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桜町幻想奇譚  作者: 里芽
遷都バレンタインデー
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遷都バレンタインデー(11)


 十二人の子供達が、仲良く声を揃えて歌っているのはどうやら恋の歌であるらしい。美しい女の容姿を讃え、そんな貴方と永久に共にいたいと願う男の歌。しかし子供達は意味など理解していないようで、よく耳にする内に覚えた歌をただ歌っているだけのことであるようだ。奈都貴も陽菜も同じように小さい頃、意味も分からぬまま、大人の恋愛を歌った歌などを仲良く口ずさんだものだ。きっと彼等もいつかは自分達のように歌の意味に気づくのだろう。その頃にはきっと自分達は彼等の傍にいないだろうけれど、と思ったら少しだけ切なくなる。まあ、この京がしつこくずっとここに居座り続けていれば話は別だが、それはそれで大変辛いので出来ればやめていただきたい。

 皆手を繋いで、足並み揃えてとても楽しそうに歌っている。今は意味不明な言語の歌を歌っていて、宇宙人と交信しているようにしか見えない。そして宇宙人との交信を終えた後は、奈都貴が教えたアルファベットの歌を歌いだした。が、途中から段々ぐだぐだになっていく。皆うろ覚えだから順番が違ったり、存在しないものを言いだしたりしているのだ。


「あれっ、Lの前がMじゃなかった?」


「え、違うよ藤吉。Mは最後だよ」


「違うわよ、L、M、エンよ」


「エンなんてあったっけ?」


「全部似ているからすぐ分からなくなっちゃうよ」


「海老死に、良い絵富士、ええ血合い自営蹴る笑む得ぬ……うん、LMNだよ、小筆が合っているんだよ。ね、そうだよね先生」

 ああうん、そうだよと言いつつ心の中ではなんちゅう覚え方しているんだとツッコミを入れる。語呂合わせするにしてももう少し意味を持たせろよ、と思ってしまうがそれで覚えたというのなら無理に矯正することもあるまい。子供達はややこしいなあ、と口々に言って頬をかく。


「私もその辺り、いつも混乱していたっけ。それで昔はよくごまかして歌っていたわ」

 そっか、先生も俺達と同じなんだったんだねえと子供達は随分嬉しそうだ。

 子供達はいつもにも増して元気で、とてもやかましい。しかしそのやかましさもあまり不快に思わないから不思議だ。通りかかった店から聞こえる、酒を飲んだ妖達の笑い声や喋る声はただただうるさいだけだったというのに。


(本当、朝っぱらから……こいつらは元気だなあ)

 奈都貴は子供達のはしゃぎっぷりに苦笑い。青く澄んだ空も雲を流して笑っているように見えた。休日の場合いつもこの時間は眠っているのだが、待ちきれなかった子供達に叩き起こされ二人して大きなあくびをし、寝ぼけ眼をこすりながら出かける準備をした。子供達はちっとも眠くない様子で、そんな彼等のパワーによってこちらの眠気も今はすっかり吹き飛んでしまった。

 散歩コースの決定権は子供達に委ね、二人は彼等が行きたい道を共に歩いた。


 でんしんばしら でんでんでん

 すすむぞ すすむぞ でんでんでん

 あしおときこえる でんでんでん

 ぼくらがすすめば でんでんでん

 むこうもすすむぞ でんでんでん

 でんしんばしらの こうしんだ


「ねえこれ、僕達が作った歌なんだよ。僕達が歩くとね、電信柱も一緒になって歩いているように見えるって小筆が言ったの。確かに寝、言われてみればね、そうだと思ったの。あ、でんでんでんっていうのを考えたのはね、はななんだよ」

