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桜町幻想奇譚  作者: 里芽
明けない夜は無い
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明けない夜は無い(2)


「桜川家のお嬢様が『封印物』諸々と一緒に行方をくらました!?」

 携帯を通じて聞いた話は英彦に嫌な衝撃を与えた。そのことを伝えた相手は「大きな声出さないでよ、馬鹿!」と英彦以上に大きな声で返す。相変わらず英彦と同い年のそれとは思えない、甲高くて幼い声。

 電話の相手は佳奈という英彦の幼馴染で、祓い屋(昔はこちらが主であったが、今は完全に逆転している)を副業としている家の娘である。彼女は時々(半ば)嫌々ながらその手伝いをしているのだ。


「二か月位前から連絡がとれないんですって。まあ、話を聞く限りだと何らかの事件に巻き込まれたって感じじゃあないわね。むしろこれから事件を引き起こしまくる可能性が高いわ。あの馬鹿娘がただ持ち出すだけで済ませるはずがないもの。封じられた妖達が暴れまわる様を自分の目で確かめたいとか何とか言って、持ち出した物の封印を解くに違いないわ。なんたって見た目は大和撫子、中身は割とやばい子って奴だからねあの娘は」


「割と、じゃなくてかなり、だろう?」


「ちょっとした言葉遊びよ。大和撫子と割とやばい子、音が近いでしょう? ってまあそんなことはどうでもいいんだけれど。……彼女が家を出たのは二か月前位だけれどあの小心者親父が『危険物扱いされている娘が危険物を持ち去って失踪したなんて言ったら面倒なことになるし、大層怒られる』と、今の今まで黙っていやがったのよ。もしかしたらもう一匹のクソガキが黙っておいた方が良いとか何とか言ったのかもしれないけれど! 時間が経てば経つ程見つかりにくくなるしね」


「クソガキって……彼と君はそこまで歳は離れていないじゃないか」


「ふん、それでも私の方が年上ですもの。全くイカレポンチの家にイカレポンチのお坊ちゃまとお嬢様……嫌になっちゃう! ああ、とりあえずお嬢様が持ち出した封印物諸々のリストを後でFAXしておくからとりあえず目を通しておいて。あくまで向こうが申告したものだけだから、実際はもっとあるかもしれないということも念頭に入れておいてね。これで間違いなく全部だ、なんて言葉信じられないわ」


「全く困ったものだね。彼女が何もせず大人しくしていればいいのだが……」

 だがその可能性が限りなくゼロに近いことはよく分かっていた。イカレ研究者の一族と呼ばれた桜川家の血を特別濃く受け継いだ娘が、妖の封じられた物を手にしていながら何もしないはずがないのだ。

 その妖がどんなことをどんな風にして起こすのか、書物に書かれたことと真実は合致しているのか、強いと言われた妖は実際の所どれ位強かったのだろう……そういったことを知る為なら、彼女は平気で人や町を実験台にする。妖を唆したり、妖に魔をとり憑かせることだってする。


「英彦、一応警戒しておいてね。あの娘は特別あんたが住んでいる辺りに興味を抱いていたから。一応桜川家にとっては禁足地ではあるけれど、いつまでもあの娘がその決まりを守っていられるとは思わない。……それに『実験』なら、普段から妖関連の騒動が起きている場所の方がやりやすいだろうし。自分の仕業っていうことがばれにくいから。木を隠すなら森の中、異常事態を隠すなら異常事態多発地帯の中ってね」


「……肝に銘じておくよ」

 とため息混じりに答えた。彼女がもし桜町にやって来たら、面倒なことになるのは必至だ。下手すると彼女のせいで死人の一人や二人出てしまうかもしれない。

 それから英彦は真面目モードからのほほんモードへと変わり、散々佳奈を弄って怒らせた。そうして彼女をいじめでもしないとやっていられなかった。いや、例え何も無くても彼はいつだって彼女を弄って弄って弄り倒すのだが。結局最後には「あんたなんて大嫌いよ、馬鹿、馬鹿、馬鹿!」と涙交じりに罵声を浴びせられ、ぶちっと乱暴に電話を切られ。


 それが昨日の話だ。今、桜川禁足地の一つ桜町は異常事態に襲われていた。町を包み込む、外界からの干渉の一切を拒絶する濃い闇。この異常事態に真っ先に気づいた秋野と、榊の調べによれば闇に包まれているのは桜町のみであり、また一般人は異常に気づいていないらしい。


