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桜町幻想奇譚  作者: 里芽
遷都バレンタインデー
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遷都バレンタインデー(8)


 自室のベッドに腰かけている柚季は、わなわなと体を震わせている。彼女をそうさせているのは、わが物顔で床に座っている馬鹿兄妹達であった。


「でさでさ、大豆製品専門店の五郎兵衛がさあ、ここの近所に住んでいる阿久寛治の一人娘の恵美奈って女のことを好きになっちゃったらしいんだよ。別にさほど美人じゃないんだけれどな、まあ五郎兵衛は地味な女の方が好みだから仕方ないな。あいつが遷都した先にいた女に惚れたのはこれで五十七……」


「六十五回だよ、花火。五十七回目の恋を今回したのは飴細工を売っている方の五郎兵衛だよ」


「ああ、そうだったそうだった。俺としたことがうっかり、うっかり。何だよゆずきちってば変な顔しちゃって。何度も言っているけれど、俺達は別に興味本位でこういうことを調べているわけじゃあないんだぜ。遷都した先にいた人間に恋をした、友人になった、恋仲になった、喧嘩を売った……そっちにいる奴等と何かしらの関係を持った奴はいないか、いたとしてどの程度親密になったか、別れを恐れるあまり何かやばいことをする気配はないか……てのを調べるのは、立派な仕事だよ。まっ、この京の不利益になることが起きそうにない限りは放っておくみたいだけれどさ、上の連中も。この調査は京の安全を守る為に必要なものであり、遷都した先とどのようなことがあったかってのを記録する為にも必要なのさ。何てことはないことだって、永遠のものだもの」


「そうそう。二度と訪れない時間を、一瞬の内に過ぎ去る時間を残すことが我々の仕事さ」


「というわけでさゆずきち、この恵美奈って女のことについて色々教えてくれよ。五郎兵衛が惚れた女ってのがどんな奴だったか、きちんと記録する為に! 年齢は? 身長は? 体重は? スリーサイズは? 好きな食べ物と嫌いな食べ物は? 好きなタイプは? 学生? 社会人? あ、両親のこととか、ペットの犬のこととかも」


「こらこら、そんなに一度に質問しちゃあいけないよ花火。それじゃあ柚季さんが答えられないじゃないか」

 おっといけねえいけねえ、と頭をこつんと叩く花火と「本当すみませんね、妹はこうやって沢山のことを一度に聞こうとする癖があるんですよ」と笑う静流。柚季は二人を睨み、唇をぐっと噛みしめるのを止めてその口を開いた。


「一度に質問してくる、してこないなんて関係ないわよ! 一個ずつ聞かれたって答えられないわよ! 恵美奈さんとまともに喋ったことなんてないし、仮に知っていたとしてもそんな個人情報の数々を誰が話すものですか!」


「ちえっ。ゆずきちに直接聞いた方が早いと思ったんだけれどなあ。それにしてもあれだけ家が近いのに、まともに喋ったことがない、何にも知らないなんて。こっちの世界じゃ有り得ないぜ。それに個人情報、個人情報って。プラシーボがなんだよ、プラシーボが」


「プラシーボじゃなくてプライバシー! 全然意味が変わっちゃうわよ。兎に角、知っていようがいまいが絶対に教えませんからね! というか、いつまでここにいるつもりよ! もう! 折角の休日だってのに、朝早く起こしてくるわ色々なことをしつこく聞いてくるわ、どうでもいいことをぺちゃくちゃ喋りやがるわ……私はね、貴方達に関わる気なんて毛頭ないのよ!」

 本気で怒鳴っても花火はにやにやしながら「まあ、そう言うなって」とちっとも堪えた様子はないし、静流の方も本当にすみませんねえ、と言うだけだ。速水は姿を見せることのないまま、天井から柚季の神経を逆なでするような笑い声を発している。彼は兄妹や客達とすっかり仲良くなり、雑談をしたり彼等の聞きたいことを色々教えたり、喋らなくてもいいことを喋ったりしている。しかし柚季が彼等に絡まれている時は助け舟一つ出さず、それどころか彼等を煽るようなことをして余計事態を悪化させるのだった。


