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桜町幻想奇譚  作者: 里芽
遷都バレンタインデー
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遷都バレンタインデー(4)

 時間は少し遡って、渡遷京遷都翌日の朝――紗久羅が涙目の柚季をなだめていた頃。


「二日遅れだけれど……はい、一夜。これチョコね」


「おうサンキュー」

 情緒も照れも感動もない、淡白にも程がある『二日遅れのバレンタインデーイベント』は一瞬で終了した。

 今年はチョコトリュフを作った、へえそうなんだという会話だけしてさくらはさっさと自分の席へ戻って本を読み始める。その光景を目撃していた者の幾らかは呆然としていた。彼女がバレンタインデーだからといって、誰かにチョコを渡すなんて――とその顔は物語っている。そのイベントにより一夜との会話を一時中断していた友人の内、この光景を今まで見たことのなかった男子が驚きの声をあげた。


「え、臼井さんが、チョコ?」


「ああそうかお前知らないんだ。臼井さん毎年こいつにチョコやっているんだぜ」


「別に俺だけに渡しているわけじゃないけれどな。あくまで義理だよ、義理」


「まじか! 何か臼井さんってそういうことするタイプに見えなかったから意外。なんか……『え、二月十四日? 今日って何かあるの?』とか真顔で言いかねない人って感じじゃん。バレンタインって言われても何それって返しそうな」

 幾らなんでもそれは、と苦笑しながら言いかけたが「いや、有り得るか」と思いなおす。関心を向けぬものの情報は、どうしたって記憶されない彼女だから十分あり得ることではある。あちこちの店に『バレンタインフェア』などと書かれたポスターが貼ってあっても、友人やクラスメイトがバレンタインのことについてあれこれ話していても、無関心ならそれらの情報は彼女の脳に到達する前に消えていく。だから覚えないし、その存在をいつになっても認識することが無い。クラスメイトの顔と名前をいつになってもろくに覚えないのは、つまるところ彼等に一切の関心を向けていないからである。そういう部分は出雲とそっくりだ。


「……臼井さんのチョコって大丈夫なのか? ちゃんと食えるもの? トカゲの黒焼きとか入っていないよな? ぼけっとしていて砂糖と塩間違えたり、砂糖を入れすぎちゃったりとかそういうこともしかねない」


「入ってねえよ。とりあえず今まで酷いもんを食わされたことはねえな。毎年俺の妹と一緒に作っているしな」

 え、妹ってお前がいつも男女(おとこおんな)とか凶暴猿女って言っている奴? と普段の話に出てくる妹と、お菓子を作る妹像が上手いこと結びつかず首を傾げる彼に対し、別の友人が笑いながら教えてやった。 


「こいつの妹、料理上手いんだぜ。ほらこいつの家って弁当と総菜売っている店だろう? そこの店をやっている婆ちゃんから教わっているんだとさ。まあ小っちゃい時何度か遊んだことがあるけれど、とても料理が趣味の子には見えないけれど。何か山で採った木の実とか茸とか何にも調理しないで皿に盛って『はい、料理』とか言いかねない感じ」


「成程。その妹と一緒に作っているから安心、と。ふうん……しかし、それにしてもびっくりだよあの臼井さんが……あ、奥さんが旦那にチョコやるのは別におかしなことでもないか。何だよそんなに睨むなって……そうか、そうか。奥さんから旦那じゃなくて、子供から父親に、か! あ、違う違う子供からお母さんにか! ごめんごめん!」

 とにやつきながら言う友人の頭に、げんこつ一発お見舞い。俺はあいつの旦那でも父親でも母親でもないわボケと怒鳴る声が教室中に響き渡ったが、すでに読書に夢中になっているさくらの耳には一切届かなかった。


 読書の時は読書に集中し、授業が始まれば読んだ本のこと、小説のネタ出し、昨日遷都してきた渡遷京のことを考えるのに夢中になった。殊更数学や理科の授業中は捗った。


(教室はいつもと何も変わらない……窓の外には素敵な世界が広がっているのに、残念だわ。でも、あんまり賑やかだと授業に集中出来ないから、やっぱりこの方がいいのかな)

 賑やかだろうがそうでなかろうが、授業に集中などしていないのだからあまり関係ないのだが。さくらのいる東雲高校のある辺りにはどうやら巨大な銭湯がある……らしい。確信を持てないのは、この学校に重なっているはずものの像が全く見えないからだ。昨日弥助から渡遷京について色々聞いたのだが、風呂場とお手洗いの存在だけはお互い感知出来ないようになっているらしい。