 三つ葉市の外れでひっそり暮らしている妖から彼女達が話をきいたところ、異変が起きたのは草木も眠る丑三つ時辺りだったことが分かった。急に桜町上空辺りに強烈な光が見え、それが消えた途端普段感じない妖気を微かに感じたそうだ。ほんの僅かな間に見えた光は清らかなものであったらしい。昨日の話の影響か、すぐ英彦の頭に『封印』の文字が浮かび上がった。誰かが封印を解き、封じられた妖を外へ出してしまったのではないか、そしてその妖が桜町を闇で包んでいるのではないかと彼は考えた。

 一度外に出、桜町方面に広がる闇を見やる。調べに行った秋野は言った。まるで桜町にだけ朝が訪れていないみたいだと。周りは『朝の世界』にいるというのに、あの町だけは『夜の世界』にまだいる。桜町だけが今、異なる世界に存在する場所となっている。土地は繋がっているのに、世界は違う。今の桜町はさながら重なり合っていながら分け隔てられている『向こう側の世界』と同じような存在。あの町は今、異界なのだ。

 しかも悪いことに、町はどうやら『向こう側の世界』との繋がりを遮断されているらしい。外の世界からの干渉はなんであれ、拒絶するらしい。秋野はそのことを、三つ葉市を飛んでいた二羽の化け烏から聞いたという。何でも彼等の知り合いが桜町に帰れず困っているそうだ。妖でありながら人として暮らしているその知り合いは一応今三つ葉市に来ているそうだが、この闇を前に何も出来ずにいるようだ。


(井上さんや深沢君は化け狐の出雲に助けを求めることも出来ないわけか……)

 英彦は仲間や佳奈に助けを求め、自身もこれから町を覆う闇の正体を突き止めるべく動くつもりである。そんな彼の胸をざわつかせるのは、不安という文字。浮かぶのは行方が分からないお嬢様の姿。

 真っ直ぐな長い髪、風に揺れる赤いリボン、狂気を奥底に潜ませた笑み、名字に入った花の色をした着物。そう、見た目と表向きの性格だけは大和撫子である娘。


(……まさか、彼女が? あまり考えたくはないが……)

 実は昨日FAXで送られてきたリストの中に、今桜町を襲っている現象と同じものを引き起こすことの出来る妖が封印されている物があったのだ。

 出来ることなら『彼女』の仕業であって欲しくない。後々のことを考えるとそう思わずにはいられない英彦だった。



 さくら達は今、町の中をあてもなく彷徨っていた。そうなるのも仕方のないことだ、何せ彼等は特殊な力など一切持っていないのだから。感じるのは町を包む闇の気配だけ。歩けば歩く程溜まるのは情報ではなく、恐怖と不安。灯りはあれど手がかりなし、希望もなし。過ぎていく時間、だが夜は未だ明けず。


「もういっそ犯人の方から来てくれりゃあいいのに」

 手がかりのての字も掴めぬあせりから、とうとうそんなことを紗久羅が口にする。兄の一夜もその意見には賛成らしく、その方が手っ取り早いかもと両手を頭の後ろで組みながら闇以外何も見えない空を見る。

 

「このままじゃあ埒が明かないものねえ」


「でも犯人が姿を見せたところで俺達は何も出来ませんよ」

 懐中電灯を持つ(いつまでこの状態が続くか分からないので、とりあえず三本の懐中電灯を一本ずつ使うことにした)さくらまでその意見に賛同するも、奈都貴の言葉に皆押し黙る。そう、仮にこんなことをしている犯人が現れ「私がやりました」と告白してきたところで、四人には何も出来ないのだ。相手がとてつもなく弱いか、説得に応じてくれるような者でない限り。


(私達、今どの辺りを歩いているのかしら? ただでさえ乏しい方向感覚が、もう滅茶苦茶になってしまっている……歩いても、歩いても、闇ばかり。この闇はいずれ、何もかも飲み込んでしまうのかしら。灯りを照らしても、家も木々も何もかも見えなくなって、そして最後は私達も……)

