女子・菓子・姦しい(3)
「ラッピング、どれにしようかなあ」
続いて彼女達が向かったのは雑貨屋。ぬいぐるみやキャラクターグッズをざっと見てから、ラッピング袋やシール、リボンなどが並ぶコーナーへと向かった。勿論帰ってから作るバレンタインチョコを包む為のものである。それらを物色しながらふと柚季が小雪に尋ねる。
「そういえば小雪さんはどんなものを作る予定なんですか?」
「ああ、私は木の実ののったチョコケーキを作れたらなあ……と。あ、でも皆さんが作るものと一緒で構わないわ。あんまり色々作るのは大変でしょう?」
「大丈夫ですよ。作りたいと思ったものを作りましょう。木の実ののったチョコケーキかあ……弥助さんが好きなんですか、そういうの」
「え、あ、え、ええ……ま、まあそんなところね……」
しっかり見透かされ、俯く。恋敵である満月と弥助の会話を盗み聞きしたことで知った情報であるなどとは恥ずかしくてとてもじゃないが言えなかった。これ以上このことについてつつかれたくなくて、話題を逸らそうと三人は何を作るのか聞いてみる。三人は「弥助さんのことについて追及されたくないのねえ」とにやにやしながら教えてくれた。さくらはチョコトリュフ、柚季はアイスボックスクッキー、紗久羅はチョコレートブラウニーと皆作るものはばらばららしい。今年はいつも以上に作るから大変そうだとぼやくが、表情を見る限りそれを嫌だと思っている様子はない。特に柚季と紗久羅は嬉しそうである。余程料理が好きなのだろう。
「いつもは友達と父さん、おまけで兄貴位にしか渡していなかったけれど、今年はなっちゃんや九段坂のおっさんや後まあそれなりに世話になっている弥助とかにも渡すつもりだし」
「紗久羅、今まで深沢君に渡したことなかったんだ」
「ないよ! 別に今ほど関わりなかったもん。作ったものどころか、買ったものをあげる程の付き合いだってなかったさ。小学生の時はちょこちょこ遊んでいたけれど。あの事件がなければ、今も時々ちょっと喋る程度だったんじゃないかな」
「そっかそっか、ずっと昔から恋人同士だったわけじゃないのかあ」
「今も昔も恋人じゃねえよ!」
「ごめんごめん、紗久羅の恋人は出雲さんだったわね。あ、それとも二股?」
「こらあ!」
とまたふざけあう。さくら曰く、最近柚季はこのネタで紗久羅をからかいまくっているらしい。柚季だってなっちゃんとは仲良いじゃん、なんかものすごく良い感じじゃんと紗久羅が言えば、もしかして妬いているの? などと返し。紗久羅は妬いてないもんねえ、とあっかんべえ。それから二人でけらけら笑う。全くこの二人はよく笑う。さっきも店内で見た奇抜なデザインのぬいぐるみを見て大笑いし、紗久羅がそいつに変な設定をつけて更に笑って。イケメン風呂の素という訳の分からない商品にも爆笑し、そのパッケージに書かれていた台詞をノリノリで言って笑い、コントのようなやり取りを突然やりだしては笑い……箸がころころからから転がっても、おかしくてころころからから笑うお年頃。
そんな二人は今もコントのような応酬を続けつつ、使いたいラッピング袋などを選んでいた。たかがラッピングなのに、なかなか決まらない。これもいいな、こういうのも使いたい、これとこれの組み合わせはあまり合わなそうなどと言っている。小雪と違い、本命を渡すわけでもないのに妙にこだわる。どうやら本命ではないといえど心を込めて一生懸命作るもの、ラッピングだってそれなりにこだわりたい、気を抜きたくないという思いがあるらしい。とはいえ、ああだこうだ言いながら真面目に選んでいたのは最初だけで、しばらくすると全く関係ない話をしだし、ラッピング関係以外の商品に目を向けだし、脱線に次ぐ脱線、急がば回れ、急がぬから回る。どっちにしたって回る回る遠回り。今も本当にどうでもいいことで盛り上がっている。どうしてそんなことで盛り上がれるのだろう、と小雪は不思議で仕方なく。
