遷都バレンタインデー(10)
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「くっそ……なんでこんなことしなくちゃいけねえんだよ!」
と、紗久羅が怒鳴れば彼女のやや後ろを歩く男――与平が短い悲鳴をあげ、びくっと体を震わせる。今日の彼は目隠しこそしていないが、昨日と変わらず間抜けなひょっとこのお面を被っている。外敵から身を守るが如く身を丸め、緊張のあまり足は奇妙なステップを踏み、まるで死者のワルツ。更に後方、ストーカーのように二人の後をつけ、様子を見ている影が五つ。それは一郎太と茎介、単、他三名のものだ。一郎太以外の者はじゃんけんで決められたメンバーだ。彼等(一郎太以外)の視線が紗久羅を笑い、からかい、イラつかせる。
紗久羅は今、三つ葉市にいる。どうして与平と二人そこにいるかといえば、昨日と同様妖共の下らぬ提案のせいであった。あのお見合いコントの後、妖の一人が「そういやこういう見合いの後ってのは二人っきりで辺りをふらっと散歩するもんだよな! いわゆるでえとというやつだ! 誰かと喋る練習にもなるし、やぱり俺達の肴にもなるし、最高だろう!」とか何とか言ったものだから、あっという間に大盛り上がり、そうだそうだやれやれと皆すっかりその気になって。一郎太だけの力ではどうしようもなく、結局次の日の日曜日に三つ葉市の、一郎太が指定した場所に集合して辺りを二人して歩くことになってしまったのだ。紗久羅達の後をつけているのが五人とそう多くないのは、一郎太の提案によるものだった。彼等は全員で行ってもいいじゃないか、二人の様子を見て大いに笑いたいんだと口々に言ったが、一郎太がどうにかその意見をねじ伏せたのだった。
次の日、目を覚ました紗久羅は嫌々三つ葉市へと向かった。約束を果たさぬまま終わらせることは出来ないだろう。きっと自分達の言う通りにするまでうるさいに違いないと考え、仕方なく。大変迷惑で、邪魔で、彼等をどうにか出来たらどれだけ良いだろうと思うが、出雲にどうにかしてくれと縋ろうものならもれなく渡遷京丸焼きの未来が待っている。
約束の場所にやって来た紗久羅の姿を認めるなり与平は「きゃあ!」とお前は女の子かとツッコミを入れたくなるような声をあげ、その場から逃げだそうとしたが一郎太と茎介によって取り押さえられてしまった。もやしを擬人化したような男はその時「逃げられない」ということを悟ったらしく、以後逃げ出そうとすることは殆ど無かった。あくまで殆ど、だが。彼がそのヘタレ野郎っぷりを発揮する度、紗久羅は怒りのあまり地団太を踏んだり、石を蹴ったり、周りに人がいようがいまいがおかまいなしに叫んだ。自分だって本当はこんなことをしたくないのだ。したくないが、仕方なく付き合ってやっている。それなのに、全ての元凶たる男の方がわあわあきゃあきゃあ言いながら逃げ出すなんて!
与平は先程から悲鳴をあげてばかりだ。二つの層の風景が重なり合う狂った世界を無言のまま歩いていたら頭がどうにかなってしまいそうだったし、あんまり気まずいから仕方なく話しかければ悲鳴をあげ、まともな返事を寄こさず、ちょっと振り向いて与平の方を見れば悲鳴をあげられ、怒鳴り散らせば悲鳴を上げて体を震わせ。昨日も大概だったが、目隠しをとり紗久羅の顔が見えるようになったことで昨日以下の状態、もう彼の一挙一動にいちいち紗久羅はイラつくのだった。イライラゲージというものがあるなら、きっととっくのとんまに最大値を突き破りゲージそのものを破壊しているに違いなかった。それでも与平に直接物理的攻撃を加えることは出来ない。その事実が余計紗久羅をイラつかせる。
(だあ、本当にいらつくなあ!)
