女子・菓子・姦しい(2)
*
「おはようさくら姉、小雪姉ちゃん」
二階にある自宅から出、階段を下りてきた紗久羅の元気いっぱいな挨拶に小雪とさくらは振り向いた。
今日は二月十四日の土曜日、すなわちバレンタイン。天気は晴れ、天に広がるのは美しい青。絶えず冷たい風がひゅうひゅう吹いている。勿論小雪にとってはこんな風、なんてことは無いけれど。むしろもっと寒くても良い位だと思う。紗久羅は紺と白のスタジャンに赤いマフラーにジーンズ。ボーイッシュな格好が良く似合う。一方のさくらといえば、相変わらずあちこち髪の毛が跳ねていて、着ているのは着古しているらしいだぼっとよれっとしている緑色のトレーナーと、クリーム色のズボン。トレーナーの下にもう一着着ているらしく、袖諸々がだらんと飛び出ていてそれがまたひたすらださい。温かければそれでよし、なのだろう。
「小雪姉ちゃんは相変わらず寒そうな格好しているなあ。まあ似合うからいいんだけれどさ。あたしが着たら絶対似合わないもん」
全く寒さを感じないから、そう言われてもぴんと来ない。レースをあしらった薄手の七分丈のブラウスに、淡いブルーのロングスカート。確かにこういった女の子らしい格好は紗久羅には合いそうにない。逆に小雪には紗久羅が着ているような服は似合わないだろう。
「さくら姉、下に着ている奴がはみ出ちゃっているじゃん」
「そうねえ。下に着ているものの方が袖、長いみたい。けれど厚さは上の方があるから、逆に出来ないのよ」
「そろそろ新しい服買ったら? これ結構前から着ているやつだろう? なんかもうよれよれで、落ちきっていない汚れがちらほらと……」
「お洋服って高いじゃない。それよりは本を買った方がずっといいもの。大丈夫、まだ穴は開いていないし十分着られるわ」
と相手にしない。紗久羅と小雪は顔を見合わせ、苦笑いするしかなかった。ファッション談話は一旦切り上げ三人でバスに乗って三つ葉市を目指す。街の中心にあるショッピングモール、そこで柚季と合流することになっている。バスに揺られている間は絶えず喋っていた。
三つ葉市は相も変わらず騒々しく、桜町とは何もかもが違った。矢張りどうにもこのごみごみした感じや騒々しさは好きになれない。聞けばさくらもあまり好きではないらしい。確かに見るからにこういった喧噪が苦手そうだと小雪は思った。
「そういえば小雪姉ちゃんほぼ時間通りに来たみたいだけれど、向こうの世界って時計ってあったっけ? 約束した後になって気づいてさ、もし来ていなかったらどうしようかと思っていたんだけれど」
「ああ……時計はないのだけれど、私の住む京にある六花宮という宮が、時を告げる鐘を鳴らしてくれるの。その鐘の音を頼りに、こちらへ」
「へえ。小雪姉ちゃんの住んでいる京ってなんて名前なの?」
「風花京という名前です。ほぼ一年中雪が降っていて、山も空も地面も家も皆真っ白なの。出雲にとってはあまり足を運びたくない京みたい。あの人白色が好きじゃないみたいで……もし行ったら京に住んでいる妖共の血で真っ赤に染めて『赤花京』って名前に変えてやると言っていたわ……」
「あいつの場合まじでやりかねんな……」
割と本気のトーンで言われたことを思い出し、遠い目をしながら小雪は語る。思い出しただけでぞっとする、雪よりなお冷たい顔と声。昔の自分なら「どうでもいい」の一言で終わり、彼がそんなことを言ったことさえ忘れていただろう。恐怖する心、これもまた弥助によって与えられたものだった。紗久羅は出雲というのは冗談にしか聞こえないことを本気で実行してしまうような男と認識しているから、例えその京へ足を運ぶようなことがあったとしても、絶対に出雲とは一緒に行くまいと心に誓った。さくらもまた同じように。
