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桜町幻想奇譚  作者: 里芽
明けない夜は無い
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第五十四夜:明けない夜は無い(1)

 

 ある日、村人全員が全く同じ夢を見たことがあった。どの村人が何と言ったか、どんな行動を起こしたかなどまるで一緒であったという。そしてその夢は化け物に襲われるという大変恐ろしい夢であったそうだ。

 その不思議な出来事の後、今まで友達も恋人もいなかった一人の目立たぬ男が注目されるようになり、村の英雄として崇められ、最後には結婚して子供を作り死ぬまで幸せに暮らしたそうだ。

 どうやら村人達の見た夢が関係しているようなのだが、詳しいことまでは伝えられていない。

 


『明けない夜は無い』


 日曜日の朝……が来たと思っていた。いつもより長く寝た、もう八時過ぎ位かと思いながらさくらはむくっと起き上がり、寝ぼけまなこを擦り、一回あくび。ところが部屋の中は異様に暗く、カーテンで閉ざした窓から入り込んでくるものは何もない。うんと寝たというのは気のせいで、実際はまだ夜明け前なのかしらと思いつつ枕元に置いてある目覚まし時計を手に取り、時間を確かめる。闇に溶け見えづらい文字盤とにらめっこ、凝視する内目が慣れ、ようやく確認出来た現在時刻は。


「嘘……八時十分!?」

 何かの見間違いでは、と瞬きしたり目をこすったりするが結果は変わらず、時間が経てば経つ程闇の海からどんどん浮上する文字盤は間違いなく八時過ぎを指していた。時計がおかしくなってしまったのかしら、と今度は部屋の壁にたてかけてある時計を見る。ところがそちらの時計も全く同じ時間を示していた。今は間違いなく八時台なのだ。


(ま、まさか朝じゃなくて夜の八時……? ぐっすり通しこして一日中眠りこけていたの!? そんなまさか、いくらなんでもそんなのありえないわ!)

 矢張り二十時ではなく八時と考えるのが自然である。だが部屋の中の暗さはとてもじゃないが朝のそれとは思えない。例え天気が悪かったとしてもここまで暗いということはないはずだ。何か嫌な予感がし、さくらは思い切ってカーテンを開ける。露わになった窓の向こうに見える世界―それはいつもの『朝の世界』とは全く別のものであった。


 そこには水色の空も、灰色の空も無い。球体世界を満たすのは重く、そしてねっとりとした濃い闇。まるで泥のようで、窓を開けて手を出したらそのねっとりどろどろのそれで、たちまち汚れてしまいそうだ。太陽も月も、星も雲も見えない。闇を頭から被って見えなくなったのか、それとも存在自体消されてしまったのか。周りに沢山あるはずの建物も、眼下を真っ直ぐ流れる無機質な灰色の川―すなわち道路―もよく見えない。建物と空の境も曖昧である。

 不吉で禍々しいその闇がさくらの不安を煽り、そして先程感じた予感が決して気のせいでなかったことを悟らせる。暗闇が与える冷たさと冬の冷たさに体の震えが止まらない。


(何で、こんな……私は夢でも見ているの?)

 夜の闇よりなお濃い闇が、全ての境を消し去り曖昧にする。それゆえか自分が現の世界にいるのか、夢の世界にいるのか分からなかった。これは夢だ、という感覚はあまり無い。自分はちゃんと起きている……と思う。だが「これは夢だよ」と言われたら「ああそうか、夢か」と納得してしまいそうな位弱い思いであった。

 ひとまず一階へ降りてみようと部屋を出、壁についているスイッチに手をかけた。ところが一向に灯りはつかない。何度か試してみたが、うんともすんとも言わず。昨日までは確かにちゃんとついたにも関わらず。まさか壊れてしまったのだろうか? 何となくそうではないような気がした。結局さくらは部屋に置いてある懐中電灯を使うことにした。何の灯りも無しにこの闇の中を歩く勇気は無かった。そちらはきちんと灯りがつき、階段を照らしてくれた。


(スイッチを押す感覚も、階段を下りる感覚も夢のものとは思えない位はっきりしている。やっぱりこれは夢じゃない?)