「もう! そんなに色々聞きたいなら、もっと喜んでお話してくれる人を紹介してやるわよ! 臼井さくらさんっ人で、妖怪とか不思議なこととか大好きなの! きっと彼女なら嫌な顔一つせず、可能な限り質問に答えてくれるでしょうよ! まあ、その三十倍は逆に向こうから色々聞かれるかもしれないけれど!」

 他人を犠牲にするのは気が引けたが、この兄妹から解放されるなら先輩だって生贄にしてやる。実際紗久羅から聞いたが、さくらは渡遷京のことについて連日ちまちまと調べているらしく、今日もあちこちを探索する予定だとか。花火達と会ったら、きっと彼女は嬉々とした表情でこの二人を質問攻めにするだろうし、質問にも答えてくれることだろう。適材適所、そう適材適所よ、だから彼女を勝手に紹介したって何ら問題はないはずよ、まあ今臼井先輩がどの辺りをうろついているのか知らないけれど、と自分に言い聞かせる。

 しかし花火の反応は芳しくなかった。


「俺多分知っているよ、そのさくらって奴のこと。髪の毛ぼさぼさで、でっかい眼鏡かけている子だろう? 俺の仕事仲間がその子から話を色々聞かれたみたいだけれど、その前にご丁寧に自己紹介したんだとさ。この京のこと色々調べる為にあちこちうろちょろしている姿を、沢山の住人が目撃しているみたいだし。他にも調べている奴がいるみたいだけれどね。……話を聞く限りじゃ、ゆずきちと同じ位、或いはそれ以上の美少女ってことは無いっぽいしなあ!」


「……それとこれがどう関係しているのよ」

 そう呟くと花火はぶふっと腹立つ顔で笑う。


「おやおやゆずきちさん、否定しないんですねえ? んふふ、なかなか良い性格してますなあ」


「ばっ、そんなんじゃ……! ていうか可愛い可愛くないが一体どう関係しているってのよ!」


「俺はねえ、可愛い女の子が大好きなのさ。嫌だなあ、そんな変態を見るような目で見ないでよゆずきちってば! 安心してってば、別にゆずきちの貞操狙っているとかそういうことはないからさあ! そもそもゆずきちには手、出せないしね! 俺ってば、可愛い女の子をからかったりいじめたりすることが大好きでね、そうそうその怒った顔! 俺は可愛い女の子が怒ったりむきになったりするのを見るのがたまらなく好きなんだ、だからゆずきちが本気になって怒る程逆効果ってわけさ」


「私もそういうの、嫌いじゃないです」


「このド変態兄妹!」

 全くこの二人ときたら、この家に来る度こんな調子で柚季をイラつかせるのだ。彼等は仕事の合間を縫って及川宅と重なっている牛鍋屋を訪れ、飯を食ったり酒を飲んだり、柚季に絡んだりする。こちらの都合などまるで考えず、気が済むまで居座っては喋り通し喋っている。あれこれ聞かれたり、どうでもいいことを聞かされたり。耳にイヤホン挿して音楽を聞き始めれば、わざわざ柚季の近くに来て一層大きな声で喋りだし、それを柚季が何かしらの反応を示したり、音楽で騒音を遮ることを諦めたりするまで続けるのだ。

