女子・菓子・姦しい(4)
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「ああ、美味しい。やっぱり頑張った後の甘いお菓子は格別ね!」
地下にあったケーキ屋で買ったフルーツたっぷりのケーキを頬張り、幸せそうにしているのは柚季だ。他の者も同じように思い思いのお菓子をつまんでは、上機嫌。テーブルの上はお菓子の山、菓子で日本一の山。しゃれたカップに並々と注がれた紅茶から出るのは湯気と、良い香り。この香りが食欲をそそる。 食欲を増進させているのは、紅茶やお菓子の匂いだけではなく、何ということはないお喋りもまた。
「昼食食べたのになあ、甘いものは別腹だよなあ。もう絶対おでぶちゃんになっちまう! まあ、いいか! あ、このクリームチーズプリン美味い。チーズ使ったお菓子、結構好きなんだよね」
紗久羅が食べているのは散々お菓子を買った後、地下にあったケーキ屋にて購入した(結局ここでも散財し、お菓子を返した意味がほぼなくなった)内の一つ。そのプリンを買ったのは紗久羅だけだ。柚季が一口食べたい、と言うと紗久羅がスプーンですくいすぐ隣にいる柚季の前へと持っていく。「はい、あ~ん」「ありがとう」ぱくり。それから美味しい、と笑顔になった柚季を見て紗久羅も「だろう?」とにかっと笑い。その姿、傍から見ればいちゃついているカップルにしか見えない。本人達もそう思ったのか、恋人っぽい会話をしてみせ、散々けらけら笑った後「女の子同士で何やっているんだろうあたし達……」と我に帰れば周囲に木枯らし吹く。
「紗久羅ちゃんはカスタードクリーム使ったお菓子が結構好きなのよね。シュークリームとか」
「好き好き! まあお菓子は大抵好きだけれどね。和菓子もいいよなあ、ばあちゃんの作るあんこ美味いんだよ。甘さ控えめで、塩加減も丁度良くてさ。作る菓子によって微妙に甘さの度合いも変えていて、その調整具合もぴったり!」
「私も和菓子が好き。洋菓子より和菓子を食べている時の方が多いかも。どら焼き、お団子、豆大福、羊羹……和菓子なら大抵のものは好き。見て、食べて季節を感じることが出来る、そういう所も好きなのよ。洋菓子とはまた違った鮮やかさも魅力的。こう、優しい色合いなのよねえ……。柚季ちゃんはケーキが好きなのよね。ケーキ屋に寄った時に言っていたけれど」
「そうなんですよ! ケーキとかパイとかタルトとか、大好き! 特にフルーツを使ったものがすきなんですよね。フルーツタルト、レモンパイ、ベリーパイ、フルーツたっぷりのロールケーキ……元々フルーツが好きなんです。生で食べるのも好きですし、砂糖と一緒に煮たり焼いたりしたものも好きで」
「柚季、ジャムも好きだよな。そういえばこの前柚季の家に泊まった時、朝トーストを食ったんだけれど柚季ってばパンにこれでもかって位いちごジャム塗っていてさ、もうびっくらこいたのなんのって。最早パン食ってるんだかジャム食ってんだか分からない状態でさあ。あたしも最初はジャム貰おうかと思ったんだけれど、それ見たら何か塗る気失せて結局マーガリンだけにしたっけ」
一体どれだけ塗ったんだという目を小雪とさくらに向けられて、柚季はえへへとごまかし笑い。それからいつもあそこまで塗っているわけじゃないのよ、と弁解するが果たして嘘か真か。
「ジャム、美味しいんだもの。いちご、オレンジ、ブルーベリー、あんず、キウイ、どれもこれも好きなのよ。スコーン作って塗ったり、ヨーグルトに入れたり、アイスにのせたり、パンに塗ったり、紅茶の中に入れたり、ケーキのスポンジに塗ったり……買っても買ってもすぐ終わっちゃう。自分で作ったことも何度か。やっぱりフルーツを使ったものって最高だと思うのよねえ! あ、酢豚のパインは好きじゃないけれど」
