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桜町幻想奇譚  作者: 里芽
遷都バレンタインデー
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遷都バレンタインデー(5)


「おい、お前いい加減起きろよな。ったく、人の顔見て気失いやがって! 惚れてんだか腫れてんだか知らんけれど! ええい、お前達も笑うんじゃねえ!」

 紗久羅に気がある……らしい男、与平は顔を真っ赤にして気を失ったまま起きやしない。緊張と恥ずかしさのあまり死んでしまったのではないかと思える位、ぴくりとも動かない。そしてそんな彼を起こそうと怒鳴りつける紗久羅を、与平の恋心を知る客達がにやにやしながら見ている。中にはわざわざ席を離れこちらまでやって来た者もおり、そこまで大きくない紗久羅の部屋の中は妖共でいっぱいだ。ただ人を起こすだけのことなのに、やり辛くて仕方ない。何かとても恥ずかしい、いけないことを自分がしているような心地がし、妙に緊張して体が硬くなるし声は若干上擦るし体温は上がる。それもこれも妖達が、熱々カップルのラブラブシーンを見ているかのような目でこちらをじいっと見つめているせいだ。そしてそんな目を自分が向けられているのは、この目の前にいる男のせいなのだと思ったら腹立たしくなって、思わず紗久羅は与平のおでこを早く起きろとぺしぺし叩く。といっても実際には叩けておらず、あくまでも叩くフリ、になってしまっているのだが。


「王子様を起こすには、やっぱり熱い接吻が必要だなあ! まあ、本当にやれはしないけれどさ!」


「目覚ましキッスだな!」


「いや、目覚ましキッスじゃなくてトドメ刺しキッスになりそうだな。何せあの与平だからな、例え感触がなくってもそんなことされたら死んじまうよ」


「でも見てみたいねえ、ちんちくりん男女ちゃんとへろへろヘタレもやし男のキッス! 与平は死んじまうかもしれないが、それでも結構! ようは俺が楽しめればいい!」


「ほれほれ娘っ子、はよう口づけしたれ。俺等の酒の肴の為に! 与平の為にもなるしなあ。好きな女の幻接吻で死ねるなら与平も本望だろう。というわけでほれほれ、キッス、キッス、目覚ましキッス!」

 としまいに妖共は手拍子打ちつつキッスコールを始める。その声は部屋の外からも聞こえ、腹立つわ恥ずかしいわうるさいわ、わなわな震える紗久羅、固く握りしめた拳もぶるぶる震え。


「いい加減にしろよてめえらあ!」

 とうとう爆発して大声で怒鳴れば、客達は「怒った、怒ったぞうおっかねえなあ!」と笑い、与平はといえばその声にびくっ「ふげえっ!」という謎の声を発しひきつけ起こし、お目覚めだ。目を覚ませば赤鬼、いや紗久羅の顔が。口も目もぽかんと開いて、間抜けなことこの上ない。顔の赤さは、今の紗久羅に負けていない。


「やっと起きたか! お前のせいであたしは恥ずかしい思いをしたんだぞ、どうしてくれる! 何なんだよ、そのお化けやゴキブリでも見るかのような目は! ああ、もう! 出来ることなら胸ぐらつかんでやりたいよ!」


「あ、え、あ……あ……か、か、かお、ち……うわあああ!」

 そう言うと与平は手と足と尻を使って後退すると、世にもみっともない姿で立ち上がり、情けないくせに無駄に大きな声で叫びながら走りだした。紗久羅の部屋をすり抜け、その姿は見えなくなり、それから少しして女性の悲鳴と、どんがんどんという何かが固いものにぶつかりながら落ちていく音が聞こえた。

 あちゃあ、あの馬鹿と右手をでこにやりつつ呆れたようにため息をついたのは、はげ頭の大男。眉と、口の周りに生えているひげは立派で、目はぎょろっとしており、墨染めの衣を身にまとっている。与平の右隣で、焼豚とタレに漬けた焼いた葱(どちらも丸々一本、ダイナミックとしかいいようのない料理だった)の刺さった串を食っていた男だ。