狂っているとしか思えない景色、与平の態度、自分達の様子を見てげらげら笑っている妖達、彼等の視線、何も見えず何も聞こえず何も知らず今までと変わらぬ日々を過ごす人々の姿……自分の心を癒す要素はどこにもなく、世界全てが自分の敵であるとさえ思える。誰かがポイ捨てしたらしい空き缶がころころ転がる音も自分を笑う声に聞こえる重症ぶり。紗久羅は「畜生!」とそいつを踏み潰しまくり、見るも無残な状態にし、近くにあった空き缶入れに叩きつけるかのように入れた。
多くの店やビルが立ち並ぶ大通りには大きな公園が重なっており、車がびゅんびゅんと走る中、カップルがベンチに座っていちゃついていたり、子供達がきゃっきゃとはしゃいだりしている。体長一メートル程の、鮫に似た生き物に噛みつかれ、頭をがじがじされている男が「太郎は今日も元気が良いなあ、おうそうか、こっちは嫌か。それじゃあ別の場所に行こうな」とか言いながら、右斜めに伸びている横断歩道を渡っている紗久羅の前を横切る。彼は頭から血を流していながらにこにこと笑っていた。ぴょんぴょん飛び跳ねながら移動する、大福に鹿の角とトビウオの胸ビレをつけたような生き物数匹を従えて歩く太っちょの女、群れかたまりぷかぷか浮かんでいる真ん丸羊の背に乗って「次はあっちへ行ってくれ」と指示しながらごろごろしている男などの姿もある。どうやら皆ペットと散歩中といった様子だが、そのペットというのがどれもこれも異様で。動物が好きらしい与平はそんな(紗久羅からしてみれば)珍生物達をちらちら見やりながら「あれは随分太っているな……」とか「良く育てられているな」とか「毛並みがとても良いな、あそこまで綺麗なのはなかなか見かけない」とかぶつぶつ呟いている。その独り言を汲み取って、質問してみれば案の定慌てふためき滑稽な踊りを披露し、挙句すてんと転ぶ。歩道とその傍らにあるビルに重なるようにして存在している、大きなトーテムポールのようなオブジェから顔を覗かせていた妖達がそれを見てげらげら笑った。雑踏にかき消されることなく聞こえる彼等の声。あいつらの声全て雑踏に消えてしまえばいいのに、と紗久羅は全身の血を沸騰させながら思う。
「あのこけっぷり、やっぱり与平は面白いなあ!」
「おい小娘、折角でえとすぽっとに来ているんだからもっとこう、与平とラブラブな感じのことをしろよ! 与平に接吻するふりをするとか、手を繋ぐふりをするとか、愛の言葉を囁くとかさ!」
「そんなことしたら、与平が死んじまう。あいつはまだ死なせるには惜しい」
「それもそうか。でもこのままじゃあいまいち盛り上がらないな。お前達少しは会話しろ、会話! なんかこう、お見合いしている二人って設定に則った会話をさ! そして俺達を大いに楽しませろ!」
「あたしだって何か喋りたいのは山々だけれど、こいつが全然乗ってくれないからどうしようもねえんだよ!」
「おおう、おい与平! その小娘お前と色々お喋りしたくて仕方がないらしい! 脈ありかもしれんぞ、やったな!」
「そうじゃねえよ! ただ無言でいるより喋っていた方がちょっとでも気がまぎれる分ましってだけの話だ!」
振り返り、ふざけたことを抜かした妖をじろりと睨む。勿論紗久羅の周りには大勢の人がおり、彼女が一人怒鳴り散らしている様子を見ている。しかし怒りや苛だちで頭がいっぱいの彼女は、その事実をすっかり失念している。近くを歩いていた者の殆どはどん引きし、一部の者は「そういえば最近変なものが見えたり聞こえたりする奴が多いもんな」と納得し、またごく一部の者は紗久羅と喋っている妖や、ぶるぶる震えている哀れで滑稽なひょっとこもやし男の姿を捉えていた。紗久羅はそんな与平に顔をぐいっと近づけ、怒鳴る。通行人達が紗久羅を避けるようにして、歩く。