――そこまで見えちまうと流石に……ってことでそうなったらしい。全く、それが出来るなら何もかも感じられないようにしてくれりゃあいいのに。渡遷京が原因で心を壊す奴だって少なくないんだからよう――

 私は大歓迎だけれど、と言ったら弥助にお前は残念な神経の持ち主だからなと呆れながら言われた。


(渡遷京……私達がよく足を運んでいる『向こう側の世界』と雰囲気はとても似ているけれどまたあそことは違う場所に存在するのよね。世界と世界の間に幾重も挟まれている層の一つに存在している京なんじゃないかって弥助さんは言っていた。ああ、早く学校終わらないかしら! 今は部活さえさっさと終わってしまえばいいのにと思える位よ。部活、休んでしまおうかしら……どこにどんなものがあるのか調べる為に。渡遷京MAP、作れたらいいなあ)

 昨日町に異変が起きるや、否や家を飛び出して町中を歩き回り、その異様な光景を詳細にメモしていった。その途中同じくテンションが最高にハイになっている梓と会い、紗久羅と会って渡遷京の話を聞いた。それから喫茶店へ行って弥助から詳しい話を聞いたのだ。


(桜町に重なっている部分についてももっと詳しく調べたいところだけれど、今日は舞花市の様子が見たいわ。後、渡遷京の人に色々話を聞きたいわ! 気になった建物や生き物、植物のことを教えてもらうの! けれど、人前で聞いたら絶対危ない子だと思われるわよね。人気のない場所に丁度いる方を捕まえれば問題ないかしら?)

 先生が自分を指したことにも気づかず、さくらはあれこれ考えていた。ようやく気づいた時には、すでに彼女は先生の怒りと呆れの入り混じる眼差し、生徒達の嘲るような、滑稽な姿をした生き物を見ているかのような視線を受ける者となっていた。近くの席に座っていたほのりがこちらを見て「このお馬鹿」と声無き叱責をする。

 さくらは黒板に書かれている英文を和訳することになったが、その時『Mariko』を『Mario』と読み間違えた為に教室中をどっと沸かせることになった。それだって、ちゃんと授業を聞いてさえいれば起こりえない間違いだった。そこで大変恥ずかしい思いをし「もっと集中しなきゃ」と決意したが、結局次の授業でも夢想にふけり、まるで授業に集中しないさくらだった。


「全くあんたはいつもいつも……このお馬鹿」

 と放課後ほのりからそう言われるのも仕方のないことだった。さくらはごめんなさい、と小さくなるしかない。


「どうせまた本とか、今部活で書いている小説のこととか考えていたんでしょう。全くマリコをマリオと読むわ、掃除の時間にちりとり思いっきり踏んづけてこけるわ、皆が起立している中ぼけーっと座っているわ。毎日が珍プレーの連続ね、本当。お姉さん、あんたが大人になった時社会で無事やっていけるか本気で心配だわ」

 そんな大袈裟よ、と苦笑いすればどこが大袈裟よと返されてしまった。


「そういえば今日の姫ちゃん先生、様子おかしくなかった? なんか妙にイライラしていたというか、ぐったりしていたっていうか」

 さくらはまだ他に比べれば真面目に聞いていた現代文の授業を思い返してみれば、確かにいつものパワフルさというか、覇気がなかったように思われた。帰りのSHRが始まる直前「学校から出たくないなあ、帰りたくないなあ……気が狂っちまう」などと呟いていたとほのりは言う(さくらはろくに聞いていなかった)。さくらは廊下の窓から外を見やる。青い空を紺碧の大きな生き物が泳いでいる。やや距離が離れているからはっきりとは分からないが、どうやらくじらの群れであるらしくぴゅうぴゅうと潮らしきものを吹いていた。それを見たさくらは今すぐ校舎を飛び出し、その姿をより間近で眺めたいと思った。


「もしかしたら姫ちゃん先生にも変なものが見えたり聞こえたりしているのかも」


「え?」


「何かさあ、昨日から変なものが見えたり聞こえたりしている人が続出しているみたいよ。程度は人それぞれだし、ごく一部の人だけみたいなんだけれど……本当なんだってこの街はこう変な出来事が次から次へと……」

