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桜町幻想奇譚  作者: 里芽
遷都バレンタインデー
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遷都バレンタインデー(6)


「疲れた……嗚呼、もうあの兄妹本当にさっさと滅びればいい……」

 机に突っ伏し死にそうな声で呪いの言葉を吐く柚季を、紗久羅と奈都貴は苦笑いしながら見つめていた。

 ここが教室でなかったら、彼女は今頃大声で「ばかやろー!」と叫んでいたかもしれない。いや、もしかしたら今はそんな気力さえないかもしれない。


「しかし、ものの見事にやらかしたな三人して」

 ため息をつく奈都貴の言葉に、紗久羅と柚季が深いため息で返す。昨日携帯でやり取りをし、三人仲良く渡遷京の住人と関わってしまったことを知った。紗久羅は与平という男に惚れられて奈都貴に『井上に惚れるなんて、まあ特殊な趣味をお持ちで』と言われ、奈都貴は陽菜と共に妖の子供達の先生となり柚季に『深沢先生お願いだからあのはちゃめちゃ兄妹の再教育をして頂戴、今すぐに!』と言われ、はちゃめちゃ兄妹によって質問攻めされた柚季は紗久羅に『ゆずきちちゃん!? やだなにそれ超可愛い!』と言われ『いつか紗久羅にあの兄妹押しつけてやる!』と割と冗談ではないだろう言葉を吐かれた。


 何も知らぬ者達が大半を占めている教室内だったので詳しいことを話すことは出来ず、出来ることといえばため息をつくことと、周囲の観察位のものだった。近くに座っている女生徒は、いつもなら友人達とうるさい位元気に喋っているというのに、今日は机に突っ伏したままぴくりとも動かない。稀に動く口から出るのは呻き声のようなもののみ。彼女が昨日、変なものが見えて困っていると話していたのを、三人は聞いていた。その『変なもの』のせいで大分参っている様子。彼女に霧江が「ねえねえ、変なものが見えるってまじ? そういう人なんか多いみたいなんだけれど、どんなものが見えるの?」としつこく聞いている。その問いに返答することも、うるさいと追い払うことさえ今の彼女には出来ないようだった。ぜえぜえと息を切らしながら、教室に入った男子生徒が「この学校は無事なんだよなあ」と呟き席につく。そして友人とお喋りすることもなく、ぼうっとしている。時々何かぶつぶつと呟いているようだったが、何を言っているか全く聞き取れず、またその様子は酷く無気味であった。

 そんな風に、渡遷京遷都が原因で様子がおかしくなったらしい者の姿を紗久羅達は少なからず見かけていた。きっと時が流れれば流れる程そういう人は多くなり、また酷い状態になっていくことだろう。


 放課後、紗久羅達は司書準備室を借りてメールだけでは話しきれなかったことを話す。図書室で業務をしている英彦も風鈴園の持ち主に気に入られ、どういう育て方をすると良いものが出来るかとか、こういう品種があるんだとか、こういう歴史があるんだとか言うことを延々と語られうんざりしているらしい。


――こちらが見えていることに気づいても、無視してくれる人も多いようなのですが……一方で喜びはしゃぐ人も多いようですね。お、あいつ俺達のことに気づいていやがるぞ、こりゃあ絡まにゃ損だって感じで。一言二言話しかけるだけじゃ済みませんしねえ……困ったものです――

 英彦も、渡遷京遷都によって苦しんでいる生徒に呪いをかけ、その負担を軽くしたいと思ってはいるらしい。しかし「私は術師です、貴方の症状を軽くする為の呪いをかけます」なんて胡散臭いことはいえないし、かといって何も言わぬまま相手の額にぽん、と触るわけにもいかない。定期的にかけてやらなければいけないし、霊力だって消費する。決して無償で使えるわけではないのだ。


「本当、どうにかならないのかしら! 家はずっと牛鍋とお酒と飴の匂いでいっぱいだし、妖達はうるさいし、変なものが視界に入りまくるし、兄妹はうるさいし!」

 そう言って、柚季は昨日のことを詳しく話しだす。


 彼女の前に現れた兄妹。兄は静流(しずる)、妹は花火と言った。花火、というのは渡遷京においては星種(せいしゅ)と呼ばれる種が弾ける時に出てくるもので、熱くはなくまたそこまで大きくはないらしい。種は夏の夜に弾けるらしく、昔は完全なランダムだったが今は品種改良によってある程度出てくるものの色や形をコントロールすることが出来るらしく、毎年夏になると大々的な品評会が行われ、会場はお祭り騒ぎとなるそうだ。