「おい与平! 何か喋れよ、昨日はまだほんの少しは喋れていただろう!? 全くさっきからその口から出るのは『ひいっ』とか『ぎゃあっ』とか、そんな悲鳴ばっかりじゃねえか! こっちがただ話しかけたり、目を合わせたりしただけで……不愉快なんだよ、滅茶苦茶! お前本当にあたしのことが好きなわけ? 本当は好きじゃなくて、怖いんじゃないかあたしのことが! 本当は好きじゃないってならこんな馬鹿馬鹿しいことを続けている理由はなくなる! 仮に好きなら、少しは何か喋れよ、もう話題はいっそのことなんでもいいから! 答えな、あたしのことが好きなのか、嫌いなのか! ほれ、早く!」
大多数の人間には一人痴話喧嘩をしているようにしか見えない。紗久羅はぐいぐいとひょっとこに顔を近づける。滑稽な顔に吹きだしそうになるのを堪えながら。すると与平は悲鳴をあげ、それからまるで溺れているかのような声をあげ、やがてかちんこちんに固まった。体はすさまじい熱を放出しており、人間暖房と化している。そしてそのまま、ばたんと倒れ。……紗久羅が顔を近づけてきた上に、好きか嫌いかはっきりしろと言われ頭が真っ白になったのだろう。茎介達は本当に仕様のない奴だと笑い、一郎太は「あの馬鹿」と頭を抱えた後、与平を起こしにいった。一郎太が面を外すと、そこにはひょっとこの面以上に滑稽で哀れな顔があった。
「……泡吹いておるわ。信じられん」
「はあ!? 何だよ!? くっそ、これじゃああたしが悪人じゃねえかよ……! もう阿呆らしい、こっちだって好きでやっているわけじゃないのに! もう知らない、あたしは一人で適当に歩く!」
妖達の遊びに、与平に付き合ってやることがもう本当に馬鹿馬鹿しくなってしまって、とうとう紗久羅は与平を起こそうとその体を揺らしている一郎太や、けらけら笑っている妖達を置いてさっさと歩きだしてしまった。家に帰っても、留守番組の妖達がうるさいだろうから仕方なくしばらくの間市内を歩くことに決めた。歩いても歩いても目に映るのはいかれた世界。和傘を頭から生やした猫が空を飛び、『琥珀飴、買いたければ俺を捕まえてみな!』という文言の書かれた旗のついた行李を背負った男が全速力で車をすり抜けながら駆け抜け、それを多くの妖達が「今日こそは捕まえてやる!」「琥珀飴、琥珀飴ー!」とか叫びながら追いかけるのを見、ハリネズミのような生き物に体中滅多刺しにされながら、喜びの悲鳴を上げているドM共が集まった店、ボウリングのレーン程の長さがあるのり巻きをひたすら食う客達でいっぱいの細長い店、美女人形専門店等を突き破って進み、冷たい風に叩かれ大きなくしゃみ一つした紗久羅を笑った妖を睨んだ。柚季とよく足を運んでいる雑貨屋にはこちらの世界でいうディスコのような店が重なっていて、やかましい音楽(和楽器と、得体の知れぬ楽器による生演奏)に合わせて妖達が狂ったように踊っている。両隣の店をも侵食しているらしいその店のせいで、雑貨の物色に集中出来ず三分も持たずに店を出てしまった。
(……ったく、どこみてもいかれてやがる! 何か、出雲に焼いてもらってもいいかなって気持ちになってきた! くそ、こんな風になったのを喜んでいる奇人変人なんて、さくら姉とか梓姉ちゃん位のものだ!)