 それでもまだ自室がある二階はましかもしれない。一階はここ以上の地獄で、絶えず訪れる客達の話し声や、鍋が煮える音、どこかにあるらしい厨房から聞こえる音などがぐちゃぐちゃに混ざってまあ騒がしい。客達は柚季の最も嫌う妖達だから、余計に心象が悪い。しかもこちらの姿を認めると、高確率で話しかけてくる上大抵の客は酒が回っているから性質が悪い。加えて、常に充満している牛鍋と強烈な酒の匂い。少しの間なら良いが、長い間嗅いでいると流石にうんざりするし、何だか気持ち悪くなってくる。折角昨日は珍しく早く帰ってきた母が夕飯を作ってくれたのだが、メニューはなんとすき焼きで。結局気持ちの問題でうんと美味しく食べることが出来なかったし、貴重な両親と過ごす時間も妖達のせいで台無し。


(紗久羅も似たような目に遭っているみたいだけれど……紗久羅は臭いを感じない分、まだましよね……嗚呼、普段だったら絶対大喜びしていたのに! お肉だって奮発して良いもの使っていたみたいだし、久しぶりのお母さんの手作りだったのに! 甘い葱、とろっとしたお肉、旨味をたっぷり吸ったしらたきに、卵に豆腐! 確かに美味しかった、美味しかったけれども! でもでも、いつもだったらもっと美味しく食べられたのよ! 牛鍋の匂いにうんざりさえしていなければ! おまけに妖達の喋る声と、TVの音と、父さんと母さんの喋り声がぐちゃぐちゃに混ざって、頭が割れるかと思ったわあの時は! 貴重な時間を邪魔して、本当に、もう、もう!)

 ただでさえ低い妖達に対する好感度は下がる一方。花火の話を聞き流しながら昨日のことを思い出せば出すほど腹立たしくなり、時々ベッドをどんどんと握りしめた拳で叩き、またその仕草がえらく気に入ったらしく花火は「ゆずきちってば可愛い! 最高!」とげらげら笑いながら手を叩き。彼女も夕飯の時一階に降り、TVに映っているバラエティ番組を他の妖達と見てげらげら大笑いするわ、思ったことを大声で口にするわ、意見や同意を求めて柚季にしつこく話しかけてくるわで最悪だった。つい「その女優があんたの好みなんてこと、どうでもいいのよ!」と叫んでしまい、何も知らない両親に唖然とされてしまい、柚季に恥かかせた当人は大爆笑、一緒にいた静流はすみませんと言うだけ。


(何でこう、妖達って空気が読めないの!? 私が母さん達と喋っている時も平気で話しかけてくるし! 小さい頃夜に両親がいちゃこらしていた場面を見ちゃったことはあるかとか、お前の母さん俺の近所にいる誰々にそっくりだとか、そんな顔してあんたの母ちゃんの飯は不味いのか、そうか不味いのかそりゃあ可哀想にとか、こっちの顔に唇近づけて接吻のフリとか、舌をぺろんと出して舐めるフリとかなんとか下種なことしてきたり! もう見て見ぬふりをしてよ、こっちに絡んでこないでよ、家族三人で過ごす時間を謳歌させてよ! ああもう、本当に……思い出しただけでも腹はたつし頭は痛くなる!)

 自室に居ても地獄、一階に下りても地獄、外へ出ても変てこな風景を目の当たりにすることになるので地獄。落ち着ける場所といえば学校と風呂場とトイレ位だ。柚季はここ数日の内、度々風呂場に引きこもったが、ずっとそこにいるわけにもいかないから結局しばらくすると出る。するとまたうるさい世界に逆戻り、馬鹿兄妹は「寂しかったよゆずきち」とかなんとかいって一層しつこく絡む。一時しのぎはかえって良くないことをもたらすことを身を以て知った柚季だった。


「あんた達、いつになったら消えてくれるのよ、もう!」


「いやはや、申し訳ないです。いついなくなるか……それは私共にも分からないことです。それを決めるのは星読と宮に住まう方々ですから。我々は前日になってようやく次の場所へ移ることを知るのです。……少なくとも今日明日ではないですね、知らせの鐘が鳴っていませんから。今鳴っていないとなると今日はもう鳴らないでしょう」