「マヨラー、ジャムバージョンって感じだなあ。ジャム好きの場合は……ジャマー?」
「何嫌だそれ……お邪魔虫じゃあるまいし。あ、小雪さんはどんなものが好みなんですか?」
「私? 私はやっぱり冷たいものかしら。ゼリーとかアイスとかかき氷とか……抹茶味のお菓子も好きだわ。後は豆大福とかいちご大福とか、大福系も好きかも。ただどれが一番好きかと聞かれたら悩んでしまうわね」
それには他の三人も同意するようで。皆違って、皆良くて皆美味しくて皆好き、という結論で落ち着いた。お菓子以外のもので好きな料理も皆順番にあげていく。紗久羅は菊野特製のちらし寿司、さくらは手毬寿司、柚季はパスタ、小雪は蕎麦やそうめんといった麺類や漬物といったさっぱりしたものが好きであるらしい。そこから好きなものを挙げる会が始まり、趣味や音楽、本、色、服装の好みなどを次々と言いあっては自分も好きだとか、自分はあまりそういうものに馴染みが無いとか言って、盛り上がる。小雪にはついていけない話題も多くあったが、それでもそれなりに楽しめた。
「それじゃあさ、好きな異性のタイプは? これ行こうぜ、これ。はい、さくら姉!」
「え、私!? ええと……髪を染めていない、和服と和傘が合う人が良いかしら。いかにも日本人、という顔立ちが好き、かな……。ちゃらちゃらしている人とか、パワフルな人よりも落ち着いている人の方が良いわ。好きな物が一緒だと嬉しいかな。読書とか、妖とか幻想譚とか。それでもってそういう好きな物についての話を聞いてくれる人がいいなあ」
「鬼灯の主人辺りとか、さくら姉は好きそうだなあ。お面つけているから顔は分からないけれど、雰囲気とかは絶対好きだと思う。まあ、あの人奥さんいるけれど。……出雲なんかもやっぱり好みなのか?」
「そうねえ……確かに私が好きな幻想物語の世界から飛び出してきたような人で、素敵だとは思うわ。着物姿が似合っているし、所作の一つ一つが惚れ惚れする位綺麗だし。ただ、あの人は顔立ちが整いすぎていて、正直怖いわね。その怖さもまたあの人の魅力なのだけれど。後は表情の冷たさが……やっぱり柔らかい温もりを持っている人の方がいいかな、私は」
現実の世界にいながら、非現実非実在の夢幻の人に見える男。傍にいるのに、彼方にいるような人。彼はそこらにいる人間と永遠を共に生きる人にはなりえないとさくらは言う。現の人でありながら虚の人に見え、そこにいながらそこにはいないように思える人――妖しい魅力に惹かれながらも、共に生きたいと決して思わないのは、性格や表情諸々の好み云々よりもその絶対的な距離ゆえのことかもしれない、と。
何となく分かるかもなあと小雪は頷く。そして次は紅茶を一口飲んだ柚季が口を開く番だった。
「確かにちゃらちゃらした人よりは、落ち着いた人の方がいいかなあ私も。あんまり物静かだとそれはそれで楽しくないけれど。ただ今の私は性格云々より、この力のこと、妖関係のことに理解があるかどうかって方が重要かも。幾ら力がコントロール出来るようになったり、この街を離れたりしても妖達と全く関わらずに済むってことはないだろうし……でもずっと隠し通し続けるのは難しいだろうし、苦労や悩みを打ち明けられない、分かち合うことが出来ないっていうのは辛いし」
だから出来ることなら同じような力を持っている人、持ってはいないがそれらの存在を知っている、理解している人、いや例え妖や異界が実在していることを知らずとも自分の話を信じ、理解し、力になってくれるならばそれで良いと言う。兎に角今の柚季にとって外見や性格財力云々よりも大事なのはそこなのだ。
「どういう人がタイプかといえば、やっぱり優しくて落ち着いた、知的な人なのだけれど……後、家庭的な人だといいなあ。仕事一辺倒な人じゃなくって。好き勝手出来るって点は良いけれど、やっぱり寂しいしねえ。優しくて、困った時いつでも助けてくれる王子様みたいな人がいいなあ!」