 彼等は聞いてもいないのに自己紹介と、自分たち世界における花火の説明をすると、今度は柚季の名前の由来などをしつこく聞いてきた。あんまりしつこいので仕方なく、柚子が旬の時期に産まれたから柚季という名前になったこと、両親が柚子が好きであることを話してやった。すると年齢やら身長やら好きな食べ物やら、そんなことどうして貴方達に教えなければいけないのよと言いたくなるようなことを次々と聞いてきた。誰が答えるものですかと言っても、教えろ教えろとしつこい。兄の静流も「妹がすみません……それで、ここには産まれた時からずっと?」という具合に、謝りつつもちゃっかり聞いてくるのだった。


「それで私に関する質問が終わったと思ったら、今度はこっちの世界について色々聞いてくるわけ。三つ葉市のことだけじゃなくって、桜町や舞花市のことまで色々聞いてくるの。市長(町長)の名前とか、名産品とか有名な所とかあるのとか、ここにあるこの施設はどういったものなのかとか、最近街で起きた印象深い出来事は何かとか、本当に色々! 市長の名前なんてろくに覚えていないわよ、出来事って言われても妖関連のこと位しかぱっと思い浮かばないわよ! 一週間にこの街でどれ位の人が死んだかなんて分かるかっての! 大体何なのよ、そんな質問して何の意味があるってのよ!」

 と、色々思い出したのか叫びながら本が積まれた机をどんどん叩く。そして質問は国、というか世界全体に関するものへと変わっていく。あちこちにあるTVを見たり、新聞を読んでいる人の背後にぴったりついて、一緒になって読んだりしたことで知ったニュースについて詳しい解説を求められたり、その後どうなったのかということを聞かれたり、大昔のニュースについて色々聞かれたりと大変だったという。把握しきれていない部分はパソコンで調べ、二人に教える羽目に。二人共馬鹿ではなかったから飲みこみは早かったが、一つ教えると十の質問が返ってくるから大変気が滅入った、と彼女は言う。


「ああ、俺も似たようなことをしたな。海の生き物とか、乗り物の写真とか見せた。質問とかも色々されたな……子供だからさ、素朴ながらぱっと答えられないようなものばっかりしてくるんだ。そもそも答えが出ていないようなことも聞いてくるし。聞かれる度、陽菜と一緒にわたわたしてさ、これが大変で」


「深沢君結構先生ごっこ、楽しんでいるでしょう」


「は、何で」


「ものすごく嬉しそうな顔しているもの」


「確かに、めっちゃ良い顔しているよなあ」

 別にそんなことないし、仕方なくやっているだけだしと本人は言っているがその表情にはまるで説得力が無い。柚季はあの二人相手にするよりはまだましかも、と羨ましげである。羨ましがれば羨ましがるほど、兄妹が憎らしくなるらしくその後も延々と愚痴る。


「いちいち癇に障るのよ、あの二人! 妹はずっとこっちのことをゆずきち呼び、事あるごとに馬鹿みたいに大きな声でげらげら笑うし、こっちがむきになって怒るのを見て大喜びするし、それが分かっていても我慢出来ないのよ……あの人、人をむっとさせる天才だと思うの。人が仕方なく質問に答えている時にいきなり全く関係の無いことを話しだすわ、胸は触るわ下ネタ連発するわ……」


「何か井上みたいだな」


「あたしそこまで酷くないけれどなあ!」


「全面的に否定することはないんだな……」

 そして兄・静流の方は異様に押しが強い。また、花火の失礼すぎる言動や行動の数々を止めようとはせず、ただ「ごめんなさい」「すみません」「申し訳ないです」の謝罪三種をローテーションするのみ。花火以上に仕事熱心な人間のようだが、仕事の為なら誰がどれだけの迷惑を被ろうと知ったことではないというスタンスはいただけない、と柚季。その声にはまるで生気はなかったが、怨念はこもっていた。


「何か家に帰るのが憂鬱だなあ。こんなに学校にずっと居たいと思ったのは初めてだよ。帰ったらまたあいつらに絡まれるんだろうなあ。昨日もずっと絡まれて、眠いったらありゃあしない。あいつがもしまた来ていたら、ますます酷いことになるに違いない。くっそう、あいつ……許すまじ」