 だとすればまた異界の住人が何かやらかしたのかもしれない。リビングへ行くとそこには父がいた。電気はついておらず、テーブルの上に蝋燭が一つ。母は完全に寝て曜日らしくまだベッドの上であるらしい。春樹は懐中電灯に照らされたさくらを見、父である秋太郎譲りの優しく穏やかな笑みを浮かべる。その笑みには困惑も混ざっており、いつも程晴れやかなものではない。


「やあさくら」


「おは……よう、お父さん。……真っ暗闇ね」


「そうだねえ。しかも何かこう、禍々しさを感じる闇だ。とても不吉な夢だよ」

 彼は現状を『夢』だと思っているらしい。普通はそう考えるだろう。彼や母は秋太郎やさくらと違い、妖と呼ばれる存在が実在することを知らないのだから。この状況を「現実かもしれない」と考えるさくらの方がおかしいのだ。


「電気もTVもつかないし、水も出ないし、ガスも使えない。再び眠りにつけば夢から覚めるかなと思ったんだけれど、目が冴えちゃって眠れなくてね。仕方が無いから夢から覚めるまで起きていようと思ってね。でも夢の中とはいえ、灯りも無しにいつ終わるとも分からない時間を過ごすのは怖くてこうして蝋燭を用意したんだ。本当、今にも恐ろしいことが起こりそうだよ……怪談として語られるような出来事がね。しかしそれにしても随分鮮明な夢だなあ。蝋燭につけた火の温もりも感じるし、新聞の記事もいい加減なものじゃなくて、隅々までしっかりしたものだし」

 彼にしては妙に多弁で、しかも早口だった。この闇の中で不安や恐怖を少しも抱かない人などいるはずがないのだ。闇は人の心に闇をもたらす。闇が濃くなればなる程、抱く闇もまた濃くなる。彼は蝋燭の火があるからかろうじて平静を保っていられるのだろう。さくらだって懐中電灯が無ければ到底耐えられなかった。


(紗久羅ちゃん達はどうしているだろう……)

 もしこれが夢ではなく、異形の者の仕業だとしたら放ってはおけない。きっと紗久羅もそう考えるに違いなかった。もっとも彼女は休日遅くまで寝ていることがよくあるようだから、現状にまだ気づいていない可能性はあるが。

 さくらは気を紛らわせる為にクッキーを齧りつつ、蝋燭の灯りを頼りに本を読んでいる(普段はあまりものを食べながら本を読むことはないが『夢の中』では別であるらしい)春樹に「ちょっと出かけるね」と言い、通しの鬼灯と念の為電池をウエストポーチに入れ、それから外へと出た。


 外へ出た途端、泥のような闇に体を包まれ顔をしかめる。そしてそれはじわじわと体内へと入り込み、さくらの中の闇をより濃くし、また膨らませるのだ。息をすれば、闇で喉が詰まり呼吸しようとすればする程息苦しさが増していく。外へなど出なければ良かったと早々に後悔する位、この巨大な球体の中に注ぎ込まれた闇は濃い。とは言えここで立ち止まったり、家に逃げ帰ったりしても仕方が無い。物語を動かすには、誰かが動くより他無いのだ。まず紗久羅の家を訪ね、それから出雲に相談しようと歩き始めていたら、間もなくこちらへ向かって走ってくる二つの影が見えた。闇、影、鬼? 一瞬そう思い心臓が跳びあがったが、それは杞憂に終わった。懐中電灯に照らされた姿はまさにさくらが今から訪ねようとしていた相手―紗久羅、それから一夜であった。


「さくら姉!」


「紗久羅ちゃん、それに一夜!」

 二人はさくらの前で立ち止まり、膝に両手をつきながらゼエゼエハアハア息を整える。一方のさくらは嗚呼自分を喰らいに来た鬼じゃなくて良かった、とほっと胸を撫で下ろす。


「お、おはよさくら姉……」


「ええ、お、おはよう。二人共もしかして私の家に向かう途中だったの? というか一夜、部活はどうしたの? 確か今日は朝から」


「こんな変てこな状況で部活なんか行けるかっての。ガスも水道も電気も止まっていて何も出来ないし、一向に外が明るくならないから変だと思って見てみれば何かやばい感じになっているし」


「ばあちゃん達は『これじゃあ店なんてとてもじゃないが開けない。ああ嫌だ嫌だ、なんて嫌な夢だい』なんて呑気なこと言っているけれどな。まあ、どうせ本当は夢だなんて思っていないんだろうけれど。あたし達も夢じゃなくて、また妖怪が何かやらかしているのかもと考えてさ……朝早くだから悪いかなとは思いつつ、九段坂のおっさんにでも相談しようとしたんだ。ところが携帯が圏外でさ、どうしようもないの。固定電話も電気関係がパアになっているせいで使えないし」