「あんな情けない走り方していりゃあ、そりゃあ足がもつれて階段も落ちるわな。まあ、あれ位で死にはしないだろうが、仕方ない。店の奴に迷惑をかけるわけにもいかんから助けに行ってやるとするか。本当に手のかかる奴だ」

 と男は(紗久羅は真っ先に「入道」という言葉を思い浮かべた)立ち上がり、階段を転げ落ちたらしい与平を助けに行った。その言い方などからぶっきらぼうだが根は優しく世話好き……そんな印象を受けた。それにしても、と紗久羅は頬を膨らませてむすっ。


(人の顔見てあんな……あたしは化け物じゃねえんだぞ。むかつくったらありゃあしない!)

 おまけに先程のことで、紗久羅は注目を集めてしまった。昨日今日は向こうから積極的に関わってくることはなかったが、これからはそうもいくまい。彼等はきっと今後とことん紗久羅を弄るに違いない。事実、与平の前と左隣で飯を食っていた妖三人が紗久羅を取り囲みにやにやしながら、好き放題言っている。うるせえ、うるせえと滅茶苦茶に腕を振っても彼等には当たらない。


「しかし与平は本当気の強い女が好きだなあ。俺は趣味じゃないな、男女なんてよ」

 そう言うのは紗久羅の前にいる妖だ。やたら黄色く固そうな肌、細い体、えらく尖った頭、甲高い声。青い縞模様の、水色の小袖を身に着けている。先程は鯛の茶漬けを食らっていた。紗久羅にはそんな男があるものにしか見えなかった。


「なんだよ、芋けんぴ野郎。あいついつもあたしみたいな気の強い女に惚れんのか」

 ついそう返してしまい、しまったと紗久羅は舌打ちした。自ら関わるような真似をしてどうするのか、と。芋けんぴ野郎は紗久羅が反応したことに若干驚きつつも、彼女のことをぎろっと睨む。


「誰が芋けんぴじゃ、誰が」


「じゃあフライドポテトか? 芋けんぴ野郎とフライドポテト野郎、どっちが良い?」


「そうだなあ、砂糖の甘さと芋の香りと齧った時の音がたまらん芋けんぴは好物……いや、しかし芋揚げもたまらないし、異国の響きというのはなかなか格好良くて魅力的……ってどっちも嫌に決まっているだろうが! 俺には茎介(けいすけ)と言う立派な名前があるんだよ!」


「茎介……茎……じゃがいも……ああ、じゃあお前は今日からフライドポテト野郎だな」


「ありがたきお名前……ってどこもありがたくないわ!」


「うわっ、汚ね! おいフライドポテト野郎、油飛ばすなよ! あたしの可愛い顔が汚れちまう!」


「油じゃなくて唾だ、唾! しかも俺の唾がお前さんにかかるわけないだろうが! いいか、俺はなあ……」

 茎介は、自分は『茎晶石(けいしょうせき)』というものが長い時を経て変じた姿であるという。茎晶石というのは、ある植物の地下茎なのだが見た目といい硬度や透明度、美しさといい宝石そっくりであるそうだ。琥珀色で、装飾品や細工に用いられるそれは最初はただの茎だそうだが、徐々に石っぽくなっていきまた大きくなってくるのだそうだ。大きくなるスピードは遅い為、大きな茎晶石程高値で取引されるという。また栽培されたものから採れた茎晶石は比較的安価だが、天然モノはなかなか手に入らない貴重なものなのでますます高くなるそうだ。茎介は奇跡的に誰にも見つかることなく成長し続け、そしてある日突然人の姿になったという。どうやって自分が土の中から這い出て来たのか全く覚えてはおらず、気づいたら地上にいたとか。俺ってばとてもすごい奴なんだぞ、と言わんばかりに茎介は胸を張る。