 そのことについて色々話している人は少なくなかったらしい。周りの人の会話になどまるで耳を傾けないさくらは今ほのりから聞いて初めて知ったのだが。


(そういえば弥助さんも言っていたものね、向こう側の世界と関わっていないごく普通の人間にも見えたり聞こえたりすることはあるって。紗久羅ちゃんの話では、陽菜ちゃんもそうみたいだし)

 ほのりと、部室で会った環は全くそういうものを見たり聞いたりはしていないようだ。ただ、環の友人は結構重症らしく今日学校を休んでしまったらしい。陽菜も、クラスメイトにそういう人がいるということを話したが、自分もその内の一人だとは一言も言わなかった。あまりぺらぺら喋らない方が良いと奈都貴から釘を刺されていたのかもしれない。恐らく紗久羅の学校にもそういう人は少なからずいるだろう。

 部活は一時間程で終わり、さくらはほのりの誘いを断って舞花市の探索を始めた。体が震えるのは冬の寒さゆえか、それとも探索出来る喜びからか。冬であるからすでに辺りは大分暗いが、闇が濃くなればなる程京の姿は鮮明になるから、どこに何があるのか調べることに支障はない。むしろ暗い時に歩き回る方が都合が良い。今舞花市は異界と化している。妖達が歩き回り、珍生物が飛んだり歩いたり走ったりし、変わった造形をしたものが点在している。そしてその風景は現実の世界を喰らう……。何だか眠らずして夢を見ているようで、通しの鬼灯を使わずして向こう側の世界に足を踏み入れたようで、わくわくした。


 メモ帳とシャーペンを取り出し街中を歩く。昔の日本に変てこなものをトッピング(というよりてんこ盛り)にしたような景色が延々と続いていてさくらの胸をときめかせた。今は学校のある通りから数本外れた場所を歩いている。こちらの世界における道の上に、お店がどんと構えていた。だから自然道を歩けば店の中を突っ走ることとなる。店の壁をどんどん突き破って進む――本当に突き破っているわけではないとはいえ、なかなか出来ない経験である。大抵の人間が何も知らぬまま、妖達の営む店の中をどんどん突き進んでいる様子はなんだか滑稽で、くすり。

 薬屋や花屋、呉服屋、蕎麦屋、貸本屋。そこでちょいと立ち止まり、タイトルを眺めれば気になるものばかり。中身が気になってつい手に手を伸ばしたけれど、その手が本に触れることはなくああそういえば向こうの世界のものに触れることは出来ないんだった、とがっくり肩を落として先へと進んだ。さくらの琴線に触れたのは、そういったこちらの世界にもあるような店や施設より、詳細不明だったりこちらにはあまりないようなものの方だった。そういう所を通った時、彼女は他の店にいる時より幾分長く居た。


 色とりどりの風車の畑となっている店、中央にいる老爺は店主だろうか。一人の女性がやって来て「一つ」と言うと、その老爺が一本の風車を選んで女に渡し金を貰った。女はぺこりとお辞儀をすると店を出て行った。ただの風車ではないようだが、一体どんな風に使うのかさっぱり分からない。その隣の店は無数の黒い蝶に群がられている人、顔に朱色の液を塗りたくられている人、髪をまるでスライムみたいにどろどろした紫色の液体に浸している人、湯気が立っている布団のようなもので簀巻きにされている人がうじゃうじゃいた。どうやら美容に関係するお店らしい。


 他にも数人の男が赤い宝珠五個でお手玉しているだけの店(どうも宝玉を動かすことで何らかのエネルギーが発生しているらしく、謎のレトロチックな機械がそれを吸収して動いている。正確に言えば店ではないようだ)、福笑い占いの店、客が持ってきた書物をぺろぺろと店主が舐めている店、人語を介し喋ることが出来る、意思を持った狛犬・招き猫・シーサー・信楽焼きの狸諸々を販売している店、坊主の格好をしている男と客がじゃんけんしている店(客側が買ったからといって何かを賞品として渡している様子はない)、ジオラマの街(この京の一部を再現したもの?)に放たれた小さな毛虫数匹の動向を二人の女性がじっと眺め、記録している建物、客を数人の人間が取り囲み、太鼓を叩き「どんどこ、どんどこ」と言いながらぐるぐる回り続けている店……。


(ここはくじ引きのお店、なのね)