 と言って肩をすくめる。結局二人はとりあえず『向こう側の世界』に関する話が通じる人間―さくらや奈都貴に会いに行くべく、こうして走っていたというわけだ。最初は懐中電灯の灯りを頼りに歩いていたそうだが、出発してすぐ運悪く電池切れになってしまったらしい。灯りが消えたことで一気に不安や恐怖が膨らみ、一刻も早く他の誰かと合流したいという気持ちになり、気づけば二人して全力疾走していたらしい。急に灯りが消えてパニックになったゆえ、一旦家まで戻る(さくらと紗久羅の家の距離はそこまで離れていない)という選択肢は浮かばなかったそうで、さくらに指摘されて今初めて気が付いた様子。さくらは予備として持っていた電池を紗久羅に渡した。サンキューと軽く礼を言いつつ彼女は新しい電池に入れ替え、試しにスイッチを入れる。ちゃんと灯りがついたことを確認するとほっと息をついた。


「全く気味が悪いったらないぜ。何なんだろうなあ、ここ。妖怪の領域にでも引きずり込まれたのか、皆して。とりあえずさくら姉と合流出来て良かった。……後はなっちゃんだな。なっちゃんのことだから多分もう起きているとは思うんだけれど、どうかなあ。先に出雲の家に行った方がいいかな?」


「そうね……きっと今回は出雲さんも協力してくれるだろうし。この状況をどうにかしないと『やました』特製のいなり寿司が食べられなくなってしまうもの」

 『毎日傘をささなくちゃいけないなんて面倒』という理由だけで雨音と正信を滅したような男であるから、可能性は十分高い。問題はさっさと解決してくれるか、ある程度傍観した上で最終的には助けるか、どちらを選ぶかということだが。

 とりあえず出雲のいる『向こう側の世界』へ行こうと三人して桜山を目指す。懐中電灯があっても心のざわつきは収まることを知らず、闇の中木々が揺れたり鳥が羽ばたいたりするのを見るだけで口から心臓が飛び出しそうになる。早足で歩きながら三人してぺちゃくちゃと喋る。その声を聞けば三人の体にどれだけ力が入っているか、どれだけ不安か容易に察することが出来る。一秒たりとも黙っていられない。無言になればすぐにでも頭がおかしくなって、奇声を発してしまいそうだった。闇は時間が経てば経つほど晴れるどころか濃くなっていく気がする。


 やっとの思いで桜山まで辿り着いた。山―桜山神社へと続く鳥居の前―には先客がいた。


「なっちゃん!」

 名前を呼ばれた奈都貴は頷き、それから元気なさそうに左手を軽く上げる。彼もこの状況には相当参っている様子だ。


「出雲に相談しに来たのか。……でも、それはどうやら叶いそうにない」


「え?」

 三人声を揃えて首傾げ。奈都貴は左手の親指で背後にある鳥居を指した。


「通しの鬼灯を握っても『道』が見えないんだ。信じられないっていうのなら試してみればいい」

 ぼそぼそとらしくない喋り方。嘘をついているようには到底思えなかったが、三人して確認の為通しの鬼灯を握ってみた。だがいつもなら握った瞬間に姿を現すあの美しくも恐ろしい『道』がいつになっても現れず。いつになっても変わらぬ風景に三人は声も出ない。

 この訳の分からない状況下で、出雲に相談することさえ出来ないなんて! 嗚呼、絶望がますます内側にある闇を膨らませる。吐き気がする位、体の中はもう闇でいっぱいだ。

 やた吉とやた郎がこちらの世界にいる可能性はある。しかしいるかどうか分からない者を探し回るだけの気力はない。仕方なく喫茶店『桜~SAKURA~』へ向かう。そこにいるであろう弥助に相談する為だ。

 ところが店にいたのは真っ暗な中歩いて店に向かうという不思議な夢を見ている……と思っている満月と、困った顔の秋太郎だけであった。彼曰く弥助はまだこちらに顔を出していないそうだ。あてが外れた紗久羅はげげっと顔を歪める。秋太郎は「これじゃあお店は開けないね」と言って満月を家へと帰した。