 その言葉にがっくり肩を落とす柚季。一方の花火はまあこれからも仲良くやろうぜゆずきちとげらげら笑っている。


「もう本当、頭おかしくなりそう……いっそおかしくなった方が楽なのかしら?」


「さて、どっちが楽かねえ。それにしても本当多いよな、この辺りは。何って? ゆずきちみたいに、こっちの姿が見えたり声が聞こえたりしている奴がだよ。程度は人によって違うけれど……普通はこんなにいないもんだぜ。ものすごく運の悪い奴が数人見るって位だ。多分この辺りの土地の性質が原因なんだろうな」

 珍しく花火がため息をついた。花火達は柚季や紗久羅のように、渡遷京のものが見えたり聞こえたりする人間のことを『認識者』と呼んでいるらしい。その認識者の数、誰がどの程度認識しているのかなど調べ、またそれぞれの様子を見ることも彼女達の仕事。いつもならその仕事もそう大変ではないそうだが、今回は数が数だけにてんてこまいだという。柚季は正直「大変ね」と同情する気持ちにはなれなかった。むしろ「ざまあないわね!」と言いたい位だった。


(それにしても……この土地の歪みっぷりがこういうことにまで影響するなんて。確かに私達以外にも結構見えたり聞こえたりしている人、多いみたいだものね)

 そのせいで体調を崩し、学校や職場を休んでいる人もいると聞く。柚季も相当参っているが、ここで休んでもまともに休めはしないから、学校へはきちんと行っている。休んでいる人達は恐らく、その気力さえ削られているのだろう。花火と静流は交互に、どこの誰が今どんな状態なのか聞いてもいないのに読み上げていく。どこどこどの誰は奇声を発しながら己の耳を突こうとし、またある者は延々と自室で読経を始め、またある者は目隠しと耳栓をした状態で日常生活を送ると宣言し、それを実践した挙句大怪我したという。その悲惨な状態の数々に柚季の頭はますます痛くなるばかり。


「そうやって見える聞こえるって奴が多い分、深く関わりを持っちゃった奴も多いんだよなあ。作造は洋子ちゃんっていう五歳の女の子と随分ラブラブになって、将来洋子ちゃんをお嫁さんにするんだとかなんとか言っているみたいだし、板倉進って男は尾高とすっかり意気投合して毎晩酒を片手に語らっているっていうし、ハナは桂滋って絵描きの絵のモデルをやっているらしいし……後、深沢奈都貴と陽菜って奴等は子遊庵って場所に遊びに来た子供達に色々教えているらしい」


「ああそれね。珍しいよね、こっちの世界の子の先生をやる人間なんて。惚れる、恋仲になる、友人になるってのはよくあるけれど」

 当然柚季はそのことを知っていたが、下手に口を滑らせたら最後、彼等に根掘り葉掘り聞かれることになるに違いなかったから敢えて何も言わないでおいた。先程花火は紗久羅に惚れたらしい与平という男(もやしや鰯より弱そうな男だそうだ、と紗久羅と全く同じことを言っていたから危うく吹きだっそうになった)のことについても触れていたが、その時もふうんとスルーした。速水は紗久羅や奈都貴が柚季の友人であることをばらしたくて仕方ない風だったが、今の所暴露してはいない。


「その子遊庵って建物の主は源太さんといってね、強面だけれど優しい人なんです。私と花火も幼い頃、そこでよく遊んだものです」


「あのおっさんも、結構こっちの世界の奴と関わろうとしちゃうんだよなあ。そうせずにはいられないんだとさ。別れる度辛い思いをするくせに、次の場所へ移って自分の姿が見える奴と会ったらまたそいつに話しかけて親しくなろうとする。別の世界の奴と語らい、交わる喜びを一度知るともう駄目なんだとさ。……まあ、その気持ち分からないでもないけれどさあ! しかし、仲良くなりゃあなるほど別れってのは辛くなるもんだ。その別れを受け入れることが出来ずに暴走しちまう奴ってのは多い。今回はそっちにいる人間と深く関わっている奴が多いからなあ……一層警戒しておかないとな。まあ、神経が随分図太い兄妹に色々教わっているガキ共にはこの京を混乱させるようなことは出来ないと思うけれど」