 伊織と手を繋いで歩いていた六歳位のおさげの少女は、恥ずかしそうに俯いてもじもじ。


「でんでんでんもいいけれど、俺はどんがんどんがしゃんの方が良かったのに」


「どんがんどんがしゃんって、それじゃあ何かをぶっ壊している音じゃないか……」

 やんちゃ坊主の清太は、可愛らしい響きよりもちょっと物騒な響きの方が好きらしい。彼も色々歌を作ったらしく、それを胸を張りながら披露してくれた。うんこだの倒すとか爆弾とかジジイ、ババアとか、まあいかにもやんちゃわんぱく坊主が使いそうな言葉がいっぱいだ、と奈都貴と陽菜は顔を見合わせ、苦笑い。

 小筆はそんな歌、少しも綺麗じゃないと不機嫌そう。綺麗なものが好きな彼女からしたら、清太の歌は聞くに堪えないものなのだろう。すると清太が「別に綺麗じゃなくてもいいもんね!」とあかんべえ、清太が小筆にちょっかいを出しているのが気に喰わないらしい伊織は、むすっとしながら「あたしは清太の歌の方が好きよ。小筆はブサイクだから、綺麗なものに憧れるのよ」などと言う。すると清太が伊織を「小筆はブサイクなんかじゃないぞ」と言わんばかりに睨みつけ、それから小筆の方を見て「やあいやあい、ブサイク、ブサイク!」と囃したてる。こらこらそんなことを言っちゃ駄目よと陽菜、全く男の子が好きな子をいじめるというのは人も妖も同じなんだな、と奈都貴は呆れ。


 子供達と共に東へ向かいながら歌を歌う。空は青く、雲は少なく金色の太陽が煌めいている。風も今日はあまり吹いておらず、絶好のお散歩日和である。明るい歌声が空に溶け、より世界を温かくしていた。陽菜はにこにこ笑いながら新しい童謡を教え、奈都貴は替え歌を作らせ歌わせた。原型を全く留めていないものを作る子もいれば、元の歌詞を上手いこともじったものを作った子もいた。


 歌を歌うことに飽きると、今度はしりとりを始めた。奈都貴や陽菜も参加した。彼等は時々こちらが知らない単語を言ってくることがあり、その度それはどういうものだと聞けば子供達は得意げに答えるのだ。きっと自分達が先生になったような気持ちでいるのだろう。そして逆に彼等の知らない単語をこちらが使い『先生』としてそれは何であるか説明するのだ。


「えくぼ! 奈都貴先生、次は『ぼ』だよ」


「ぼ……それじゃあ『ボール』にしようか。次は平助だな」


「る、る? ええと、る、る……えと、えと」

 なかなかぱっと思い浮かばないらしい。周りの子供達が「後十秒の間に答えないと、平助の負けだよ」といい、カウントダウンを始める。そのカウントダウンで更にテンパったのか、ううと唸る平助は残り一秒(実際は後五秒位はあったろうが)といったところで口を開いた。


「ルシュチラポンカ!」


「……何だそれ」


「そんなもの、知らないよう。何そのルシュなんとかって」

 平助以外の子供達が困惑する。誰もそのルシュチラポンカを知らないらしい。


「ちょ……ちょっと前までいたところに住んでいる生き物だよ! カブトムシに似ているんだ。角は枝みたいになっていて、ものすごく小さな実をそこにつけるんだ。その実は珍味で、すごく高いんだぞ」

 平助必死の説明も、皆首を傾げるばかり。皆から視線を逸らし、ぴゅうぴゅう口笛吹いている平助を清太が睨んだ。


「そんな生き物、本当はいないんじゃないか? 負けたくないからって嘘を吐いたんだろう」


「つ、ついていないよ? ま、まあ珍しい奴だから皆が知らなくても当然かな!」

 というようなことが、このしりとり大会の間に何度もあった。はてさて、怪しい説明の内真実は何割だったのやら。

 道中子供達は奈都貴から教わったものを見つけては「あれは何々だよね」とか「何々するものだよね」と聞いてくる。そうだよ、と答えれば彼等はやったちゃんと覚えていたぞと大喜び。まだ教わってはいなかったものについても色々と聞いてきた。相変わらず勉強熱心だ。紗久羅に彼等の爪の垢を煎じて飲ましてやりたいとさえ思った。紗久羅はテストが近くなると柚季と二人で勉強会をするようになったのだが、その時の紗久羅といえばまるでやる気を見せず、テスト爆発しないかなとか訳の分からないことを呟いては、柚季に「無駄口叩いている暇があったら、頭とペンを動かしなさい」と叱られる始末であるとか。