「さくらはもう決めたの?」
「はい。特別こだわりもないので」
一方のさくらといえば、とっくのとんまに会計を済ませておりしばらくの間は紗久羅と柚季のやり取りを眺めていたが、やがて矢張り飽きたのか近くの店へと行ってしまった。彼女はずっとこの調子だ。飽きては別行動して、用を終えた紗久羅達と後々合流して。しかしだからといって紗久羅達との買い物を楽しんでいないわけではないようだし、紗久羅達もさくらがふらふらとどこかへ行ってしまうことを不快に思っている様子はない。
(あれだけ別行動ばかりしているのに、皆で来る意味ってあるのかしら。まあ皆楽しんでいるようだから良いけれど)
そんな小雪に柚季がラッピング袋を差し出す。真っ赤な袋で、ピンクのハートマークがびっちり描かれている、そんなものだ。隣にいる紗久羅はハートのついたピンクのリボンを手にしてにんまりしている。
「小雪さん、これなんかどうですか?」
「ラッピングで愛を叫ぼうぜ。私は貴方のことが好きなの、これは本命なの、私はもう本当に貴方のことが好きで好きで仕方ないのよって!」
「な、ななな、嫌ですわ、無理ですわ、駄目ですわ!」
義理チョコではなく本命であると言っているようなものであるラッピングを見て、たちまち小雪は真っ赤になって全力で首を横に振りながら一歩二歩、後退。自分が弥助にハート塗れのチョコを手渡す姿を想像したら、もう恥ずかしいどころの騒ぎではなく。弥助が呆然――というか若干引き気味になっている姿も鮮明に浮かび、それがますます恥ずかし度をアップさせ、体温を上昇させる。
「なかなか想いを口に出せないなら、こういう所で主張すればいいんですよ! それとも、これ、つけます?」
と柚季が笑いながら見せたのはメッセージカード。そこには「I LOVE YOU」の文字。異国の言葉はあまり知らない小雪でも、これ位の意味ならば分かる。例え分からなかったとしても、話の流れで容易に想像出来ただろう。そんなことますます出来ない、と両手で顔を覆いしゃがみ込む。弥助が「何の冗談だ」とどん引きしている姿が、悶える小雪の心を抉る抉る。恥ずかし、悲し。
どうも短時間の間に彼女達は小雪を恋愛ネタで弄ると大変面白いことになることを学習してしまったらしく、ことあるごとに弄ってくる。唐突に「弥助と結婚したら、どんな料理を作ってやりたい?」などと聞いてきたり、派手な下着を手に持ちながら「これをつけて弥助に迫ってみようぜ! 色仕掛けでガンガン行こう!」などと言ってきたり。その度小雪は顔を真っ赤にし、しどろもどろ、あうあう悶えた。それを見て彼女達は「小雪姉ちゃん可愛い!」とか「弥助さん気づいて、この可愛らしい人の一途な想いに!」とかなんとか言うのである。決して馬鹿にしているとか、そういう雰囲気ではないから腹は立たなかったが、あんまりこの関係で弄られ続けたら恥ずかしさのあまり穴を掘って隠れる前にその身が溶けて消えてしまいそうだ。だから、もう、出来れば、程々にして欲しい。しかしきっと彼女達は止めないだろう。家に帰りお菓子作りも終えて一段落したら、弥助への想いについてより詳しく、そして突っ込んだことを聞こうとするに違いなかった。
「それじゃあ、これなんかはどうです? 小雪さんっぽくていいかなと思うんですけれど」
からかいモードから切り替わった柚季が手に持っているのは小さな雪の結晶が幾つも描かれた仄かに青みがかった白い袋と、水色のリボン。雪女=雪の結晶というのは安直といえば安直なイメージであるが、落ち着いた色合いと綺麗さと可愛さを併せ持つデザインにはなかなか惹かれるものがあった。