小雪は歩きながら、二人に京のことをもう少し詳しく話して聞かせる。住んでいるのは雪女や雪男、雪童などといった妖であること、観光に訪れる妖達に出す鍋が名物の一つであること、真雪鍋という餅や豆腐、えのき、白樺豚(肉の色が白いのが特徴の、向こう側の世界で育てられている豚)、大根などといった色が白い具材尽くしの鍋が特に人気であること、雪像作りの名人がいること、六花宮一の姫は柊姫という人であるらしいことなど、日々の暮らしや京の特色、そこで暮らす民の話などしてやった。
周りの通行人は小雪達の話など気にもかけないし、耳に入れた者も漫画や小説の話をしているのだろうと考える。だから小雪達のことを怪しむ者は誰もいなかった。さくらは目をきらきら輝かせ、ああもう素敵倒れそうと何度も叫んだ。紗久羅も、さくら程ではないが楽しげに聞いていた。普段あまり喋るタイプではない小雪だが、二人が楽しそうに聞いているからつい嬉しくなっていつもより多弁になる。
楽しくお喋りしていると、時間などあっという間に過ぎる。気づけばもう目的地についており、建物に入ってすぐの所で紗久羅が「あ、柚季!」と手を振る。どうやらもう彼女は来ているらしい。紗久羅のその声でこちらの存在に気付いたらしい少女がとっとっとと笑みを浮かべながら駆けてくる。セミロングの髪に、赤いカチューシャ、紺色のダッフルコートからはふわりとしたティーアードフリルのロングスカートが覗いている。紗久羅が男の子っぽい女の子なら、彼女は女の子らしい女の子。可愛らしいが、ぶりっ子ではなさそうだ。きっと猫を被ってばかりのぶりっ子であったら紗久羅とは決して仲良くなれない。
柚季は小雪の方に目を向け、ぺこりとお辞儀して名を名乗る。
「今日はありがとう、突然の申し出だったのに」
「気にしないでください。人数は多い方が盛り上がりますもの! それに恋する乙女なんて、素敵じゃあないですか!」
「は、はあ……」
「後程たっぷりと、色々なお話聞かせてもらいますからね!」
と手を合わせながら満面の笑みで言う。余程恋愛話に飢えているらしい。全くどうして女の子というのは恋愛話というのが大好きなんだろう、と小雪は苦笑いしながら思う。あたし達にはそういう話は出来ないからなあ、何せ相手がいないからと小雪同様苦笑いしてから、店内は暑いなあと紗久羅がぼやく。確かにねえ、と柚季はコートを脱いだ。レースがあしらわれた、ブラウン色の可愛らしい上着、ふわりとした四層のスカートはそれぞれ色が違い、またレースだったり花柄だったりと雰囲気も違う。顔立ちが可愛らしければ、服装もまた可愛らしく、しかしそれが似合っているから羨ましい。
「柚季は本当そういう格好が似合うよなあ。あたしには絶対無理。まあ元々そういう系には興味がないんだけれどさ」
えへへ、と柚季はくるっと一回転スカートをちょこっとつまんでにっこり。
「まあ、私の可愛さを際立たせるにはこういう可愛い格好が一番だから。可愛い子が可愛い服を着れば無敵なのです、私は世界で一番かわいいお姫様なのよ、紗久羅殿」
本気で言っているわけではないことが分かるわざとらしい口調に小雪は思わず笑みを零す。紗久羅も柚季が冗談で言っていることを理解していながら「わあ、このナルちゃん娘め!」などと言う。小雪はナルちゃんの意味がよく分からなかったが、紗久羅達の会話を聞く内なんとなく理解していった。
「そんなナルちゃん発言ばっかりしていたら、出雲になっちまうぞう!」
「何であの人の名前が出てくるのよ!?」
「だって、あいつめっちゃナルちゃんだもん。自分大好き人間の典型例だぜ、あれは。この世で自分が最も愛しているのは自分自身とか、この世で一番美しいのは自分だとか臆面もなく言えるんだぜ。冗談で言っているんじゃない、あれは絶対マジで言っている。この前なんてお前は恋人とか作らないのかって聞いたら『自分以上に愛せる者も、自分以上に美しい者もこの世にはいないから無理』とかなんとか笑いながら言ってさあ。あれをナルちゃんと言わずになんとする」