 道路を塞ぐようにして建っていた店を突っ切り、その建物と隣の建物の隙間を通ってきた子供達と合流し、また一緒に仲良く歩きだす。


「おう、坊主達今日は『先生』とお出かけか?」


「うん、課外授業なの! 今日もね、色々なこと教えてもらったよ!」


「陽菜先生から、新しい歌を教わったよ!」


「色んな空の名前を、奈都貴先生に教えてもらったんだよ!」


「そりゃあ良かったな。課外授業、楽しんで来いよ。変わり者の先生達は頑張れよ、このチビガキ共の面倒見るのは大変だろうけれど!」

 京の人々は揃って子供達に優しく温かな眼差しを向け、楽しんでこいよとか気をつけなよとか、そんな言葉をかける。誰もいつか訪れるだろう『別れ』のことは口にしない。お別れするまで、沢山思い出を作るんだぞなんて、そんなことは言わない。子供達はそうして声をかけられる度、うん、うんと頷くのだった。その笑顔が曇るのは、いつのことになるだろう。いずれ訪れる未来、その映像を振り払うように奈都貴は子供達に気づかれぬよう小さく首を横に振った。


(……そんなこと、今は考えないようにしておこう。あいつらに暗い顔、見せるわけにはいかないからな……今は、まだ)

 奈都貴のそんな思いも知らず、実に奔放、自由奔放に動く子供達は二人を振り回す。清太と、彼と同じくわんぱく坊主な五郎が、京をうろついていた獅子にちょっかいを出した為に子供達は執拗に追い掛け回され(奈都貴と陽菜も、彼等とはぐれるわけにはいかない為、必然的に一緒に走ることになってしまった)、いつの間にかいなくなっていた小筆やろくろ首の長介を探し回り(小筆はこちらの世界にある本屋、長介はすばしっこい虫を追いかけていた)、盛大にすっころんで大泣きした泣き虫美緒を泣き止ませようとあの手この手を使い、突然「鬼ごっこしようぜ、先生達が鬼ね!」と言いだし逃げ出した悪ガキ達を追い掛け回し、伊織と彼女と同じ位やんちゃ娘な小菊の取っ組み合いの喧嘩を止め。溢れる程のパワーを持っている子供達を、直接手を触れることなくどうにかするのは非常に骨の折れることで、ようやっと子供達が課外授業の場に設定した場所――桜町の東の外れ――に着いた頃には、二人共へとへとになっていた。しかし課外授業はむしろこれからが本番である。


 東の外れにあるのは桜香川(おうかがわ)河川敷。隣町から流れるその川は春になると、桜の花に染められ、桜山同様最高の花見スポットとなる。この川にも沢山の妖が住んでいたらしく、かつては桜香川ではなく『おうま川』という名前であったと桜村奇譚集に書かれている。鉄製のアーチ状の橋を渡ると、隣町へと至る。ここは桜町とお隣さんとの境界なのだ。

 そこに重なるのは、自然公園だった。池に広場に庭園、植物園に竹林、森などがある大きな公園で大部分は隣町の方にあるようだ。子供達はよくここに来ては遊んでいるらしい。木々に覆われた道や広場が川の上に浮いている。そちらへ向かってわあっと一斉に駆け出した子供達は、まるで空中散歩しているように見えた。その異様な風景を見ながら奈都貴は頬をかく。


「……俺達はとてもじゃないが、いけないな」


「試してみる?」


「阿呆言うな。そんなことしたら転がり落ちて大惨事だ」

 