「……というわけだ、分かったか小娘」


「与平ってさ、気の強い女が好みなわけ?」


「話を聞け! 全く、おまけにあぐらなんぞかいて……はあ、俺には与平の趣味が分からん。ああそうさ、あいつは幾度となく女に惚れているが、相手は決まって気が強くて乱暴で男っぽい性格なんだ。同じ京の奴に惚れたり、他の渡遷京から来た奴に惚れたり、遷都した先にいた奴に惚れたり」


「ああ見えて、結構惚れっぽい性格なのだあ。だがあの生来の気の弱さのせいで、うじうじしているばかりで何も出来ず、大抵は自分の想いを伝えることが出来ぬまま終わるんだあ。そもそも渡遷京の存在に気づかないって場合もあるしなあ。一郎太……さっき階段から落ちた与平を助けに行った奴――の力を借りてようやっと告白までこぎつけることもあるが、まあ結果はお察しだなあ」

 やたら語尾を伸ばす男は紗久羅の背後に座っており、豚を中途半端に擬人化したような姿をしている。

 うんうん、いっつも悲惨な結末を迎えるんだよなあと頷くのは紗久羅の右横にいる一つ目の男で、先程まで茎介の隣で酒を飲んでいた。


「あんたのような娘っ子にとって、与平ほど見ていて苛々する男はいないだろう。五分も一緒にいりゃあ、声が小さいはっきりしろ何をびくびくしているんだと怒鳴りちらし、思いっきりぶん殴ってやりたくなるだろう?」

 まあ、否定は出来ないなと紗久羅は頷く。出雲のような狡猾で、自分勝手で冷たい男も好きではないが、気弱でうじうじしていてはっきりしない男というのはもっと嫌いかもしれなかった。紗久羅がコメ、と呼んでいる田原も似たような性格ではあったが、与平程酷くはないという確信を持っている。

 与平に惚れられた他の女にとっても、彼は最も好みから離れた男だった。だから告白された女は例外なくこっ酷く振ったそうだ。茎介が、ため息をつく。だがその顔は笑っている。


「ただでさえ好みじゃないってのに、それに加えて告白までの流れがぐだぐだだからな。幾度かその場面に出くわしたことがあったが、延々と俯いたままあのその、えと、その、ですね、って言うだけで本題に移ろうとしないわ声は小さいわで相手をとことん苛々させてな、相手に『言いたいことがあるならはっきりと言え!』と怒鳴られて、それでようやっと涙目になりつつも告白する。与平の態度のせいでイラついている上に、それこそ罰ゲームっての? あれで言わされているとしか思えない位酷いものだから、振り方が余計酷いものになるってわけだ」


「ありゃいつになっても駄目だなあ。ちょっと度が過ぎる位優しくて、気遣い屋で……良い奴ではあるんだがなあ、駄目な部分が良い部分を全部殺してしまっているからなあ、どうにもならんなあ。今回はそもそもこっちの住人じゃないから、どれだけ頑張ってもどうにもならないしなあ」


「どれだけ頑張ったってあたしは振り向きやしないだろうよ。人の顔見て逃げるような奴なんか、友達にだってなりたくないね!」

 全くむかつくったらありゃあしないと口を尖らせれば、三人はくつくつ笑う。可哀想に、と口では言っているが実際はそんなこと少しも思っていないことが分かる。


「こりゃあ今回もこっ酷く振られるなあ。まあ、殴られることがないだけましかなあ」


「まあ、それがたまらなく面白いんだがな! 恋する与平程面白いものはない! 恋をしてから振られるまでの流れはいつも同じなのに、見ていて飽きないんだよな。最初から最後まで全部面白い、面白い」