「まあ、柚季は可愛いし頭良いし、きっと良い奴が見つかるよ。王子様めっちゃ来るよ多分」
「いっぱい来られても困るけれどねえ……けれど、本当に見つかるかなあ、この力のことを理解してくれる人。もし見つからなかったら貰ってくれる?」
「ようし、この桜町随一のやんちゃ男女であるあたしがいざとなったら貰ってやろう! あたしなら柚季の力のこと、よく分かっているしなあ!」
「まあ、落ち着いてはいないけれどね」
「えへへ。ま、柚季なら大丈夫だろう、うん。そういや小雪姉ちゃんは? 小雪姉ちゃんは弥助が好みのタイプだったから好きになったわけ?」
「へ? え、いいえ……別にそういうわけでは……」
そうなんだ、と皆頷きつつお菓子をもぐもぐ。お喋りで口が動けば腹が好き、腹が空けば菓子を食べようと口を動かし、お菓子食べれば気分がハイになってお喋りして……。
「紗久羅ちゃんはどんな人がタイプなの?」
「え、あたし? ううんあたしねえ……」
腕を組み、考え込む紗久羅を見て柚季がにんまりと笑う。あ、これは彼女をからかってやろうと思っているなとさくらと小雪は一瞬にして理解し、これはますます賑やかになるなあとそれぞれチョコチップクッキーといちごマシュマロを口へ放り込む。
「紗久羅はあれでしょう? 髪が長くて肌が白くて、怖い位綺麗な顔をしていて着物が似合う、ドSで冷酷で自己中心的で自由な性格の、弓矢を扱える化け狐がタイプなんでしょう?」
「それ出雲じゃねえか! だからあたしはあんな性悪エロ狐野郎のことなんて好きじゃないっての!」
たこ焼き味のスナック棒を齧り、今度はマカダミアナッツ入りのチョコを口へと放り込む。その頬は赤く染まっている。そうさせているのは怒りか照れか動揺か。柚季はころころ笑いながらフルーツティーを自分と小雪のカップに注いでいく。透明なポットには林檎やオレンジ、イチゴ、キウイといったフルーツと紅茶が入っている。フルーツの甘味と酸味、香りと紅茶の香りが混ざり合うそれは市販のものとは一味もふた味も違い、小雪はすぐにそれが気に入った。熱いものが苦手な為、冷ましながら飲む。さくらは舌に合わない為か特別何も入っていない紅茶を飲んでいる。だが透明なポットに沢山のフルーツとお茶、という見た目は大変好みであるらしく「ファンタジーな感じで素敵」と飽きもせず眺めていた。お金と時間に余裕がある時はこればかり飲んでいるのだと柚季は言う。本当に果物を使ったものが好きらしい。
「あら、だってさっきから紗久羅ってば出雲さんのことばかり話しているじゃないの。出雲さんにお尻触られたとか、色気の無さを散々馬鹿にされたとか、母親に抱かれた可愛い赤ちゃんの方を見て『ひっつかんで地面に叩き落としたい位可愛くてか弱いね』と真顔で言ったとか、紗久羅のほっぺについたお菓子のかすを舌で舐めとろうとしたとか……」
「別に好きだから話しているわけじゃないよ。愚痴だよ、愚痴!」
皿に盛ったチョコチップクッキーをひっつかみ、ぼりぼりと豪快に食べていく。
「愚痴とか言う割には表情がえらく生き生きとしているのよねえ。本当、小雪さんが弥助さんのことを話している時にそっくりの顔よ、今度出雲さんのことを話している時の顔、鏡で見せてあげる。嫌よ嫌よも好きの内」
「あんな奴好きになるわけないだろう! あんまり顔が整い過ぎていて気持ち悪いし、傍にいただけで体の内外問わず撫で回されるような感覚に襲われて超気持ち悪いし落ち着かなくなるし! 何より性格が最悪だ! 一体どんな人生送ればあんな身も心も化け物な奴になるんだ。あれ、柚季どこへ行くんだ……まあいいや。さくら姉、あたし違うからな、出雲のことなんてこれっぽっちも好きじゃないからな!」