「昔、遷都した先に住んでいた人と恋に落ちた男性がいたのですが……永遠に共にいることは出来ず、渡遷京は別の土地へと移り、その恋人とも別れることとなりました。恋人と別れた男は絶望し、やがて狂って京に火をつけました。またこの妖が屈強で、なかなか止めることが出来ず被害はあっという間に広がって。亡くなった住人も少なくはありませんでした。あれが恐らく、この京において一番大きな事件だったでしょう。それ以来、こうして遷都した先に住む者と関わりを持った者のことを調べ、把握し、様子を見るようになったのです」

 それも柚季にとってはどうでもいいことだった。そういうことも含めてさくらと話せばいいのだ、そうすれば皆得して、皆幸せ。しかし柚季のことを相当気に入っているらしい二人を説得することは、限りなく不可能に近いことである。


「自分一人で勝手に死ぬ分にはいいんだけれど、他の奴に迷惑をかけるのはいただけない。とち狂って罪のない人を殺すとか、遷都に関する諸々のことを決める星読を襲撃するとか、宮に侵入しようとするとかさ」


「そうね、一人で勝手に色々調べている分にはいいけれど、何の関係も無い人間に迷惑をかけるのって最低なことだと思うわ」


「そうだよなあ。ま、ゆずきちもそんな関係ない奴に迷惑をかけるような人間にはなるなよ」


「嫌味をさらっとスルーした!」

 分かっていて敢えてスルーしたのか、まじで自分達に対する嫌味だと気づいていないのか、二人のにこにこ笑顔を見るだけでは到底分からない。こめかみの辺りをおさえ、柚季はもう何度ついたか分からぬため息をついた。


(全く……渡遷京に住む人と別れることを惜しんでいる人なんて、本当にいるのかしら。私だったら万歳三唱、さっさと出て行けって言いながら喜びの宴をあげるわ、絶対。気の休まる時が少しもありゃしない。嗚呼今すぐこの頭の中のぐちゃぐちゃを、スコップでかき出してしまいたい!)

 頭をかいたって、髪と心が乱れるだけで、中に詰まっているものをかきだすことは出来ない。そんな柚季を見てげらげら笑っていた花火だったが、突然笑うのをやめ、何かを思い出したような表情を浮かべ。


「っと、雑談している場合じゃなかったな。仕事、仕事」


「え、ここから出て行ってくれるの!?」


「ううん。違う違う。俺がこんなすぐにゆずきちとお別れするわけないじゃんか、馬鹿だなあゆずきちは。今からゆずきちに、この街のこととか更に詳しく聞くんだよ。そっちの世界で起きた事件とかについてもな。聞きたいことってのは日々増えるからなあ。ああ、いいねえその顔! 期待が外れて希望が打ち砕かれたって顔、可愛いよね最高だよね俺そういうの大好き!」

 にっこり、笑顔。柚季は悟る。目の前にいる花火は紗久羅を思いっきりうざくした感じではなく、紗久羅と出雲を足して二で割ったところにうざさを足した存在であることを。静流は申し訳ないという風な顔をして笑っている。


「すみませんね、本当に。申し訳ないです、ごめんなさい。なるべく早く終わらせるよう頑張りますので、よろしくお願いします、すみません。いや、本当に。さて、まずは何を聞きましょうか……」


「あんた達もう本当に、さっさとここから出て行け!」

 怒りと悲しみと苦しみが爆発した柚季の悲痛な叫び声が家中に響き渡った。



(はあ……あたしは一体何をやっているんだろう)