 さくらが今いる建物の奥には漢方屋などにある薬棚に似たものがあり、一つ一つに番号が振られている。客達はくじを引き、そこに書かれている番号を読み上げる。そして店員がその番号の棚に入っているものを取り出して渡すのだ。どうやら中に入っているのは菓子らしく、今番号を読み上げた客は椿を象った和菓子を手に入れていた。自分もくじを引いてみたいと思ったが、それは出来ない相談で。その隣にあったのはいわゆるキッチンスタジオで、妖達が和気藹々としながら料理を作っていた。木製のボードに料理名やどこの料理か、レシピなどが書かれた紙が貼ってあった。料理名も、国の名も見慣れぬものでもしかしたら別の世界の料理を、自分達の世界にある材料を使って作っているのかもしれない。


 ただひたすら真っ直ぐ進み続けるのも面白くないから、と気まぐれに右に曲がり、左に曲がり、戻り、進み、気になるものを見つけては立ち止まってメモをし、再び歩き出しては立ち止まって、メモをとりを繰り返す。バスを使い、少し遠くへ行きもした。

 時に渡遷京の風景に惑わされ、こちらの世界にある建物や塀にぶつかったり、気になったものをより近くで見ようとした挙句危うく側溝に落ちそうになったりした。何も知らない人から見れば、今のさくらは「大丈夫か、あの子」といった状態で色々な意味で危なかった。しかし通行人に訝しげな目を向けられたって、心配されたって、今の彼女が気づくはずもなく。


 桶に入っている色とりどりの花を男が撒きながら歩いている。花は地面に落ちた途端雪のように溶けて消えた。通常より一回り大きなビー玉を山のように積んだリヤカーをお供に京中を練り歩く男、店と店の間に設置されている、投函口にあたる所から真ん丸目玉がのぞいている郵便ポスト、虚空をハンマーで叩き続けている男(何もないはずなのに、どういうわけか叩く度かあんかあんという音が聞こえる。しかもハンマーは必ず同じ地点で止まりそれ以上先へはいかない)、箱に並べたおにぎりを売り歩く女、どう見ても水晶にしか見えないものをかつお削り器と違わぬ見た目のもので削り、削りたてほやほやのそれを袋に入れて客に売っている店、狸のしっぽがついたぴょんぴょん跳ねて移動するどう見ても立てたお皿にしか見えない生き物、全体的な京の雰囲気にまるでそぐわない未来的過ぎる建物、店の中に竹林と泉がある飲食店、中から絶叫が絶えず聞こえる燃え続ける建物(火事かと思ったが、その前を通り過ぎていく妖達の様子などを見る限りだと、燃えているのが当たり前な建物らしい)、桜の花びらを降らせ続ける赤い和傘をさして歩いている女、(くう)を泳ぐペットらしき鯉に、おはじきを与えながら歩く男……。

 不思議、不思議の世界は途切れることを知らない。


 えっほえっほ、という声が聞こえたかと思えば、さくらのすぐ目の前を横切るものがあった。細長い(恐らく)金属製の輪の中に十二人の妖が入っていて、一番前と一番後ろにいるたくましい腕と足を持つ男は輪を両手でしっかり握り「えっほえっほ」と言いながら走っている。その間にいる者達は何もしておらず、しかもその足は地面から若干浮いているようだ。奇妙な電車ごっこ、という言葉の似合うそれをさくらは今までにも度々目にしていた。渡遷京の中ではポピュラーな交通手段なのだろう。


 この京の交通手段は様々で、人力車、牛車、駕籠といったこちらの世界にもあるようなものもあれば、先程のような変わったものもあった。上空を、踏車のようなものが飛んでいる。どういう原理かはさっぱり分からないが、男が羽根を踏み動かすことで空を飛び、動いているようだ。大きなそれの後ろには(ほろ)のついた長い車両がとりつけられている。恐らくそこに客が乗っているのだろう。踏車を動かしながら、男は歌っていて、またそれがとても上手い。舟歌(カンツォーネ)のようなものなのかもしれない。車両に取りつけられている蛍の光と同じ色をした灯りが、空を舞う。