 嫌な想像に体を震わせる。ただでさえ光り無き世界は寒く、闇の染み込んだ服は氷のように冷たい。その冷たさが余計恐怖を煽り、体も心も固くさせていく。吹く風が体に触れる度、おぞましい化け物が獲物を品定めしようと自身の身に触れているのでは、という妄想に囚われた。そんなことはない、と馬鹿な考えを振り払おうと頭を振るだけで、それが妄想か事実か確かめはしない。絶対に自身の体に触れたのは化け物ではなく風であるとこの闇の中でどうして言い切れる? そう言い切る為に確認する勇気など、闇に溶けてどこにもありはしない。葉擦れる音は化け物の囁く声に聞こえ、寄り添うようにして歩く仲間の体と少しぶつかっただけで心臓が跳びあがる。


(一緒に歩いている紗久羅ちゃん達は、本当に紗久羅ちゃん達なの? もしかしたら偽物かもしれないじゃない。皆が本物だという保証なんて、どこにもないじゃない。そうよ、化け物が私を騙そうと化けている可能性だってある。闇がこの町の全てを呑みこむまで、私が下手な真似をしないよう見張っているのかもしれない。万が一のことがあっては困るからと。解決の糸口を見つけさせることなく、延々と町中を彷徨わせて、そして……それとも、私を闇の世界に引きずり込もうとしている? 町を歩いているつもりが、いつの間にか彼等の世界に足を踏み入れていて……)

 先程、つまずいて盛大に転んださくらを一夜が起こしてくれた。その時の彼の手は悲鳴をあげたくなるくらい冷たかった。季節は冬、加えてこの闇に濡れればそうなるのも至極当然。だがもしかしたら理由は別にあるのかもしれない。一夜に化けた異形の者は人と同じ位の体温を持たぬ者であるとか。

 そんなことを考えているのはさくらだけではない。誰もが、隣或いは前を歩いている人物が本物であるかどうか疑っている。普通なら考えないようなことを考えさせてしまう力がこの世界にはあるのだ。


 しっかりしなくちゃ、妄想に囚われたら最後出られなくなってしまう、現実と妄想の境が闇に溶けて自分を見失ってしまう、引っ張られてはいけない。目を覚まそうとあいていた左手でぺちぺちと頬を叩いた瞬間、悲鳴が聞こえた。それは後ろを歩いている一夜のものだった。口から出かけた心臓もそのままにぱっと振り向けば、一夜の右肩に置かれた手が目に映る。手が、手だけが、いや違う、手以外の姿もそこにある。


「あ、梓さん……!?」


「やっほう、皆おはよう。いやあ、これ程この挨拶が合わないシチュエーションもそうそうないよねえ!」

 一夜の肩に手を置いていたのは夏目梓であった。この闇の中でも平常運転の彼女の笑顔は闇に慣れた目にはあまりに眩しすぎる。呑気に挨拶を返され、皆言葉も出ない。その様子を見て彼女はけらけらと笑った。一夜などまだ放心状態だ。ところでさくらの持つ懐中電灯の灯りに照らされた梓は、灯りの類を一切持っていなかった。


「梓さん、この中を懐中電灯も持たずに歩いていたんですか?」


「うん。だってさあ、なかなかないじゃない? 光らしい光が何一つ無い南無南無世界、否何無何無世界を歩く機会なんて。もう私すっごくテンションあがっちゃって。楽しいよう、標無き道をふらふらするのって。何もかも闇に覆われて無い。何も無いからこそ、何だって起きる。そんな予感がしてわくわくする!」

 本当に心から暗中模索……いや暗中散策を楽しんでいるらしくきゃっきゃと笑いながら一人はしゃいでいる。そんな気持ちになど到底慣れない四人はただ呆れるしかない。きっと彼女はこの闇の中でも自分を保っていられるのだろう。心が強いというべきか、心臓に毛が生えているというべきか。


「こんな所を灯りも無しに平気で歩いていられる変わり者なんて、梓姉ちゃんしかいねえよ……」


「ちっちっち、ところがどっこいすっとこどっこい、これがいるんですなあ! 私と同じように灯りも持たずにこの町の中を歩いていた人が。一瞬お化けと出会ったのかと思ったけれど、お化けなんて言うのは失礼な位綺麗な人だった! あ、ちなみに町がこんなになっちゃった原因を作ったのはそのお嬢さんね」