 紗久羅は自室に正座し、痛む頭を押さえていた。


「お見合いごっこだってよ、面白そうだ」


「凶暴ちんちくりん女と、気弱もやし野郎のお見合いかこりゃあ最高だな」


「ちょいと、押さないでおくれよ。駄目、これ以上前にはやらないよ、あたしの方が先にここに来ていたんだから! とても面白いものが見られるってのに、場所を譲る馬鹿がどこにいるんだい」


「これをきっかけに、恋が芽生えたりするのか? あの男女がこっちの世界の女だったら、もっと面白かったのになあ。あの乳無し娘の白無垢姿、きっと下手な漫才より面白いに違いない。子供が産まれたら、どうなると思う? 凶暴で強気な部分と、貧弱で弱気な部分が合わさって至極つまらない平凡な子供が出来るのかな?」


「いや、もしかしたら普段は気弱なのに酒が入るとものすごく凶暴になる奴が産まれるかも」


「へへへ、ひひっ、しかし、あれ、み、見ろよ……ひひひっ、け、傑作……!」

 狭い紗久羅の部屋はもう、妖達でいっぱいだった。部屋の外にも沢山の妖がいて大層愉快そうに笑いながら、相対している紗久羅と与平の姿を見つめていた。彼等が笑っているのは見合いごっこという一大パフォーマンスを前にしているから、というのもありまた今の与平の姿も理由の一つであった。

 紗久羅はちらりと目の前にいる与平を見、腹立たしさと戸惑いとおかしさがぐちゃぐちゃに混ざった何ともいえぬ気持ちになった。そうなるのも無理はない。


(ったく、変なことになっちまった。しかもまあくだらねえごっこ遊びとはいえ……初めての見合い相手ってのが……これ、とはな)

 紗久羅と向かい合うようにして座っている今の与平の姿は、全く珍妙としか言いようがなかった。細く白い顔に何故か店に置いてあるひょっとこの面をつけ、目の部分に空いている僅かな穴は、客の一人の友人である手ぬぐい(の付喪神)によって覆い隠されている。そうでもしなければ紗久羅と会話することなど到底無理だと判断したからだろう。その胴はどこから持ってきたか分からぬ縄でぐるぐる巻きにされ、身動きが取れない状態になっている。縄の終着点は「何もここまでやらんでもいいのに……」とぼやく一郎太の胴に結わえつけられている。与平が恥ずかしさのあまり逃げ出さぬようにしているのだ。全く、あれじゃあまるで下手人じゃねえかと紗久羅は哀れむやらおかしむやら。というか、これじゃあコミュニケーションをとる練習になりやしないんじゃないかとも思う。

 一方の紗久羅は誰にも縛られていないから、逃げようと思えば逃げられる。しかし今ここで逃げたところで彼等が諦めることはないだろう。ならば、さっさと終わらせて彼等を満足させてしまった方が良い。

 ちっ、と舌打ちする。目の前にいる男が自分に惚れさえしなければ、ほんの五ミリ分位は平和に暮らせたかもしれないのにと。惚れられたって、むず痒い気持ちにはなるが嬉しくはない。不愉快とは思わないが、歓迎など間違ってもしない。一郎太は本当に申し訳ない、というような顔つきでこちらを見ている。紗久羅は彼を恨む気持ちにはならなかった。あの空気を彼の力だけで変えることなど到底出来るはずがなかったのだ。


 そんなこんなで、お見合いが始まった。茎介に小突かれ、ああうう壊れたサイレンのような声をあげてから、ようやく口を開いた。


「あ、あの、その……与平と申します。え、えっと、その……歌を歌う鳥を育てて、う、ううう、売る店を、ち、父いと一緒にやっております」

 目隠しをして、紗久羅の姿はおろか世界の何もかもが見えていないはずにも関わらずこのざまだ。それでも一応喋れているだけまだましかもしれない。


「与平の親父は怒らせると本当に怖い。こいつはどちらかというと、母親似だな」


「おい静かにしろ、見合いをやっているのはお前じゃないんだぞ」

 紗久羅はため息をつき、自己紹介をした。


「あたしは紗久羅、井上紗久羅だ。見ての通り……ここは弁当屋だ。もっとも店をやっているのはばあちゃんと母さんで、あたしは時々店番をする位だけれど。ふうん、歌を歌う鳥を育てて売る、ねえ……それってどんな鳥なの? どんな歌を歌うの?」