柚季は何それ怖い、と完全にどん引きしている様子。自分で言った冗談のお片付けも出来ぬようで。小雪も出雲のそんな発言を幾度となく聞いた覚えがある。美しい風景や、美しい人を目にした時大抵彼は「なかなか綺麗だね。まあ私には劣るけれど」と言うのだ。時々私には劣るけれど、という言葉がない時もあるがただ省略しているだけの話だろう。確かに彼は綺麗な人だと思う。あくまで化けた姿ではあるけれど、何かに化ける力を持つ者達が普段生活する上でとっている姿というのは力の消費が最も少ないものであり、最もしっくりくるものであるという。自分という存在を最もとらえた姿とも呼べるもの。あれは化け狐の出雲に最もふさわしい人の形なのだ。今弥助がとっている姿もまた、彼にとって最もふさわしい、自分というものを最もよくとらえたもの。
(でも幾ら綺麗だからって…本当どこからあの自信と愛は来るのだろう……)
「出雲さんの行く末は水仙かしら」
さくらのその言葉の意味は誰にも理解出来なかったし、聞いたらまたとてつもなく長い語りが始まりそうだったから、聞きもせず。己に恋したナルキッソスは水に溺れ、残るは水仙ばかり。
とりあえず出雲のナルシストっぷりに関する話は一旦終わり、早速買い物へ。といっても料理の材料やらラッピング用の袋諸々は後回しにして、まずは洋服屋巡りだ。移動する間、小雪はずっと顔の辺りを手で扇ぐ。柚季や紗久羅達でさえ「暖房がかかりすぎていて暑い位だ」と言っているのだ、暑さに弱い小雪なら尚更だ。しかしもうこれ以上余分なものは着ていないから、脱ぐことも出来ない。
(そういえば以前、暑い暑いと連呼していたら弥助に「そんなに暑いならすっ裸になって歩きやがれ」とかなんとか言われましたわ! あ、思い出したら何だかとっても腹がたってきた!)
あかんべえしながらそんなことを言った弥助の憎たらしい顔がぱっと浮かぶと、怒りや気恥ずかしさで体中の体温が上昇する。満月相手には絶対にそんな冗談など言えないだろう。気が置けない仲ゆえに、と言えば聞こえはいいけれど。ちなみにそう言われた時は「この変態狸!」と叫んで彼をぽかぽか叩き、結果的に余計体が熱くなってしまった。全く彼といると、恋する思いやら鈍感発言などに対する怒りなどで常に体が火照ってしまう。
(ああ、あんな馬鹿が好きなんて! 好きなんて、私の馬鹿、大馬鹿者!)
一人真っ赤な顔を覆いながら首をふるふる振っている小雪を、紗久羅と柚季は時々ちらちら見ては可愛いなあとにやにや。そんな様子にさえ今の小雪は気づかない。
「小雪さんどうしちゃったのかしら?」
「弥助のこと考えているんだよ、きっと」
一人首を傾げていたさくらに紗久羅が笑いながら説明してやれば、彼女も得心がいった様子。
「本当、弥助さんのことが大好きなのねえ小雪さんは」
「そうそう、小雪姉ちゃんはあいつ一筋なのさ」
「紗久羅は深沢君と出雲さんの間を行ったり来たりだけれどね!」
「ち、違うやい! もう何言っているだよ!」
「あ、顔真っ赤になった! 図星、図星!」
「こらあ、柚季!」
逃げる柚季、笑いグーにした右手振り上げつつ追いかける紗久羅。そのまま目当ての服屋まで行ってしまった。さくらは「ちょっと二人共……もう」と困ったように笑う。二人の姿が大分見えなくなって、ようやく小雪は我に帰り。
「あら、紗久羅と柚季は?」
「本当一人の世界に入っていたのね、小雪さん……」
二人のやり取りなど目にも耳にも入っていなかった彼女を見て、さくらは苦笑いする。弥助のことを考える時、彼女は物語或いは自分の世界へ入りこんだ時のさくらと同じになるようだ。
四人は幾つかの服屋を巡った。
「ああ、お金にもっと余裕があったら迷わず買っちゃうんだけれどなあ」
柚季は裾にレースがついた茶色のロングスカートを手に持ち、ため息。彼女は小雪同様長めのスカートが好きなようだ。