「おいおい小娘、そんなに怒るなって」
「そうだそうだ、あいつは確かにとんでもないヘタレ野郎だが良い所もあるのだぞ。根気よく付き合えばそういう所が必ず見えてくるはずだ」
「あれだって一旦完全に心を開けば、それなりに会話が出来るんだ。だからさあ、もうちょっと付き合ってやっておくれよ」
「ここで終わったら、あいつの良い所も見えぬぞ。心優しいし、親孝行しているし、見ているこちらまで幸せになるような笑みを浮かべるし、動物を本当に愛しているのだ。その愛の深さに、きっとお前は感心するだろう。昨日も少し話していたが、あれだけじゃあまだまだ分からんだろう」
見守り人達が紗久羅を取り囲み、必死になって色々言っていた。どうせ与平のことを思って言っているのではなく、自分達がげらげら腹を抱えて笑ったり、二人の様子を見てにやにやしたいが為に言っているに違いないと紗久羅は確信していた。与平のことなどこれっぽっちも考えていないのだ、そうに違いないともうすっかり決めつけ、彼等の言葉の中に混ざっている優しさに気づきもしなかった。こいつらに笑いを提供する為にピエロを演じるなんてまっぴらごめんだ、と紗久羅は一言も返事をしなかった。
三つ葉公園という大きな公園まで辿り着くと、缶ジュースを買って丁度空いていたベンチにどかっと座る。妖達はまだしつこく色々言っていたが、ここで構うと向こうの思うつぼだと思ったので徹底的に無視する。この公園には丁度広々とした道が重なっており、紗久羅が座る場所にはその道の左手にある大きなお屋敷の庭が重なっている。様々な花や松に囲まれた池を悠々と泳いでいる鯉を眺めながらジュースをちびちびと飲む。赤い着物を着た可愛らしい女の子がやって来て、その池へビー玉を投げ込む。それを鯉は美味しそうに食べた。ビー玉に似た食べ物かもしれないし、ビー玉そのものなのかもしれない。あの世界じゃ、ガラスを食う鯉がいたって何もおかしくはない。空を見上げると、鯨が悠々と泳ぐ姿が見える。空を飛ぶ鯨なんて、子供の頃に読んだ絵本の中にしか存在しないようなものだったのに。そんな非現実的なものを見ても全く驚かなくなった自分は相当感覚が麻痺しているようだ。
ジュースを空き缶入れに放り投げると、公園内をふらついた。さっきまでしきりに紗久羅に話しかけていた茎介達は「ありゃあ駄目だ。短気な娘だからずっと言っていりゃあ何か返してくると思ったんだがなあ」とか何とか言い、説得を諦めてしまった。後は与平と一郎太がどうにかするしかないな、とも。やや離れたところから、一郎太の「ほれ、さっさと行けい!」という激励の言葉と、与平の悲鳴が聞こえる。茎介達の会話を聞く限り、一郎太に思いっきり尻を叩かれたらしい。叱咤激励を受けた彼だが、果たしてまともに会話出来るようになるかどうか。まあ期待はすまい、と思ってからはっとして首を振り、悶絶。
(馬鹿馬鹿! 期待するしないってなんだよ! 確かに化け物みたいな扱いされるのはむかつくけれど、だからといってあいつがまともに喋ってくれることを期待するとか、そんなことは! 別にあんなもやし野郎好きでもなんでもねえし!)
期待すまい、などということを一瞬でも考えたことが恥ずかしくて仕方なくて頭を抱え、じったばったと悶えるその姿は、茎介達にとって良い肴。
「何だ何だ、小娘。ん? お前口では『もう知らない!』とか何とか言っていたくせして、本当は与平と沢山お喋りしたかったのか? 何かを期待してしまった自分に気づいて悶絶しているのか、ん、ん?」
「うるせえ! そんなわけあるかい!」
あんな奴と誰がお喋りしたいなんて思うものか。妖達は「意地張っちゃって、まあ」と言ってにやにや。
紗久羅は再び彼等を無視して公園内を歩き始める。鬼のような表情を浮かべ、どしんどしんという音をたて大股で歩くその姿に誰もがどん引きし、幼子は泣き、そのオーラに充てられた与平も紗久羅の背後で「ひいいいい」という涙交じりの悲鳴をあげている。きっとその体はぶるぶると震えていることだろう。