「あはは……でも、言う程嫌ってはいないんじゃない? 本当に嫌いだったらわざわざ向こう側の世界にある出雲さんの家を訪ねはしないでしょう? 例え美味しいお茶とお菓子が食べられるとしても。嫌いだったらまず関わろうともしないと思うわ」
さくらは柚季が寄越した炙ったマシュマロをはふはふ言いながら、ぱくり。マシュマロはそのままでも美味しいが、火を通すと更に美味しくなるらしい。しかし熱いものを好まない小雪にはあまり縁のない食べ方である。同じように炙ったマシュマロを放りながら紗久羅が口を開く前に、小雪が「でも」と口を開いて二人の会話に割り込む。
「弥助と出雲みたいに、あんまり嫌いすぎて逆に割と付き合えている……なんてこともあるにはあるけれどね」
「そう、それだよそれ! きっとめっちゃ嫌いだから、逆にどうでも良くなっている感じなんだよ! あ、マシュマロもう一個食おうっと」
「どう見てもとても嫌いって感じには見えないけれど……というか、やっぱり出雲さんと弥助さんって相当仲、悪いんですね。一見喧嘩する程仲が良いって感じに見えるんですが」
確かにそうだなあ、と紗久羅はマシュマロをもぐもぐ。ぱっと見はね、と小雪は嘆息。
「でも時々お互いものすごく相手を見る目つきが恐ろしくなるの。嫌悪を通り越して憎悪を抱いている感じでぞっとするわよ、本当。あの男があんな目で見るのは出雲だけかもしれない」
「まあ、いかにも相性最悪って感じだもんなあ、あの二人。でも憎悪って……あいつら、昔何かあったのか?」
分からない、と小雪は首を横に振る。
「二人共昔はずっと桜山で暮らしていたそうだから、何らかの形で関わって……ということはあるかもしれないけれど。特に何も無いけれど、少しずつ積み上がっていった負の感情が『憎しみ』に変わってしまったのかも。あまり私も詳しいことは分からないわ。わざわざ弥助が不機嫌になるようなことを聞いても仕方が無いし、出雲に聞くなんてとてもとても。最悪殺されるわ……」
冗談ではなく、本当にそうしかねないのが出雲だ。最後だけぼそりと呟くように言った小雪に対し二人は確かにね、と乾いた笑みを浮かべるより他無い。相性が最悪である為に、会う度に体内に蓄積していった負の感情が大きな『憎しみ』という名の塊に変じた――という見解を、とりあえず正解としておいた方が良さそうだ。正直三人共、二人の仲が悪い理由が何なのかそれ程知りたいわけでもなかった。
「やっぱり私、紗久羅は出雲さんに好意を抱いていると思うのよねえ」
「いつの間にか戻ってきた上に話をぶり返すなよ。あたしはさ、あいつのことなんてこれっぽっちも好きじゃないよ。美味しいお菓子とお茶をくれたり、あっちでやる楽しいイベントへ連れて行ってくれたりしていなきゃ、あいつの家になんて絶対行かないっての。あたしはあいつに小さい頃からいじめられまくっているんだ! 何度泣かされたことか! ああエクレア美味い……あいつが来る度あたしはぶるぶる震えて早く帰ってくれますようにって必死にお祈りしていたんだ! 意地が悪い上に冷たいし怖いし!」
ピーナッツ入りのチョコを口の中へと放り込むとまた話しだす。嫌いな人間のことを喋っているとは到底思えない顔。出雲のことを話している時の弥助のそれとは大違いだ。
「そもそもあたしがこんな性格になっちまったのだって、半分はあいつのせいに違いないんだ。強がっていなきゃ、やってられなかったし、ずっと泣かされっぱなしってのも腹が立つしさ。そんな奴のことを誰が好きになるもんか。あんな奴と恋人になった人は絶対不幸になる。あたしは不幸になりたくない! フルーツティーも美味いなあ、はあ……あいつの良い所は舌が肥えているってところ位だよ。そのおかげであたしは美味しいお菓子やお茶にただでありつけるんだから。結婚するなら、味覚音痴じゃない奴がいいなあ……あ、でも出雲は無しだからな! うわ、なんだよ柚季……って鏡!」