「あら、もしかしたら行けるかもしれないわよ。奈都貴、試してみてよ」


「何で俺が試さなくちゃいけないんだ! やるなら自分でやれ、自分で!」

 にこにこ笑いながらの無茶振りにただただツッコミを入れるしかない。二人はどんどん進んでいく子供達を追う為、近くにあった橋を渡り向こう岸へと行く。橋を覆う冬の陽照る木々を薙ぎ倒す勢いで車がぶうん、ぶうんと走る。その様子を奈都貴達と共に歩いている藤吉郎や、彼の肩にちょこんと乗っている小平太が目を輝かせながら見ている。彼等は車や工場、ロボットが好きであるらしい。幾ら産まれてそう経ってないとはいえ、車などもう今までに何度も見ているはずなのに少しも飽きる様子がなく、いつも初めて見るような目で走る車を追うのだ。昨日両親が外へ出た隙に幼い頃買ってもらった、沢山の乗り物が登場するビデオを再生したら大層喜ばれた。他の子供達にも好評で、またこういうビデオを見たいと皆口を揃えて言った。二人は「子供向けのビデオを借りるのはなかなか勇気がいることだ」と思いつつも、彼等に新しいビデオを今度必ず見せると約束した。


 橋を渡った先にあるアスレチック広場では、早速子供達が遊んでいた。奈都貴達と一緒に橋を渡った藤吉郎達もそれに合流する。奈都貴と陽菜はその様子を温かく見守った。隣町の方を見ながら二人仲良く並んでにこにこしている様が、通行人には仲睦まじいカップルに見えたらしい。犬の散歩をしていた老夫婦が、可愛らしいカップルねとにこにこ。双子とはいえ二卵性である彼等は、紗久羅等一部の人間に「笑った時の雰囲気は若干似ている気がする」と言われはするものの、基本的にはあまり似ていない。しかしそれでもカップルに間違われたことは今までない。あの二人、俺達が双子だって知ったら驚くだろうなあと言ってあははと笑う。

 子供達は各々やりたいことをやっている。課外授業とはいうけれど、別にわざわざ外へ来て皆でお勉強をするというわけではない。課外授業より、遠足の方が近いかもしれない。奈都貴と陽菜は町中を歩きながら自然公園の中を巡る。公園内には様々な鳥や虫、小動物がおり、大半が得体の知れぬ謎の生物であった。ありふれたものとありふれたものを足しても、ありふれたものになるとは限らない。背に蜻蛉(とんぼの翅をを生やし、兎の耳がついたカワウソも竹とんぼを頭につけた茄子の牛も、小さなころころ丸い達磨にしか見えない卵(?)を葉に産みつける頭に鹿の角生やしたガマガエルも、ありふれたものでは決してない。こんな見るだけで気が触れそうな生き物達がありふれたもののはずがない。


 奈都貴が、木にぶら下がっていたトカゲの尻尾と大きく尖った耳を持つ猿を見「なんじゃこいつ」と呟けば、すぐ近くにいた子が名前を教えてくれた。


「へえ、そうなのか。ありがとうな」


「先生、あっちにいるのはブタバナネコっていうんだよ!」


「あれはクロバネハクチョウ!」


「あ、あれはクチバフクロウ! ほら、何か枯れた葉っぱを体中につけているみたいでしょう? だからクチバフクロウっていうの!」


「馬鹿、それは今俺が言おうとしていたのに! とった、とった、酷いや!」


「さっきしりとりしていた時に先生が見ていたの、あれはゲラゲラバトっていうの! ゲラゲラって笑うみたいに鳴いていたでしょう!」


「あのね、ムゲンケンっていう犬をね、僕ね、飼っているんだよ」


「私とっても動物に詳しいの! 近くに住んでいるヘタレもやしっていう……あれ、本当の名前なんだったっけ? ヨロヘイ? ヘボイ? あれ? まあいいや、その人から沢山教えてもらっているから!」