「井上に惚れるなんて、本当良い趣味しているよなあ、そいつ」


「え、良い趣味? いやん、そんなあ、あたしってばそんな魅力的な子? 照れちゃうなあ」


「嫌味で言っているんだよ、嫌味で」

 昨日は昨日で特殊な趣味扱い、今日は今日で散々な言いようである。紗久羅は嫌味を言う奈都貴に対し、投げキッス。


「大丈夫大丈夫、心配しなくてもあたしなっちゃん以外の男の子にはなびかないからさ」


「心配していないしそもそもお前のことなんて好きじゃねえよ!」


「ええ、あたしはこんなに愛しているのにい」


「殴られたいか、一発殴られたいか?」


「いいなあ二人共、いちゃつく余裕があって」

 と柚季は話す度にやっているといっても過言ではない茶番劇を前に、深いため息。

 それから「いつこの渡遷京は別の土地へと移るのだろう」という話になったが、答えなど出るはずもなく、結局「早くどっかへ行ってくれないかなあ」という願望で締めるのだった。


 それから時が過ぎ土曜日となったが三人の願いが叶うことはなく、相変わらず渡遷京の人々はこちらの世界にいた。

 出雲は連日訪れる紗久羅の愚痴を聞きながら(適当に聞き流している可能性も高いが)、こればかりはどうしようもないからねえと肩をすくめる。


「しかし、気に喰わないなあ。私の紗久羅に恋慕するなんて」

 てめえのものじゃねえよ、という紗久羅の言葉は彼の耳には届いていないようだ。紅茶をすすり、肘をついて庭の方をぼうっと眺めている。いかにも不愉快だ、という様子でこういう時の彼は大抵滅茶苦茶なことを言う。実際彼は、滅茶苦茶なことを言いだした。


「……じいさんからあの万華鏡を借りれば、渡遷京に行ける可能性はあるよね」


「でも、あいつらを別の場所に遷都させることは出来ないんだろう?」

 何か嫌な予感を覚えつつ聞くと、まあねえと返ってくるのは冷たい声。それからややあって「でも」と彼は続けた。


「燃やすことは出来る」


「……は?」


「紅蓮の炎で全てを焼き尽くしてしまえば、彼等に煩わされることもない。けれど、流石に京一つを私一人の力で燃やすのは難しいなあ。当然燃やせば誰かが止めにかかるだろうし。向こうにだって、私より強い者はいるだろうし、多勢に無勢じゃあねえ。となると、燃やす場所を限定した方が良いな。やっぱりその不埒な輩が通い詰めている店を、客ごと燃やすとか……これで万事解決」


「しねえよ! 頼むから止めろ、絶対に止めろよまじで!」


「これが一番確実な方法なのになあ」


「倫理的にアウトだっつうの!」

 本気でやりかねない男だから、全力で止める。止めたところでちゃんと聞いてくれるかどうかは分からないが、止めなかったら止めなかったで「だって君、止めなかったじゃあないか」とかなんとかいうに違いないのだ。出雲はそれじゃあどうしようもないねえ、と呟いただけでそれ以後そのことについて口にすることはなかった。


 さあさあ早くお帰り、そして大いに苦しむが良い、私はその姿を想像してにやにやしているからと意地の悪い言葉と共に追い出され、屋根から屋根へすさまじいジャンプ力で飛び移る大きなバッタらしきもの、ぺちゃくちゃ喋りながら移動するお面、土を集めて美しい手毬を作るフンコロガシに似た生き物などといったものを見ながら家に帰りリビングへと行けば、早速そこで飲んでいた妖達に話しかけられた。


「ようようさっちゃん、お帰りかい」


「未来の旦那様が向こうでお待ちだぞう」


「旦那違うわ!」

 むきになって返せば、予想通りの反応だと妖達が笑う。彼等はどうも紗久羅のことを気に入ってしまったらしい。すぐむきになって突っかかってくるからかい甲斐のある娘で、しかもなんだかんだ言いつつお喋りに付き合ってくれるし、ノリも良い――気に入るなという方がおかしい話で。紗久羅も毎回無視しよう、今度こそ喋らないようにしようと思うのだがこらえ性ではないから、何か言われるとすぐ返してしまう。そしてそこから雑談へと移行し、うざったいながらも愉快な妖達とのお喋りに夢中になり、最後まで彼等に付き合ってしまうのだった。そしてお喋りが終わり、はっと我に返って「駄目だ駄目だ、これじゃあいかん、今度こそ無視しよう」と決心するのだが、直後また別の妖に捕まって同じように雑談相手になって……その繰り返し。お陰で喉が痛いったらありゃしないとぼやけば「大変だ、それじゃあ仕草どころか声までおっさんに近づいてしまう!」「声だけがお前さんを女だと判別出来る材料なのに!」「乳ねえからなあ、こいつ」などと妖共は言いたい放題、地団太を踏んだって「おお、おっかないねえ」と笑いながら言われるだけ。リビングで新聞を読んでいた父は「大変だねえ」と一言。彼から見れば、紗久羅が一人でぎゃあぎゃあ騒いでいるだけなのだが、何となく事情を察しているらしく紗久羅の行動を特別不審に思うことはなかったし、色々と聞いてくることもなかった。