「買っちゃえば? 毎月お小遣い沢山貰って、お年玉もたんまり貰ったんだろう?」
「確かにそれなりに貰ったけれど……でも、だからといって節操なく使っていたらあっという間に終わっちゃうわ。ご利用は計画的に、よ。ああでもどうしよう……こっちよりあっちのワンピースの方がいいかなあ……すごく可愛い」
今いるのは柚季お気に入りの、可愛らしい、いかにも『女の子!』な服を取り揃えている店だ。自分で着たいとは思わない紗久羅は柚季や小雪に色々試着してもらって楽しんでいる。さくらはといえば値札を見ては「まあ、高い」とか「これで本がうん冊買える……」とかそんなことばかり言っていた。実際の所特別高くはないのだが、貰い物や格安の店で買うのが当たり前であるさくらにとっては衝撃的なお値段なのだろう。たまに値段以外のことを言うこともあったが、自分の読んでいる小説のキャラが着たら似合いそうとか、これが似合う女の子ってすごいなあとか、せいぜいそんな位で。カジュアルな服が揃う店にいた時の方がまだしも楽しそうであった。そこそこ良いなと思ったデザインの服もあったようだが、服にかけるなら本にかけると言って結局買うことはなく。
小雪は先程から紗久羅や柚季に言われるがまま、試着をしては彼女達に披露していた。二人は似合うとか可愛いとか、別の色の方が合いそうとか思い思いの感想を言っては小雪を照れさせたり、その気にさせたりする。先程寄った店では、ベージュのパンツなどを買った。それらを試着した時は「仕事とかバリバリ出来そうなしっかり者のお姉さんみたい」と称された。決して二人は小雪に購入することを無理強いしてはいない。買うことを決めたのはあくまで自分自身だ。たまにはこういう格好も良いかもしれないと思って。それなりの出費ではあったが、後悔はしていない。弥助が見たらびっくりするかな、などと思ったらまた恥ずかしくなって顔発火。
紗久羅に渡されたワンピースを試着している時、柚季の「やっぱり買う!」という声が聞こえた。しかもどうやら買おうか買うまいか悩んでいたワンピースとロングスカート両方を購入するようで。ああんもう貧乏になっちゃう、というその声はぴょんぴょんと弾んでいる。レース付きの紺色ワンピースを試着し終え、出ればさくらに「森の中でひっそり暮らしている人って感じで素敵」とよく分からないことを言われた。森の中で刺繍をしたり、糸を紡いだり、果実や木の実のパイやお酒を作ったり、薬草摘んで煎じたりしている女性という感じなのと説明されたが矢張りいまいち分からず。それは紗久羅も同じらしく、肩すくめ。
ここではペンダントを買い、また次の店へ行く。店それぞれ品揃えが違うから、幾つ回ってもそれなりに楽しめる。もっとも、服にこれっぽっちも興味が無いさくらの顔はどこへ行っても浮かなかったし、今は完全に飽きたのか近くの店を覗きに行っている。
「そういえば小雪姉ちゃんってさ、こっちで色々買うお金ってどうしているの? 出雲はこっちの世界で手に入れたものとかを交換屋でこっちの世界のお金に変えてもらっているらしいけれど」
「ああ……私は京で色々な小物を作って、ある店に納めているの。それが売れることで得られるお金の一部を交換屋でこちらの世界のお金に変えてもらっているのよ」
「へえ。ねえ、向こうの世界って変てこなものがいっぱいあるけれどさ、やっぱり着物とかにも変わり種ってあるの?」
「そうねえ……季節毎に絵が変わる着物とかがあるわね。山の色や描かれている植物の種類、空の様子などが変わるの。それが変わると、ああもうこれがこんな風になる季節なんだなあって思って……またそれが楽しいみたいよ。描かれている絵が常に動く着物もあるわね。水を着ているかのような心地がするものや、要望に合わせて歌を歌ってくれる着物とか……まあ、そういったものはなかなか手に入れるのが難しいわ。高価なのよ、とっても」