「あ、先生ほら目の前をチョウチンマメクジラが」


「お前達一度に喋るな、一度に! 俺は聖徳太子じゃないんだぞ!」

 自分も褒められたい、先生に色々な生き物を教えたいと思ったらしい子供達が一斉に、そして矢継ぎ早にああだこうだいうものだから、奈都貴の耳は大爆発。たまらずやめろと言ったら、今度は「しょーとくたいせい? 小さな特待生? ところで特待生ってどういう意味?」「馬鹿、しょーとくたいせいじゃなくて、相当臭いだよ!」「そんなわけないじゃないの、しょーとくたいしよ、しょーとくたいし。あんた達耳悪すぎ。ところでしょーとくたいしって何?」「先生、何々しょーとくたいしって何!?」とこれまた大騒ぎ。

 奈都貴は聖徳太子という人物が昔この世界にいたことを教えてやり、そこからプチ歴史の授業が始まった。子供達はそんな人いたんだ、とかそいつ滅茶苦茶強いな格好良いとか、そんな感想を漏らしながら夢中になって聞いていた。授業、といっても十分位のものだったが。


「先生、これはユキバナソウっていうのよ。今日はそんなに寒くないから淡い色だけれど、うんと寒い日はとても鮮やかな色になるのよ」

 一方の陽菜は、花冠を作る女の子達の様子を見ていた。その材料となっているユキバナソウは冬、あらゆる所に咲く、シロツメクサに似た植物であった。花の色は青色で、寒くなればなる程その色はより濃く、鮮やかになるという。今は青というより水色に近い。渡遷京の天気や気温は、遷都した土地のそれと全く同じなのだ。今日は比較的暖かいから、淡い色。雪が降る日はどれだけ綺麗な色になるだろう、と想像するのは面白かった。陽菜は上手く花冠が作れない子供に、コツを教えてやった。幼い頃は陽菜もよくシロツメクサで冠を作ってよく頭に載せたものだ。そのことを懐かしんでいたら、小筆に「先生は小さい頃、どんな子だったの?」と尋ねられ、陽菜はにこにこ笑いながら思い出話を次々と聞かせた。最初は自分のことについて話していたのに、気づけば「何でそんなこと話したんだよ、馬鹿!」と言われるような――おねしょのこととか、先生のことを「お母さん!」と呼んでしまったこととか、プールに調子に乗って飛び込んだ時思いっきり腹打ちしたこととか、そんな奈都貴の恥ずかしいエピソード暴露大会となっていた。


 奈都貴や陽菜は色々なグループを順番に回っては、遊びに加わったり、振り回されたり、新しいことを教えたりした。それはとても楽しいことだったが、一方で大変なことでもあった。


「ああ、上手い上手い。本当の猿みたいだ。でも気をつけろよ、こら、あまり調子に乗っていると落ち……うわあっと!? ほら馬鹿、言わんこっちゃない……あのなあ、俺は何かあっても助けることが出来ないんだから、注意しろよ? とか言っている間に! 木登りするなとは言わない、言わないからもっと慎重に……ああ! 大丈夫か、しっかりしろ! は、平気? 本当妖って丈夫だな……普通そんな所から落ちたら無傷なんかじゃ済まないっての」


「三黒君、あのね、その、スカートの下は覗いちゃ駄目よ? うん、そうやってね、腹這いになってね、見上げるの、駄目よ」


「あ、こら清太! お前なんてことを……人にうんこをつけるな、うんこを!」


「ほらほら、喧嘩は駄目よ。仲直り、ね、仲直りしましょう? え、向こうでも喧嘩? 嗚呼、どうしましょう! 奈都貴、分身の術とか使える? そうよね、使えるわけないわよね……」


「こらあ、そっちは昼立ち入り禁止って書いてあるだろうが! つうか何で夜は立ち入りOKで昼は駄目なんだ? いや、それはともかく、駄目、引き返せ! こらあ! あ、それ以上進むな! そっちには民家が、くっそ、追いかけられない! 者共出会え出会え! あの悪ガキ共を捕まえろ!」