「はあ!? ちょっと何それどういうこと!?」

 最後の発言に皆して食いつくと、彼女はしたり顔。


「私とそう変わらない位の人でね、私とは真逆のおしとやかなお嬢様って感じだったなあ。でも妖が好きで、彼等について色々調べるのが好きって所は同じかな。ああ、頭のネジが一二本外れている可能性が高いってところもねえ!」

 と言ってあっはっは。自分の頭のネジが外れているって自覚はあるのかとか、それを自分で言うのかとか色々ツッコミが追いつかない。


「髪が長くて真っ直ぐで、揺れる大きなリボンが可愛いかったなあ。しかも着物姿で、これがまた似合うんだよ! 私なんかがあんな桜の色をした着物を着て、大きなリボンつけたら絶対おかしなことになるよ。間違いなく兄貴は笑うね、何気持ち悪い女装しているんだとか言ってさあ。私女の子なのにねえ、一応。昔から私がスカートを履いたり可愛いアクセサリーをつけたりする度そんなこと言うんだよ、酷いよね? まあ、本当のことなんだけれどさあ! それでね、そのお嬢さんが言っていたんだよここはやがて明けない夜の恐怖に包まれる、私がそのようにしたって。貴方がきっと飛び跳ねる位楽しいことがじき起こるわよって! まあ、まだ本番じゃないっぽいけれどねえ。多分、もう少しで本番だ、私には分かる。きっとそのお嬢様を探す余裕すら無くなると思うよ。それ位大変なことになるんだもの。というわけで頑張ってね、二人のサクラちゃんと素敵な殿方お二人さん!」


「ちょ、ちょっと待てよ梓姉! そのお嬢様ってやらの話をもっと詳しく聞かせてよ、ていうか一体これから何が起こるっていうんだよ!」

 四人の前から立ち去りかけた梓はくるっと振り返り、にこりと笑った。その笑みは初めて出会った時に見せた、妖しく冷たいものだった。闇がその笑みを引き立て、先程までの馬鹿みたいに明るい笑みでしばし忘れかけていた『恐怖』を四人に思い出させる。


「大丈夫、力を持たない君達でもどうにかなるよ。だってここは夜の世界だもの。この夜を明けさせたいなら、夜が与える力を利用するといい。きっと楽しいよ、とても楽しいよ、私はとっても楽しみだ。それじゃあね、四人共」

 にっこり満面の笑みを浮かべ、今度は引き留める声も聞かずに闇の中を駆けて行き、あっという間に見えなくなり。残された四人は呆然と立ちつくすより他無かった。

 結局この闇の正体は分からずじまい。ただ、これがある一人の女性の仕業であるらしいこと、もう少しで大変なことが起きるらしいという大変嬉しくない情報だけを残し彼女は消えた。


「一体何が起こるってんだよ……」

 そう呟く一夜の声は震えている。彼がそんな怯えた声を出すことなど滅多にない。

 何かが起こる。そう思い、びくびくしながら四人は歩いた。歩いたからといってどうなるわけでもないが、ただその場にずっと突っ立っているよりまだましな気がしたのだ。何かが起きるかもしれない、起きたらどうしようとびくつきながら歩くのと、何かが起きると分かっていながらその事態を回避出来ず、ただ起きるのを静かに待つの、一体どちらの方が気分的には楽だろう?

 四人共梓の発言について話し合うこともなく、無言で歩き続けた。口を開けば、そこから闇が流れ込んでくる。もうこれ以上体の中に闇を溜めるのはごめんだった。しかしそれによって生じる静寂が四人の心をますますざわつかせるのだった。


(喋っているのと黙っているの、楽なのはどちらなのだろう……)

 歩いても、歩いても、何も起きない。起きないにこしたことはないが、いっそのことさっさと起きてくれた方が良いという思いもある。


(そもそも、本当に梓さんの言ったことは本当なのかしら。実は私達を怖がらせる為の嘘だったんじゃ……)

 とうとうそんな風に、何かが起きるという事実から目を逸らしかけた時。


「ふふ、ふふふふふふ」

 女児の声が、闇の世界を包み込んだ。いきなりの笑い声に四人は悲鳴をあげ、思わず立ち止まる。可愛らしい笑い声は若干棒読み臭い部分があり、それが四人の恐怖心を煽った。紗久羅がやや掠れた声で誰だ、と叫んでも彼女は何も言わない、ただ笑うだけ。無邪気に、楽しそうに、笑う。笑って、笑って、笑って、こちらがどれだけ問いかけてもただ笑うだけ。話が通じない、通じることを許さない。断続的に響く短い笑い声、それもまた彼女達の問いかけに答える為のものではない。

