第五十六夜:女子・菓子・姦しい(1)
『女子・菓子・姦しい』
ぐるぐるぐるぐる、からからかん。ストロー回れば氷も珈琲もぐるぐる回る。
「今年も作ってくれるんすか!? わあ、嬉しいっす!」
「はい。日頃の感謝の気持ちを込めて。今年は瑠璃と一緒に作るんです。……渡すのはバレンタイン後になっちゃいますけれど。そうそう、以前三人でお買い物した後にお会いした鳳月さんに渡すらしいですよ、彼女」
「へえ! いいっすねえ、きっと本命なんでしょうね」
「本人の前でそんなことを言ったらふざけないでって顔真っ赤にするに違いないですけれど」
「違いない……はあ、あっしも朝比奈さんから貰いたいなあ、本命チョコ」
「え? 何かおっしゃいました?」
「いいえ、何でも! ふふふん、バレンタインが楽しみっす!」
でれでれどろどろ、炎天下においたチョコレートのようになっている弥助と、くすくす笑う満月。仕事中は私語厳禁、などというルールは特別ないから二人はこうして仕事の合間によく喋っている。勿論仕事に支障が出ない程度に。お客さんとお喋りすることだって珍しくはない。特に弥助はしょっちゅうお客さんの悩みを聞いたり、色々相談にのったりしている。
今年は何を作ってくれるっすか、それは当日のお楽しみです――そんなことを喋っている二人は、特に弥助は――それはそれは幸せそうで。恋人同士でもないのに、楽しそうに喋っている二人からはいつだって『長年つき添った夫婦オーラ』が滲み出ている。
ぐるぐるぐるぐる、からからかん。感情がぐるぐるぐちゃぐちゃ回って、頭にからから当たって痛くて腹立たしい。小雪は二人のそれはそれは楽しそうな様子を、恨みがましい目つきでじっと見つめている否睨んでいる。
五分丈のブラウスに浅黄色のフレアスカート。季節を大分間違えている感があるが、これでもかなり譲歩した方だった。彼女の住む京に比べ桜町は随分と温かい。温かいを通り越して暑い。店内は暖房がかかっているからますます、暑い。ノースリーブのワンピースの方がまだましだと思うが、細身の女の子が真冬にノースリーブのワンピースというのはちょっと……と弥助に難色を示された為、仕方なくこの秋太郎と弥助からのプレゼントである服を着ているのだ。
暑さに加えて、目の前に広がるこの光景。募る苛立ちが、ストローをぐるぐる回す。ぐるぐる、ぐるぐる、かんからこん。弥助は小雪の想いに気づかず、満月は弥助の想いに気づかず、弥助は満月に想いを伝えず、小雪は弥助に想いを伝えず……こんな状態がずっとずっと続いている。
(あの鈍感娘が言葉や行動なしに自分に向けられた想いに気づくわけがないわ! それなのにいつまで経ってもただでれでれどろどろしているだけで何にもしない!)
しかしそれはそっくりそのまま自分にも言えることであった。自分のことを可愛い妹位にしか思っていない弥助に想いを伝えるにははっきりとした言葉や行動が必要である。意地張って、悪態ばっかり吐いていたってどうにもならない、何も変わらない。それは分かっているが、前に踏み出すことが出来ない。この結ばれもせず、離れもしない、そんな中途半端な日々とはもうおさらばしたいと願う一方で、つかず離れずぬるま湯の日々をこれからも過ごしていたいと願う自分もいた。結局それは想い叶わず、数百年続いた片思いに終止符を打つことに対する恐怖がもたらした『逃げ』に過ぎないのだけれど。
(あの馬鹿と満月が結ばれれば、もうこんな風な気持ちにならなくて済む……全部終わりにして、あいつのことを諦めて、新しい恋を探す決心がつく)
そんなことを考え、駄目だ駄目だと首を振り。
(弱気になってどうするんですの、もう! 他の誰かにとられたって全然平気なんてことはない! それに、それに……想いを伝えることなく終わりにすることだって出来るはずがない。ああ、もう……いっそのこと満月がとても性格の悪い娘だったら良かったのに! そうすれば絶対負けたくないって気持ちになるのに……)
弥助と喋りながら浮かべる笑みは、陽の光のように眩しく温かい。そしてそれは夏の突き刺し、全てのものを焼き尽くすぎらぎらとしたものではなく、春の柔らかく優しいもの。小雪はその笑みを、その笑みを浮かべる人のことを嫌いになれない。絶対に負けたくない、という気持ちさえ溶かしてしまうのだ。