紗久羅の顔の前にさっと出されたのは手鏡で。柚季はどうも先程これを取りに一時離脱していたらしい。生き生きとした表情を映している鏡を見て、柚季はくすくす笑った。
「言ったじゃない、出雲さんのことを話している時の顔を鏡で見せてあげるって! とっても良い顔していたわよ、ごちそう様!」
こらあ、とばっと立ち上がった紗久羅を見てあははと笑いながら、柚季は踊るように廊下を駆けて手鏡を元の場所へと戻していった。全くもう、と紗久羅は座ってからあまったチョコと家にあったバナナを使って作ったチョコバナナをぱくり、もぐもぐ、豪快やんちゃお猿さん。
「あんな奴、好きになるもんかよ。ポニーテールひっつかんでこの腕をこのまま思いっきり上へやったらどうなるかなあとかほざいたり、中学二年の時紙粘土を寄越して『これで乳を作ってつけるといい』とか言ったり、得体の知れねえ虫の佃煮入り饅頭を食わせたり……まあこれは美味かったけれど……あ、小学生の時、ウシガエルを顔面に放り投げられたこともあった! そんな奴を誰が好きになるか、あたしはドMじゃねえんだ!」
「何か好きな女の子にちょっかいだす小学生みたい……」
「それじゃあどっちの性別にも見える顔の、妖や向こう側の世界のことを知っている、優しくて頼りになって頭も良い、女の子みたいな字を書く中学時代はテニス部に所属していた、妖絡みの騒動が起きた時よく一緒に行動している、小さい頃から顔見知りの男の子とか?」
「それなっちゃんのことだろう! 妙に具体的に言いやがって! そりゃあまあ……なっちゃんのことは好きだよ、出雲とは違ってさ。でも恋愛的な意味じゃないよ。友達としてだよあくまで」
と今度はゼリービーンズをもぐもぐ。柚季は切り分けたロールケーキを小雪に差し出し、いらなくなった皿を台所へ持っていったり、菓子の袋をゴミ箱に捨てたり。
「今の所『男の子』としてなっちゃんを見たことはないなあ。ときめいたり、恋人になりたいと思ったりしたことは、ないや。性別を意識していないっていうかさ。同性の友達でもないけれど、異性の友達とも見ていない感じで……何か男とか女じゃなくて単純に『一緒にいると楽しい友達』っていうかさ。意識しないから恥ずかしさもないし、一緒にいて仲良こよししていても周りの目もあまり気にならないし。なんつうかそれぞれ体は男と女になったけれど、お互いへの思いは男も女もなかったちっちゃな頃からまるで変わっていないっていうか。なっちゃんも多分、同じ風に思っているんじゃない? 知らないけれどさ。高校に入ってから出会っていたら、また全然違う関係になったのかも。もしかしたら今と全然変わらない感じになっているかもしれないけれど。男と女の関係になるより、柚季と三人で馬鹿やっている方がずっといいなって今は思うよ。……まあなっちゃん良い奴だからなあ、これから先どうなるかは分からないなあ正直。大きな出来事一つで変わっちゃうかもな」
そういうのって分かるかも、とバタークッキーを齧り紅茶をすすり、頷いたのはさくらだ。
「私も一夜のこと、そんな感じに思っているわ。一夜はあくまで『幼馴染の一夜』であって『幼馴染の男の子』じゃないの。男とか女とかそういうものは ないの。傍にいるのが当たり前になっている『男の子』で、自分は『女の子』で……なんて考えたこともない。あくまで一夜は一夜、幼馴染で気がつくといつも傍にいる『人』。特別な存在ではあるけれど、その『特別』に恋とか愛とかそういうものはない。嫌いじゃなくて、むしろ好きではあるけれどその『好き』に色々な人が思っているらしいものは入っていないわ。と言っても皆信じてくれないのだけれど」