「ああ、皆そんな一斉に喋らないで! 順番、順番! 私聖徳太子じゃないんだから……え、何で皆そんなに笑っているの?」

 まあほんの少しだって穏やかな時間なんて過ごせやしない。それが悪いことであるとは言わないけれど。

 全く、家の中で暴れ回っている時も大概だったが、こうして外に出るとますますそのやんちゃっぷりに拍車がかかる。更に奈都貴達と遊べる、という喜びがその元気度を底上げするのだから、恐ろしい。


「全く、あの小さい体のどこにあれだけの元気があるんだ……」


「でも小さい頃って私達もあんな感じだったかも。朝から夜までずうっと外で遊んでいても、平気だったもの。今全く同じことが出来るかって聞かれたら……」


「だなあ。……ところでお前、さっき小筆達に俺の小さい頃の恥ずかしいエピソードを話しまくったそうだな?」


「あははははは」


「笑ってごまかすな!」

 全員集まってケイドロや氷鬼もやった。ちゃんと触ることは出来ないが、奈都貴や陽菜も参加する。視界から消えた子供達が建物や塀をすり抜け、飛び出し、また消えていく様は見ようによっては無気味であった。子供ゆえ余計に増すホラー感。ぴょこぴょこ現れては消え、現れては消えを繰り返す子供達を奈都貴や陽菜は必死になって追った。どじっ子陽菜は必死になればなるほどよくこける。しかしなかなか良い性格をした娘で、転んだ陽菜を心配し近寄ってきた子供をにっこり笑いながら捕まえたりなんかして。清太などの悪がき軍団は明らかに捕まっても「ギリ大丈夫だった」とか「俺触られる瞬間ちょっとだけ『てれぽおと』したから捕まっていない」とか屁理屈ばかり言う。他にも手押し相撲大会や水切り大会(これらばかりは奈都貴達は参加出来なかったが)なんかもやって。そんなことをやっている場所は、子供達にとっては自然公園だが、奈都貴達にとっては町中である。渡遷京の様子などまるで見えない人達からしてみれば、奈都貴と陽菜は延々と不審行動をとっているかなり危ない人物である。二人共それを承知していて、顔から火が出る程恥ずかしい思いをうんとしたが「変なものが見えたり聞こえたりしている人が多い」という話を殆どの住人は聞いているだろうから、きっと「ああ、あの人達には何かが見えたり聞こえたりしているんだな」と解釈してくれるだろう。せめて、せめてそうあって欲しい。

 短いスパンで次々と色々な遊びをして、気づけば時刻は十三時近くになった。


 忙しないながらも幸福に満ち足りた時間を終わらせたのは、近くで遊んでいた藤吉郎のうわああんという泣き声だった。藤吉郎は大泣きしながら駆けてきて、奈都貴の胸へと飛び込む。だがその体はすり抜け、誰にも受け止められなかった小さな体は、地面に吸い寄せられるかのように倒れた。彼は地面に突っ伏したまま、泣いている。転んだ痛みと、深い悲しみと戸惑いが彼を泣かせているようだった。陽菜は「大丈夫?」と声をかけるが、その小さな体を起こしてやることは出来ない。結局近くにいた君江というしっかり者の少女が彼の体を起こし、膝や顔についた土を優しく払ってくれた。

 奈都貴と陽菜はどうしたのだ、と藤吉郎に問うが彼はひたすら泣くだけで答えやしない。短気な清太と伊織に怒鳴られ、彼の泣く声はますます大きくなるばかり。


「どうしたんだ、本当に。泣いていたら分からないぞ。誰かにいじめられたのか? 怪我でもしたのか?」

 二人が優しくすればする程藤吉郎はぴいぴいと泣く。もう何が何だか分からず、こっちが泣きたい位だと思い始めた頃になって、ようやく藤吉郎は口を開いた。


「……せ、ん、せんせい、せん……せんせい!」


「ん、どうしたんだ?」

 藤吉郎は自分の目の前に膝立ちしている奈都貴をじいっと見つめる。その目から大粒の涙が溢れては零れ、また溢れては零れを繰り返している。奈都貴は彼の顔に触れ、それを拭おうとするが矢張り無駄なことで、彼の目から零れる滴がその顔から拭われることは決してない。