 空を飛んでいるのはそれだけではなく、掃除機にしか見えないものも飛んでいた。短いホースの先についたT字型のノズルに当たる部分を両手で持ち、それを前後左右に傾けることで運転しているらしい。あまり高くは飛べないのか、少し高度を下げただけで地上を歩いている人とぶつかってしまいそうだ。ごめんよごめんよ、と言いながら一人の男が人とぶつからないように注意しながら、ゆっくり高度を下げ地上へと降りる。本体部分は恐らく木製で縮緬が貼られている。きっとどういう装飾が施されているかはそれぞれだろう。ホース部分は何で出来ているか分からない。ノズルは木製のようだ。本体上部は開閉可能のようで、荷物が入れられるようになっているらしい。男はそこに入れていた竹筒を取り出すと中身をごくごく飲み、それから民家と重なっている建物の中へと消えていった。


 だるまの形をした灯具のついた街灯と、黒い幹に銀の葉(ところどころ金色の葉も混じっている)茂る木を突き破るようにして歩く。その木にはさくらんぼに雰囲気の似た実が生っていた。茎の部分はあかくまるで紐のようで、その先についている二つの実は銀の鈴そっくり。それが実であると判断したのは、金魚のような鳥とほぼ球体の雀がついばんでいるのを見たからだ。一体どんな味なのだろう、鳥が好んで食べているのだから甘いのかな、と味を想像しながらその様子を眺める。中には緑っぽい実もあり、どうもそれはまだ熟していないようだった。金魚の鳥、その身は赤い夢幻の光を放っていてほうとため息をつきたくなる位美しい。


 車道の方から水独特の匂いがする。赤い橋が反対側の歩道向かって伸びているところを見るとどうも車道がある辺りには川か堀があるらしい。橋の傍らには石製の看板があり『星讀舍(ほしよみしゃ、或いはせいどくしゃか)』と書かれている。その橋を渡っていったのは着物の上によれよれの白衣を羽織った男で、紐で結んだ書物を脇にかかえ慌てた様子で走って行った。さくらは近くにあった横断歩道を渡り、男が駆けていった方――反対側の道に移動した。


(一際高い所に色々な建物が並んでいるのがずうっと見えていて……何だろうってずっと気になっていたのよね。全部星讀舍って所なのかしら。だとしたら相当大きいわね。とりあえずもっと近づいてみよう)

 しばらく道なりに真っ直ぐ進み、それから右に曲がる。曲がった時ずっと先まで伸びている塀をすり抜けた。真っ直ぐ伸びるアスファルトの道路、石を敷き詰めて作られた歩道を覆うのは芝生の緑。少しの間真っ直ぐ進んだ先に二つ目の塀があり、その奥には大きな(恐らく人口の)丘、そしてその丘の上には立派なお屋敷や塔がそびえている。しかし今さくらの視界に映っているものはこの『星讀舍』のほんの一部。その全容を知るには相当歩く必要がありそうだった。また、二つ目の塀の中、見上げた先丘の上にある建物の内部がどうなっているかとか、ここにいる人達は何をしているのだろうとか、そういったことを調べるのは不可能だった。出入り可能な高く大きなビルなどが建っていれば調査も可能だったのだが。

 仕方なく塀と塀の間にある芝生に覆われたエリアを少しの間探索することにしたが、これといったものは見つからず、がっくりと肩を落とし『星讀舍』を後にした。そこでようやくさくらは近くにあったコンビニの時計を確認し、ぎょっとした。思っていた以上に探索を始めてから時間が経っていたのだ。元々部活が終わってからの探索だったから、随分な時間になっている。これはさっさと帰らなきゃとバスを乗り継いで桜町へと帰った。探索に夢中だった時は平気だったのに、バスに乗った途端どっと疲れが出た。それでもバスの窓に顔をうんと近づけ、渡遷京の様子を観察することは忘れなかった。


(そういえば京の人に話を聞いてない……。明日はちゃんと聞こう!)

 さくらはそう決意すると自宅へ帰り、親に「舞花市にある喫茶店でお茶を飲みながら本を読んだり、小説を書いたりしていたらこんな時間になってしまった」と内心申し訳ないと思いつつも嘘を吐き、ご飯を食べてから今日の探索結果をまとめ、大雑把にも程がある地図を書く。それから正体不明の店や、見慣れぬもの、こちらの世界には存在しない謎の生物達について色々考察(という名の妄想)をし、それもノートに書いていった。一つの妄想は別の妄想を生み、妄想と妄想が合わさりぷくっと膨らみ、果てなき妄想の大海の中をたゆたい、にこにこ否にやにや。

 そして明日を楽しみにしながら眠りについた。

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