そんな紗久羅の前をいくのは、鯉の群れである。紅白、赤、黄金、黒。道の上を這うようにして進む鯉の通った所は、まるで反物を広げたようになっている。色も、そこに描かれている模様もそれぞれで、きらきらと輝き、鮮やか、友禅流し。
そんな奇妙でいて美しい光景を前に「何かこう、ぬめぬめきらきらしたものを残しながら進むなめくじに似ているな」などという感想を抱く辺りが、紗久羅らしいといえば紗久羅らしい。
「しっかし、鯉のくせに地上で活動しているなんて、変なの! まあ、まともなやつなんて向こうにはそうそういねえか」
「……そっ、その鯉、ミチゾメゴイってい、いうんです」
紗久羅はその声にはっとして振り返る。そこにはひょっとこのお面を外した与平の姿があった。何かから身を守るかのように背を丸めている与平はびくっと体を震わし、目を閉じ、自分の中にいる『弱い自分』と戦い、それからゆっくりと目を開け、紗久羅の瞳を見つめた。どうやら痺れを切らした一郎太に脅され、ようやっと紗久羅ときちんと向き合う決意を固めた様子。
まさか話しかけられるとは思ってもいなかったから、紗久羅は驚いた。
「うわっ、喋った!」
驚きのあまり漏れたのは、そんな言葉。与平はそれを聞いて恥ずかしそうに顔を赤らめつつ口を開いた。
「道を美しい模様で染めるから、ミッ、ミチゾメゴイ。ま、まんまですね。あの……基本的にはああいう風に、群れで行動するんです。ののの、のんびりしていて、近づいても逃げませんし、か、簡単に撫でることが出来ます。た、ただ敵意とかには敏感なので、つつつ、捕まえるのは難しいんですが。ミチゾメゴイの体も、彼等が作る反物のような道――ソメモノ、と呼んでいますが――それも、とてもひんやりしています。夏は通った辺りの温度が下がってくれるのでありがたいですが、ここ、こういう季節だと、うんと寒くなるので……はくしゅん!」
と、くしゃみ。くしゃみまでへなへなしているところが全く彼らしい。くしゃみが出たことを恥ずかしく思ったのか手で顔を覆いながらも与平は解説を続ける。
「ミチゾメゴイのソメモノは、子にある程度受け継がれます。で、ですから子供のソメモノは両親のソメモノの特徴を合わせたものになります。そそそ、それを利用して理想のソメモノを出す鯉を作ることに情熱を注いでいるひ、人もいます。毎年大会もあ、ありますし。ミチゾメゴイの美しさと、ソメモノの美しさ、そのどちらも優れていないと、優勝出来ないんです」
「ふうん。……お前はやらないの?」
「わっ、私ですか!? いいいい、いえ、私は。きょっきょきょ、興味が無いわけではないんですが! 現状、野生のものや、誰かが作ったものを見ていれば満足なのです。ミッ、ミチゾメゴイの卵もなかなか綺麗ですよ。小豆位の大きさで、それぞれ色が違うんです。そそそそ、その卵の色がそのままソメモノの色にな、なるみたいです。彼等は基本的に地上で生活していますが、産卵の時メスは高い所……大体木の上ですね……そこまで登って、卵を産み、オ、オスは卵を外敵から守り、そそそ、そして産まれた子を育てるのです。メスは卵を産むだけで、こ、子育てはしないそうです。オオオ、オスは産まれた子が巣立つ頃、し、死んでしまうのです」
緊張のあまり声が終始上擦っているし、真っ赤な顔の筋肉もかちこちだが、不思議と「楽しそうだな」と思わせる。実際、動物のことを喋るのは彼にとってとても楽しいことなのだろう。ふうん、そうなんだと相槌を打ちながら歩けば、与平もかっくかくな動きでついてくる。
「ちなみにミチゾメゴイの作ったソメモノの上を好きな奴と一緒に歩きながら、そいつの名前を二十回心の中で言うと、両思いになるっていうおまじないが女の中では流行っているんだぜ!」
これは二人をつけていた妖の一人の台詞である。紗久羅はばっと後ろにいた与平を見る。彼は口元を右手で覆い、そっぽを向いている。その真っ赤な横顔をきらきら光るものがとめどなく流れていた。
「……お前、やったろう」
「やっ! やっふえまふぇえん!」