(けれど、満月が嫌な子だろうとそうでなかろうと、絶対負けたくないって気持ちになろうと、最終的に想いを伝えるのは私。私が動かなくちゃ何も進みはしない……)
ぐるぐるぐる、からからかん。想いを伝えよう、伝えようと思ってはや数百年。妹位にしか思われていない以上告白しても無駄だという思い、この時間がずっと続けばいいという思いと意地っ張りでなかなか素直になれない性格に阻まれうだうだやっている間に、弥助は好きな人を見つけてしまった。心から愛する人を。
苛立ちをぶつけるようにアイス珈琲をぐるぐるかき混ぜながら、和気藹々としている自分達を睨んでいる小雪の存在に弥助は気づいていない。小雪がこの店に来ていることなどもう頭にない。あったとしても彼女の想いに気づいていないのだから、別に何も変わらない。またそれが腹立たしくて、悲しくて。
「この時期はデパートとか、いろんなチョコレートがずらっと並びますよね。あっしは結構あれを見るのが好きなんすよ。ノリで買っちゃうこともあるし」
「分かります。普段見ないものが沢山並びますよね。可愛らしいものとか、変わった形のものとか、色々あって面白いです。パッケージも凝ったものが多いですし。私も毎年結構買ってしまうんです」
「ちなみに朝比奈さんはどんなチョコが好きなんすか?」
「そうですねえ……イチゴとかオレンジとか、フルーツの味がするチョコが好きですね。弥助さんは?」
「あっしっすか? あっしは木の実が入ったやつっすかねえ。アーモンドとかピーナッツとか。あの香ばしさがたまらんっすよ。甘いのよりはちょっと苦めのチョコの方が好きかな。抹茶味のチョコとかもいいっすねえ。朝比奈さんは甘い方が?」
そうですね、と満月がにこにこ笑いながら答える。彼女は大抵のチョコなら好んで食べるそうだが、お酒がたっぷり入ったものは苦手らしい。逆に弥助はそういうものも好きなようで、調子に乗って食べ過ぎることもままあるそうだ。
(アーモンド、ピーナッツ……木の実……ちょっと苦め……)
ちゃっかり、聞いている。実の所ずっと知りたいと思っていたのだ、どんなチョコが好きなのか。小雪はここ数年毎年弥助にチョコを買ってバレンタインに渡しているのだが、好みが分からないからいつも自分が「これ良いな」と思ったものを選んでいた。どうせ渡すなら本人の好みに合ったものを渡したいなと常々思っていたのだが、なかなか聞けずにいたのだ。聞こうとしてもなんだか恥ずかしくなって結局全く関係ないことを聞いてしまったり、悪態を吐いたりしてしまい。しかしこれで今度は自分のではなく彼の好みに合わせることが出来る。
また舞花市にあるデパートへ買いに行こう、いつものように。
(いつものように……?)
からん。手が止まる。話すのを一旦止め、それぞれの作業に戻った二人を見る。朝比奈さんの手作り、手作りバレンタイン万歳、と語尾に音符マークをつけながら歌っている弥助、彼に手作りのチョコを渡すという満月。
(良いの、買ったもので本当に? 向こうは手作りだというのに。そりゃあ手作りだから気持ちがこもっている、買ったものにはこもっていないとか、どっちが良くてどっちが悪いってことはないでしょうけれど、でも、でも……)
いつもと同じことを繰り返すのではなく、たまには違う道を進んでみたいと思った。自分の気持ちをこめて、一生懸命作ったものを、渡す。例え本命だということに気づいてもらえずとも。
自分で作ったチョコなんだって胸を張って言ってみたい。そう思ったらどんどん気持ちが盛り上がってくる。いつもと違うことをすることで、一歩前へ進むのだ。しかしぐんぐん育っていった気持ちは突然ぱあんと弾け、萎んで。というのもあることに気がついたからで。
(でも私、手作りチョコって作ったことが無い……)
チョコ自体は橘香京辺りで手に入りそうだが、そこから先どうすれば良いのかいまいち分からない。単純なものなら恐らくチョコを溶かして木の実を混ぜて、冷やして固めればはい終了……なのだろうが、それだとなんだか味気ない。だが凝ったものを作るとなると自分だけの力では難しい。お菓子はあまり作ったことがない。西洋菓子に至っては経験皆無である。それでは諦めていつも通りデパートで買ったものを渡すか。それが一番楽だと考えてから、何を馬鹿なことを言っているんだと内に眠る臆病で後ろ向きな自分を叱りつける。楽な道ばかり選ぶわけにはいかないのだ。小雪は弥助のことが大好きだった、本当に、心から一緒になりたいと思っている。だがその願いを叶えるのは相当難しいことで、のんびりまったりぬるま湯に浸かり続けていたら絶対に無理な話。