 何度も、叫んだ。誰だ、答えろ、答えろよと。何度も叫んで、でも駄目で、皆やがて疲れて黙ってしまった。これ以上続けていたら頭がおかしくなりそうだったから。そうした途端、ようやく世界を包む『声』は笑い声以外のものを出す。


「始まるよ、始まる、ようやく始まる。このままじゃあつまらない、何も無いなんてつまらない。何も無いなんて、私が今までずっといた所とまるで同じ。貴方達に朝はあげない、絶対にあげないよ。朝も希望も魂も、皆一つ残らず飲み込んでやる!」

 そして、無音。どういう意味だという奈都貴の問いかけに答えるものなし。言葉は返ってこなかったが、こちらに向かって来たものあり。ぽおんと光に照らされ宙に浮くのは大きな鞠。それを思わず紗久羅が手に取った。だが彼女はそれをすぐ後悔することになる。手に取ったものを見た紗久羅の体はあっという間に凍りついた。彼女の手にあるもの。それは鞠ではなかった。彼女が受け取るまで、確かに様々な色の糸で鮮やかな模様を描いた美しい鞠だったのに。

 浮かぶ鞠、受け取れば浮かぬ顔した……生首。青白い色した、乱暴に切断された、赤くぬるっとした液体がぽたぽた落ちる、半分だけ開け空を見る光りなき目。


 紗久羅が悲鳴をあげた。その首を見てしまったさくらも同じように叫び、衝撃のあまり懐中電灯を地面に落とす。悲鳴と共に出てくるのは温かい雫、瞳からぽろり零れて同じように落ちていく。かん、こん、からから……懐中電灯の落ちる音によって激しく叩かれた心臓が全身に恐怖心を送り出す。地面を照らす光の上に、紗久羅が放り投げた首がごとりと落ちた。それはもう彼女の首ではなくなっており、元の美しい鞠へと変わっていた。

 その鞠は激しい爆発音と共に弾けて、消えた。しゃぼん玉のように跡形もなく消えてしまった。嗚呼それこそ、梓が言った『本番』の始まりを告げるもの。


 兎に角懐中電灯を拾わなければ、と落としたそれを掴もうとするが体が思うように動かない。いつもならあんまりもたついていると一夜が「お前は何をやっているんだ!」と言いつつ代わりに動いてくれるが、今回ばかりはそうもいかなかった。一夜も、奈都貴も顔を真っ青にして立ちつくすのみ。きっと彼等も見てしまっただろう、紗久羅の生首を。さくらが向けた懐中電灯の灯りがそうさせたのだ。光は時に絶望や恐怖を照らし、人の目に映るようにしてしまう。光がなければ見ることはなかったのに。嗚呼まるで本物のような首、生気の無い瞳! その映像が頭から焼きついて離れず平常心を取り戻すことを許してくれない。

 ぶるぶると震え、頭が真っ白になり、それでも何とか懐中電灯を拾おうと四苦八苦している最中、ざあああああという雨の降る音が聞こえた。その音に闇が歓喜し、踊り狂う。世界を包む闇も、体の内に入り込んだ闇も、皆。雨粒は落ちてこない、音だけの雨。いや違う。その『雨』は確かにあるものをこの地上へと降らせていた。そしてそれは雨粒よりも恐ろしいものであった。

 得体の知れぬ雨の音でパニックを起こしながらもようやく懐中電灯を掴んだ右手。漏らしかけた安堵のため息を呑みこむ。安堵している暇などない。早くこれを持って四人で逃げなくては。


(逃げる? 何から? 走って何から逃げるというの、どこへ逃げるというの?)

 自身の直感が叫んだ言葉の意味が分からず、硬直してしまう。そんな彼女の右手を、何かが掴んだ。

 否応なしにその『何か』に視線が映る。彼女の手を掴む者……それは紫色の輝きを持つ暗黒の骸骨であった。白い歯をかちかち鳴らしてそれは笑った。頭や手、足の一部には異臭を放つ緑がかった茶色のどろどろとしたものがついている。さくらの手を掴む左手にもそれがついていて、懐中電灯を、さくらの手を汚す。


 今度はさくらの悲鳴が桜町中に響いた。

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