 自分の部屋へ入ろうとしたところで、この店の従業員である女とすれ違った。


「おやおや、お帰りなさいさっちゃん。学校はどうだった? おや、今日はいつも着ている制服とやらではないね」


「今日は学校ないよ。休みだよ、休み」


「ああ、そうかい。冬はうんと寒いからね、風邪には気をつけなよ」

 客のみでなく、従業員も紗久羅に積極的に話しかけてくる。どうも『同じ屋根の下』で約一週間共に過ごす内、親近感がわいてきてしまったらしい。先程の(見た目)中年の女のように『近所に住んでいる世話焼きのおばさん』気取りで接してくる者もいれば『同年代のお友達』気取りで接してくる者もいた。客にしても、従業員にしても、紗久羅と十年来の付き合いがあるかのように接する。しかし紗久羅はそこまで親しいとはまるで思っていないから、彼等の馴れ馴れしさにいらいらすることもしばしば。


 女の言葉に分かっているよ、と一言返して紗久羅は「おおい与平、愛しのお転婆お姫様が帰ってきたぞ」とか「与平が昨日よりも多く彼女と喋るのに酒一瓶賭ける」「じゃあ俺は、挨拶さえ出来ないに賭けよう」とかなんとかいう言葉を聞きつつドアを開ける。部屋の中には一郎太や茎介、与平の姿があった。ベッドや勉強机、棚などに重なるようにして存在している妖なども含めれば、それなりの人数がこの大して広くない部屋にいる。与平は紗久羅の姿を認めるなり体をびくっとさせ、一郎太に「ほれ、挨拶位せんか」と小突かれ、それから顔を真っ赤にしながら口を開くも結局まともな言葉はそこから出てこなかった。ここここここ、と口をぱくぱくさせつつどうにかして「こんにちは」と言おうとするその姿は、まるで池から顔を出した鯉の如く。昨日は一応挨拶はしたが、その後紗久羅に「こんばんは」と返されただけで気を失ってしまった。挨拶は出来ないが気は失わないのと、挨拶は出来たけれど気を失うの、果たしてどちらの方がましなのかねえ、というどこかにいる妖の言葉に紗久羅は「さあ?」と肩すくめ。震え、俯いていた与平はしばらくして顔を上げ、自分を見下ろしていた紗久羅と目を合わす。そうして自分からこちらを見たくせに、また顔を真っ赤にして、まるで化け物でも見たかのように震え、しまいに「きゃあっ」とお前は女かとつっこみたくなるような声をあげて口から魂吐いて。


 全く、ここ数日間彼はずっとこんな調子なのだった。連日訪れては紗久羅の部屋がある所に座るのだが(先客がいても、与平が来ると皆彼に席を譲る)だからといって積極的に紗久羅にアプローチするわけでもなく、体をかちんこちんにさせつつ飯を喰らっている。そして時々ちらちらと紗久羅の方を見ては赤面したり、泡を吹いたり、茶碗を落としたりするのだ。一郎太や茎介の手助け(面白いものを見る為に、彼は積極的に彼をフォローした)があって、ようやく紗久羅に話しかけることが出来る状態。いや、手助けがあっても駄目な時の方が多かったし、どうにか話しかけても紗久羅が返事した途端に気を失うし、かろうじて気絶しなかったとしてもそこから話を更に発展させ、紗久羅と言葉のキャッチボールをすることは出来なかった。その度一郎太はため息をつき、茎介達はげらげら笑うのだ。「ほら、まともに挨拶も出来なかった。今日の賭けは俺の勝ちだな」とかいう声が聞こえる。恐らくいつも彼はこういう風に賭けの対象にされているのだろう。恋した相手がこの店に重なっている場所にいる娘だから、尚更盛り上がる。