分かりやすすぎて、ツッコむ気にもならない。肩をすくめると、ごめんなさいと謝られた。別に謝る必要はないのだが。そんな彼の後頭部を、急降下してきた黒い鳥がやたら大きな黄色いくちばしでごつんと突いた――いや、どついたといった方が正しいか。鳥は笑い袋のような声をあげながらあっという間に消えていった。与平はその場にうずくまり、頭を押さえ、しばし悶絶。相当痛かったろうと思う。聞いただけで頭が痛くなるような素晴らしく、すさまじい音であったから。
「あ、あれは……ドツキトリといいまして……誰かの頭を自分のくちばしで……っ、どっつくのが……大好き、な、ので……す。しっかも、かなり早いので、避けるのが、難しく……ううっ」
そんな死にそうになりながら無理せんでもと思いながら「大丈夫か?」としゃがんで、悶えている与平をじいっと見つめる。そのことに気づいた彼はひゃあっと悲鳴をあげてそのままころんと後ろへと倒れ、そして再び後頭部を強く打って、悶絶。
「……お前、本当重症だな」
「う……すっ、すみません……そそそ、その、元々誰かと話すことはにっ、苦手なのですが……特別女の人と話すことは、にっ、苦手なのです。その、好き、好きじゃないに関わらず……せっ、接し方がよ、よく分からないのです。……はっ、母も幼い時に亡くなって、そ、その、女の人ってよく分からないんです」
仰向けになった与平は、両手で顔を覆いながらぽつぽつと語った。母の死を思い出して悲しんでいるからではなく、恐らくそうしないと紗久羅と目が合ってしまうからだろう。
「お母さん、死んじゃったんだ」
「……はい。私達は貴方方の世界でいう『妖怪』にあたるような存在ですが、ひ、人と同じように病気になる者もいますし、う、生まれつき体が弱い者もいます。母は後者で……寝たきりで、今にもすうっとき、消えて、い、いなくなりそうな、儚い人でした。あ、あまり話をしたこともありません。少しでも話すと、母は死にそうになるのです。私は寂しくて、悲しくて……怖かった。がっ、硝子細工のように脆くて、少しでも力を加えたら粉々に、わ、割れてしまいそうな母が。母にはいつも死の影が見えました。それを感じる度、怖くて仕方無かった。明るいことを考えようとしても、無理でした。母を見ると、思うのはいつも『別れの時』という言葉で……怖くて、仕方なかった。おっ、おおお、女の人を見ると……母の姿を思い出します。そして、大変怖くなるのです。死の影を見、別れの時を思い、触れたら壊れてしまうのではないかと思い……」
与平が気の強い、男らしい女に惹かれやすいのは、母の面影を見せず、死と別れを強く感じさせない女性を求めているゆえのことかもしれない。確かにあたしみたいな奴は死さえぶん殴って追い払っちゃいそうだもんな、と思う。ただ、そういう女を相手にしても結局上手く話すことは出来ないようだが。恥ずかしくて、緊張して、別の意味で怖いからというのもあるだろうし、やっぱりどんな女性が相手でも無意識の内に母のことを思いだしてしまうというのもあるのだろう。子供の頃の思い出を大人になっても引きずってしまうのは、人間だけではないようだ。紗久羅はため息をついてから、立ち上がった。
「……お前、いつまでそこに寝転がっているんだよ。ほれ、立て、立て。……一緒に散歩、するんだろう」
「えっ」
「後ろの方でけらけら笑っている奴等のお望み通りになるのはごめんだけれど、まあ、今回は付き合ってやるよ。あんたの恋人にはなれないけれど、良い思い出の一つ位は作らせてやる。……ていうか、お前、あたしのこと好きで間違いないんだよな? あたし、直接お前から聞いていないけれど」
体を起こした与平はそれを聞いて、また倒れて頭をごつん。あいつは達磨か、いやあ倒れるとなかなか起き上がらないからなあ、どっちかというと起き上がらぬこぼしだろうとかなんとかいう声が聞こえる。
本当に重症だ、とため息をつきながら「頷くだけでいいよ」と譲歩すれば、与平は口から煙を吐きながらもこくりと小さく頷いた。今の彼にはこれが精いっぱいだろう。紗久羅は「そうか」とだけ言った。それを見た時、ようやく与平の本当の気持ちが分かった気がして少しだけ嬉しくなった。胸がかあっと熱くなり、むず痒くて、気恥ずかしくて、与平から視線を逸らす。