「ぎゃあ!」

 仕方ない、話を広げてやるかと質問したらこのざまだ。何故質問されて悲鳴をあげるのか全く意味が分からない。ただでさえイライラしているというのに、こんな反応をされたらますますイライラしてしまう。紗久羅は、英彦の高校時代の同級生で現在は向こう側の世界で暮らしている千景のことを思い出した。彼女の夫青海(せいがい)もかつては極度の人見知りであったという。きっとこの与平のような者だったんだろうなと思う。幾ら一目惚れしたとはいえ、千景はよくこんな者を相手に色々と耐えることが出来たなと感心する他ない。


(あたしだったら、一日も経たない内にぶっ飛ばしてさっさと帰っているだろうな。惚れていようがいまいが、関係あるものか。あたしには、無理だ)

 ほらほらちゃんと質問に答えろと煽りからかう妖達をたしなめながら、一郎太は与平を叱咤激励しようやく与平は紗久羅の質問に答えた。


「あ、あの……い、色々います。雀位小さなものもいれば、鷹位大きいものもいます。い、いい、色や見た目は綺麗なものがお、おっおっ多いです。黒い体に、らっ螺鈿細工を施したような色した羽根の、ててて、掌に乗る位のものとか……白雪のような体のものとか、瑠璃色のものとか、頭に黄金の角が生えた虹色の体をしたものとか……。ほ、ほほ、本当に色々なんです。声も低いものもいれば高いものもいます。同じ鳥でも声は結構、ち、違うんです。歌は最初から覚えているも、ものもあるんですが……大抵はこちらが教えます。うううう、歌も色々あります。早いもの、ゆっくりなもの、楽しいもの、悲しいもの……恋の歌、故郷を思う歌、母子の歌……じっ、自分で作った歌を教えるこここ、こともあります」

 その声は心なしか楽しそうだった。きっと自分の仕事が好きなのだろう。周りにいた妖達も「そいつは歌を作るのも、教えるのも得意なんだぞ、意外にも」とか「こいつと親父さんの育てる鳥は、愛好家達に評判が良いんだ」とか言っている。


「こいつは動物全般が好きでな、周りには動物博士とか動物馬鹿とか言われているのだ」


「へえ……好きなんだ、動物」

 と今までより幾分優しく柔らかな声でそう言っただけで与平はぶるぶる小刻みに震え、あばばばばとか訳の分からぬ声を発し。震えるなど阿呆、と一人の客に殴られてようやくその震えは止まった。というか、気絶した。当然のことながらあんまり強い力で殴ったその客は馬鹿野郎と詰られ、他の客達にお仕置きされてしまった。しばらくしてようやく気がついたらしい与平は、動物は好きですと頷いた。


「どどど、動物の観察とか……自分なりに研究するとか、見るのも触るのも勉強するのも、すす、好きです。そそ、その、さっくらあさんはごごごご、ご趣味とかあるんで、す、かあっ」

 最後の声など、まるで烏の鳴き声で思わず紗久羅は吹きだしそうになったがどうにかこらえた。


「あたしは料理をするのが好きだな。おい、お前等意外そうな顔するな、ざわつくな! このあたしの作った飯食ったらお前等腰抜かすぞ! 不味さで腰抜かすわけじゃねえよ! え、料理上手いって自分で思いこんでいるだけで実際はそうじゃないんだろうって? くっそ、お前等にあたしの手料理を食わせることが出来れば!」