「このラッピング袋は小雪姉ちゃんそのもの……つまりチョコと一緒に私も食べてくださいってメッセージを込めるってことか!」
「いや、別にそういうつもりで選んだんじゃないけれど……どうです? これなら恥ずかしくないし、がっつり私は貴方のことが好きなのよって主張している感じもないし、でも『これを作って貴方に贈ったのは私なのよ』って思いを込めることは出来る」
「そうね、ありがとう。私この袋にするわ。リボンは水色じゃなくて青にして、それから何か飾りもつけたいわね。ただリボンで縛るだけっていうのも物足りないから」
このコーナーにはラッピング袋や包装紙を彩る飾りも色々売っている。こういうものをつけて、こんな感じのものを作りたい、そう考えながらそういったものを選ぶのはなかなか楽しかった。こんな風にラッピングのことであれこれ考えることはほぼ初めての経験だった。今まで、人間として生きる為に設定した誕生日に、弥助へプレゼントを――とか、幾度か誰かに贈り物したことは幾度かあった。だがラッピングは店の人に任せることが常で、自分でやろうとしたことなど一度もなかった。ラッピングすらせず、そのまま渡すことだって別に珍しいことではなく。だから、ラッピング袋やリボン、飾り選びは彼女にとってはとても新鮮なものであり、また、大いに楽しめるものだった。でもそれはきっと、紗久羅達とわいわい言いながら選んでいるからであって、一人で選んでいたらここまで楽しめなかったかもしれない。そもそも、ラッピングのことなど考えず、ただ適当な容器に入れてぽいっと渡すだけだったかもしれない。
小雪は柚季が勧めた袋と、自分で選んだ青いリボンと雪の結晶の飾りを買った。柚季はカフェモカのような色をした箱と茶色のリボン、紗久羅は黄緑と黄色の不織布の袋とそれとほぼ同じ色のリボン、花の飾りを。買い物を終えて店を出ると、近くにあった自販機で買ったらしいカフェオレを飲みながら階下を見ていたさくらがいた。彼女は自分の世界に浸っていたらしく、紗久羅に何度も呼びかけられるまでぼけっとしていた。我に帰ったさくらは良いものとは見つかったかと問う。三人が商品を選んでいる様子などこれっぽっちも見ていなかったらしい。そのことを特別気にする様子もなく、紗久羅達は商品の入った袋を掲げにかっと笑った。先程もそうだったが、どっちもこっちも互いの行動にてんで興味がなく、ばらばらに動いているのに、果たして一緒に出かける意味はあるのだろうかと正直思ってしまうが、本人達が楽しんでいるのならまあそれもいいのだろうと思いなおす。
雑貨屋での買い物を済ませた後は、ゲーセンで遊んだ。
「ああ、駄目だわ……本当上手くいかない!」
アームからぽとりとぬいぐるみが落ちたのを見て悔しがる小雪を、柚季は不思議そうな目で見ている。
「小雪さんってこういうゲームもやったことがあるんですね。こういう所なんてまず足を踏み入れそうにないから驚いちゃった」
「弥助に何度か連れてきてもらったことがあるの。くれんげえむ、りずむげえむ、くいずげえむ、めだるげえむ……色々やったわ。ただ一人で来たことはないわね……一人だといまいち盛り上がらないし、何より騒がしくて……」
あちこちで絶えず鳴り響く機械音のやかましさよ。静寂を好む小雪にとっては好ましいとは呼べない場所であった。だから弥助に連れられて初めて来た時はあんまりうるさくて「どうしてこんな所に連れてきやがったんですか、馬鹿!」と文句を言いつつ彼の胸をぽかぽか叩いたが、いざ遊んでみるとこれがどうしてなかなか楽しくて、夢中になっている内にうるささなど気にならなくなったものだ。けれどそんな風に気持ちが盛り上がったのはその時だけで、後日一人で遊んだ時はそれ程楽しめず。