「無理ないよ、さくら姉と兄貴が喋っている時に出ているオーラがおしどり夫婦オーラなんだもん。ただの幼馴染にはどうしても見えないよ、本当。まあさくら姉の好みには合致しないだろうけれど。ちゃら男じゃねえけれど、落ち着いてはいないし本だって漫画位しか読まないし、妖怪だって別に好きじゃないだろうし」
さくらの本や妖に関する話を(半強制的プラスほぼ右から左へ流すとはいえ)聞いてくれる、という点は合致していると言えるかもしれないが。チョコバナナを刺していた割り箸をまるで魔法の杖のように振り回しながら紗久羅が言う。それから今度は柚季へと目を向けた。
「柚季はどうなんだ、速水のことはどう思っているんだよ」
「本人がどこで聞いているかもしれないのに、言えるわけないでしょうが!」
「え、つまり聞かれたくないような感情を抱いているってこと? おっと、これは甘いお砂糖展開か!? なんのかんの言っても優しいし困った時助けてくれるし、柚季の力にも理解があるし、おおタイプぴったりじゃん!」
「ち、違うったら! こら速水、やっぱりいたわね! やったあじゃないわよやったあ、じゃ! そういうわけじゃないんだからね、本当だからね、か、家族みたいには多少思っているけれど!」
「家族……旦那か!」
「なるほどなって顔をしないでよ! そ、そんなんじゃないわよ、本当よ! 兄とか弟とかそういう感じで……ああもう速水も笑っているんじゃないわよ、俺柚季の旦那だいえ~いじゃない、馬鹿!」
恐らく近くでこの様子を見ている速水に向かって叫ぶ柚季の顔は真っ赤だ。本気にされたらたまったものじゃないと思っているのだろうが、恐らく相手は柚季が思っているほど彼女の言葉を真に受けてはいまい。
「速水と結婚すると、姓はどうなるんだ? 及川のままか?」
「知らないわよ! もう!」
「へへん、さっきあたしのことを散々からかったお返しだようっと!」
と言う紗久羅の頭を柚季がぽかぽか叩き、いちゃつき、はい終了。
「もう……あ、小雪さんは弥助さんのことちゃんと男の人として見ているんですよね!」
柚季があんまり唐突に話を振ってきたものだから、小雪は危うくミニドーナツを詰まらせそうになった。紅茶でどうにか流し込み、ぱっと顔を上げてみれば目をきらきら輝かせた三人娘の姿。お菓子を手に、さあ甘いお菓子を食べながら甘いお話をたっぷり聞くぞ、甘いものをおかずに甘いものを食すのだ、とその目は語っている。
ちゃんと男の人として見ているのか。そんなこと、そんなの。胸がかあっと熱くなり、その熱が全身――とりわけ顔――へ送り込まれ、嗚呼熱された砂地獄、熱い熱い。もう死にそうな位恥ずかしくて仕方が無かったけれど、ここで「異性として見ているわけじゃない」などと見え透いた嘘を吐くことに何の意味があるだろうか。もう彼女達に自分の気持ちはすっかりしっかりばっちり知られているのだから。
全身を襲う熱に死にそうになりながら、こくりと頷くより他はなし。冷ましたはずのフルーツティーさえとても熱く感じる。もしかしたら自分の体温で熱されて沸騰しているのではと思われる位に。
「小雪姉ちゃんって弥助とはいつ頃出会ったの?」
「比較的最近よ。大体百年位前かしら……風花京でね。弥助が観光だか何かでやって来て……その時に」
「一目惚れ?」
熱されているはずなのに氷漬けになったかのようにかっちこちになっている首、どうにかこうにか横に振っていいえ、と。
「特別どうも思わなかったわ、初めて見た時は。……そもそもあの時の私は何かを好きになることなんて、なかったから。昔の私はね、世界の全てがつまらなくて、くだらなくて、どうでもいいものだと思っていたの」
弥助への想いを語るなら、自身の過去を語ることは避けて通れぬ道。飲んだ紅茶が体の奥へ、奥へと進んでいき小雪の『根っこ』とも呼ぶべき場所へといく。紅茶がじんわりとその部分を熱し、根っこにある思い出を『言葉』として体外へと出していった。