昔は着物の柄が季節によって変わったり、動いたりするからなんだ、何の意味もないじゃないのくだらないと思っていたけれど、今はそういう風に考えることもない。さくらと同じ位どうでも良いと考えていたお洒落だって、今は嫌いではない。紗久羅は本当変わったものが沢山あるなあ、と呟く。正直向こうの世界でずっと暮らしている小雪からしてみれば、こちらの世界の方が変てこで溢れているように思えるのだけれど。
ざっと一通り商品を見てから、次の店へ。幾つも梯子して、服やらバッグやら見て、それから今度は紅茶の専門店へ。落ち着いた色調の店で、様々な茶葉、様々なフレーバーの紅茶が販売されている。そこで季節限定の商品の試飲をしたり、茶葉の匂いを楽しんだりした。そこで柚季が幾らか商品を買い、次は和雑貨屋へ。さくらのテンションが俄かに上がり、紗久羅達もそれなりに楽しんだ。
「臼井先輩って和風のものが好きですよね。昔から好きだったんですか?」
「そうねえ……小さい頃から好きだったかもしれないわ。おじいちゃんに日本の昔話がたくさん載っている本を買ってもらって、それをお母さんに読んでもらって……少し大きくなってからは自分で読むようになったっけ。それこそぼろぼろになる位何度も、何度も。それからおじいちゃんから桜村奇譚集に載っている話をしてもらって……本で読んだお話も、おじいちゃんから聞いたお話も大好きだった。その気持ちがぐんぐん成長して、膨らんで、和風のものが好きになったのかも。グリム童話やアンデルセン童話も好きなんだけれど、より自分の近くにあるのは日本の物語だった」
そんな物語の数々が自身を和の世界へと引き込んだのだろうとさくらは語る。ついでに幼稚園の時のことを思い出したのか、それについても語った。幼稚園で行われる劇、演目は子供達にとって馴染みのあるお話ばかりで。年長組の時、さくらはかぐや姫がやりたいと思っていた。別に役はおばあさんの役だろうが月の使者だろうが、なんでも良かった。ただかぐや姫という演目をやりたいと思っていた。ところが自分達の組の演目は『白雪姫』になってしまい、しかも別の組がかぐや姫を演じることになった。それが悔しくて、悲しくて仕方なくて向こうの組の子になりたいと駄々をこねたという。本番の日もずっとご機嫌ななめのまま小人役を演じ、家に帰ってから母親にもっと笑顔だったらもっともっと良かったのになあと言われたことを今でも覚えている……そんなお話。
「臼井先輩がそんな我侭風に駄々こねる姿ってあんまり想像出来ないです。ああでも懐かしいなあ……私もやったなあ、劇。桃太郎の犬役でした」
「あたし、浦島太郎の乙姫様役だった!」
「えっ」
「えっ」
「えっ」
「ちょ、何だよ三人して! あたしあの頃はまだもうちょっと大人しかったんだぞ! さくら姉だって知っているだろう!?」
そうなんですか、と柚季と小雪がさくらを見る。さくらは「元気な紗久羅ちゃんの印象があんまり強くて全然覚えていない」と申し訳なさそうに言い、紗久羅はちえっとふてくされ。
「ごめんごめん、金太郎役とか鬼が島に住む鬼役とかがぴったりな紗久羅が乙姫役なんて思っちゃって」
「あ、柚季ってば酷い!」
「ごめんごめん、浦島太郎だったら強引に竜宮城へ連れて行く亀の方が合いそうだなって思っちゃって」
「こらあ、柚季!」
そしてお決まりのじゃれ合いに発展する。さくらと小雪は商品を手に取りながら、本当に仲が良いなとくすくす笑った。
(冗談を言い合って、じゃれ合って、仲良く笑って……)
小雪は二人のその姿に自分と弥助を重ねた。『気の置けない友達』である二人に自分達は驚く位すうっと、綺麗に重なった。恋人ではないけれど仲は良い。仲は良いけれど、友達や兄妹といったところから抜け出すことはない……。目の前にいる二人は自分達の過去であり、現在であり、そして……。
(ああ、もうまた後ろ向きになって!)