それって一人だったからっていうより、弥助さんがいなかったからじゃないのなどと紗久羅にからかわれもしたが、そうではなかったようで。
お互いろくにやったことがない格闘ゲームで、レバーやボタンをいい加減に押しながら紗久羅と戦ったり、レースゲームで対戦し、慣れない操作に苦戦してさくらと二人仲良く逆走したりコースアウトしたり、ホッケーゲームにてあの手この手で勝利を収めようとする紗久羅と柚季を見て笑ったり、リズムゲームでさくらが見せた珍プレーの数々に絶句し、見るも無残なスコアを見てどん引きしたり(小雪の方がよっぽど点数が良かった)、四人仲良くプリクラを撮ったり、ゲームで大量のお菓子をゲットしてはしゃいだり……弥助と一緒に遊んだ時と同じ位、或いはそれ以上に楽しむことが出来た。何かが起きる度、胸が弾んだ。体温が上昇して、でもそれを不快には思わなくて。声や表情となって飛び出した紗久羅達の心を小雪が受け取って、小雪から飛び出した気持ちを彼女達が受け取って、心は増幅され、より眩い笑顔、より弾み大きくなる声となって現れる。それを繰り返して、気持ちはどんどん膨らんで、笑顔はますます眩くなり、声は弾む。それは、自分以外の人間と共に過ごしているからこそ。
ゲームを楽しんでから、いよいよ材料を買いに行く。といっても買うのは材料だけではなく、料理を終えてからしゃべりながら食べる為のお菓子もある。チョコや木の実といった材料は早々に買い終え、さっさと向かうはお菓子コーナー。何だか三人共こちらがメインであると考えている様子で、はしゃぎながらあれもこれもと次々とかごにひょいひょいお菓子を放り込んでいく。その時の皆の嬉しそうな顔といったらない。かくいう小雪もうきうきモードで、これも食べたいあれも食べたいと遠慮なくかごに入れて、あっという間に出来たお菓子の山。お菓子、しかし、多すぎる。こんなに買ったって食べきれないし金額だって阿呆みたいなことになってしまうと、ある程度減らそうとするのだがこれは譲れない、あれも譲れないとああだこうだ言ってなかなか減らない。それでもどうにか、泣く泣く幾つか(というか大部分)返してようやく会計へ。それなりの金額を前に減らしておいて良かったと呟きながら袋にお菓子や材料を詰め、いざ向かうは柚季の家。
「いやあ、楽しかったなあ! 色んなものも買えたし、沢山遊べたし!」
紗久羅は買い物袋を持つ両手を大きく振り、満足げな表情を浮かべながら外へ出るなりそう言った。財布の中身は大分寂しくなっちゃったけれどね、と柚季が言うとそれを言うな、現実にあたしを引き戻すな! と紗久羅が叫び、皆して笑う。お菓子の材料等必要最低限の物以外など買うつもりはなかった小雪の両手は今、服やアクセサリー、ゲームセンターでの戦利品等が入った袋でいっぱいだった。余計なものを買わなかったのはさくら位のものだ。
最初は上手くやれるか少し不安だったが、その不安が的中することはなく十二分に楽しめた。何だかもう一週間分位遊んだような気持ちになって大変満足していたが、買い物はあくまで前座、本番はここからだ。少なくとも小雪にとってのメインイベントは弥助へ贈るケーキ作り。紗久羅と柚季の会話を聞いて笑ったり、向こう側の世界について語ったり、妖に絡まれまくって迷惑している柚季の愚痴を聞いたりしながら歩き、やがて柚季の家へと着いた。両親は仕事でいないらしい。二人共大変忙しく、平日休日関係なく働いているのだ。二人して仕事をしていないと死んじゃう病気にかかっているのよ、と柚季は苦笑い。