「まともに笑ったり、怒ったり、泣いたりすることなんて、無かった。何を見ても、何も感じなかったから。美しい雪像を見ても『ああ、何々の雪像か』とか『こんなものを見たところで何の意味があるのだろう』と思うだけで、綺麗だと思ったり、その美しさに感動したりすることは無かった。自分の作った工芸品を褒められても、からくり人形みたいな女と罵られても、悲恋の物語を聞かされても、何も感じなかった。だから何、と言ったことだって数え切れない位あったわ。それで相手が怒ったり呆れたりしても、やっぱり何も感じなかった。趣味も、好きなものも嫌いなものも何もなくて、友達もいなくていつも一人で、でもそれを寂しいと思う心もなくて」
世界のどんなものにも小雪は何かを見出すことはなかった。だからこそ世界はつまらなくて、くだらなくて、何の価値も無いものだった。小さく狭い井戸の中が小雪の世界の全て。少し見方や考え方を変える、或いは何らかのきっかけがあれば井戸から出、自身の世界を広げることが出来る。色鮮やかな、様々なもので溢れた、良いこと悪いこと、全てがある世界。しかし小雪は井戸から出ようとしない。出る必要を感じなかったからだ。井戸の中の世界にも、まだ見ぬ世界にも、興味など無い、何だって本当にどうでも良い。
「昔の私だったら好きなお菓子はと聞かれても『無い』の一言で終わったはず。そう言いながら、そんなことを聞いて何になるのだろうと思ったに違いないわ。お金を払ってげえむをすること、お喋りに花咲かせること、お菓子を作ること、あれこれ考えながら包装袋を選ぶこと……今日やったこと全て、楽しいと感じなかったでしょうね。皆が楽しそうに笑っているのを見ながらくだらない、何が楽しいのか少しも分からないってずっと思っていたわ、きっとね。そういう人だったのよ、私は」
へえ、と皆意外だという顔をする。それもそうだろう今の小雪は笑い怒り泣き妬き、拗ね、愛する。美味しいものは美味しいといい、好きな物は好きと言い、恋する人の心を手に入れようと奮闘する。そんな今の彼女の姿しか見たことがないのに、どうして全てに無関心だった頃の彼女の姿を想像出来よう?
ミニドーナツを食べ、紅茶をすする。美味しくて、思わず笑みが零れる。
「家族も知り合いも、皆最初の内は色々言ってきたけれど最後には諦めてしまって何も言わなくなったわ。好きとか嫌いとか、あまりなかったけれど、うっとおしい人やおせっかい焼き、人の世界にずかずかと入り込んでくるような人を疎ましく思う気持ちはあったわ。だから誰も彼もが諦めたことに気づいた時、とてもほっとしたわ。もうこれでうるさいことを言われることはないだろうと安心していた。けれど……」
「弥助さんが……そんな小雪さんの前に現れたんですね」
先の展開を察したらしいさくらの言葉に小雪は頷く。
世界を広げることを望まず、狭く何も無い世界の中でじっとしていた彼女の前に、もう二度と現れることはないだろうと思っていたおせっかい焼きが現れた。そしてそのおせっかい焼きは今までの人とは比べ物にならない程しつこく、熱かった。大きな手を差し伸べ、魂こもる声でずっとずっと呼びかけ続けた。
小雪がその手を掴むまで、何度も、何度も。目を瞑れば鮮明に蘇る記憶。諦めることなく何度も差し伸べてきた手。
――……これが最後だ! どっちを選ぶ、小雪! そいつの手をとって死ぬか、それともあっしの手をとって生きるか、二つに一つだ!――
(あの『最後の』手を掴んだからこそ今私はこうして……)
今でも忘れない。とても大きくて温かくて優しい手の、体の、温もりを。そしてそれを忘れることはこの先も決してないのだ。小雪は静かに目を開ける。物語の続きを彼女達に語る為に。
「あいつが、弥助が私を変えてくれたの。……そして、私の命の恩人でもある」