困りましたわね、と頭悩ませ。と、そんな小雪に話しかけてくる者あり。ふと見上げればそこには満月がおり、にこにこと笑っている。突然のことにびっくりし、顔を上げたのとどうじに悲鳴をあげそうになった。ちなみに本当に話しかけてもらいたかった相手――弥助は奥に引っ込んだらしく、姿が見えない。
「ま、まあ満月どうしたの?」
ばくばくといっている心臓が出しそうになったびっくりした、という言葉を無理矢理呑みこみながら尋ねれば、今度は心臓がぽろりと口から零れそうになるようなことを言いだす。
「小雪さんは弥助さんにチョコ、渡さないんですか?」
「ふえ!?」
「本命チョコ、というやつです」
満月は相変わらずにこにこ笑っており、そしてその笑みに悪意は一欠けらもない。彼女は小雪の想いを知っている。そして、彼女の恋を応援してくれる。その一方で彼女は弥助に想い人がいるらしいことも知っている。それが今の所小雪でないことも。唯一知らないことといえば、弥助の想い人というのが自分であるということで。
弥助の恋も応援したいし、小雪の恋も応援したい。前者の恋が成就すれば、後者の恋は散る。それゆえ複雑な思いを抱いている……自分がキーパーソンであることも知らぬまま。
(お人よしとお人よし……)
お人よし、という言葉がぴったりな位優しい弥助のことを好きになった小雪は、同じくお人よしと人に言われる程優しい娘である満月のことを嫌いになれない。お人よし、世話焼き、他人の為に一生懸命になる人――二人は、かつて自分が最も面倒に思い嫌っていたタイプの人間だった。
「あ、あの、その……」
「小雪さん、もしよろしければ一緒にチョコ作りませんか?」
「え!?」
まさかの申し出にびっくりして思わず大きな声が出る。その声に驚きながらも彼女は続きを喋る。
「私の友達も一緒で、おまけに仕事が終わってからになりますから夜になってしまうんですが……ついでに私の家に泊まっていただけたら、と。小雪さんと色々なお話がしたくて。ほら普段あまり沢山お話とか出来ないですから」
満月は本気で小雪と仲良くなりたいらしい。色々話したい、という言葉も嘘でないだろうから。そんな申し出なんて滅多にされないものだから、驚くやら気恥ずかしいやら。何度も言うけれど、小雪は満月のことが決して嫌いではない。仲良くやりたいという気持ちだって、ちゃんとある。弥助のことがあるからある地点でその気持ちが止まってしまうのだけれど。だから、正直嬉しい申し出ではあった。満月や彼女と楽しくお喋りして、家に泊まって、しかもチョコだって作ることが出来る。満月なら親切に教えてくれるだろう。
けれど。
(でも、でも満月は一応恋敵なわけで……恋敵と一緒に、しかも恋敵に教えてもらって本命チョコを作るなんて……流石に、流石にそれは!)
結局弥助という存在が、阻んでしまう。恋敵(しかも向こうは一切自覚なし!)とチョコを作っちゃいけないということはないけれど。でも、気持ち的に、それはちょっと。
仕方なく小雪は申し訳ないのですが、と首を横に振る。
「あのう、その、一応もう予定がありまして……ごめんなさいね。またの機会に、是非」
そうですか、と満月は残念そうな表情を浮かべてから「こちらの方こそいきなりごめんなさい」と謝ってから、それではまたの機会にと微笑んだ。どんな予定があるのかと聞かれないで良かったと安堵。だって予定なんてまだ、ないのだから。
バレンタインとかそういうものが関係ない時だったら誘いにのったかもしれないのに、残念だ。小雪は散々かき回してぐるぐるぐちゃぐちゃになったアイスコーヒーを飲みほし、これからどうしようかと飲みこんだぐちゃぐちゃ抱えながら店を後にした。
ドアから出る寸前、引っ込んでいた弥助がひょっこり顔を出し「ああ、そういや小雪いたんだっけか」とそれはそれは腹の立つ、ぐるぐるぐちゃぐちゃを更に滅茶苦茶にするような言葉を吐き、それじゃあなあと手を振って、また奥へと引っ込んで。唐辛子入りのチョコでも作って口の中に突っ込んでやろうかと一瞬本気で思った小雪だった。