家の中に入り、まずリビングに荷物を置いた。こちら側の世界にある『家』にお邪魔することは今まで殆ど無かったから、妙に緊張する。自宅とは雰囲気が全く違う。共通しているところを探すことの方が難しい位だ。まだしも以前お邪魔したことがある秋太郎の家の方が近い位置にある。改めてここが自分にとって『異界』であり、この世界にとって自分は『異物』であることを実感する。どう抗ったって自分はこの世界に溶け込むことはない。異物は、異物のまま。だって、この世界には『妖はいない』のだから。それが大多数の真実で、当たり前のように『世界の真実』として認識されているもの。だが、紗久羅達と散々遊び笑いあった後の為か、彼女達とは身も心も解け合っているような気がして胸を締めつけるような疎外感を感じることはあまりなかった。もし直接この家に来ていたら、感じたかもしれないけれど。
柚季と小雪は髪を結び、四人仲良くエプロンをつける。小雪が身に着けているものは、先程キッチン用品専門店で買ったばかりのもので、パステルブルーの、青いポケットがついたシンプルなデザインだ。さくらはといえば、随分前に家庭科の授業で作ったものを着ていた。サイズが明らかに合っておらず、ださい私服も相まって大変酷いことになっていたが、本人は全くそれを気にしている様子はない。
「それじゃあ、早速作っていきましょう」
「柚季ちゃんと紗久羅ちゃんと一緒にやれば、きっと大丈夫ね。よろしくね、二人の先生」
そう言うと二人が誇らしげに胸を反る。
「分からないことがあったらどんどん聞いてください。出来るだけ、答えます」
「はい、柚季先生!」
「なんだね、井上紗久羅君」
「バナナはおやつに入りますか」
「料理以外の質問には答えません」
相変わらずの二人だ。紗久羅のふざけた質問をばっさり切り捨てた柚季と、バナナはおやつか弁当か、バナナナナナン、バアナアナアとか即興で作ったらしいみょうちくりんな歌を歌う紗久羅が準備を進め、そして調理が始まった。
間もなく小雪は、ああこの集まりに混ぜてもらえて良かったと思うのだった。二人共普段から料理をしているだけあって非常に手際が良く、動きに全く無駄が無い。ふざけながらも手は動いているし、説明も上手い。自分の作業をしつつ、さくらや小雪に色々教えるのはさぞ大変だろうがいらつく様子もなく本当に丁寧に教えてくれた。柚季曰く、紗久羅は普段こそ短気だが料理の時だけは違うという。そういう部分もまた菊野の影響なのかもしれないと紗久羅。小雪は彼女の祖母の料理を食べたことがある。素朴ながら心温まるほっとする味で、何度も食べたくなるようなものだった。鬼灯の主人の料理を更に家庭的にしたような、大衆受けの良い味で一口食べただけで気に入った。
「あたしにはまだあの味は出せないけれどな。ばあちゃんも全部教えてくれるわけじゃないし、感覚でつかまなくちゃいけない部分とかもあるし。同じ材料使って、同じようにやったつもりでも違う味になっちゃう。まだまだだよなあ」
「紗久羅ちゃんはもっともっと腕を磨きたいのよね」
「うん。やるからにはある程度のところまではいきたいって思うもん。ばあちゃんの料理と全く同じじゃなくて、ちゃんと自分の料理ってのを作りたい」
将来的には小さな食堂を開きたいと紗久羅は言った。あの弁当屋は継がないのかと小雪が聞くと、彼女は苦笑い。あれはあたしの店だから、お前にはやらないよとあっかんべえされながら言われたらしい。菊野は『やました』と共に生き『やました』と共に逝くことを決めているのだと彼女は語った。自分という存在を生かし続ける為、店を残す――という考えはないのだそうだ。あの店が無くなったらうんと寂しくなるわよね、とさくらは残念そうだ。きっと同じような思いを抱く人は多いだろうと小雪は思う。
「まあ、当分は大丈夫だよ。あのばあちゃんのことだから後千年は生きるって」
「そんな化け物じゃあるまいし……」