「今頃町中駆け回って色々調べているのかな」


「ううん……いつもは仕事がある日は一旦私に『今から調べに行く』と声をかけてから行くのだけれどねえ」


「仕事がある以上まだ寝ているってことはないだろうし……やっぱり今頃町のどこかにいるのかな。或いはトラブルに巻き込まれていて、こっちまで来る余裕が無いとか?」

 秋太郎の言葉に奈都貴は腕を組み首を傾げる。例えばこの濃い闇の住人―おぞましい化け物に襲われているとか。あって欲しくない可能性である。そんな化け物が闇に潜んでいるなんて、考えたくもない。


「……もしくは今弥助さんはこちらの世界にいないとか」

 ぼそりと呟いたさくらの方を皆して一斉に見た。あんまり考えたくないことだけれど、と前置きしてから彼女は自身の考えを述べた。


「ほら弥助さんって、私達と違って少し位睡眠をとらなくたって平気でしょう? だから仕事がある日もギリギリまで向こう側の世界で遊んでいることがあるみたいなの。家へ帰って、シャワーとか浴びて身だしなみ整えて、それから一睡もせずにこの店まで……って」


「そういえば昨日『仕事が終わったら向こうに遊びに行こうかな』と言っていたなあ」


「じゃあ……」

 全員で顔を見合わせる。今双方の世界を繋ぐ『道』はどういうわけか使えなくなっている。いつからそうなったのかは分からないが、弥助がこちら側の世界に帰るよりも前という可能性もなくはない。秋太郎に言った通り遊びに行ったが、こちらに戻れなくなってしまったという可能性も十分あり得るということだ。もしかしたら今頃向こう側の世界で途方に暮れているかもしれない。


「どちらにせよアパートを今から訪ねても無駄だろうな。こちらにいたとしても、アパートの中でのんびりまったりしているってことはないだろうから。……となると後は九段坂さんか」


「メールは使えないから、直接行くしかないな。もっとも無事辿り着ければの話だけれど」


「一夜ったら不吉なこと言わないで頂戴よ」

 と一夜をたしなめるが、正直さくらも不安だった。この闇の先に三つ葉市は本当にあるだろうか、と。

 そしてその嫌な予感は残念ながら的中することとなった。あまり無理はしちゃいけないよ、と言う秋太郎と別れて三つ葉市へ向かった四人であったが、歩けたのも桜町と三つ葉市の境界近くまで。というのも、その先は密度の濃い闇によって作られた壁によって一歩も進めない状態になっていたからだ。

 どうして嫌な予感というのは泣ける位的中するのだろう? どう抗っても進むことの出来ない闇の奥、あるはずの景色などなく、例えその壁を突き破って先に進めたとしても果たしてそこに街は、道はあるだろうか。


「……この様子だと、舞花市にも行くことは出来ないだろうな」


「あたし達、妖怪の領域に閉じ込められたのか? 領域にも全く別の風景が広がっている場合と、基本的には現実世界と同じ風景が広がっている場合があるんだよな。これの場合は後者だろうけれど……」

 日々を過ごしたり、獲物を捕えたり、あらゆる目的の為に使われる特殊な空間。妖の中の一部が持っているもので、一度引きずり込まれると容易には抜け出せない。

 自分達は誰かの領域に引きずり込まれたのか、それとも。


「何か、明けない夜の中に閉じ込められたような気分だよ」


「覚めない悪夢の中って感じでもあるな。それにしても……一体どうすればいいんだ」

 どれだけ嘆いても闇は晴れぬ。それどころかその濃さはますます増す。絶えず入り込み、体の内にある全ての機能を止めようとするおぞましいもの。それを更に凝縮した壁は、見るだけでげんなりし、もうこの世界に作り物ではない本当の光が差すことはないのではないだろうか、という不安を抱かせる。その不安さえ的中してしまっては敵わない。だから考えないようにせねば、と皆して首を横に振る。

 明けない夜を明かさねば、覚めない悪夢から覚めねば。

 それにしても。


(家に帰るわけにはいかない。そんなことしたって、現状は良くならないもの。でも、でもどうすればいいの? 何の力も持たない私達が頑張ったところで、闇は晴れるの……?)

 どうすればいいか分からず、四人は先の見えぬ闇を前に立ち尽くすのであった。



 貴方の悦びは、私の悦びになる。

 ねえ、楽しいわ私。貴方も楽しいでしょう? どう、久しぶりの世界は?

 でも、まだまだこれからよね。これだけじゃあまだまだ駄目。貴方もそうでしょう。

 もっと、もっと見せて。

 明けない夜の力と、明けることを望む人の力。

 それがぶつかる様を、ねえ私とても見たいのよ。

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