店を後にし、向かった先は舞花市。三つ葉市はぐちゃぐちゃごみごみしていて、色味も味気もなくて好きではなかったから、こちらの世界で買い物をする時は大抵こちらの街へと行く。その気になれば電車に乗って遠くの街に行くことだって出来る。最初の内はこちらの世界のことがさっぱり分からず苦労したが弥助に色々教えてもらったおかげで、ちょこっと買い物したり遊んだり電車などに乗って少し遠くへ出かけたりする分には問題なく出来るようになっていた。
けれど。
(うーん……やっぱり難しい)
レシピを見ればどうにかなるかもしれないと、やって来ました市内の本屋。バレンタインの時期というだけあって、手作りチョコのレシピ本が店内の一角にずらりと並んでいた。試しに一冊手に取って広げて見てみたけれど、ぐるぐるの頭から飛び出すのはクエスチョンマークばかり。あまり聞いたことが無い食材、馴染みのない器具や用語……。お菓子はあまり作ったことがないからイラストや説明を見てもいまいちぴんと来ないし、見る限り小雪の家には無いものもある。
(この木の実入りチョコクッキーとか、木の実ののったチョコケーキとか美味しそうなのですが……)
仮に材料や器具を揃えられたとしても、上手く作れる自信があまりない。下手に手を出して材料を駄目にするのは忍びない。さて、どうするか。
(分からないなら、やっぱり誰かに教えてもらうしかないかしら。……となると……秋太郎とか……孫の方はどうかしら。ううん……あんまりやりそうにないですわね、料理……)
「あら、小雪さん?」
思い浮かべた人物が、喋った。いや喋ったのは小雪の脳内にいるその人ではない。脳の外側、現実世界にいる者。そのことに気づいた小雪ははっとして振り向き、ああやっぱりそこにはぼさぼさの髪に大きなレンズの眼鏡、顔だけ見れば身だしなみに気を使わない坊やに見えないでもなく、やや大きめの胸を見てようやく女の子と判別出来る、そんな子だ。彼女は学校の帰りらしく、隣には友人らしき少女が立っていた。噂をすれば影とはいうけれど。あんまり絶妙なタイミングだったからまたしても心臓はどきどきばくばく状態である。
「やっぱり小雪さんだわ、こんばんは」
「え、ええこんばんは。……学校の帰りですか?」
「はい。今日は好きなシリーズの新刊が発売されるんです。付喪神探偵って作品で」
と嬉々として内容を語ろうとしたところで、隣にいた少女に口を思いっきり塞がれた。そういえばこの娘、一度本について語りだすと止まらないのだった、と一度思いっきり被害に遭ったことがあった小雪は心の中で見知らぬ少女に「よくやった」と礼を言う。
「はいはい、その話はとりあえずいいからねえ! あんたが話し出すと二時間経っても終わりゃしないんだから。挙句一人の世界に入り込んじゃうし。……ところで、こちらの方は?」
「彼女は小雪さん。おじいちゃんのお店の常連さんでゆきお……ええと、外人さんなんだけれどご両親が大の日本好きで……名前は日本人って感じのものなの」
勿論大嘘だ。異界を外国とするなら前半部分だけは真実となるけれど。さくらの口を先程まで塞いでいた少女は小雪の顔をまじまじと見つめる。どうも彼女は小雪の顔がどう見ても日本人のそれであることが気になっている様子だったが特にその点に関して追及はせず、お人形さんみたいで綺麗とだけ言った。
さくらはそんな少女のことを小雪に紹介する。名前を櫛田ほのりといい、さくらとは同じ部活に入ったことが縁で仲良くなったという。見るからに面倒見の良い、しっかり者といった感じの娘で恐らくさくらの保護者役も務めているのだろうなとなんとなく思う。
「小雪さん、チョコレートのお菓子を作るんですか? 随分熱心に見ていたようですけれど」
「え、ああ、ええ……ええと」
「あ、そういえば土曜日はバレンタインですものね! 弥助さんに渡すんですか!?」
きらきらと目を輝かせ、両手をぱんと合わせて必要以上に大きな声で言うものだから小雪の顔はみるみる内に真っ赤になった。ほのりはあんた声大きすぎ、とさくらを肘で小突く。一方で小雪の恋愛事情に興味津々といった様子でもあり。
「弥助さんって、確かあんたのおじいちゃんがやっているお店で働いているあの大柄な男の人のことでしょう? なになに、小雪さんってあの人のことが好きなの? へえ……美女と野獣コンビ、なかなかいいじゃないですか」
「そ、そんなにやにやしないで頂戴な恥ずかしい……」