とかなんとか喋りつつも手は止まらない。そういう点は口が開けば手が止まり、手が動けば口が閉じるさくらや小雪とは正反対であった。辺りは作業が進めば進むほど甘い香りで満たされていく。皆して甘い誘惑に勝てず溶かしたチョコをスプーンですくってぱくっと口に入れる。何の変哲もないチョコをただ溶かしただけなのに、妙に美味しく感じられ、自制せねば幾度もぱくぱくと口の中に放り込みそうになる。
「うわあ、超良い香り! 何、バレンタインチョコでも作っているの?」
それは四人の内の誰の声でもなかった。いかにも家より外で遊ぶ方が好きなやんちゃ坊主といった声。
声は天井から聞こえた。どうして天井からと疑問に思った小雪は視線を天井へやり、呆然。流石の小雪も天井からぬっと少年の頭が出ているのを不意打ちで見たら驚く。紗久羅は「げっ」と声をあげ、柚季は「ひいっ」と大きな声で悲鳴をあげた。さくらはあらまあ、と目を瞬かせ。
「ちょっと速水! いい加減その気持ち悪い登場の仕方、やめてちょうだいよね! 心臓が冷えたチョコみたいに固まるかと思ったわよ!」
「あはは、柚季は相変わらずだなあ。俺がこんな風に出てくることなんて珍しくないのに、一番びっくりしてやんの! いい加減慣れなよ」
「慣れるわけないでしょうが、この阿呆!」
少年は相変わらず頭だけを天井から出したままけらけら笑っている。幽霊には見えず、妖独特の歪な気も感じられず、むしろ清浄な気を感じられる少年は果たして何者か。顔を真っ赤にしながら色々言っている柚季と、そんな彼女の様子を面白がり、どんどん煽っていく少年を困惑の表情で見つめていた小雪は、近くにいった紗久羅に彼は誰かと尋ねた。すると紗久羅はにんまりと笑った。あ、またふざけるなと一目で分かる表情だ。
「あいつは速水。柚季の生涯の伴侶」
「誰が伴侶よ、誰が! 冗談じゃない!」
「ええ、俺の伴侶じゃないの柚季は。伴侶になってよ俺の愛しい柚季ちゃん」
「遠慮します! ああもう、今私はお菓子を作っているのよ、邪魔しないで!」
手に持っていた泡だて器を速水へと向ける。
「ねえねえ、俺にもくれるの? バレンタインチョコ」
(人の話を全然聞いていないわ、あの子……)
「大人しくしていたらあげてやってもいいわよ」
「わあい、本命チョコ本命チョコ!」
「本命なんて一言も言っていないでしょうが! そんなふざけたことばかり言っていたら、本当にあげないわよ、チョコ!」
「俺だけが柚季の『最愛』だもんねえ、うんうん。ねえねえ何作ってくれるの、ねえねえ」
まあ兎に角煽る煽る。とうとう堪忍袋の緒がぷっつんした柚季にバター(箱入り)をぶん投げられるまでずっと彼女をからかって遊んでいた。速水がいなくなると辺りは少し静かになった。本当にあいつは、とこぶし振るわせる柚季を見て、三人は苦笑い。
その後彼のことを全く知らない小雪に、柚季は色々話してくれた。紗久羅達と一緒にクリスマスパーティーをした日に姿を現し、魔に憑かれていた妖の老婆に殺されそうになっていたところを助けてもらったこと、柚季の霊力と土地の性質によって引き寄せられてくる妖達を退治したり追い払ったりしてくれていること、但し柚季の力でどうにかなる相手は無視すること、彼女が慌てふためくさまを見てげらげら笑っていることなどなど。後半は殆ど口だったが、その口ぶりや表情を見る限り少なくとも彼を嫌っている様子はない。ちなみに彼がどういう存在なのかは彼女も、本人さえも知らないという。
「悪霊ではなさそうだけれどね。まあ、こっちが必死になって妖と戦っている時にげらげら笑っている姿を見ると、あいつ絶対悪霊だ疫病神だと思うけれどね。はあ……早く無駄に妖を引き寄せないよう上手いこと力をコントロール出来るようにならないと」
「妖や魔を祓う力があるというのも、なかなか厄介なことなのね……」
歪んだ力と、それを祓う力――対極にあるからこそ、惹かれあう。本人が望もうとも、望まざろうとも……。