「いやあ、今後が楽しみだなあ。まあ小娘、これから頑張ってくれよ。儂等の酒の肴の為に」


「お前等本当最低だな」

 最高の笑い、酒の肴の為なら最低にもなるさなどと言って三人はげらげら笑う。その笑い声を聞きながら、本当に面倒なことになったなと紗久羅は深いため息をついてはがっくりと肩を落とす。きっとこれからは昨日以上に面倒なことになるに違いないのだ。茎介の「ま、しばらくの間よろしくなあちんちくりん娘」という言葉がその未来をはっきりと予言していた。あちらこちらから紗久羅をからかい、笑う声が聞こえる。与平が今この場にいない分、全てが紗久羅に集まってしまっているのである。触れることは出来ないのに、彼等から好奇の目を向けられていることはひしひしと感じられ、落ち着かないし恥ずかしいし腹立たしいし、たまらない。

 

(嗚呼、もう! 本当話しかけなければ良かった!)

 と与平に話しかけたこと、茎介の言葉に反応してしまったことを悔やむがもう遅いのだった。彼女は馬鹿な自分を呪い、そして自分に恋をしたらしい与平のことを心から憎たらしく思い、次に会った時は例え当たることはないにせよ、一発思いっきりぶん殴ってやろうと心に決めるのだった。



「……それで、これが三月の誕生石のアクアマリンだ」

 奈都貴が適当に持ってきた箱の上に置いた本に載っている、青い空映る水をそのまま宝石にしたようなもの――アクアマリンを指差した。誕生石の載っているそのページを、子供達は夢中になって見つめており、その瞳は宝石に負けぬ輝きを持っていた。特に女児の食いつきはよく、その点は人間の子供達と何ら変わりはないようだ。


「私、ルビーが好き。とても真っ赤で綺麗。私赤が一番好き」


「おいらはダイヤモンドかな。なんか滅茶苦茶輝いているし、しかもものすごく固いんだろう? でっかいこいつを頭にのっければ、きっと母ちゃんのげんこつだって怖くない」


「トルコ石が私は一番だと思うわ。きらきらしてはいないけれど、とっても優しい色をしていて綺麗。青いお空、春のお空よ。私春のお空を自分の手元におけたらいいのになってずっと思っていたの。この宝石が私のものになったら、きっとそれも叶うわね」


「俺はあんまり好きじゃないなあ、きらきらしている奴の方が格好良いしさ」


「真珠は白い玉に虹がかかっているみたい。しゃぼん玉にも似ている気がするし、ううん、それとも玉虫かな? ねえねえこいつって、白い玉に玉虫の翅でもくっつけた奴?」

 などという風に、それぞれ本を見て思ったことを口々に言う。その様子は楽しそうで、本当に輝いている。ふと奈都貴は自分が小さかった頃――幼稚園から小学校低学年位――のことを思い出す。自分もこんな風に何にだって興味を持って、新しいことを知ることが楽しくて仕方なくて、今となってはどうということもないこの本を陽菜と一緒に、夢中になって読んだものだ。一度見るだけでは飽き足らず、何度も見て、その度に新しい発見をしたり、新しい考えが思い浮かんだりして、それがたまらなく幸せだった。

 

「ねえねえ、おいらにももっと見せて」

 緑色の絵の具が無くなってべそをかいていた少年――名は藤吉郎というらしい――は自分の前に座って本を食い入るように見つめている、さっき「紅葉の山にしちゃえばいいじゃん」と言っていた少年――清太(せいた)に話しかけた。だが清太はまだ見終わっていないといって場所を譲ってくれない。嫌だ見せろ見せろ、そう言って藤吉郎は清太の着物をひっつかんでぐらんぐらんと揺らす。清太はそれに怒って、何をするんだと言って、あっという間に取っ組み合いの喧嘩になった。