こんなだからいつになっても前に進めないのか、或いは前に進めない日々が続いたからこそこうなったのか、もうどちらが先で後なのか分からないけれど。さくらはああきっと弥助さんのことを考えているのねと笑いながら手に取っていた手毬の描かれたポストカードと、使いもしない手毬を模したものがついたイヤリングをレジへと持って行った。
戻ってみれば、紗久羅が見知らぬ少年を追いかけまわしていた。柚季曰く、彼は二人のクラスメイトであるらしく柚季とじゃれていた紗久羅を見て「幾ら貰い手がいないからって女の子に手を出すなよな」とからかったそうで。短い追いかけっこは紗久羅のあかんべえと少年の笑い声と「じゃあな」という言葉で終わった様子。
その後はフードコートにあるハンバーガーショップでハンバーガーを買って食べた。小雪が慣れた手つきでハンバーガーを食べたり、シェイクを飲んだりするのを柚季が不思議そうに見つめている。どうしたの、と問えば「何だか不思議な感じがして」と返された。
「小雪さんってこちらの世界には大分前から来ているんですか?」
「そうねえ……初めて来たのは何十年か前位かしら。こうして頻繁に通うようになったのは弥助があの店で働くようになった後だったはず。最初は色々戸惑ったけれど、あの馬鹿に色々教えてもらったからとりあえずちょっと買い物したり、遊んだりする位なら特に問題なく出来るようになったわ。下手なことをすれば周りからとても嫌な視線を向けられることになるだろう、お前がそんな目で見られるのは嫌だからって……」
俯き、ハンバーガーをかじる。注文の仕方や食べ方などを教えてくれたのもまた弥助だった。彼はこちら側の世界のことが分からない小雪に本当に優しく丁寧に教えてくれた。色々教わりながら、様々な所を二人で回るのはデートみたいで、気恥ずかしくも嬉しかったのを覚えている。
「本当、出雲とは正反対だよなあ。あいつだったら何にも知らない人間を少しの説明も無しに放り出すよ絶対。それでその人が失敗して笑われているのを見て笑うんだ。あいつって優しいって言葉を知らないからな、うん。弥助やなっちゃんの垢を煎じて飲ませてやりたいくらいだよ、全く。まああいつのことだから『馬鹿狸の垢飲む位なら死んだ方がまし』って言うだろうけれど」
「あら、でも私達にはちゃんと色々教えてくれているじゃない。出雲さんにだって優しいところはあるのよ一応」
「一応って……」
散々な言われようだが正直、擁護する言葉が思い浮かばずただ苦笑いするしかない小雪だった。それから今度はペットショップに行き、子犬や子猫を見た。皆して口から零れるのは「可愛い、可愛い」という言葉ばかり。食べちゃいたい位可愛いってこういうことを言うのよね、と柚季。
「そうそう。そういや可愛い犬で思い出したけれど、この前出雲にいなり寿司売っている時にさ、子犬を連れて歩いている人が通りかかったんだ。もうすっごく可愛い子犬でさ、可愛いなあって呟いたの。で、出雲もそっちの方を見てさ……そしたらあいつ何て言ったと思う? 『ああ、潰したい位可愛いね』って! しかも無表情だし相変わらずの冷たい声だし」
(潰したい位可愛いってどういうこと……)
聞いたこともない言葉に三人はどん引き、困惑。そもそも本当に可愛いと思っていたのか、思っていないからこその言葉だったのではないか。いや、しかし彼の場合本気だったとしてもおかしくはなく。
(それにしても紗久羅ってさっきから出雲の話ばっかり……もしかして……まさかね)
あいつの感覚ってまじ分かんねえと呟きながら子犬を見つめている紗久羅を見、小雪は静かに首を横に振った。