「元々この辺りってこちら側と向こう側の境界が曖昧になりやすいようだし、余計大変なのよね」
「向こう側の世界に行ったり来たりのあたし達と付き合っているから、余計向こう側との縁が強くなって引き寄せやすい体質になっちゃっているらしいしな!」
「胸反らしながら偉そうに言わないの。もう! 九段坂さんも呆れていたわよ、あまりそうして向こうの世界との縁を深めるものじゃないって」
「だって向こうの飯美味しいのが多いんだもん。出雲の家に行けばただで美味い菓子とかお茶にありつけるしさ」
「完璧に餌付けされている……」
「餌付けなんてされていないやい」
(餌付けだ、完璧に餌付けだ……出雲の思う壺ですわね)
「ほら、小雪さんや臼井先輩もそう思っているみたいよ、顔に書いてあるもの。これ程攻略が簡単な娘もいないんじゃないかしら。……そういえば今年は出雲さんにもチョコ、あげるのよね」
仕方なく、なと紗久羅はため息。どうも相当しつこく彼に言われまくり根負けして「分かった、分かった!」と言ってしまったらしい。出雲は欲しいものがあればどんな手を使っても手に入れる男だ。紗久羅からチョコを貰う為なら精神攻撃だってなんだって厭わないに違いなかった。
「ったくあの野郎……つい最近までバレンタインのことを馬鈴薯、馬鈴薯って言っていたくせによ、意味を知った途端にちゃんと言えるようになりやがって……。聖バレンタインを千の馬鈴薯って……横文字覚えないにも程があるだろう。お菓子の名前は難しいものじゃなきゃそこそこ覚えるんだけれどさ。トリックオアトリートは鳥食おうや鳥をになるし、リュックサックは龍食う猿になるし、かすってもねえよ……もう」
「確かに出雲さんって横文字苦手よね。けれど時々何でそれを知っているの? ってものを知っているから驚きよ。どうも読み方を教わりながら読んだ本とかに出てきた名前は幾つか覚えているみたい。エンデュミオンとかメデューサとか、ケツァルコアトルとか……。横文字じゃないけれど、天邇岐志国邇岐志天津日高日子番能邇邇芸命(あめのにぎしくににぎしあまつひこひこほのににぎのみこと)とか」
「それでどうしてバレンタインが覚えられないのかしら……」
「出雲は興味が無いものは覚えようとしないから。横文字に限らず。何度も会っている人の顔と名前を毎度忘れたり、長い時間かけて教えたことも三日も経たない内に忘れてしまったり。私も最初の内はよく忘れられていましたもの」
物覚えの悪い奴だ、流石千才超えているじいさんだと悪態をつきながら紗久羅は調理を続ける。調理は皆大したトラブルもなくスムーズに進んだ。小雪も二人に教えてもらいながら作業自体はなるべく自力でやった。人任せにするのではなく、自分の手で作りたかったからだ。自分の手で作ったから、完成した時の喜び、達成感もひとしおで。濃厚でほろ苦く、しっとりしたチョコケーキ。その上にはカシューナッツやくるみ、アーモンドといった木の実がこれでもかという位のっている。さくらが作ったころころ可愛らしいトリュフも、中に入ったナッツが香ばしい紗久羅特製のチョコレートブラウニーもどれもこれも美味しそうだった。柚季が作った市松模様と渦巻き模様のアイスボックスクッキーは明日焼くそうで。
達成感に浸りつつも後片付けを進め、後はラッピングするだけという状態までもっていった。室内はうんと濃いチョコの匂いでいっぱいで、甘いものと紅茶を無性に口に入れたくなる。
「ささ、ここからはお楽しみのお茶会よ!」
そう言ったのは柚季だ。ショッピングモールで散々遊んで、お菓子作りに奮闘して四人共若干疲れていたが、ここで一休み、ちょっと疲れたからお休みなさい……というわけにはいかない。
どうやら今日の夕飯は甘い甘いお菓子と、皆のお喋りになりそうだ。