「こら、喧嘩はするな! そんな風に喧嘩していると、授業やめるぞ!」

 そう言うと二人はあっという間に大人しくなり「はあい」と小さな声で返事する。清太は藤吉郎に場所を譲り、彼はじっくりと本を見る機会を得た。奈都貴は彼等が存外素直な子達で助かった、とため息をつく。たった一冊の本に対して、子供達の数はこの部屋を埋め尽くす(本棚やベッドに埋もれてしまっている子、仕方なく開けたドアの先にある廊下に座っている子も少なくない)程。回し読みなどが出来れば良いのだが、彼等はこちらの世界のものを持つことは出来ない。だから皆箱の上に置いた本を見る為に押し合いへし合い、時に「早く見せろ」「もっと見せろ」と取っ組み合いの喧嘩を始めることもあった。その度奈都貴は彼等をたしなめなければいけなかった。彼等に触れることが出来れば力づくで取っ組み合いをしている子供同士を引っぺがすことも出来ようが、そうもいかないから結局怒鳴るしかない。その声は階下にいた母親にも聞こえていたらしく、一度部屋までやって来て「一人であんたは何をしているの。ドアも開けっ放しにして」と聞かれてしまった。奈都貴はああだこうだと言い訳し、どうにかこうにかこのピンチ(?)を切り抜けたが、自分がどんなことを言って向こうを納得させたのかさっぱり覚えていなかった。


 結局奈都貴は本を置く場所をちょくちょく変えたり、手に持って歩き回ったりすることでどうにか全員に誕生石の載ったページを見せた。


(これからはこういう風にした方が良いな。拡大コピーして全員の目に映るような場所に掲げるっていうのも……って何俺試行錯誤を繰り返す先生みたいになっているんだ、そんな真剣に考える必要ないだろうが!)

 といつの間にか授業に熱心になってしまっている自分に気づき、俺は何をやっているのだと頭をぶるぶる振った。しかし子供達の「もっと知りたい」という顔を見ると、どうにも止められず新しいことを教えては子供達の尊敬を集め、ますます止められなくなるのだった。


「誕生石なんてあるんだね、人間の世界には。俺達は自分が何月何日に産まれたなんて気にもしないから、そういうものがないんだね」


「今日が何日で、今は何時なのかなんて気にするのは宮のお姫様と星読みさん達だけだもんねえ」

 どうやら渡遷京にも宮は存在するらしい。となると出雲達の住む世界と決して無関係ではないのかもしれない。そのことについて聞いてみたが、子供達は「知らない」の一言。

 そんな子供達の見た目は大体幼稚園~小学校中学年位だった。見た目と年齢が一致しないことは、妖達にとって何ら珍しいことではない。が、少なくとも今ここにいる子供達はそれぞれ話を聞く限り、見た目とほぼ同じだったり、或いは下回っていたりするようだ。中には産まれて一年も経っていないような妖もいた。もっとも彼等は何年生きたかなんて気にしていないから、正確な年数は分からなかったが。しかしうんと幼いこと、奈都貴以上に知らないことが多いことは確かで、だからこそ奈都貴のなんということはない『授業』も楽しんでいるのだ。


「ちなみにダイヤモンドには金剛石、ルビーには紅玉っていう日本語の名前があるんだ。他の石にも、あるんだよ」


「じゃあトパーズは!?」


「ガーネットは!?」


「アクアマリンは!?」


「えっ」

 奈都貴は困ってしまった。彼とて全て把握しているわけではないのだ。慌てて携帯で調べれば、子供達は携帯にも興味を示し「それって何、何」「あれは携帯っていうのよ。でもどういうものかよく分からない。ねえねえ、もっと見せて」「先生、携帯見せて見せて」とうるさくて敵わない。かといって大声であんまり叫ぶわけにもいかず、何とか我慢しながら調べ上げたものを次々と読み、それから文字に書き起こして子供達に順番に見せるのだった。