「全く与平はいつになっても変わらない。まっ、変わってくれない方が俺達としては都合がいいんだけれどな!」


「しっかりしていて、惚れた女とまともに会話も出来る与平見ていたって、面白くもなんともないからなあ」

 語尾を伸ばす豚もどき男は、名を豪豚(ごうとん)といった。茎介と豪豚、そして今日は姿を見せていないが――一つ目の男――(ひとえ)は仲が良く、よくつるんでいるらしい。彼等も高確率で紗久羅の部屋がある場所に陣取り、紗久羅に絡む。学校のことや友達のことを聞いてきたり、こちらの世界にあるものについて聞いてきたり、与平のことでからかったり。紗久羅が一郎太に請われ、仕方なく与平に話しかけただけでひゅうひゅうと囃したてる。そして与平は口から煙を吐く。


「今日も恋愛コントをやっているのか、飽きねえなあ。まあ何回見ても飽きないからいいけれど」


「与平ちゃんってば、本当か・わ・い・い・わねえ、うっふん」


「もういっそこのカマ介と恋人になりゃあいいんじゃねえの?」


「あらあ、誰がカマ介よ失礼しちゃうわねえ!」


「おい、梅太郎! 梅太郎がまた梅吐いたぞ!」


「誰だよこいつの盃に梅酒入れた馬鹿は! おい、梅干しも吐いているぞ! お前の体本当どういう構造しているんだよ!?」


「美味い、美味い。どうしてここのホネバカリ(という名の魚らしい)の骨せんべいはこんなにも美味いのだろう。たまらん味つけなんだよなあ、甘辛くて香ばしくて」


「お前よくお酢を一気飲みなんて出来るなあ」


「美容の為美容の為美容の為美容の為……死にそう……でも、飲む。りんご酢、もう一杯頂戴!」

 今日もあちこちから、妖達の騒がしい声が聞こえる。笑い声、怒声、箸が食器に当たる音、従業員が階段を上る音、ヘンテコな踊りを踊る男の調子はずれの歌……。これが連日、ほぼ二十四時間休まず聞こえるのだからたまったものではない。その声や音を振り払うかのように首をぶんぶんと振った。


「全く、相変わらずうるせえなあ……くそ!」


「当然だろう、ここは食事処なんだから」


「あたしにとってはここは自分の部屋なんだよ! 一人でのんびりまったり自分の時間を過ごす場所なんだよ、分かる!?」

 けけけ、と笑って茎介は酒を一口。皿に盛られたとろとろになるまで煮こんでいながら、形は崩れていない豚の角煮は非常に美味そうだ。お菓子とお茶でいっぱいになった腹がぐう、と鳴りまたそれを聞いて妖達が「くいしんぼちゃんめ」とか何とか言って笑う。笑われたのが悔しくて思わず声を張り上げる。


「ええい、もう、うるさいうるさい! 少しは静かにしやがれ!」


「辛抱が足りないのう。ほらあ、あれえ、お前達の世界にある言葉でえ……そうだあ、心頭滅却すれば火もまた涼し、だあ」


「けっ、何が心頭滅却すれば火もまた涼しだよ。心底迷惑すれば気もまた狂うし、だよ本当!」


「全く本当に短気で辛抱強さの足りぬ娘だ。以前もこの店と重なっていた家にいた者の中で、俺達の姿を見たり、声や音を聞いたりすることが出来る奴がいたが、そいつも最初こそぎゃあぎゃあ喚いていたが、最後にはうんと静かになったぞ」


「そうそう。自分の部屋から一歩も出ることなく、こっちがどれだけ騒いでいても我関せず、悟りでも開いたかのように、椅子に座ったまま微動だにせず。まともに飲み食いもしなくなったなあ、悟り開くとむやみやたらに飲み食いしないものなのかなあ」


「それ完全に精神病んでいるじゃねえか!?」


「そうなのかあ? それじゃあお前さんも心を喰われてしまえばいい。そうすりゃあきっと楽になるぞう」


「いや、しかしそうなったらからかい甲斐がなくなって、つまらんではないか。この娘は外界の言葉に反応してわあわあ喚くところが唯一といっても過言ではない魅力だというのに」

 ふざけんな畜生、と茎介を蹴飛ばすけれどその足は空を切るだけああ空しい。


「あ、あの……そ、そそそ、その、さっ……く、らさんがあんまり可哀想ですから、そ、その、あ、あまり騒がないほ、ほうが、というか、あ、あの、そっとしておいてあげた、ほ、ほうが」