「りょ、料理でで、すか。かっかかか、かていてぐっ……な人ですねえっ」


「褒め言葉を噛むなよ! 何だよカテーテルな人って! まあ、料理以外の家事はからきしだけれどな」

 だろうな、と皆してうんうん頷いた。与平もそれにつられて頷きそうになり、紗久羅にぎろっと睨まれ、固まり。その姿見えずとも気配で何となく察したらしい。ちなみに与平は料理はあまりしたことがないが、裁縫は得意らしい。そのせいで女々しい奴だとからかわれることもあったとか。


「別に男が裁縫したっておかしくないと思うけれどな」

 と何気なく呟けば、与平の体が固まって頭から湯気がゆらりと。ありゃあますます惚れたな、と客達は笑った。


「おう、与平固まっている場合じゃないぞ。どんどん質問しろ、年齢とか、恋人がいたことはあったんですかとか、好きな食べ物はとか、家族のこととか沢山さあ。そして俺達をもっと楽しませてくれよ」


「え、えと……年齢は、こここっ、恋人がいたことはあったんですか、好きな食べ物はなんですか、家族は、たた、沢山……」


「言われた通りかよ!?」

 という紗久羅のツッコミに、どっと笑い声。一郎太は大きな手で顔を覆い、がっくり。ただただ呆れているのだろう。

 仕方なく紗久羅は十六歳であること、恋人は一度も出来たことがないこと(だろうな、と客達は口々に言った)、好きな食べ物は散らし寿司であること、家族は父と祖母と母、それから兄であることなど話してやった。しかし折角教えても、与平がそれを膨らませることは殆ど出来なかった。勉強は苦手だとか、四月生まれだとか、得意料理は煮物とみそ汁だとか、友達のこととか、色々喋ったのに。ええ、とかへえ、とか何とも言えない声をあげてばかりで自分のことは殆ど答えない。代わりに周りの妖達が答える始末だが、どこまでが真実かは不明である。

 質問の内容は殆ど周りに言われたものをそのまま言うだけだった。妖達は面白がってわざと恥ずかしいことばかり質問させようとし、与平はテンパる。しかし自分で質問を考える余裕もないので、そういう類のものまでそのまま紗久羅に聞いてしまうのだった。先程など、妖の一人の「小ぶりな乳のことをどう思っている? でかい方がやっぱりいいと思っているの?」という質問に頭が真っ白になり、奇妙な呻き声を発し、どうにかして言い方をまともなものに変えようとした挙句「ち、乳回りの残念さについてどう思いますか?」などと全く良くなっていない質問をして紗久羅に睨まれ怒鳴られ、ひええと悲鳴をあげ、逃げようとしたが縄に邪魔されすってんころりん、妖達は大爆笑。まだまともだったのは最初だけだった。


(あたしお見合いごっこやっているんだっけ? それともコント?)

 しかもこんな騒々しいお見合いなんて、あるものか。それからは段々と妖達が騒がしくなっていって、もう与平なんて完全に彼等に呑まれて無となった。紗久羅はうるせえ馬鹿野郎と何度も叫び、質問攻めに耳を塞ぎ、一郎太はうるさい静かにせんかと怒鳴るけれど誰も聞きやしない。

 最後には一階で仕事をしていた菊野がやって来て「うるさいねこの馬鹿孫共が!」と紗久羅をひっぱたいた。孫『共』と言っているところをみると、矢張り彼女には渡遷京の住人の姿が見えているらしい。


「痛い……くそ、なんであたしだけが叩かれなくちゃいけないんだよ馬鹿野郎! おいくそ与平、お前のせいだぞ馬鹿野郎!」


「ひいい!」

 与平はまた悲鳴をあげて立ち上がって、駆けて、こけて大爆笑。

 見合いを通じてコミュニケーションの練習をし、お互いのことを知り、絆を深めることは出来ずむしろ溝は広がるばかり、紗久羅のイライラは増すばかり。


 この後、紗久羅は三度に渡って菊野に怒鳴られ、頭をはたかれるのだった。

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