「ガーネットって柘榴石っていうのね! 私柘榴大好き! じゃあ私やっぱり一番好きな宝石、ガーネットにする!」


「うわ、名前だけで変えてやんの」


「いいじゃないの、別に。あんただって金剛石って名前が格好良いから、ルビーよりダイヤモンドの方が好きになったかもって言っていたじゃん」


「う、うるせえ」

 どっちもどっち、だなと肩をすくめる奈都貴は日本語の名前を調べた時に出てきた、複数ある誕生石の話をした。例えば三月にはアクアマリンだけでなく、珊瑚やブラッドストーンといった誕生石もあるとか、そんなことを。子供達はその宝石の画像も見たいと言いだし、仕方なく今度はノートパソコンを立ち上げ、画像を出して子供達に見せた。そしてまた子供達はこれ綺麗、あれ綺麗と口々に言うのだった。


「ねえねえ、先生は何月生まれなの?」

 トルコ石が一番好きだと言った、左手が筆のようになっている見た目十歳程の少女――小筆に尋ねられ、奈都貴は三月だと答えた。


「それじゃあ誕生石はアクアマリンね。アクアマリンもトルコ石と同じで、綺麗な川に映ったお空の色をしているわね。この宝石に耳を当てたら、川のせせらぎが聞こえてきそう。そして、それはそこに映っているお空の声でもあるの」

 うっとりとした目で語る彼女は、どことなくさくらに似ていた。奈都貴は彼女がアクアマリンを『空の色』と言ってくれたことが何だか無性に嬉しくて、つい撫でようと頭に手をやったが残念ながらその手は彼女の先端を真っ直ぐ切りそろえた髪に覆われた、可愛らしい頭をすり抜けてしまった。

 奈都貴にとっても、アクアマリンは空の色だった。奈都貴にとってだけではなく、陽菜にとっても。


「名前的には海の色って方が正しいんだろうけれど、でも、俺にとっても空の色だな。それを見て、海の色と思うか空の色と思うかは自由だよな」


「海の色もこんな風に綺麗なのね? 私、一度も海って見たことがないの。先生は海を見たことがあって?」


「ああ、あるよ」

 そう言ったら小筆だけでなく他の子供達の目まで輝いた。彼等は皆、海を知らないようだった。彼等の住むこの渡遷京の近くには海がないらしい。だから今度は、海のことについて色々教えることになった。

 綺麗な海の画像や、タコやイカといった海の生き物の画像をパソコンに出して見せてやりながら、これはこういう生き物だとか、名前はこうだとか、毒があるとか、教えてやる。食べたことがあったり、海以外の場所で、似ているながらも全く違う生物(金魚のような鳥と同じように、ハリセンボンのような鳥や、空を泳ぐクラゲ、イイダコそっくりのものが生っている植物などがあるそうだ)として活動している姿を見ていたりはしており、全てが完全に初見というわけではなかったが、それでも十分楽しむことが出来たらしい。特にこちらは男児の食いつきが良かった。奈都貴は子供達の口から出る素直な感想に、くすっと笑ったり、呆れたり、驚いたり。


「あら、奈都貴。何をしているの?」

 気づいたら、陽菜が帰って来ていて奈都貴の部屋の様子を覗いていた。子供達の内の数人が「昨日のお姉ちゃんだ」と言う。彼女はにっこりと微笑んだ。


「おい陽菜、暇ならお前も先生やってくれないか」


「は、先生?」

 何を言っているのだと首を傾げる陽菜を手招きし、簡単に事情を説明した。陽菜は話を聞くと成程と頷き、特にどうしようかと考えることもなく「分かった」と言った。一緒にやるのではなく、むしろ彼女一人に任せてしまえば良いのでは、と一瞬思ったが子供達が納得してくれなさそうだし、第一うっかり娘の陽菜を放っておいたら、親に全てがばれるようなポカをしでかすかもしれなかったので奈都貴も引き続き先生役を務めることになった。

 それから奈都貴と陽菜は、夕飯の時間まで子供達に本を読み聞かせたり、色々なものの名前を教えたりするのだった。陽菜はノリノリで、奈都貴もなんだかんだいって楽しんでいた。僅かな間に二人は子供達にえらく懐かれ、そして結局自然な流れで明日も『授業』をすることになったのだった。

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