「誰のせいでこんなにこの馬鹿共に絡まれていると思っているんだこん畜生!」

 珍しく口を開いた与平に紗久羅は食ってかかる。与平は「ひいっ」と悲鳴をあげそれからまるでお経でも唱えるかの如く謝罪の言葉を連呼する。本当に惚れている人間を相手にしているとは到底思えない態度で、またそれがイラつく。一方茎介達は、水飲み鳥の如く何度も頭を上げ下げしながら謝罪する与平の姿を見てげらげらと大笑い。


「お前達、それ位にしておかないか。すまないな、娘よ」

 そう言ったのは一郎太だった。彼は特別強面だったが、他の面々に比べればまだ良識がありこちらのことを思いやる心もあった。普段は静かに酒を飲み、飯を喰らいつつ与平と喋っているだけだがあんまり茎介達の悪ふざけが過ぎると、こうしてたしなめてくれる。話が分かる者が一人でもいることは、かなりの助けだった。紗久羅は勉強机の前にある椅子に座った。


「そういえば、あんたと与平って全然違うタイプって感じなのに随分仲良いよな」

 与平は一郎太相手だとごくごく普通にお喋りが出来る。それ以外の者が相手の場合、紗久羅を相手にする時程酷くはないとはいえ、コミュニケーション能力欠如っぷりが半端無い。ぼりぼり頭をかきながら、一郎太は口を開いた。


「こいつのことがどうにも放っておけなくてな、何かと助けている内気づいたら親しくなったのだ。こういうことは何も珍しいことではない。よくあることさ、色々面倒を見ている内に……ということはな」

 一郎太は随分と面倒見が良く、強者よりも弱き者に好かれやすい性質の男だった。顔の怖さは鞍馬似だが、中身は弥助に似ているらしい。近くで飲んでいた客の中にも彼に色々助けられた者がいるようで、自分はこういうことをしてもらったとか、とても感謝しているのだとか、そういったことを口ぐちに言う。


「こいつはとても良い奴なんだがな、残念な部分ばかりが目立ってしまってどうにも……もう少し上手く喋れるようになって、自分がどういう者なのか相手に伝えることが出来るようになれば少しは相手の印象も変わるのやもしれぬが。人と話をする練習というものを少しずつやっていけば良いのではと思うのだが、本人がいまいち乗り気でないというか、すぐ諦めてしまうというか。こむにけいそ能力(コミュニケーション能力と言いたいらしい)をもう少しつければ、好きな女とまともに話せる度胸がつけば、こっぴどく振られたり、周りの奴等に笑われたりすることもなくなっていくだろうに」

 与平は「そんなの無理だよ」とぼそり、呟く。その弱弱しい声がまた紗久羅をイラつかせる。本人が無理だと決めつけている以上、一郎太がどれだけ頑張ってもどうにもなるまい。


「人と話す練習、自分の魅力を相手に伝える練習、惚れている女との交流……あ」

 茎介はぽん、と手を叩くとにんまりと笑った。何だか嫌な予感がして、背筋がぞくり。


「そうだ、お見合いごっこをしよう!」


「はあ!?」

 紗久羅と一郎太、それから周りにいた妖達が一斉に眉をひそめた。与平は口と目をぽかんと開けて間抜け面。


「会話の練習にもなるし、惚れている女に自分のことを伝えることも出来るし、相手のことも色々聞くことが出来る。そして何より、俺達にとって最高の酒の肴となる! うん、いいだろう、お見合いごっこ! 誰も損をしない!」


「待て待て待て損している! あたしがめっちゃ損している! 少なくともあたしだけ全然得していねえ!」

 紗久羅は全力でその馬鹿げた提案――与平の為とは一ミリも思っていないだろう――を拒否するが、紗久羅の部屋やその外にいる妖達は「それは良い!」と大賛成、大盛り上がり。一郎太はこの娘の迷惑になるからやめろと言ったが、彼一人の力ではもうどうにもならなかった。場の空気が完全に『お見合いごっこ超見たいモード』になってしまっているからだ。紗久羅もまたその場の空気に縛られ、逃げることが出来なくなってしまった。与平はやっぱり池から顔を出した鯉のようにぱくぱく口を開け、その顔の色は金魚の如し。結局紗久羅は茎介の提案した『お見合いごっこ』の餌食となるのだった。


「なんで、なんで……なんでこうなるんだよ!」

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