く恥ずかしい思いをしたり、屈辱感を味わったりすることも滅多に無いことであった。子供に好かれる優しいお兄さんとか、子供に振り回されている情けないお兄さんだとか思われることだってまず無い。子供達の面倒を見ているご褒美、と飴玉一個渡された時なんて穴があったら入りたいと思い、涙が出そうになった。子供達は大変楽しそうで、しかもどんどん馴れ馴れしくなっていく。自分のこと、学校のことなどをにこにこしながら喋っているが出雲からすればどうでもいいことだった。しかし無視すると「ねえ聞いてる、聞いてる!?」とか「ねえおじちゃん何か言ってよ!」とか言って大変うるさい。


「あれ、出雲じゃん」

 何より一番きつかったのは、その姿を紗久羅に見られたことである。彼女に声をかけられた時は血の気が引いた。彼女との邂逅が出雲にこれ程の絶望を与えたことなど今までにあっただろうか、いや、無い。 声のした方を恐る恐る見れば、紗久羅は柚季と一緒であった。しかも二人共仮装をしている。紗久羅は白いブラウスにオレンジ色のベスト、濃い茶のかぼちゃパンツにオレンジと白の縞模様のニーハイといった出で立ちで、隣に立っている柚季はとんがり帽子を被り、膝丈スカートのゴスロリドレスで身を包んでいた。二人共大変可愛らしかったが、今の出雲にはその姿をネタに彼女達を弄ることさえ出来なかった。


「どうしたんだよ、そのガキ共」


「ガキ共じゃないやい、先生だい!」


「このおじちゃんがハロウィンのこと全然知らないから教えてあげているんだよ」

 両手が塞がってさえいなければ、今頃出雲は頭を抱えていただろう。それを聞いて紗久羅がにやにやしている。柚季はこんな状態の出雲さえ怖いのか、棒立ち状態だ。


「へえ、それはそれは。良かったなあ出雲、チビガキ先生達に教えてもらって。しかしまさかお前が『舞花市大ハロウィン祭り』に足を運ぶとはね! この祭りってさ、今年が初めての開催なんだ。ま、一種の町おこしってやつだな。街中色々なイベントが行われていて、ポスターとかが貼ってある店とか家とかに行けばお菓子が貰える。もっとも、中学生以上の人間は公園内でしかお菓子を貰えないけれどね。初めての割りには結構盛り上がっているし、来年もやればもっと人が来るかもなあ。普段はしないような格好をして、色んな仮装を見て、南瓜料理沢山食って、いやあ楽しい楽しい。お前の情けない姿も見られたしな! それじゃあな、出雲。先生の言うこと、ちゃんと聞くんだぞ!」

 と言って彼女はケラケラ笑いながら柚季と共にさっさとどこかへ行ってしまった。この子供達の面倒を押しつける間もなく。


「あ……」

 子供達はほら、行こう行こうと出雲を引っ張る。彼等はとうとう公園を出、色々な店や民家を巡りだす。疲れを知らない子供達はそこら中歩き回り、恥を振りまく。公園を出る前に合流した、狼男の少年の父親は呑気ににこにこ笑っている。こちらが相当迷惑していることに気がついていないらしい。


(これあれだ、市中引き回しだ……殺せ、もういっそ殺せ……)

 最早抵抗する力もなくなり、魂は抜けて頭は真っ白。対して子供達は元気、元気。


 おばけがくるぞ おばけがくるぞ こわくてかわいいおばけがくるぞ

 おかしをおくれ おかしをおくれ あまくておいしいおかしをおくれ

 まほうのことば きかせてあげる おかしをあつめるまほうのことば

 トリックオアトリート トリックオアトリート!


 結局出雲は夕方になり、子供達が帰る時間になるまで解放して貰えず。


「今日は楽しかった!」


「おじちゃんありがとう!」


「これでハロウィンのこと分かったでしょう!」

 とにこにこしながら彼等は別れ際に言った。皆出雲との別れを名残惜しいと思っている様子だったが、出雲はこれっぽっちも名残惜しさなど感じない。共に長い時間を過ごしたからって絆が生まれるとは限らないのだ。

 この日から出雲にとってハロウィンは『悪魔の日』となった。もし来年以降のこの日、子供達にトリックオアトリートと言われ、お菓子をせびられたら彼はこう答えるだろう。


「お菓子はやる、だからさっさと消えてしまえ、悪魔共め!」

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