「……とりあえず、立てよ。地面に倒れている奴と一緒に散歩は出来ないぞ」
与平はあうあう言い、随分と時間をかけながらもようやく立ち上がると、再び歩き出した紗久羅についていく。それに茎介達もついていく。
紗久羅は公園の奥にある、芝生に覆われた敷地を歩いたり、公園から出て周辺をふらふらしながら、与平にしきりに話しかけた。矢張り彼は動物の話をしている時が一番生き生きしていたから、紗久羅は渡遷京に住む珍生物を見かけては「あいつは何ていうんだ」とか「どんな生き物なんだ」とか、そんなことを聞いた。滅多に姿を現さないらしい生き物を見た時は子供のようにはしゃぎ、興奮した様子で紗久羅に「あれ、とっても珍しいんですよ! 珍しいんですよ、本当に、うわあ、すごいな、まさかこんな所で見られるなんて、わあ、本当にすごいなあ!」と言い、その初めて見た彼のはしゃぎっぷりに紗久羅は思わず声をあげて笑った。ちょっとその姿を可愛いと思ったことは、秘密にする。
色々生き物について話す内、段々と緊張がほぐれてきたのか、与平はまともに喋れるようになっていった。紗久羅の不機嫌度が下がったことも大きいのかもしれない。さくら程一方的で、相手の都合など考えないレベルでぺらぺら話すわけではなかったから、イラついたり、疲れたりすることもない。純粋無垢な子供のような顔で好きなもののことを語る与平の姿は、矢張り格好良いというよりは可愛いといった感じ。何だか聞いているこちらまで心が弾んで、温かくなって、動物のことが好きになってくるから不思議だった。
「あの家の屋根についている大きなスズランみたいなのって何?」
道路を塞ぐようにして建つ民家の屋根に、小学校低学年の子供位の高さのスズランが生えていた。花もカーブミラー程の大きさ、まさにお化けスズランだ。あああれは、と与平がその花を指差しながら解説する。
「ツツヌケバナ、という花でああして民家や店などの建物の屋根の上にだけ生えるんです。あの花は、建物の中で出た音や声を外へと流します。どんな言葉や音も筒抜けになってしまうから、ツツヌケバナというのです。ええと、そちらの世界でいうスピカ? というものに近いみたいですね」
「スピーカーな。スピカじゃお星さまになっちまうよ。ふうん、そういえばさっきから花の方から声が……って」
紗久羅と与平が見上げるツツヌケバナからは、大変いかがわしい声が聞こえてきた。どうやらお昼前からお楽しみの様子。二人はぽかんとし、それから赤面し、しばらくして恥ずかしさを通り越して呆れてしまって、顔を見合わせて大笑いした。与平の笑顔は、成程確かに見守り人の妖達の言う通りなかなか魅力的であった。彼曰く、花の大きさから考えるとここの住人は屋根からツツヌケバナが生えていることに気づいていながら、放置しているようだ。いちゃいちゃしている様子を周りに聞かれてもちっとも構わないということだろう。それを聞いてますます呆れてしまった。
「全く……。それにしてもお前、植物も詳しいんだな」
「比較的……動物の方が、く、詳しいですけれど。小さい頃から好きで、家の中に沢山あった動物の本を何度も何度も繰り返し読みました。何度読んでも、面白かった。ただ本を読むだけではなくて、観察して自分なりに色々調べることも好きです。こちらの世界に住んでいる動物だけではなく、その、移った先に住んでいる動物について調べるのも、楽しいです。こ、答えを知ることはまず出来ませんが、だからこそ、自分でああだこうだと考えられるから、面白い。さ……さっくらさんも、料理のことについて調べたり、研究したりするのって、す、好きですか?」
「あたし? そうだなあ……もっと上手く作る為に試行錯誤繰り返すのは結構好きかもな。あたしって滅茶苦茶短気だけれど、料理の時だけは別。長い時間かけたって、へっちゃら」