 彼の顔は、不安や恐怖、絶望で満ちていた。それを見た時奈都貴と陽菜は嫌な予感がした。


「ねえ、ねえ、先生。先生は……先生はいなく、な、ならないよね。おいら達、お別れなんてしないよね。ずっと、ずっと一緒だよね」

 自分の体に満ちている者を、大きな声に変えて奈都貴達へとぶつける。そしてその瞬間、近くにいた子供達が一斉にはっとしたような表情を浮かべた。まるで温かな夢を見せる優しい魔法が解けたかのようだった。魔法が解けたのは、彼等だけではない。奈都貴と陽菜も彼等と遊ぶことに夢中になる内、同じものにかかっていた。それが解け、悲しい現実が姿を再び見せる。


「この公園に住んでいる、いっ、意地悪梟が言ったの……いつかは、別れることになるって。今までだってそうだったじゃあないかって……京はいつか、別の場所へ移る、そうしたら、そうしたら……もう先生達とはお別れになるんだよって。一度別れたら、つ、次はいつ出会えるか分からないって、もしかしたら一生会えないかもって……た、楽しい思いをすればするほど、後が辛くなるよざまあみろって……! そんなこと、ないよね。意地悪梟は意地悪だから、すぐ嘘を吐くんだ。だから、嘘、嘘、だよね? 先生とはずっと一緒に、い、いられるよね!?」

 そうだよ、ずっと一緒だよ――そんな言葉が返ってきますように、と藤吉郎は祈っているようだった。嘘だと信じたい、そう思っているようだった。周りにいる子供達も同じだった。優しい魔法によって、今まで考えもしていなかった、『現実』に直面し、彼等の心は揺れていた。遷都を知らぬわけではない。渡遷京というのが一体どんな京であるか知らぬわけではない。だが、知っていながら彼等は今まで考えてもいなかったのだ。いずれ京は次の土地へと移る。そしてそれはすなわちこの土地との別れであり、深沢兄妹との別れを意味することであるということを。別れなど、今まで彼等は考えたことが無かったのだ。恐らく別れを思う程の出会いなど今まで一度も経験したことがなかったから。


「先生……」


「先生、別れなくちゃいけないの?」


「嘘だよね、そんなことないよね?」

 本当は意地悪梟とやらの言葉が嘘ではないこと位分かっているはずなのに、それでも彼等は「そんなの嘘さ」という言葉を望んでいた。

 二人は迷った。本当のことを教えるべきか、それとも子供達を安心させる為に一時しのぎの魔法を再びかけるか。どうするか悩んだ末に、奈都貴は藤吉郎の目を見て静かに答えた。


「それは、分からない」

 なんて答えだ、自分でもそう思った。子供達は皆その答えに困惑している様子だった。


「先生でも、分からない?」


「うん、分からない。……どっちか、分からない」

 藤吉郎は奈都貴の顔をじっと見つめ、ごくりと唾を呑みそれから神に祈るかのように合わさっている両手を見、また奈都貴を見、そして泣いているような、笑っているような何とも言えぬ切ない表情を浮かべた。


「そ、そっか、分からないんだ。先生でも、分からないんだ。そっか……じゃあ、お別れなんてしないかもしれないんだよね。意地悪梟がおいらをいじめる為にいい加減なことを言っただけかもしれないんだよね」