「渡すんですか? チョコ」
きらきらした目をこちらに向けて詰め寄るさくらに負け、頬を真っ赤にしてまるでいちご大福のようになった顔を伏せつつ、まあそんなところですと小声でぼそり。俯いていても分かる。さくらとほのりがにやにやしていることが。
「で、でも私こういうお菓子とか全く作ったことが無いからさっぱりで……困っていて。さくらは分かります? あの、その、もし迷惑でなければ教えてほしいのですが……」
ちらっとさくらの顔を見てみると、彼女は困ったような表情を浮かべていた。矢張りお菓子作りの経験はあまりないらしい。
「私普段あまり料理しないものですから……あっ! でもでも、もしかしたら」
「もしかしたら?」
「実は私、明後日紗久羅ちゃんと、紗久羅ちゃんの友達の柚季ちゃんという子と一緒にチョコを作るんです。作るのが十四日だから、渡すのは次の日以降になっちゃうんですけれど。毎年紗久羅ちゃんと一緒にそうやってお菓子を作って、お父さんや弥助さんに渡しているんですよ。紗久羅ちゃんと柚季ちゃんは私と違って料理も得意で……ええと、それでですね、もしよければご一緒にどうですか? もっとも、紗久羅ちゃん達が良いと言ってくれたらの話なんですけれど」
これはまた、思わぬお誘い。紗久羅のことは小雪も知っている。気の強い、さくらとは別の意味で男の子っぽい女の子だ。そして知り合いの妖――出雲にいいように遊ばれまくっていることも知っている。秋太郎の店で幾度となく彼に遊ばれて、むきいとお猿さんのような声をあげる姿を見ているから。
さくら曰く、三つ葉市でお買い物をして、それから柚季の家でお菓子を作り、お菓子を食べながらおしゃべりに花咲かせ、そのまま柚季の家に泊まって次の日解散という流れであるらしい。
仲良しこよしのグループの中に顔見知り程度の人間が入るのはどうかと思ったが、かといって断る気にはなれなかった。向こうがOKしてくれるかどうかは分からないが、とりあえずお願いするだけしてみた方が良いかもしれない。料理が得意な人と一緒なら、思いっきり失敗することもないだろう。何としても今年は手作りのチョコを渡したい。新たな一歩を踏み出す為に。そう考えて、もしよろしければと言ったらさくらは嬉しそうに笑った。その笑みは満月に、弥助に、秋太郎に似て優しくて温かで眩くて。
さくらは急いで目当ての新刊を買うと、ほのりと別れて小雪と共に桜町へ。バスに乗っている間は殆ど二人共口を開かなかった。どちらもお喋り大好き人間ではなかったし、話を振るのも苦手だった。相手が無言なら自分も無言になる。相手が語りかけてきたら、答える。仲が良い人相手でも、割とそんな感じである。話したことといえば、柚季は妖があまり好きではないということ、だからOKしてくれるかどうかは分からないこと、それ位。
バスを降り、桜町商店街内にある弁当屋『やました』へとやって来た。素朴ながら美味しい、いかにもそんな雰囲気を醸し出している商品がショーケースに並んでおり『桜~SAKURA~』でサンドイッチを食べたばかりにも関わらずお腹が食べたいコールを連発し、またそれが冬の田舎町に響く響く、嗚呼恥ずかしい。紗久羅は真っ直ぐ家へ帰ってきていたらしく、厚手のジャンパーを着て店番をしていた。彼女は小雪の格好を見て「寒い!」と叫びぶるぶる震え。小雪にしてみれば、なんでそんなに震えているのか少しも理解出来なかったが。
さくらが事情を話すと、紗久羅は先程のさくらとほのり以上ににやにやしつつも柚季にメールを送ってくれた。メールはすぐ帰ってきて、あっという間に小雪の参加が決まった。
「本当に大丈夫?」
「大丈夫、大丈夫。あたし達の知り合いで、かつ出雲のような奴じゃなければ全然問題ないってさ。小雪姉ちゃんは糞馬鹿狐野郎とは大違いだもん、だからOK!」
「もう紗久羅ちゃんったら、糞馬鹿狐野郎なんて……女の子がそんな汚い言葉を使うものじゃないわ」
そうさくらがたしなめても、紗久羅はぺろりと舌を出すだけで反省の様子は皆無。まあ兎にも角にも明後日小雪は紗久羅達と一日を共にすることが決まった。これでチョコを作って弥助に渡せるとほっと胸を撫でおろし。同時に突然の申し出にも関わらず快く了承してくれた娘達に感謝した。
小雪は明後日の九時頃ここ『やました』へ来ることを約束し、向こう側の世界へと帰るのだった。