今度は紗久羅が与平に、自分の得意な料理のことや好きな料理のこと、祖母に小さい頃からしごかれまくっていることなどを話した。与平は相槌を打ったり、質問したりして熱心に紗久羅の話を聞いた。与平は紗久羅の手料理を食べたいと言ったが、そればかりは無理な話だ。出雲の協力があれば出来ないでもないが、彼のことだから、与平に嫉妬して嫌がらせの一つや二つ位平気でしかねない。
「わ、私……その、けけけけけけ、け……っこんする、なら、さ、ささ、さっくらさんみたいな、料理が上手な人としたいです。た、大切な人……か、家族が作ってくれる料理というのを食べたいんです。そういうの、憧れるんです。病弱だった母の手料理は一度も食べたことがないですし、父も料理が苦手で、いつも隣に住んでいる世話好きのおばさんの手料理か、外食か、そのどちらかでした。あ、あああ、あの十分そのおばさんの料理も美味しかったですし、大変感謝しているのですが!」
「そんな慌てなくても分かっているよ。あたしは当たり前のようにばあちゃんや母さんの作る料理を食べているけれど、そっか……食ったことがない人は、そういうの憧れるのかもな。ばあちゃんも母さんもいなくなった時に、お前の気持ちを少しは理解出来るようになるのかもしれない。でも、最初から知らないのと知っているのとは話は別か。……ま、頑張れよ。お前の為に温かい手料理を作ってくれる人、ちゃんと見つけろよな。その為にはもうちょっと頑張らないとな。悲鳴あげたり、逃げたりしてばっかりじゃ、いつになっても夢は夢のまま。お前の好みの女ってのは、強気で短気で凶暴な男っぽい奴なんだから、余計にな」
「……あう……その、善処します」
「うむ、頑張りたまえ」
と偉そうに言って笑ったら、与平も笑った。朗らかなその笑みに不覚にもちょこっとだけときめいてしまったことは、矢張り永遠に秘密にするつもりだ。
ひゅうひゅう、お熱いねと見守り人の一人が囃したて他の妖達もそれに乗って紗久羅達をからかい、黙っておれと一郎太に頭をはたかれた。
「ったく、あいつらは本当困った奴だな」
与平は苦笑いするが、彼等を嫌っている様子はない。面倒な存在だとも思っていないようだ。それは後方にいる彼等を見る目を見れば明らかだった。
「でも、私がこっ酷く振られたり、遷都によって好きな人と別れて落ち込んでいる時とか、私を居酒屋に連れて行って、励ましてくれます。話も、聞いてくれます。そういう時、あの人達は私を馬鹿にすることも、笑い者にすることはありません。私が怖い妖に絡まれていた時も、震えながら助けてくれましたし……動物の観察とか、私の趣味に嫌な顔一つせず付き合ってくれますし、こんな私を遊びに誘ってくれることもありますし……そ、その、良い人達なんです」
それは何となく分かっていたことだけれど。彼等は非情ではない。出雲みたいに人の不幸を笑ったり、率先して人を不幸にしたりするだけの、人でなしなんかではないと。ただ、彼等によって散々な目に遭いまくっている紗久羅はそのことを意地でも認めたくなくて、与平の必死のフォローにも「ふうん、そうなんだ」と返すだけだった。与平は紗久羅に分かってもらえなくて肩を落とす。それを見たらちょっと申し訳なくなったけれど。紗久羅はん、んんと背伸び。
「はあ、家に帰ったら絶対留守番組に色々聞かれるだろうなあ! 見守り組共も、あることないことぺちゃくちゃ喋るに違いない! うるせえだろうなあ、間違いなく! あいつら、調子に乗ってまたデートしろとかなんとか言いそうな気がする。面倒な上にやかましい、困った奴等だよ本当に!」
「す、すす、すみません、私のせいで……」
「本当にな。ま、お前があたしに惚れていなかったとしても、大した違いはなかったのかも。あたしはきっと見える、聞こえるものを無視出来ないもの。あいつらに話しかけられて、うっかりそれに返事しちまって……。ああ、しかしきついなあ……最近毎日寝不足だし、この狂っているとしか思えない風景もうんざりだよ。お前には悪いけれどさ、もういい加減」
そこまで言った時『それ』は起きた。