 確認するように、或いは自分に言い聞かせるように、震える声で彼はそう言った。奈都貴の答えは、どちらの可能性も消しはしなかった。望まぬ未来と、望む未来、どちらを選ぶかと問われれば誰だって後者をとるだろう。子供達は揃って後者を選び、藤吉郎によって解かれた魔法を再び自分の手でかけようとしていた。

 その必死な姿を見て、心が痛まないことなどあるだろうか。いや、ない。奈都貴は自分で自分を卑怯者と罵った。「いつかは別れる運命にあるんだ」と本当のことを言うことも出来ず、かといって「大丈夫、そんなことは絶対にないよ」と大嘘を吐くことも出来なかった。だから「分からない」などというどっちつかずの答えを出すことで逃げたのだ。本当はどんな未来が待っているのか、知っているくせに。知らないフリをして、逃げた。陽菜も奈都貴に「その答えで本当にいいの?」という眼差しを向けている。しかし彼女にも、双子の兄の発言を訂正する勇気はおよそ無いようだった。

 子供達は自分達に魔法をかけようとする。やがてその魔法は奈都貴と陽菜にも影響を及ぼし、また『別れ』という言葉は忘れ去られるだろう。皆して逃げるのだ。それが正しい方法であると言い切ることは出来なかったけれど。

 少しずつ冷え固まった空気が熱せられ、溶け、和らいでいく。藤吉郎も泣き止みかけていて、先生、夕方まで一緒に遊ぼうね、うんとうんと遊ぼうね、とそう言った。


「ああ、そうだな。いっぱい遊んで、いっぱい勉強しよう……」


 だが、温かく優しい『騙しの魔法』が彼等にかけられることはなかった。完全にかかる前に『それ』が終わりを告げたのだ。


「……よし、それじゃあ今から皆で踊ろう。フォークダンスって奴なんだ。俺達が教えてやるよ」


「うわあ、先生達踊りも出来るんだね、すごいすごい!」

 歓声をあげた子供達は奈都貴の指示に従い、輪になった。本当はその輪の中に混ざりたかったが、こればかりは仕方の無いことだ。

 よし、それじゃあどういうステップを踏むか教えるぞ。そう言い、子供達が「はあい」と元気よく返事をする。だが、その返事が奈都貴と陽菜に届くことは無かった。


 ぼおおおん、ぼおおおん、という空も大地も木々も肉体も血液も脳みそも、この世にあるもの何もかもを震わせる位大きい鐘の音が世界中に響き渡ったからだ。あまりの音に奈都貴と陽菜は眩暈を覚え、よろめく。危うく地面へ倒れそうになった陽菜の手を掴み、支えながら奈都貴はひたすらその音が消えるのを待った。

 鐘の音は十三回鳴った後に止み、世界は静寂に包まれた。いや、本当は色々な音がしていたはずなのに耳も頭もいかれて、どんな音も感じられない状態になっていたのだ。


「おい、陽菜大丈夫か?」


「大丈夫、大丈夫。それにしてもすごい音だったわ……この辺りにお寺でもあるのかしら?」


「それにしては随分大きいっていうかすさまじいっていうか……おい、お前達この音は一体何なんだ?」

 そんな奈都貴の問いに答える子供は誰もいなかった。皆揃って顔面蒼白で、呆然とその場に立ち尽くしていた。何度も何度も、奈都貴は問うた。だが子供達は固まったままだ。何か、とても嫌な予感がした。まだどくんどくんと嫌な音をたてる心臓が与える痛みが、不安を煽る。

 それからどれだけの時間が経ったか。五分もしなかったかもしれないし、もしかしたら十分位そうしていたかもしれない。時間が止まった世界に閉じ込められてしまったのではないかと思うような、そんな時間を過ごしていた奈都貴と陽菜にあの鐘の音のことを教えたのは君江だった。教えたといっても、彼女の独り言を二人が耳にした、というだけのことだったが。


「……鐘が鳴った。京が明日、遷都する……別の土地に、移って、嗚呼、先生達と私達はお別れしなくちゃいけないんだ!」

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